ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯16 守るべきもの

 葬儀の報せが届いたのと、自分の異動届が届いたのは同時であった。

 

 桐哉からして直属の上官と言えば、スカーレット隊の隊長くらいである。すぐに直訴しようとして、端末が鳴り響いた。

 

 通常回線など久しく使っていなかった。通信相手は妹の燐華である。

 

 今は、とメッセージを吹き込もうとして、いや、今を逃せば、という思いが通話を繋がらせた。

 

「もしもし……」

 

『あっ、にいにい様。よかった、繋がって……』

 

 安堵した妹の声音に桐哉は兄としての声を振り向ける。

 

「どうした? 何か変わった事でも――」

 

 そこまで言いかけて桐哉は片手にある異動届を目に留める。モリビトの名前は地に墜ちた。その影響を妹が受けていないはずがないのだ。

 

 いじめか、あるいはいわれのない迫害か。

 

 気を張り詰めた桐哉が何も言えないでいると明るい声が通話口で弾ける。

 

『いやだな、にいにい様。あたしに何かあったみたいな沈黙だよ』

 

「いや、その……」

 

 まごついてしまった桐哉へと燐華は落ち着いた言葉を放った。

 

『あたしは何ともないよ。学校にも、……時々病気で休んじゃうけれど行けているし、出席日数も足りている。最近の憂鬱は、中間テストの成績がちょっと落ちちゃったくらい』

 

 本当にそれだけなのか。問い質すだけの言葉を、自分は持たない。

 

「そう、か……それならばいいんだ」

 

 体表を滑り落ちていくだけの、意味のない言葉達。だがそんな戯れ言しか、今の自分は言えないのだ。

 

『にいにい様の端末にお休みの日が入っていたでしょう? それでもしかしたら繋がるかな、ってあたし、繋げてみただけ』

 

 ちょっとしたイタズラを咎められた子供のように燐華は明るく言ってのける。桐哉はその休みも返上になってしまった今の状況を説明するべきか迷った。

 

「その……今日は非番の予定だったんだけれど」

 

『分かってるよ。にいにい様、お国のために戦っているの、ずっと知っているから。あたしは、たまににいにい様の声が聞けるだけで充分』

 

 そのようなはずがない。

 

 大病を患い、普通の人間のように過ごせない燐華からしてみればストレスのかかる事ばかりを押し付けている。

 

 自分の不在。モリビトの名前の失墜。そして、休日も消えたとなれば、彼女は何を寄る辺にして生きればいいのだろう。

 

 幸いにしていじめは受けていない様子だったが、言葉の限りではそれも判定出来ない。

 

「……燐華。ゴメンな。俺、燐華のために何も出来ていない」

 

『にいにい様は今でも充分、頑張ってるよ。だからあたしも頑張らないと。お医者様がね、代わったの。今度のお医者様は若い男の人。ちょっぴり、にいにい様に似てるかも』

 

「そうなのか……。いい先生だといいな」

 

『うん。だからね、にいにい様は何の心配もしないで。あたしは大丈夫だから』

 

 やはりモリビトの名前に関するスキャンダルは彼女に知れ渡っているのだろう。そのような重さを感じさせない妹の声が逆に辛い。

 

 燐華に無理を強いているのは一番に自分だ。

 

「ゴメンな、燐華。帰ったら、どこへ行きたい? 帰った時、一緒に行こう」

 

『本当? あたし、にいにい様とちっちゃい頃に行った遊園地がいい!』

 

 随分とつつましい願い事だった。桐哉は微笑んでそれを諌める。

 

「おいおい、もっといいところにだって連れて行ってやれるぞ? ほら、リクエストしろって」

 

『ううん。そこに行ければ、それだけでいいよ。だから……』

 

 濁したのはそれ以上がわがままになってしまうからだろう。

 

 だから、――絶対に帰ってきて、だろうか。

 

 それとも死なないで、か。

 

 切なる願いを込めた声音に桐哉は強く頷いた。

 

「うん、俺はすぐに帰る。だから待っていてくれ、燐華。一緒に遊園地に行こう。ボートに乗って、白鳥を見るんだ」

 

『いいの? 白鳥がまだ、あの遊園地にはいるんだ?』

 

 こんなの、嘘っぱちだ。白鳥を含め、動植物の消え失せた世界で、ボートの池にいるのは機械で構築されたオートマタである。

 

 こんな虚飾に塗れた会話でいいのだろうか。

 

 もっと本音を言い合わなければ、一生、妹とはすれ違うばかりかもしれないのに。異動届はともすれば、いつでも妹に会えるようになるかもしれない。しかし逆に、燐華から遠ざけられる結果にもなりかねない。

 

 どこにも地に足がついていない感覚だ。このまま消え去りそうなほど自分の立場は脆い。

 

 だが、ここで残酷な現実を言えば燐華はどうなる?

 

 妹に嘆き苦しみを与えるわけにはいかない。せめてたまの通信くらい、虚勢を張らせて欲しかった。

 

「ああ、いるさ。この世界はすごいぞ。もっと、燐華の見た事のないものを見せてやるからな」

 

『にいにい様、ありがとう。それだけで、あたし、大丈夫そう』

 

 病気は克服出来ないだろう。そう容易く治るのならば、自分は軍になど志願していない。

 

 安定した給付金と病気の継続治療が軍に入れば約束される。燐華のために、自分はこの場所にいるのだ。

 

 ならばここで戦わないでどうする。

 

「ああ、燐華。俺は絶対に、約束を破ったりしない」

 

『じゃあ、指切りしてね、にいにい様。今度会う時は絶対に』

 

 切れない約束などないのに。この世で一番に犠牲になるのはそのような儚い希望だと分かり切っているのに。

 

 桐哉は拒めなかった。妹の純粋さをある意味では直視出来なかったのだ。

 

「……そうだな。指切りしよう」

 

『嬉しい! にいにい様、大好き!』

 

 覚えず笑みがこぼれてしまう。今年で十四歳になる妹にしては随分と幼い言動かもしれない。それでも、兄を慕ってくれる事、嬉しくないはずがない。

 

「俺もだ。燐華、愛しているよ」

 

『あっ、そろそろ時間、まずいよね。切るね、バイバイ、にいにい様!』

 

「達者でな、燐華」

 

 通話が切れると、桐哉は今しがた、隊長に直訴しようとしていたのがあまりに愚かしいのだと思えた。

 

 自分には妹がいる。そう軽はずみな事は出来ないのだ。だというのに、自分勝手に配置換えへの文句ばかり考えて。

 

 桐哉は自室に戻り、異動届の封を切った。

 

 予想通り、というべきか。ある意味では安息したと言うべきか。

 

 スカーレット隊からの除名が通告されていた。しかし、軍務を離れるわけではない。モリビトでなくなっても、まだ戦わなければならないのだ。

 

 そちらのほうが何倍も苦痛だろう。

 

 だが吼えても仕方ない。自分の境遇ばかりが最悪ではないのだ。それを今さら理解するなど、自分も堕ちたな、と嗤う。

 

 携行端末の写真フォルダを呼び出し、桐哉は最後に撮影した妹との写真を目にしていた。

 

 撮影時気は秋。二年前の燐華が肩車をねだったので、桐哉は思い切り肩車をしてやった。

 

 まだ甘えてくれるのだろうか。まだ、慕っていてくれるのだろうか。

 

 これだけ自分の至らなさを世間に露呈した後でも。

 

「燐華、俺は……」

 

 異動先は通知済みだ。桐哉はこのコミューンを離れなければならない。元々、降り立っただけの一時的な駐在任務であった。

 

《バーゴイル》を伴っての組織の再編成が行われる見通しだという記述と、転属日が綴られている。

 

 隊長に挨拶を。そうでなくとも、葬儀には出なければ。

 

 桐哉は先ほどまでの怒りは消して、隊長の待つ部屋へと向かった。途中、すれ違った人々が好奇の眼差しを注いでくる。

 

「おい、あれ」

 

「ああ、スカーレット隊の。でも除名されたって聞いたぜ」

 

 どこに人の耳があるのか分からないものだ。自分より耳聡い連中が嘲笑う。

 

「どうしてこのコミューンにまだいるのかねぇ。さっさと出てってくれればいいのに」

 

「あいつの《バーゴイル》に、やっといたんだろう? アレ」

 

 何を示しているのか分からないが、悪い知らせには違いないだろう。桐哉はただただ、目をきつく瞑り、怒りを抑え込んだ。

 

 誰にも殴りかからなかったのが奇跡に思えるほどの数分間。桐哉は隊長の待つ部屋の戸を前にしていた。

 

 ノックする前に隊長の電子音声が響く。

 

『桐哉か。入れ』

 

「はい……」

 

 席についていた隊長の顔は予想よりもずっと重々しかった。桐哉より地獄を見たような面持ちだ。

 

「隊長、その、お別れを言いに来ました」

 

 本来ならば怒声を張り上げ転属届けを不服とするつもりであったが、燐華との約束もある。軽率に自分を考えるべきではない、と少しばかり冷えた頭が導き出す。

 

「……こっちはお前に一発くらい、殴られるつもりでいたよ」

 

 自嘲した隊長は桐哉の持つ異動届が封を切られているのを目に留めた。

 

「見ての通りだ。何も出来なかった事、無能と罵られても仕方ない」

 

「いえ……隊長は善処してくださったんだと思います。ただ、次の転属先は……」

 

「地上で警戒に当るのも充分に防衛任務には相応しい。新たな場所での栄光を祈っている」

 

 しかし《バーゴイル》での地上警戒など、ほとんど島流しに近い。それくらいは分かっていた。

 

 だが、ここで言い返したところで事態が好転するわけでもなし。

 

 桐哉はただ、隊長へと敬意を払っていた。

 

「短い間でしたが……スカーレット部隊にいられた事、光栄に思います」

 

「いい。そういうのは。《バーゴイル》はそのままだ。あの赤を、地上でも見せつけてやれ」

 

 隊長なりの気遣いだろう。桐哉は涙をぐっと堪える。

 

「俺は……一時でもモリビトになれて、誉れでした。このゾル国を守れる、そういう人間になれて……」

 

 だが一夜にして英雄の名は仇敵の名に変わった。自分がこの心に刻むのは、モリビトという栄冠を得ていた頃の、ほんの些細な栄誉だけだった。

 

 誰かの憧れになれた。それだけできっと存在出来た意味があるのだろう。

 

「モリビトは我らが一命にかけて必ず破壊する。何も心配するな」

 

 それは暗に、もう桐哉にはモリビト打倒のチャンスが巡ってこない、という意味でもあった。

 

 その通りだろう。スカーレット隊が一番の危険地帯に潜り込む任務だったのだ。

 

 転属先はまだよく見ていないが恐らくは僻地。前線からは遠いに違いない。

 

「隊長達は、その、古代人機との戦いを、その……」

 

 うまく言葉に出来ない。言葉にすれば、感情の堰を切ってしまいそうで。

 

 隊長は心得たように首肯する。

 

「無論だ。お前の分まで戦おう。誓うよ。上官と部下ではなく、同じ志を持った友として。共に空を飛べた事を」

 

 この栄冠は何も自分だけのものではない。スカーレット隊三人の、間違いようのない誉れであった。

 

 桐哉は踵を揃え、深く頭を下げていた。

 

「ありがとう……ございました」

 

 ――これ以上は、とすぐに踵を返そうとする。その背中へと隊長は呼びかけた。

 

「桐哉・クサカベ。その強さ、決して忘れない」

 

 自分も忘れぬだろう。

 

 古代人機を倒す事に一命をかけられたこれまでの戦いを。

 

 これからの戦いが何であろうとも、その栄誉だけは忘れない。

 

 部屋を出た桐哉がまず向かったのは人機の格納庫であった。

 

 自分の《バーゴイルスカーレット》は転属先にも持ち込める。せめてその日まで欠かさず点検を。

 

 そう考えていた桐哉の目に飛び込んできたのは、困惑顔を浮かべた整備班の人々であった。

 

 全員が自分の《バーゴイルスカーレット》の前で腕を組んでいる。

 

「どうすんだよ、これ……操主に見せられないぞ」

 

「消しときましょう。上には報告しておきました」

 

「って言ってもよぉ……、こんな事するこたぁ、ないのにな。人機に罪はねぇぞ?」

 

「操主に問題があるんですよ。だからこんな面倒な事に……」

 

 そこで桐哉が佇んでいる事に気づいた数名が肩をびくつかせる。歩み寄った桐哉を何人かが押し留めようとしたが、桐哉は振り払って愛機の前に立った。

 

 赤く映えた愛機にスプレーで落書きがされていた。自分を貶める文句や、モリビトの名前に関する中傷がよりにもよって青いインクで塗装されている。

 

 整備員達が全員、凍りついた。

 

「その、クサカベさん。その、どう言うべきか、その……」

 

「……消しときましょう。俺も手伝いますよ。ほら、整備班の人達は忙しいでしょうし、人手はいるでしょう?」

 

 笑い飛ばした桐哉に数名の整備員が面目ない、と顔を伏せた。

 

「おれらが見ていない間に、人機にまで……」

 

「いいんですよ。こんなのはそう、消してしまえば。上からサービスで耐熱コーティングしてくれれば、なおいいんですけれど」

 

 冗談交じりに言った桐哉に数名が笑いを浮かべる。

 

「ああ、その程度はさせてください。その、何と言えばいいか……」

 

「消せばいいんです。新しく塗り替えましょう」

 

 そうだ。消せばいい。

 

 経歴も、栄誉も、名声も、富も、今まで培ってきた何もかもを。

 

 消せばいいだけの話だ。

 

 消し去って凡人になればいい。地上での《バーゴイル》乗りも案外、悪くないかもしれない。

 

 そうと分かっていても、割り切っていても、――零れ落ちる涙を止める事は出来なかった。

 

「く、クサカベ准尉……」

 

「いえ、いいんです。こんなのはどうだって。ほら、モップを貸してください。手伝いますよ」

 

 涙を拭ってモップを手に取った。それでもまだ、拭い切れない痛みに呻くしかなかった。

 

 


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