命令系統に乱れが生じているのは、友軍機を落とせ、という指令が間違っているのではないか、と誰かが言い出したからだ。
それでも現場の兵士達は動くしかない。《バーゴイル》へと搭乗し、一機、また一機とカタパルトより射出される黒カラスの機体達は常闇の宇宙をゆっくりと浮かび上がっていく巨大人機に目を奪われていた。
「なんて、大きさ……」
通常人機の六倍はあるであろうか。鉤爪のような四肢と緑色の機影にあれが情報の、と誰もが息を呑む。
『あんなの、無茶苦茶な大きさじゃないか……』
それでも命令を無視して逃げ帰るわけにはいかない。現地にようやく行き届いたプレッシャーカノンの試作型を保持した《バーゴイル》部隊が認証コード《キリビトエルダー》を包囲する。
《キリビトエルダー》はその巨体がゆえに反応は随分と鈍い様子だ。完全に包囲が済んでから、リーダー機が通信を繋ぐ。
『達する! 《キリビトエルダー》に搭乗する操主! ここで投降し、我が軍に下ってもらおう。そうでなければその機体には破壊命令が降りている。ここでプレッシャーカノンの錆となるか』
突きつけた銃口に通信網を震わせたのは哄笑であった。
まさか、と全員が言葉を飲み下す。嗤っているのだ、と分かった時、一機の《バーゴイル》が先走った。
絞ったプレッシャーカノンの光条が《キリビトエルダー》に突き刺さろうと迫る。瞬間、《キリビトエルダー》の表層に何かが展開された。
それが何なのかを判ずる前に、霧散したプレッシャーカノンの弾道にハッとする。
『プレッシャーカノンが……無力化された?』
咀嚼する前に四肢を拡張させた《キリビトエルダー》の機体内部に収納されていた小型ミサイルが宙域を見据える。
一斉射された弾頭に《バーゴイル》部隊が三々五々に逃げ出すも、その策敵範囲は遥かに広かった。
プレッシャーカノンでミサイルを迎撃しようとする者は数多いが、ミサイルの手数に圧倒される。
爆発の光輪が広がったかと思うとレーザーがジャミングを受けた。有視界戦闘へと切り替えようとするその数秒間のロスをつき、《キリビトエルダー》の四肢から放たれた光条が《バーゴイル》部隊を引き裂いていく。
『敵はR兵装を保持! 距離を取ってミサイルを潜り抜けろ! 簡単に勝てる相手じゃない!』
『逃げられるとでも。《キリビトエルダー》!』
通信網の中に紛れ込んだのは聞き間違えようもなく女の声であった。直後、《キリビトエルダー》の眼窩が煌き、射出されたのは小型の球形兵器である。小型、とは言っても現状の人機と同サイズのそれは素早く動き、磁石のように《バーゴイル》に纏いつく。三基が一組となって《バーゴイル》に追従してきたそれを撃墜しようとした瞬間、電磁波が瞬いた。
《バーゴイル》を覆ったのは強烈なリバウンドフィールドそのものである。リバウンドの皮膜に抱かれ、《バーゴイル》が一機、また一機と音もなく潰されていく。
逃げ切ろうと戦場の隅まで離脱した《バーゴイル》でさえも、その小型兵器は追いすがった。
プレッシャーカノンの弾丸を潜り抜け、小型の球が《バーゴイル》を包囲する。おっとり刀で近接戦闘に切り替え、プラズマソードを引き抜いた。小型兵器は一つを落とせば、リバウンドの皮膜の構築は不可能らしい。
辛うじてリバウンドに抱かれずに逃げ込んだ《バーゴイル》の残存兵を待っていたのは《キリビトエルダー》の三角の推進部位から放出された蝿型人機の応酬であった。
蝿型が口腔部より針を射出し、《バーゴイル》の手足を潰していく。胴体とコックピットだけになった《バーゴイル》へと取り付いた蝿型が腹腔からプレッシャー砲を放ち、《バーゴイル》を無力化していった。
『こんなの……一方的じゃないか』
プレッシャーカノンを届かせようとしても、リバウンドの絶対の鉄壁に覆われた《キリビトエルダー》本体には決して爪が届かず、かといって蝿型や小型兵器を潰そうとしていれば集中力が削がれる。
どちらかの攻撃を受けざるを得ない《バーゴイル》部隊は開始数分でその残存戦力を半数にまで減らしていた。
『こんなのどうすれば……《グラトニートウジャ》は? あの機体なら、この逆境を』
しかし頼みの綱の《グラトニートウジャ》は前回の戦闘で破壊されてしまった。残った《バーゴイル》の兵士達はただただ刈り取られていく恐怖に抗うしかない。
狂気に取り憑かれた《バーゴイル》乗りがプレッシャーカノンを無茶苦茶に撃ち放つ。蝿型の針に胴体を射抜かれ、血塊炉が停止した機体を小型兵器のリバウンドフィールドが押し潰した。
こんなものは戦闘ですらない。
ただ蹂躙されていく虐殺だ。
プレッシャーカノンを撃とうとして上方からの蝿型の一撃に《バーゴイル》がよろめく。さらに追撃の小型兵器のリバウンドに冒され、四肢をもがれた。
急速に回転していく視界の中で《キリビトエルダー》の悪鬼のような姿に慄く。
《キリビトエルダー》からR兵装が放たれようとしたその時、白銀の輝きが散弾の勢いを伴わせて《キリビトエルダー》の装甲を打ち据えた。
全員がハッと振り仰ぐ。
《モリビトタナトス》が腕を組んで佇んでいた。
「モリビト……我々の助けに?」
希望が湧き起こる前に、《キリビトエルダー》から間断のない攻撃が見舞われる。小型兵器によるリバウンドフィールドの乱射を《モリビトタナトス》は掻い潜り、その懐へと入ってみせた。だがそれは死地とどう違うのか兵士達には分からない。
《キリビトエルダー》から電撃が見舞われようとする。紫色に輝く雷鳴の中を、《モリビトタナトス》は恐れも知らず進み、鎌を機体の装甲へと叩き込んだ。
《キリビトエルダー》がここに来て初めてうろたえたような挙動を見せる。
『何だ、貴様は』
『ガエル・シーザー特務大尉である。残存している《バーゴイル》部隊に告げる。こちらの援護を頼みたい。無論、射程外からで構わない。このキリビトタイプはR兵装を弾くが、どうやら実体弾と実体兵器は弾けないらしい。総員、アサルトライフルに持ち替え。ただの弾丸ならば届く』
『笑止! ただの弾丸で、《キリビトエルダー》の堅牢な装甲を破れるものか!』
放たれた無数の光条を《モリビトタナトス》は回避しつつ、片方の羽根槍を機動させ、《キリビトエルダー》へと打ち込んだ。
白銀の槍の穂が《キリビトエルダー》を押し留める。
《バーゴイル》部隊に僅かながら希望が舞い戻っていた。その象徴がモリビトなのは戸惑うしかないが、それでも友軍の果敢なる戦い振りに心動かされた人間は少なくはない。
『う、撃てーっ! 実体弾ならば徹る!』
無反動砲やアサルトライフルの応酬が《キリビトエルダー》の機体中心軸に位置する血塊炉を震わせる。
《モリビトタナトス》は先ほどから劈く雷撃を避けつつ、装甲へと鎌による一撃を軋らせていた。
火花が舞い散り、《モリビトタナトス》は即座に攻撃を貫通せしめた部位へと追撃を見舞う。
《モリビトタナトス》にはまるで《キリビトエルダー》の弱点が看破されているようであった。その挙動に迷いはなく、《キリビトエルダー》の放つプレッシャーの波にも全く押された様子もない。
この勝負、勝てる、と誰かが思い始めた。否、ここにいる全員の胸の中に希望として浮かび上がろうとしていたのだ。
その灯火が力となって《キリビトエルダー》の巨躯を押し戻そうとする。《モリビトタナトス》が《キリビトエルダー》の上方へと舞い上がり、鎌を打ち下ろそうとした。
頭部コックピットへととどめの一撃が放たれかけて、《キリビトエルダー》が激しく雷鳴を打ち鳴らす。
紫色の電撃が《モリビトタナトス》を引き剥がし、《キリビトエルダー》から放出された小型兵器と蝿型人機がこちらの機体を押し戻そうとしてくる。
どれだけ距離を取っても《バーゴイル》では限界が生じる。《モリビトタナトス》は自律兵器の槍を使って小型兵器を撃墜していくが、それでも数が間に合わない。
断末魔の叫びと怨嗟が戦場を推し包んでいく中、《モリビトタナトス》の操主はふと口にしていた。
『よぉ、キリビトの操主。ここいらで手打ちにしねぇか? 時間稼ぎにしちゃ、上等なところだろ?』
その言葉に生き残っていた《バーゴイル》の操主は震撼する。何を言っているのだ。相手は落とすべき敵であるのに。
交渉を持ちかけられた《キリビトエルダー》の操主は存外に冷静に返していた。
『……ブルブラッドキャリアの手先、ではなさそうだな』
『分かってもらえて光栄だぜ。モリビトを操っているとどちらから撃たれても文句は言えねぇからな』
『どういう了見だ? ここで《キリビトエルダー》の進軍を止めるなど』
『お歴々からしてみれば、暴走したキリビトを止めるための抑止力と言う名のパフォーマンスが必要なんだとよ。それで、地上から宇宙にまた急に来いって言われてこのザマさ。ったく、人遣いが荒いにもほどがあるだろうに』
生き延びたのは自分ともう一機のみだ。たった二機の《バーゴイル》になってからというもの、《モリビトタナトス》と《キリビトエルダー》の間に降り立ったのは奇妙としか言いようのない空間であった。
先ほどまで殺し合いをしていたとは思えないほど、二機の操主は落ち着き払っている。むしろ、それが当然とでも言うように。
『地上の人間はリバウンドの天蓋が潰されただけでも衝撃だろう。なるほど、貴様は彼らの溜飲を下げるための、ある種の抑止力か』
『正解。どこかで抗っておかないと、このままおたくがブルブラッドなんたらを潰してくれたとしてもその後始末が大変だってな。やっぱり人間、保身に走るもんなんだよ』
『ここで《モリビトタナトス》が応戦に入った、という状況が必要であった。その事実さえあれば、他はどうとでも言い繕える』
何を喋っているのだ。震撼する《バーゴイル》乗りは《モリビトタナトス》の赤い眼窩がこちらを見据えた事に肩をびくつかせる。
『……たった二機とはいえ、ログが残ると厄介だ。潰しておくか』
途端、《モリビトタナトス》の羽根槍が機動し、《バーゴイル》の退路を塞いだ。その穂先に白銀の輝きが充填されていく。
「な、何故! どうして! 《モリビトタナトス》は我が方の味方なのでは……!」
『勘違いすんな、木っ端兵士。オレは戦争屋、どこの味方でもねぇよ。散れ』
直後、血塊炉を貫いた光と共に意識は完全に閉ざされた。
ガエルは《モリビトタナトス》のコックピット内部で紫煙をくゆらせる。
酷い戦場であった。《バーゴイル》の破片が舞う中で、通常人機の六倍近くある《キリビトエルダー》がゆっくりと進む。
『ここでわたしを封じたのは、他国への牽制の意味も持っているな? C連合か』
「あんまし頭が回り過ぎるのも考えものだぜ? 手当たり次第ぶっ壊したいだけのヤツが言っているにしちゃ、冷静ってのもな」
『《キリビトエルダー》は選ばれた機体だ。この惑星を揺籃の時から目覚めさせ、ようやく、覚醒を促す事が出来る』
「それがてめぇら、元老院の共通の目的ってワケかい」
その言葉振りに相手は驚嘆を浮かべる。
『……驚いたな。元老院の存在を知っていてまだ命があるとは』
「だが、保守的な元老院が《キリビトエルダー》をわざわざブルブラッドなんたら殲滅のために解き放つとも思えない。だからこれはてめぇ一人の独断専行だ。元老院の老人連中はみんな、今頃お陀仏だろうぜ」
『……殺したのか』
「寿命だよ、寿命。ヤツら生き過ぎたんだよ」
その皮肉めいた言い草に通話先の相手は鼻を鳴らす。
『どこまでも……読めない男だ、貴様は。ガエル・シーザーだったか』
「そいつは偽名だ。っても、もうほとんどオレの本名みたいなもんだけれどな。シーザー家から甘い蜜を吸って生きていくしかねぇ、ハイエナよ」
とは言っても、とガエルはつい数時間前のモリビトとの戦闘を思い返す。突然の黄金に包まれた青いモリビトの機動性能はこちらの領域を遥かに超えていた。あれがもし、宇宙に上がってくれば、ともすれば《キリビトエルダー》を止める手になるかもしれない。
もっとも、宇宙に上がるのにはゾル国の軌道エレベーターかあるいはC連合のマスドライバーしかない。後者を選ぶしか選択肢のないモリビトでは試算しても可能性は低いだろう。
『ハイエナ、か。いずれにせよ、わたしはもう、元老院に戻るつもりはない。あの統率された、思考体系は心地よいのかもしれないが、分かってしまったのでね』
「機械の身体よりも生身のほうがいいって事かよ」
『皮肉めいていているが、百五十年も他人に頭の中を覗かれていると、それがない生身というのは存外に気分がいい。昂揚感もある。これが、人間として生きる、という事なのだろう』
ガエルはブルブラッドの煙草を吹きつつ、《キリビトエルダー》の損耗率を目にする。あれだけパフォーマンスとして破壊したものの、その全容からしてみれば二割にも満たない。やはり、この機体を潰すのには《モリビトタナトス》でさえも難しいのだろう。
「この先に行くには、通行のための駄賃ってのがいるぜ。寄越すんだな」
『元老院時代に持っていた情報網か、貴様らが欲しがっているのは』
「よく分かってるじゃねぇか。そうだよ、まだ掌握し切れていないらしいんでな。支配の磐石にはそれが必要らしいのよ」
『元老院から離れ、一個体として生きようとしているわたしに、まだ求めるものがあるとはな』
それだけ元老院システムが支配していた百五十年は平和であったという事なのだ。それが偽りであったとしても。今、平和の鍵はこちらに渡されようとしていた。《モリビトタナトス》の内部メモリーに引き移されていくのは元老院のパスコードだ。
これで元老院のシステムは九割を支配した事になる。しかし、それでも青いモリビトが発現せしめた状態だけは解明し切れなかった。
あるいは、その鍵を持ち出したのが元老院の残存体なのかもしれない。
「駄賃を預かっておくぜ。その馬鹿でかい人機で、てめぇはどうしたい?」
その質問にはナンセンスとでも言うべき声音が返ってきた。
『知れた事。ブルブラッドキャリアの殲滅』
「それにしちゃ、随分とオーバースペックだ。もし、だ。ブルブラッドなんたらをどうにかしたとしても、さっきみたいな《バーゴイル》との戦闘履歴や、リバウンドフィールドを融かしたほどの性能が眠っているとなれば、人類の敵になるのはそう遅い話でもないと思うぜ?」
どうせ矛を交える事になる。そうなった時、どうする算段でもついているのだろうか。ガエルの問い質した声に相手は、だからこそと切り返す。
『必要なのだよ。全てを破壊するだけの力が』
力に呑まれている、というほど迂闊な人間とも思えない。かといって酔っていないというのは嘘のようだ。
全てを破壊する。本当に、心の底からそれしか信じていないのだとすれば。そう考えれば辻褄は合う。
破壊のために《キリビトエルダー》は駆り出された。人類を断罪する絶対者として。
「……まぁ与り知らぬ事、って言えばそこまでだ。オレみたいな戦闘狂にはよ」
『いずれ分かるだろう。この世界がどうなるのか、それを嫌でも思い知る事になる』
通り過ぎていく《キリビトエルダー》にガエルは言い置いていた。
「ああ、でも気ぃつけな。人類は、てめぇが思うほどやわじゃねぇかもしれないぜ?」
その言葉には返さず、《キリビトエルダー》は宇宙の常闇を進んでいった。