ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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第八章 鋼鉄の絆
♯153 因果の決着


 薫るのは戦闘の昂揚が生み出す幻覚か。あるいは、ここ死狂いの境地に至ってのみ発現され得る感覚であろうか。

 

 対岸の敵を前にして、桐哉の胸中は思いのほか静かであった。恨みもなければ、わだかまりもない。ただ、あるのはここまで登り詰めさせてくれた感謝のみ。

 

 その謝辞も、今はただの弊害となる。構えは正眼。お互いに摺り足で対峙する。

 

 この抜刀術に、面や防具の類は必要ない。

 

 否、それはただ単に邪魔なだけだ。研ぎ澄まされた感覚を塞ぐのは安全装置という名の気の緩み。

 

 最早、一瞬でも気を抜けば食らわれるであろう事は明白。桐哉は言葉を発しようともしなかった。

 

 戦いの最果てに言葉は無用。誰もが言葉を弄し、それを使って相手との交渉を試みようとする。それは有史以前より人間が扱ってきた「平和」という張りぼてを維持するための装置である。

 

 だが、戦いから人間は逃れられない。その舞台装置が外れた時、ではどうするか。

 

 答えは単純明快。相手の喉笛へと決死の覚悟で食らいつく。牙が折れ、爪が逆剥けても、それでも相手へと食らいつくのをやめない闘志こそが、人間の持つ最も原子的でなおかつ遺伝子の根底に刻まれた闘争の本質である。

 

 零式抜刀術はその本質を明るみにする。

 

 ヒトが理性というたがをもって相手との平和的解決を主とするのならば、零式抜刀術の赴く先は本能である。

 

 どこをどう打ち込めば相手を制する事が出来るのか。どこを無効化すれば相手を殺し尽くす事が出来るのか。

 

 野蛮とも言えなくもないその考えは本能で構築されている。相手の弱点を即座に見抜く洞察力。その上で力量を冷静に俯瞰する咄嗟の判断力。

 

 それら全てを包括して使用するのがこの戦闘術の真髄。

 

 ――だが、それは頭で分かっている領域に過ぎない。

 

 本能を理解するのに、理性で分析する、というのは相反する事象に他ならないのである。

 

 実のところ、本能的にこの戦術を叩き込むのには戦うしか最短の道標はない。つまりは実戦あるのみ。

 

 相手との鍔迫り合いと闘争の中でしか、この戦闘法は極みを知らないのだ。

 

 なればこそ、ここで向かい合うは必定。桐哉は僅かに姿勢制御を変えた。爪先へと重心を落とし、相手の首を取る構えへと変位させる。

 

 この構えの動きはまさしく精密な筋肉と骨の連動が生み出す最たるものであり、己の身体を知り尽くしていなければ生み出せない。

 

 幾度の鍛錬の後、桐哉はこの零式抜刀術が言うほど容易くないのを思い知った。

 

 肉体と精神を極限まで削り、さらに己を知る、という原初に立ち返らなければ習得は難しい。

 

 加えて言えば、立ち合い相手がいなければ一生、この戦術は馴染まないであろう。

 

 立ち合いなしでこれを習得出来るのは一部の天才のみ。

 

 ゆえに、眼前の相手は天才、――否、羅刹であった。

 

 銀髪をなびかせ、向かい合うは先読みの異名を取る自らの師。

 

 行くぞ、とも、いざ、とも声はかからない。だが、どこから打ち込んでも反撃が来るのは分かっていた。

 

 それほどまでに隙は微塵にもない。立ち振る舞いから読み取れるのは相手がどれほどの剣の高みにいるのか、という純粋なる事実。

 

 取れるか、という逡巡でさえも今は邪魔だ。

 

 取る、という実感がなければすぐさま蹴散らされてしまうだろう。

 

 また、薫ったのはどこかで嗅いだものだ。どこなのかは明瞭に意識を結べないが、それが恐らくは戦場であり、なおかつ自分の身を焼くような恩讐の彼方である事は容易に想像がつく。

 

 剣筋を立て、呼吸を整えようとする。一拍の乱れだけで万死の隙が生まれる。

 

 爪先に比重を置いて姿勢を沈ませ、リックベイへと一閃を叩き込む――何度も脳内で諳んじているその事柄が、踏み込む段において急速に現実の色をなくしていくのはやはり実力者を前にしているからか。

 

 正眼の構えが崩れれば敵の踏み込みが瞬きの間に入ってくる。その時は決して遠い出来事ではない。

 

 一秒後にでも訪れないとも限らない。

 

 伝った汗が顎から滴り落ちる。

 

 集中を切らさないようにしてもう何分経っただろうか。

 

 零式の戦闘訓練は集中力を要する。殊に、師範であるところのリックベイとの立ち合いはまさに己の限界点との戦い。

 

 ギリギリのところで踏み込むか踏み込まないかの差が埋めがたい溝となって横たわっている。

 

 勇気、無謀、果敢――あらゆる言葉で言い換えられるそれは、いざ刃を向かい合わせれば単純な帰結として存在する。

 

 それは力。

 

 力でしかない。

 

 向かい合うから勇気があるわけでもなければ、踏み込みを躊躇うから無謀なわけでもなく、戦いへと駆り立てる神経が果敢なわけでも決してない。

 

 力だけなのだ。

 

 この世でシンプルに、なおかつ本能の上に立つエネルギーは力でしかない。

 

 野蛮人の理論のように思われがちだが、桐哉は打ち込めないリックベイを前にして、確かにそう感じる。

 

 力だけ。その純粋な力の値が足りていない。

 

 まだ、自分は拙い刃の扱い手だ。

 

 しかし拙いなりにこれでも修練は積んだ。戦いにおいての真理を突き詰めてきた。ならば、この牙、どこかで届くはずである。

 

 それがどのような形を伴っていようとも。野獣の牙はどこかで狩人の領域へと変ずる。

 

 切り込んだのは、隙があったからでも、ましてやどちらかの集中がなくなったわけでもない。

 

 斬り時。

 

 刃を振るうべきその瞬間が訪れた、という、ただそれだけの話。

 

 踏み込んだのは両者同時。だが姿勢を沈ませていた桐哉の剣が僅かに勝っている。その切っ先がリックベイの額を割ろうとした。

 

 銀狼の剣筋が桐哉の太刀筋を払い、その軸となる足を狙って返す刀が振るわれる。

 

 させるものか、と応戦の刃を薙ぎ払った桐哉は直後に飛び退っていた。

 

 極度の集中のせいか、吐き気を催す。精神に追従出来ない臓器が拒絶反応を起こそうとしている。

 

 無理やり封じ込めさせたその一瞬の隙に、リックベイはまたしても踏み込んでいた。

 

 横薙ぎに払われる一閃を桐哉は足を摺らせて防御する。下段より上方へと放った刃は即座に打ち下ろす一撃と相成る。

 

 銀狼は焦りもしない。竹刀同士が激しくぶつかり合い、銃声にも似た炸裂音を幾度となく響かせる。

 

 集中の臨界点が訪れたのは桐哉のほうが先であった。ぶれた剣筋を見切り、リックベイが下段より打ち払う。構えを解かれた桐哉の隙だらけの胸元へと突きが叩き込まれようとしていた。

 

 打突の予感に桐哉は踵に力を込める。解かれた構えは何も決定的な敗北の一手ではない。むしろ、逆だ。

 

 ここで反撃せしめる事こそが、零式抜刀術の心得。

 

 胸元を叩くであろう一撃を桐哉は瞬時の判断で踏み込んだ。通常、敵の間合いへとさらに接近するのは下策であったが、予想外の踏み込みはリックベイの切っ先に迷いを生じさせる。

 

 迷った側が敗北の奈落へと足をかけたも同義。

 

 胸元に纏った衣が爆発的な突きに引き裂かれる。桐哉は太刀を握り締めた片手を振るい上げ、そのままの勢いを殺さずに打ち下ろした。

 

 お互いに硬直する。

 

 突きの放たれた桐哉の胸元の服飾が血の赤に滲んでいく。

 

 リックベイはその唇よりようやく、言葉を紡いだ。

 

「――見事だ。桐哉・クサカベ」

 

 その額に一条の傷が走り、血が滴る。

 

 お互いに一歩も退かない戦いはリックベイの放った言葉によってようやく終わりを告げた。桐哉は自分が酷く疲労しているのを理解する。集中力、体力共に研ぎ澄まさなければ勝ち取れなかった勝利。同時に、薄皮一枚の危ういものであったのも事実。

 

 リックベイはタオルで額の傷を拭くが、その程度では血は出続けるだけだ。

 

 ふむ、と彼は呼びつける。

 

「アイザワ少尉、手当ての包帯を」

 

 先ほどから放心して戦いを見守っていたタカフミがようやく、と言った様子で声にしていた。

 

「し、少佐ぁ……ビビリましたよ、こんな」

 

「包帯を。それと出撃の許可証も、だな」

 

 こちらへと一瞥を向けたリックベイに桐哉は首肯する。

 

 そうだ。まだ勝利の感慨に耽っている場合ではない。自分はここから飛び立つのだ。そのためにリックベイから白星が必要であった。

 

 零式抜刀術の正当なる後継者である事を示すための戦いを。

 

「教える事は全て教えた。あとは君が示すといい。己の戦場で」

 

「感謝します。リックベイ・サカグチ少佐」

 

 頭を下げた桐哉にリックベイは、なに、と首を振る。

 

「ちょうどこちらも零式の後継者が欲しかったところだ。お互いに渡りに船であった、という単純な話だよ」

 

 そのようなわけがない。リックベイは零式抜刀術を今までどのような実績のある兵士にも教えなかった。それを自分のような、仮想敵国の相手に教えるという事は、相当なる覚悟が必要であったはずだ。

 

 当然、割れれば罰を受けるという可能性もあり得る。しかしリックベイの立ち振る舞いにはどこにも惑ったところなどない。心底、ただ教えるだけ教えた、と言うかのようであった。

 

 後は自分次第。桐哉は拳を握り締める。

 

 包帯を額に巻いた銀狼は歩み出していた。その背中をタカフミが呼び止めようとする。

 

「少佐、本当にいいんですか? だって、《プライドトウジャ》はまだ……」

 

「解析の余地はある。だが、もう今さらであろう。やるべき事は尽くした。それに通すべき仁義もな。彼に道理は通用するだろう。因縁の決着のために必要な要素は揃えておいた。ついて来い、桐哉・クサカベ」

 

 道場から一転、機械的な廊下を進み、踏み出たのは格納庫であった。

 

 その最奥に位置するのは、己の半身とも呼べる機体。

 

 この機体があったから悲劇に見舞われた。だが同時に、救うための力が手に入ったのだ。己の義を通すだけの力――守り人としての信念を。

 

 漆黒の人機はただただこちらを見下ろすばかりだ。X字のデュアルアイセンサーからは初めて出会った時と同じように高圧的な眼差しが送られている。

 

 違うのはお互いの覚悟だろう。

 

 百五十年の眠りから解き放たれた《プライドトウジャ》には最新鋭の装備が施されていた。

 

 整備士が順番に説明する。

 

「左腕には連装パイルバンカーが。こいつの破砕力なら、リバウンドの盾だって理論上は砕けます。今まで両手二発ずつしかなかったのを片腕にしたのは少佐のオーダーでしたが……」

 

 濁した語尾にリックベイは《プライドトウジャ》の片腕に顎をしゃくる。左腕にはリボルバーを想起させる意匠を持つ武装が施されており、長さを調節され、射出速度を増したパイルバンカーが内包されている。

 

 腰から提げているのは実体剣であった。その装備の仕様が端末に表示される。

 

 一振りの刀であったが、異様なのは刀身に開いた穴であろう。折れ曲がった刃に無数の小さな穴が開いており、脆さを予見させる。

 

「最新のリバウンド装備の研究成果を形にしたものです。実体剣であっても、リバウンド効果を最大限に利用するために、穴を開けてあります。何でも、こうする事で刀身にリバウンドのエネルギーが行き渡りやすくなるんだとか。……でもこれは」

 

「存じている。ブルーガーデンの技術だ」

 

 リックベイの下した言葉にタカフミが唾を飲み下した。

 

「《ラーストウジャカルマ》の、蛇腹剣の技術ですよね……これ」

 

 あらゆる人機の遺伝子を受け継ぎ、自分へと繋げてくれようとしている《プライドトウジャ》に桐哉は見つめ返す。

 

 赤い眼窩が試す眼光を伴わせた。

 

「ハイアルファー【ライフ・エラーズ】は適性値に振ってある。それと、これを持っていくといい」

 

 手渡された端末に表示されたのは新たな操縦システムであった。アームレイカーを接続し、身体を包み込むような機械に目を瞠る。

 

「これは……」

 

「トレースシステムというらしい。人機へと操主の操縦技術をダイレクトに叩き込む。零式抜刀術を最大限に活かすのに、これ以上とないものであろう」

 

 授かったのは何も《プライドトウジャ》と零式だけではない。これからの未来まで背負って、自分は戦うのだ。

 

 桐哉は仰いだ視界の中に入った悪鬼の人機に、ふと言葉を浮かべていた。

 

「リックベイ・サカグチ少佐。あなたには感謝してもし切れない。俺を鍛え直してくれて……なおかつ、こうして戦えるだけのチャンスをくれた。でも、一つだけ。最後のほんの些細なわがままを、聞いてもらえるか」

 

 振り向けた視線に伊達や酔狂で言っているわけではない事が伝わったのだろう。リックベイは首肯した。

 

「我々に出来る事なら、対応しよう」

 

 桐哉はその文言を紡ぐ。最後の、ほんの些細なわがまま。だが、これを全うせねば、自分は納得出来ないだろう。

 

 少しだけリックベイが眉を跳ねさせたのが窺えたが、その言葉にどこか得心がいったのか、彼は微笑んだ。

 

「いいだろう。そのオーダー、請け負った」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に、よかったんですかねぇ」

 

 タカフミの言葉繰りにリックベイは既に行ってしまった後継者の背中を思う。

 

「何か不満でも?」

 

「不満と言うか、あいつに一人で行かせてもよかったんで? だって、おれ達だってもうすぐ宇宙に上がる。合同作戦と行っても別に」

 

「アイザワ少尉。彼は祖国に裏切られ、友を亡くし、恐らくは信じるべき全てに見離された。そんな男を、どのような言葉で止められるという?」

 

 それは、とタカフミは口ごもる。彼の境遇を不幸とは断じない。それは彼の生き方を狭く縛るものであるからだ。

 

 だからこそ、最大限の誠意を持って彼を見送りたかった。額の傷の疼きが心地よいほどだ。

 

 彼は、強くなっただろう。

 

 振るうべき刃の切っ先を見定めた戦士はどのような結果であれ、受け止めるだけの心を持っている。

 

「……やっぱ、分からないです、おれ。少佐の事も、あいつの事も。少しは分かったつもりだったんだけれどなぁ」

 

「分かったつもりになれるだけだ。人間同士は、結局、分かったつもりを繰り返すだけの存在に過ぎない。本当に分かり合おうと思えば、それは相手の人生を背負い込まなければならない。だが、我々は軍属だ、アイザワ少尉。銃弾一発ごとに敵の人生を背負えば、すぐに瓦解する。だからこそ、己の中に覚悟を飼うしかないのだ。飼い慣らせなくとも、その覚悟と共にあるのならば、自分を保つ事が出来る。それこそが」

 

「自制心……もっと言えば闘志、ですかね」

 

 先を読んだ言い草にリックベイは目を瞠る。やはりいつまでも己の時代だとは思わない事だな、と胸中に微笑ましかった。

 

 タカフミは頬を掻く。

 

「おれ、またやっちゃいました?」

 

「……まったく、君は飽きんよ」

 

「そりゃどうも。して、少佐。カウンターモリビト部隊の配備は整っています。全勢力をもって、モリビトを討伐するのならば今かと」

 

 モリビトの位置情報がどうしてだかオープンチャンネルになっている。それはつい数時間前からの出来事であった。ゾル国が捕捉したのか、あるいは別の勢力かは不明だがこの期を逃すほど愚かではない。

 

「カウンターモリビト部隊を配置。まずは地上戦ともつれ込む。《ナナツー参式》による討伐部隊を編成。連中の行き先は……マスドライバー施設か。全戦力をもってモリビト二機を追撃。出来うる事ならば宇宙にも上がらせるものか」

 

「了解です。しかし、おれらの仕事がなくなりますが」

 

「なに、仕事と気苦労が減るに、越した事はない。それに連中が地上で潰れるとも思えないのでな。わたしとしては、備えは多いほうがいい」

 

 よっしゃ、とタカフミが自分の頬を叩いて気合を入れる。

 

「遂に決着だぜ! モリビト!」

 

 決着か、とリックベイは胸中に呟く。果たして、これでブルブラッドキャリアと惑星の因縁はそそげるのだろうか。

 

 百五十年の溝である。

 

 その罪と罰を自分達の世代で手打ちにする。今はそれだけ分かっていればいい。

 

「モリビト……これで終わりとも思えんが、やるのならば徹底的だ。わたしは容赦など、元よりするつもりはない」

 

 


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