逃れついたのは、岩礁地帯であった。
《ノエルカルテットパイルダー》とロデム、ロプロス、ポセイドンを引き連れての長期行動には無理が生じる。
鉄菜は四機分のシステムを引き継いだ《シルヴァリンク》が悲鳴を上げているのが手に取るように分かった。
『鉄菜、やっぱり四機も処理するのには《シルヴァリンク》じゃ足りないマジよ』
「分かっている。だがそれでも、あそこで放っておくわけにはいかなかった。……ジロウ。何が起こった? 解析出来ているか?」
ジロウは指先をコンソールに触れさせ、モリビト三機を補助しているシステムを呼び出した。
桃から幾度となく聞かされていた特殊システム、バベル。その内情はモリビト全機に共通するOSの一部でもあったのだ。
『モリビトの高性能を補助するのに、バベルは絶対に必要だったマジ。そのバベルへの直接のアクセス権を持っていたのが、三号機。このバベルマジが、世界を覆っているシステムと同期しているため、惑星の事で分からないという事は存在し得ないつくりになっているマジね』
「つまり、バベルがある限り、優位を保てていたわけか」
それが覆された。鉄菜は《シルヴァリンク》から降ろした《ノエルカルテットパイルダー》に通信を繋ぐ。
『……モモが言えるのは、もう《ノエルカルテット》にバベルへのアクセス優先権がないという事実だけ。どうしてバベルのアクセス権が奪われたのか、それは全く分からない』
「打つ手なし、か」
嘆息をついた鉄菜はロデム、ロプロス、ポセイドンのシステムに目を向ける。それぞれの自律OSを支えていたのもバベル。それが奪われたという事は、もう《ノエルカルテット》は平時の能力をほとんど失っているも同義。
『これから先、どうするマジか? もうあのマスドライバー施設は使えないマジ。C連合も張っているマジし、どこへ行こうにも今まではバベルによる先読みで相手の出方が分かった強みがあったマジ。それを失ってただ闇雲に突っ込むのは自殺行為マジよ。今は、C連合も《スロウストウジャ》を保持している状態。こんな時に攻め込まれたら……』
「一巻の終わり、だな。私の《シルヴァリンク》しかまともに戦えない」
如何にしてこの絶望的な状況を潜り抜けるのか。前髪をかき上げた鉄菜はシステムログの一つに解明不能な部分が存在するのを関知した。
「……ジロウ。この領域だけが読み込めていない。何か不備でも?」
『ちょっと待つマジ……。ウイルスだったらお終いマジよ』
「それでも、やってくれ」
『システム遣いが粗いマジなぁ。……これは、人格データマジか?』
読み込んだ直後、ジロウの声帯を震わせたのは別の声であった。
『ようやく……読み込んでくれたか』
重々しい老人のような声音に鉄菜は反射的にアルファーへと手を伸ばす。
「……何者だ」
『名乗れば長くなるが……この惑星における支配特権層。つまり、君達ブルブラッドキャリアの討伐対象だと言えば、分かるかな』
討伐対象。その言葉に鉄菜は肌を粟立たせる。
「支配特権層……、惑星の裏の支配者だとでも?」
『有り体に言えばそうなる』
「そんな存在がどうしてモリビトのシステムログの中にいる? いや、これは正しくはバベルのシステムログ内か。どういうカラクリだ?」
『それも、話せば長くなるのだが……今は君達に呼びかけるとすれば、ここはもう安全圏ではないという事だ』
どういう、と問い質す前に、策敵レーザーを一機の高速移動体が察知する。
鉄菜は咄嗟に操縦桿を引き、《シルヴァリンク》を後退させた。
先ほどまで《シルヴァリンク》のいた空間を奔ったのは白銀の光である。
「まさか……!」
『そうよ。ここまで追ってきたってワケだ。……ったく、連中にも参るぜ。宇宙に上がったと思えば、今度は地上にとんぼ返りだ。でもよ、すぐにモリビトの位置を把握したのにはビビッたぜ。いつからそんな優位に立ったんだ、って聞いても教えやがらないのは癪だがな』
その言葉振りと中空に佇む機影は見間違えるはずがない。
片方の羽根槍を失ってはいるが、その戦力は依然として健在である。
「《モリビトタナトス》……」
『その機体の中に居やがるんだろ? そいつを差し出せば、ここで死ぬのは勘弁してやるって上が言ってやがる。交渉だ、モリビトのガキ』
差し出す、という言葉にジロウのシステムを掌握した何者かを鉄菜は知覚する。相手はジロウの身体を使って否定した。
『ここで我々を失えば、君達は未来永劫、勝利の機会を失う事だろう。連中の好きにさせれば必ず、惑星は破綻する。それだけは阻止せねばならない』
「分からないな。お前達はブルブラッドキャリアの敵だろう。惑星の未来を脅かし、私達を星から追放した存在だ。言う事を聞くとでも?」
『……信じてもらえるかは分からないが、我々は平和を作り上げるためにこの支配を磐石にした。そのためのモリビト排斥であったのだが、事情が変わったのだ。ここでモリビトが潰えればきっと、星にとって悪い運命に転がる。それだけは確かなんだ。君達からしてみれば仇そのものだろう。憎き我々を生かす意味など、ないのかもしれないが……』
『聞いた通りだ、ガキ。そいつは元老院って言ってよ、この星を裏から動かし続けた支配層さ。そんでもって、ブルブラッドキャリアの復讐を作る温床となった忌むべき存在だ。そいつをただ明け渡すだけでいい。そうすりゃ、ここでの戦闘は勘弁してやる。見た限り、デカブツのモリビトは戦闘不能。てめぇ一人でオレとは渡り合えないだろ? 悪くない交渉条件だとは思うがな』
《ノエルカルテット》は使えず、バベルも使用不可能な今、《モリビトタナトス》に勝利出来る可能性はほとんどない。
《シルヴァリンク》だけで勝算がないのは幾度となく刃を交えてきた事からも明らかだ。
加えて、ジロウを支配しているこのシステムはブルブラッドキャリアの敵。憎き仇なのだと言われれば、このシステムを保護する道理もない。
切り捨てるのが賢いやり方に思われた。
『モリビトよォ、ハッキリ行動しな。そいつは悪党だぜ? この星の命なんて蚊ほどにも重んじちゃいねぇ。根っからの大罪人さ。つい数時間前までモリビトを破壊する術を試算していた連中じゃ信じるに値しないだろ? さっさと渡せよ』
鉄菜は考えを巡らせる。ブルブラッドキャリアの、組織の敵。それがこのジロウの中に収まっている。好機とも考えられる。
ジロウ共々破壊すれば、この戦いは終わる。惑星を支配し続けた特権層は消え失せ、新たなる時代が生まれるだろう。
あるいは《モリビトタナトス》の操主に明け渡し、ここでの戦闘は一旦打ち止めにするのも一つの手。
面を伏せた鉄菜にジロウの中にいる存在は諦めている様子であった。
『……我々は確かに、この星の人々の、その運命を弄んだ。断罪されても当然なのかもしれない。だが、ここでは死ねないのだ。まだ、死ぬわけにはいかない。それだけは、確かに……!』
『どうするよ? モリビトのガキ。大局的に考えな。黒幕を差し出せば、この戦いそのものは終わりを告げるんだぜ? ブルブラッドキャリアの自治権とやらも、取り戻せるだけの算段はついている。そいつが全ての元凶だ。システムログの一パーセントにも満たない虫けら以下の存在。今のてめぇなら、判断は難しくはないはずだろ?』
そうだ。今の自分ならばこの存在をどう扱おうと自分次第。
ここで戦いを終わらせるか。それとも愚かにも戦いを続ける道を選ぶか。
「……答えなんて、分かり切っている」
『だろ? さぁ、そいつを』
「リバウンド、フォール」
左腕に装備された盾の反重力を用い、《シルヴァリンク》が躍り上がる。Rソードを発振させ、《モリビトタナトス》へと斬りかかった。攻撃に際し、Rブリューナクが反応して太刀筋を受け止める。
『……こりゃ、どういう了見だ? モリビトのガキ』
『クロ……?』
『ブルブラッドキャリア……』
「私は私を信じる。彩芽・サギサカが言っていたように、最後の最後、信頼出来るのは他でもない、自分のここなのだという事を」
鉄菜は胸元を指差す。まだ心の在り方は分からない。どう行動するのが正解なのかも霧の向こうだ。それでも、彩芽はその心とやらに従って戦い抜いた。ならば、自分もその志を継がなくてどうする。
「《モリビトシルヴァリンク》。ここでの重要なシステムの譲渡は組織への、ひいては私達への不利益に繋がる。よって、私は抵抗する。たとえこの者が私達の道を妨げてきた元凶であろうとも、お前を信じるよりかはマシだ」
『ブルブラッドキャリア……、貴様は我々を』
『そうかよ。ま、想定内だ。てめぇの反骨精神丸出しの解答はよ。それに、オレもホントのところはここでてめぇらに引導を渡したかったのもある。スッキリしたいんだよ。ヤらせろよ! モリビトォ!』
Rブリューナクが駆動し、《シルヴァリンク》へと白銀の輝きを放つ。後退した《シルヴァリンク》はRクナイを疾走させ、攻撃への防御陣を敷いた。Rブリューナクはたった一基になったとは言え、その速度に衰えは見せない。
むしろ、今まで二基同時稼動を実現させていたのが不思議なほど、正確無比に《シルヴァリンク》の関節部位を狙い澄ます。
Rクナイと盾で防ごうとするが、Rブリューナクの性能はR兵装と同義。その威力を完全に殺し切る事は出来ない。
減殺し切れない余剰衝撃波に嬲られる形で《シルヴァリンク》がじわじわと追い込まれていく。
《モリビトタナトス》が肉薄し、鎌を振るい上げた。実体の鎌とRソードが干渉し合い激しくスパーク光を散らす。
『モリビトの操主! ここで我々を見離すんだ! あまりにも不利じゃないか、こんな戦闘……! ブルブラッドキャリアが生き残らなくては、レギオンの暴走を止めるものはいない! ここは細く長く選択肢を……』
「黙っていろ。今は私が、戦っている!」
そうだとも。今は自分の戦いだ。誰かのためでも、ましてや元老院のためでもない。自分が納得出来ないから戦っているだけだ。
そこに理念も、ましてや高尚な思想もない。
ただ、この身が許せないだけ。
個人的な怨嗟に巻き込んでしまって、全ての運命を棚上げしようとしている。自分の責務も、ブルブラッドキャリアの命運も。
だが、それでも構わない。構わないと思える。
――彩芽・サギサカ。こういう事なんだろう? お前が言っていた「心」という代物は。
Rソードが干渉波に負けて横滑りする。その隙を《モリビトタナトス》は見逃さなかった。蹴り上げた一打が《シルヴァリンク》の防御網を抜ける。
Rブリューナクが迫り、鉄菜はRクナイを疾走させた。クナイガンから放たれた弾丸がRブリューナクを撃墜すべく動くが、どの軌道も全て遅い。
白銀の槍の一閃を前に、Rクナイが勢いをなくす。そのまま直進して突き刺さらんとする敵の武装に鉄菜は舌打ち混じりにフルスペックモードを解除させた。
胴体からパージしたRクナイ四基の分だけ軽量化した《シルヴァリンク》が飛び退る。
それでも、Rブリューナクの照準からは逃れられない。
海面に移動した《シルヴァリンク》を襲ったのは高密度の蒸気噴射であった。Rブリューナクが海面温度を上げて蒸発させ、霧を作り上げたのだ。
濃霧の中、センサー類が眩惑される。
どこから《モリビトタナトス》が来るのか分からない恐怖に震えたのも一瞬、鉄菜は動物的反射能力でRソードを薙ぎ払う。
刃の切っ先が鎌と打ち合い、両者、大きく後退する形となった。
『勘が鈍ったわけじゃなさそうだな。だがよ、そいつは賢くない選択だ。これからの世界、何が通用するのか、何が価値をなくすのか、即座に理解出来ないヤツは淘汰される。今までの進化の歴史からしてそうだ。オレは戦争屋だからよ、偉そうな事は言えねぇが、戦ってっと分かるんだよ。弱いから死ぬ。弱者だから滅びる。世の常っていう真理。そいつを肌で感じられる。やっぱり戦争ってのは辞められねぇ! クスリなんかよりもよっぽどだぜ! 昂揚するのは魂だ。根幹の部分だよ。てめぇも感じてんだろ! モリビトのガキィ!』
「私は、お前とは違う!」
振るい上げたRソードに《モリビトタナトス》が接近し、鎌を払う。盾で受け止めるもその攻撃力の凶悪さに打ち負ける形となった。
『何が違う? オレもてめぇも、どっちも同じこった! 戦争って言うアブノーマルなプレイに感じんのさ。そいつに興じる事が出来るのが素晴らしい事だって、分かってんだろ! 同じなんだよ、戦争やってんだ! 綺麗事並べ立てたって、オレとてめぇは、似た者同士ってワケだ!』
「違う! 私は、少なくとも私と《シルヴァリンク》は! そんな事のために戦っているんじゃない!」
言葉とは裏腹にRソードは敵の鎌の一振るいの前に押し負け、今にも《シルヴァリンク》は分解寸前の軌道を描いている。
次の一手は、次の一手は、と考え続けなければ負けるのは明白だというのに、脳が考えを捨て去っている。
本能で戦っている状態の鉄菜は、敵の言葉一つ一つに掻き乱された。
『どうかな。てめぇ、思ったよりずっとだ! ずっと戦争に適応力がある。オレと同じか、それ以上にな! 案外、生きていけねぇんだろ? 戦いがないとよ、張り合いもねぇってもんだ! 戦う事だけが己の存在意義だとか、思ってんだろ!』
突き上げられたRブリューナクと鎌による一撃よりもなお色濃い逡巡が鉄菜を満たしていた。
そうなのだろうか。
自分は、戦う事しか知らない、戦闘マシーン。人機と同じく、青い血が流れているかもしれない、殺戮機械。
違いなんて瑣末なものだ。鋼鉄か、生身か、それだけの事。
自分はともすれば、人機以下の、ただ壊す事しか知らない、人間のクズ。
操縦桿を握る手から力が失せていく。凪いだ敵意を見逃す相手ではない。《シルヴァリンク》の頭部を叩き割る一撃が、今にも放たれようとしていた。
刹那、声が弾ける。
『違う!』
不可視の力が《モリビトタナトス》を締め上げる。その声の主へと鉄菜は目線を向けていた。桃の搭乗する《ノエルカルテット》パイルダーが浮き上がっていく。
「桃・リップバーン……」
『違う! クロは、あんたなんかと……、戦争を楽しんでいる人間とは、違う! どれだけ苦しんでいるのか、知りもしないで!』
『喧しいぞ! 毛も生えてねぇ、クソガキが! ヤッてやるから黙って順番待ってろ!』
Rブリューナクが駆動し、《ノエルカルテット》パイルダーに一撃を見舞う。その一閃でパイルダーから力が萎えかけたが、桃が声を張り上げた。
『モモは! ずっとクロの事を見ていた! だから言ってあげる! クロは、あんたみたいな人でなしじゃない! 心があるもん!』
「心……」
呟いた鉄菜は胸元に手をやる。この皮膚の下で脈打つもの。鼓動に似た存在。
それを心と呼ぶのだろうか。それを、大切にしろと、彩芽は言っていたのだろうか。
Rブリューナクを伴い、《モリビトタナトス》が《ノエルカルテット》に肉迫した。
『うざってぇんだよ、ガキィ! 鳴くならもっといい声で鳴けよ! 戦場にてめぇの自慰の喘ぎなんて持ち出すんじゃねぇ!』
《ノエルカルテットパイルダー》を破壊せしめようとした一撃を封じたのは横合いから牙を閃かせたロデムだ。
機獣の攻撃に《モリビトタナトス》の操主は舌打ちする。
『自律稼動兵器なんざ。行け、Rブリューナク!』
Rブリューナクの一条の光線がロデムの腹腔を破る。その機体から青い血が滴った。
『ロデム!』
『妙な力使いやがる……。ふざけんのも大概にしろ!』
Rブリューナクの照準に入ったのは上空より舞い降りたロプロスであった。鋼の翼がRブリューナクの射撃をぶれさせる。さらにポセイドンの弾幕が《モリビトタナトス》の目を奪った。
周囲に巻き起こる粉塵に《モリビトタナトス》が赤い眼窩をぎらつかせて視線を巡らせる。
『ざけやがって……束になってかかってくるのならもっとうまくやるんだな! オレの眼には! てめぇらの足掻きなんて見えてんだよ! Rブリューナク!』
上空へと飛翔したRブリューナクの槍の穂から拡散して放たれたのは白銀の散弾であった。
ロデムの背筋を叩き、ロプロスの翼を融かし、ポセイドンの機体を震わせる。
直後には、三機の機獣は戦闘不能にまで追い込まれていた。《モリビトタナトス》一機が鎌を振り上げ、《ノエルカルテットパイルダー》を睥睨する。
『ロデム……ロプロス……ポセイドン……、みんな……』
『お遊戯をやりたきゃ他所でやれ、ガキが。無茶苦茶にしてやる』
Rブリューナクの照準が《ノエルカルテットパイルダー》を狙い澄ます。鉄菜は《シルヴァリンク》を疾走させようとしたが、あまりにダメージを負ってきたせいで、機体が軋みを上げる。
これ以上は限界だと機体各所がレッドゾーンに染まった。
「まだだ! 《シルヴァリンク》! ここで桃・リップバーンを助けられなければ、私はきっと! 一生私自身を許せない!」
だから一度でもいい。ここで無謀にも立ち向かう事を許してくれ。その願いとは裏腹に、機体のダメージは深刻であった。
最早一対一の戦闘でさえも奨励されていない。ここは逃げ出すべきだ。撤退すべきだと冷静な頭が判断しようとするが、鉄菜は必死にもがいた。
ここで逃げてどうする?
敵は一機。己も一機だ。
何を迷う? 何を躊躇う。ここで潰える事をこそ、恥と知れ。
戦い、血反吐を吐いてでも前に進む。それがブルブラッドキャリア。それがモリビトだ。
この星を相手取るのならば、どこまでも罪深く。どこまでも大罪人の謗りを受ける覚悟で戦え。
自分は永遠の罪人。それをもう、運命が受け入れている。
『モリビトの操主……。それでも戦うのか。こんなになってまで、どうして戦う? どこへなりと逃げても、誰も嗤いはしない。どうとでも自分を誤魔化せるはずだ。だというのに、どうして……』
元老院の問いかけに鉄菜は奥歯を噛み締めて言い放った。
「知れた事。私は、私のために戦う。そうと決めたからだ。決めた事をやり通す。遂行するのが、ブルブラッドキャリアの執行者。モリビトの操主を務める資格を持つ。たとえ先に待つのが惨たらしい死でも、私はそれを……選び取る」
そうだ。選択したのは自分自身。
ならばその決定に異議を挟むまでもない。己の事は己で決める。
《シルヴァリンク》の機体がびりびりと震える。操縦桿に伝わるのは今にも息絶えそうな人機の脈動。
こんなか弱い機体に重石を乗せて、エゴでしかない最後の足掻きをしようとしている。
――それでも。諦めを踏み越えるのならば。
ジロウに憑依している元老院はその意思を感じ取ったように首肯した。
『分かった。ならば授けよう。惑星における最も忌まわしき禁断の果実。我々が封印し続けた、最後の力を。受け取れ、この能力こそが、我らの最も恐れた人の力。その名を――』
刹那、機体に黄金の輝きが纏いつく。
先ほどまで過負荷を訴えていたアラートが消え去り、直後に待っていたのは急加速であった。
鉄菜の知覚を飛び超え、《モリビトタナトス》の振るった鎌を《シルヴァリンク》の左手が受け止めている。
一瞬、何が起こったのか、自分でも分からない。
距離があったはずの《モリビトタナトス》の眼前に立ち現れた《シルヴァリンク》と己にただ戸惑うのみであった。
『……何だ、その輝きは……』
機体ステータスが書き換わっていく。バベルに繋がった《シルヴァリンク》の全天候周モニターに散っていたのは黄金の花吹雪であった。
金色の花弁が《シルヴァリンク》を覆い尽くしている。平時と違い、赤く染まった眼窩が《モリビトタナトス》を睨み返していた。
『モリビトが、金色に染まった……』
桃の茫然自失の声音に鉄菜は対応しようとした敵のRブリューナクを視野に入れる。
操縦桿を引いた途端、今までの手応えとはまるで違う感覚が纏いついた。瞬時に飛翔した《シルヴァリンク》はRブリューナクの射程を飛び越え、上空に位置する。
その速度に《モリビトタナトス》が圧倒されていた。遅れてRブリューナクの白銀の射撃が空間を射抜く。
『どう、なってんだ、そりゃあ……。何を起こしやがった! モリビト!』
『全ての人機には資格がある』
そう告げたのはジロウの姿を取る元老院であった。問い質す前に《モリビトタナトス》が舞い上がり、Rブリューナクの照準を据えようとする。鉄菜はフットペダルを踏み込み、Rソードを走らせた。
Rソードの出力が相手の鎌に勝り、刃を寸断する。
「これは……こんな攻撃性能……」
『だが、その資格を百五十年前に剥奪した。バベルの中に全てを封じ、最後の最後、箱の底にそれは秘匿されてきた。今では名を紡ぐ者さえもいない、禁断の人機操縦技術。血塊炉の有する命の河へのアクセス権を復活させ、その性能を引き上げる。今こそ、その名の復権を誓おう。その名称を』
コンソールにシステムの名称が刻まれていく。鉄菜はそのまま口にしていた。
「エクステンド、チャージ……」
《シルヴァリンク》がRソードを振るい上げ、《モリビトタナトス》のがら空きの腕を叩き斬る。余剰衝撃波が巻き起こり、波間を切り裂いた。《モリビトタナトス》のRブリューナクが《シルヴァリンク》を狙うも、その一撃は大きく逸れた。
《シルヴァリンク》の薙ぎ払った太刀筋にRブリューナクが煽られ、その照準をぶれさせる。
『何だ、こりゃあ……』
「これは、何が起こって……」
『エクステンドチャージ。純惑星産の血塊炉に刻まれた種の記憶。命の河へのアクセス権を開いた。これは我々元老院と接続している君の人機でのみ、有効な手段だ』
黄金を宿した《シルヴァリンク》が踊り上がり、Rソードを十字に刻む。《モリビトタナトス》の機体が軋み、残っていたもう片方の腕を盾に相手が撤退軌道に入る。
『ふっざんな……! こんな無茶苦茶なの、聞いてねぇぞ……!』
離れていく《モリビトタナトス》を見やり、鉄菜は《シルヴァリンク》に剣を振るわせる。
装甲を染める黄金の輝きに鉄菜は感じ入ったように口にしていた。
「これが、エクステンド……命の力……」
タチバナは緊急招集の指令を受け、すぐさま格納庫に向かっていた。
悪い予感が胸を占める中、繭が胎動しているという報告を受ける。
「生まれるというのか……」
何が、とは言わない。それが災厄の導き手であっても、自分達の行った事に間違いはないはずであった。
マスクと浄化装置に身を包み、先遣隊が火炎放射器片手に歩み出た時には、繭から半分ほど機体が顔を出しているところであった。
緑色の機体色を持つその巨躯は本来の《キリビトプロト》の倍近くはある。巨大人機が格納庫の中で身じろぎし、片腕を掲げた。
途端、巻き起こったリバウンドの斥力が働き、格納庫の備品を叩き潰していく。
繭にまだ機体が留まっている今が好機であったが、タチバナは咄嗟に判断を下せなかった。
「これが、人機の進化だと言うのか」
「博士、すぐにご判断を。これが害悪であるのか、それとも我々に福音をもたらすのか、全ては……」
自分の判断一つだというのか。言葉を失っていたタチバナを他所に、歩み出ていたのは専属操主の予定であった女である。
マスクも浄化装置もつけていない。自殺行為の彼女を止める者はいなかった。
「レミィ上等大尉! ここでの勝手な行動は!」
「慎め、か? だが、これは福音だよ、ゾル国の諸君。世界は、わたしとキリビトを選んだんだ」
「……何やら分かった風な事を言う。お主、何のつもりだ」
タチバナの追求にレミィは片手を振るう。
「ドクトル。人機は生きていると、そういう存在だと言いましたね? 全くの同感ですよ。《キリビトプロト》は人類の原罪の生き証人。ならばその生き証人を使って何を成すべきか。決まっている。事は一つ。この世の罪を裁くとすれば、それはこの人機に他ならない」
レミィへとキリビトの繭から触手が伸びる。絡め取ったその身体を抱き、繭の中へとレミィは吸い込まれていった。
「人を、呑んだ……」
「人機は……《キリビトプロト》はそれさえも超えると言うのか……」
茫然自失の人々へと繭を引き裂いて現れたのは全く新しい姿へと生まれ変わった人機であった。
頭部形状はまるで悪鬼のように一対の角を持ち、デュアルアイが人々を睨み据える。
繭を破砕し、キリビトは翼の形状を持つスラスターを焚かせた。
退避の声が響く中、タチバナは舌打ちする。
「まさか、人の域を超えると言うのか……貴様は」
『既に超えているのですよ、ドクトルタチバナ』
反響したレミィの声はまるで絶対者のように格納庫の人間達を威圧する。圧倒された人々が神を見るようにへたり込んだ。
「キリビト、なのか……」
『これは最早、試作機の領域を超えた、長の資格を持つ人機だ。これからは《キリビトエルダー》と名乗る』
腕を天へと掲げた《キリビトエルダー》の動きにタチバナは真っ先に叫んでいた。
「いかん! 伏せろ!」
その言葉に何人が反応出来ただろうか。反応出来た人間は直後の黒白の眩惑を直接網膜へと焼き付けずに済んだ。
しかし、数人の軍人達は逃れ得なかったのだろう。目を塞いで呻く者達の怨嗟を受けて、《キリビトエルダー》が天地を射抜く一撃を放っていた。
穴が開いた基地を仰ぎ、《キリビトエルダー》が飛翔に移ろうとする。タチバナは通信機を引っ掴んで声を吹き込んでいた。
「そこの操主! 何が望みだ!」
『望み? 全てですよ、タチバナ博士。ブルブラッドキャリア断罪にこれ以上とない人機。そして、わたしは元老院より解き放たれた存在。星の罪を裁くのに、わたしより相応しい存在はいないでしょう』
「傲慢な……」
『どれほど喚こうともう遅い。《キリビトエルダー》は揺籃の時を超え、今、巣立つ』
噴射剤が基地内の人々の視界を塞ぐ。直後には《キリビトエルダー》の巨体が舞い上がっていた。
基地を貫き、虹色の天蓋へと一瞬で至る。
《キリビトエルダー》が片腕を翳し、天蓋に触れた。電磁パルスが流転し、虹の皮膜が焼け落ちるように円形に抉られていく。
その場所を基点としてリバウンドフィールドが解かれていた。
まさか、と全員が息を呑む。
「百五十年続いたリバウンドフィールドの護りが……たった人機一機で……」
「解かれた、という事か。あの人機、ただの機体ではないのは分かっていたが、これほどまでとは」
感嘆する者達を他所に、タチバナは拳を握り締める。
災厄を解き放ってしまった。ブルブラッドキャリアが滅びるか、それとも自らの過ちで人類が滅びるのか。
最早、選択肢は多くない。たとえブルブラッドキャリアを倒したとしても《キリビトエルダー》の脅威は世界を縛り付けるだろう。
最後の最後に、間違いを犯したのは自分のほうだ。
その悔恨に、タチバナはただただ面を伏せるしかない。
「ヒトの可能性を信じるのならば、ここで勝利するのを願うのは、いけない事なのだろうか」
どちらが勝利しても、人類の歴史は塗り替わる。
融け落ちたリバウンドの天蓋はその事実を、地上を這うしかない弱者へと、否応なく突きつけているようであった。
第七章 了