ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯151 翼を捨てる時

 生き延びた、という意識は少ない。

 

 ただ、何もかも闇雲に手を伸ばした結果である、というのがタカフミの判断であった。

 

《スロウストウジャ》で出なかった責任を問い質されるかと思われたが、案外にリックベイの送った言葉は多くはない。

 

「生きていたな。アイザワ少尉」

 

「馬鹿やった、って叱らないんすね」

 

「あの状況で本国へと昆虫型人機が攻め込めば甚大な被害をもたらした。君は軍人として正しい行いをしたんだ」

 

「誇りに思うべき、ですか?」

 

 皮肉に口元を緩めたタカフミにリックベイは卓上に肘をついたまま、自分の様子を仔細に観察する。

 

「……もう大丈夫そうだな」

 

「減らず口が利けますから。で、おれの言いたい事も多分、先読みの少佐なら分かるんですよね?」

 

「瑞葉君を出したのはわたしの判断だ」

 

 あの戦場で戦いを買って出た《ラーストウジャカルマ》の一騎当千の活躍はC連合内でも噂になっている。それまで話題に挙がっているとは言ってもどこか遠い出来事であったブルーガーデンの強化兵の存在は最早、公然のものとなっていた。

 

「瑞葉は、もう人機には乗らないつもりだったんじゃ?」

 

「あの時、動かせるのが彼女しかいなかった。他の者達ではハイアルファー人機を稼動させるのに及び腰になるだろう」

 

「ハイアルファー人機……やっぱり、ただの人機じゃないんですね。《ラーストウジャカルマ》は」

 

 リックベイは投射画面に機体のステータスを呼び出す。瑞葉の脳波と連動しており、彼女の有する片翼こそが《ラーストウジャカルマ》を動かす基本骨子であった。

 

「一時的な接続状態と思ってもいい。《ラーストウジャカルマ》に搭載されたハイアルファー【ベイルハルコン】は怒りの感情に呼応し、機体追従性能を引き上げる。急加速やオールレンジ攻撃を可能とするのはこの部分だな。《ラーストウジャカルマ》の両腕は修復不能であったため、《スロウストウジャ》の予備部品を使ったが、彼の国は思った以上に技術躍進が発達していたらしい。他国の造り上げた人機の余剰パーツはすぐに馴染んだ」

 

 ハイアルファーの存在。それが自分と瑞葉、それに桐哉を分ける代物だ。

 

「《スロウストウジャ》には、そんな危ないものはついていないんですよね」

 

「安心して欲しい。わたしが保証する。《スロウストウジャ》は完全に、兵器としての人機の側面を強めた機体だ。ハイアルファーという予測不可能な物質に頼る事はしていない」

 

 通常ならばそれに安堵していただろう。しかし、タカフミの問いただしたいのはその事実ではない。

 

 彼は卓上を手で叩く。リックベイが眉を跳ねさせた。

 

「……おれ、別に自滅覚悟で向かっていったわけじゃないんです。でも、女に助けられるほど、落ちぶれたつもりもありません」

 

「軍属において男女は平等だ。そこに貴賎はない」

 

「そうではなくって! おれは、あんなに傷ついた奴に助けられて、悔しいんですよ!」

 

 瑞葉は充分に苦しんできた。ブルーガーデンという国家に辱められ、どこまでも兵器として扱われてきたはずだ。もう戦わなくていい。それは彼女にとっての救いの言葉になるはずだったのに、その誓いを破ったのが他ならぬリックベイである事が、今のタカフミには許せない。

 

 それを了承したのか、リックベイは目を伏せる。

 

「……彼女は療養を必要とする身である事は重々承知している。それでも、自分の尻拭いはする、と言ってくれたのだ。ブルーガーデン国土からあの人機が再度迫ってくるようならば迎撃の矢面に自分と《ラーストウジャカルマ》を向けてくれ、との願いを持っている」

 

「だから、それでも少佐は許しちゃいけなかったんですよ。あいつ……これ以上、何も憎みたくないはずなんです」

 

 瑞葉は敵を欲していた。それは兵器として純粋な在り方だ。だが、人としては歪な在り方だとも思う。

 

 常に敵を想定して生きていくなど自分では考えられない。軍属であっても、それは敵を葬り続ける機械になるのではないのだ。

 

「憎みたく、か。アイザワ少尉、《ナナツー是式》での戦闘データ、有意義であった。君の《スロウストウジャ》に反映させておこう」

 

「話、逸らさないでもらえませんか? おれが今言いたい事、少佐なら先読みするまでもなく、分かるはずですよね?」

 

 いつになく真剣な気迫が伝わったのだろう。リックベイは嘆息をついて、投射画面を別窓に切り替える。

 

「……瑞葉君を気遣う気持ちは分かる。わたしとて人でなしになったつもりはない。彼女には戦わない道もある。まだ歳若い。どんな未来でも描けるはずだ。しかし、それを彼女自身が拒んでいる。自分は幸せになってはいけないのだと、呪縛をかけているんだ」

 

「どうしてそんな……、だって国家に勝手に改造されて、勝手に兵力扱いされて、それでですよ? どうしてその国が滅びた後でも運命を翻弄されなきゃならないんですか」

 

「君の純粋さにはわたしも言葉を返し損ねる。ここから先はあまり大きな声では言えないが……」

 

 前置いたリックベイにタカフミは首肯する。

 

「いいですよ。秘密は守ります。口は堅いんで」

 

「上は瑞葉君を処分しないのならば兵力の一つとして数えろ、と言ってきている。有り体に考えれば捕虜ならば捕虜らしく振る舞え、という事だな。彼女を療養の必要な被害者だとは思っていない。《ラーストウジャカルマ》という強力な人機を動かせる、パーツのような扱いだ」

 

 唖然としていた。予測出来ていたとは言え、自らの所属する軍部がそこまで割り切っているなど。タカフミはきつく目を瞑り、ようやく言葉を発する。

 

「……それは、上の絶対命令ですか」

 

「ブルーガーデンの兵士を遊ばせておく余裕もない、という帰結なのだろう。かといって下々のスタッフでは気味悪がって彼女の回復など待ってはいられない。状況は動く。アイザワ少尉、先刻、報告が入った。我が方のマスドライバー施設に、モリビト二機が強襲。ナナツー弐式編隊が打撃を受けた。これによって我が国の上層部はかねてより計画していたブルブラッドキャリア排斥を決意。半数以上の議決が得られたため、今まで保留にされていたカウンターモリビト部隊の編成案が通った。《スロウストウジャ》をこれから先、自由に運用出来る、というわけだ」

 

「そんなの……、そんなの、勝手じゃないですか!」

 

 拳を叩きつけたタカフミにリックベイはどこまでも冷静な眼差しを注ぐ。

 

「これが軍部だ」

 

「軍であったとしても、瑞葉は外すべきです! だって、もう猛り狂う必要も、ましてや誰かを恨んでまで戦う必要もないじゃないですか」

 

「怨嗟、恨みの感情で動くハイアルファーを正常稼動させるために、上は薬物の使用も検討している。何よりも、先の戦闘が彼女の戦力的意義を確立させてしまった。わたしのほうで隠し立てするのはもう難しい。《ラーストウジャカルマ》を動かしたくなければ二つに一つだ」

 

 リックベイは卓上に拳銃を置く。鈍い光沢を放つ暴力の象徴を見据え、その言葉を紡いだ。

 

「――彼女を撃て。アイザワ少尉」

 

「何ですって……少佐、今何を」

 

 戦慄くタカフミへとどこまでも冷たい言葉が投げられる。

 

「死ぬ事でしか、彼女は救われない。友軍による攻撃で死ねば、それは致し方なしとして処理される。何よりも、彼女を保護するものは何一つない。わたしの権限も死んだも同然。彼女を真に救いたければ、殺すしかない」

 

「他に、他に方法はあるはずでしょう? だって少佐は、先読みのサカグチじゃないですか……。今までどんな戦場でも切り抜けてきた歴戦の英雄です! そんな人が、こんな……こんな結末を望むはずが」

 

「理想では人間は動かない。いつだって時を進めるのにはどこかで間違いが必要だ。その間違いの引き金を引く、覚悟はあるのか? アイザワ少尉」

 

 タカフミは拳銃に視線を落とし、自らの掌と見比べた。

 

 今まで、敵と断じた相手を迷いなく葬ってきたエースの誉れ。それはただ単に軍属として、命令に背かなければいいと思っていた。

 

 しかし、そうではないのだ。この世には白と黒だけでは割り切れないものがある。そうと分かってからでは遅いというのに、いつだって決断は急に迫られる。

 

 タカフミは拳を固め、卓上の銃を握り締めた。

 

「……おれの判断でいいんですね?」

 

「ああ、もうわたしでは止められない。一介の軍人崩れでしかないのだ。わたしも、君も」

 

 身を翻したタカフミは部屋を出ていた。すぐさま向かったのは瑞葉の待つ医務室である。

 

 瑞葉は前回までと同様、白いベッドで上体を起こしていた。片翼が広がり、機械天使はただただ囁く。

 

「……生きていたか、タカフミ・アイザワ」

 

「少佐の命令で動いたわけじゃないんだって?」

 

 瑞葉は少し目を伏せた後、首を横に振る。

 

「命令など、あの人はしなかった。強制されて《ラーストウジャカルマ》に乗ったわけではない。ただ、知っている人間がこれ以上死ぬのは、寝覚めが悪いだけだ」

 

「おれもよ。死ぬつもりで立ち向かったつもりはなかった。でも、《スロウストウジャ》を出すのには手続きがいる。あの場ですぐに出せたのが《ナナツー是式》だったってだけ。別に命を捨てた捨て身ってわけじゃなかった」

 

「そうか。それならばいい。命を捨ててまで国家に尽くすのは、わたしのような愚か者だけでいいと思っている」

 

 瑞葉はどこか自嘲気味に語る。これから先の運命を既に受け入れている様子であった。

 

 カウンターモリビト部隊に編成され、瑞葉は戦場にしか生きる場所を見つけられない道具となる。

 

 戦う事でしか己を示せない、悲しい存在に逆戻りだ。

 

 そうなるのならば、せめて――。

 

 タカフミは受け取った拳銃を瑞葉へと突きつけた。それでさえも、彼女は分かっているように目を伏せる。

 

「お前は、ここで死んだほうが幸福かもしれない」

 

「そう思う人間がいるというのは理解出来る。結局のところ、頭が挿げ替わっただけだ。ブルーガーデンからC連合に。飼い犬根性が染みついている。どこへ行っても、わたしは兵器だ。それが一番に納得のいく結果であるのは分かり切っている」

 

 タカフミは安全装置を外した。銃口は真っ直ぐに瑞葉の心臓を狙い澄ましている。

 

「撃つのなら、何発も撃つのはおススメしない。この肉体は兵器だ。自動迎撃システムが存在するかもしれない。やるのならば一息に、一発で」

 

 瑞葉が目を閉じる。タカフミは引き金へと指をかけ、瑞葉へと言いやった。

 

「どっちがいい。人間として死ぬか、兵器として処分の扱いを受けるか」

 

 瑞葉は何も望む事はない。ただ淡々と述べる。

 

「どちらでも、貴様らのやりやすいほうでいい。どうせ、わたしは《ラーストウジャカルマ》と運命を共にしている。わたしを殺せば《ラーストウジャカルマ》は動かない。それだけのシンプルな答えだ。分かり切っているのかもしれないが」

 

「ああ、分かり切っているとも」

 

 銃声が静寂を劈く。

 

 一発の弾丸が射抜いたのは、部屋に置かれた花瓶であった。砕け散る花瓶と花びらに瑞葉が瞠目する。

 

「何で……殺すのならば一発で――」

 

 そこから先を塞いだのは抱き留めたタカフミの行動であった。狼狽する瑞葉にタカフミは叫ぶ。

 

「殺せるかよ! ……死んだほうがマシだからって、殺すなんて出来るわけないだろ!」

 

「……どうしてだ? だってわたしはただの強化人間。兵器だ。殺すんじゃない。壊すだけなのに」

 

「もう、そんな風には見えないって話だ」

 

 タカフミは瑞葉を直視する。灰色の瞳、灰色の髪。天使の翼を持つ、痩躯の少女。

 

 ――彼女を救いたい。

 

 今、タカフミの胸を占めているのはその一事であった。

 

「そんな風には見えない……? 断じろ。割り切れ、タカフミ・アイザワ。ここでの選択は間違いじゃない。不安要素を持ち込むくらいならば破壊したって……」

 

「だから! そんな風に狭く自分を切り売りすんなよ! おれはさ……女子供に胸を張れる軍人になりたい。モリビトから国家を守ったんだ、すげぇだろって、言えるようになりたいんだ。そんな平和が誰か一人の理不尽の上に成り立っているなんて、思いたくないからよ」

 

 瑞葉は心底理解出来ないようにタカフミの視線から目を逸らす。

 

「……何でなんだ。貴様らは何で……わたしみたいなのに、生きた人間を見る事が出来る? ここにいるのは破壊すべき兵器だ! 唾棄すべき、人類の罪悪なのに……!」

 

「だから、さ。おれも少佐も、多分馬鹿なんだって」

 

 微笑んだタカフミに瑞葉が言葉をなくす。きっと、この答えでいいはずだ。リックベイは任せると言った。ならば、自分の価値と信条に従えばいい。

 

「……わたしを殺さないでおくと、きっと後悔する」

 

「かもな」

 

「こんな……敵国の強化兵など、入れ込んだところで仕方ない。状況は否応なく動く。それが軍だ。それが戦争だ。だから、この判断、甘いのだと、わたしは思っている」

 

「ああ、極甘だろうな。でもおれ、さ。そういう、甘ったるい未来、嫌いじゃないんだよ」

 

 瑞葉はベッドの脇に捨てられた銃を見やり、そっと呟いた。

 

「……貴様らは大馬鹿者だ。こんなわたしに、生きている価値があるなんて、思い込ませるなんて。どこまでも冷酷な殺人者になりきれない、こんな殺戮機械としても欠陥品のわたしを……」

 

「欠陥品じゃないだろ。人間としては、これ以上ないほどに、適格だ」

 

 瑞葉の瞳が潤む。彼女は困惑の声を上げた。

 

「何だ、これは……。体験した事の少ない事象だ。こんなもの、戦闘昂揚時に出るものではないのに……」

 

「泣けるってのはさ。人間だけなんだよ。感情で泣くのは、人間だけだ」

 

 ハッとした瑞葉は零れ落ちる涙にどこか嬉しそうに掌に視線を落とした。

 

「そう、か。これが、枯葉や鴫葉が伝えたかった、生きるという事か……。ようやく分かったよ」

 

「強化兵、瑞葉はここで表舞台から退場しても、いいんじゃないか?」

 

「表から消えて、わたしはどうなる?」

 

 そうだな、とタカフミは頬を掻く。

 

「軍人の恋人になる、なんてどうだ?」

 

 提案された言葉に瑞葉は言葉を詰まらせていた。さすがにこれは浮き過ぎか、とタカフミは取り消そうとする。

 

「や、これはやっぱないか。さすがに冗談で――」

 

 そこから先の言葉を、瑞葉は袖口を引っ張って口にした。

 

「冗談に、しないでもらえるか……。その、わたしもこの感情は分からないのだが……」

 

 一時の感情に浮かされたわけではない。ただ、ここで殺したのは名もなき強化兵であった、という自分の決断。

 

 天使の翼を持つ少女とタカフミは、静かに唇を重ねた。

 

 


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