ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯149 敗走の只中

 バベルの捉えた情報に間違いがないのならば、C連合とブルーガーデンの国境地で戦闘が発生した事になる。この局面でのブルーガーデン側の残存戦力による抗戦はある種、好機であった。

 

『クロ、今しかない。C連合中の目が、ブルーガーデン側に向いている。今なら、目的の場所に辿り着ける』

 

 桃の横顔に浮かんだ決意に、鉄菜はただ頷く。通信回線越しとはいえ、お互いの胸中をさらけ出した間柄は今までの割り切ったブルブラッドキャリアの執行者同士ではなかった。

 

 それをどう呼ぶのか、鉄菜には答えを出せず仕舞いであったが。

 

 海上を疾走する《シルヴァリンク》は不可視の外套を身に纏い、熱源以外の関知を避けて紺碧の大気を引き裂いていく。

 

「桃・リップバーン。事前に示し合わせた通りでいいんだな? C連合の持つマスドライバー施設の強襲と奪取。それならば宇宙に上がれる、と」

 

 高高度に至った《ノエルカルテット》のシステム補助を受け、《シルヴァリンク》は位置情報を把握する。

 

『ゾル国は軌道エレベーターによる成層圏への進出を確約しているけれど、軌道エレベーターなんて今のモモ達じゃ占拠は出来ない。でもC連合の持つマスドライバー施設なら、辛うじてこちらのものに出来るかもしれない。そうすれば、後は……』

 

「本隊と合流し、宇宙で待つゾル国残存戦力を一掃する。そうするしか、私達が生き残る術はない」

 

 再三繰り返しても、あまり実感が湧かなかった。モリビトが追い込まれ、世界の中でも爪弾きされつつある。自分達が追い込んでいたはずなのに、狩人と獲物が逆転したのだ。モリビトは敵を狩るためにあったのに、これでは皮肉でしかない。

 

「せめて、この刃が相手に届く事を」

 

 祈るしかない。鉄菜は操縦桿を握り締め、《シルヴァリンク》より伝わる振動に身を任せた。

 

 間もなく敵の射程範囲に入る。目視出来ないはずの《シルヴァリンク》の狙撃は杞憂だろうが、それでも気は張り詰めておくべきだ。

 

 どこへなりと敵の弾丸が降ってこないとも限らない。この世界では、もう転がり始めた石なのだ。モリビトはゾル国の隷属として認知され、よしんば《モリビトタナトス》の破壊に成功したとしても、居場所はどこにもない。

 

 宇宙に上がり、ゾル国の大部隊と交戦したとしても、何も得られないかもしれない。

 

 鉄菜は拳をぎゅっと握り締めた。今は、それらに翻弄され行く木の葉のような我が身が堪らなく悔しいのだ。

 

 彩芽が死んだ。多大な被害が出た。今、モリビトは再び宇宙に戻らなければならない。混迷の地上を置き去りにして、自分達はただ生存のために宇宙へと舞い戻る。それはどこか逃げという感覚が付き纏わない事もない。

 

「ジロウ。私達が地上でやるべき事は、もっとあるのではないだろうか。こんな……逃げの形に落ち着いていいはずが……」

 

『逃げじゃないマジ。鉄菜達は充分に戦って、その結果世界がこう動いただけマジよ。いつだって自分達の思い通りに何でも進むわけじゃないのは分かり切っているマジ。どれだけ戦力的な圧倒があっても、軍事は常に追いついてくる。それは歴史が証明しているマジ。だから、何も悪くは――』

 

「ジロウ。私は、これでよかったのかはかりかねている」

 

『鉄菜……』

 

「《シルヴァリンク》に乗る資格なんてあるのか。私は人造血続だ。造られた人間なんだ。だから、人機と何も大差はない。この鋼鉄の塊と、何も……」

 

『鉄菜は人間マジ! 何を言っているマジか!』

 

 張り上げられた声に鉄菜は自嘲する。

 

「こんなナリで人間なんて笑わせる」

 

 自分は兵器として送り込まれた。ブルブラッドキャリアの怨嗟を体現した操主。《シルヴァリンク》を動かすためのパーツに過ぎない。だがら、何もかも欠陥だらけだ。

 

 彩芽は心を失うな、と言った。

 

 しかし、その心の在り処は未だに分からぬまま。何が心なのか。何が人間なのかの単純な答えは保留のままだ。そんな状態で上がっても、足を引っ張るだけではないのか。現状の自分にブルブラッドキャリアの戦いを好転させるだけの機能があるとは思えない。

 

『鉄菜、人間であるのに、証明なんて、きっと要らないマジ。生きていれば誰だって、人間でも、何でも、証明なんて必要ないはずマジよ』

 

「必要ない? だが、私は戦うために造り出された。戦い、相手を狩り、この惑星を制圧するのに製造された、ただの兵器。弾丸と同じだ。標的に突き刺さるためにある鉛弾と、その実用性は同じのはずだ。だから、彩芽・サギサカの言った事が分からないのは、きっと私が引き絞られた弓であり、弾丸だからだ。引き金を引くのに理由は必要ないが、引き金を引く人間には理由がいる。私は、撃つ側でしかない」

 

『鉄菜……でも、そこまで思い詰める事は……』

 

 策敵センサーが領海を巡航中の艦を捉える。まだ会敵には早いと思っていただけに神経を尖らせた鉄菜は議論を打ち切った。

 

「《モリビトシルヴァリンク》。目標を駆逐する」

 

 Rソードを振るい上げ、《シルヴァリンク》が巡洋艦へと降り立った。甲板警護のナナツーが不可視の存在にたたらを踏んだ途端、発振したRソードの刃がキャノピーを焼き払う。

 

 警護用の《ナナツー弐式》の銃撃を掻い潜り、《シルヴァリンク》の有する四基のRクナイが稼動し敵人機の四肢を断裂させた。

 

「この艦に敵は少ないな。やはり本国の守りに入っている機体が多いのだろう。今ならば、盤面を引っくり返せる」

 

 巡洋艦から飛び立った《シルヴァリンク》へと送り狼の銃弾が見舞われるが一発でさえも掠らない。

 

 その時、天空を引き裂いてR兵装の太い光軸が巡洋艦を貫いた。折れ曲がった艦が軋んでR兵装の出力に負けていく。大穴を開けられた形の巡洋艦が海水に侵され、ナナツー部隊を道連れに海底へと引きずりこまれていった。

 

《ノエルカルテット》の援護砲撃に鉄菜は一瞥を投げていた。

 

「このまま、本土へと向かう」

 

 小国コミューンが有するのは天を衝くかの如き威容を持つ長大なレールであった。その建築物は遥か古代に人が造り上げた傲慢の証の塔の様相を呈している。

 

 物資を宇宙に上げるために存在するマスドライバー施設。今ならば充分に占拠可能だ。

 

 鉄菜の役割はマスドライバー警護のナナツー部隊の一掃。

 

 大地を踏み締めた《シルヴァリンク》は周辺一帯の警戒任務についていた《ナナツー弐式》へと刃を打ち下ろした。

 

 灼熱のRソードが《ナナツー弐式》の腕を溶断し、奔ったRクナイガンの弾丸がキャノピー型コックピットを正確に狙い澄ます。

 

 ここで重視されるのは何よりも速さと正確さ。

 

 敵を早期討伐し、マスドライバーを完全制圧するのに、さほど時間はかからないように思われた。

 

 鉄菜は《ナナツー弐式》の血塊炉を刺し貫き、そのままほとんど棒立ちの機体へと放り投げる。

 

 将棋倒しになった機体は突然のモリビト襲来にうろたえてばかりで、何一つまともな対応を出来ていない。

 

 この戦局、取った――そう認識した、鉄菜は桃へと通信を繋ぐ。

 

「地上は手薄だ。このままなら容易くこちらの手に落ちる」

 

『分かった。バベルでシステムを完全掌握。他コミューンからの介入を拒ませて……。何これ。どういう事?』

 

 桃の声の調子がおかしい。バベルによる電子戦はお手の物だろうに。

 

「桃・リップバーン? どうした? 敵襲か?」

 

『違うの、これは……バベルが塗り替わっていく?』

 

 塗り変わる? 何を言っているのだと問い質す前にジロウへと変化が訪れた。

 

 ネットワークに接続しているジロウがエラーを弾き出し、機械音声を発する。

 

「ジロウ? おい、どうした!」

 

『鉄、菜……、システムを何者かが食い破って……。ここに、いちゃいけないマジ……』

 

「何を言っている? 桃・リップバーン! どうした! 何が起こっているんだ!」

 

 叫び返す鉄菜に桃と繋がった通信回線は砂嵐に閉ざされていた。

 

『……分からないの。何も分からないのに……バベルが、グランマやロデム、ロプロス、ポセイドンのシステム領域が侵されて……。何者かがバベルを内側から書き換えているとしか思えない』

 

「何者か、だと……」

 

 周囲へと視線を走らせる。敵の操主にシステムエラーを起こすほどの高性能人機がいるとは思えない。ならばこれは内部からのハッキングだ。

 

 バベルが塗り替わる、という言葉通りならば、電子的な侵略を受けているのは自分と三号機。

 

 鉄菜は緊急時のマニュアルに従い、ジロウのシステムネットワーク回線を引き千切った。

 

 無線ネットワークを全てオフラインに設定し、有線ネットワーク回線を文字通り切断する。

 

 ジロウの痙攣が治まり、システムエラーが停止する。だが、《ノエルカルテット》はこうはいかないだろう。あれは全身が精密機器のようなものだ。

 

 遥か上空に位置するはずの《ノエルカルテット》は今や、危うい均衡の上で成り立っている爆弾のようなものであった。

 

「モリビトのシステムに介入し、相手のバベルを塗り替える? そんな芸当、出来る人間がいるとは思えない。この戦場にはどこにも。だとすればこれは……」

 

 ――裏切り。浮かんだ思考に鉄菜は《ノエルカルテット》を仰ぎ見た。

 

 細やかに推進剤を焚きつつ、その高度が次第に落ちていくのが視界に入る。《ノエルカルテット》を構築する四機のそれぞれの人機が空中分解寸前であった。

 

「桃・リップバーン! 機体高度が落ちている。このままでは海に激突するぞ!」

 

『書き換えているのに! 何も言う事を聞かないのよ! バベルも、何もかも! 嫌! 死にたくない! モモはまだ、何も……!』

 

 完全に錯乱しているようだ。鉄菜は《シルヴァリンク》を駆け抜けさせる。二基のコンテナを両肩に担いだ《ノエルカルテット》からR兵装の勢いが失せ、機体から力が消失していく。

 

 直後、ロデム、ロプロス、ポセイドンの各部が分離した。残された形のパイルダー部を鉄菜は《シルヴァリンク》で受け止めさせる。

 

 間一髪、海面への激突を避けられたパイルダーの中で桃は喘いでいた。

 

 何が起こったのか。まるで分からないままであったが、ここにいてはまずい。ジロウの忠告が思い起こされ、鉄菜は三機のサポートマシンへと視線を注いだ。

 

 サポートマシンはそれぞれ動きが鈍っている。ここで撃墜されれば《ノエルカルテット》そのものの無力化に繋がってしまう。

 

「待っていろ。今、三機のサポートマシンを助ける」

 

 外套を翻らせ、《シルヴァリンク》は光の乱反射を周囲へと放った。眩惑されたナナツー部隊が足を止めた間にサポートマシンへと伝達回路を繋ぐ。

 

「ジロウ! 三機の命令系統を《シルヴァリンク》へと委譲、出来るな?」

 

『出来ない事はないマジが、もし、ウイルスか何かに三号機が冒されている場合、《シルヴァリンク》にも影響が及ぶ可能性があるマジよ』

 

 その懸念を今は飲み込むしかなかった。鉄菜は了承の信号を出す。

 

「構わない。やってくれ。現状、三号機を失うのは大きな損失だ」

 

 頷いたジロウが三機へとローカル接続を行う。《シルヴァリンク》の半径百メートル以内での遠隔操作だ。無論、三号機ほど無敵ではない。

 

 一時の従属の命令を三機は受け入れた。ロデム、ロプロス、ポセイドンの指揮系統を読み込んだ《シルヴァリンク》はしかし、明らかに過剰な性能を受け止め切れていない。

 

 それぞれのOSと命令伝達がない交ぜになり、《シルヴァリンク》そのもののOSを圧迫する。

 

 このままでは戦闘も儘ならなかった。

 

「……桃・リップバーン。一度、撤退するしかない。三機の命令を伝達出来るほど《シルヴァリンク》に余裕はないんだ」

 

『でも、クロ……ここで宇宙に上がる契機を逃したら、モモ達は……』

 

「だが、戦闘継続は不可能だ。ジロウでもどうしようもない」

 

 システムの圧迫は思った以上に深刻であった。戦闘用の視野がほとんどシステムバックアップに書き換わり、全天候周モニターを埋めているのは三機への遠隔操作マニュアルであった。

 

 恐れ入るのは、《ノエルカルテット》は常時、この状態を保っていたという事実。

 

《シルヴァリンク》では決して肩代わり出来ない領域を操っていた事には素直に感服せざる得ない。

 

『クロ……ここで逃げちゃえば、でももうマスドライバーになんて……』

 

「辿り着けない、か。そうかもしれないが、戦闘続行をしても旨みはない。敵は本気であるし、それにモリビト強襲の報はすぐさま本国へともたらされるだろう。時間をかければかけるほど、私達には不利だ」

 

 逡巡の沈黙が流れたが、その余裕さえもない。今にもナナツー部隊が大挙として押し寄せるかもしれないこの現場に留まっているだけでも精一杯だ。

 

 ここは一度退いて様子を見るしかない。自分達にはこれ以上戦い続けるような愚を冒すほどの余裕など欠片も存在しない。

 

 鉄菜は三機を引き連れて海上へと取って返すしかなかった。敵は待ってくれない。背後からミサイルと銃撃の嵐が追ってきたが振り返るような余裕は一時もなかった。

 

 三機のシステムを全て背負った形の《シルヴァリンク》では応戦の一打も与える事は難しい。

 

 何よりも、バベルが牛耳られた。その事実を確かめなければ迂闊に宇宙になど上がれるはずもなかった。ブルブラッドキャリアの要たるバベルが何者かに冒された。何が起こっているのかを解き明かさなくては、敵がどれほどの脅威なのかを理解する事もまた、不可能であろう。

 

 今は、ただ――。

 

 鉄菜は敗走の屈辱よりもなお色濃い、疑念の只中に落とし込まれていた。

 


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