ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯147 赤い血

 定期暗号通信は二時間も遅れていた。

 

 何かがあったのは疑いようもないが、鉄菜は無闇に動くべきではないと判断していた。ここでモリビトが不要な動きを見せればそれこそ世界からしてみれば好機となる。《モリビトタナトス》も完全に破壊したわけではない。迂闊は死を招く可能性は充分にあった。

 

 ジロウがその時、不意に全天候周モニターを仰ぐ。もたらされたのは緊急暗号通信であった。

 

 ジロウが解析にかかり、鉄菜は問いかける。

 

「二時間も待たせた言い訳か?」

 

『どうやら、それだけじゃないみたいマジ……。宙域戦闘における被害と、地上での作戦行動の中断命令、それにこれは……』

 

 口を噤んだジロウに鉄菜は違和感を覚える。

 

「どうした? 何か別の注文でも?」

 

『……鉄菜。一号機が……彩芽が戦闘中に死亡した、という報告が入っているマジ』

 

 最初、何を言われているのか分からなかった。

 

 彩芽の死亡。その報告だけ妙に浮いて聞こえたほどだ。

 

「何だって? こんな時に冗談なんて……」

 

『冗談なら! 言いたくないマジよ! でも、これは、全AIサポーターに同期されていて……確定情報マジ!』

 

 まさか、と鉄菜は虚脱した身体をリニアシートに預けた。

 

 彩芽が死んだ。一号機は大破したのだろうか。そのような考えを他所に悲鳴が通信を震わせた。

 

 慌ててコックピットから出た鉄菜は桃が耳を塞いでコックピットから危うい足取りで這い出たのを目にしていた。

 

「桃・リップバーン……今の報告を……」

 

「嫌! 何も聞きたくない! そんな……アヤ姉が、死んだなんて」

 

 やはり聞いたのだ。鉄菜はアルファーで《シルヴァリンク》を操作し、《ノエルカルテット》に寄せる。よろめいて落下しかけた桃の身体を鉄菜は跳躍して受け止めた。

 

 着地時に軋んだ関節を感じたものの、桃は無事であった。

 

「嘘、嘘よ……アヤ姉が死んだなんて、嘘に決まって……」

 

「桃・リップバーン。ここで私達を混乱させたところで組織に得るものはない。恐らくは事実だ」

 

 本当に彩芽は死んだのだろう。それを受け止めなければどうしようもなかった。桃は耳を塞いで叫びを迸らせる。

 

「嫌! 何で、どうして! どこまで世界はモモ達を試すの? どうして、こんな目に……!」

 

 理不尽には怒る権利はある。だが、それは常人の場合のみだ。自分達はブルブラッドキャリア。理不尽と戦う権利を持っている数少ない存在。

 

 理不尽に打ち克つのには戦うしかない。戦って勝ち取る事のみが、この不条理な世界を生き抜く術なのだ。嫌というほどそういう世界を見て来たはずなのに、いざとなれば覚悟が足りていない。

 

 鉄菜は自然と頬を流れる熱を止められなかった。何がこの胸に押し寄せているのか、全く不明なのに、この感情を与えてくれた人間は分かる。その相手を失った事も。

 

「……桃・リップバーン。彩芽・サギサカは死んだ。それを受け止めるのならば、ここから先は慎重を期す必要がある」

 

 肩に手を置こうとした鉄菜を、桃は振り払う。

 

「クロは、何でいつも、そうやって冷静に……! あんたが裏切った時、一番信じていたのは、アヤ姉だったのよ!」

 

「ブルブラッドキャリアのために行動した結果だ。あれを裏切りだとすれば、これから行う事全てが裏切りになりかねない」

 

「……そうやって澄まして。アヤ姉は、そんなあんたでも信じて、最後の最後まで助けようとしたのに! 何で、アヤ姉が死んじゃうの! どうして……何も、悪い事なんてしていないのに……」

 

 善人だけが生き残るのならばこの世は如何に棲み易いことだろうか。実際には、悪人がのさばり、善人は割を食って消えていく運命だ。

 

 悪の芽を絶つためには自分達が悪だと罵られようとも剣を取らなければならない。剣を振るって、その末に待っているのが地獄の炎であっても、それでも休む事なく剣戟の中に生きなければならないのだ。

 

「……ジロウ。他の情報は」

 

 手首の端末が点滅し、ジロウの音声を伝える。

 

『そのまま宇宙への帰投任務が出ているマジが……今の《ノエルカルテット》の状態ではとても地力では上がれないマジ。マスドライバー施設を借りて、重力圏を抜け切るしかないマジが……』

 

 濁したジロウに鉄菜は先を促す。

 

「どうした? マスドライバー施設を奪取し、それを使えばいいのだろう?」

 

『簡単に言うマジけれど……マスドライバー施設を持っているのは現状、C連合だけマジ。また、C連合に仕掛けなければならないマジよ』

 

「つまり、戦えばいいだけだ」

 

 鉄菜は桃の腕を引っ掴み、そのまま立たせようとする。虚脱した桃は頭を振った。

 

「もう、戦いたくないの……」

 

「立て。まだ私達の戦いは終わっていない」

 

「終わったも同然じゃない……。アヤ姉が死んだ。今の報告だけで、ブルブラッドキャリアは少年兵までつぎ込んで資源衛星を守ったけれど、それでももうほとんど本丸を特定されている。次の決戦でブルブラッドキャリアは大敗する。もう、決まったようなもの」

 

「それは私達の行動如何にかかっている。マスドライバーを奪取し、宇宙に上がる。三号機のジャミング性能が頼りだ。立ち上がれ。桃・リップバーン」

 

 キッと睨み上げた桃が赤い瞳を向ける。鉄菜の頭部がある空間が歪み、不可視の力がそのまま押し潰そうと迫った。

 

 それでも、鉄菜は退かない。ここで退けば、桃は二度と戦う事はないだろうと直感したからだ。

 

「……何で逃げないの。潰しちゃうよ」

 

「逃げれば、ではお前は戦うのか?」

 

「……どうして。嫌な事から逃げて、何が悪いの? もう嫌! こんな力も、こんなものにすがるしかないモモも! 戦いばかりのこんな世界も! 何もかも!」

 

 鉄菜は機体を仰ぎ見る。相棒の《シルヴァリンク》は緑色のデュアルアイセンサーでこちらを見据えていた。

 

 まだ戦う意思がある。この心は折れていない。その確認のように、鉄菜は頷く。

 

「報いる確実な方法は、戦う事だ。私達が諦めなければブルブラッドキャリアは再起出来る。まだ、逆転の手は……」

 

「そうやって言葉を弄して! みっともないと思わないの!」

 

 鉄菜の額の近くで不可視の力が弾け飛んだ。空気の刃が眉間を切り裂く。滴った赤い血に、鉄菜は掌に視線を落としていた。

 

 ――まだ、赤い血だ。

 

 まだ自分は人間なのだ。人間である、という証明がここにある。

 

「……桃・リップバーン。お前に言っていない事があった」

 

「何? どうせ、今さら説得なんて」

 

「違う。私自身の、欠陥についてだ。私は、どうやら人造血続らしい。組織が人為的に造り上げた、完全なる強化人間。だが、私には致命的なミスがある。それを、上も分かっていて、私を《シルヴァリンク》に乗せている」

 

「致命的な、ミス……?」

 

 こうやって他人に話すのは初めてだ。纏り切らない己の業を、鉄菜は切り出した。

 

「私は、人造人間。言ってしまえば人類の被造物……人機と同じだ。この身体に流れるのが人機と同じ、青い血でも何らおかしくはないと思っている。いつか、この身も、人機と同じになってしまうのではないかと、殺戮機械に成り下がってしまうのだと私は直感的に思っている。だから、私は《シルヴァリンク》に乗り続けるしかないんだ。造られた存在だから、私が生きる理由は、戦う事しかない」

 

 青い血の悪夢。それは自分を戦場へと縛り付ける呪縛だ。自分の生きられる場所が戦場しかないのだと誰に教えられたわけでもないのに感じ取っている。被造物の宿命、造られた人間は争いの絶えない火の中でしか己を見出す事も叶わない。

 

「クロ……あんた、そんな事を考えて……」

 

「そう思わないとやっていけない時もある。私の生きている意味が何なのか、ブルブラッドキャリアに貢献し続ける事だけが、私の生存を唯一許す理由なんだ。この手も、足も、耳も鼓動も、感じ取る何もかもが、シミュレートされ試算され、何者かに掌握された代物に過ぎない。私は、私の存在そのものを嫌悪する。こんなものにすがってまで、生きていかなければならないのは私のほうだ。計算済みの身体に、計算済みの思考回路。どこまで行っても、私には人間というものが持つ不可解な行動原理が理解出来ない。だからなのか……こうやって自分に赤い血が流れているのを見ると、少しだけ安堵する。まだ、私は人間の側なのであると」

 

「クロ……」

 

 人間である証明などどこにもない。自分の担当官であるリードマンでさえも、鉄菜の本当の正体に関しては明かしてくれなかった。人造血続である、という事実のみ。

 

 そして、似姿を殺し続け、二号機の操主に任命された事だけが明確に脳内で記憶として結ばれている実感。

 

「私は、ブルブラッドキャリアのために戦うしか道がない。それ以外は不適格だからだ。《シルヴァリンク》を降ろされるのならば、それの意味するところは私という個体の存在証明の消失……つまり無価値になった、という事だろう。私がこの世で最も恐怖するのは、私がここにいる価値さえもなくなってしまう事。なら、私は戦場でもいい。私が私でいいと誰も言ってくれないのならば、業火の中で争い続けるのが、私らしいというのならば……」

 

 握り締めかけた拳に桃がそっと手を翳していた。鉄菜はハッとする。桃の頬を伝い落ちる涙と自分の頬を流れるものは等価値なのだろうか。「人間」と「自分」とでは、同じ現象でも全く違う意味を描くではないだろうか。

 

 観察していると桃が首を横に振った。

 

「クロ、そんな事ないよ。クロは、だって生きている。この手も、あたたかいもの」

 

「あたたかい……体温がなければ生物は活動を持続出来ない。だから、必然の要素として熱を持っているだけだ。ただの現象。ただの事柄の羅列に過ぎない。それを生きていると仮定出来るのかどうか、私には分からない」

 

 桃の手が自分の手を包み込んでくる。小さな手。何も掴めないような、弱々しい代物。これで世界を変えるとのたまうのだから笑いものだろう。自分達は結局、小さな世界しか知らなかったのだ。

 

 世界の広さを知らず、何を知り、何を求めればいいのか分からないまま、流転する世界の律動の勢いに呑まれかけている。

 

 ――呑まれてはならない。

 

 鉄菜は桃の手を握り返した。仰天したような桃に鉄菜は言い返す。

 

「これが、生きているのだと、まだ生きて、ここにいるのだと証明出来るのならば、私は戦うべきだと思っている。それこそが、ブルブラッドキャリアに出来る事なのだと」

 

「でも……クロ。アヤ姉がいないんだよ」

 

「彩芽・サギサカと《インペルベイン》がないのは痛いが、今すべき事を模索するのに、何も遅くはない。私達だけでも、ブルブラッドキャリアのために……何よりも志半ばで散っていった彩芽・サギサカのために、報いるべきだ」

 

 こちらの決意を他所に桃は不安に顔を翳らせる。

 

「それは、でもとても難しい事だと思う……。だって、《モリビトタナトス》だって倒し切れていない。他の、トウジャなんてもっとそう。今のままじゃ、分の悪い消耗戦を続けるだけだよ」

 

 やはり勝算が必要か。鉄菜は思考を巡らせた後、一つの結論に行き着いた。

 

「……桃・リップバーン。最小限の戦闘で最大限の利益を得られるのが、私達が今、やるべき事だと感じている」

 

「それは、その通りだけれどでもだからって最善策なんて」

 

「突破口となるのは、一つだ」

 

 言い放った鉄菜に桃が息を呑む。

 

「……考えがあるのね?」

 

「賭けに近い。だが、いずれにせよ避けられない道だ。私達がブルブラッドキャリアであるというのならば」

 

 まだ不安を拭い切れていないのだろう。桃の瞳には迷いが浮かんでいたが、それでも、と唇を引き結ぶ。

 

「……いいよ。やろう、クロ。もう、モモ達だけでこの星を相手取るしかない」

 

 


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