ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯146 悪魔の繭

 すぐに来て欲しい、という報告を受け、タチバナは格納庫へと呼び出されていた。

 

 下仕官はどこから説明すればいいものか、と言葉を探りあぐねている。

 

「とにかく、急だったんです。何もかも、そう、とても急な話で。だから、我々としても手を打つだけの時間もなかったので……。説明が難しい事象なのは間違いないんですが」

 

「渡良瀬にモニターをさせていたはずだ。彼からの定時連絡がない」

 

「それも込みなんです。今、現場はしっちゃかめっちゃかで……上も下も、どうしようもない感じなんです。上層部は、あんなもの、今すぐ汚染域に捨て去れっていう強硬派も居るくらいで……」

 

 額に浮かんだ汗を拭った下士官の慌てようはただ事ではない。タチバナは落ち着くように言いやった。

 

「ここで慌ててもどうしようもなかろう」

 

「その通りなんですが……一刻を争う事態なんです。このまま静観していれば、この基地そのものを捨てざるを得ない状況で……」

 

 基地を捨てざるを得ないほどの極地に立たされているというのは言い過ぎだろう、とタチバナは顎鬚を撫でて考える。

 

 ここで妄言と切り捨てるのも一つの選択肢だったが、キリビトの改修計画を台無しにするのも旨みはない。

 

 どこまで人は原罪に寄り添えるのか。その試金石にするのに、キリビトという題材は打ってつけであった。

 

 最下層格納庫に辿り着いたタチバナは鼻をつく臭気に眉をひそめる。

 

「汚染大気だ……!」

 

 すぐさまハンカチで鼻と口を覆ったが、それでも少し肺に取り込んでしまった。下仕官が慌ててマスクを用意し、浄化装置をオンにする。

 

 タチバナの分を取り付けようとする下士官の手を振り払い、自分で装着した。

 

「ああ、すいません、ドクトル。ですが、この状況を見てもらえば分かるように、誰もが混乱しているのです」

 

 紺碧の霧がたゆたう中、タチバナは歩みを進める。《キリビトプロト》の切除作業が行われていた区画に陣取っていたのは巨大な有機物であった。

 

 繭である。

 

 薄く青に彩られた繭が、格納庫の一画を支配していたのである。

 

「繭……、これは、何の冗談だ?」

 

「冗談ではないのです、ドクトルタチバナ。つい二時間前に観測された現象なのです、これは。静止カメラを確認しても、急速な現象でして誰もこれをモニター出来ないほどの速度で……」

 

「手短に話せ。これは、《キリビトプロト》だと言うのか?」

 

 下仕官が結論を下しかねていると、ブリッジから渡良瀬が降りてきた。厳重装備の浄化服に自分がどれほど軽装なのかを思い知らされる。

 

「博士……、これは、その」

 

「渡良瀬。ワシを裏切るのは、まだよかろう。だが、国家に歯向かったとなれば、貴様もそれ相応の報いを受けるぞ」

 

「違うんです、これは……わたしも想定外で」

 

「想定外? この有機物は何だ? 人機の改修作業をワシは命じたはずだな?」

 

 渡良瀬も困惑しているのか、なかなか言葉を継げないようであった。そんな中、歩み出た影が口を差し挟む。

 

「タチバナ博士。これは恐らく、血塊炉の暴走現象だと思われます」

 

 女の声にタチバナが胡乱そうにしていると、渡良瀬が説明に入った。

 

「……《キリビトプロト》の専属操主になる予定の兵士です」

 

「ほう、専属操主とは。なかなかの物好きだ」

 

「あなたほどではないでしょう、プロフェッサー。《キリビトプロト》の自己増殖機能に目をつけ、あえてその部分のみを切除せずに残せと言い置いた結果が目の前の繭です」

 

 どこか糾弾する響きにタチバナは鼻を鳴らした。

 

「ワシのせいだと言うのか?」

 

「被害が出ていないからいいものの、これは責任問題に直結します」

 

「笑わせる。ワシを軟禁し、好き放題に開発を進めておいて今さら責任の擦り付け合いか。それこそ、どの口が、という話だ」

 

 一触即発の空気に渡良瀬が咳払いし、状況を説明する。

 

「……つい二時間前、《キリビトプロト》改修作業中に、繭が発生。それより十分もしないうちにここは高濃度ブルブラッド汚染に晒されました。現状の濃度は七十パーセント越えです」

 

「汚染域に老人を連れて来るとは。ここで死ねと言いたいのか?」

 

 言葉を飲み下した渡良瀬に対し、女操主はどこか強気であった。

 

「わたし達では所詮、現場としての判断しか下せません。専門家のご意見と助力を乞います」

 

 厚顔無恥とも言えるその言い草にタチバナは辟易を浮かべつつも、現状を俯瞰していた。

 

「これは……高濃度ブルブラッド汚染から鑑みて、血塊炉の暴走現象と結論付けるしかない。ただし、内蔵血塊炉が通常の三倍近くあったな? あれが暴走し、意図的に起こった現象なのだと仮定して繭の中では、原始的な進化現象が行われていると推測する」

 

「繭の中で、人機が自律進化を?」

 

 考えられない、という声の渡良瀬にタチバナは言いやった。

 

「それで何年、ワシの右腕を経験してきた? ブルブラッドは時折、理論だけでは説明出来ない現象を巻き起こす。高濃度ブルブラッド汚染の中では人の呼吸は白く煙ると言う。通常の現象とはまるで別の、この世の全ての現象とは全く正反対の事実が突き付けられると考えられてもおかしくはないのだ。その事実を前に、人類とはかくも弱く、脆いもの。百五十年前に起こった悲劇から何も学んでおらん」

 

「タチバナ博士。《キリビトプロト》が自律進化の過程に入ったとして、ではどうして、高濃度ブルブラッド大気の散布を? これでは近づけません」

 

「そのつもり……なのかもしれんな」

 

 タチバナの憶測に渡良瀬が戸惑う。

 

「どういう……」

 

「ワシら人類の干渉を拒み、《キリビトプロト》は次の段階に入った、という事なのかもしれん。独裁国家ブルーガーデンの虎の子であった機体。加えて百五十年前の叡智がそのまま残された人機。何が起こっても不思議ではない。それが人類には早過ぎる事象であってもな」

 

「《キリビトプロト》は、我々の干渉を拒んでいるとでも?」

 

「可能性としては。だがワシは、この繭を廃棄するのには反対だな」

 

「ですが……高圧縮されたブルブラッド大気はそれだけでも猛毒です。こんな……排気能率も悪い地下格納庫で隠し通せるのも限界がある。ゾル国上層部に、自分達の真下で爆弾が精製されていると割れれば、誰もが逃げ出すでしょう。今、この国に支配の亀裂を走らせてはいけないのです」

 

「渡良瀬、随分と国家に忠実な主義者になったではないか。それだけ飼い犬根性が染み付いていれば、なるほど、祖国を裏切っても痛くも痒くもないと見える」

 

 息を詰まらせた渡良瀬の代わりに女操主が問いかけた。

 

「現状、この繭の存在を完全に隔離する事は不可能です。もう、上のある程度の人間には知られてしまっている」

 

「ではリスクを押してでもキリビトの完成を待つか、あるいはこのままこの区画を永久封印して、また百五十年前の愚策を繰り返すか否か、と言ったところだな」

 

「……我々だけでは《キリビトプロト》が進化しているのかも判断しかねるのです」

 

「そのための老人か。ワシには簡易マスクと適当な浄化装置だけで、まさかこのブルブラッドの塊に触れろとでも?」

 

 下仕官が慌てて厳重な浄化服を用意するがもう遅いだろう。どうせ、早く死ぬだけの話だ。タチバナは突っぱねて繭へと歩み寄っていった。

 

 繭の中では胎動が確認出来る。中で何かが跳ね回っているのだ。

 

 青白い鼓動にタチバナは研究者としての知的好奇心を抑えられなかった。

 

 触れるつもりはなかったのに、高濃度のブルブラッドの塊へと、直に手を触れる。

 

 途端、結晶が肩口まで至った。激痛を感じた時には、結晶体が皮膚へと突き刺さっている。

 

「博士!」

 

 渡良瀬が駆け寄り、その手へと視線を注いだ。少し血が出ているが、大した怪我ではない。それよりも、とタチバナは再度繭に触れる。

 

 今度は抵抗もなかった。

 

「やはり、この繭、生きている」

 

「生きて……? 人機は兵器ですよ」

 

「血塊炉というものの成り立ちを知れば、あながちそう兵器とも断じられんものだ。お主らは血塊炉が何で出来ているのか、知ろうともしない」

 

「それは……」

 

 口ごもった渡良瀬に女操主が声を差し挟む。

 

「命の欠片……降り積もった惑星そのものの命の結晶体こそが、血塊炉の大元。古代人機は命の河……全ての生命体の源を守る守護者」

 

 淀みないその返答にタチバナは目を見開く。

 

「……驚いたな。ゾル国では古代人機は侵略生物だと断じて皆、考えを改めないと思っていたが」

 

「一部の思想家にはありふれた感覚です。古代人機をただの撃墜スコアだと考えているのは、それこそ末端兵のみ」

 

 自分はそうではない、とでも言いたげだ。タチバナはフッと笑みを浮かべ、言葉の先を繰ってやった。

 

「……英雄、モリビトの名前をただ妄信しているわけではないという事か。いいだろう。ならば命の結晶体である血塊炉から、新たな命が生まれる事に何らおかしな理論の飛躍はあるまい」

 

「で、ですが、博士! 《キリビトプロト》は間違いなく、沈黙していた! あれは破壊された人機であったはず!」

 

 この場で一番に狼狽しているのが自分の右腕を長年務めた渡良瀬だというのは冗談にしても性質が悪かった。タチバナは一拍置いて、キリビトを内包する繭へと視線を投げる。

 

「自律進化のきっかけは、恐らく、自己再生能力に端を発していたはず。この人機は元々、自分の最適な姿を自ら模索し、その形状へと進化するものであった。それが、本来のキリビトの姿。ブルーガーデンの者達はその上から覆いをかけ、キリビトの真の力を封じる事で、支配を可能にしていた、と仮定すれば」

 

 まさか、と渡良瀬が息を呑んだ。

 

「破壊された事で、ようやく本来の姿に戻れた、とでも……」

 

 ブルーガーデンは元々、余計な事をしていた。何もしなければキリビトは進化し続ける人機であった。それに追加武装をつけ、自らが御しやすいように「調整」していたのが、《キリビトプロト》、という人機の姿であった。

 

 そう考えれば腑に落ちる部分もある。自己再生能力はこの人機が元々持ち合わせている初期能力。キリビトがどうして汚染の爆心地になったのかも同義。

 

 キリビトは「生きている」人機であった、と考えれば飛躍でも何でもない。ただ、本来の姿に戻ろうとしているだけ。

 

「ですがそう考えると、我々の改修計画そのものが破綻します。思うように進化してくれるとは限らない」

 

「そうさな。だからこそ、どこかで布石を打つ必要がある」

 

「布石? まさか、繭に働きかけて進化を決定付けられるとでも?」

 

 タチバナは振り返り、システム筐体を視界に入れた。歩み寄り、筐体からケーブルを引き出す。

 

 システムケーブルを繭に触れさせると瞬時に繭がそれを取り込んだ。

 

 瞠目する渡良瀬にタチバナは命じる。

 

「こちらから、《キリビトプロト》の完成形をある程度予測する事は可能だ。これは人機であるのには違いないのだからな。ブルーガーデンが出来た事、ゾル国が出来ないはずもあるまい」

 

「ですが、どうやって……電気信号を受け付けるとでも?」

 

 困惑の中、渡良瀬はどこか自暴自棄になっている。タチバナは落ち着いて指を振った。

 

「浅慮だな、渡良瀬。元々、人機開発自体、血塊炉という未知の物質に働きかけ、その力を最大限まで得るもの。電気信号で現行の人機は制御されている。相手が巨大な繭になったからと言って急に制御から離れるという道理もあるまい」

 

「つまり……今まで通りで構わないと?」

 

 女操主は飲み込みが早い。タチバナは首肯し、繭に視線を注いだ。

 

「そうだ。今までのように装甲を継ぎ足していく方式とは異なるが、電気信号を与え、進化の方向性を限りなく寄せる事は可能のはず。我々の制御下に置くように、キリビトの完成形を深層心理に叩き込めばいい」

 

「問題なのは、時間、ですね。上も下もてんてこ舞い。この状態ではいつ、このプロジェクトそのものが打ち切られないとも限らない」

 

「繭の孵化がいつになるのかはワシも分からん。こればっかりは人間の寛容さに賭けるしかないな」

 

 踵を返したタチバナに渡良瀬は言葉を投げかける。

 

「博士! これ以上何をすれば……!」

 

 タチバナは冷徹に、一瞥を向ける。

 

「ワシが言った事以上の事はしなくてもいい。簡単に言えば何もするな、というのが正しいのだが、お主らがそれでもキリビトを兵器として運用したいのならば、可能性に賭けろとしか言えんな。《キリビトプロト》がまだ、人間の制御域に留まろうとしているのか、それを見極めるのは何も一朝一夕では出来まい」

 

 エレベーターに戻ろうとしたタチバナに渡良瀬が叫ぶ。

 

「離反行為ですよ! ゾル国の国益に背く!」

 

「元々、ワシはこの国のために動くつもりはないのでな。軟禁され、動く事も儘ならぬ間に貴様らが勝手にワシの動向を覗き見して、その挙句に造り上げたのがトウジャだろう? 今さら責任逃れの言葉が通用すると思うな」

 

 タチバナは視界いっぱいに広がる繭を眺め、感嘆の息をつく。

 

「……まだ、世界は分からんものだな。分かった風なつもりになっていただけか。モリビトも、何もかも」

 

 扉が閉じ、タチバナはマスクの中を呼気で曇らせた。

 

 


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