出撃の報に胸を撫で下ろしたのは本心であった。
カタパルトデッキへと接続した《グラトニートウジャ》は横倒しになって出撃姿勢に入る。
カイルはずっとコックピットに篭っていた。ガエルもいない。自分の理解者などこの場所には一人もいなかった。
全天候周モニターに反射する己の異形にカイルは呻きを上げる。その声でさえも醜く、聞いていられなかった。
兵士達は勝手な妄想を飾り立てて、カイルの収まる《グラトニートウジャ》の集音器へと言葉を投げる。
『……おい、シーザー大尉、おかしくないか? ずっとトウジャの中で……』、『放っておけよ。やんごとなき方には俺らには分からないものがあるんだろうさ』、『澄ましちゃってよ。一回や二回の撃墜でいい気になってもらっても困るんだけれどなぁ』
とんでもない。自分は慢心しない。ましてや、前回の出撃でもモリビトを仕損じたのだ。その程度で満足しているはずがない。今までならば顔を見て、しっかりと話せば自分の意見に賛同してくれるものばかりであった。だが、こうして妙な行動を取れば、すぐにでも瓦解する場所に自分の信頼というものはあったのだ。
誰も信用出来ない。誰も信用してくれない。
ここにガエルが……叔父がいればと何度も思う。
彼さえ理解を示してくれれば全てが救われるのに。自分はたった一人の孤独のまま、戦闘へと放り込まれる。だが、戦闘になればまだ楽だ。
戦って勝てばいい。まだ人機操縦のセンスの是非でさえも否定されたわけではない。
きっと成果さえ持ち帰れば、皆が納得してくれるだろう。ハイアルファー【バアル・ゼブル】の代償も、きっと誰もが納得してくれるに違いない。
戦いの、名誉の負傷だと。
そう信じてカイルは操縦桿を握り締めた。まめの浮いた掌が操縦桿に触れる。長く巻いた爪が茶褐色に染まっていた。
『《グラトニートウジャ》、発進どうぞ』
返答はしない。この声さえも最早、聞けるものではなくなってしまった。だからこそ、カイルは胸中に叫ぶ。
――《グラトニートウジャ》、カイル・シーザー。行く!
カタパルトから射出された《グラトニートウジャ》の肥満体が空間を駆け抜け、先遣隊の《バーゴイル》へと追いつく。推進剤の性能も、装甲強度も見直された《グラトニートウジャ》は敵への攻撃を仕掛ける矢面に立つ。
カイルは暗礁宙域の常闇を睨んだ。このデブリの中にブルブラッドキャリアがいる。世界の敵、戦争の火種である相手が。
墜とせばいい。一機でも撃墜し、破壊し、その首を標にすれば、自分への信頼は戻るはずだ。
《グラトニートウジャ》が推進剤を開いて戦闘宙域の前線へと躍り出る。先の戦闘と同じ場所に相手が展開しているのならば、さして怖くもない。
そう判じた矢先、照準警告が耳朶を打った。カイルは咄嗟に《グラトニートウジャ》の巨躯を跳ね上がらせる。先ほどまで機体があった空間を重火器が引き裂いていた。
「現れたか、モリビト!」
灰色と緑のモリビトがデブリの陰から狙撃したのだろう。相変わらず姑息な真似をする。
《グラトニートウジャ》が片腕を払った。粉塵と共に砲門が顎の様相を呈した腕から出現する。
R兵装の砲口を《グラトニートウジャ》は構え、直後、黄色い光軸がデブリを粉砕していった。
塵芥に還ったその威力に《バーゴイル》の操主達が感嘆の息を漏らす。
『すごい……これが、トウジャか』
その通り。これが《グラトニートウジャ》の、自分の実力だ。
カイルは必殺の攻撃に満足しかけて、背後への接近警告にコックピットを揺さぶられた。
機体を反転させて振り返った視線の先にいたのは見た事もない人機である。白を基調とした痩身の機体はナイフとアサルトライフルを手にしており、白兵戦用のナイフが《グラトニートウジャ》の装甲を切り裂こうとした。
当然の事ながら、ナイフ程度で《グラトニートウジャ》の装甲には傷一つつかない。うろたえつつも、カイルはもう一方の腕で敵人機の胴体を噛み砕こうとする。
挟まれた敵の人機が軋みを上げ、接触回線から悲鳴が上がった。
『嫌! 死にたくない! 死にたくない、死にたく――!』
少女のものの悲鳴と断末魔が爆発の光に上塗りされていく。
――今、自分は何を墜とした?
その感慨を噛み締める前に、次の照準が《グラトニートウジャ》を打ち据えた。アサルトライフルの火線が瞬き、こちらの堅牢な装甲を叩く。
接近した不明人機から声が迸る。
『墜としたな……墜としたな! お前ェッ!』
ナイフを装備した敵人機の攻撃網を掻い潜り、《グラトニートウジャ》の顎の腕が両腕を噛み千切る。
それでも猪突してくる相手の頭部へと砲身を向けた。光軸の向こう側へと敵の意識が葬り去られていく。
「何なんだ、何だって言うんだ、こいつら」
上半身を失った敵の人機が彷徨う中、さらにデブリの陰から仕掛けて来たのはモリビトではない。
先の二機と同じ人機であるが、肩に重装備のガトリングを備え付けており、間断のない銃撃が見舞われた。《グラトニートウジャ》が装甲で弾きつつ接近し、血塊炉を擁する躯体へと固めた拳を浴びせる。
敵がよろめいたのを確認する前に照準した砲門からR兵装の光が放たれた。塵に還る敵人機を確認したカイルは直後に背面への接近警告に目を見開く。
ナイフを手にした同系統の人機が背筋を割ろうと一太刀浴びせかかった。しかしその威力はあまりに弱小。
振り返り様の末端肥大の拳で敵の人機の頭部を打ち砕く。
カイルは熱源センサーに切り替え、周囲を見渡した。まだ十機近くの敵影がある。これほどまでの戦力を擁している事に驚きを隠せなかった。
「何だって言うんだ。お前らは……何だって言うんだよォ!」
押し寄せてくる不明人機の影に、カイルは怒りに塗れた砲撃を引き絞った。
『《アサルトハシャ》部隊はうまく敵のエースを押さえている。今のうちに《バーゴイル》部隊を全滅させる事ね。彩芽』
もたらされた通信に彩芽は目を伏せる。白亜の人機――《アサルトハシャ》。それはブルブラッドキャリアが開発していた二軍の人機部隊であった。
宇宙産の血塊炉を擁した《アサルトハシャ》は出力、装備共に純惑星産の血塊炉を持つ人機に遥かに劣る。
ただし、安価で量産が可能であり、今の《インペルベイン》の整備状況では真正面から打ち勝つのは不可能だと考えたニナイからの提言で出撃を許された新たな人機であった。
《インペルベイン》はまだ修復が万全ではない。Rトリガーフィールドは展開可能なものの、《グラトニートウジャ》の前では意味がないのは前回の戦闘で分かり切っている。
だからこそ、今次戦闘では敵の戦力を減らす事に重点が置かれていた。
《アサルトハシャ》部隊が《グラトニートウジャ》を釘付けにし、その隙に《バーゴイル》を蹴散らしていく。
孤立した《グラトニートウジャ》を最後は物量戦で押し出すという寸法だ。
しかし、そううまくはいかないのは目に見えていた。
《アサルトハシャ》に乗り込むのはまだ年端も行かぬ少年兵達。彼ら彼女らには一通りのマニュアルしか与えられておらず当然の事ながら人機同士の戦闘など初めてであった。
だが彼らに頼らなくては、今の自分では《バーゴイル》部隊さえも殲滅出来ないのだ。
その事実が単純に悔しかった。
奥歯を噛み締めた彩芽は口中に呟く。
「……許して欲しい、なんて言わないわ。だってわたくしだって、同じ穴のムジナだもの。でもだからこそ、犠牲は無駄にしない」
《アサルトハシャ》と《グラトニートウジャ》の戦闘に夢中になっている《バーゴイル》へと《インペルベイン》は音もなく仕掛ける。
接近したのも一瞬。交錯の間に相手のコックピットを溶断していた。
こちらの接近に相手方が気づいた刹那、全武装を解除し、照準を直上の《バーゴイル》へと向ける。
胃の腑へと重圧が圧しかかる中、彩芽は叫んだ。
「アルベリッヒレイン!」
重火器が《バーゴイル》の機体を嬲り、一瞬で無効化する。上昇して抜けていった《インペルベイン》が直下に数機の《バーゴイル》を照準に入れた。
フルスペックモードの追加バーニアが翼の如く展開し、こちらの機動力を補助する。今度は押し込まれるような急転直下だ。
ガトリング砲が回転し銃弾を《バーゴイル》へと浴びせかける。反対側に位置する《バーゴイル》へと追加武装の小型ミサイルが追尾し、《バーゴイル》が火線を張って爆発の光を拡大させた。
今ので恐らく《グラトニートウジャ》にもこちらの位置が割れた。ここから先は出たとこ勝負である。
どちらが根負けするか、どちらが相手の戦力を見極め、的確にさばき切るかの勝敗でしかない。
《インペルベイン》は追加ブースターを焚いて《バーゴイル》の背後へと回り込む。そのまま溶断クローを走らせ、血塊炉を引き抜いた。熟練度ではこちらのほうが遥かに上。
前回、《シルヴァリンク》を苦戦させた《バーゴイル》は参加していないようであった。
好都合だ、と彩芽は乾いた唇を舐める。裏返ったクロー内部の武器腕が火を噴き、《バーゴイル》を蹴散らしていく。
しかしこれは《グラトニートウジャ》が追いつくまでの一時的な優勢に過ぎない。
《アサルトハシャ》が懸命に《グラトニートウジャ》の行く手を遮ろうとするが、高火力の《グラトニートウジャ》の砲撃が次々と《アサルトハシャ》を打ち砕いていく。
視線を逸らしかけて、彩芽は己を叱責した。
「……何をやっているのよ、彩芽。貴女のせいでしょう! 貴女が、もっと強ければ、こんな事には……!」
背後を取った《バーゴイル》へと振り返り様に銃撃を一射する。今は武装の無力化などという生易しい真似を取っている場合ではない。
一機でも速く墜とす。そのためには積極的にコックピットを狙うしかない。
銃撃網が奔り、《バーゴイル》を一機、また一機と片づけていく。だが相手も負けているわけではない。
《グラトニートウジャ》の砲撃が《アサルトハシャ》だけに留まらず、《バーゴイル》部隊の一部を巻き込んだ。
拡大させたモニターの中に赤い眼光をぎらつかせた《グラトニートウジャ》の姿がある。
刹那、展開されたのは常闇を飲み込むエネルギーフィールドの皮膜であった。
「……Rトリガーフィールド。一度でも取り込めば使えるって言うの……」
『来るよ、マスター!』
ルイの声が弾ける間に、射線上の《アサルトハシャ》が次々と撃墜されていった。彼らの命の灯火などまるで度外視した破壊。鬼のように《グラトニートウジャ》から放たれた無数の黄色いR兵装の射撃が《アサルトハシャ》を貫いていく。きりもみながら放たれるR兵装に友軍機である《バーゴイル》でさえも及び腰になっていった。
『あんなもの……あんなものを我が軍は使っているというのか……!』
震撼した《バーゴイル》の操主の声が次の瞬間には断末魔に変わる。《グラトニートウジャ》の射線には敵味方の区別がない。回転を加えながら放たれるR兵装の射撃には味方機を巻き込んででも相手を殲滅するという執念があった。
怨嗟の声が響く中、彩芽は腹腔に力を込める。ちら、と目線を配った先にRトリガーフィールドの有効時間が表示されていた。
たったの百二十秒。平時より一分も削られている。それでも今、展開せずしていつ使うというのだ。彩芽はRトリガーフィールドの展開準備をしようとして、《グラトニートウジャ》が《アサルトハシャ》の頭部を打ち砕いたのを目の当たりにする。
少女のものの悲鳴が通信網を震わせた。
目を見開く。その声はあの日、自分と出会った無垢な少女の声と同一であったからだ。
「まさか、そんな……!」
『ブルブラッドキャリアの少年兵って言うのは、やっぱり訓練も積んでいない子供達……! 組織はなんて事を……!』
歯噛みした彩芽と《インペルベイン》に《グラトニートウジャ》が接近する。彩芽は雄叫びを上げつつRトリガーフィールドを拡大させた。
虹の皮膜が常闇を切り裂き、二つの領域が干渉し合う。
ぶつかり合った箇所から剥離し、二つの虹が宇宙空間に極彩色の染みを与える。
Rトリガーフィールド同士の干渉は完全な想定外だ。何が起こるのか全く分からない。
それでも、彩芽は《インペルベイン》を懸命に駆け抜けさせる。重火器が《グラトニートウジャ》を打ち据える中、相手は砲門を《インペルベイン》へと向けた。
放たれたR兵装の光軸がRトリガーフィールドに弾かれ、拡散したエネルギーが友軍機である《バーゴイル》をも巻き込んでいく。
「味方も関係なしってわけ。だったら貴方が墜ちなさいよ!」
《インペルベイン》の弾丸の嵐に抱かれて《グラトニートウジャ》が機体を回転させる。放射されたR兵装の射線に入らないように《インペルベイン》は機動力を上げた。
瞬時に相手の懐へと潜り込み、溶断クローを展開する。
それと敵が顎の腕を突き出すのは同時。
溶断クローが顎の腕の内側を焼くが、強靭な顎の腕に装甲がひき潰されていく。片腕をパージし、《インペルベイン》は咄嗟に距離を取った。
先ほどまでコックピットがあった空間をもう一方の腕から放たれた砲撃が射抜いている。
一秒の油断さえも許されない攻防。下方へと抜けた《インペルベイン》は《バーゴイル》部隊が二つのRトリガーフィールドに阻まれて動きを止めているのを認識する。
「今ならば《バーゴイル》は取れる」
『でも、《アサルトハシャ》はその半数以上を失った。こんな状態で、勝つなんて……』
「それでも勝てって話でしょう。どれだけわたくしが足掻いたって、結局組織にとっては……」
濁した彩芽は照準警告に《インペルベイン》を横滑りさせる。《グラトニートウジャ》の攻撃は緩む事がない。
それどころかさらに激しい暴風となって、宇宙の常闇を切り裂いていく。
「レディには優しくしなさいって教わらなかった? そんなだから、慎みもない!」
仰ぎ見た《インペルベイン》の照準を補正させ、全弾丸を《グラトニートウジャ》へと叩き込む。
敵人機が上方へと逃げていくのを、《インペルベイン》は果敢に追いかけた。
ここで逃がすわけにはいかない。《アサルトハシャ》を――若い魂を失ったその代償はここで払わせる。
《インペルベイン》と《グラトニートウジャ》はRトリガーフィールドの中で激しくぶつかり合った。溶断クローを突き出し、敵の装甲を打ち破ろうとするが、《グラトニートウジャ》にはほとんど隙はない。少しでも離脱が遅れれば、相手の砲撃網に捉えられ、《インペルベイン》は前回のような醜態を晒す事だろう。
彩芽はここで墜とす、という意思を固めて敵人機の関節部位を狙い澄ました。
如何に《グラトニートウジャ》が重装甲の塊であっても稼動するための小さな弱点は存在するはずだ。
針の穴ほどの活路を懸命に探し、弾丸が届いた途端、《グラトニートウジャ》から黒煙が燻った。
内部で連鎖爆発を迸らせているのである。青い血が噴き出し、《グラトニートウジャ》の推力が急速に下がっていく。
「今なら! アルベリッヒレイン!」
銃撃を軋らせ、《グラトニートウジャ》の弱点を突いていく。相手は出来るだけ外部装甲を盾にして防御を張ろうとしてくるが、それでも耐え切れない部分があるはずだ。
彩芽は喉元から叫びを迸らせて敵人機のコックピットを狙う。溶断クローより熱が放射され、その頭部を砕くかに思われた。
『やらせない……、僕の、僕が、こんなにもなったのに、負けるなんて……。やらせるものかァ!』
直後、Rトリガーフィールドが縮小する。リバウンドのエネルギー波が《グラトニートウジャ》の装甲に纏いつき、虹色の光を帯びた。
溶断クローがコックピットへと命中するも、それは虚しく弾かれる。
Rトリガーフィールドのもう一つの使い方だ。
重量が極めて大きく設定されるために重力圏では使用不可能な代物であるが、宇宙ならば何の問題もない。
Rトリガーフィールドを自身の機体表面に張りつけ、装甲を覆うリバウンドの盾を得る。
この状態に達した場合、R兵装以外の武器は全く通らない。
それを何よりも彩芽は理解しているからこそ、この隙が完全に勝敗を分ける事も理解していた。
よろめいた形の《インペルベイン》へと《グラトニートウジャ》が照準を幾重にも重ねる。
彩芽はフットペダルを踏み込み、離脱機動に移ろうとしたが、あまりに近い。掃射されたR兵装の嵐に呑み込まれ、《インペルベイン》が手足をもがれる。全身に裂傷のような損耗を与えられながら、必死に距離を取ろうとする。
『マスター! このままじゃ……!』
「分かっている! ルイ、後退しつつ全照準を相手のコックピットに注いで!」
『マスター? 何を言って――』
「早く! 今が千載一遇のチャンスなの!」
四肢を失い、《インペルベイン》は宇宙の闇の中に消え去ろうとする。残された火器を振り絞り、銃撃網を《グラトニートウジャ》へと与えた。
暴風のような火線に《グラトニートウジャ》が傾ぎ、装甲板が剥離する。重量級の熱に冒された機体表層が焼け爛れ、いくつかの弾丸が弱点部位を射抜いたのか、そこらかしこから紫色の爆風が噴き出した。
しかし、それでも相手は健在だ。
《グラトニートウジャ》は確かに、これ以上の戦闘継続は難しくなっただろう。だが、それはこちらも同じ。
翼の追加バーニアで逃げ切った《インペルベイン》は射程から遠く離れ、常闇を彷徨っていた。
全天候周モニターはノイズに塗れ、ブルブラッドキャリアからの位置情報管理も儘ならない状態である。
『……彩芽。《インペルベイン》はここで回収を待つしかない』
「《グラトニートウジャ》に、負けたのよね」
その言葉に立体映像のルイは頭を振る。
『健闘だよ。これ以上ないほどの。だって、相手はもう仕掛けられないでしょう』
満身創痍の今、彩芽の脳裏に浮かんでいたのは一つであった。
《アサルトハシャ》部隊。命の灯火を使い捨てにする、自分の所属する組織。彼らにはもっとよりよい未来を描く可能性に満ちていた。こんなところで名もなき兵士として死なずに済んだのに。
彩芽は浮かび上がる涙の玉を堪え切れず、コックピットで呻く。どうしようもなかったと言えばそこまでだが、どうにか出来ると、自分がもっと強ければ、対抗出来たかもしれない。
結果に甘えて怠慢であったのは己自身だ。
「……ルイ。《インペルベイン》の制御系統、任せられるわよね」
『彩芽? 何を考えて』
次の瞬間、彩芽はリニアシートのベルトを外し、背もたれに自決用の時限爆弾をセットした。
「わたくしはここで一度死ぬ」
『何を……、彩芽、どういうつもりなの』
動揺するルイに彩芽は言葉を振る。
「……ここで組織を俯瞰するのには、一度縁を切るしかない。鉄菜と桃には申し訳ないけれど、それもこれも本当の正しさを見極めるため。このまま組織にいたんじゃ、わたくしはきっと、壊れてしまう」
《アサルトハシャ》のような犠牲を出してはいけない。そう強く感じているからこそ、ここで《インペルベイン》を降りる覚悟は出来ていた。
『降りてどうするの。ここからどうやって惑星に……』
「血塊炉を貫いた《バーゴイル》が無数にいるでしょう? 操主は逃げ出している可能性が高い。どれかに乗ってこの戦闘圏を離脱する」
既に《バーゴイル》の当てはあった。彩芽の言葉にルイはうろたえる。
『何だってそんな……二号機操主と三号機操主に、どう説明すれば……!』
「わたくしは死んだ、って言っておいて。セットした爆弾でリニアシートを焼けば、ある程度信じるでしょう。何よりも、人機を破壊し過ぎたせいでブルブラッド濃度が高いから、検知されにくいはず。今しか、この決断を遂行する時はない」
青く煙った闇の中、彩芽はコックピットブロックを開け放とうとして、ルイのシステム妨害に遭った。ルイは面を伏せたまま全てのシステムを掌握している。
「ルイ、制御系を解除して」
『出来ないよ……だって、マスターがいないブルブラッドキャリアなんて』
「それでも、よ。貴女は明日を描くために……《アサルトハシャ》部隊のような犠牲をもう出さないために内側から戦うの。わたくしは外から戦う」
『でも! そこにマスターはいないじゃない!』
感情の堰を切ったようなルイの声音に彩芽は優しく返した。
「ルイは他人の事を思いやれる。多分、AI以上なんだと思う。それで導いてあげて。鉄菜と桃を。辛い戦いを強いるかもしれないけれど、それでもわたくしは、この戦いに納得するために」
緊急射出装置に手をかける。それでもルイのシステム承認が必要だ。
『出来ない……出来ない、出来ない! マスターがいないのに、生きていたって……』
「約束するわ、ルイ。必ず戻ってくるから。だからその時まで、お願い」
彩芽は小指を突き出す。ルイの立体映像の指が絡まった。体温さえも感じない約束。しかし、この時は確かに、ルイの息遣いを感じた。
「さよならね。鉄菜、桃。あとは任せたわ」
コックピットから緊急射出された彩芽は宇宙の闇の中を掻いていく。すぐ近くに血塊炉を損傷した《バーゴイル》を発見し、推進装置を焚かせつつ相対速度を合わせた。
コックピットに取り付き、気密を確認する。どうやら操主は撃墜されたと思ってすぐに救助を求めて逃げ出したらしい。《グラトニートウジャ》と《インペルベイン》の戦いに巻き込まれるよりかはマシだと判断したのだろう。
彩芽はコックピット内の気密管理を完了させてから、右手に収まった起爆装置のスイッチを押した。
音もなく、《インペルベイン》のコックピットが火を噴く。
爆発としては小さいが操主一人が死んだと思わせるのには充分だろう。
彩芽は内蔵血塊炉の炉心状態を確認してから、帰還用の推進剤を焚かせつつ救難信号を打った。
《バーゴイル》部隊が生き残っているのならば、無事に回収されるはずだ。
離れていく愛機を目にしつつ、彩芽は頬を流れる熱が玉になって浮かぶのを噛み締めていた。
「これしかなかったのか……って何度も後悔するかもしれない。でも、今わたくしが出来る事は、きっと」
流れる機体に任せて、彩芽は虹の皮膜に包まれた星を見つめていた。今も静謐に守られた惑星。どれだけの汚泥を抱えても、美しく輝く母なる星。
「偽りの美しさを納得出来なかった。きっと、それだけなのよ」
それだけの、シンプルな答えの齟齬。その一つが自分を衝き動かした。
程なくして一機の人機が帰投していく《バーゴイル》とは全く正反対の方向へと駆け抜けていくのが視界に入った。
この世界がどう転ぶのかは全て、ここから先の人の意思に委ねられたのだ。
自分は、世界を変える資格を拒否した。破滅への引き金を引く事に躊躇いを覚えた。
搭乗する《バーゴイル》が他の機体に補助されてカタパルトへと収まっていく。彩芽は明日をも知れぬ星の息吹を、その目に宿していた。