ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯141 戦場を行く獣

 海上の巡洋艦に収められた《モリビトタナトス》を横目に、将校は口火を切っていた。

 

「《モリビトタナトス》の運用、ご苦労だった」

 

 ガエルは将校を睨み据えつつ、真意を問い質す。

 

「そいつはどうも。だが、オレが今、誰を一番に撃ちたいかくらいは分かるよなぁ? てめぇ」

 

「戦闘中に声をかけたのがそれほどまでに不服かね」

 

「違ぇよ、クソが。ワケの分からねぇ命令を下しやがったのが、だ。モリビト相手に楽勝ってほどでもねぇんだよ」

 

「それはそれは。買い被り過ぎたかな」

 

 どこまでも人を嘗めたような口振りである。ガエルは安全装置を外し、銃口を突きつけていた。

 

「ここで撃ち殺してもいい」

 

「それは、正義の味方の職務を投げる、と考えてもいいのだろうか」

 

「マリオネットの正義の味方なんて笑えてくるぜ。てめぇらの都合のいいように動くだけの駒が欲しけりゃもっと馬鹿を連れて来るんだったな。生憎、ここまでコケにされて黙ってもいられねぇんだよ」

 

「《モリビトタナトス》を操るに相応しいメンタルだ。それでこそ正義の味方だよ」

 

 銃声が一発、静寂を劈いた。将校の足元に着弾した一撃に、彼は笑みさえも浮かべてみせる。

 

「どうして笑える? イカレか? てめぇ」

 

「いや、ここまで人間らしいとも思わなくってね。想定外だ、ガエル・ローレンツ」

 

「そりゃどうも。これが人間らしいかどうかはさておきとして、てめぇらが人間やめてるのはよく分かったよ」

 

「やめている? 馬鹿を言うな。我々の行動原理は突き詰めれば人間という種、そのものをこの惑星で残すための手段だよ」

 

「軍の上層部を眉一つ動かさずに殺せる連中を、人間とは呼ばねぇんだよ」

 

「何を迷う? 君が今までやってきた事と何が違う? 名も知らぬ戦士を撃ち、どこの傭兵かも分からぬ者達を足蹴に、泥水と血の中、硝煙の舞う戦場を駆け抜ける。それと、何が違うというんだ。同じ事だ。さして特別な事を命じているつもりはない。君が今まで眉一つ動かさずに殺してこられたのに、どうして今、良心の呵責に苦しんでいると言える? 名無しの戦士と軍を動かす上層部は違うのかね? それとも、色んなものを背負った手前、もうただの戦争屋には戻れないと? それは身勝手な理屈だ、ガエル・ローレンツ。君は、この世界を背負って立つ、最後の希望。正義の味方になるんだ。多少の犠牲はやむを得ない」

 

「多少の犠牲? 意味も分からず殺しを行えばいいってもんじゃねぇ。そりゃ、オレは殺しが好きで好きで堪らない、人格破綻者に見えるんだろうな。だが、まったく意味不明な事を命じられて、自分の命すらレートに賭けられているのを見過ごせるほど、そこまで人間腐っちゃいねぇんだよ」

 

「見込み違いかな?」

 

「見込みも何も真意が見えねぇ。いい加減、話してもらおうか。てめぇらの組織が掲げる理念を」

 

 将校は巡洋艦の格納庫で修復を受ける《モリビトタナトス》を視野に入れ、穏やかな表情のまま応じる。

 

「理念、か。そのような瑣末事、気にしないのだと思い込んでいたが。いいだろう。我々が何のため、誰のために、行動を開始したのか、説明しようじゃないか」

 

「手短に話せよ。苛立たせるとドタマ撃ち抜く」

 

 銃をちらつかせるガエルに将校は肩を竦めた。

 

「怖い怖い。だがね、君のように端的に物事を俯瞰出来る人間は貴重なんだ。ほとんどの人間が無知蒙昧の中に日々を生き、その意味さえも理解しないままに死んでいく。浪費だ。言ってしまえばね。その浪費を少しでも意味のあるものにしようというのが、我々の総意だよ」

 

《モリビトタナトス》のRブリューナクが取り外され、スペアパーツと傷ついた外装が交換されていく。ガエルは将校から射線を外さず、その先を促した。

 

「てめぇら、何のためにオレなんかを雇った? もっと効率よく、馬鹿のように言う事を聞くヤツだっていたはずだ」

 

「そうだとも。それこそ馬鹿のように言う事を聞く人間と、君は既に会っているだろう?」

 

 脳裏に結んだカイルの姿に覚えず苦味を噛み締める。

 

「……オレを基点に国家を動かすのが、そっちの腹積もりだった、ってワケか」

 

「ゾル国というのは民主主義のようで、実は一党支配の強い国家だ。C連合は様々な弱小コミューンから成り立つ国家という特性上、一国家が群を抜いて支配するという図式にはなりづらい。落とすのならばゾル国から、という前提条件はあった」

 

「国家転覆。その先をどう考えていた?」

 

「《モリビトタナトス》はまだ使える。あれの修復をよく見ておきたい。歩きながら話そうじゃないか」

 

 ブリッジを歩んでいく将校の後ろについて、ガエルは質問を重ねる。

 

「ゾル国みたいなコミューンを支配して、てめぇら何がしたい?」

 

「ゾル国は全世界の人工の三分の一を占めている。残りはほとんどC連合だ。ブルーガーデンなんてこの二国に比べれば弱小もいいところ。あの独裁国家は何も出来やしなかった」

 

「民草の言葉が、何もそのまま支配の言葉になるワケじゃねぇだろ。独裁国家ブルーガーデンはともかくとして、C連合を陥落させれば世界は墜ちたも同然だったんじゃねぇのか?」

 

「そこまでシンプルに考えてはいないよ。何よりもC連合は御し辛い。あの国家にはどことなく我々の考えを浸透させにくいものがある。比してゾル国は市民先導のようで、実のところは官僚主義だ。国家中枢に潜り込めさえすれば、後は容易い。君にシーザー家を名乗らせたのはそれもある」

 

「まだ貴族の真似事をしろって言うのか?」

 

「まだ? 何を言っている。始まったばかりだよ。シーザー家のカイル・シーザーはもう、君の色に染まっただろう?」

 

 足を止めた将校が向き直って笑みを形づくる。その邪悪さに、ガエルは手を強張らせた。

 

「……あの坊ちゃんを最初からオレの色に染めるつもりで」

 

「当然だろう。ああいうひたむきな人間は御しやすい。そうなってしまえば、もうどこへなりと転がるというのは予測出来る。ゾル国の国家中枢の貴族、シーザー家は君の物に下ったも同然。あとはシーザー議員だが、彼は放っておいても問題あるまい。理想を掲げる人間というのは得てして戦場を眺めた事もないロマンチスト。血と硝煙からは最も遠い場所にいる」

 

「シーザー家を物にして、じゃあ、どうするって言うんだ? ゾル国を支配して、てめぇら、何を得る? ただの一国家の影のフィクサーに収まるにしちゃあ、そのやり方はあまりにも大胆不敵が過ぎるぜ。モリビトなんて建造する当たり、な。どこから撃たれても文句は言えねぇやり口だ」

 

「《モリビトタナトス》は想定以上だっただろう? あれを使えたのは誉れだったに違いない。モリビト、ブルブラッドキャリア、反逆の象徴。それを国家が運用する。その時点で、支配の逆転構造が起きている事に市民は気づけていない。気づかぬうちに、支配被支配が裏返っている。モリビトは世界の敵であった。だが、あまりに力を見せ付けたモリビトは恐怖の対象となり、その恐怖が翻って自国の味方になればこれ以上に頼もしい相手もいない。畢竟、国民というのは勝手だが、しかし国家という肉体に血を通すのは国民の役目だ」

 

 将校の言葉には節々に傲慢が見え隠れしたが、レギオンの真意をどこかぼやかすような言葉振りだった。

 

「国民を騙して、民意を得る。そのためのモリビトかよ」

 

「騙す? 逆だよ。信用を得るために、彼らには協力を仰がなければならない。一番に恐れているのが何なのか、君には分かるかね?」

 

「……少なくともブルブラッドなんたらじゃねぇな」

 

 将校は指を鳴らし、歩みを再開する。

 

「一番に恐れるべきは、民草だよ。何故かというと、この星にいるのは九割以上が、何も成さずに死んでいく人間だからね。しかし、彼らの悪意が、彼らの害意が、世界を滅ぼす要因になる。ヒトは、総体なんだ。誤解しているかもしれないが、ブルーガーデンのような独裁国家が長続きしないように、民を軽んじた国は容易く瓦解する。我々はね、民こそが、人の、ひいては世界の真なる姿ではないかと考えている」

 

「民衆に責任ぶん投げて、上層特権を得る人間は胡坐を掻くってヤツか」

 

「胡坐を掻いていられたのは今までそうなるように民がコントロールしてきたからだ。分かるかね? 何の力もない、流されるがままの市民こそ、最も恐れるべき隣人であり、敵よりもなお対策を考えるべき存在なのだと」

 

 市民の民意を操作し、その心象さえも掌握する。レギオン――群体の意味するところはそこに着地すると言うのか。

 

「……そのための《モリビトタナトス》、ってワケかよ」

 

「理解が早くて助かるよ。モリビトはゾル国の撃墜王の名前であり、世界の敵の名前であり、なおかつこれから先の繁栄を築く礎の名前でもある。人は、名前に意味を見出す生き物だ。その意味も、時代と共に推移する。踊るか踊らされるかの違いだ。《モリビトタナトス》はゾル国の象徴として、これから先何十年、何百年の安寧を約束する」

 

 階段を降りていく将校の靴音が残響する。全ては民草の心象を操作するため。ブルブラッドキャリアでさえも、そのための踏み台でしかなかった。

 

「……モリビトという名前に踊らされて英雄を座から降ろし、その末にモリビトに守られる市民、か。とんだ茶番だ」

 

「だが、この世は常に流動する茶番だというのは、君の身分ならばよく分かるはずだ。茶番と思える事象こそ、最も真なる部分を突いているのだと。この世界は茶番と戯曲だ。それに彩られた舞台だと言う事を誰しも深層意識では理解しながらも認めたくはない。それは、ピエロに過ぎない民衆も、トリックスターの天才達も、どちらも等しく舞台に立っているだけの役者なのだと、完全に飲み込んでしまえばそこまでだからだ。人も、民意もそこまででしかない。モリビトは敵だが、《モリビトタナトス》の恩恵には与る。ゾル国とC連合の戦争には巻き込まれたくはないが、隣人を支配し、抑圧し、黙殺する事は容認する。大小の差はあれど、闘争の中に生きているのだと、納得して生きている人間などいない。それは、人の本質が争いであるなど考えたくもない者達が作り上げた虚像の地獄があるからだ」

 

「この世界は地獄の波の上で浮かぶ危うい船って言いたいのかよ」

 

「そうではないのか? 君のような人間は必要悪だ。どこかでガス抜きをしなければ平和というものは維持出来ない。そういう風に出来上がったシステム。代理戦争の仕組み。今さら問い質すまでもなく、被害者面を決め込める人間がこの世には一人としていない事を、君と《モリビトタナトス》は突き付ける。その役目がある」

 

 ガエルは鼻を鳴らし、引き金に指をかけた。

 

「……トチ狂ってやがる……とは言い切れないのが我ながら惜しいな。てめぇの理屈は世界を俯瞰し、一人一人の役割を熟考した末の判断だ。だから間違っているなんて言えねぇし、それがどれほど飛躍した理論か、なんて事も糾弾出来ねぇ」

 

《モリビトタナトス》の修復作業を視野に入れながら、将校は満足気に笑みを浮かべる。

 

「死を司るモリビトを駆り、君は戦場を走り抜けろ。その身に纏いついた死の約定でさえも振り切り、己が死の具現者となって戦い続けるんだ。それこそ、君に相応しい。そして、相応しい働きには報酬を。正義の味方、という誉れを」

 

「最終的に手に入れるのが、ゾル国か、あるいは世界か……どっちのつもりなんだ?」

 

 将校は頭を振り、その結論を保留にさせた。

 

「なに、間違いの道を行っているわけではないよ。それだけは保証しよう。我々の言う通りに行動すれば、何もミスをする事はない。世界を動かすのは何の力も持たぬ市民の側。そちらを制御する術は心得ている。今まで、君はあらゆる局面で損をしてきたはずだ。割を食ってきた、と言ってもいい。その宿命から逃れられるんだ。戦争屋、などと名乗らなくてもよくなる。英雄の座、魅力的ではないかな?」

 

 モリビトを操り、ゾル国の政治家の力添えも得て、自分は正義の味方としてこの地上に降り立つ。その時、全ての見方が変わるだろう。

 

 ガエルは掲げていた拳銃を降ろした。もう、将校に逆らうつもりもない。

 

「……てめぇらの言う通りに従えば、この先安泰。ゾル国という国家をも支配し、オレは負け知らずの撃墜王、って寸法か」

 

「気に食わないかね?」

 

「いんや、気に入ったぜ。総体、民衆の思うがままの正義の味方。成ってやろうじゃねぇか。全てを支配し、その末に立つ玉座ってヤツを、見てみたくなったんでな」

 

 その答えに将校は首肯する。

 

「賢明な判断だよ、ガエル・ローレンツ。君は末代まで英雄として称えられるだろう」

 

 上辺だけの賞賛を受け流し、ガエルは踵を返した。

 

「どうせ、《モリビトタナトス》が修理出来るまでやる事なんてねぇんだろ?」

 

「そうだな。確かに地上では、ないな」

 

 含むところのある言い草に自分にはまだ利用価値があるのだと悟る。

 

「……地上では、か。次の戦場が決まってるなら話せ。どこへなりと行ってやるよ」

 

 咳払いし、将校は言いつけた。

 

「では、ガエル・シーザーとして戦っていただこう。次なる戦場は――」

 

 


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