ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯140 冒涜者

 運び込まれた《キリビトプロト》の装甲はブルブラッド大気で腐食を始めており、すぐにでも浄化作業が求められた。

 

 あれだけ高濃度大気の中にあったのだ。腐食や装甲の錆び付きは当然であったが、《キリビトプロト》の最も驚くべきところは、解体したパーツ同士が引かれ合うように接続を始めているところであった。

 

「まるで自動修復でも働いているみたいですよ」

 

 汚染区画の整備班長はマスクと浄化装置をつけてタチバナに語りかけていた。タチバナはここまで連れて来た自分の助手に糾弾の目線を浴びせる。

 

「まさかお主が裏切っていたとはな、渡良瀬」

 

「裏切りではありませんよ。全ては世界をよりよく回すための行動です」

 

 どうだか、とタチバナは鼻を鳴らす。《キリビトプロト》の存在も寝耳に水であるのならば、ゾル国が率先してこれを回収し、再生計画を掲げている事も初耳。

 

「で、これをどうさせたい? ワシに百五十年前の禁忌を、繰り返せというのか」

 

「まさか。繰り返すのではありませんよ。ここから、新たに始めるのです。博士、全ては世界平和のためですよ」

 

 世界平和のため。詭弁だ。それも使い古されたような言葉ばかり。自分は誰一人として信頼に足る人間などに囲まれていはいなかった。しかし手は打ってある。ユヤマがどのように行動するのかは不明だが、この時代の良心に任せたいと思ったのは本心だ。

 

「ワシに、《キリビトプロト》を造り直せと?」

 

「そのためのノウハウは揃っています。加えてあなたの命令一つで作業に没頭する優秀な整備班も。全ては博士の一存なのですよ」

 

「ワシの一存? 馬鹿を言え。ワシがここで誤った選択をすれば、また軟禁状態に逆戻りだろう」

 

「そうならないために、慎重に決断をお願いします。わたしの見た限りでは、《キリビトプロト》以外にこの戦争に駆り立てられた世界を止める方法はない」

 

《モリビトタナトス》の存在はゾル国のタカ派の求心力を高め、国家は戦争へと邁進するであろう。その歩みを止めさせるのには、毒をもって毒を制するしかない。

 

 キリビトという存在を扱い、モリビトの暴走を食い止める。

 

 これが、ゾル国穏健派の切り札というわけか。

 

 確かにカタログスペックだけでもキリビトならばモリビトを破壊出来る可能性があった。そこに自分の手が加われば、キリビトは他に比肩するもののない最高の人機へと仕上がるであろう。

 

「《キリビトプロト》の改修プランはもう出来ておるのか?」

 

「やる気になってもらえましたか?」

 

「老い先短いこの命。どうせ死ぬのならば少しでも世界の良心を信じたいだけよ」

 

「英断だと」

 

 渡良瀬も随分とおべっかがうまくなったものだ。助手として長年連れ添った間柄でも、一度の裏切りでもう相手の心が分からなくなる。

 

「《キリビトプロト》のデータがしかし足りない。この自己修復めいた現象を解き明かさなくてはどうにも出来ない」

 

 タラップを降りてタチバナは汚染の激しい《キリビトプロト》の装甲に歩み寄った。危険だと訴える整備士を振り払い、灰色の装甲を凝視する。

 

 自己再生を行っている箇所の汚染状態を測ってみるとブルブラッド汚染濃度が閾値を遥かに超えているのが窺えた。

 

「なるほどな。面白い」

 

「博士? 急いでいただかないとゾル国の急進派の目に留まりかねません。あまり見物としゃれ込むわけにはいかないのです」

 

「だが、モノを見なければどうにも判断出来まい。この機体、ブルーガーデンが秘密裏に改修とアップデートを繰り返し、その果てに造り出した人機なのだと言ったな?」

 

「ええ。なので部分部分の機能はほとんど最新です。いじられていないのは恐らく、中枢に近い部分だけかと」

 

「では、それを見せてもらおう」

 

 取り外された血塊炉は通常人機の三倍ほどはある。大型血塊炉から漏れる汚染値は測るまでもなく危険域であった。

 

「あまり近づかれては……」

 

 制止をかけようとする整備士の声に、タチバナは質問を返す。

 

「内蔵血塊炉の年代測定は?」

 

 整備班は解析器を用いて内蔵血塊炉へとケーブルを繋がせる。全てにおいて急造品のスタッフの慌てようではキリビトの改修案が通っても難しそうだ、とタチバナは思案していた。

 

「結果出ました。この血塊炉が産出されたのは……百五十年以上前です」

 

 驚愕した整備士に対しタチバナはやはり、という感触を新たにした。この人機は災厄の導き手だ。

 

「百五十年前のブルブラッド噴火、テーブルダストポイントゼロ地点の汚染。それら全ての原因である可能性が出てきたな」

 

「まさか、この人機一体で? 今日の惑星全土を覆う汚染の大元だと?」

 

「決め付けてかかるのはあまり好きではないが、この人機が百五十年持つ血塊炉を有している事実と、ポイントゼロ地点で採掘を続けられたブルーガーデンの国家としての体裁上、これが汚染元であるという特定をしても何ら問題はあるまい」

 

「ですが、そうなるとこの人機を使うのは……」

 

「神を冒涜する行為、か。今さらのような気はするがな。とっくに人類の事など、神は見限っておるだろう。どれだけ原罪を重ねても同じ事だ。《キリビトプロト》の改修、請け負おう」

 

 その言葉が意外であったのか、渡良瀬は目に見えて動揺する。

 

「……素直ですね」

 

「老人がどれだけ繰り言をしたところで、今を動かすのはワシのような人間の発言ではあるまい。それに、下手な人間に弄らせればこのゾル国とて、汚染の爆心地にならんとも限らんぞ? それほどの危険性はあるのだからな」

 

 タチバナの言葉を聞き届けていた数名が震え上がった。ゾル国がブルーガーデンの二の舞になるのは防ぎたいのだろう。

 

「では、改修は慎重に行うべきですか」

 

「内蔵血塊炉と自己修復を始めておる部品だけ取り除け。あとは新規の建造プランを練る」

 

「他の部位を使わないというのですか?」

 

 こちらに声を振り向ける渡良瀬にタチバナは冷静に返した。

 

「どうせ、汚染で使い物にはなるまい。この人機を新たに戦力とするのならば、ブルーガーデンの寄せ集めの技術は捨て置け。ゾル国の最新鋭の人機建造技術の粋を用いる。伊達に《バーゴイル》を量産しているわけではないのだろう? 新技術を使ってこのキリビトを完全なる人機とする」

 

 タチバナの宣誓に誰もが呆気に取られていた。完全な人機の創造。それは神の領域だと誰もが暗黙に感じていたからだろう。

 

「し、しかし、タチバナ博士。新型人機の建造は国際条約で厳しく取り締まりが……」

 

「《スロウストウジャ》なる人機を祖国が建造し、今もワシの目に見えないところで新型を作って鎬を削っておる貴様らがよく言う。最早、条約の効力などゼロに等しい。どうせ、国防の建前を使えば、どれだけでも人機建造は可能だろう」

 

 その言葉には誰も言い返せない。トウジャの技術がゾル国の中でもオープンソースとなろうとしているのはもう分かり切っている。

 

 今は、体勢に逆らうよりも身を任せるべき時だ。タチバナ一人の反逆で世界は変えられないが、この世界を少しでもよくしようとするのならば、ここで行うべきは反抗ではなく、世界の流れを如何に読み取るか。

 

 人機技術でさえも日進月歩になってしまった今、自分一人が古臭い考えを振り翳したところでこのうねりは止められまい。

 

 戦うのならば、自分の戦場はここだ。人機開発という部門でしか、自分は戦えない。

 

「データを集めてくる。《キリビトプロト》のスペックを寄越せ」

 

 うろたえ気味に整備班長は《キリビトプロト》のデータが入った端末を手渡す。タチバナはそれを引っ手繰り、踵を返した。

 

「博士。まさか、また……」

 

「勘違いをするな。ワシとて現場で指揮をするようには出来ておらんわ。机上の理論こそが、ワシの戦える唯一の場所だ。これは持ち帰らせてもらう」

 

 渡良瀬が困惑のうちに覚えず言葉を滑らせる。

 

「……まさかそれと共に」

 

「心中するとでも思うか? ……長年、共に研究分野を拓いてきたつもりであったが、お主は何も分かっておらんかったようだな。ワシは無責任な事はせんよ。政治家でも、ましてや兵士でもない。ワシはただの研究者。責任を放り投げて自決するくらいならば、悪にでも染まろう」

 

 もうその道は分かたれた。

 

 格納庫を後にするタチバナの足を誰も止める事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思った以上に偏屈だな。タチバナ博士は」

 

 渡良瀬へと声をかけたレミィは汗を浮かばせている渡良瀬に冷笑を浴びせた。

 

「そこまで緊張するか?」

 

「……あの人はどこか見通しているように感じる。わたしの見立てが甘かったかもしれない。もっと博士は理想主義だと、そう思い込んでいた。いや、思いたかった、と言うべきか。よくよく考えればあの人は人殺しの道具に是非を毎回与えているんだ。心がそう簡単に折れるはずがない」

 

「これも、大量殺戮の道具と成り果てるか」

 

 分解された《キリビトプロト》へと視線を放ったレミィは内蔵血塊炉の巨大さに目を見開く。

 

 幸いにして血塊炉には傷一つない。だが他の部位は虫食いのような状態であり、コックピットに至っては新造を余儀なくされるだろう。

 

「自己修復を開始している部位を残せ、というのは……今一つ理解出来ない。外せ、ならば飲み込めたが」

 

 青い結晶が《キリビトプロト》の破損部位へとかさぶたのように覆っている。人機そのものが自己修復を始めるなど聞いた事もない。

 

「《キリビトプロト》はそれだけ特殊な人機、というべきか。これを再開発出来ればそれこそ国家が持ち直す。C連合とのこう着状態も解消されるだろう」

 

「その事なのだが……先ほど通信が入った。まだ一般兵や国民には流布されていないが……」

 

 手招く渡良瀬にレミィは端末を受け取った。暗号通信には一つの事実が記されている。「ゾル国上層部タカ派の抹殺を確認」と。

 

 レミィは表情に出さないようにしながら、端末を渡良瀬へと返した。今も解体作業が進められている《キリビトプロト》を眺めながら、平静を装って返す。

 

「……事実なのか」

 

「事実のようだ。前線基地に査察に入っていた上層部の急進派の面々が、戦火に巻き込まれて行方不明に。……モニターしていた人々は確実に抹消された、と」

 

「誰に、という話だな。《スロウストウジャ》が?」

 

「いや、前線基地に潜り込んで来たのはモリビトタイプだ。青いモリビトと大型のモリビトの二機。それと交戦中であった《モリビトタナトス》の流れ弾が管制塔に突き刺さり、この事態を引き起こしたのだとされている」

 

「流れ弾? まさか、《モリビトタナトス》の?」

 

 胡乱そうに返したのはタカ派の象徴であった《モリビトタナトス》の戦闘中に起こった、という皮肉があまりにも出来過ぎていたからだろう。渡良瀬は声を震わせ、首肯する。

 

「そう記録されている。現場はしっちゃかめっちゃかだ。《バーゴイル》小隊がほとんど壊滅。基地も手痛い打撃を食らった。この状態から持ち直すのは難しいと判断されている。《モリビトタナトス》は小破だがダメージを負って後退。敵のモリビトは未だ健在、と」

 

 なるほど。それも加味した《キリビトプロト》の一日でも早い改修、というわけか。《モリビトタナトス》とタカ派が失われたとなれば強気に出ていたゾル国そのものが歩みを止める事になる。国家の衰退はこの情勢では一気にC連合への併合という形に収束しかねない。

 

「タチバナ博士の軟禁を解いたのは何もこれ以上、あの老人の精神、肉体が限界という事態を考慮したわけではないというわけか。あの老人には動いてもらわなければならない。それがたとえ、汚れ仕事、泥を被る事であったとしても」

 

「世界の真実を知っている者同士、苦しいところだよ」

 

 元老院の望むように《キリビトプロト》を改修させるわけにはいかない。またエデンの好き勝手にさせて壊してしまったのでは元も子もないからだ。

 

「……既に手は」

 

「打ってある。何よりも、博士が直々に改修作業に当たるというんだ。わたしも口を挟みやすい」

 

「どれだけ世界が穢れていようとも、なすべき事は一つ、か」

 

「それだけ選択肢は狭まった、というべきだ。ブルーガーデンという国家が倒れた事は二つの国とブルブラッドキャリアという組織に否が応でも変革をもたらした。血塊炉の安定供給の手綱をC連合が握ってしまえば、そこまでの話に収まってしまう。ゾル国にも相手と一戦交えるだけの矛が欲しいと言うのが本音か」

 

「カイル・シーザーは? 《グラトニートウジャ》はどうなった?」

 

 渡良瀬は天井を仰ぎ、頭を振った。

 

「宇宙からの交信はまるでない。彼らの役目はブルブラッドキャリア本隊への再度襲撃だ。地上で国家が編成され、《モリビトタナトス》がゾル国の代表となっているなど、まるで関知出来ないだろうさ」

 

 宇宙の部隊には宇宙の情報しか与えられていない。ある意味では正解だ。ブルブラッドキャリアとやり合うのに、彼らに不安を募らせる真似はしても仕方ない。

 

「しかし、元老院は口を挟んでくるだろうな。どれだけ機密を整えても」

 

「それがわたしを含め、長く生き過ぎた人間のエゴだよ。あの義体から解き放たれてようやく分かった。生身の悦楽を。どうして百年前後の人間の生の躯体に意味があるのかを、な」

 

「一度死んで身に沁みたか?」

 

 レミィは記憶の中にある《プライドトウジャ》を思い返す。そういえばあの機体はどうなったのだろう。辺境基地防衛任務の際、ゾル国のカイル部隊が視認した時にはほとんど戦闘不能にまで追い込まれていたと聞くが、それ以降の音沙汰はない。

 

 もし、これから先イレギュラーとして立ちはだかってくるとするのならば、それはあの《プライドトウジャ》の、死を超越した桐哉なのかもしれない。

 

 だが、如何にハイアルファー【ライフ・エラーズ】の加護を得たとは言え人間である事に変わりはないはず。細切れにされれば死ぬであろうし、爆発に巻き込まれて灼熱に焼かれても同じだろう。

 

 人間をある種超えなければ、【ライフ・エラーズ】は応えてくれないはずだ。

 

「あのトウジャは行方不明……いや、そもそもあの戦場のデータが欠けている。二機のトウジャを確認したものの、両方を取り逃し、モリビトにも打ち負けたあの戦場の責任者が誰かと言えば、シーザー議員の息子となってくる」

 

「その息子は今、宇宙か。シーザー議員も冷たいものだ。血の繋がった我が子を宇宙に置き去りにして、地上での派閥争いに必死とは」

 

「議員はカイル・シーザーに関してはどうとも思っていないのだろうな。それこそ、自分の一声一つでどうとでもなる駒だとしか」

 

 実の子供の事でさえも冷徹に思考出来る人間が一国家の行く末を見定めるのに、冷静さを失わないわけがない。

 

 レミィは切り離されていく《キリビトプロト》の外装を視野に入れつつ、踵を返した。

 

「見物していかないのか」

 

「これから会わなければならない人間がいてね。あの戦場で、唯一《バーゴイル》で善戦したというのは勲章ものだが、彼らの戦いは記録されないものとして扱われている。あまりにもったいないとは思わないか?」

 

 渡良瀬も同じ人物を想起したのだろう。彼はフッと笑みを浮かべた。

 

「不死鳥の戦士か。捨て駒部隊だと割り切られているのにあのマーキングは目を引いた」

 

「その戦士、興味はないか?」

 

 レミィの問いかけに渡良瀬は頭を振る。

 

「生憎のところ、戦士のメンタリティには疎くてね」

 

 渡良瀬はタチバナの右腕として長年仕えてきた分、研究者としての目線が強いのだろう。レミィはタラップを駆け上がっていった。

 

「ともすれば面白いものが出来上がるかもしれない。それも、操主次第ではあるが」

 

 


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