ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯14 虹の空の向こう

 輸送船の中で同期された音楽にひずみが生まれる。ブルブラッド大気汚染のせいでラジオすらまともに聴けないのだ。広域通信チャンネルを使用し、絶対に方位を間違えない世界基準のシステムですら、高濃度の濃紺の霧に入れば一寸先は闇と化す。

 

 ノイズが混じってきたな、と少女はインカムを取りかけて上官の通信が割り込んだのに気づいた。

 

『強化兵サンプル番号34。通信チャンネルを一定に保て』

 

 それが自分の名前だ。強化兵サンプル番号34。本当の名前で呼ばれた事などここ数年、片手で数えるほどしかない。強化兵同士で呼び合う愛称が染み付いていた。

 

『瑞葉。教官殿のお叱りが飛んだな』

 

 嘲るのは自分と同じく、身体をうつ伏せの形で人機コックピットに収まっている同期であった。強化兵同士、傷の舐め合いのように愛称を返す。

 

「枯葉も大人しくしてないと、教官に怒られるよ」

 

『了解。でも、叱られるのは期待されている証だよ。こっちはもう今期の模擬戦でお前に負けっ放し。そろそろ切られるかもしれないな』

 

 強化兵同士の模擬戦の順位は絶対だ。ランクが下の強化兵は口を利く自由すら奪われる。ゆえに「切られる」という言葉は素直に生死に直結する。

 

「そんな事言わないで。まだ、うちの国家は大丈夫だってこの間も元首様が仰っていたじゃない」

 

 ブルーガーデンにおいて「元首」の名を持つ国家の首相の言葉は絶対である。元首の発言だけが貧富の分け隔てなく誰もが信じている唯一無二の象徴だ。

 

 人は心の中に神を住まわせられる。その枠の中に別の宗教の神を信じさせるのは勝手だが、ブルーガーデンの住民は元首の言葉だけは神と同列に扱う。

 

 元首が男なのか、女なのかも分からない。話の中では男でも女でもない、というものもあった。実際、元首がどのような人間なのかも知らず、名前すら一部の大人では知る由もない。

 

 兵士である自分達にはなおの事、元首の名前など畏れ多いだけだ。

 

『元首様、ねぇ……。確かにブルーガーデンは強力な国家だろうけれど、こうやってキャリアーに運ばれている状態の時だけは、国の強さなんて忘れちゃうよ。狙撃能力を持つ《ナナツー》が撃ってきたらどうするの?』

 

「対地砲火くらいはあるでしょう。それに、もしもの時はわたし達がいかないといけないんだから」

 

 そのための強化兵である。自分達はこの国の国民のための駒。国民のための奴隷。国民のために使い潰される予算の一つ。

 

 ――全ては青き花園を護り通すために。

 

 ブルーガーデンの兵士ならばその志を抱いて死ねれば本望であった。

 

『青い花、見た事ないんだよねぇ』

 

「わたしも。この世界のどこかに咲いているって言う青い花。いつか見れるといいね」

 

 強化施術の影響で灰色に染まった前髪が垂れてきて、瑞葉はヘルメットのバイザーを上げた。

 

 強化施術の影響が毛髪だけならばまだマシなほうだ。中には四肢の自由が利かないのに人機に乗せられて特攻爆弾の役割を課せられる強化兵もいる。特攻するにしても、純粋に痛覚の存在しない人間を使うのも手の一つ。

 

 それがブルーガーデン強化兵にとっての日常であり、他の事は考えられなかった。

 

 戦って勝ち取るしかない。全ての目的はそこに集約される。他の問題は後にしてもいい。戦って勝つのみの純粋な戦闘神経が存在すれば、それは兵士としての適格を意味する。

 

 瑞葉は自分の乗り込むロンド系の機体に意識を注いだ。スーツ越しに背筋のハードポイントと接続されたコネクターで人機と一体化する。それが強化兵の二桁ナンバーに与えられた機能であった。

 

 一桁にはこれが存在せず、マニュアルでの人機操作であったが、自分達は手足のように人機を操れる。それだけで、特攻するしか能のなかった一桁とは違う、という矜持があった。

 

 深く考える必要はない。足を動かすのに足を上げると意識しないでいいように、人機の操作もそれと同じであった。

 

 型式番号が脳内で出力され、《ブルーロンド》の名前を冠する人機の体表に備え付けられたカメラの映像を片目に投射させる。

 

《ブルーロンド》はロンド系列と呼ばれる人機のタイプの一つだ。カスタムモデルであり、細い人型の体躯とゴーグル型の頭部が特徴的である。

 

 装備はほとんどオミットされており、今は腰に備え付けられたプラズマソードと袖口に装着されたガトリングがメインである。限りなく純粋な人型兵器を目標に設計されただけはあってどこかごてごてした《ナナツー》や、人型であるものの飛翔を前提とした《バーゴイル》にはない、シンプルでありながらそれが最も戦場に適している、という戦地を実際に渡り歩いてきたからこそ言える理論が通っている。

 

 枯葉の《ブルーロンド》は後方支援用にアサルトライフルを装備していた。自分は斬り込み隊長だ。自分の指揮一つで部隊が全滅もあり得る。緊張するか、と言われればその通りであったが、緊張ですらも体内のホルモンバランスを調整し、人機のブルブラッド薬物逆流によって緩和出来る。

 

 素晴らしい環境に恵まれたものだと自分でも痛感する。

 

 人機に乗っていれば何一つ余計な事を考えなくともよい。人機で勝てれば賞賛される。人機に搭乗さえしていれば生活にも困らず病気知らず。

 

 これほど充実した国家があろうか。

 

《ブルーロンド》部隊への志願者は常にいっぱいなのだと聞く。それほどまでに国民が切望する身分にいるのだ。

 

 誇らしくないはずがない。

 

「枯葉、青い花、どこかに咲いているといいね」

 

『そりゃ言うだけならタダだけれどさ……。ブルーガーデンはネット環境が恵まれていないから写真も拝めないってのは』

 

『おい、御国家への侮辱発言は……』

 

 上官の声が漏れ聞こえ枯葉は慌てて謝った。

 

『す、すいません!』

 

「軽はずみな発言はやめときなっていつも言っているのに」

 

 ブルーガーデンという国家を侮辱する事は時に死罪に値する。もっとも、常に監視網があるわけではないが自分達は兵士という、国家を代表する存在。当然、聞き耳くらいは立てられていると考えるべきだろう。この身は模範のためにあるのだ。

 

『青い花が見たいだけなんだけれどなぁ』

 

「青い花、ね。綺麗だって、見た人はみんな言うよ」

 

『ちょっと《ブルーロンド》でカメラをチェックすれば見れると思うんだけれど……』

 

 それは難しいだろう。輸送機で運ばれている際、外部へのアクセスは厳しく制限される。

 

 自分達に分かるのは、今が夕刻である事くらいだ。惑星標準の時刻設定と現在地のマーキングが脳内に施されている。これによりどこで、どのような環境でも最適を選ぶ事が出来る。

 

 ――最適、なんと素晴らしき言葉か。

 

 自分達は常に最適と最善に保護されているのだ。これほどまでに恵まれているというのは少しばかりおごがましいほどではないだろうか。

 

 他者の権利を侵害していないかくらいは気になる。そのような瑣末な感情も次の瞬間にはブルブラッドの薬剤でクリアにされているのだが。

 

『前方に障害物を視認。……あれは、飛行物体ですね』

 

 前方警備についている輸送機の搭乗員の言葉に上官が声にする。

 

『後にしろ。この航路を真っ直ぐ行ければ最速だ』

 

『しかし……限界高度よりも高く飛んでいます。これは《ナナツー》の高度じゃありませんよ』

 

《ナナツー》タイプには厳しい飛翔制限がある。それは《ナナツー》に搭載されたブルブラッドが滑空に耐え切れないのと装甲の薄さに起因するものだ。

 

『では、《バーゴイル》だろう。《バーゴイル》の飛翔部隊くらいは適当にあしらえ。相手からのシグナルがなければ無視しろ』

 

『シグナル……依然としてありません。相手の機体を照合可能な位置につきました。これは……照合コードエラー。新型機です!』

 

 悲鳴のような声に通信網に緊張が走る。

 

『新型機? こんな高度にか?』

 

 ブルーガーデンの輸送機は高高度を飛行している。これを可能とするのは祖国の血塊炉が充実しているからなのであるが、こちらと同じ高度となると穏やかではない。

 

『何だと思う? 敵?』

 

「敵なら、叩けばいいでしょ」

 

《ブルーロンド》部隊には既に準備は出来ている。通信は同期されている上に出撃となればすぐさまチューブから注入された戦意高揚剤が作用するはずだ。

 

『目標! こちらに接近します! 撃ちますか?』

 

 搭乗員は随分と焦っている。ちょっとくらい高度の位置を間違えた敵くらい静観すればいいものを。

 

 落ち着きのない事だ、と瑞葉は呆れ返った。

 

『待て! 撃つなよ! 確かめる』

 

 上官が確かめれば間違いないだろう。敵にせよそこいらを飛ぶ飛行機にせよ、こちらの邪魔をすれば叩くのみだ。

 

 しかし直後に上官の声は凍りついた。

 

『あれは……話にあったモリビトか?』

 

 ――モリビト?

 

 聞かない人機の名に疑問符を浮かべていると不意に背筋から戦意高揚財が打ち込まれた。

 

 外部刺激に晒された身体に激痛が走る。しかし、すぐに痛みは快楽に変わり、二秒もすればそれは浮き足立ったかのような戦場の昂揚に変わっていった。

 

『敵? ならば斬らせて!』

 

 枯葉も同じ様子だ。瑞葉は自分から進言するのは下策だとして上官の声を待ったが、やはり気持ちでは抑えられない。

 

 ――このまま飛び出して相手を八つ裂きにしたい。

 

 たとえ《ナナツー》でも《バーゴイル》でもいい。戦えるのならばそれに越した事はない。一撃でやられれば面白くはないが。

 

『何発で仕留める?』

 

「また賭け? わたしはその手には乗らないよ」

 

『瑞葉ってば、戦意高揚剤打たれてる? 本当に冷静なんだから』

 

 とんでもない。自分も本当ならばそういう話はしたいのだが、なにぶん隊を預かっている。軽薄な発言は慎むべきだ。

 

 しかし次の上官の言葉が燻った猛獣達を解き放つ鍵となった。

 

『《ブルーロンド》隊、出るぞ! 敵は一体! 確実に刈り取れ!』

 

 了解の復誦が響く中、瑞葉は眼前のシャッターが静かに開いていくのにやきもきした。

 

 ――速くいかせてくれ。戦いたくってしょうがない。

 

《ブルーロンド》が一機、また一機と黄昏の空に降下する。

 

 背部バックパックを広げ、高高度から飛び降りた《ブルーロンド》が次々に翼を帯びる。最後に瑞葉の《ブルーロンド》に合図が入った。

 

『サンプル番号34、出ろ!』

 

「了解。サンプル34、出撃」

 

 胃の腑が押し上げられる感覚と共に《ブルーロンド》が射出される。すぐに背部スラスターを起動させ、《ブルーロンド》五機が斜陽の空に飛行機雲を棚引かせる。

 

『どこ? どこにいるの?』

 

 枯葉の声にわけもない、と得心する。戦いとなれば全員が獲物を取り逃がさないために全力を出し切るのだ。それがブルーガーデンの兵士の掟なのだったが、それすらも微笑ましい。

 

「全機、浮き足立つな。ゆっくり旋回しつつ、敵を骨の髄まで搾り取ろうじゃないか」

 

 その準備は出来ている。ゆっくりとレーザーの中に敵を探そうとする。

その時、不意に一機が爆発の光に晒された。

 

 何が起こったのか分からぬまま、もう一機が目線を振り向けた瞬間、下部から急上昇してきた機体が完全に的になっていた《ブルーロンド》を両断する。

 

 瑞葉には何一つ分からない。ただ明確なのは、今の数秒の間に仲間が二人死んだ。

 

 レーザー網を脳内に呼び出すも、ブルブラッド大気濃度が七割を超えているため、至近距離での視認は逆に命取りとなる。

 

「残り三機、マニュアルに切り替えろ! 相手は近いぞ!」

 

 狩る側が一転して狩られる側になった。その恐慌が脳内を満たしていくが、薬剤が正常に作用し、緊張を緩和する。

 

 まだだ。まだやれると判じた視界の中で三機目を落としたのは見た事もない銀翼の人機であった。

 

 銀と青に彩られた機体を閃かせ、その機体が片手に握った大剣が《ブルーロンド》の腹腔に突き刺さる。そのまま捨て去るように払われた一閃で三機目が撃墜された。

 

「撃墜……? どういう事、撃墜なんて……。だってわたし達は新型の強化兵で、《ブルーロンド》隊で、青い花園を護る誇りある兵士で……」

 

 通信網の中に割り込んできたのは断末魔を上げる仲間の声音だった。嫌だ、だとか、死にたくないだとかを叫んで仲間の機体が中空で爆ぜる。

 

 嘘だ、と瑞葉は呆然とした。《ブルーロンド》を落とせる機体なんて存在するはずがない。

 

 装甲強度は《バーゴイル》の平均値を上回っているし、《ナナツー》よりも相手の策敵速度も勝っている。

 

 どの点を取っても《ブルーロンド》が遅れを取るわけがないのに――。

 

『……瑞葉! 瑞葉! 速く命令を! 敵が来る!』

 

 敵。同列に値する敵など、この世にいないものだと思っていた。《ブルーロンド》の性能に勝る人機など製造出来るはずがない。

 

「これは、何かの間違いで……」

 

『来るよ!』

 

 枯葉の《ブルーロンド》が視界の端でアサルトライフルを放った。銃撃の先には青と銀の人機が激しい急下降と上昇を繰り返している。あんな機動速度、あり得ないのに。

 

「嘘、操主が持たないはずなのに」

 

『瑞葉! 来てる! 撃っていいの?』

 

 もう撃っている枯葉の声には混乱が混じっている。そんな時こそ血塊炉からもたらされる薬で落ち着くべきだ、と言おうとして枯葉の《ブルーロンド》へと駆け抜けるように未確認人機が接近した。

 

 その速度は予想以上の値を弾き出す。脳内に呼び出された速度シミュレーターが概算値オーバーでエラーを引き起こした。

 

『瑞葉! もうやるしかない! 二人しか残っていない!』

 

 そうだ。援護の《ブルーロンド》はどうなった? まだ、輸送機はあったはずだ。振り仰いだ瑞葉は戦場を飛び去っていく自分達の母国の輸送機に愕然とした。

 

 ――どうして? だって回収しないと《ブルーロンド》が全滅してしまう。

 

 そのような考えなど他所に輸送機の背中は遠ざかっていく。瑞葉の《ブルーロンド》の機体を煽るように接近警報が鳴り響いた。咄嗟に起動させたプラズマソードが相手の武装と打ち合い、激しい干渉波を弾かせた。

 

 プラズマソードは血塊炉に直に繋がっている特殊な合金で精製されている。ブルーガーデンがその技術を独占する特別製。曰く、この世に斬れぬものはないほどに。

 

 だが、その万物無双の剣が相手の剣とほぼ同威力、――否相手の押し出した剣の圧力がこちらを僅かに勝っていた。

 

「誰なんだ、お前!」

 

 うろたえた瑞葉の言葉を受け止めるのは緑色のデュアルアイセンサーを輝かせた敵の人機であった。

 

 キャノピー型のコックピットではない。《バーゴイル》のような頭部形状でもない。かといってロンド系列のように画一化された姿でもない。

 

 まさしく不明人機。そうとしか言いようのない相手に恐怖の感情が湧いてくる。

 

 脳内ホルモンのバランスが崩れたせいか、戦意高揚財が再び打ち込まれた。

 

「このォッ!」

 

 プラズマソードで打ち合ったまま推進剤を全開にする。しかし、その一打は相手が軽く手を捻っただけで返されてしまった。

 

「押し負けた?」

 

《ブルーロンド》が押し負けるほどのパワーの持ち主と言えば陸専用の《ナナツー》くらいだ。《バーゴイル》はそれほど膂力に優れていない。

 

 ロンド系列で対峙しても、瑞葉の《ブルーロンド》は最大値にパワーを設定してある。他の機体の追従を許さないはずの愛機がここに来て劣勢に追い込まれる。

 

 呆然とする瑞葉の《ブルーロンド》へと不明人機が剣を薙ぎ払おうとした。

 

『瑞葉!』

 

 アサルトライフルの火線が閃き、瑞葉はハッとする。枯葉が援護射撃を必死に行い瑞葉から敵人機を引き剥がそうとしていた。

 

 不明人機が翼手目によく似た銀翼を拡張させ、その推進剤の力を得て枯葉の《ブルーロンド》へと火線を掻い潜っていく。

 

「枯葉!」

 

 袖口のガトリング砲を一射した。回転したガトリングの砲身が薬きょうを撒き散らすも、それらの弾丸は敵の人機に命中する事もなく、遥か下方の海中に没する。

 

 敵人機は海上すれすれを飛翔しつつこちらの手の内を読んでいるようであった。馬鹿にして、と枯葉の《ブルーロンド》がアサルトライフルを手にその背中に追いすがる。

 

 瞬いた銃撃に敵の人機は銀翼を翻しつつ急に減速した。

 

 その動きに枯葉の《ブルーロンド》がついていけず、咄嗟の防御を行ったもののアサルトライフルが断ち割られる。

 

 ――いけない、と瑞葉は感じていた。

 

 残ったのは自分と枯葉だけなのだ。

 

 何としても生き延びなければ。生還して、この人機の情報を祖国に持ち帰らなければ。

 

 そこまで考えて脳内を掠めるのは、――自分達を見捨てた祖国に? という疑問。

 

「ち、違う……。わたし達は、見捨てられてなんか……」

 

 激しい頭痛に苛まれる。考えと直感が矛盾した時、脳内がシェイクされるような感覚を味わう事になる。

 

 人機から抗生薬剤が投与されるのを待つしかなかったが、その瞬間にも相手は急上昇し、瑞葉の《ブルーロンド》へと肉迫した。

 

 咄嗟のプラズマソードによる受けも相手は予見し、フェイント混じりの剣戟が間断なく瑞葉の《ブルーロンド》を襲う。

 

「こんな……こんな事で……」

 

 打ち据えられる一撃はどれも必殺級だ。殺す気で打ち込んできている。《ブルーロンド》と鍔迫り合いを繰り広げた結果、こちらの防御網を僅かに上回ったのは相手の剣であった。

 

 その切っ先がプラズマソードを保持していないほうの腕を切り落とす。肘から先を奪われた左腕から火花が散った。

 

 それと同時に突き抜けるのは激痛だ。強化兵は人機と感覚器を同調させているため、ダメージフィードバックに苦しむ事になる。

 

 しかし痛みはすぐに消せる。問題なのは左腕を取られた、という感覚。

 

 もう勝てないのではないか、と戦意が萎えかける。

 

「わたし達は……戦って、戦い抜いて……青い花園を見たいだけで……」

 

 涙が頬を伝い落ちる。眼前の敵人機が剣を突きつけた。このまま刺突するつもりであろう。

 

 腹腔を破られ血塊炉を突き刺されれば《ブルーロンド》とてお終いだ。突進してくる相手に瑞葉は死を覚悟した。

 

 その時、通信網を震わせたのは盟友の声であった。

 

『瑞葉!』

 

 潜り込んできた枯葉の《ブルーロンド》の頭部コックピットへと、相手の剣が入る。

 

 青い血を撒き散らし枯葉の《ブルーロンド》が爆発の光を散らせた。糸の切れた人形のように枯葉の《ブルーロンド》がだらんと手を下げる。

 

 瑞葉は目の前で親友が散った事に目を戦慄かせた。

 

「枯葉……何で……」

 

 枯葉の《ブルーロンド》の指先が痙攣し、相手の剣をくわえ込む。逃がさないつもりだ、と感じた瞬間、枯葉の笑顔が網膜に焼き付いた。

 

 これはいつの記憶だろう? お互いに人機による対面以外で顔を合わせなくなってもう三年は経とうとしている。久しい少女の容貌に瑞葉が手を差し出した途端、枯葉の《ブルーロンド》から警戒信号が送られてきた。

 

 瑞葉の《ブルーロンド》は自動的にその信号通りに稼動する。

 

 後退推進剤を焚き、瞬時に飛び退いた瑞葉が目にしたのは、枯葉の《ブルーロンド》が内側から自爆した瞬間であった。

 

 爆発の光とブルブラッドの燐光が辺りを埋め尽くす。自爆を使ったのだ。枯葉は、最後の力を振り絞った。

 

「枯葉……嘘……」

 

 涙が止め処なく伝い落ちる。それを精神の磨耗と判断した人機側から新たに致死量間近の薬剤が投与される。

 

 もう動けないほどに虚脱しているのに、戦意だけは異様に湧いてくる。

 

 枯葉が、親友が死んだ事に涙したいのに。ただ、悲しんでいたいのに、《ブルーロンド》はそれすら許してはくれない。

 

 慟哭の代わりに漏れたのは笑みであった。

 

 昂った神経が快楽へと姿を変えた喪失感を埋めるべく、レーザーの中にまだ存在する相手を睨んだ。

 

「枯葉、枯葉ぁ……」

 

 弱々しい声とは正反対に愛機が推進剤を棚引かせて敵人機へと猪突する。

 

 今までの勢いの比ではない。プラズマソードを振り翳した《ブルーロンド》が自爆で僅かに隙の生じた相手を圧倒しようとする。

 

 敵人機は枯葉の自爆でダメージを負ったかに思われたが、左腕の盾でほとんどを防いだらしい。

 

「どこまでも、コケにしてェッ!」

 

 操縦桿を思い切り引き、残った右腕に全神経を繋ぎ止めさせる。振りかぶったプラズマソードの一閃を相手が受け止めるが、干渉波の火花が先ほどまでよりも強く波打つ。

 

 次いで、下段より一撃。

 

 相手の剣術を崩し、その防御を叩き潰した。

 

「もらった!」

 

 涙が溢れるのに愉悦が全身を支配する。プラズマソードの切っ先が敵の人機を貫いたかに思われた瞬間であった。

 

『……よもや、使う事になるなんて』

 

 敵の人機の体表をオレンジ色の磁場が弾く。プラズマソードの切っ先が偏向し、その刃が明後日の方向を切り裂いた。

 

 ――何が起こった?

 

 瑞葉がその認識を改める前に、敵の人機の機体表面に黄昏色のエネルギーが纏いつかされていく。

 

 皮膜ではない。そのような生易しいものでは決してなく、巨大な力場が渦巻き、敵の人機が剣の切っ先を持ち上げた。

 

 切っ先を中心軸としてエネルギーが逆巻き、敵の人機が一気に距離を離す。

 

 しかしそれは逃亡のためではない。直感的に理解出来たのは、それをもろに受けてはならないという事。

 

《ブルーロンド》に伝わった危険信号が推進剤を焚かせ、上昇機動に移ろうとする。

 

 不明人機が剣を突き上げた。銀翼が広がり、機体そのものが巨大な質量兵器と化す。

 

 直後、恐るべき速度で敵人機が猪突してきた。

 

 通信網を震わせた声を瑞葉は聞き逃さない。

 

『唸れ、銀翼の――アンシーリーコート!』

 

 剣の切っ先を基点とした攻撃の波紋が《ブルーロンド》へと襲いかかる。あまりの急加速に《ブルーロンド》は回避さえも儘ならない。

 

 直撃する、と予感した瑞葉は習い性か、あるいは極限に晒された神経の奇跡か、プラズマソードを投擲していた。

 

 相手の物理エネルギー膜に触れた途端、プラズマソードが塵芥に還る。

 

 全身の推進剤を規定値以上に設定し、瑞葉は逃れるべくそれだけを目的にして後退した。

 

 しかし、銀翼の怪物の牙が追いすがる。剣圧が触れただけで《ブルーロンド》の末端四肢が震え、全身を叩き潰されたかのような衝撃波を味わう事になった。

 

 それでも、背中を向けて逃げ続ける。

 

 どれほどの距離を稼いだのかも分からない。

 

 気がつくと相手の人機の射程から逃れていた。《ブルーロンド》の四肢はもがれ、僅かに残るのは両腕の肘から上だけだ。

 

 足先は衝撃波で真っ先に犠牲になった。背面のアタッチメントスラスターの燃料も残り僅かである。

 

 ここで死ぬのか、と瑞葉は暮れかけた空を反射する波間に感じ取った。

 

 海上を最後の足掻きで疾走する《ブルーロンド》の姿が鏡のように映っている。

 

 青い花園ではない。求めた理想郷を見る事もなく、こんなところで朽ちていくのか。

 

 ――枯葉が死んだのに。

 

 その思考が胸を満たした途端、瑞葉の内奥から今まで感じ取った事のない感情が湧き上がった。

 

「違う……ここで死ぬのは、違う」

 

 これまでならば間違った感情に抑圧薬が投与されるはずであったが、この胸に灯した感情だけは消せなかった。

 

 ――生きなければ。

 

 瑞葉はゆっくりと推進剤のスラスター出力を絞り、近くの不時着場所を探し当てようとしていた。

 

 自分でもどうしてこのような行動に出ているのかは分からない。

 

 ただ漫然と、ここで死んで堪るか、と何かが反抗してくる。

 

 その反抗の意志に従い、瑞葉は機体を安全着陸させる方法を編み出そうとした。

 

 幾つもの制御不能シグナルが邪魔をするが、瑞葉は海上ならば離れ小島くらいはあるはずだ、とマップを脳内に呼び起こす。

 

 思った通り、近くに人機一体分は駐留出来る離れ小島を見つけ出した。

 

 僥倖だ、と《ブルーロンド》が緩やかに高度を下げていく。足先は崩れており、多少の衝撃はやむ終えない。

 

 頭部に位置するコックピットへの保護を最優先に設定し、瑞葉は足先を海面につけた。

 

 途端、襲ってきたのは激しい揺さぶりである。機体が上下し、横揺れでクラッシュ寸前まで追い込まれる。

 

 アラートが鳴り響き、機体損傷限界を訴えかけたが、瑞葉は歯を食いしばってその警告を全て無視させた。

 

 膝まで破損したところでスカートバーニアから逆噴射を試みさせる。設定通りに稼動した逆噴射で制動がかけられ、半円型の離れ小島の地形へと《ブルーロンド》が突っ込んだ。

 

 暗転と機体の損傷警告が喧しく響く中、瑞葉はただただ待った。待ち望んだ。

 

 止まれ、と念じたほどだ。

 

 運が悪ければ離れ小島を抜けて海面に没する。運がよければ――。

 

 操縦桿を握り締めた瑞葉はただただ必死に願った。この動乱の過ぎ去るのを。

 

 ぴしり、とコックピットに亀裂が走る。頭部がおしゃかになればもうそこまでだ。

 

 潮時か、と面を伏せた瑞葉は不意に静寂が降り立ったのを感じ取った。

 

 コックピットへの衝撃が突然に失せたのである。

 

 機体は依然としてアラートを出しているものの、それは破砕した四肢ダメージの深刻さを訴えかけるもので、完全に機動不能なわけではない。

 

 瑞葉はゆっくりと、自分の固定されているリニアシートのロックを外した。次いで、感覚器同調を切断する。

 

 この時のダメージフィードバックでショック死してもおかしくはないのだが、幸運であったのは同調感覚器が壊れていた事だ。人機から解放された瑞葉がコックピットの中で背筋に埋め込まれたケーブルを取り外す。

 

 それでようやく《ブルーロンド》との連携認証が消えた。

 

 目の前の光景が全方位型モニターのそれとなり、自分の中に還ってこられたのだとやっとの事で思い知る。

 

 瑞葉はコックピットの緊急射出ボタンを押し込み、頭部の天蓋を外した。空気圧縮で頭部が射出され、瑞葉が仰いだのは濃紺の霧を突き抜けた無風地帯であった。

 

 天へと繋がる回廊のように空に孔が開いている。見た事もない景色であった。母国はずっと濃霧に包まれているのが常であったため、惑星内にこのような場所が存在するなど知る由もない。

 

 おぼつかない足取りでコックピットを出た瑞葉がヘルメットを脱ぎ捨てる。灰色の長髪が垂れ下がり、瑞葉は奇跡のような光景を目の当たりにしたまま口を閉ざしていた。

 

 この光景を、見せたかった仲間がいる。見たいと願っていた同朋がいる。

 

 だというのに、自分はただ一人生き延びた。賢しく、狡猾に。

 

 振り返るとほとんど大破同然の《ブルーロンド》が横たわっていた。急制動がかかったのはブルブラッド大気汚染で異常発達した樹木のお陰であったようだ。

 

 異様に幹が長い樹木は血塊炉の潤滑油と同じ成分が通っており、しなやかで折れにくい。

 

 偶然見つけた離れ小島の、偶然発生した自然に助けられたのか。

 

 瑞葉は幹を撫でつつ、自身の敗退を悔いた。

 

 今は、人機から流入してくる薬剤もない。

 

 そのせいか、咽び泣くのを邪魔してくる者はいなかった。

 

 死への恐怖、相手の力量への震撼、それらの感情がない混ぜになり、瑞葉は言葉にならない慟哭を上げた。

 

 強化兵に選ばれてから、感情を発露する機会など一度もなかった。だからか、赤子のように泣き叫び、獣のように吼えた。

 

 やがてひとしきり感情の爆発が終わった後に身体に残されていたのはがらんどうの道徳観念であった。

 

 祖国は自分達を見捨てた。自分達は祖国に尽くしたのに。

 

 元首などまやかしだ。幸福で恵まれた暮らしなど、幻であった。

 

 それらは一雨のうちに消え去る虹よりも儚く、自分の中で刻み込まれていた信仰心は音を立てて崩れていった。

 

 代わりに胸の中に抱いたのは黒々とした感情である。

 

 枯葉が死んだ、仲間が命を散らせた。だというのに、その責を負うべき国家は負うつもりがない。それどころか、何もかもをなかった事にするだろう。

 

 それだけは許せない。

 

「枯葉、わたしは、もう一度だけでいい。力が欲しい。そしてわたし達を捨てた国家と、わたし達を絶望の淵に叩き落したあの機体に……復讐を」

 

 固く握った拳から力が溢れてくる。まだ、この身は朽ちていないのだ。

 

 まだ、やれる事はある。そう信じて、瑞葉は星空に敵の名前を叫んだ。

 

 ――その名はモリビト。

 

 いつかこの屈辱を晴らすべき相手を見据えた瑞葉の眼差しは、もう迷いなど感じさせなかった。

 

 


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