「桃・リップバーン……、その能力は」
息を詰めさせた鉄菜に対して桃の通信越しの声は言葉少なだった。
『……クロ、撤退するわ』
「撤退? 《モリビトタナトス》を排除出来た。この基地は徹底的に潰すべきだ」
『……もう、その必要、ある?』
そう言われてしまえば立つ瀬もなかった。《モリビトタナトス》の友軍への攻撃。それは癒えない爪痕となって刻まれていた。恐らくここの管理を統括していた管制塔が焼け落ち、困惑したゾル国兵達はモリビト二機が立ち竦んでいるのに攻撃してくる事もない。
誰も、この状況を把握出来ないのだ。
《モリビトタナトス》、反逆の象徴が軍の上層部を塵一つ残さず抹消した。
《バーゴイル》を操る者達には決して理解出来ぬ何かが起こったのは間違いない。それは鉄菜も同じであった。
戦っていた《モリビトタナトス》の動きが鈍ったかと思った直後のフレンドリーファイア。それが偶発的なもののはずがない。何よりも、あの機体に乗っている操主はそのようなミスを犯すとは思えなかった。
「意図的……まさか、望んで友軍を撃ったと? あのモリビトの操主、何を考えて……」
『クロ、一旦離脱よ。この基地はもう、制御を失っている。モモ達の戦いは一度、様子見をすべきなのは明らか』
その声が震えている。鉄菜は問い質さなければならない事のあまりの膨大さに、言葉を失っていた。
《ノエルカルテット》の謎の機構。加えて、今回、《ノエルカルテット》はやり過ぎた。
能力を晒したのもそうだが、あまりに過剰な暴力に打ちのめされた基地はそこらかしこで炎が燻っており、灼熱に焼かれて炭化した兵士達が転がっていた。
ヒトが、こうも無残に、ヒトを殺す。
分かっていた事ではある。覚悟もしていた。だが、こうも一方的な能力を、誰かの掌の上で躍らされているとなれば胸中は穏やかではない。
何よりも、組織ではなく、全く別の誰かに自分達は操作されている。
それは疑いようのない事実であった。
「……了解した。《シルヴァリンク》、戦線を離脱。《ノエルカルテット》は」
『合体して高空へと離脱する。……今のこの基地の《バーゴイル》に、追ってくる気概のある人間なんていないでしょ』
どこか自嘲気味に放たれた言葉に鉄菜は沈黙を是とする。
惨状を目にしても眉一つ動かさなかった自分も、今回の戦場にはどうにも腑に落ちなかった。
《モリビトタナトス》に勝ったでも負けたでもない事も拍車をかけていたのかもしれない。自分の信念を貫き、相手を打ち倒せていたのならばまた違っていただろう。
結果として《モリビトタナトス》は逃げおおせ、自分達は勝ったのに敗北の気分を味わったまま、戦地を後にする。
それは酷く卑怯なものに思われた。
『鉄菜……今は撤退するのが正解マジ。ここにいたって、何もならないマジよ』
「そうだな。私達は、結局何のために降りて、何のために戦っているのだろうな」
『報復作戦のためマジ。ブルブラッドキャリアの理想のために……』
「その理想が、誰かの都合で勝手に歪められ、誰かに都合のいいように解釈されたものであってもか? こんなもの、私の望んでいた……」
戦場ではない、と言いかけて鉄菜はハッとする。
結局、殺し合いの世界ではないか。相手が間違っているから刃を突きつける。相手を容認出来ないから戦うしかない。
許せる戦場と許せない戦場があるなど甘えだ。第一、大義名分を掲げれば殺せて、なければ殺せないなど、それこそ詭弁の最たるものではないか。
自分の中で線を引いて、許せればまばたきする間に殺せるくせに、許せなければいつまでも迷い、戸惑う。
身勝手にもほどがあった。戦うと決めた身であるはずなのに。この身体はブルブラッドキャリアの崇高なる目的のためにあると、決意して《シルヴァリンク》に乗っているというのに。
どこまでも傲慢だ。誰かに一言、イエスと言ってもらえれば躊躇いのない殺意を振り翳せる。しかし、誰もイエスという人間がいなければ、引き金さえも引けないなど。
「……引き金を引く覚悟さえも、私はないのか。彩芽・サギサカのように、後悔してでも前に進むような決意が、私にはないのか!」
叫んだところで誰も答えは出せない。今まで彩芽や組織に投げていた事が返ってきているだけの話だ。
考えずに戦ってきた。考えないように、見ないようにしてきたのに、《モリビトタナトス》との戦いが、自分の歪みを直視させた。
許されなくとも戦うという確固たる決意もなく、傷つきながらも前に進むほどの勇気もなく、ただ力だけを持て余した小さい自分が、この鋼鉄の巨人の中に収まっているだけ。
どうして、と声が漏れた。命令してくれれば誰だって撃とう。命令されれば、作戦ならばどんな人間でも殺せる。子供でも、若者でも、老人でも、男でも、女でも――。
だが自分で考えろと言われれば、何も出来やしない。自分で考え、自分の意思で照準をする事さえも叶わないのだ。それで世界を変える、戦場を渡り歩くというのだから笑い話にも出来ない。
「……私は、こんなにも無力なのか」
『鉄菜……気にする事もないマジ。モリビト三機でのオペレーションを主軸に置いた作戦だって言うのに、二機でも善戦マジよ』
「だが私は! 奴を止められなかった! 戦っていたのに、私の剣では……!」
届かなかった。それが何よりも悔やまれる。誰の目論見であれ、それを食い止められるのは世界でただ一つ、モリビトだけなのに。
『鉄菜……』
燻る炎を見やり、鉄菜は操縦桿を握り締める。
「……基地からの撤退を開始する」
それでも割り切らなくてはならないのだ。ここでの敗北をずるずると引きずっているのでは、いつまで経っても勝利は出来ない。
何よりも、桃とて辛いはずだ。自分だけ可哀想がる事なんて出来やしないのだ。
鉄菜は虹の皮膜に包まれた空を仰ぐ。宇宙では戦闘が開始されているのだろうか。彩芽は、ブルブラッドキャリア本隊は無事だろうか。
地上での無様な敗退が全体の指揮に関わらないとも言えない。
《モリビトタナトス》の報告に関しても届いているかどうかはまだ分からない。せめて前線で戦う自分達は弱さを見せない事だ。脆く崩れれば、全てが潰える。
モリビトを操る自分は、何よりも鋼鉄の存在でなくてはならない。
それが分かっていても、弱さが滲み出てしまうのは、やはり未熟者だからか。
拳を固めた鉄菜は振り翳しかけて、彷徨わせた。