《モリビトタナトス》の報をもたらした相手に、桐哉は視線を向ける。道場でただひたすらに剣を振るっていた自分にそのニュースペーパーを投げた相手は確かアイザワという名前であったか。
「どう思うよ? 元モリビトとしては」
拾い上げたその号外には「ゾル国の新たなる守り手」とも「真のモリビト」とも書かれている。
この男はこれを自分に見せて何をしたいのだろう、と桐哉は号外を突っぱねた。
「今忙しい。後にしてくれ」
「気になるんじゃないのか? モリビトだろ、お前」
「……その名はもう捨てた。機動兵器の名前だ」
「でもよ、割り切っていないんだって、傍から見りゃ丸分かりだよ。……少佐は、お前のそういうところも見込んで零式の後継者なんてしたのかもしれないけれどよ、おれは違うぜ」
何が違うというのだろう。以前までのように自分の居場所を奪おうというのか。桐哉の視線が知らず鋭くなっていたせいだろう。アイザワはうろたえた。
「ご、誤解すんな! 別に今さらその居場所を追おうだとか、そんな陰険じゃないっての。たださ、感想を聞きたいだけだよ」
「感想?」
アイザワは赤毛を掻きながら、参ったなとぼやく。
「おれってば、一応は話の材料くらいは考えてきたのに、どうにもお前、苦手だ」
苦手意識を持たれるのは慣れている。気を向ける必要もない、と桐哉は再び素振りに戻ろうとする。
「待てって! 話聞けよ……」
「聞いて、どうするんだ」
剣を振るいつつ、桐哉は問いを重ねる。自分のような英雄の座から追われた人間に、今さらモリビトの是非を問うなど。
「《モリビトタナトス》だとか言う、この機動兵器、いや人機か。お前はさ、どう思ってんのかな、って」
「どうも」
「んなわけないだろ! だって、こいつはお前の祖国の機体で、なおかつ英雄だなんて持て囃されているんだぞ! 何にも感じないわけ――」
「俺が、その存在に痛みを覚えているとでも言えば、では納得するのか」
聞き返すとアイザワは憔悴したようであった。
「……そんなつもりは、ないけれど」
「職務に戻るといい。ここに長居するとリックベイ少佐はいい顔をしないはずだ」
「……お前にとっては、少佐は少佐じゃないだろ」
「かもしれない。正規軍人ではなく捕虜の扱いには違いないからな。だがこの道場にいる以上は、あの人の教えを乞う。そうと決めた」
「そんな事は知って……いや、もういい」
あまりに会話が平行線のせいだろう。アイザワは意気消沈して号外に視線を落とした。自分が猛り狂って掴みかかりでもすれば満足だったのだろうか。あるいは嘆き苦しみでもすれば少しは人間らしいのだろうか。
だが、今の自分にはどちらも不要だ。
――戦って勝つ。いずれモリビトへと積年の恨みをぶつけるのには、この身はまだ弱々しい。もっと強くならなければ。
「……聞いたか。ブルーガーデンの強化兵を、少佐は今、匿っている」
だから、その言葉に一瞬、集中を掻き乱された。正確さを欠いた刃が中空で止まる。
「……今、何て」
「少佐は! 今ブルーガーデンの、あの独裁国家の強化兵を率先して匿っているんだよ。危険性は分かっているはずなのにな」
「何でそんな事を……ブルーガーデンの強化兵は処分しろという不文律が――」
「あの人には関係ないんだろうさ。大体、それ言い出せばお前だってそうだろ。祖国を追われた英雄なんて、こぞってこんな場所で鍛錬するなんてよ」
言われてしまえばそこまでの理論である。自分が許されて他者は許せないなど、何と狭い認識か。
「だがブルーガーデン国家の強化兵になど手塩をかけたところで、あの国は薬物を用いた強化実験を行っていると……」
「その辺も込みで、だろ。……おれにはまだおっかなくって一人きりで会えるなんていう少佐の肝の据わり方がとんでもないって思えるよ。薬物の効果一つでどれだけでも人を殺せる殺戮マシーンになる人間なんて、出来れば望んで会いたくもない」
「リックベイ少佐は、どうしてそのような危険な真似を」
その言葉にアイザワが眉根を寄せて桐哉を指し示す。うろたえ気味に桐哉は口を開いた。
「……何だ?」
「それ、お前が言う、って話だよ。《プライドトウジャ》なんていうとんでもない機体に乗ってきて、なおかつハイアルファーで死なないんだぜ? お前だって強化兵の事は言えないだろ。同じ穴の狢とまでは言わないけれどよ。自分の立場棚に上げるのはどうかと思うぜ。少佐は、お前も、ブルーガーデンの回し者も同じように扱っている。それを何の特別性もなく、当たり前だと思えているんだとすれば、相当に愚鈍だ」
アイザワの論調に言い返せない。自分はリックベイに拾われ、零式抜刀術を教わっている身。リックベイの一存でどうとでもなる。敵国に囲われ、その上で自分の行く末を掴まれているのであればそのブルーガーデン兵と同じだ。
「……会うのは、駄目だろうか」
だからか、不意に浮かんだ疑問にアイザワが眉根を寄せる。
「会うって、誰と誰が?」
「俺と、その、強化兵が」
アイザワはその提言に声を上ずらせた。道場に響き渡った声音に彼自身困惑する。
「おまっ……そんな事、少佐がお許しになるわけがないだろ! それに性質の悪い冗談だぜ。堕ちた英雄と、独裁国家の切り離された兵士なんざ!」
その言葉を発した直後、アイザワはハッとして口を噤む。堕ちた英雄、というのはタブーである事を理解したのだろう。だが、それもまた事実だ。否定するものではない。
「……俺の事はどう言ってもらっても構わない。ただ……同じ恩人に拾われた人間同士だ。何か、通じ合うものがあるかもしれない……ないかもしれないが」
言葉尻には自信がなかった。ブルーガーデンの兵士は皆、薬物によって強制的に忠誠心を仕立て上げられていると聞いている。その兵士が、C連合の捕虜にされて黙っているだろうか。
それこそ謀反の恐れもある。アイザワは咳払いをして言葉を継ぐ。
「そんなの、少佐にだって分からないだろうよ。……大体、敵国の兵士を二人も囲っている事そのものが、やばいんだってあの人だって気づいているはずなんだ。だって言うのに、他人には迷惑をかけない、の一点張りで……」
リックベイも上下からの圧力に晒されているのかもしれない。ならばこそ、力になりたいと思うのは当然であった。
「俺程度でいいのならば、何かしたい」
「……お前、ここで剣を振るっていろって言われたんだろ」
「ああ、俺にはまだ、掴めていないと……。零式の真髄が」
「だったらよ。それだけ考えておけよ。余計な事は、考えずに、な」
「だが、そのモリビトの一件とブルーガーデン兵の事、教えたのはお前だ」
アイザワが後頭部を掻いて舌打ちする。
「……嫌がらせのつもりだったんだよ。悪かったな。そこまで実直だとは思わなくてよ。でもま、それもそうか。守るべき人々が無事であっただけで泣いちまう人間なんだもんな、お前。おれには成れない何かに、お前は成れるのかもしれない」
アイザワには成れない何か。それは何なのであろう。自分は守り人の資格を剥奪された。本国からも切られた孤立無援の存在。
そんな自分に何が出来る? 何が変えられる? まめの出来始めた掌に問いかけても答えは出なかった。
「そろそろお暇するぜ。ここでお前に余計な事吹き込んだって少佐にばれたらまずい」
号外を手に、アイザワは踵を返そうとする。その背中に桐哉は呼び止めていた。
「一つ、教えて欲しい。ブルブラッドキャリアのモリビトは、どうするつもりなんだ? それが分かっているのなら」
教えてくれ、という言葉にアイザワが片手を払う。
「勘違いすんなってのはそれも含めてだ。今のお前じゃ、何かに成れるだけの可能性に過ぎない。何かを成す果実ってのはもっと熟す時を待つもんだ……少佐の受け売りだけれどよ」
まだ自分には何かを成し遂げるだけの力はない。これからか、と桐哉は歯噛みする。全ての選択はこれからなされる。
「すまなかった……それと、ありがとう」
謝辞にアイザワは頬を掻いた。
「……ワケ分からないけれどな。おれみたいなのにお礼するってのも」
「世界が今、どういう状況なのか知れた。余計に、だ。余計に、俺は零式を習得しなければならない。それを今一度、心に刻めただけでも充分だ」
その語調にアイザワは一瞥を投げる。
「……本当に少佐の言う通りなんだよな」
その言葉を追及する前にアイザワは去っていった。