ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯127 二つ目の約束

 服をこれだけ買ったのは何年ぶりだろうか、と彩芽は両手に抱えた袋に視線を落とす。

 

 しかも自分のものではない、他人の服など、ともすれば初めてかもしれない。鉄菜はどこか承服し切れていないようにぶつくさと文句を漏らす。

 

「……こんなもの、買ったところで意義があるとは思えない」

 

「意義とか難しい事を考えて買い物なんてするもんじゃないでしょ? 楽しくなかった?」

 

 鉄菜は視線を逸らしつつ応じる。

 

「……今までに感じた事のない感覚ではあった」

 

「それが楽しかった、って言うのよ」

 

 咀嚼するようにその言葉を噛み締めている。

 

「楽しかった……? 私には分からない。それは執行者に必要な感情なのか? モリビトで戦うのに、そのような感情は何か意味を成すのか?」

 

 どうやら鉄菜にとっての判断基準は意味がなるかないのか、であるらしい。彩芽は歩いた先にあるベンチを顎でしゃくる。

 

「あそこで座りましょう」

 

「休息が必要だろう。もう、時間があまりない」

 

「だからよ。どうせ鉄菜は眠らなくっても大丈夫なんでしょう?」

 

 言い返すのも億劫のようで鉄菜は彩芽に従い、ベンチに座り込む。買い漁った無数のドレスや服はいつ着るのだろう。彩芽には強制は出来ないが、鉄菜にはもっとオシャレに生きて欲しいと感じていた。

 

「……もうすぐ、地上へと降下作戦が下る」

 

「そうね。同行出来ないのは残念だわ」

 

「一号機……《インペルベイン》の今の修復状態では無理が生じる。妥当な判断だ」

 

《インペルベイン》一機分の戦力を欠いたまま地上へ降りるのはそれだけでも無理が生じてくるはずだ。しかし今のブルブラッドキャリアの状況では宇宙における防衛も視野に入れなくてはならない。畢竟、モリビトの分散配備は仕方がない事。そう割り切れればどれほど楽だろうか。

 

 鉄菜は自分では言い出さないが不安なのだろう。前回の戦闘における昏倒、それに自らの境遇に関する事、それらが渦巻いて今、何をするべきなのかを見失っているのかもしれない。

 

「鉄菜、どうして最初に会った時、あんな汚染地帯にいたの?」

 

 今まで聞いてこなかった話に鉄菜は少しばかりうろたえた様子であった。

 

「……どうして今」

 

「今だから。あの時、どうして汚染地帯なんかに? モリビトの降下作戦の後は身を隠すようにって言われていたはずでしょう?」

 

 その真意が知りたかった。鉄菜は目線を伏せつつ応じる。

 

「青い花を見たかった」

 

「青い花? ブルブラッド大気の中で咲く、あの血塊の?」

 

「そう、言っていた人がいたんだ。地上に降りるのならば青い花を見て欲しいって。きっと、綺麗だと思うはずだ、と」

 

「その人は……」

 

「担当官の話をすり合わせるのならば、私の基になった人間だろう。今、私に接触してこないという事はもういないはずだ」

 

 鉄菜の人格形成に影響を与えた人物となれば自ずとその悲劇が見え隠れする。彩芽は尋ね返していた。

 

「綺麗だった?」

 

 彼女は頭を振る。

 

「分からない。あれを綺麗だと思えるのかどうか、まだ私の中にはないんだ。判断する術がない。世界を綺麗だと感じる何かが足りていないんだ」

 

 きっと鉄菜にも試練があったに違いない。その試練の果てにモリビトの操主に選ばれたのだ。戦いの中でしか生きられないような試練であったとするのならば、彼女も自分とさして変わらない。

 

「……鉄菜、話していなかったけれどわたくしもね、多分、貴女と同じような洗礼を受けた。わたくしが生まれたのはここじゃないの」

 

 その言葉に鉄菜が目を見開く。

 

「この、資源衛星じゃない?」

 

「そう、わたくしは最初、地上から拉致されてきた無数の少年少女の一人だった。名前すらなく、どこの国で生まれたのかもアトランダム。その中で、集められた十数人は操主の座をかけて……殺し合った。それまで名前も存在しない、架空の者達が殺し合い、何もかもを犠牲にしてでも生き残るべく行動した。わたくしは最後の一人となり、《インペルベイン》の操主に選ばれたってわけ」

 

 自分も他人にこの境遇を語るのは初めてであった。鉄菜は最後まで聞き届けてから、一つ頷く。

 

「そのような事があったなど、知らなかった」

 

「知る必要もないと判断されたんでしょうね。でも、わたくしは今でも夢に見る。《インペルベイン》の……破滅への引き金を引く資格を得るために、いくつも引き金を絞り、他人の命を銃弾の一撃で葬ってきた事を。この手にもう、沁みついているのよ」

 

 どれほど拭おうとしても拭えない原罪。それが自分にとっての原初の記憶であった。人殺しの記憶だけはどうしようもない。

 

 結果論で語っても、人生を判ずる術がないように生き延びたからと言ってでは一番に相応しかったかと言えばそういうわけでもないだろう。

 

 ただ単に生き意地が汚かっただけだ。

 

「……私も似たようなものだ。無数の自分と戦ってきたイメージが脳裏を掠める。自分を殺し、殺され、その果てに《シルヴァリンク》の操主となった。その辺りの記憶は曖昧だが、それでも分かるのは、もう充分なほどに人殺しをしてきたという事だけだ」

 

「執行者を、やめたいの?」

 

 覚えずそう尋ねていた。鉄菜はどちらとも言わない。

 

「分からない。本当に分からないんだ」

 

 掌を眺める鉄菜にはまだ判断するべき材料がないのだろう。ブルブラッドキャリアの執行者以外の人生の選択肢も知らず、彼女はここまで来てしまったのだ。

 

「鉄菜、またウィンドウショッピングをしましょう。全部が終わったら」

 

「こんなに買わされるのは勘弁願いたいが」

 

「でも、案外分からないものでしょう? こういうのに、楽しみを見出すって言うのは」

 

 微笑んでみせた彩芽に鉄菜は戸惑いの目を伏せる。

 

「……気が向いたら、でいいのなら」

 

「約束しましょう」

 

 指を差し出す。鉄菜は小指を絡めて、指を切った。

 

「さて! わたくしはこの本隊を守りますか。鉄菜、桃を頼んだわよ」

 

「《シルヴァリンク》の性能上、《ノエルカルテット》を守る、というのは現実的じゃない。逆のほうがあるだろう」

 

「もう! そう言う事を言っているんじゃなくって! ……まぁいいわ。いずれ分かるでしょうし」

 

 今の鉄菜にはまだ分からなくとも、きっといずれは分かる時が来る。その時、彼女は心の意味を知るのだろうか。

 

 まだ見ぬ明日の事に、彩芽は思いを馳せた。

 

 


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