ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯122 エホバ

「試験をスタートしよう。十五回目だ」

 

 ヒイラギの言葉を嚆矢として燐華は瞑目する。青い結晶に自分を預けていく感覚を伴い、思考を鋭敏化させた。

 

 すると青い結晶体が瞬き、輝きを発する。ペダルをゆっくりと踏み締めると、機械の両足が軋みを上げて動いた。

 

 思考通りに両腕が稼動し、歩行のスタイルを取る。しっかりとした足取りで一定の歩調を刻む才能機に、燐華は集中していた。

 

 才能機――イザナミはゴーグルの眼窩を発光させながら静かに加速した。

 

 支持ケーブルが激しく動き、血塊炉から青い血を全身に巡らせていく。燐華は操縦桿をリズミカルに引き、フットペダルへの圧力を変えてみせる。

 

 イザナミが踊るようにスキップした。その歩行を一分弱続けたところでヒイラギが指示を出す。

 

「オーケー。次は完全静止だ。これを三十秒」

 

 燐華は足の力を弱め、操縦桿をゆっくりと元の位置へと戻してやる。イザナミがゆっくりと歩みを止めていき、五秒もしないうちに完全にその場で静止した。

 

 難しいのは完全に静止するという事だ。才能機の操縦桿を掴み、フットペダルには足をかけたまま、三十秒。

 

 これをヒイラギは「人機操縦のエースでも難解な事」だと表現したが、燐華からしてみればなんて事はない。眠るように目を瞑るイメージを脳内で描ければいいだけであった。

 

 イザナミは静止を三十秒重ねた後に新たな指示を下される。

 

「よし、駆け足。一分間」

 

 燐華は歩行イメージから瞬時に加速イメージへと連鎖させる。先ほどまで一歩も動かず、その位置をキープしていたイザナミが急速に走り出した。

 

 才能機の関節部位に無数に巻きついた供給チューブが激しく揺れる。

 

 蠢動するチューブの中では青い血潮の下降と上昇による負荷がかかっているはずであった。燐華はイザナミへと語りかける。

 

「ゴメンね……。でも今は言う事を聞いて」

 

 応じるかのようにイザナミは駆け足を続けた。一分経ったところでヒイラギが待ったをかける。

 

「よし。今日はここまでだ」

 

 燐華はフットペダルから足を離し、操縦桿を掴んだまま、イザナミを労っていた。

 

「今日もありがとう。イザナミ」

 

 才能機のフレームから伝わるものは少ない。それでもイザナミの血塊炉からは喜びの感情が芽生えているように思われた。

 

 歩み寄ってきたヒイラギが書類を捲りつつ、成果を告げる。

 

「うん。数値はどんどんとよくなっている。このままいけば、才能機を乗りこなす日もそう遠くないかもしれない」

 

 燐華は額に浮いた汗を拭い、コンソールから離れてイザナミのフレームへと近づいた。イザナミは簡素な両手両脚しか持っていないにも関わらず、どこか命が吹き込まれた愛嬌のある存在に映っていた。今は、一つでもイザナミとの絆を深める事だ。それがひいては命を落とした鉄菜の犠牲に報いる事になるのだろう。

 

「それに、にいにい様にも」

 

 人機を動かせれば、兄、桐哉の抱えているであろう鬱屈を一つでも理解出来るかも知れない。ただ、守られるだけの存在はもう御免だった。

 

「才能機は応えてくれている。君の戦いにね。だから、今は数値をよくする事だ」

 

 自分の戦いは鉄菜や死んでいった人々を忘れる事ではない。もう二度と過ちを繰り返させないように、強くなる事だった。

 

「あたし……何も出来ないのはもう、嫌ですから。それに……」

 

 含ませた声に燐華は鉄菜から預かった鉄片を手にする。淡い輝きを発し、矢じりの鉄片が温かな光を携えた。まるでまだ鉄菜が生きているかのように、自分を優しく慰めてくれる。この光がある限り、鉄菜の存在をまだ感じる事が出来る。

 

「人機セラピーは順調だよ。このままいけば君をモデルケースにもっと発展したセラピーを推奨出来るかもしれない」

 

 自分がその模範になるのならば、燐華は躊躇いなどなかった。この世界には自分と同じように苦しみ、心の傷を抱えている人間が数多くいるに違いない。その誰か一人の癒えない傷痕を少しでも楽に出来る足がかりになるのならば、と燐華は前向きであった。

 

「お願いします。それに、あたしだけじゃ、まだイザナミをどうにかする事は出来ません。ヒイラギ先生の力添えがないと」

 

「僕は充分に、君自身の力だと思うけれどね。さて、もうすぐ迎えの車も来るのだろう? 今日のセラピーはここまでだ」

 

「お疲れ様、イザナミ」

 

 才能機を撫でてやると、その鼓動が感じられるようであった。不思議な感覚である。今まで機械に感情移入した事などないのに、イザナミだけは違うように思えている。

 

「イザナミも主人がこれほどに成長が早いとなると鼻高々かな」

 

 その言葉に燐華は微笑んで返した。

 

「イザナミは優しい子ですから、きっとあたしが強くなれば喜んでくれると思います」

 

 最初はただの鉄骨作りの機械にしか見えなかったイザナミが、今はもう欠かす事の出来ない相棒のように感じられた。

 

 迎えの車が学園の門扉の前に停車する。燐華が振り返り、手を振ろうとすると、ヒイラギへと声をかけた男性が視野に入った。

 

 学園の関係者とは思えない佇まいの黒服である。ヒイラギはその男を認めるなり、少しだけ声を低くする。

 

「……ちょっと待って。あ、いや、クサカベさんはもう帰りなさい」

 

「でも、先生……」

 

 窺うとまるで表情の読めない男であった。人間らしい感受性が欠如しているかのようだ。

 

「いいから、行きなさい。イザナミの調整値を設定しておくから。あとは僕の仕事だ」

 

 自分に言い聞かせるような言葉に燐華は頷いて、頭を下げた。

 

 ヒイラギに話があるような大人は初めて見たが、よくよく考えると当たり前なのかもしれない。

 

 ブルブラッド大気汚染テロから先、学園はほとんど自主封鎖状態。その敷地内で才能機によるセラピーを勝手に行っているとなれば注意喚起くらいはあるのかもしれない。

 

 かといって自分が駄々をこねればいい話でもないだろう。遠ざかっていく学園を見やりつつ、燐華は胸中に湧いた不安に顔を翳らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君らから来るなんて随分と殊勝じゃないか」

 

 ヒイラギの放った言葉に相手は抑揚のない声で応じる。

 

「世界は急速に変わろうとしている。そんな中、変わろうともしない禁断の鍵を目にすれば、こちらから介入もしたくなるというもの」

 

「変わろうともしない? 僕がそう見えるって言うのか?」

 

 肩をすくめたヒイラギに相手は言いつける。

 

「あの少女……何をしようとしている? 今度は何を企むつもりだ?」

 

「企むだなんて人聞きの悪い。僕はいつだって世のため人のために動いてきたつもりだ」

 

 格納庫へと歩みを進めたヒイラギへと一定の歩調で相手はついてくる。どうやらここで話をするしかないようであった。

 

「才能機……そのようなおもちゃを使って、ゾル国の一教員になって何が見えた? 何も見えはしないだろう。この世界が如何に愚かなのか。人間がどれほどまでに繰り返す生き物なのかは問うまでもなく明らかだ」

 

「だから滅ぼすって? 相変わらず、過激な思想の持ち主だな。――白波瀬」

 

 名前を紡がれた白波瀬は硬い表情のまま応じる。

 

「全てから目を逸らし、現実から逃れ、その宿命からも逃れ続けた貴様には、何も分かるまい。ブルブラッドキャリアの介入に対し、一番にフラットな位置を貫こうと言うのだろうが、それは傍観と何が違う?」

 

「僕はもう、誰の味方であるつもりもない」

 

 ヒイラギの抗弁に白波瀬は眉根を寄せる。

 

「ではあの少女をどうするつもりだ? まだ汚染の色濃いこのコミューンで、才能機などというまやかしを使って、一時的に傷を癒そうというのか。それとも、あの少女に可能性を見ているのか?」

 

「人機セラピーだよ。そんな事も知らないのか?」

 

 言い返したヒイラギに白波瀬は頭を振る。

 

「まさか。そのような生易しい事に軍部の仮想OSとシミュレーターを使うなど考えもしないだろう。あの少女を何に仕立て上げたい? 聖女か?」

 

「この時代に聖女、とは。また冗談が上手くなったね」

 

 流そうとするヒイラギに白波瀬は糾弾の声を発する。

 

「変わりはしない。百五十年前と。やっている事は結局同じだ。時代を生き、世界が変わるのを何度も目にしても、貴様は絶望しなかった。それは何故だ? ヒイラギ……いいや、エホバ」

 

「その名前は捨てた。エホバだなんて驕りも甚だしい」

 

「だが貴様はその資格を持つ。神の座に近い存在だ。悠久の時間を生き、ほとんど寿命の存在しない究極の人造兵器が、この激動の時代に何もしないなど、逆にあり得ない」

 

「では僕がブルブラッドキャリアに協力すれば、それっぽいとでも言うのかな?」

 

 白波瀬が来た理由は大方、この変わろうとする世界の最中、傍観を貫くのかどうかを問い質すためだろう。

 

 彼とてブルブラッドキャリアの協力者としての身分に疑問を感じているから、自分に接触してきたはずなのだ。

 

「エホバ……オガワラ博士の理想を体現する鍵を持つ存在であるのならば、何もしないのは怠慢だ。ここで示せ。何もしないのか、それとも世界を変革する要因となるのか」

 

 突きつけられた銃口にもヒイラギは臆する事もない。淡々とその面持ちに問い返す。

 

「エホバなんておだてられて、じゃあ世界を変えられるかと言えばそこまでヒトは簡単に出来てはいない。悪性と善性、両極端をどのように扱うかなんて人の自由なんだ。僕らがどう言ったところで人間のうねりには勝てない」

 

「この状況でさえも、人間が選択した結果だというのか」

 

「そうでなければ、誰が責任を取ると言うんだい? まさか僕かな? エホバなんて名付けられたからと言って、神のように振舞うのはどこまでも傲岸不遜な事だ。僕はただの一教員でいい」

 

「……見損なったぞ」

 

 身を翻した白波瀬にヒイラギは問いを重ねる。

 

「一つ、モリビトとブルブラッドキャリア、この二つに協力しているのはもう、君だけか?」

 

 予感があったわけではない。ただ、現状の有り様から逆算すれば組織のやり方に疑念を抱いている人間が出てもおかしくはない頃合いであった。

 

「……水無瀬を裏切り者として処刑した。渡良瀬はタチバナ博士監視の任についたまま、行方は知れない。ゾル国のどこかだとされているが、公式には不明だ。組織を見限るつもりのない協力者は、もうわたしだけだろう」

 

「その君だって、もうブルブラッドキャリアの死期は近いんだって思い始めている。だから僕なんかに意見を仰ごうとした」

 

「組織の目論見は成功している。ヒトは原罪を直視し、トウジャタイプの封印を解いた。それだけでも充分な成果だが、独裁国家ブルーガーデンの滅亡により、ヒトは争いの火種を生んだ結果となった。三国の緊張状態が解かれ、世界は一気に戦争へとなだれ込む」

 

「それがブルブラッドキャリアのプランの一つだとして、個人的には容認出来るのか、と言いたいのかな?」

 

 白波瀬は言葉少なに返答した。

 

「……協力者として、出来る事はほとんどない」

 

「だからエホバに頼もうって話か。でも、僕は何か大きな爪痕を残すつもりはない。オガワラ博士……彼の思想に同調し、僕は確かにブルブラッドキャリアの組織発足に貢献したが、それがいつまでも変わる事のない思考回路だとは思わないでいただきたい」

 

「あの少女をどうする気だ? 何に仕立て上げたい?」

 

「彼女は美しい。友人を失い、庇護されるべき兄から裏切られ、それでも世界を愛そうとしている。そんな彼女の在り方に、僕は少しだけ背中を押す事に決めた。それだけの話だよ」

 

「エホバという強力な個人ではなく、ヒイラギという人間としての選択か。だが、貴様は自分が思っている以上に他人への影響力がある。予言しよう。あの少女は不幸になる」

 

 そう言い置いて白波瀬は敷地を出て行った。ヒイラギはイザナミのコンソールを見やり、抽出されたデータを参照する。

 

 どのデータも、一般的な操主の弾き出すそれよりも高いものであった。

 

 メインデータを隠しファイルへと移行させ、ヒイラギは呟く。

 

「世界を変えるのに、何も戦いだけが全てではないよ。君達はそれを理解していないから滅びるんだ」

 

 


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