アクセスを切り、レミィは同期ネットワークをわざと遮蔽する。
肉体を得てよかった点は常に思考を覗き見されない事だ。それゆえに、相手を状況で上回る事が出来る。
「元老院は信じ込んでいる。キリビトさえ得れは、全てがうまく回ると」
「そのように簡単ではないというのに。老人達は懲りないな、いつの時代でも」
「それを言うか? 人間型端末であるところのお前が」
歩み出た男は瞳を閉じて瞑想している。否、これは同期ネットワークにアクセスしているのだ。彼らのネットワーク管理は特殊であり、自分のような前時代の遺物とはわけが違った。
「今、照合した。ゾル国にて、《スロウストウジャ》なる機体が量産体制に入ったとの事だ」
「ぶつかり合うのはトウジャ同士か。やはりいつの世になっても、人間のやる事というのはどこか拮抗するもの。首尾は?」
「上々。タチバナ博士には軟禁を強いているが、あのお方は思っていたよりもタフだ。我々のように簡単には諦めないだろう」
「諦めてその地位に甘んじているにしては、なかなかやるじゃないか。――渡良瀬」
名を呼んでやると、男はフッと笑みを浮かべる。こめかみを突き、言いやった。
「ここの差だ。結局はな。同じ人間型端末とは言え、一人を切らざるを得なかったのは悔やむしかない」
まるでそう思っていない渡良瀬の声音にレミィは整備デッキを潜り抜ける《バーゴイル》を視野に入れた。人機の前線基地であるこのコミューンが次の標的になるであろう事は想像に難くなかったが、渡良瀬が言うのにはその介入はブルブラッドキャリアによるものではなく、人間同士の戦いになるという。
「件の《スロウストウジャ》の初陣、というわけか。モリビトを葬るために造り出されたというのに、戦うのは同じ人類同士とは、皮肉としか言いようがない」
「ブルブラッドキャリアへの対抗策として、空間戦闘における《グラトニートウジャ》の有用性もはかられたのだろう。あれのデータは」
「こちらに」
手渡した端末に渡良瀬は満足気に頷く。
「《グラトニートウジャ》のデータを持ち帰れば博士もさぞお喜びだろう」
「しかし、当の博士はこの展開をお望みかな。トウジャが喰い合い、結局国家同士の利権の奪い合いとなる地獄絵図を」
「どこかで予想はされているはずだ。問題なのは、その予想から外れるか否かだけだろう」
渡良瀬は誰よりも長くタチバナの下にいるはずだ。ゆえにその発言には説得力がある。
「ハイアルファーを廃した、純粋な兵器としてのトウジャ、か。求められ得る進化なのか、それそのものが罪悪なのか」
「問題点は廃して、ある一定水準の機体性能に落とし込んでいる。ハイアルファーはイレギュラーの産物に過ぎないとメカニックと上層部が判断した結果だろうな」
「国家は奇跡を起こし得る可能性よりも、敵の額に銃弾が命中する確率のほうを優先したわけだ」
「それが合理的だ」
レミィはキリビトに関するデータを羅列させる。エデンが迂闊であったのは、《キリビトプロト》から離れる際、そのデータをオープンのままにした事だ。自分のような人間がアクセスするとは思っていなかったのだろう。あるいはそれ以上に、生き意地が汚かったかのどちらかだ。
「《キリビトプロト》……驚異的な性能の人機だ。これが百五十年前には、量産さえも視野に入れていたとなるとぞっとする。蝿型人機共々、こちらの《バーゴイル》百機、否もっとに相当する」
四十機以上の無人人機を搭載。なおかつ、全方位対応型の装備を展開しつつ、リバウンドの反転重力を利用した重力吸引武装と、広範囲R兵装を展開可能……。スペックだけで戦慄する。
「これを元老院の老人達はどう扱うというんだ?」
「大方、改修して象徴としての支配を確立する、か。だがそれではあまりにももったいない」
「だからこその協定か。レミィ、だったな。元老院の内通者になってまで、我々に手助けを求めた意味は、やはりこれか」
端末上にはタチバナの提唱した武装改修プランが三次元図で示されている。世界の頭脳たるタチバナ博士は遥かに高みを行っている。本人にその気はないだけだが、好奇心を抑え切れないのだろう。ローカル通信の中に人機の設計図を潜り込ませるなどよほどだ。
「トウジャの跳梁跋扈に、さしもの人機の第一人者でも逸る気持ちがあるに違いない。その中で、勝てる機体を、と試算した結果が百五十年前の罪悪へのアクセスとは。感嘆さえする」
「確かにこの機体ならばトウジャなど敵ではない」
「キリビトのさらなる発展機、か。その構想、もらい受けよう」
レミィは端末を手にして整備デッキを降りていく。渡良瀬は自身の位置を偽装し、あくまでもブルブラッドキャリアの協力者を装っているようだ。
タラップを駆け降りたレミィは整備デッキに佇む巨躯を仰ぐ。
並び立った《バーゴイル》は次の戦線を待ち望んでいるようであった。
「……結局は、人同士、か。ブルブラッドキャリア。その志が本物ならば、この戦い、どう見る?」
帰投するなり医務室に閉じ篭ったカイルに、全員がお手上げ状態であった。
鍵やパスコードも変更しており、どう足掻いても出てこないのだ。
「駄目です。マスターキーも持ち出したみたいで……」
困惑する兵士達にガエルが視線を振り向けた。
「あとは自分がやる」
「でも、相当ですよ。誰にも降りた姿さえも見せずに医務室に直行って……重傷なんじゃ」
「重傷だとすれば余計に、だ。任せてくれ」
兵士達が散っていく。ガエルは扉をノックした。
「カイル、開けてくれ。皆が困っている。心配もしているんだ。だからここを……」
「……そんなはずはない」
濁った声音であった。ともすれば声帯をやられたのか。ガエルは叔父としての演技を貫いた。
「カイル、負傷しているのか? だとすれば処置を」
「うるさい! 僕に構うな……」
いつになく冷静さを欠いた語調であった。ガエルはホルスターに仕舞っていた拳銃を構える。
「カイル、開けるぞ!」
銃弾を正確に鍵のシステム部位を撃ち抜かせ、ガエルは扉をマニュアルに設定した。
開いた先の部屋は薄暗く、どうやら医師もいないようである。奥のベッドにカイルが蹲っているようであった。
黴の臭気が鼻につく。据えたような強烈な臭いにガエルは眉をひそめた。血の臭いではない。下水道のような吐き気を催す空気と目を突き刺す刺激臭が充満している。
「カイル……劇薬でもぶちまけたのか? このにおいは……」
シーツを被り、震えている影へとガエルが手を伸ばしかけて、吼え立てた声音に身を竦ませる。
シーツを剥ぎ取った先にいたのは、カイルではない。
否、そもそもその姿かたちは人間のそれではなかった。
逆側に折れ曲がった手足。異様に膨れ上がった胴体。豊かで艶やかであった金髪は完全に色をなくし、枯れ葉のように衰退している。
老人を思わせる骨身の手がこちらへと伸びてガエルは覚えず銃を突き出していた。
「誰だ……お前は」
醜い獣がか細い声を発する。
「僕、です。カイル……」
まさか、とガエルは目を見開く。操主服が引き千切れ、そのかんばせには面影など一切ない。
人間であるのかどうかでさえも怪しい眼前の存在が、あの優男なのか。カイル・シーザーだというのか。
あまりに突拍子もない現実にガエルはついていけなかった。
「どういう……」
「あの、ハイアルファー……【バアル・ゼブル】の効果……。使えば使うほど、僕の姿……こんなのになって……」
ハイアルファーのデメリット。それが操主へともたらされる可能性は示唆されていたものの、まさかこのような形だとは夢にも思わない。
――人間を、「ヒトではないもの」に変換するハイアルファー……。
醜く肥え太ったカイルは一回だけだ。一回だけ、ハイアルファー【バアル・ゼブル】を使用しただけ。その一回がまさかこれほどまでに変化をもたらそうとは思いも寄らない事実であった。
「助けて、叔父さん……」
聞くもおぞましい獣の声音。耳にするだけで全身を掻き乱されるかのような不快感だ。
ガエルは衝動的に引き金を絞りかけて、目の前の相手がカイルである、という事実を脳内で反芻する。
それでようやく、殺意を押し留められた。
「カイル……まさかこんな……こんな現実が待っているなんて」
「叔父さん……僕は、もう、戦えない」
ハイアルファーを使えば醜くなる。ゾル国の若きカリスマ、広告塔であった彼からしてみれば一番の屈辱であろう。
武勲の代わりに、自身は二度と表舞台には立てなくなるのだ。
しかしガエルは、これこそがと愉悦に口角を吊り上げていた。今まで他人よりも優れているがゆえに傲慢で、他人よりも美しいがゆえに浅慮であったこの青年を陥れるのには一番の材料だ。
ガエルは鼻をつく異臭を我慢しつつ、カイルの肩に触れた。
触れられた彼はびくりと縮こまる。
「馬鹿を言うな、カイル。《グラトニートウジャ》はモリビトを中破せしめた。充分な戦力だ。それを今、ゾル国が手離してどうする? モリビトの好き勝手にさせていいのか? お前がいないと、誰かが代わりに死ぬ事になるかもしれない。それだけ、国家は《グラトニートウジャ》に賭けているんだ。今逃げ出せば、誰もあの機体には乗れない。お前だけなんだよ、カイル。世界を救えるのは」
「僕が……世界を……」
このどこまでも他人より自分のほうが勝っていると信じて疑わない青年の背中を押すのは難しい事ではない。自分しか出来ない、と思わせればいい。
「カイル。ちょっとばかし他人よりも負わなければならない責務は多いかもしれない。だが、それでも、いずれは。みんながお前の事を祝福してくれるだろう。その時のために、戦い続けると誓って欲しいんだ。その隣に、ずっといると約束しよう」
「……こんなになってでも、ですか? 僕がこんなに……醜くなっても、いいんですか?」
――ふざけるな。今すぐその汚らしい面に鉛弾をぶち込んでやる。
本音をぐっと堪え、ガエルは優しく諭した。
「ああ、約束だ。カイル・シーザーほど有能で、戦場において誰よりも勇気ある青年を、未だかつて見た事がないと、皆に言わせてやろうじゃないか」
カイルが濁った眼で自分の掌を眺める。爪が伸び、骨の浮かんだ尖った指。汚らしくくすんだ肌の色。
《グラトニートウジャ》のもたらした邪悪は伊達ではない。カイルは恐らく、乗れば乗るほどに誰からも嫌悪される怪物と化すだろう。
しかしその時こそ、自分の本懐はなるのだ。
――正義の味方に。
カイルがすすり泣く。ガエルの手を取り、何度も嗚咽して懇願した。
「ありがとう……叔父さん。ずっと傍にいてください……」
片手に隠した拳銃を握り締めつつ、ガエルは虚飾めいた笑みを浮かべた。