ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯118 裁きを待つ者

 

 医務室から連絡が走り、リックベイは真っ先に向かっていた。

 

 扉の前で数人の兵士が武装しているのを、リックベイは下がらせる。

 

「しかし、少佐! 相手はあの独裁国家の強化兵士ですよ!」

 

「だからこそ、だ。刺激したくない。大丈夫だ。わたし一人で行く」

 

 扉を開け、真っ先に飛び込んできた光景にリックベイは息を飲む。

 

 白い片翼を拡張し、ベッドの上で身体を起こす天使が、そこに佇んでいた。

 

 その背中から生えているのが忌まわしき整備モジュールだと分かっていても、リックベイは感嘆を隠し切れない。

 

 ――天使の目覚めか。

 

 胸中に独りごちてリックベイは歩み寄ろうとする。その足並みを厳しい声音が止めた。

 

「近づくな。何者だ」

 

 リックベイは踵を揃え、左胸に拳を置く。

 

「失礼した。コミューン連合体、中枢軸国兵士。リックベイ・サカグチ少佐である。そちらはブルーガーデンの兵士だな?」

 

「……貴公が、あのナナツーの?」

 

 声で分かったのだろう。リックベイは首肯する。

 

「如何にも。《ナナツーゼクウ》と呼称している」

 

 強化兵の天使は項垂れたかと思うと、その灰色の瞳でリックベイを見据える。どこか憂鬱さを漂わせた眼差しであった。

 

「国土は」

 

 その言葉に多くのものが集約されているのを感じる。この場で返すべきは少なく簡潔な結果のみであろう。

 

「荒れ果てた。こちらも謎の人機の奇襲を受けた。あの汚染の爆心地にいたという事は、そちらも只者ではないな?」

 

 ブルーガーデンの汚染に強く関わっているはずだ。強化兵は不意に自分の髪が肩口まで切られている事に気づいたらしい。

 

「わたしの髪は……」

 

「ああ、医療措置の邪魔になったので、勝手ながら切らせてもらった。……不都合があったか?」

 

「いや、いい。今までの自分を忘れられて、よかったのかもしれない」

 

 整備モジュールが独特の甲高い音を立てて稼動し、その羽根を広げさせる。

 

 作り物だと分かっていても。神の摂理に反すると知っていても、それでもなお――美しい。

 

 人造天使は言葉少なに、現状を把握しようと務めているようであった。

 

「他に人機は? あの場所に、人機がいたはずだ」

 

「人機? 虫のような中型人機は無数に観測されたが」

 

「違う。あの場に……モリビトがいたはずだ」

 

 あまりにも突拍子もない言葉にリックベイは呆けたように口を開けていた。あの場に、モリビト。その取り合わせに困惑していると、天使は頭を振る。

 

「いや……そうか。そういう事なのか。いい。忘れて欲しい」

 

 その言葉通りに従うわけにもいかなかった。あの場にモリビトがいたとすれば、汚染を拡大させた戦犯という事になる。

 

「何があったのか、少しずつでいい。教えてもらえると助かるのだが」

 

 天使は降り注ぐ陽光を受けて、白い翼をゆっくりとベッドの傍に横たわらせる。

 

「ここは、空が見えるのか」

 

 空、と言われてリックベイはC連合の位置を脳裏に呼び起こした。

 

「ブルーガーデンに比べれば、汚染濃度は低い。空、とは言っても、三日に一度は絶対に曇る。汚染の青い曇天からは逃れられない。この星で生きている限りはな」

 

 逃れ得ぬ業であった。その言葉を聞き届けた天使は、どこか憂鬱げに声にする。

 

「そう、か。どこへ行ってもあの空は……」

 

 声音に張りがない天使は本当にブルーガーデンの生態兵器なのか疑わしかったが、リックベイは一つずつ、解き明かす事にした。

 

「あの場所にいたのは理由が?」

 

「わたしは、国家に反逆を企てた。ブルーガーデンを覆そうとしたんだ。あの国家は間違っていた」

 

 まさか強化兵の口から国家への不満が漏れるとは思ってもみない。リックベイは驚嘆しつつも、その反逆行為の果てがブルブラッド汚染ならば見過ごすわけにはいかなかった。

 

「だが反逆で発生したブルブラッドの深刻な汚染状況は」

 

「そちらの情報を反映させてくれればすぐに理解出来る。もっとも、わたしのネットワークとC連合のネットが共通規格であったのならばであるが」

 

 リックベイは付き従う医師に視線を向ける。医師は、まだというように首を横に振る。

 

「残念だが、ネットワークの共有化はまだ早い」

 

「早い、ではないな。恐らくするつもりはないのだろう。当然の事だ。ブルーガーデンの生態兵器とネットワークを共有化すれば乗っ取られてもおかしくはない」

 

 そこまで分かっていて、この強化兵は提言したのか。リックベイは改めて、強化兵の考えている事が分からなくなる。

 

「国家への反逆。それが何故、モリビトとの戦いになったのか、教えてもらえると助かる」

 

「モリビトはどうしてだかわたしの仲間と共に反旗を翻していた。考えられる理由はブルブラッドキャリアによるブルーガーデンへの破壊活動。それと時を同じくしてわたしの同志達が反抗し、ブルーガーデンを牛耳ろうとしたが、失敗した」

 

「失敗? それがあの有様だというのか」

 

「結果論に過ぎないが、我々はもっと大きなものと戦っていたらしい。ブルーガーデンを支配する元首の正体は」

 

 振り向けた天使の視線にリックベイは頭を振る。

 

「元首の存在は国家機密だ。他国には明かされていない」

 

「ならば、わたしが言うのが初めてなのか。ブルーガーデンの支配者は遥か昔に分かたれたスパコンの一つ。生態コンピュータだ」

 

 その事実にリックベイは目を見開く。誰も今まで知らなかったブルーガーデンの秘密。それが明かされようとしていた。

 

「それは、国家重要機密では……」

 

「もう破壊された国に機密も何もない。わたしはそうでなくとも反逆者。もうブルーガーデン再興など考えてもいない。あの国家はただのコンピュータの作り出したまやかしの国だ。そのまやかしの中で生きてきたのがわたしであり、国民であった。民草は……」

 

 濁した声音にリックベイは静かに首を振る。

 

「残念だが……」

 

「絶望的、か。それでよかったのかもしれない。国と運命を共にした民草は幸福のうちに死ねたのだろう。わたしは、また生き永らえた」

 

「C連合は貴君を罰する権限を持たない」

 

「それでも、わたしは捕虜だろう? 捕虜をどう扱おうがその国の勝手だ。だからわたしはもう逆らうつもりもない」

 

「……受け入れるというのか」

 

「もう、生きていくのに疲れた。わたしはただただ、あの日見たような空を、見たかっただけなんだ」

 

 既に目的を果たした人間の口調であった。彼女の生きる目的が国家への反逆に集約されたのだとすれば、なるほど、もう生きていても仕方ないだろう。

 

 リックベイは彼女によく似た人間を知っている。

 

 人々の英雄であり、守り人であった責務から追われ、全てが呪縛と化した、彼を――。

 

 その瞳があまりにも似ていたせいだろう。リックベイは口にしていた。

 

「抗え」

 

 その言葉の意味を最初、理解していなかったようだ。天使は振り向き、リックベイは言葉を新たにする。

 

「運命に抗い、生き続けろ。それが貴君に出来る最大の抵抗だ」

 

「もう、抵抗する国は存在しない」

 

「違う。この世界の不条理そのものと戦えと言っているんだ。まだ貴君は死ぬべきではない。運命に抗う使命を持っている。その使命を果たさずしてその命、無残に散らす事はわたしが許さない」

 

「傲慢だな。C連合の士官とはそのようなものであったか」

 

 リックベイは灰色に沈んだ眼差しを見返す。もう生きていたくないと主張する眼に、ただただ生きていく事の正しさを説いた。

 

「生きていけ。それがどれほどに意地汚くとも。生きていく事でのみ、貴君の復讐は果たされるであろう。国家がたとえ存在しなくとも、目的を失った魂であったとしても、生きる事に誰も疑問の余地は挟めない」

 

 言い置いてリックベイは身を翻した。後は彼女の決める事だ。

 

 その背中に声が投げかけられる。

 

「待ってくれ。名前を、もう一度聞かせてくれ」

 

 リックベイは改めて己の名を口にする。

 

「リックベイ・サカグチ少佐だ」

 

「そう、か。リックベイ少佐。わたしに名はない。強化兵とナンバリング名称で呼ばれている。だが、仲間内でだけ、通称があった。それを名乗っていいのならば、わたしはここで名乗り返していいだろうか」

 

「己の名を名乗るのに、何もてらいは必要ない。貴公のいた場所ではどうだったのかは問うまいが、世界は元々、そういうものだと思っている」

 

 天使は己の胸元に手をやって、まるで初めてその名を紡ぐかのように、ぎこちなく声にした。

 

「――瑞葉。それがわたしの名前だ」

 

「瑞葉、か。階級は?」

 

「小隊長を務めさせてもらったが階級の証明はない。所詮わたしは、国家の付随物、兵器に過ぎなかったから」

 

「では瑞葉君と呼ばせてもらおう。瑞葉君、貴君は何も、ここでは遠慮をする事はない。あの汚染区域での鬼神のような戦い振り、あれで救われた命もある。むしろ、感謝すべきはわたしのほうかもしれないな」

 

 リックベイは医務室を立ち去った。廊下の兵士達がこちらの無事を確かめる。

 

「少佐、無茶を……!」

 

「無茶でも何でもない。……アイザワ少尉」

 

 離れたところでこちらを窺っているタカフミを近づかせる。

 

「何すか?」

 

「瑞葉君にここの施設を案内してやって欲しい。明日には」

 

 その言葉にタカフミが狼狽する。

 

「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ! 何でおれなんですか! あんなの、他の奴に任せれば……!」

 

「他の兵も怖がっている。怖いもの知らずだろう? 君は」

 

 そう言われてしまえば立つ瀬もないのか、タカフミは言葉を仕舞う。

 

「しかし、少佐。アイザワ少尉だけでは危険です」

 

 兵士の提言にリックベイは、いや、と頭を振る。

 

「思っていたような凶暴性はない。彼女は冷静だ」

 

「クスリのせいっすよ。あの整備モジュールから定期的に精神安定剤が投与されているから」

 

「それでも、いや、なればこそ、その薬物に頼らぬ生活を身につけて欲しいとわたしは思う。アイザワ少尉、手だれでわたしの権限で動かせるのは君しかいない」

 

「……英雄は、桐哉でいいじゃないっすか」

 

「彼は零式の習得中だ。そのような瑣末事からは避けたい」

 

「瑣末事、っすか。おれにはその瑣末事がお似合いですかねぇ」

 

 どこかひねくれたタカフミにリックベイは言いやる。

 

「他の者では無理なんだ。アイザワ少尉、これは」

 

「命令でしょう? やりますよ。せいぜい、後ろから撃たれないように注意しますっての」

 

 やさぐれた様子だが、無鉄砲に仕事を片づけていいとも思っていない。いつものタカフミの様子にリックベイは首肯する。

 

「では、わたしは職務に戻る。他の者も配置につけ」

 

 その言葉で兵士達が散開していく。タカフミだけがその場に居残った。

 

「少佐、桐哉に続いてまさかあの女まで、助けようだとか思っているんじゃないでしょうね?」

 

「助けないさ。わたしの手で助けられるなど驕りだ。彼ら自身が立ち上がるために、わたしは手を差し伸べるのみ」

 

「それが! 連中にとっては救いなんですよ! 分かんないかなぁ、もう!」

 

 タカフミはどこか不満があるらしい。それほどに瑞葉の世話は嫌なのだろうか。あるいは、彼には戦場が似合っているのかもしれない。

 

「安心しろ。君を軽んじての頼みではない。むしろ、その逆だ。信頼しているからこそ、わたしの負うべき責務を任せられる」

 

 その言葉は意想外であったのか、タカフミは頬を掻く。

 

「……少佐ほどうまく出来ませんよ、おれ」

 

「いいさ。彼女はまだ外の世界の何一つを知らない。教えてやって欲しい。ここはそこまで生き辛くない、と」

 

 ブルーガーデン。青の花園から出た事のない、小さな雛鳥。彼女が羽ばたけるかどうかは、自分達にかかっている。

 

「……了解はしました。でも」

 

「でも、まだ何かあるか」

 

「トウジャっすよ」

 

「どのトウジャだ?」

 

 タカフミは業を煮やしたように後頭部を掻いた。

 

「全部っすよ! 全部! あれ、どうするんですか」

 

「《プライドトウジャ》は桐哉准尉に合わせて改修を行っている。彼が零式を習得する頃には仕上がっている予定だ。《スロウストウジャ》はロールアウト間近。出来うる事ならば、タチバナ博士の面会が欲しかったが、あの方の身柄はゾル国にある。今は手出ししないのが無難だろう」

 

「……あの強化兵の乗っていたトウジャは」

 

「今、解析にかけている。……驚いたな」

 

 端末に浮かび上がったステータスにリックベイは驚嘆する。タカフミが画面を覗き込んだ。

 

「何なんすか」

 

「あのトウジャ……《ラーストウジャカルマ》、というらしいが、あれはどうやら最新鋭のパーツを使ったトウジャタイプらしい。この意味するところはつまり、ブルーガーデンは他国に隠れて、秘密裏にトウジャのアップデートを行っていたという事だ」

 

 その事実にタカフミが目を戦慄かせる。独裁国家だと侮っていたが、その実技術では一番に先を行っていたわけか。

 

「もし……そのトウジャが戦線に出されていたら」

 

「考えたくもないな。少なくともナナツーは全滅であっただろう」

 

 その惨状を呼び起こさなかった一番の要因はブルブラッドキャリアという共通の敵を睨む必要に駆られたからだ。そうでなければ三国のパワーバランスのために秘匿され続けた人機だろう。

 

「……改めて、おれ、分かんなくなりましたよ。他の国もトウジャを造っている。それに、もっとヤバイ人機も。結局、この世界ってどういう風に回るべきだったんですかね。もし、ブルブラッドキャリアがいなかったとして」

 

 モリビトの脅威がなかったと仮定しても、どこかに歪を抱えたまま流転し続けるのが、この世界であっただろう。分かりやすい惨劇を起こす事はないが、どこかで歪んでいる世界は、誰しも無意識のうちに罪を抱えて生きていく事になる。その罪をブルブラッドキャリアの存在が偏在化させたのみ。

 

 この世界に罪なき子など一人もいなかったのだ。

 

「いずれにせよ、今回の戦いで血塊炉は回収出来なかった。これはある種、二国間の緊張状態を加速させない要因となったな。血塊炉の安定供給を可能とすれば、C連合の一強となったのだが、ゾル国でさえも介入出来ない、荒れた国土が広がっただけだ」

 

「もうあの場所には行きたくないっすよ、本音では」

 

「本音で行きたくなくとも、二度目はあるだろうな。……次はせめてトウジャを引き連れて行きたいものだ」

 

 蝿型人機の密集地にナナツーだけで飛び込むのは無謀と分かった。今は、それだけでも構わない。一つでもこの世界から浮き彫りとなる事実を探す事だ。一番に恐れるべきは分からぬまま、過ぎ去っていく事。

 

「この世界はまだ、暴かれざる存在がいる。ブルブラッドキャリア、それにブルーガーデン元首の秘密……。彼らが公然に裁かれる時が来るのか」

 

 それは自然と世界が終わる時ではないのか、という予測がリックベイの中にあった。

 

 


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