プレスガンを失ったが《ナナツーゼクウ》にはまだ近接格闘用の刀と実体弾の小銃がある。
まだ作戦行動に支障が出るレベルではなかった。
メイン兵装を小銃に持ち替えてリックベイは通信に吹き込む。
「今のだけとは限らない。この区域は既に大汚染の後だ。何が出てきてもおかしくは……」
そこで言葉を切ったのは唐突な接近警報のせいであった。習い性の身体が操縦桿を引き、放たれたプレッシャー砲を紙一重で回避する。
仰ぎ見たリックベイは中空に位置する蝿型人機五機を視界に入れていた。
部下が困惑する。
『ご、五機も……』
「うろたえるな! どれも無人機だ。破壊に躊躇う必要はない。最大火力で迎え撃て!」
小銃から火線を開かせ、リックベイが応戦する。蝿型人機が照準を避けつつ腹腔のプレッシャー砲を放ってきた。
こちらは重力の変動値に慣れるのだけでも精一杯だというのに、蝿型の機動力に迷いはない。確実に刈り取るつもりの動きである。
『こっちがもっと優位に動ければ……!』
噛み締めたタカフミの口調にリックベイは小銃のロックオンサイトを蝿型に向ける。
火を噴いた武装の弾頭を蝿型が飛び越えて前足を軋らせた。やはり装甲の軽い空戦用の人機では基本陸戦のナナツータイプでは相性が悪い。
『少佐! ナナツーじゃ抑え切れませんよ!』
「弱気になるな。相手はたかが五機。こちらと何も変わりはしない」
語調を強めるが、リックベイには分かっている。不安と焦燥が募る有毒地帯の中で現れた謎の人機。それだけで人は強い恐怖を覚えている。加えてそれがまるでこちらの思惑通りに動かない無人機となれば、対処は難しくなってくる。
一人の《ナナツー参式》へと二機の蝿型が肉迫する。プレスガンの照準がぶれ、二機の蝿型が口腔を開いた。
内側からせり出して来たのは一本の針。灼熱に研ぎ澄まされた針の先端が《ナナツー参式》の肩口を貫いた。
もう一本が血塊炉の位置する腹部を打ち抜く。
システムがダウンし、その機体が全身から虚脱していった。血塊炉付近を打たれたか。この場合、貧血よりもなお性質が悪い状態だ。血の巡っていない人機では戦うのに適していない。
タカフミが雄叫びを上げながらうち一機へと蹴りかかる。プレスガンを速射に設定し、蝿型の頭部を撃ち抜いた。
さらに返す刀でもう一体を、と捉えかけたところでプレッシャー砲の牽制に阻まれる。
空を舞うのは残り三機。それぞれがこちらを完全に包囲陣に押さえ込んでいる。タカフミが舌打ちしたのが伝わった。
『こいつら、楽しんで……!』
リックベイも分かる。この人機達は無人にも関わらず、目標を追い詰める愉悦を持っている。その愉悦こそが、蝿型人機の動力源と言っても差し支えない。
「人の感情を苗床にしてたかる虫共が。……卑しい機体だ」
リックベイが《ナナツーゼクウ》を跳躍させる。こちらへと飛びかかってきた機体に対し、牽制の銃弾を放った後、武器を捨て去った。
代わりに携えたのは一振りの大剣である。白銀の刃が蝿型を射線に入れた。
「零式抜刀術……! 壱の陣」
閃いた剣の太刀筋が蝿型の前足を叩き切る。さらに推進剤を焚き直進、突撃しつつゼロ距離に蝿型を捉えた。
《ナナツーゼクウ》の手首を返させてそのまま内側に向け刃を打ち下ろす。
首がはねられ蝿型人機の身体が生き別れになった。
リックベイは蝿型を蹴りつけて直近の地面に降り立つ。
「――首狩りの式。永久に眠れ」
爆発の光を拡大させる蝿型一機を尻目に、他の機体がプレッシャー砲を連射する。リックベイは千変万化するフィールドを滑り落ちていき、剣を手に蝿型の行動パターンを掌握しようとする。
「彼奴らが如何に優れた人機であろうとも、統率の乱れは存在する。ゆえにそれを叩けば、勝てぬ戦なわけもなし」
不意に眼前に聳え立った峠道にリックベイは減速させず、そのまま加速度に任せて突っ切った。
峠を飛び越えた瞬間、制動用の推進剤を焚かせて峠道の背面に隠れる。
蝿型人機が行き過ぎた直後を狙い、刃が咲いた。
複眼部位を切り落とした一閃に蝿型一機が奈落へと落下していく。
もう一機はしかし健在だ。針が射出され、こちらの機動力を削ごうとしてくる。リックベイは陸戦を想定した装備のためにあまり余計な噴射剤を持って来なかった事を後悔する。
先ほどから減り続けているガスの量を視野に入れつつ、リックベイの《ナナツーゼクウ》が刀を片手に沿わせた。
「零式抜刀術……弐の陣」
接地した《ナナツーゼクウ》の踵からアンカーが射出され、地上へと機体を縫い付ける。
こちらへと迫ってくる敵人機の攻撃を甘んじて受け、勢い余った敵の攻勢を崩す。
針が《ナナツーゼクウ》の肩口を掠めた。もう一本がキャノピー型コックピットのすぐ傍を駆け抜ける。
リックベイは操縦桿を引いていた。
機動した《ナナツーゼクウ》の閃かす刃が雷の如く叩き込まれ、蝿型人機の頭蓋がひしゃげる。
「酔龍剣、一閃」
頭部を打ち砕かれた敵人機はまるで酔ったようによろめく事からこの名称が紡がれた。蝿型が力を失いそのまま地面へと突っ伏す。
残り一機、と《ナナツーゼクウ》に振り仰がせる前にタカフミがその一機と激しい攻防を繰り広げていた。
プレスガンを連射するが蝿型は統率を気にしなくなったせいか、乱雑な機動で射線を回避していく。
『こいつ……無茶苦茶なくせに妙に当たらない!』
追い立てるタカフミの苛立ちも影響しているのだろう。落ち着けと無線に吹き込みかけて、リックベイは先ほどの自分の無茶な機動のせいで有線通信が途切れている事に気づいた。
ブルブラッド大気汚染は九割以上。この状況下でタカフミを止める手立てはない。
「いかん! アイザワ少尉! 止まれ! その人機に誘われているぞ!」
しかし無線が通用するわけもなく。タカフミはプレスガンで蝿型人機を追い詰めようと撃ち続ける。
三角錐の形状をした小山のような場所へとタカフミの《ナナツー是式》がプレスガンを掃射した。
一条の弾丸に触れ、蝿型人機がその羽ばたきを弱めさせる。
好機だと判断したのだろう。タカフミは推進剤を全開にして蝿型人機へと特攻を仕掛ける。
《ナナツー是式》の肩部は強固な素材だ。そのためただの突撃でも充分な威力になり得た。突き飛ばされた蝿型が小山の上で悶える。
『どうだ! これで……!』
とどめの一撃を放とうとしたその時、小山がゆっくりと開いていく。中からこちらを睥睨するのは十機以上もの蝿型人機であった。
――やはり罠か。
悔恨を噛み締めた時には既に遅い。タカフミの《ナナツー是式》は完全に標的にされている。
「逃げろ! アイザワ少尉!」
叫んだ声が届く前に、プレッシャー砲の津波が《ナナツー是式》を押し包もうとした。
確実にやられた。そう判断したリックベイが次の瞬間に目にしていたのは空間を奔った巨大な刃である。
扁平な刃がいくつもの節を伴って挙動し、推進剤を細やかに焚いて軌道修正する。その刃がタカフミの《ナナツー是式》を保護し、なおかつ小山の反対側から蝿型人機を貫いたのであった。
誘爆の光が重なり、リックベイは唖然とする。
何が起こったのか。判ずる前に何かが薄闇の中を疾走する。
タカフミの《ナナツー是式》へと追いついた時、ようやく事の次第を飲み込めた。
両脚を仕舞い込んだ謎の機体が蝿型人機と応戦しているのである。扁平な脚には無数の切れ目が存在し、それらが全て武器であるのが窺えた。
「……何者なんだ」
こちらへと一瞥を投げた機体の頭部形状にリックベイは瞠目する。X字の眼窩は見間違えようもない。
『……トウジャ、だって?』
タカフミがその名前を紡ぎ出す。トウジャタイプは両脚の刃を蛇のようにくねらせつつ、螺旋の中に蝿型人機を落とし込んでいく。
射程内の蝿型が刃に触れて切断され、次々と破壊されていった。
「戦い慣れている。この汚染された戦場で、だと……」
鞭の性質を持った蛇腹の脚部剣が敵の人機を打ち据える。叩くと同時に斬っているのだ。その性質にリックベイは絶句するしかない。
見た限りトウジャタイプは両手を有していなかった。脚のみで戦っているのだ。
それでもその損耗具合は窺い知れるほど。ギリギリの一線で戦っているのは見るも明らかである。
トウジャタイプが身を翻させ蝿型人機へと流動する剣術を見舞おうとする。
蝿型の何機かはその網にかかったが、何機かはその犠牲を踏み越えてプレッシャー砲を撃ち込んだ。
トウジャタイプから勢いが削がれていく。
リックベイはタカフミの《ナナツー是式》へと接触回線を吹き込んだ。
「いかん。あれでは墜とされる」
タカフミが怪訝そうな声を振り向けた時には、リックベイは駆け出していた。ガスの残量がレッドゾーンに達する。それでも助けなければ、という意思が勝った。
プレッシャー砲の一撃一撃がトウジャタイプを追い詰め、その装甲を引き剥がしていく。
蝿型が肉迫し、口腔から針を突き出そうとした。その頭蓋を《ナナツーゼクウ》の刃が射抜く。
投擲した剣にはワイヤーが備え付けられていた。推進剤を焚かせてその背へと降り立ち、蝿型を両断する。
突き上げた刃をこちらへとプレッシャー砲を見舞う蝿型へと向け直した。
「貴君が何者かは知らないが、ここで落とさせるのは人道にもとると判断する。ゆえに、このリックベイ・サカグチ。助太刀いたす」
『わたしは……』
戸惑いの接触回線の声にリックベイは驚愕する。少女の声であったからだ。
それを追及する前に蝿型人機が一斉にプレッシャー砲を照準する。四方八方を捉えた射線を前にリックベイが唾を飲み下した。
刹那、プレスガンの弾頭が一機の蝿型を撃ち抜いた。ハッとしたその時には、《ナナツー参式》部隊が持ち直し、蝿型へと応戦の火線を咲かせている。
『少佐を死なせるわけにはいかないんですよ!』
ワイヤーで接触回線を伴わせたタカフミが前に出てプレスガンを照射する。一時的ではあるが活路が拓けた形となった。その一瞬を見過ごさず、リックベイはトウジャタイプの機体を抱きかかえる。うろたえたのが人機越しでも分かった。
『何を……』
「ここから脱出する。アイザワ少尉、抜け切れるか?」
『抜け切れなければ死ぬだけでしょう。やりますよ』
プレスガンを掃射し、《ナナツー参式》部隊とタカフミの操る《ナナツー是式》が急速に下がっていく。
0Gに近い環境下でリックベイはトウジャタイプを抱いて飛翔した。《ナナツーゼクウ》の装甲が軋みを上げる中、全力でこの区域を脱しようともがく。
《ナナツー是式》のプレスガンからリバウンド弾頭が発射されなくなった。弾切れらしい。こんなところで、とタカフミが小銃へと持ち替える。
蝿型人機の追撃は一定区域を出るとぱたっとなくなった。どうやらあの人機達はこの汚染区間だけを根城にしているようである。
ようやく未知の恐怖から逃れたタカフミと《ナナツー参式》部隊は安堵の息をついていた。リックベイも抱えたトウジャタイプを見やる。
解析するまでもなく、大破に近い状態であるのが窺えた。そのようなステータスで戦っていたのが奇跡なほどだ。
『少佐、この人機……』
「ああ、恐らくはブルーガーデンの人機だろう」
『連中もトウジャを開発していたって事ですか?』
「分からん。ただ一つだけ、ハッキリしているのは、ここで助けたのは間違いではない。それだけだ」
現状、理解出来る事は少ない。それでも、今は一歩ずつ進んでいくしかなかった。
汚染域の薄闇が剥がれ、ようやく揚陸艦へと戻っていく。
汚染の境目から嘘のように太陽が昇っていた。