ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯109 青の地獄

 命一つない海上で白波を裂いて航行する巡洋艦は通常のものよりも大型のリアクターを装備している。

 

 特区汚染域航行用巡洋艦、マホラ級。C連合の有する汚染域専用の船である。

 

 今まさにブルーガーデンの領海に入ろうとする船の甲板には警護の《ナナツー弐式》部隊が駐在しており、内側で通信を交わす操主達は防護マスクと浄化装置を装備していた。

 

 汚染状態が八割以上のレッドゾーンに達したのを目にして《ナナツー弐式》がそれぞれシグナルを振る。

 

 キャノピー型のコックピットに手動の防護シェルターを装備させ、汚染を防いでいた。

 

 しかしこの状態では目視戦闘を行えないため、彼らは熱光学センサーに頼る他ない。それでも八割以上の汚染状態ではB2ジャマーが働き、センサー類に誤認させる。

 

 よって甲板警護の《ナナツー弐式》はそれだけ気を張り詰めなければならなかった。

 

 外部装備されたカメラで擬似的な目視戦闘を行えるものの、どの画像も粗くCG補正されている。

 

 その映像がそのまま内側に格納されている《ナナツーゼクウ》と《ナナツー是式》に送られてきていた。

 

 甲板警護のナナツー部隊のお陰で常に新たな情報を得る事が出来るのだ。

 

 リックベイはコックピットに収まりつつ、これから接地する戦場に意識を割いている。

 

『少佐、こう言っちゃ何ですが、ブルーガーデン国土に勝手に入って大丈夫なんでしょうか?』

 

 タカフミの声が耳朶を打ち、リックベイは搭乗機のセンサー類を確かめながら応じる。

 

「何も不都合はない。もしもの時には交渉を行ってくれると上官からのお墨付きだ」

 

『でもですよ……これって火事場泥棒なんじゃないかって、みんな言っています。印象はよくないですよ、この作戦』

 

「印象のいい作戦などあるのならばご教授願いたいほどだ」

 

 甲板に位置取っている《ナナツー弐式》が地上を見据えた。紺碧の有毒大気が逆巻き、ブルーガーデン国土は濁っている。

 

『うわっ、こんなところにこれから行くのかよ……』

 

「嫌ならば辞退しろ。わたし一人でも行ける」

 

『冗談言わないでください、少佐。そりゃ、ビビリますけれど、仕事なんだからやりますって』

 

 何よりも《ナナツー是式》の初陣である。ここで性能試験を見せておかなければ後々の量産体制に響いてくるだろう。

 

「《ナナツー是式》のシステムチェックは厳にしておけ。お歴々はそのデータを参照したいんだ。有毒大気で駄目になったらすぐにでも帰還しろ。そのほうが次には助かる」

 

『おしゃかになる前に帰投しろ、ですか。……ピクニックじゃないんですよ』

 

「その通りだ。ピクニックじゃない。今回、君の役目はその機体をどこまで慣れさせられるかにかかっている。無理そうならば艦に戻れ。調査任務はわたしが引き受ける」

 

『……少佐、一人で行きたいんですか?』

 

 そう思われても仕方ない。だが仮にも仮想敵国であるブルーガーデン。何か伏兵が潜んでいてもおかしくはないのだ。

 

「もしもの時になれば、新型機は弊害になる可能性もある」

 

『じゃないでしょう? いくらなんでも《ナナツーゼクウ》だけで戦場を任せられるわけもないですよ。それに、参式部隊だって揃っている。いざとなれば、総員でかかればどんな人機が待っていたって』

 

 振動が艦を揺さぶる。港に入ったらしい。弐式の眼が地上へと連絡する通路を見据えている。

 

「もうすぐシャッターが開くぞ。有毒大気だ。出撃にかけられる時間は少ない」

 

『了解っす。あんましカッコつけられないって話ですよね』

 

「……どうとでも取れ。《ナナツーゼクウ》、戦端を切る」

 

 背面に装備されたバッテリーへの充電ケーブルを切断し、《ナナツーゼクウ》が僅かにつんのめりつつ出撃する。

 

 続いて《ナナツー参式》部隊が次々と濃紺の大地を踏み締めた。最後に殿の《ナナツー是式》が発艦する。

 

『サカグチ少佐。参式部隊は東方調査に向かいます』

 

 部下の報告を聞きつつ、リックベイは浄化装置とマスクのステータスを呼び出す。浄化装置のレベルは最大値に設定されていた。

 

「任せる。わたしはこのまま汚染区域の特区へと向かう。特区小隊はついて来い」

 

 了解の復誦が返る中で、追いついてきた《ナナツー是式》から通信が割り込まれた。

 

『少佐。特区って言っても、街中は東方部隊の仕事でしょう? おれらの行く場所って……』

 

「汚染中心区だ。嫌ならば帰れ」

 

『そりゃ、嫌っすけれど、《ナナツー是式》の性能を試すのにはちょうどいいでしょ。先行させてください。何が来てもやれる』

 

 タカフミの昂揚した声音にリックベイは呆れ返る。

 

「参式を持ってきたときもそうだが、君はすぐにハイになるな」

 

『ハイになれなきゃ、人機での汚染域の調査なんて怖くって出来ませんよ』

 

 それもその通りだ。これから目指すのは、この惑星で最も穢れた場所である。

 

 汚染の規定値を超える様子はない。だが、仮にもブルブラッド大気が噴火した場所。紺碧の有毒大気は今までの比ではないのは予測出来る。

 

「全機に告ぐ。少しでも乗機に異常があればすぐさま帰投コースに入れ。余計な犠牲を出す事はない」

 

『お優しいんだぜ。少佐はよ』

 

 継いだタカフミの言に部隊の中で笑いが漏れた。少しでも緊張が和らげばそれに越した事はない。リックベイは汚染領域へのルートを確保しようと火器管制システムへと接続した。

 

《ナナツーゼクウ》のシステムはまだひよっこに近い。それを完成まで漕ぎ付けるのもまた、自分の仕事の一つである。

 

 装備されたのは試作型のプレスガンであった。既にゾル国の《バーゴイル》などは標準装備の中に入れているそうであったが、ナナツータイプはその装甲の脆さとR兵装への耐性のなさから躊躇されていた武装である。しかしこれを推し進めたのは他でもない、モリビトの脅威であった。

 

 モリビトの堅牢な装甲に相対するのにはR兵装の装備は必須である。皮肉な事に、今まで技術的な側面よりも思想的な面で装備されていなかった武器はモリビトへの対抗策という形で結実した。

 

 プレスガンを構えさせ、照準を絞る。眼前に聳える汚染された瓦礫をR兵装の弾丸が射抜いた。

 

《ナナツーゼクウ》は想定されていた照準誤差以内の精密さで瓦礫を破砕する。さらに、汚染域の重力の補正、地軸によって直進しない可能性のあったプレスガンの弾頭は今、しっかりと目標に向かって駆け抜けていった。

 

 次第に踏み締める砂礫の中に青白いものが混じってくる。そろそろか、とリックベイは胸中に覚悟した。

 

 直後、汚染値を示す信号が異常な数値を記録する。警笛がコックピットを揺さぶり、防護シャッターが自動で下りてきた。

 

 汚染が九割以上を超えた時のみ発動するシャッターはこの時、正常稼動していた。すぐさまCG補正されたカメラ映像に切り替わる。

 

《ナナツーゼクウ》が見据えた先にあったのは、青白く光り浮遊する物体が空間を支配している暗黒地帯であった。

 

 今は昼過ぎのはずなのに夜の帳が降りたかのように薄暗く、薄闇の中を青い光体がふわふわと浮かんでいる。

 

 まるで泡沫のようだ。

 

『し、少佐……、これは一体……』

 

「今まで経験した事のないほどの汚染だな。ブルブラッド大気汚染測定器が異常値を示している。まさしく汚染の爆心地、と言ったところか」

 

『ビビッてんじゃねぇ! 少佐、こういうところこそ、敵が潜んでいるかもしれない。でしょう?』

 

 タカフミの言う通りであった。汚染区域に踏み込んだからと言って及び腰になっているのでは話にならない。

 

「全機、ついてこい。異常を示せばしかし、すぐに帰投コースに入れ。わたしとアイザワ少尉のナナツーはこのまま調査を継続する。他の参式にそこまで強制は出来ない」

 

『火器管制はしっかりオンにしておけよ! 伏兵がいるかもしれないんだ!』

 

 タカフミの張り上げた声に他の機体に乗る操主達がそれぞれ了解の復誦を上げたが、やはりと言うべきか、声には上ずりが見えた。

 

 誰しも恐怖するだろう。自分でも操縦桿を握る手が汗ばんでいるのが分かる。

 

 ここは人の踏み入っていい領域ではないのかもしれないのだ。

 

 推進剤を焚いて真っ先に踏み入ったリックベイはけたたましいアラートに眉根を寄せた。

 

 直後、重力値が変動する。機体制御系の駆動部分はここが重力の投網にかかっていないのだと告げていた。

 

「無重力……いや、六分の一Gか。急激に……」

 

『少佐? ナナツー浮かんでいますよ!』

 

 こういう時こそうろたえてはならない。リックベイは冷静にバランサーを整え、無重力戦闘形態へと切り替える。

 

 ナナツーによる無重力戦闘は想定外であったが、全く意図されていないわけでもない。重心を下腹部に置き、上半身の推進剤を全開にした。無理やり1Gに近い重圧をかけている状態では装甲が持つわけもない。軋みを上げる装甲にリックベイは即座に駆動系へと命令を与える。

 

 ここは空間戦闘なのだ、と機体に誤認させなければ耐久しないだろう。付け焼刃の措置はしかし、この時有効であった。

 

《ナナツーゼクウ》が姿勢を持ちこたえさせ、無重力戦闘形態へと移行する。

 

 浮かび上がったナナツーの鋼鉄の巨躯に他の部隊員が信じられないように声にしていた。

 

『嘘だろ……ナナツーが浮かぶなんて……』

 

「総員、わたしの機体の反映データを使え。使えないものは外周警護に回ってもらって構わない。ここからはほとんど無重力に等しい。0G戦闘に経験のない者は下がれ」

 

 その言葉に数体の《ナナツー参式》が区域から離脱していったが、その中で猪突する機体があった。

 

 タカフミの《ナナツー是式》である。あえなく無重力の虜になったかに思われたが、すぐさま制御用の推進剤を焚かせて機体のバランスを保たせる。

 

『少佐、ヤバイですね、ここ』

 

 応じつつ、その局地において自分以上に冷静かもしれない彼の精神に驚嘆していた。愚鈍は時には武器になるとは思っていたが、彼は疎いだけではなく、地に足のついた戦闘センスがある。やはり対モリビト戦で生き抜いている男の実力は伊達ではないようだ。

 

「気をつけろよ。これでは伏兵への応戦も出来かねる」

 

『ほとんどの兵が下がりました。残ったのはおれと、少佐、それに参式三機程度ですね』

 

「プレスガンを速射モードに切り替えさせろ。《ナナツー参式》は反動があるかもしれん。実体弾を念頭に置き、調査継続」

 

 調査継続、とタカフミが復誦すると参式乗りの三人も応じていた。残存したのは恐らくナナツーの搭乗経験者達でもエースと呼ばれる領域の猛者達のみ。

 

 見事なまでに振るいにかけられたというわけか。リックベイは胸中に苦いものを感じつつ、《ナナツーゼクウ》を直進させる。

 

 方位磁石は既に使い物にならない。太陽を当てにしようにも、降り立った薄闇と紺碧の濃霧が太陽の位置さえも掴ませてくれなかった。

 

「……まるで地獄だな」

 

 呟いて笑い事ではないのを自覚する。ここはまさしく地獄。人の生存を許さない絶対の汚染地帯。

 

 不意にセンサーを騒がせたのは人機の熱源であった。まさか予測通りに伏兵か、と身構えたリックベイは地面から突き出たロンド系列の腕を目にする。

 

 視線を投じればそれ一機だけではない。無数の人機が降り積もった汚染の土壌の下に埋まり、手足を無茶苦茶な方向に突き出している。

 

『こりゃ……人機の墓場ですね』

 

 タカフミが唾を飲み下したのが伝わる。人機がこれほどまでに大量に埋まっているという事は戦闘の形跡に他ならない。

 

 油断するなよ、と他の機体にも言い添える。しかし一番に油断ならないのは直進している自分の機体だ。

 

 この無辺の闇の中、青白い光体は方向感覚を麻痺させる。進んでいるのか後退しているのかさえも定かではない。

 

 音声を拾い上げようとすると、やはりというべきかノイズばかりで使い物にはならなかった。B2ジャマーは有効なままだ。特に有毒大気の中心に向かうにつれて、通信回線ですらほとんど無為に等しくなるのを予感していた。

 

 リックベイはここで一旦進軍を止め、それぞれにワイヤーを接続させる。機体同士が繋がっていれば、無線領域は意味を成さなくとも通信は出来るはずだ。

 

 デメリットとして散開出来ない事が挙げられたが、そもそも散開するような相手に出くわす時点で運がないのだろう。

 

『少佐……ここ、思ったよりも』

 

「ああ、随分と妙な空間に入ったものだ。空を見ろ。太陽は青く翳り、世界は薄闇に沈んでいる。汚染は依然として人が生きていけるようには出来ていない。こんな場所で、しかも大規模戦闘のあった様相を呈している」

 

『信じたくないっすよ……。こんなになるまで戦ったなんて』

 

 あるいは戦闘の結果としてこうなったか。思案していたリックベイは血塊炉の反応に部隊を止めさせた。

 

「人機の熱源……しかもこれは……かなり大きいぞ」

 

 だがどこに人機などいるのか。視界に入るのは青く染まった崖と滑り落ちていく砂丘のみ。

 

 潜んでいるとすれば、砂の中か、とリックベイは照準を向けるも、人機の反応は依然として警告として鳴り続けている。

 

 試すか、とリックベイは引き金を絞った。プレスガンの銃弾が砂丘へと吸い込まれていく。

 

 これで反応があるはずだ。そう考えていたリックベイは突然の接近警告に空を振り仰いだ。

 

 翅を有した虫のような人機である。跳ね上がったその機体がリックベイの《ナナツーゼクウ》へと飛びかかった。発達した四肢が機体装甲を打ち据える。

 

『少佐!』

 

「案ずるな。ブルブラッド有毒大気の中で稼動する人機……古代人機ではないようだが、油断はならないな」

 

 プレスガンを速射しようとして、蝿型の腹腔にエネルギーが充填されていくのをリックベイは目にしていた。

 

 CG補正画像との誤差は一秒未満であるが、その刹那が明暗を分けかねない。瞬時に判断したリックベイはプレスガンを捨て去る。

 

 直後、プレスガンの銃身を引き裂いたのはオレンジ色のプレッシャー砲であった。

 

 リックベイは後退用の推進剤を全開にして蝿型の射線から逃れようとする。それでも、蝿型は諦めようとしない。プレッシャー砲が再び閃き、リックベイは瓦礫を足場に蹴りつけた。

 

 砂礫を容易に破壊する威力を伴ったプレッシャー砲の連射にリックベイは揺さぶられるコックピットの中で歯噛みする。

 

 これほどの強力な人機、外に出すわけにはいかない。

 

『この野郎! 少佐に追いすがりやがって!』

 

 タカフミの《ナナツー是式》が駆け抜け、蝿型人機へと突撃する。よろめいた蝿型へとプレスガンがゼロ距離で放たれた。

 

 膨れ上がっていく複合装甲にリックベイは声を飛ばす。

 

「いかん! 離脱しろ! そいつはただではやられん!」

 

『心得ていますよ、っと!』

 

 蹴り上げた蝿型人機が爆発を拡大させる。紺碧に染まった有毒大気の中、眩い輝きが照らし出した。

 

『あの人機……無人の奴ですね』

 

 部下の一人が発した言葉にリックベイは頷いていた。

 

「まず、間違いないな。有人の機体ではあれほどの追従性はないだろう。それに、この有毒大気の中、通常の人機が活動出来るとも思えん」

 

『やっぱり、あれですか……出るんですかねぇ』

 

 タカフミの震えさせた声にリックベイは鼻を鳴らす。

 

「亡霊、かな。だが亡霊を怖がっていれば前には進めんよ」

 


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