「ねぇ、お姉様、やっぱり無理があったんじゃないかしら」
彩芽が切り出すとニナイはそうかもね、と返した。彼女は電子煙草を取り出し、口元にくわえてみせる。
彩芽は眉をひそめた。
「まだやめてなかったの?」
「火気厳禁だから余計に酷くなっちゃった感じかな。この宇宙空間では吸えるものも吸えないし」
「単刀直入に言うわ。わたくし達を呼び戻した理由は何?」
「何と言われても。救難信号の通りだとしか」
「でも、大挙として敵が押し寄せるにしては、この宙域は静かよ」
ニナイは足を止め、壁に寄りかかった。彼女の視線の先で子供達が球技を楽しんでいる。
「……様変わりしたね、彩芽」
「そう? 何も変わったつもりはないけれど」
「地上に降りて三分の一サイクルが経とうとしている。そりゃ変わるか」
彩芽は子供達の遊戯に目をやりつつ、変わった自分というのを探そうとした。だが、見つけられない。何も変わったつもりなどないからだ。
「……鉄菜のせいかも」
「彼女が変えた、か。しかし二号機操主は地上への降下作戦時にミスを犯している」
「やっぱり、鉄菜から二号機を奪うつもりなの?」
ニナイはこちらを見やり、フッと笑みを浮かべた。
「そんな意地悪に見える?」
「少なくとも、わたくしの知るブルブラッドキャリアならやりかねない」
「そうかもね。最初のモリビトの操主。破滅への引き金を引く事を許された、最初期の操主選定実験の……被害者だもの」
最初期の操主を選び抜いたあの戦い。どれほど地上で遠く離れたところで忘れる事など出来ない鮮烈な記憶。
「……引き金を引いたの、後悔はしていない」
「後悔なんてさせる暇なんてなかった。最初の操主を選ぶのに、あなた達は地上から無理やり連れてこられ、そして殺し合わされた。憎んでも憎み切れないでしょう。組織の事を」
「ブルブラッドキャリアの執行者としての領分は守るわ」
「執行者として冷酷になれる、というわけか。ルイは? 調子はどう?」
手首の端末からルイが浮かび上がり、ニナイの手を跳ね除けようとする。やはり自分のAIは最も強い部分で似通っていた。
「……嫌われ者だな」
「ごめんなさい、ニナイ。ルイはわたくしの感情をシンプルに読み込むから」
「シンプルな感情のはけ口は戦いか。なるほど。ブルブラッドキャリアの執行者としては正しい在り方だ」
子供達がボールを放り投げる。サッカーゴールへと一人がドリブルを始めた。
「この子達は、自分達のいる環境を疑問視する事なんてないのよね」
「だね。第二世代の操主候補生達だ。彩芽や二号機操主、あるいは三号機操主でさえも彼ら彼女らの前では時代遅れだろう」
彩芽は子供達の庭園を囲っている強化ガラスへと手を伸ばした。少年少女らは管理された庭園で無邪気に遊んでいる。いずれ試される時が来るなど知る由もないのだろう。
「……わたくしにやったような事、もう彼らには」
「やらないよ。あれはあまりに前時代的だった。組織は反省もしている」
「そう、でも反省はしても人は繰り返す」
「地上で見聞は広めてきたみたいね。あるいは嫌でも思い知らされた? 人間がどれほどまでに愚かなのかを」
青く汚染された大地。生物の息吹さえも感じさせない母なる海。どれもこれも、人の原罪の象徴でしかない。
「あんな場所に、落とされたのが人間なのね」
「自分から堕ちたとも言う。それとも、もっと希望を抱いていた? 地上はここよりかはマシかもしれない、と」
「どこかでね。でも、そんな都合のいい話なんてなかった。どこへ行っても争いがついて回る」
ニナイは手を翳し、彼らを照らし出す人工太陽に目を細めた。
「こんな資源採掘衛星が世界の全てだと思い込んだまま死ぬか、それとも世界の広さを知った上で絶望するか、どちらが残酷だと思う?」
やはり組織は根底の部分では変わっていないのだ。自分と他の操主候補を分けたように、血で贖うしかこの宿命を終わらせる事は出来ないだろう。
「……どっちも、残酷よ」
「彩芽、今回の作戦の詳細を説明する。ついて来て」
もう子供達に関心はないようであった。彩芽は子供達の球技を視線の中に入れつつ、ニナイの背中に続く。
ここで撃ち殺してしまえれば、と考えてしまった己に、自分もまた汚く成長してしまったのだと実感する。
暴力と殺し殺されこそが世界において最もシンプルなのだと、どこかで判断してしまっているのだ。
何よりも彼女を殺したところで何の解決もしない。ブルブラッドキャリアは禍根を残しつつ、同じ所業を繰り返すのみだろう。
「彩芽、二号機操主も三号機操主も未熟だ。まだ、組織の何たるかを理解せず、また操主としても技術面で遥かに劣る。ファントムでさえも会得出来ない彼女らをどう利用するべきか、ブルブラッドキャリア上層部では意見が分かれている」
「三号機はあの重量ではファントムなんて無理よ。二号機もそう」
「どうかな。会得しようとしないだけかもしれない」
試すような物言いに彩芽は嘆息をついた。
「……ハッキリ言えば? 一号機以外のオペレーション遂行に不安がある、って」
「そんな事を言えばお取り潰しになるのは目に見えている。何よりもせっかく三機いるんだ。無駄にする事はない」
畢竟、人機のパーツとしてしか考えられていない。自分の心象次第で鉄菜や桃の処遇まで変えられてしまうのは納得いかなかった。
「鉄菜達は、モノじゃないのよ」
「ではあなたはモノでいいのかな? 彩芽」
組織にとって都合のいい存在でいいのか。ニナイの言葉に彩芽は鋭く言い返す。
「もし、組織がそうとしか考えられないのなら、わたくしは今回の作戦を辞退する」
ニナイが足を止める。本気だ、という眼差しを注ぐと、彼女は根負けしたように頭を振った。
「本気になるなよ。冗談だ」
どうだか。どこまで冗談なのか分かったものではない。
「ゾル国ね」
「その根拠は?」
「ゾル国くらいしか、今の逆境で動けるはずがない」
「ブルーガーデンは崩壊した。他ならぬ二号機の手によって。しかしそれは、汚染域を広げる愚行とも取れなくはない」
「ブルーガーデンへの破壊工作はでも、組織の作戦に入っていたんじゃないの?」
「殊勝だね。二号機操主は口を割っていないのか」
「鉄菜を馬鹿にしないで。そこまで安くないわ、あの子だって」
彩芽の口振りに、ニナイは微笑み返す。
「本当に、変わったよ、彩芽。それを自分で理解出来ていないだけなのか、あるいは、という話だな。《インペルベイン》に乗るうちに考えた方が変わったか」
「二号機と三号機を補佐しなくてはいけないんだもの。それなりに大人しくはなったかもしれないわね」
「大人しく、か。あの頃が懐かしいよ、彩芽。大人達へと憎悪と怨嗟の眼差ししかなかった、あの頃が」
ニナイでさえも信じられなかった。自分はブルブラッドキャリア全体からしてみれば道具でしかなかったのだ。
「……わたくしを困惑させて、何をモニターしているって言うの? 今さら揺さぶりは通用しない」
「そうだね。今回の場合、頼み事をしているのはこちらだ。言葉を弄している場合でもない、か」
ラボへと入るとニナイはデスクトップ上に投射画面を呼び出した。資源衛星宙域が三次元マップ上に再現される。
「ゾル国が仕掛けてくるのは八割方正確な情報だ。しかしどれほどの戦力で来るのかは未だ不明。そのためモリビト三機を召集した。《ノエルカルテット》のみを宇宙に戻せば地上での守りが手薄になる。ここは地上戦を捨てて、あえて宇宙に舞台を移させてもらった形だ」
彩芽はニナイが顎でしゃくった椅子に座り込む。三次元マップには敵が攻めてくる場所の予測がされていた。
「この予測範囲は、ブルブラッドキャリアの」
「知っての通りかもしれないが、我々の有する最大規模のマザーコンピュータ、バベルの試算だ。ほぼ間違いないだろう」
三号機と接続されている謎の多い機構だ。ここで三号機に関しての情報が開示されるかと思ったが、ニナイにその権限はないのか、それともあえてぼかしているのかは分からなかった。
彼女は卓上の図面へと手を伸ばす。
「資源衛星への破壊工作は必ず阻止しなければならない。何より、ブルブラッドキャリア本隊への攻撃は予測されていたが、ここまで早いのは想定外であると上は考えている」
どこまで悠長なのか。彩芽は鋭く切り込んだ。
「トウジャのデータは送ったでしょう? ああいうものがもう地上では出ているのよ」
「そのようだね。まさか封印されていた三機のうち、トウジャが開封されるのは予測にはなかった」
「でもモリビトの介入が人機開発を進めさせるのは分かっていた事でしょう?」
彩芽の言葉にニナイは首肯する。
「それは予定されていた通りだ。だが、トウジャ、ひいてはキリビトまで出てくるとなれば、それは予測よりも遥かに速い成長であるとされる」
キリビトのデータは予め送っておいた。本隊が知らないはずがない。彩芽は覚えず乗り出していた。
「何なの? キリビトという人機は。わたくし達もデータでしか知らない。鉄菜に至っては教えられてすらいなかった」
ニナイは卓上の投射画面を切り替える。ブルーガーデンでモニターしたキリビトの三次元図が表示された。
灰色の寸胴機。特徴的なのは通常人機の六倍はある巨体と、三角の鋭い推進機関。それ以外は自分が赴いた時には既に終わっていた。鉄菜からはまだ詳細を聞けていない。
「キリビトは……百五十年前、人機製造施設にて、建造された最新鋭の人機であった。それと同時に、三大禁忌として、モリビト、トウジャと共に地上の人々からは秘匿された存在でもある。彩芽、あなたの想定を聞きたい」
鉄菜は何一つ話していない。だがあの状況から導き出される答えは限られていた。
「……汚染原因、なんじゃないかと思っている」
「ほう、汚染原因と来たか」
「キリビトの内包する血塊炉が他の人機と違う、という可能性。そのためキリビト一機の暴走で世界が破滅寸前へと大きく状況を進められた。それが百五十年前であり、現状でもあるのではないか、とわたくしは考えている」
ニナイは笑みを浮かべ、何度か頷く。
「ある種、正解に近い。やはり賢明だね」
「でもそんな簡単でもないのかもしれない。キリビト一機をどうにかすれば、世界が変わるなんてそれこそ驕り。そんな単純なら、人は百五十年の間に惑星を取り戻す事だって出来たはず」
キリビトの技術を意図的に封印し、あの汚染惑星を牛耳る必要性があった。そうでなければ、わざと技術体系を遅らせた意味がない。キリビトも、トウジャも、平和利用が不可能なほど愚かな発明ではない。無論、モリビトも同じだ。
ニナイは執務机についてキリビトの三次元図を回転させた。緑色の淡い光のみが降り立ったラボの中、ニナイの吸う電気煙草が蛍火を放っている。
「人が愚かであった、だけでは説明出来ない事象か」
「キリビトを起動させた一味だってそう。ブルーガーデンは何を考えていたの? どうしてキリビトも、トウジャも、あの国家は持っていたって言うの?」
ニナイは唇の前に指を持ってきた。
「どこに耳があるか分かったものじゃない。声を荒立てるな」
「それでも、不条理には不条理を言い続ける義務があるわ。キリビトの事も、トウジャの事も、組織は分かっていて放逐したんじゃないの? そうでなければこんなに早く、モリビトへの対抗策が練られるわけもない。それに、今回の救難信号だってそう。……ブルブラッドキャリアは何をさせたいの? わたくし達モリビトの執行者に」
ニナイは嘆息をついて投射画面を手で払った。キリビトの像がぶれる。
「そう興奮するなよ。まだ帰ってきたばかりだ」
「わたくしは、こんな場所に長居するつもりはない」
「嫌われたものだね……。まぁ、仕方ない。あなたの素性を分かっていれば、自ずとその答えは見えていた。でも落ち着いて聞いて欲しい。そこまで組織は計算ずくではない。キリビトの事も、トウジャタイプの事も最低限しか分かっていなかった。当たり前だろう? こんな辺ぴな場所から常に惑星の最新情報を得続ける事は難しい」
「バベルがあるわ」
「それもここ最近の技術だよ。それに妙だとは思わなかったか? 三号機、バベルと直結しているあの機体でさえも、万能ではない事を」
彩芽は言葉を詰まらせる。万能ではないマザーコンピュータ。それに委ねられた自分達の運命。組織は何もかも不明なまま、自分達を惑星へと放ったというのか。だが、それにしてはどこかで採算の合わない部分が大きい。
「……鉄菜は何も知らなかった。任務遂行しか、本当に頭にないみたいに」
「二号機操主の事、詳しくは知らないが、それが設計通りなのだとすれば、そうなのだろう。彼女は知らぬまま、《シルヴァリンク》と共に放たれた。全ては世界を変えるために。その一撃のためだけに。残酷なのだとすれば鉄菜・ノヴァリスとされている彼女自身もまだ、己の事を何一つ知らない。……知らないほうがいいのかもしれない」
「それは、鉄菜に、何も考えない戦闘マシーンになれって言いたいの」
「あくまで、彼女の担当官ではないから何も言えなけれど。彩芽の担当官だからね」
彩芽は苦々しいものを感じつつ、ニナイへと質問を重ねる。
「来るとすればゾル国……でも《バーゴイル》なんてここの防衛機構でもどうにかなるんじゃ?」
「それがそうでもないかもしれない。ゾル国に潜り込ませていた諜報員からもたらされた情報よ。三時間前にだけれど」
粗い画素で撮影されたそれは最大望遠のものであったが、これまでの人機とは一線を画していた。
暴力の塊のように強大に膨れ上がった両腕。先端には牙を思わせる意匠がある。さらに頭部形状からしてその人機の種類は間違えようもない。
「トウジャ……?」
「トウジャタイプをゾル国が所有しているという情報はないけれど、他国の技術に遅れを取るまいと急ごしらえで造り上げたのかもしれない。どちらにせよ、これは重力圏で稼動するようには見えないというのが大方の見解」
「つまり、宇宙で試されると?」
「試金石にするのに、ブルブラッドキャリアの本拠地の情報……ここまで符合すればこれが仕掛けてくるのだと思ったほうがいい」
「……名称は」
「《グラトニートウジャ》、と呼称されているみたいね。どこまでやるのか分からないけれど、相当な脅威だと位置づけておいて」
「これを片づけさせるためだけに、モリビトを呼び戻したわけでもないでしょう」
彩芽の勘にニナイは机に肘をつく。
「そうね。近々、大規模な戦闘があると推測される。そのためにモリビト三機を万全にしておきたい、というのと、やはり二号機操主の不手際を一度審議したい、というのが上の思想みたい」
「鉄菜を降ろすためにわざわざ呼んだって事」
「実際、モリビトの操主からしてみて、二号機操主がどれほどに作戦に支障を来たすレベルなのかを問い質したい、というのもある。報告書にして提出しろ、とも」
「鉄菜に不備なんてないわ。あの子はよくやっている」
「それは感情論だろう? そうではない、執行者として、冷静な判断力が求められている。それ以外は排除して、報告書の形にして提出。それがまず一つの任務」
ニナイは手を払い、卓上の三次元投射映像を消し去った。話はここまでだと言うかのようである。
「わたくしを拘束しなくっていいの」
「拘束? 一番に安定性のある操主の自由を奪ったところで何になる? まぁ、担当官の権限でどうにでも出来るけれど、あなた自身、この場所でどう振る舞っても同じだという事は身に沁みているはずよ」
彩芽は身を翻した。これ以上話し合っていてもどうせ無駄だ。
「外に出てくるわ。鉄菜達の前では、せいぜいいいお姉様を演じている事ね」
「そんなに心配しなくても、彩芽の前でしか、こんな本性は晒さない。それに今は整備班長としての身分でもある。出来るだけ執行者にはフラットに、と言われてもいる」
「じゃあ、精一杯モリビトを万全にしておいて。わたくしは貴女に何も期待していない」
「それはそうだろう。彩芽・サギサカ。一号機操主。あなたは完成され尽くされているもの」
その言葉を背に彩芽はラボを後にしていた。
資源衛星の内部は思ったよりもずっと広い。演習室や機材の並ぶ研究所を抜けると、居住区が現れた。
遠心重力で擬似的に1Gに限りなく近い感覚を構築している。買い物も出来るようになっており、売店が立ち並んでいた。
しかしどれも必要最低限のものだ。地上でのOL生活とは雲泥の差であった。
地上がどれほど汚染されていても、彼らは人間らしさを失ってはいなかった。人らしく生活するのに、汚染も原罪も関係ないのだとあの生活で学んだほどだ。
だが、その地上への報復を誓った者達は人間らしさを放棄している。そうでもしないと、まるでやっていけないかのように。
ふと、こちらへと駆けてくる少女が視界に入った。茶髪の少女はウィンドウに並んだ衣服を目にして感嘆の息をつく。
「お嬢ちゃん、ここの子?」
声をかけた彩芽に少女は瞠目する。そういえばRスーツを着込んだままであった。これでは自分がモリビトの操主だと主張しているようなものだ。
しかし、次の瞬間、少女は声を弾ませる。
「もしかして……モリビトの操主さんですか?」
「うん、そう……」
「すごい! モリビトの操主は英雄なんだって、ずっと聞かされていたんですっ! 握手してもらえますか?」
少女の無垢な反応に彩芽は手を差し出しかけて、ハッと躊躇う。この手はいくつもの命を摘んできた。そんな人間が容易く手を握っていいはずもない。
「今は、ちょっと……」
「えーっ、駄目なんですか?」
少女は本心からモリビトの操主への憧れを抱いている様子だ。自分が地上でどのような蛮行に走ったのか、この資源衛星でどのような試練の末にモリビトの操主の座を勝ち取ったのかなどまるで知らないように。
彩芽は躊躇いの末に少女の手を握り締める。紅葉のように小さく、華奢な掌。ちょっとでもひねればすぐに折れてしまいそうな腕。
「ねぇ、モリビトの操主さん。あたしとお話しようよ!」
すぐ傍のベンチを示し、少女は提案する。彩芽は戸惑いつつもそれに応じていた。
「いいわよ。でも、わたくしなんかが何を話せばいいのかしら」
「地上の事を聞かせてっ! だって行った事ないんだもん」
地上の事。青く穢れた原罪の地について純粋な少女に言える事など何もないように思われた。
だが、彼女は地上に焦がれているようである。
ベンチに座り、彩芽はどこから話すべきか、と話題を思案する。
「地上って、人がいっぱい住んでいるんでしょ? 大人はみんな知っているみたいだけれど、あんまり教えてくれないの」
「そうね。人はたくさんいるわ」
「羨ましいなぁ。だって、ここにいても、いっつも知った人ばっかりでつまんないもん」
資源衛星の中では見知った顔しか見ないだろう。ブルブラッドキャリア本隊と言っても居住する人間は二百人といないはずだ。
「地上に行って、何がしたいの?」
あんな争いしかない場所に赴いてまで。そのような現実、少女には酷なだけだろう。
少女は考えた後に言ってのけた。
「色んな人と友達になりたい!」
友達、と彩芽が絶句していると少女は手を掲げた。
「だって、あれだけ大きい星なんだから色んな人がいるでしょ?」
「お嬢ちゃんだって友達はいるんじゃないの?」
「いるけれど、でももっと色んな人と会いたいの。だってそうすればもっと楽しいに決まっているもの」
これほどの希望を抱いている子供がまだブルブラッドキャリアにいたのか。彩芽は新鮮な気分で言葉を返す。
「でも……地上は怖いかもしれないわよ」
「平気だよ! だって、モリビトがついているんでしょ?」
モリビトの名前は彼らにとって祝福なのだろう。地上に帰る唯一の寄る辺。自分達の抵抗の証。
どれだけ地上が汚れていても、人間が人間と殺し合うだけの場であったとしても、モリビトの名前が明日への希望に繋がっている。
自分はそのモリビトの一角。そう考えれば、少女の瞳に映る自分は先ほどまでニナイと話していた力なき個人ではないのかもしれない。
明日へと繋ぐ希望そのものに見えているのかもしれなかった。少女は足をぶらつかせて声に張りを持たせる。
「モリビトはいいなぁ。操主さんもこんなに、素敵なお姉ちゃんだし!」
自分が遥か昔に捨てたモリビトの操主への展望を少女は持ち続けている。ともすればブルブラッドキャリアの人々は未だに夢を見ているのかもしれない。
地上への帰還。そのために前線で戦う戦士。それこそがモリビトであり、執行者の操主達。そこまで眩しい存在だと思われているなど、彩芽は一時も考えた事はなかった。
硝煙と血の臭いでしかこの地位は得られなかった。人殺しの先に待っていたのが結果論としてのモリビトの操主であっただけの事。
だから、モリビトの操主に憧憬など、ましてやその地位が誰かの希望になるなんて考えもしなかったのだ。
「……貴女は、モリビトが好き?」
思わず尋ねていた。あれは人殺しの道具、人機なのだ。それでも好きになれるのか、と。少女は屈託のない笑みを浮かべる。
「うん! だって世界を変えるためにたった三機で戦っているんだもん。すごいよ、モリビトも、その操主さんも!」
そうか、ブルブラッドキャリア内部ではそのように情報操作されているのか。自分達は英雄のように祀り上げられ、世界を変えるために日夜戦っていると。
間違いではないが、英雄とはまるで正反対の位置にいるとは言えなかった。
地上における間断のない争いの只中で翻弄されているなど。
「モリビトに、乗ってみたい?」
だからか、彩芽は自分でも思いもよらない事を聞いていた。モリビトなどに乗ってみたいと思えるのだろうか。
あのような忌まわしき人機に。
しかし少女は目を輝かせた。
「いいの?」
「わたくしが口添えすれば、難しくはないと思うけれど……」
「乗れるなら乗ってみたい。あたし、これでもシミュレーターで撃墜王なんだ。ほら、これ見てよ!」
少女が示したのは手首に巻かれたバングルであった。彩芽はその内部にタグが仕込まれている事を看破する。この少女も、自分とは違うが実験体のような扱いを受けている。本人も気づかぬ間に、人機への適性を試されているのだ。
「撃墜王、なんだ……」
言葉尻に憐憫が宿る。どうして世界はこうも容易く出来ていないのだ。これほどに純真な少女の夢ですら欺く道具にするなど。
「うん! だからさ、モリビトに乗っても多分、うまくやれるよ! あたし!」
自慢げに語る少女に彩芽はどう声をかければいいのか分からない。ブルブラッドキャリアがどれほどに汚い組織なのかを説いても、彼女は洗脳措置を受けて人機に乗せられるだろう。
どこまで行っても、自分の周りは穢れている。それもこれも、血で贖った結果なのかもしれなかった。
「あっ、ママ!」
少女の母親がこちらへと歩み寄ってくる。跳ねるように少女が駆けていった。
「すごいんだよ! モリビトの操主のお姉ちゃん!」
興奮した様子の少女とは正反対に、母親は彩芽を認めるなり青ざめた。
「……行くわよ」
「何で? お姉ちゃんはモリビトの操主なんだよ? 英雄なんじゃ」
「いいからっ! 早く逃げないと」
母親の浮かべる焦燥に比して、少女は鈍感であった。
「バイバイ、お姉ちゃん」
手を振り返していると、母親が叱責する。
「あんな……人殺しに手なんて振らなくっていいの」
母親の世代は自分達モリビトの操主がどれほどの犠牲の上に成り立っているのか知っているのだろう。
彩芽はベンチに座ったまま、項垂れた。
「どこまで行っても、か。わたくしには、こんな重責を負い続けるしかないのね」
首から提げたロザリオを握り締める。ルイが手首の端末を明滅させて激励する。
『マスターのせいじゃない。あの、ニナイも相当に性悪。好きになれない』
「でもわたくしは選んだ。死ぬか、生き延びてまで残酷な現実で行き続けるかの二択を。モリビトの操主は結果論でしかないとは言っても、それはわたくしの選び取った選択。なのだとすれば……」
後悔のないようにしたい。そうは願いつつも、突きつけられる現実に彩芽は静かに呻いた。