《ノエルカルテット》の飛翔速度は三機の中で遥かに勝っている。だからか、リバウンドの皮膜に一番に触れたのも三号機であった。
両腕を掲げ、星を覆う虹の原罪に触れる。直後、皮膜が中和され虫食いのように穴が空いた。
『降りるのは簡単だろうけれど上がるのは《ノエルカルテット》の援護なしでは不可能』
桃の言葉をコックピットで聞きつつ、鉄菜は空間戦闘用に《シルヴァリンク》を調整していた。地上重力下とはまるで違うはず。書き換え作業の最中、彩芽の通信回線が開いた。
『皮肉なものね。わたくし達全員が結託しないと宇宙にも上がれないなんて』
「最初からモリビト三機によるオペレーションは加味されていたのだろう。そうでなければ何のためにモリビトは三機に分かれているのか」
『それ、あんたが言う? クロ』
一番に輪を乱していたのは自分だ。返ってきた声音に彩芽が微かに笑った。
『ね。でも鉄菜、宇宙に上がるのに何の反対も挟まなかったわね』
「私の一意見など組織の前では些事だ。何よりも本隊の危機は無視出来ない」
『でも、それが仕組まれていないとも限らない』
どこか桃と彩芽はブルブラッドキャリアに疑念を抱いているようであった。それは自分一人の作戦実効を示した事からも明らかだろう。
組織の求めるものが分からなくなっている。そのためにも一度上がるべきだと鉄菜は考えていた。組織は変わらず報復作戦をモリビトに執行させ続けるつもりなのか。あるいは別の道を模索しつつあるのか。
いずれにせよ、ブルブラッドキャリア本隊に意見は仰がなくてはならない。疑惑が出てきたこの機に宇宙へ、というのは渡りに船でもある。
『しかし、《ノエルカルテット》に担がれているようなものね』
《シルヴァリンク》と《インペルベイン》は《ノエルカルテット》に連結し、フルスペックモードを内包したコンテナへと収納されていた。
元々、《ノエルカルテット》が持ち帰ったコンテナのうち、二つは空きコンテナであった。それはこのような事態を加味しての事なのだという。
『感謝してよね。モモと《ノエルカルテット》がいないと、アヤ姉もクロも地上でずっと腐っているばっかりよ』
『はいはい。桃には充分に感謝しているわ』
『それ、感謝していない人間の言い分じゃん』
どこか、自分がいない間に桃と彩芽の間には新たなものが芽生えているようであった。その関わり合いをどう表現するのか鉄菜には不明のままであったが。
『鉄菜、黙っているって事は、貴女にも何か考えがあるって思ったほうがいいのかしら』
直通回線で彩芽が質問してくる。鉄菜は桃の三号機との通信を一度ミュート設定した。
「……私がやった事に対するお咎めがあるとすれば、それは本隊合流時だ」
『なるほどね。《シルヴァリンク》を降ろされるかも、って思ってるわけか』
ブルーガーデンに関して言えば完全な失態に等しい。プラント設備の破壊工作どころか、人の棲めない領域をまたも増やしてしまった。
「落ち度は正しく理解するべきだ。私は罰を与えられても仕方がないと思っている」
『それほどの殊勝さが、わたくし達を切った時にも欲しかったわ』
耳に痛かったが今は認めている場合でもない。二号機を降ろされる。それは自分の実力不足以上に、この「鉄菜・ノヴァリス」という存在の全否定だ。それだけは避けなければならない。しかし、桃と彩芽が証言してしまえば、自分への処罰は確実になるだろう。
かといって彼女らを消すような心持ちではもうない。どこかで自分もぬるくなったのだと実感する。
『鉄菜、二号機を降ろされる事なんてないマジ。AIサポーターがしっかり証言すれば、きっと……』
「気休めだ。何よりも私がお前を操作したと言う疑いが濃くなる。何もしないほうがマシかもしれない」
『そんなの……! 鉄菜らしくないマジよ!』
「私らしい……? 私らしいとは何だ? 何がこの鉄菜・ノヴァリスの存在を確かにしている。私の事が、どこまでお前に分かるというんだ」
そこまで言えばジロウは自然と黙りこくった。自分でも妙な感覚だ。AIと言い合いをしても仕方がないのは分かっているのに。
『鉄菜、わたくし達が二号機を降ろそうと動くように思っている?』
「今までのようなイレギュラーを生じさせないのには必要な処置だ。覚悟はしている」
その言葉に彩芽はどこかうろたえがちに応じていた。
『……勘違いしないで。鉄菜、今回の事、確かに反省はして欲しい。でも、貴女に操主をやめて欲しいとまでは言わない。むしろ、逆かもしれない。ここまで分かってくれた貴女を、もう二度と二号機から離しちゃいけないんだと思う』
「それは非合理的な判断だ。私の行動には大きな欠陥が多い。欠点を抱えたシステムを使い続けるよりかは、新しいシステムに切り替えたほうがいくらか合理的と言える。私は自分のシステム的不合理を見過ごせるほど、モリビトと執行者という使命に――」
『やめて、鉄菜。わたくし、そんな事を言っているんじゃないわ』
遮られた言葉に鉄菜は首を傾げるばかりであった。自分が二号機から離れるのはブルブラッドキャリア全体から考えれば何もおかしな事ではない。むしろあり得る可能性なのだ。
それを自分から列挙すれば今度はやめろと言われる。実に分かり難い事であった。
「彩芽・サギサカ。私の言っている事がおかしいとは思えない」
『おかしくはないわ。でもね、鉄菜、それでも通したい意地があるのなら通しなさい。そんな、組織のためだとか、大義だとかはいいの。貴女のやりたい事をして欲しいだけなの』
「私のやりたい事など……」
『リバウンドフィールド中和完了、このまま一気に押し上げるわ』
桃の声が響き、会話は一旦中断となった。胃の腑にかかる重力を感じつつ、鉄菜はコンテナ外部に装着されたカメラから惑星軌道を離れていくのを目にしていた。
ぐんぐんと遠くなる地上。青く汚染された星の重力の投網から外れ、今に常闇の宇宙へと身を任せていくのが感じられる。
無重力の感覚が身体を押し込んだ途端、桃から通信回線が開く。
『アヤ姉、クロ、《ノエルカルテット》は重力圏から離れるために血塊炉を二つ、消費したわ。今の《ノエルカルテット》に対人機の戦闘能力はない。血塊炉の貧血状態が自動回復するまで三十分は最低でもかかる。その間、もし仕掛けてくる連中がいたら用心して』
『四基の血塊炉を持っている三号機でも、さすがに重力から離れるのには苦労する、ってわけか』
『そーいう事。前も待ち伏せされていたわ。宇宙だからって安心は出来ない』
「重々承知だ。ここから廃棄資源衛星まで、水先案内人を任せられていないとも限らない」
モリビトの帰投ルートを追われればそこまでである。鉄菜はコンテナのシャッターを開き、《シルヴァリンク》を起動させた。
それと同じくして《インペルベイン》もコンテナから飛び出す。二機が同じように《ノエルカルテット》を押し出し、推進剤を焚かせた。
『助かるわ、二人とも。前はこんなのなかったからね』
『重力から解き放ってくれたのに比べればお安い御用よ』
「桃・リップバーン。前回……つまりフルスペックモード取得時にもこのような状態に陥ったのか」
その質問に桃は頬を掻く。
『なったけれど、でもどうして?』
「その場合、対人機戦は不可能だと先ほど言ったな。どうやって切り抜けた?」
余計なお世話だったのかもしれない。だが情報の共有はされるべきだ。
桃は逡巡の間を置いてから応じていた。
「……《ノエルカルテット》には他にも装備があるの。奥の手だけれどね」
「封印武装か」
『ま、似たようなもの』
どこかはぐらかされたかのような気分だ。追及する前に彩芽が言葉を差し挟む。
『いいんじゃない? 隠し事の一つや二つくらい』
裏切った自分が言及出来る事ではない。そう言われてしまえばそこまでである。鉄菜は言葉を仕舞った。
資源衛星までのルートは大まかにしか分かっていない。どうして人類は大量のデブリと採掘資源に溢れた宇宙への開拓を怠ったのか。鉄菜は周囲を漂うデブリ帯に疑問を抱いていた。
「しかし、どうして資源採掘衛星には全く手を出していないんだ。惑星内で自給自足が出来るからか」
『あら? 鉄菜知らなかった? 百五十年前の罪悪より先、宇宙空間における採掘はタブー視されているのよ』
彩芽の返答に鉄菜は尋ね返す。
「同じような過ちを繰り返すからか」
『それもあるけれど、宇宙にまで進出してまともに戦える人機がなかったのもあるわね。ナナツーとロンド系列じゃ、宇宙空間における戦闘には不向きなのよ。唯一まともなのは《バーゴイル》くらいだけれど、その《バーゴイル》だって空間戦闘のノウハウは失われて久しい』
「元々、宇宙で戦うようには出来ていないのか、人機は」
地上で人間同士の諍いのためだけに造られた兵器。それを宇宙にまで持ち込むのは気が引けるからか、とも考えていたが、どうにも理由は合理的らしい。
『血塊炉がもし、貧血状態を起こしたら宇宙じゃ補給も出来ないからでしょ? その危険性をどうするかという命題と、地上での冷戦、どっちに比重を置くか考えるまでもない事じゃない?』
モリビト三機がようやく可能にした補給ありきの戦い。それは既存の人機には不可能な領域であった。
空間戦闘で破損、あるいは貧血に陥った場合の想定をしてこなかったのだ。
「艦隊レベルの代物は宇宙に出すのにはまだ技術が足りないか」
『一時期は星を渡る船もあったみたいだけれど、それも過去の産物よね。宇宙で地上と同じかあるいはそれ以上に戦う手段はないに等しいのよ』
鉄菜は全天候周モニターの一角を叩く。出現した通信回線に暗号通信を打ち込んだ。ここから先の資源衛星のどこにブルブラッドキャリア本隊が潜んでいるのか、自分達もギリギリまで知らされていないのだ。
だからこちらから通信を打ち、位置を知らせる事で初めて相手から招き入れられる。
デブリの漂う宙域で、不意に光の道標が開いた。
ガイドビーコンである。放ったのはただ目視しているだけでは絶対に見つけられないであろう、何の変哲もない資源衛星であった。
ガイドビーコンに沿って《ノエルカルテット》を先頭に衛星内部へと入っていく。シャッターがにわかに開き、モリビト三機を迎え入れた。
気密が施され、整備デッキに降り立つ。無重力地帯なのは変わらない。だが、宇宙服を身に纏った人は活動可能であった。
三機に取り付いた人々は整備士だろうか。それぞれのモリビトのハードポイントを理解しており、デッキへと誘導する。
鉄菜を含め、三人はそれぞれのモリビトを整備ハンガーに移動させた。
整備中のサインが明滅し、鉄菜へと通信が振りかけられる。
『お疲れ様です、ブルブラッドキャリアの執行者の三人』
リニアシートのベルトを外し、鉄菜はコックピットハッチを開く。浮遊して来たのは一人の女性整備士だった。
「ここまでの旅路、お疲れ様。疲れているでしょう? セーフルームを用意しているから休んでいきなさい」
鉄菜には馴染みのない顔だ。女性はヘルメットを外し彩芽へと近づいていった。
頭部コックピットから出てきた彩芽がハイタッチする。
「久しぶり、お姉様」
「その呼び方やめなさい。もしかしてまだ、他人にもそう呼ばせているクチ?」
朱色の髪を一つ結びにした女性は彩芽の肩に手を置いた。
「だって、お姉様が教えてくれたんじゃない。そう呼ばせろって」
「昔の話よ。一号機も無事に帰ってこられてよかった」
「《インペルベイン》も、ルイも優秀よ」
「アヤ姉ー! それは誰?」
桃が慣れない無重力に晒されつつ、ワンピースのスカートの裾を押さえつける。
「紹介するわ。わたくし達のモリビトの専属整備士」
「ニナイよ。よろしく。あなた達のモリビトを任せられている。二号機操主と三号機操主とは、時期の都合で会った事はなかったね」
鉄菜は《シルヴァリンク》のコックピットハッチに足を引っかけつつ、ジロウへと検索させる。
ジロウがその名前をすぐに呼び出した。どうやら後ろ暗い人間ではないようだ。専属整備士という役職は確かに存在する。
「へぇ、じゃあ偉いんだ?」
「偉くはないけれど、モリビトの事に関しては一任されている。みんな! 惑星に降りて疲れているモリビトを万全にするよ!」
整備士達がそれぞれモリビトへと押し寄せる。鉄菜は反射的にホルスターのアルファーへと手を伸ばしかけた。
「鉄菜、心配は要らないわ。ここはブルブラッドキャリア本隊よ」
「だからこそだ。救難信号を得た。あれはどういう意味か」
鉄菜の様子にニナイは彩芽へと視線を流す。
「ゴメンね、ああいう子なの」
「ああ、どうりで。救難信号についてはこっちの管轄じゃないから。あなた達三人のそれぞれの監査官が存在する。彼らに話を聞くといい」
《シルヴァリンク》のハードポイントへと端末が接続されていく。いい気分ではなかったが、整備に必要と言われれば静観するしかない。
「鉄菜、こっちへ。監査官に会わないと」
無重力のデッキを流れていく彩芽に鉄菜は嘆息を漏らす。
「彩芽・サギサカは慣れているようだ」
「そりゃ、アヤ姉は最初のモリビトの操主だから。ここにいた時間も長かったんでしょ」
浮遊してきた桃に鉄菜は睨みを利かせる。
「いい加減、Rスーツを着ればいいものを。まだそんな格好だったのか」
「モモはあれ、キライだって言ったでしょ。蒸れるし、ずっと着てなきゃいけないし」
「だがここから先の戦いでは、今までのように嘗めた事は出来ない」
「そりゃ、そうかもね。でも、クロ、監査官とかさ、会った事ある?」
妙な事を聞くものだ。鉄菜は言い返す。
「監査官に私達は見出されて操主になったはずだ。……違うのか?」
「モモはちょっと特殊だったから。監査官ってのには会った事ないかも」
「では誰が操主選定を行った?」
「グランマと《ノエルカルテット》よ。モモは三号機そのものに選ばれたの」
振り返る桃の眼差しの先には真っ先に整備を受ける《ノエルカルテット》の姿があった。
三号機そのものが選出した、という意味は不明だが、特殊OSであるグランマの内情をそういえば自分はほとんど知らないままだ。
「そう、か」
「クロは、《シルヴァリンク》と長いわけじゃないの?」
「完成が遅かったからな。ロールアウトしてすぐに搭乗した。それ以前の記憶は……恐らくはない」
恐らくはと付け足したのは時折脳裏を掠めるイメージがあったからだ。だが、あれが夢なのかあるいは経験した現実なのか判然としないままである。
「ホントに突貫工事だったのね。よくそれでモリビトを使いこなせている」
「使いこなせていれば、もっとうまくやっている。私はまだまだだ」
「……案外、殊勝ね。もっと話したいけれど、呼ばれているみたい」
桃の手首に巻いた通信端末が明滅している。ワンピース姿を翻させて桃は整備デッキを抜けていった。
鉄菜は整備を受ける愛機を目にしながら、ふと考える。
何のために組織は自分達を呼び戻したのか。救難信号を発したのは、罠でも何でもないのだろうか。
水無瀬、という裏切り者の事まで加味しての行動なのだとすれば、本隊から自分達の行動は筒抜けという事になる。モリビトに逆探知でもつけられているのかもしれない。
だとすれば現状進みつつある整備そのものへの不信に繋がるのだが、鉄菜は深く考えるのをやめておいた。いずれにせよ、今は整備を受けなければ次の戦いへの備えも出来ないだろう。
降り立った鉄菜は一人の白衣姿の男を視野に入れた。癖の強い茶髪である。
「帰った来たんだね。二号機操主。いや、今は鉄菜・ノヴァリスか」
男に見知った感覚はない。記憶の中にも男の姿は存在しない。
「誰だ、お前は」
その対応に男は肩を竦める。
「誰だ、と来たか。まぁ当然かもしれない。君の記憶野に存在しない人間かもしれないからね」
「誰だと訊いている」
男は芝居ぶった仕草で言いやった。
「君の主治医であったつもりだが、記憶から抹消されているのか。ドクトルリードマンだ。鉄菜・ノヴァリス。第三段階より先の君の担当者からは外されたが、今回、改めて君を担当する事になった」
「私は何も聞いていない」
「アルマジロウは言ってこなかったかい? 何も?」
ジロウの事を知っているだけで重要参考人物レベルだ。鉄菜は覚えず身構えていた。
「……話というのは」
「構えるなよ。まずはラボに来るといい。君は知る必要がある。君自身の生い立ちを」
「今さら何を。私に、何を教えるというんだ」
リードマンは白衣を翻し、フッと笑みを浮かべた。
「君の全てを。その始まりを」