ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯106 世界を掴む

 

 データの照合だけでも時間がかかる、という事実にガエルは苛立っていた。

 

 水無瀬、という男の素性をこちらで掌握しなければ他人に先を越される。そうなってしまえばせっかくの駒が無駄になるのみならず、レギオンから叛意ありと見なされるかもしれない。

 

 連中を早くに敵に回すのは面白くない。ガエルは歯噛みしつつ、まだかよ、と口にしていた。

 

「もう三時間だぞ。独房から出してやっただけでも御の字だって言うんだ。あんまし時間かけんな。ケツに火がついてんだよ」

 

 急かすが当の水無瀬はやけに落ち着き払っている。人間型の端末、というのは話半分程度で聞いていたが、彼の行っている事は少ない。先ほどから意味があるのかないのか分からないフラッシュデータを参照しているだけだ。

 

 横目に見た限りではあらゆる映像の集合体のようなデータである。ただ単に意味のない映像同士を繋ぎ合せただけのジャンクだと思われたが、水無瀬に言わせるとそれこそが重要なのだと念を押された。

 

 お陰でガエルは人のいい笑みを張り付かせて三時間も部屋の見張りについている。

 

「おい、そろそろいいんじゃねぇのか? 充分にデータを漁れただろ?」

 

「あと、三分で全工程が完了する」

 

「マジかよ……。三分も、だと? もうすぐお歴々が来る。勘弁しろよ」

 

 時計を見やったガエルはこの部屋に訪れる予定の上官をどうにかして止めなければならなかった。

 

 水無瀬――ブルブラッドキャリアの捕虜に加担しているだけでも充分な罪状になる。加えて少しでも粗相があればレギオンの側からも切られかねない。

 

 それほどまでに危ういタイトロープの上で成り立っている虚飾の地位だ。何が連鎖反応して追われるのか分かったものではない。

 

「いいか? 三分って言ったが、てめぇを独房に叩き込むのにも時間がかかるんだよ。こっから牢獄まで軽く二十分だ。合計二十三分は絶対に必要って話なのは分かってるよな? 人間型端末さんよ」

 

「分かっているとも。だが全工程を終えるまでここを離れるわけにはいかないんだ」

 

「……トチったのはオレのほうか? こんな危うい事なんてしなくたって御曹司の叔父のポジションだけで安泰じゃねぇか。クソッ! あんまし首突っ込むもんでもねぇよなぁ」

 

「あと、一分」

 

「限界だ。こっから先は縛り付けてでも連れて行くぜ」

 

 情報管制室に押し入った瞬間、水無瀬の瞳がぼうっと赤く浮かび上がった。途端、全ての電気系統が暗く沈む。

 

 突然の停電に誰もが困惑している様子であった。

 

「何だ? 停電……!」

 

「システムが全部停止している。バックアップを急げ!」

 

 そこいらかしこで起こる悲鳴を耳にしながら、水無瀬が歩み寄ってくるのをガエルは呆然と眺めていた。

 

「これに時間がかかってしまった。ここから逃げるのに二十分は必要なのだろう? 誰にも会わずに二十分、それは不可能に近い。ではどうするか。システムに異常を発生させ、全員の視線を釘付けにする。それで二十分……いや、一時間は稼げるか」

 

 涼しげな様子で水無瀬は廊下へと歩み出ていく。ガエルが立ち竦んでいると、彼は振り返って肩を竦めた。

 

「どうした? 急いでいるんだろう? まぁ、急ぐまでもないがね。一時間、ゆっくりと話しながらでも帰れる」

 

 ガエルは改めてこの男の底知れなさを感じていた。どうやらブルブラッドキャリアの構成員というのはやはり嘘ではないらしい。

 

「……油断ならねぇな。てめぇ、本気になればゾル国軍部のコンピュータくらいワケねぇって事かよ」

 

「一時的な掻き乱しに過ぎない。二度はないだろう」

 

「そう言うってこたぁ、きっちり取り出せたんだろうな? 情報を」

 

 水無瀬はこめかみを突き、口角を吊り上げた。

 

「無論。君にも分かりやすく共有出来るように別端末にも保存しておいた。これであの独房で話し合いが出来るというわけだ」

 

 そこまで加味して三時間、というわけか。むしろ三時間で全ての情報が掻き集められた事に驚嘆すら覚える。

 

「話しながらでも」

 

「廊下のカメラは既にハッキングされている。わたしと君は映像に映りさえしない」

 

「そりゃ結構。じゃあ、聞くが、奴さんの尻尾くらいは掴めたんだろうな?」

 

「君の言う、レギオンなる組織か。わたしも驚いたよ。まさか地上にこれほどの隠密性と、情報の加速度を可能にする組織が存在したなど。このような存在がいると仮定していればブルブラッドキャリアはもう少し慎重になっただろう」

 

「能書きはいい。さっさと本題に移りな」

 

 では、と水無瀬は咳払いする。

 

「レギオン、という組織は公式には存在しない」

 

 その前置きにガエルは舌打ちする。

 

「意味が分からねぇ」

 

「噛み砕こうか。レギオンと名乗っている一部の人間はいても、彼らは全にして一。一にして全。末端を潰したところで復活する。どこまで行ってもトカゲの尻尾切りが通用する組織だ」

 

「そんなもん、あるとは思えねぇが」

 

「君に接触した将校、あれはゾル国の人間だ。それは間違いない」

 

 そこまで掴めているのか。ガエルはまだ自分に度々無理難題を吹っかける将校の存在すら明かしていなかったのに。

 

「そいつは初耳だな」

 

「そうか? 《バーゴイル》の亜種に、廃棄された艦。これらの事実を統合すれば何も難しい帰結ではないと思うが」

 

 やはり《バーゴイルシザー》はゾル国の機体であったのか。しかし、だとすればどこで、どうやって建造されたのか。

 

 あれほどの性能の機体を自分のような一戦争屋に預けるというだけでも相当な手続きが必要なはずだ。新型機の製造ラインは全て抑えられているはず。それに毎回壊して帰ってくるのに修繕費や整備スタッフはどこから掻っ攫ってきた? 依然として疑問が残る。

 

 その沈黙を悟ったのか、水無瀬は言葉を発していた。

 

「解せない、とでも言いたげだな。分かるとも。あらゆる事象が、一枚岩ではない事を示している」

 

「誰が何の酔狂でそんな組織をでっち上げた? どう考えたってそりゃ、世界規模の組織だろ?」

 

 その問いに水無瀬は失笑を浮かべて言いやる。

 

「誤解があるようだから言っておこう。レギオンは正しくは組織ではない。あれはただの個人の総体だ。あるいは、大勢であるがゆえに、か。聖書だな」

 

「てめぇだけ納得してんじゃねぇよ。どういう意味だ? 組織立った動きじゃなくってどうやってここまでかく乱出来る?」

 

「それこそ、盲点という奴だ。ガエル・ローレンツ。世界を構築しているのは何も一部の天才だけではない」

 

 自身の本名を言い当てた水無瀬は確実に真実へと肉迫しているのだろう。だが、彼もまたレギオンに取り込まれたような事を言うものだからガエルの脳内はこんがらがっていた。

 

「……分かりやすく話せ、マヌケ。鉛弾が欲しいのか?」

 

「そうだな。君に空けられた脚の風穴はまだジクジクと痛む。これ以上身体に穴を増やしても何の得にもならない。真実だけを話そう。レギオンは何も特別な事をしているわけではない。いや、むしろ逆と言ってもいいだろう。彼らは才能ある人間でもましてや特別な境遇にある存在でもない。全くの、反対だ。彼らは凡人の代表格なんだ」

 

 評されてもそれがどのような意味を持つのかガエルには瞬時に理解は出来なかった。水無瀬はそうと分かりながらも言葉を継ぐ。

 

「恐ろしい事だ。確かに、世の中、九十九パーセントの人間は凡人にカテゴリーされる。群集、集団、エキストラ。だが彼らなくして、天才は存在し得ない。天才の生み出した技術を最も駆使するのは同じく天才ではなく、九割を超える凡才なのだ。彼らはそれを利用した」

 

「おい、おい待てよ。どういう意味だ、そりゃ。だって連中は特別なネットワークを持ってるんだぞ。それに、どう足掻いたってそこいらの人間じゃ手に入れられない、人機に地位、これをどう説明する?」

 

「分からないのか。それこそが逆転の構図だと」

 

 視線を振り向けた水無瀬の声音は僅かに震えている。

 

「逆転……。どういうこった」

 

「人は、ほとんどが大きな出来事の前に何も成さずに死んでいく。しかし、死んでいく九割の人間が自らの役割を自覚し、その役割のみに沿った行動を取ったとすれば、どうなると思う?」

 

「そりゃ……最適なんじゃねぇか?」

 

 ガエルの答えに水無瀬は首肯する。

 

「そう、最適だ。だが誰しもその最適、最善を理解して生きているわけではない。否、理解出来ても実効は出来ないだろう。しかし、時と技術がそれを可能にした。人はそれぞれに運命を背負っている。その運命を自覚し、自分の成すべき事のみを可能にする。当然の帰結だ。可能な事をただ行っているだけ。だというのに、それが九十パーセント以上の群集による集団実効力となれば、一人の天才が生み出した画期的な発明に勝る。……レギオンとは、よく言ったものだ。一人一人は微々たる存在だが、彼らが集まり、成すべき事を完全に理解し、実効に移した場合、それは大きなうねりとなる。君にもたらされた《バーゴイルシザー》、それにガエル・シーザーという身分。それらも全て、管理する人間一人では不可能だが、全員が自分に可能な範囲を理解し、不可能な範囲には全く手を出さなければ、それは完璧な統率と言える」

 

 水無瀬の言葉の前にガエルは絶句していた。自分が脅威だと思っていた組織、それらが実のところ組織でも何でもなく、ただの群集であったなど信じられるものか。

 

「……つまり、あれかい。レギオンってのは特定の組織と、組織名を示すんじゃなく……」

 

「この星に住まう、全ての生命の事を示している。無論、人間が主軸ではあるが、彼ら全体の実効力は最早、人類のそれを超えるであろう。僻地に住む者から中央に住む者まで、彼らの生息域は限りなく広い。惑星規模だ。ブルブラッドキャリアと敵対するのに、最も相応しい組織……否、総体かもしれないな」

 

 自分を操っていたのは人類という総体。だがそのような事、すぐには飲み込めるはずもない。

 

「……あまりに、突飛過ぎる」

 

「わたしもうろたえているよ。こんな事が可能であったのか、と。だが、彼らはとても静かだ。ゾル国のように強硬姿勢を取るでもなく、C連合のように牙を研ぐでもなく、ましてやブルーガーデンのように秘密主義なわけでもない。全員が己に課せられた使命を全うする事のみを考えている。そこには国家の縛りはなく、人間という存在の抑止力のみが発生する」

 

 とんでもない話であった。何億人もいる人間、それそのものが自覚的であれ無自覚であれレギオンの構成員。

 

 つまり自分に接触してくる将校を殺したところで、あるいはカイルへの態度をどれほど変えたところで、人類という大きなうねりの前には何もかも意味を無さないというわけだ。

 

 ガエルは覚えず笑みが漏れた。ここまで途方もない存在が相手だったとなるともう笑うしかない。

 

「なんてこった……、こいつは人類史をどうこうするレベルじゃねぇか。何で一介の戦争屋を正義の味方に仕立て上げられるとずっと考えていたが、確かに可能だ。全員が全員、観客でありスタッフの出来レース。そうなっちまえば正義の味方一人を仕立てる事くらいワケねぇよな」

 

 額を押さえてガエルは高笑いを上げる。さすがに水無瀬が制した。

 

「ガエル・ローレンツ。大丈夫なのか?」

 

「……何がだよ、クソッタレ。そういう事なんだろ? だったら、もう腹括るっきゃねぇ。オレもてめぇも、もう踊らされてるのさ。人類史、っていう大きな舞台でな」

 

 踊っている事に気づかぬ間に、誰しも舞台役者という事実。異端者はさしずめブルブラッドキャリアのみ。

 

 国家という枠組みを超えた組織であろうというのは予測出来た。しかし、人類そのものが無意識下に組織に属しているなど誰が思いつこう。

 

「この情報、トップレベルの機密だろうな」

 

「それが……驚くべき事に機密レベルでは遥かに低い。つまり、この時点で誰かしらが気づく事さえも彼らは読んでいたようだ」

 

 どこまでも人を嘗めたような連中だ。他人の人生を完全にコントロールしようというのか。

 

「……気に食わねぇな」

 

「わたしも同意見だ。これはあまりに驕りが過ぎる。人類という種そのものの罪……罪悪か」

 

「別にエコロジーだとか星がどうだとか、ンな事はどうだっていいけれどよ、戦争屋のケツを叩いてやっているにしちゃ、随分と馬鹿デカイ話だ。こいつら、支配階級をどうにしかしようだとか、そういう野心はねぇのか?」

 

「野心があれば取り入りもしやすいのだが、彼らは集団無意識だ。野心など存在するはずもない。人生において敷かれたレールがあるとして、そのレールを淀みなく、規定された時間に、規定された速度で通ればいいだけだと提唱する組織……。これは人の可能性を閉ざす行為だろう」

 

「ブルブラッドキャリアの回し者としちゃ面白くもねぇか」

 

「当然だ。彼らは全員が支配階級への反逆など一片も考えていまい。支配と抑圧、それらを是とした人間の、何の当たり障りもない、人生を生きるだけという動き。……単純に吐き気を催す。人が、努力もせず、かといって怠る事もなく、何の特別性もない人生を送るだけが、結局のところ全ての幸福に繋がってくるなど」

 

「抵抗して、足掻いたてめぇらとしちゃ一番の敵みたいなもんだな」

 

 水無瀬はこちらへと鋭い一瞥を投げる。レギオンへの敵意が形となっているかのようであった。

 

「ガエル・ローレンツ。君はどう見る? この集団の無意識の悪意。これを是とするか。それとも歯向かうか」

 

 ガエルは熟考を挟んだ。レギオンに従っていれば、何の不利益もないだろう。自分は最適と最善に守られ、正義の味方になるのも不都合はない。誰に怯える事もない平穏な生活。安寧と惰弱に塗れた、人の世。

 

「……駄目だな。オレは刺激が欲しくって戦争屋やってんだ。だって言うのに、連中の行き方は逆だ、逆。提供された刺激のみに生きるのは機械と同じだってのも分かりゃしねぇ。電気信号の夢の中で眠っていたけりゃてめぇらでヨロシクしてろ。オレは培養液の脳になるつもりはねぇよ。こいつらを這い蹲らせる。そう決めた。レギオンってのが惑星そのものの意思だってんなら、オレの目的は一つだ。この星を、オレの支配下に置く」

 

 どこまでも悪に徹してみせよう。その発言に水無瀬が乾いた拍手を送った。

 

「戦争屋、世界の悪を自称する人間の所信表明には百点満点だ。いいだろう。君の作りたがっている世界、興味が湧いた」

 

「ンだよ、酔狂だな。てめぇ、惑星に害意を成す側だろ?」

 

「害意も善意も紙一重さ。わたしは君につく事にしよう。どうせ、ブルブラッドキャリアからは切られたも同然。どこで食い扶持を稼ぐのか考えていたところだった。ゾル国でもC連合でも構わなかったが、世界を手にしようという個人というのもなかなかに……興味深い」

 

 ガエルはケッと毒づく。水無瀬がいつ裏切るとも知れない。しかし、この星に棲む人間達に比べれば随分と信用は出来るだろう。

 

「待ってな。今に、てめぇの見たい景色を用意してやんよ。その時、オレの横にいるかどうかは」

 

「そこまでの保障は必要ない。ただ、君の言う刺激とやら、身を任せたくなるほどに魅力的だ。わたしは人間型端末として、使い潰される予定であった存在。どうせ、モリビトの味方として一生を終えるくらいならば、悪にもなってやろう」

 

 ガエルは鼻を鳴らし、水無瀬に冷笑を浴びせる。

 

「てめぇも根っからの悪人だな」

 

「知らなかったのかね?」

 

 問い返した水無瀬にガエルは静かに言いやった。

 

「敵は世界、か。面白くなってきやがった」

 

 見据えるべき標的を狙いつけた獣は野に放たれた。

 

 


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