♯105 人間の証明
操縦桿から伝わる反応速度はナナツーより随分と軽い。
各部に備わった推進剤が空間戦闘においての優位を約束するかのように機敏に動き、全身を小気味いい振動が震わせる。全てが自分の眼になったかのような感覚。己を研ぎ澄ますまでもなく、人機の側から馴染んでくるのは自分の中に入られるようで気分を害する操主もいるかもしれないが、リックベイは素直に受け入れた。
人機側からの接触。小さな操主一人に全ての権限を委譲し、何もかもの判断を任せている。ペダルを踏んでやると操っている人機が身体を開くイメージを伴って僅かにつんのめった。
まだ産まれたばかりのこの人機は歩く事から学ばなければならないのか。リックベイは全天候周モニターに表示されるステータスを見やる。
まだ胴体のみだ。
ケーブルと擬似再現するために備え付けられたアームで支持されているこの機体は正しくは生まれ落ちてすらいない。それでも胎教とでも言うのか、こうして操主が乗ってやって慣らしておかないとロールアウトの頃にはほとんどの一般兵が搭乗する事になるのだ。
少しばかり無茶でも動かしておくのが望ましい。
『少佐、如何です? 《スロウストウジャ》の乗り心地は?』
通信を震わせた声音にリックベイは逡巡を浮かべる前にスラスターの限界値まで絞ってやった。
擬似再現された挙動に全身の関節軸が軋む。通信越しのメカニックが失笑した。
『いじめてやらないでくださいよ。まだよちよち歩きです』
「だが、これが正式採用になる可能性は高いのだろう?」
『ええ。《プライドトウジャ》からハイアルファーを引き剥がすのは随分と時間がかかりましたが、ようやくスタートラインです。あとはきちんと両手両足をつけてやれば、何とかなりますよ』
《プライドトウジャ》という未知の存在からここまで引き出せただけでも僥倖だろう。ハイアルファーという人間の精神、あるいは肉体に大きく作用するデメリットありきのシステムを排除し、純粋に人機としての性能を高めた次世代機。
よくもまぁ、ここまで、と思うと同時に、ここまで出来たからこそ百五十年前、ヒトは原罪を犯したのだろう、と推測する。
トウジャタイプのフレームは純粋に機動力が高い。装甲の堅牢さではナナツーに僅かに劣る部分はあるものの、スピードで優位を保ってきた《バーゴイル》を凌駕するであろう。ロンド系列のような器用さも持ち合わせている。換装すれば重装備型も可能である、という整備班側からの提案にリックベイは面食らったほどだ。
それほどまでに順応性の高い機体。当然の事ながら軍部は開発を進めるであろう。
自分は、トウジャ開発を押し留めるような権限を有するような野暮な軍人ではない。
しかし、不安には駆られる。モリビトに比肩する機体。それを一年どころか一ヵ月も経たずして造り上げてしまった人類。だが、ともすればブルブラッドキャリアはこれも含めて報復作戦に組み込んでいたのかもしれない。
自らの罪を直視する覚悟。それを問い質すのが、オダワラ博士を含む惑星を追放された者達の目的だとすれば――。
否、考え過ぎか。滑り落ちていく思考を持て余しつつ、リックベイは工程を仕上げていった。
《スロウストウジャ》の素体に経験値を振る。それが自分のような軍人の務めだ。そうすれば一つでも多くのトウジャタイプに命が吹き込める事だろう。
『少佐、ナナツーと比べてどうですか?』
「使いやすさでは勝っている。だが、ここまで使用感が良過ぎるのも考えものだな。人機と操主の間には誤差が生じるものだ」
『俗に言う、感覚のロスですね』
感覚のロスというのは人機搭乗時に起こり得る操主と人機との間に降り立った認識障害の事である。
人機側に意識が引っ張り込まれ「取り込まれる」現象の事だ。特に最初期の人機開発において起こった現象であったらしい。人機という力に酔いしれる、と言えばいいのか。人機と操主の能力の差に気づかず、その力を自分のものだと過信する。
人機乗りにはついて回る現象だ。今は人機のハードルも下がった事もあってか滅多に起こり得ないが、時折その現象の前に人機への搭乗を断念せざるを得ない者達を目にした事がある。
感覚のロスに取り込まれれば、人は簡単に抜け出せるものではない。人機という鋼鉄の虚無に呑み込まれ、帰ってこられない人々は古来より存在したようだ。
今は、薬物による改良措置や、軍隊という統率された集団における人機運用などが重なって取り込まれる現象は減ってはいるもののゼロではない。殊に、高性能な人機に触れれば触れるほど、その現象は発生する。
「感覚のロスが生まれ得るほどに、高い追従性だ。操主には厳重に自我を保つようにしておかなければならない。C連合にそれほど熟練度の低い操主がいるとも思えないが一般兵には与えないのが無難かもしれないな。わたしの一存ではどうにも出来ないのが現状ではあるが」
『いえ、少佐ほどの操主の意見ならば上も首を縦に振ると思います。やっぱり完全な量産体勢に移るのは難しい、という判断ですか』
そう言うほかない。量産して、ではこれがすぐに軍部を席巻するかと言えばそうではないだろう。
C連合軍内部では未だにナナツータイプの信頼度が厚い。それを切ってまで《スロウストウジャ》を浸透させる意味は今のところ見出せない。
「あるいは、こう言ったほうがいいかもしれないな。モリビトと戦うのには適任だが、一般兵がモリビトに容易く近づけるのは危険だと」
力の過信以上に、モリビト相当の実力をいきなり与えても上がやり難いだけだ。それに《スロウストウジャ》そのものも性能面での満足度は高いが、これを実戦に放り込めば違う試算が出てくるのは目に見えている。
人機開発はいつの時代であっても、実地と机上では随分と違うものだ。
『モリビトタイプと戦うのは、まだ反対ですか』
「時期尚早だ。これでモリビトとやり合えるかどうか、その論点で言えばイエスだが、一般兵にこれほどの力は必要ない。わたしが編成予定のカウンターモリビト部隊にのみ、回す事を検討して欲しい。他の兵士にこれは逆に毒となる」
『強過ぎた力は人間を取り込みますか』
「力の求心力というものがある。トウジャは確実にそれを持っているが、呑まれかねない、という危険性もはらんでいる。今は、まだその域ではないな」
コンソールを撫でてやると《スロウストウジャ》は大人しくなった。外気からの刺激に過敏な様子だが、このままでは実戦には出せない。もっと落ち着かせてからでないと、人機としての性能以前に兵器としての信頼がほとんどない。
『了承しました。コックピットハッチを開かせます』
空気圧と共に《スロウストウジャ》の頚部に位置するハッチが自動的に開く。リックベイはごてごてしたモニター用の操主服を纏ったまま、整備デッキでメカニックとハイタッチしていた。
「いい仕事だ。ここまで汎用性を高めてくれた事、感謝する」
「これからですよ。こいつを如何にして実戦で保てるようにするか、でしょう?」
その通りなのだ。どれほど優れた機体でも実戦で使えなければ張子の虎。
「機体追従性は悪くない。ただ、これを量産するとなると、わたしは承服しかねる」
「分かりますよ。こいつは何ていうか……強過ぎる」
自分の機体担当者も同じ感想だったのだろう。やはり長年、自分の機体を任せただけはある。
「分かるか。この機体、ハイアルファーという異分子を廃したとは言ってもやはり手に余る部分が大きい。元々、ハイアルファーを排除するようには出来ていなかったように感じる」
「少佐もそう思われますか。そうなんですよ。ハイアルファーありにすれば、この機体、驚くほどに安定した数値を弾き出すんです。ただし、それは操主の安全が確約されていない状態。我々が造り出さなければならないのは操主の安全も込みにした機体です。ハイアルファーというシステムがあまりにもトウジャという人機の根底に潜り込んでいるせいで時間がかかってしまいましたが、この《スロウストウジャ》を皮切りにして、トウジャタイプの量産は急がれると思います」
それはお歴々の意見も加味して、だろう。上は結果を焦っている。
「……わたし達人類は身勝手なものだ。《プライドトウジャ》という異端の人機を模倣し、それの純粋な、人機らしい部分のみを抽出し、開発した。スロウス……怠惰なのはわたし達人類への皮肉か」
「人機開発はいつだって身勝手なものですよ。今ある人機よりも高性能で使いやすいものが欲しい、っていうわがままです。ナナツーも使いこなせていない一兵卒にこの機体を任せられないって言うのはよく分かりますよ」
「だが、新しいスタンダードは思ったよりもすぐにやってくる。その波も、な。トウジャは我々が思うよりずっと、すぐに浸透するかもしれない」
「そうなれば、モリビトとの戦い、ですか」
少しばかり声に翳りがあるのはやはりブルーガーデン崩壊のニュースを考えているのだろう。血塊炉産出国の瓦解。それはつまり三国の緊張状態が消え去るという事。目の上のたんこぶであったブルーガーデンの輸出入制限が解かれた、という事実にゾル国もC連合も躍起になるだろう。
血塊炉を多く保持する国家がこれから先、世界を先導する資格を持つ。《スロウストウジャ》も開発されたのはC連合だが使うのはゾル国、という事にもなりかねない。
「戦争になるかもしれん、というのはまだ憶測の域を出ない。現場は縛られず、自由にやって欲しい」
その言葉に専任担当者は微笑んだ。
「いつだって、少佐は前向きですね」
「後ろを向いている暇もないのでな」
《スロウストウジャ》の開発は滞りなく行われる事だろう。問題なのはブルーガーデン。その対処であった。
リックベイが操主服を脱ぎ、自室に向かうとやはりというべきか、タカフミが待ち構えていた。
甘菓子を頬張りつつ、ニュースに注目している。
「おかえりなさい、少佐。世間は随分と物々しいですよ」
「……君は能天気が過ぎるな。わたしの部屋に勝手に入るなと」
「少佐、ブルーガーデンへの探索任務、やっぱりおれと少佐が充てられるんですかねぇ」
人の話を聞かないのにもほどがあったが、それは上層部から一報があった話である。
ブルーガーデン、汚染区域への調査任務。可及的速やかに、との事であったが、まだどの機体を使うのかも決まっていない。
「わたしと君だけでは不安が残る。一個中隊レベルで指揮する事になるだろう」
「参式ですかね」
「わたしは《ナナツーゼクウ》で向かう事になるだろうな。君は? 提案があるのならば相談には応じよう」
「新型機……って充ててもらえるのかなって」
居座っている理由はそれか。リックベイは執務机につき、端末のデータをスクロールさせた。
「《ナナツー是式》であったか。《ナナツーゼクウ》の先行量産型だと聞いている。このまま問題がなければ、《ナナツー是式》への搭乗希望は通るだろう」
「ホントっすか? 参式でもよかったんですけれど、やっぱりモリビトの脅威もありますし、何より、これから戦争になるかもしれないって言うんでしょ? 新しい機体には慣れておこうと思いまして」
《ナナツー是式》が通常運用されるのはまだ先であろう。一般兵には弐式の改造型か、量産された参式程度のはずだ。
「戦争、か。アイザワ少尉。本当に戦争にもつれ込むと思うか?」
その質問にタカフミは甘菓子を食べる手を止めて考え込んだ。逡巡の後、彼は答えをひねり出す。
「多分……ですけれど、旨味はないんじゃないかな、って思います」
「旨味、か」
「だって、戦争になってもモリビトがいるわけでしょ? モリビトとブルブラッドキャリアを無視して惑星の中で勝手に戦争なんて始めちゃったら、それこそ敵の思うつぼじゃないですか。連中、地上の人間を滅ぼしたいっていう思想なんですし、勝手に潰し合いを始めてもらえたらむしろラッキーって言うか、それこそ何の苦労もなしにって言うか」
紡いだ言葉は粗いが正鵠は射ている。リックベイはその先を継いでやった。
「人類同士で滅ぼし合うのならばモリビトも最小限の損耗で済む。ブルーガーデンを滅ぼしたのはむしろ計算通りであったのかもな。人は資源を巡って今まで幾度となく争ってきた。その帰結する先が血塊炉なのだとすれば、今回も原罪に塗れた同士、滅ぼし合うのならば何の問題もない」
そう、何の問題もないはずなのだ。だが、今回はイレギュラーが存在する。
「……何か、問題があるって言う言い草っすね」
「拮抗する能力の存在が戦うのには何の問題もないだろう。だが、今回、我々は鬼札を持っている」
「……トウジャ、っすか」
如何にタカフミが疎くともトウジャの存在は無視出来ないのだろう。当然、それに乗り込むであろう操主も。
「トウジャ、モリビト……それにもう一機は百五十年前に封印された。それがどれほどの意味を持つのかは、わたし達は《プライドトウジャ》のデータを参照して理解している。実戦でもあれは鬼のように強い。その《プライドトウジャ》から、ハイアルファーという邪魔な要素だけを排除した、都合のいい人機を開発している。どれほどまでにゾル国が権謀術数に長けていようとも、物量の差だけは埋めようがない。我が国家はナナツーの量産率でもトップクラスだ。《バーゴイル》との相性面でも負けるはずもない。下手な喧嘩は仕掛けてこないであろう、というのが上の見方だ」
「……でも、その下手な喧嘩がまかり通るってのが戦争なんじゃないですか? だって歴史を見ていくと、こんなの勝てるはずがないっていう状況から戦争に移っていく場合が相当ですし」
「精神性、というものがある。あるいは、国家の志向とでも言うべきか。人はいつも冷静に物事を俯瞰出来るわけではない。むしろ穿った見方をしているほうが大多数だ。戦争とは物量、あるいは国力の差よりも、精神性で勝負をしている。それを忘れるな、アイザワ少尉」
「そういうものなんですかねぇ……」
「だが精神で勝利しても、国家が敗北すればそこまで。戦争とは、かくも虚しく、なおかつ何も残らないものだ」
だからこそ、タカフミの旨味がない、という評価にはどこか達観したものさえも窺わせたのだが、本人にその気はなかったらしい。後頭部を掻いて、分からないなぁ、とぼやく。
「精神だとか、国家だとか、難しい事、おれ分からないですよ」
「分からなくっていいのかもしれんな。兵士とはそういうものだ。政を行う人間とは大別しなければならない」
「でも、考えなしに突っ込んでいいもんじゃ、ないんですよね……」
「それが分かっているだけでもまだマシなほうだ。世の中、誰しも理解して引き金を引けているわけではない」
呻るタカフミにリックベイは別の話題を振ってやった。
「《ナナツー是式》のスペックデータだ。乗り込むつもりならば目を通しておけ」
端末に入力して手渡すとタカフミはどこか得心が行っていないように視線を彷徨わせた。理由は分かる。
彼の事であろう。
「桐哉・クサカベの処遇が気に入らないか」
どうして、と目を瞠るタカフミにリックベイは返す。
「言わずとも分かる。あれにやっている事に気が向いていないのは自ずと、な」
「……少佐の零式、あいつにくれてやるんですか」
「まだ、分からんよ。それさえも。適性があるのかどうか、それを見るのも務めの一つだ」
「でも、少佐はC連合の軍人です。リックベイ・サカグチ少佐で、先読みのサカグチで、銀狼で……、おれらのエースなんですよ? だって言うのに、あいつは敵国の」
「敵国のエース、か。それに教えを与えている時点で、解せん、というわけだな」
タカフミは僅かな逡巡を浮かべつつも頷く。リックベイはモニターのニュースを切って、無音の部屋で言いやった。
「アイザワ少尉、彼は、どこへ行けばいいのだと思う?」
唐突な質問に面食らったのだろう、タカフミは答えを彷徨わせる。
「えっと……どこって自国に」
「自国に帰ったとして、では彼は人間としての扱いを受けるか? ハイアルファー【ライフ・エラーズ】によって死ねない身体になってしまった英雄を、では本国は持て囃すと思うか?」
それは、とタカフミが答えに窮する。リックベイは端末に桐哉のデータを呼び出した。
死ねない身体、【ライフ・エラーズ】の影響を受けた肉体は物理上、粉々に砕かれるか、あるいはリバウンドの灼熱に焼かれて炭化でもしない限り消滅出来ない。つまり、生半可な痛みや損傷では、彼は死ぬ事すら許されない。
「これが彼のデータだ。死ねない肉体、恐らくは寿命さえも、であろう。そんな彼を、堕ちた英雄と見なした祖国に帰す事、わたしにはそのほうが残酷のように思えてならない」
「そりゃ、気の毒だな、とは思いますよ。あいつも相当に……その、しんどい運命なんだなってのは。でもそれと少佐が零式を教えるのは別じゃないですか?」
「別、か。アイザワ少尉。もしもの話をしようか。もし、自分が突然に手足の自由が利かなくなり、目も見えず何も聞こえない状態になったとしよう。それでも、操主でいたいと思うかね?」
その問いにタカフミは頭を振った。
「いえ、そんなのなら、別に操主にこだわらなくっても。……っていうか、隠居でいいじゃないですか」
「その状態で、すがるものが何一つなく、かといって人機から降りる事も出来ないとすれば?」
その命題が何も仮定の話をしているわけではないのだと分かったのだろう。タカフミは黙りこくった。
「人間は、すがれるものが必要なのだ。それがどれだけ遠く、離れていたとしても。理想から遠ざかっていたとしても。それでも、手に入るのならば、手に出来るのならば。わたしは、彼にとってのそれが零式抜刀術になれば、と思っている」
「死ねないあいつに、同情してるんですか」
「同情ではない。道を問い質している」
諦めるのならばそれでも構わない。だが、闇の中で光を見つけられるのならばその手助けくらいはしよう、と。
タカフミはこの問答に意味がないと判じたのだろう。あるいは自分では桐哉にそこまでしてやれない、という心地か。
「……おれ、何も出来ないっすね」
「君に出来る事とわたしに出来る事は違っている。一つ言えるとすれば、わたしは零式を軽んじてはいない。これはわたしの人生そのものだ。それを授けてやる、というのは生半可ではない。命をかけるつもりで向かってこなければ跳ね除ける。そこまで切り詰められなければ生きていても仕方あるまい」
「生きていても、ですか。でも少佐、過ぎた言葉かもしれないですけれど、おれ、生きている事だけで充分に、幸せだとは思いますよ」
タカフミはその言葉を潮にして部屋を出て行った。リックベイは端末に表示された桐哉のデータを横目に独りごちる。
「生きているだけで幸せ、か。その幸福をきっと皆が欲しているのに、何故だろうな。人間は生きているだけで満足するようには、出来ていないんだ」