ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯103 指切りの約束

 

《インぺルべイン》が辿り着いた離島では飛翔形態の《ノエルカルテット》が待ち構えていた。

 

 青く染まった土壌に降り立った《ノエルカルテット》からロプロスが分離する。《シルヴァリンク》の血塊炉再生に今までポセイドンが充てられていたがそれでも間に合わなかった。

 

 今、《シルヴァリンク》は二機の人機に挟まれるような形で連結し、血塊炉の補充を受けている。

 

 鉄菜は彩芽が呼びつける前にコックピットから出ていた。大気汚染濃度は六割程度。マスクなしでも顔を合わせられる場所で、鉄菜は実に二日程度振りに彩芽と桃の二人に対面していた。

 

 二日振りだからと言って懐かしいわけでもない。かといって、厚顔無恥になれるほど自分も愚かではなかった。

 

《シルヴァリンク》の手に降り立ち、鉄菜は彩芽と対峙する。

 

 彩芽の眼差しはどこか冷たい。しかし内側で燻る怒りだけはありありと伝わった。

 

「……鉄菜、今回の事、釈明の言葉くらいはあるんでしょうね?」

 

 その問いかけに鉄菜は否定を返す。

 

「どうしてだ? ブルブラッドキャリアの第四フェイズであった。私個人の潜入任務であったのに、咎められる事が何一つ――」

 

 その言葉を遮ったのは彩芽の張り手であった。鉄菜は頬に滲んだ痛みに反撃も忘れて呆ける。

 

「そんな事を聞いているんじゃないわよ! 鉄菜、わたくし達はもう、単騎では勝てない事は充分に分かっている。貴女ならそうでしょう? 冷静に、事の次第を分析出来るはずよ。だって言うのにこのザマ! ……《シルヴァリンク》は一日以上は血塊炉の補填を受けないと戦闘不能。これがどれほどの痛手なのか、貴女に分からないわけがないでしょう!」

 

 声を張り上げた彩芽など初めて見た。その物珍しさに目を見開いていると、桃が歩み出た。

 

「クロ……」

 

 また張り手が来るのだろうか。そう身構えていると不意に桃が抱きついてきた。彼女の体温が自分へと伝わってくる。

 

 無防備な少女の熱に鉄菜は困惑していた。桃は拳を作り、鉄菜の胸元を叩く。

 

「バカ、バカっ! 何だってクロはそんなに無茶をするの? モモだって、もうクロは他人じゃないよ……」

 

 他人ではない。それは彩芽にも言われた事だ。だが、人間は実質他人と自分以外存在しない。

 

 その理が分かっていないはずもないのに、彩芽と桃は感情を発露させてくる。その理由を捉えかねて鉄菜は首を傾げる。

 

「分からない……何なんだ。どうして、お前らはそこまで他人のために必死になれる? 私には、それそのものが……」

 

 理解不能であった。しかし、彩芽は対話をやめようとはしない。

 

「鉄菜、教えたわよね? ここにあるって」

 

 胸元を指し示され、鉄菜は呆ける。ここに何があるというのだ。肉体の向こうにあるのは心臓と肺と、呼吸器官のみ。

 

 そのはずだ。胸元にあるものなど、何も。

 

 こんな場所に「心」なんていう不可思議なものが存在するわけが――。

 

 桃は泣きじゃくっていた。頬を伝う涙の理由さえも分からない。自分には何一つとしてないのだ。

 

 自分は、空っぽだ。

 

 モリビトや人機と同じ、虚無の存在なのだ。

 

 その肉体が鋼鉄であるか、生身であるかだけの違いのみ。

 

 だから、どのような感情で返せばいいのか分からない。桃と彩芽がどのような気持ちで自分を助け出してくれたのかも分からないのだ。

 

「……すまない。私には理解出来ない。理由は、格式ばって考えれば筋道くらいは分かる。怒っている事も、泣いている事も、現象としては。だが、その感情がどこから来てどこへ行くのか、それが全く分からないんだ」

 

 掴もうとしては手の中を滑り落ちていくかのように、その答えは消えていく。この手に掴んだ答えなどたかが知れている。

 

 自分は、戦う事しか出来ない。《シルヴァリンク》に乗って、ただ抗い続ける事のみが、自分に出来る精一杯なのだ。

 

 だから彩芽や桃の感情へと応じるために必要なものが分からない。

 

 それは組み込まれていないはずだ。

 

 彩芽が《シルヴァリンク》へと歩み寄っていく。ルイによるシステム解析をかけるつもりだろうか。

 

 その権利は充分にある。独断専行だ。解析の義務くらい……。

 

 そう感じていた鉄菜は彩芽がまるで人にそうするように《シルヴァリンク》の装甲に触れて撫でてやったのを目にして驚愕した。

 

「ご苦労様。鉄菜の無茶に付き合ってくれてありがとう、《シルヴァリンク》」

 

 鉄菜は覚えず問い返していた。

 

「ルイで、システム解析をかけるんじゃ……?」

 

「そんな事はしないわ。誰だって、見られたくないものの一つや二つはあるでしょう。最初ならともかく、もう鉄菜の事はわたくし達だって分かっているんだから。貴女が自分と同じくらい、この子を大事にしてあげている事も」

 

 仰ぎ見た彩芽の眼差しに宿った慈愛に、鉄菜は呆然と口を開けていた。自分以外に《シルヴァリンク》を理解してやれる人間など存在しないのだと思い込んでいた。だが、現実にはそうではない。

 

《シルヴァリンク》の緑色の眼窩が彩芽を見返し、柔らかい空気を漂わせているのが窺えた。

 

《シルヴァリンク》もどこかで心を許しかけている。

 

 ――自分と同じように。

 

 だがそれは計画の上で必要なものなのだろうか。報復作戦を実行する中、それが弊害にならないのだろうか。そのような懸念ばかりがついて回る。

 

「鉄菜、それともう一つ」

 

 彩芽が投げて寄越したのは端末であった。投射画面を呼び出し、目にしたのは静止衛星軌道上から撮影されたブルーガーデンの様子であった。

 

 青い濃霧の噴煙が舞い上がり、辺り一面を染めている。何が起こっているのか、瞬時に判断は出来なかった。

 

「これは……」

 

「ブルーガーデンで、あの化け物みたいな人機と会敵した際、データを照合させた。あれはキリビトタイプ。モリビト、トウジャと同じく百五十年前に封印指定を受けた災厄の人機。でも、モリビトとトウジャと異なるのは、それそのものが破滅への導き手である事、かしらね」

 

「……どういう意味だ。《キリビトプロト》は活動を停止した」

 

「分かりやすく言うわ、鉄菜。百五十年前、テーブルダスト、ポイントゼロの噴火はこの人機が原因だと目されているのよ」

 

 まさか、と心臓が跳ねた。キリビトという人機が原因で百五十年前の大災害が引き起こされたと言うのか。だとすれば、それを破壊したという意味が異なってくる。

 

「キリビトを破壊した、という事は……」

 

「百五十年前の再現。ブルーガーデンは完全な汚染区域と化した。ヒトの生きられない領域にね。そして、見た通り、コミューン施設は壊滅。大打撃を受けたブルーガーデン国家そのものが滅亡したと見て間違いないでしょう」

 

 自分がつい数時間前までいた国家が滅びた。その事実は鉄菜にとって大きな衝撃であった。キリビトを下したこの手が。《シルヴァリンク》が、数千もの市民を殺したも同義だ。

 

 彩芽は悟ったのか頭を振る。

 

「貴女のせいじゃないわ。ブルーガーデンは元々壊れかけていた。強化実験兵と言う異端の技術。それに伴うクーデターの発生。抑止のために建造されていた《キリビトプロト》という機体がもたらした災害よ。全て、彼ら自身の招いた事。貴女があの場にいたのは不運な偶然というほかない」

 

「だが、私が介入しなければ、《キリビトプロト》は破壊されなかったかもしれない」

 

「結果論よ。誰を責めたって仕方ないわ。問題なのは、これから先。世界がどう動くのか」

 

 彩芽が手首の携行端末からルイを呼び出す。ルイは世界地図と同期した手を払った。世界各国の大型コミューンから小国コミューンまでの情報が羅列される。

 

『現時点で決定的なのは、血塊炉産出国であったブルーガーデンが滅びた事によって、各国の血塊炉の輸出入バランスが崩れかけているという事。均衡を保ってきたのは常に三国間の緊張状態だった。冷戦こそが、技術の躍進を防ぎ、お互いに牽制し続ける事でコミューンへの不可侵条約を作り上げていた。でも、それもここまでかもしれない』

 

「コミューンに爆弾が落ちるとでも?」

 

 ルイは頭を振り、自嘲気味に告げる。

 

『もっと悪い事が起きるかもね。例えば、そう、戦争』

 

 戦争と言う言葉に鉄菜は硬直する。だが何も考えられない帰結ではないのだ。

 

「……コミューン同士の血塊炉の物量条約が崩れれば大国コミューンによる小国への弾圧が厳しくなる。加えて、人機の製造数の歯止めも利かなくなり、量産体制を整えた国家からの攻撃に怯える事になるのだろう」

 

『正解。よく出来ました』

 

 茶化すように拍手をするルイを鉄菜は鋭く睨みつける。ルイは舌を出して言葉を継いだ。

 

『二号機操主が言うように、世界はバランスを保ってきた。でも一国でも倒れればその均衡は瓦解する。ゾル国が手を打ってくるか、C連合が敵になるかまでは定かじゃないけれど。それでも今まで以上に戦いは苛烈になるでしょう。トウジャタイプの情報もある。つまり、ここから先が』

 

「本当の報復作戦、か」

 

 引き継いだ鉄菜の声音に桃が尋ねていた。

 

「クロ、もうどこかに行かないよね?」

 

 濡れたその眼差しからは懇願さえも窺える。桃の手が鉄菜の右手に触れた。温かい、そう思うのと同時に何故だか燐華の事を思い返す。

 

 あのような少女の事、どうとも思っていないはずなのに。

 

「……約束は出来かねる」

 

「それでも、わたくしとは約束してくれない? 鉄菜。もう、勝手な事はしないって」

 

 彩芽の声に鉄菜は渋る。

 

「それでも、確定じゃない」

 

「でも、約束。それくらいは出来るでしょ?」

 

 小指を突き出した形の彩芽の手に鉄菜は疑問符を浮かべた。

 

「……何だ? その形状の拳は」

 

「知らない? 指きりって言うの。約束を違えちゃ駄目って言う、おまじないね」

 

「まじない程度で人が約束を守るものか」

 

「でも、今の鉄菜には守って欲しい。その気持ちがきっと、このおまじないにかかっているんじゃない?」

 

 勝手に単独行動を取ったのは自分の落ち度だ。鉄菜は彩芽がそうするように小指を突き出した。彩芽が小指を絡める。

 

「指きりげんまん、嘘ついたら……どうしようかしら?」

 

「もう《シルヴァリンク》に乗せてあげない、とかは?」

 

 桃の提案に鉄菜は眉をひそめる。

 

「それは困る」

 

「じゃあ、また、あの制服姿になってもらおうかしら。それだったら別にいいわよね?」

 

 不本意であったが、《シルヴァリンク》に乗せられないよりかはマシだ。

 

「……それでいい」

 

「じゃあ指切った、っと! これで鉄菜は約束を守らなきゃ、ね?」

 

「こんなお遊び、何の契約にもならない」

 

 言い捨てた鉄菜に彩芽は微笑む。

 

「ところが、こういうのが一番効いたりするものなのよ」

 

 そのようなものなのだろうか。鉄菜には分からない事だらけであった。

 

 世界が物々しい有り様になろうとしているのに、自分達は呑気なものだ。こうして取りとめもない約束を交わして、それで満足した気になっている。世界と戦うと決めたというのに。

 

 その時、ルイが不意に空を仰いだ。

 

『緊急暗号通信……?』

 

 鉄菜の手首の端末が照り輝く。桃も何かを感じ取ったらしい。

 

「《ノエルカルテット》に……? グランマ?」

 

「……どうやら休ませてもくれないみたいね」

 

 それぞれが自分のモリビトに収まる中、鉄菜はジロウへと尋ねていた。

 

「緊急暗号通信だと?」

 

『そのようマジ。これは……ブルブラッドキャリア、本隊からマジよ』

 

 惑星外の組織本隊からの連絡など緊急時以外に存在しない。鉄菜は早速繋がせた。

 

 暗号文をジロウが解読していく。通信回線が開き、桃が顔を覗かせる。

 

『クロ、もう暗号文書は……』

 

「今、解析中だ。それほどまでにまずい内容なのか、これは」

 

 一番に解読したであろう桃が慌てふためいているのだ。それ相応の事態であろう。

 

『鉄菜、本隊からのこれは……救難信号マジ。ゾル国に宇宙にあるブルブラッドキャリアの資源衛星基地が関知された、とあるマジよ』

 

 資源衛星基地の関知。それは一番にあってはならぬ事態であった。鉄菜が問い返す。

 

「確かなのか、それは」

 

『確かじゃなければこんな情報、誰も掴ませて来ないはず。クロ、どうやらあんまり休息も取れそうにはない』

 

『同感ね。これまでの戦いよりも激化する、とは聞かされたけれど、これほどまでとは……。宇宙に、上がるしかないみたいね』

 

 鉄菜は覚えず空を振り仰いだ。紺碧の雲海の向こう、星の海に戦いの舞台は移り変わっていく。

 

 その激動に心拍が乱れる。

 

 その正体が身を裂くような不安であった事を、この時の鉄菜はまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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