ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯100 カタハネ

 海底は暗く沈み、ブルブラッド汚染の砂が降り積もっていた。

 

 汚染域を見据える赤い複眼光学カメラは生命の息吹一つない海底で、汚泥に塗れ、静止映像を送り続けている。

 

 何年も変わらないその映像に、不意に火線が入った。

 

《ノエルカルテット》のバベルが映像に介入し、情報の同期速度を遅延させる。

 

『アヤ姉、海底監視は掌握したわ。でもそう何分も持たない。急いで』

 

 通信網を震わせる桃の声に彩芽はドッキングを果たしたポセイドンの推進装置を全開にさせる。

 

 逆関節がさながら鍬のように前面に展開している。周囲の監視網をレーザーに捉えるなり、ミサイルの砲弾が射抜いた。

 

 自動的に監視網を排除するようにインプットされたポセイドンの関知網は有能だ。彩芽はまさかここに来て水中戦闘にもつれ込むとは思わなかった事を回顧する。

 

 C連合の巡洋艦の射程はすり抜けたが、やはりそこから先となるとブルブラッドの濃霧が邪魔をする。

 

 あまりに濃いブルブラッド大気汚染はただでさえ機体を侵食するのだ。それはモリビトとて例外ではない。装甲を軋ませられれば厄介になるのには違いなく、《インぺルべイン》と彩芽は海中からの潜入任務についていた。

 

 ポセイドンが合体しているだけでも水中戦における優位は取っているようなものだが、やはり油断ならないのはブルーガーデンの防衛網であった。

 

 策敵レーザーが点在するブルーガーデンの防衛部隊を捉える。

 

《ブルーロンド》であったが脚が存在しない。脚部がごっそりと抜け落ち、代わりに重石が海底に沈められているのである。

 

 ワイヤーで繋ぎ止められた海底防衛部隊は一説にはブルーガーデンの罪人達がその刑期を満了するために行うのだとも聞かされている。

 

 つまり、対面するのも同じ罪人だ。

 

 脚のない《ブルーロンド》がこちらへと照準を向ける。彩芽は操縦桿を握り締めた。

 

「悪いわね。一方的になるけれど、これも仕方のない事」

 

 ポセイドンの推進装置が開き一気に距離を縮めさせる。海中とは言え、瞬時に高熱を生み出した溶断クローが《ブルーロンド》の腹腔へと叩き込まれた。

 

 海底で血塊炉の加護を失えば、その機体はただの棺おけだ。

 

 一機、また一機と肉迫し、その命を奪い取っていく。

 

 ゼロ距離で銃撃を浴びせ、彩芽はようやく周囲に敵影がない事を確認した。

 

「桃、もう領海に入っているのよね?」

 

 桃はロプロスを得て高高度からこちらの位置を捕捉していた。

 

『間違いなく入っているはずなんだけれど、警戒網は?』

 

「潰した。でも、これで終わりにしては呆気ないというか」

 

『待って。……何これ……、ブルーガーデンの監視塔が沈黙している。今のブルーガーデンはまるで、手薄の状態になっている』

 

「……攻め入るのには好機、って事?」

 

『単純に考えていいものか迷うけれど、でも千載一遇のチャンスなのはそう』

 

「それなら、よし」

 

 彩芽は運河を伝ってブルーガーデンコミューン内部へと潜入するルートを辿っていた。

 

 ルイが浮かび上がり、文句を垂れる。

 

『別に、彩芽が頑張る事もないんじゃない?』

 

「そうかもね。でも、わたくしがやらないと、鉄菜が帰れない」

 

『二号機操主なんて、放っておけばいいじゃない』

 

「放っておけないのがあの子なのよ」

 

 ルイには心底理解しかねるようであった。頬をむくれさせて頭を振る。

 

『非合理的よ』

 

 自分は、合理的に考えれば鉄菜を助けに行ったところで意味などないのかもしれない。それこそ余計なお世話だろう。

 

 だが、鉄菜とて何の考えもなしに裏切ったわけではない。それは伝わっている。

 

 問題なのはそう仕向けたのは誰か、という部分だ。

 

 組織内部にそのような動きがあるのだとすれば、彩芽は最悪の想定を浮かべなければならなかった。

 

 ――組織の誰かが自分達、モリビトの執行者を同士討ちさせようとしている。

 

 その帰結はブルブラッドキャリア瓦解までのシナリオを容易に想起させた。

 

 しかし組織に属していながらブルブラッドキャリアを潰して何の得があるというのだろう。あるいは損得など無視して、何か大きな事を成しえようとしているのか。そのための駒が自分達なのか。

 

 彩芽は装着したポセイドンに航行を任せ、全天候周モニターの一画をさする。ゾル国のニュースもC連合もニュースも入らない陸の孤島。どのチャンネルも砂嵐を起こすばかりで何も表示されない、まさしく絶海。

 

 この地はしかし、ある因縁と符合していた。百五十年前、ブルブラッド大気汚染を引き起こしたその中枢。

 

 テーブルダスト、ポイントゼロ地点。それがブルーガーデンの中心地だ。

 

 原罪の中心に向かってモリビトが駆けつけているこの状況、何者かに仕組まれたのだとすればこれほどの皮肉もあるまい。

 

 やはり罪の集積は罪の中心に還るというのか。

 

 ポセイドンの水を掻く音を聞きつつ、彩芽は口中に呟いていた。

 

「わたくし達に突きつけられる罪の証明。それは何?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蝿型の人機は機動力が遥かに高い。

 

 バード形態の《シルヴァリンク》と同等か、あるいはそれ以上だ。腹腔にR兵装のプレッシャー砲を内蔵しており、それそのものが質量兵器としての価値もある。

 

 鉄菜は《シルヴァリンク》のRソードで蝿型を切り裂いた。

 

 直後、蝿型人機へと他の蝿型はたかって来る。寄り集まった人機同士が誘爆し、青い有毒大気をばら撒いた。

 

 こちらの動きが少しでも鈍れば相手は特攻してくる。

 

 それが頭の隅に理解出来ていたから、鉄菜は先ほどからヒットアンドアウェイ戦法を取れていたが、《ブルーロンド》部隊はそうでもないらしい。

 

 プレッシャーカノンを一射し、一機の蝿型は落とせても、他の蝿型の動きに追従出来ていない。

 

《ブルーロンド》の背筋に蝿型が取り付き、腹腔のプレッシャー砲でその機体を貫いた。

 

 もう何度目か分からない。残った《ブルーロンド》部隊は決死の覚悟で本体である《キリビトプロト》へと攻撃を仕掛けるも、蝿型人機が盾になってその出力を減殺させる。

 

 蝿型が爆砕したその空間を《キリビトプロト》の片腕が吸引した。

 

 接近し過ぎた《ブルーロンド》がつんのめり、掌へと引き寄せられる。鉄菜は咄嗟に《シルヴァリンク》を跳ね上がらせていた。

 

 Rソードの出力を上げ、《キリビトプロト》の掌を切り裂こうとする。

 

 しかし相手のほうが出力は上だ。吸引されそうになるのを鉄菜はリバウンドフォールの盾で相殺させる。

 

 距離を取った《ブルーロンド》が無様に地面へと転がった。

 

 操主が感謝の言葉を紡ぐ前に、蝿型人機が《ブルーロンド》へと集中攻撃を見舞う。四方からプレッシャー砲に刺し貫かれ、《ブルーロンド》が内側から爆発する。

 

 鉄菜は奥歯を噛み締めていた。

 

 どれだけ抵抗しようとまるで無意味だと言われているかのようだ。

 

 Rソードで蝿型を引き裂き、他の機体が集まってくる前にその空間を離脱する。

 

 しかしそのような消耗戦で本体である《キリビトプロト》を撃墜出来るはずもない。

 

 放射状に発射されたミサイルがただでさえ視界が悪い空間を爆発で上塗りしていく。

 

 蝿型人機の肉薄に気づけたのは単純にモリビトの性能だ。Rソードが薙ぎ払った空間が青く染まる。

 

《キリビトプロト》が両腕を振り上げて固め、内包する銃座から火線を開かせた。

 

 先ほどから果敢にも《キリビトプロト》に立ち向かっている《ブルーロンド》一機が推進剤を棚引かせて地上へと着地する。

 

 恐らくはもう推進剤のガスが切れているのだ。

 

 蝿型人機がその隙を逃さずプレッシャー砲を撃ち込もうとする。鉄菜は《シルヴァリンク》を駆け抜けさせた。

 

「リバウンド、フォール!」

 

 リバウンドの盾で守り抜いた《ブルーロンド》の主は憔悴し切った声を漏らす。

 

『……礼は、言わない』

 

「こちらも、もらおうとは思っていない」

 

 息が上がっている。無理もない。四十機近くの人機と同時に戦えるようには出来ていない。加えて前回の物量戦で弱点が露呈したばかりだ。

 

 物量で押されればさしものモリビトでも疲弊する。

 

 蝿型が地上へと降り立った。口腔部を開くと、内側からこちらのR兵装と同威力の針が露出する。

 

 蝿型が針を射出してきた。

 

《シルヴァリンク》が盾で弾くがそれさえも加味した動きだ。瞬時に肉薄した蝿型がリバウンドの針でこちらの胴体を狙い澄ます。

 

 あまりに速い。

 

 こちらのRソードの打ち込みが間に合わないかに思われた。

 

 瞬間、奔った光条が蝿型の頭部を射抜く。

 

 プレッシャーカノンを《ブルーロンド》が構えていた。

 

「礼を、言うつもりはないぞ」

 

『思ってもいない』

 

 鉄菜は空を仰ぎ、額に浮いた汗を拭った。

 

「あとは何機だ?」

 

『確実に蝿型は十機近くいるマジ。《ブルーロンド》は多分、残り三機ほど……。でも、全く《キリビトプロト》にダメージは与えられていないマジよ……』

 

「それは、そうだろうな。リバウンドフィールドの装甲に、これだけの火力。……言いたくはないが化け物だ」

 

 Rソードを至近距離で叩き込めればあるいは、であったが、片手に搭載したリバウンドフィールド発生装置と、もう片腕の広域のリバウンドの刃があまりに強力で迂闊に踏み込めない。

 

 加えて至近距離でも機銃の攻撃力は通常人機を圧倒する。全身、針山の如く武装が聳え立ち、通常人機の束でしかないこちらはまるで羽虫に等しい。

 

《ブルーロンド》が蝿型人機へと特攻をかけた。このままでは一方的だと感じた兵士だろう。

 

 蝿型のプレッシャー砲が《ブルーロンド》の肩口を抉る。口腔から引き出された針が《ブルーロンド》へと射出され、瞬時に串刺しにしていく。

 

 通信回線を少女の声が震わせた。

 

『……お先に逝かせてもらいます。鴫葉小隊長』 

 

 ノイズ混じりの声が咆哮へと変わる。《ブルーロンド》が内部血塊炉へと火を通し、内側から青い血潮を撒き散らしながら自爆した。

 

 その一人の犠牲によって蝿型の包囲が僅かに乱れる。統率に歪が生じた今こそ、起死回生の好機。

 

《シルヴァリンク》が推進剤を焚いて跳ね上がる。それと同様に飛翔したのは《ブルーロンド》の隊長機であった。

 

『岸葉……、三十人目の自我に目覚めた兵士であった。その犠牲、無駄にはしない』

 

《ブルーロンド》の操主の声に鉄菜は純粋に疑問をぶつける。

 

「どうしてだ。お前らは国家に尽くすだけの……傀儡だと聞いていた」

 

『そうだったのかもしれない。いや、事実そうであったのだろう。だが、我々には選択の機会が与えられた。神の気まぐれか、あるいは生きていてもいいのだと赦されたのか。この罪深い身体に、心と言うものを実感させてもいいのだと、言ってくれたんだ』

 

「心……」

 

 それは何なのだろう。自分にさえも分からない。心の在り処も、何をすればそれが手に入るのかも。

 

 蝿型が再び包囲を敷こうとするのをプレッシャーカノンとRソードの刃が遮った。

 

 佇むのは寸胴の巨体。こちらを睥睨する赤い眼差し。灰色の機体色は何者にも染まらぬ国家の象徴そのものに思えた。

 

『あれの弱点はデータにない。我々は同期ネットワークを管理されていた。弱点があったとしても、それはネットワーク上には存在し得ない』

 

「人機の弱点は、通常は血塊炉周辺だが、キリビトとやらの装甲は堅牢だ。Rソードで打ち込んでも、装甲を破れる保障はない」

 

『やはり、狙うのならば頭、だな』

 

 人機の弱点。それはコックピットの存在する頭部。しかし、頭部に辿り着くまでには幾千の防御武装が邪魔をする。

 

 リバウンドフィールドの装甲にどれほどの数を内包しているのかも分からぬミサイル群。さらにこちらを隙あらば狙い澄ます蝿型の人機。

 

 これらの障害を全て突破して頭部へと至るまでには相当な攻撃力と執念が必要だ。

 

 その覚悟があるのか、と鉄菜は暗に問いかけていた。

 

「頭を狙えばいい。それは簡単な帰結に思えるが……今の状態からどう持ち直す?」

 

 既に部隊は疲弊し、残り一桁を切った《ブルーロンド》隊では《キリビトプロト》を破壊するのには足りないだろう。

 

 かといって自分がこれ以上介入しても旨味はない。モリビト単騎でプラントの破壊工作を行ったほうがまだマシだ。このような規格外の人機との戦闘は想定していない。

 

 今からでも離脱するか、と脳裏を過ぎりかけた考えに鉄菜は否と被りを振った。

 

「ここで退けば、何のために……」

 

 何のために彩芽と桃を裏切ったのか。全て協力者とやらの掌の上で踊らされただけだ。せめて結果が欲しい、と鉄菜は操縦桿を握り締める。

 

《キリビトプロト》。禁断の人機の一つを葬ったとなれば、まだブルブラッドキャリアに貢献出来るはずだ。

 

『……そちらも理由があるようだな』

 

「ああ、容易くは退けなくってね。せめて一太刀浴びせられれば」

 

『いいだろう。どれほどでいける?』

 

 まさか、こちらの援護を容認しようというのか。鉄菜は相手の操主の最終目的を問い質す。

 

「……あれはブルーガーデンの機体だ」

 

『だが、あれの破壊をもってしてでのみ、我々の目的は果たされる。我々、自我に目覚めた強化実験兵はあれを倒す事でしか、魂は救済されない』

 

「……分からぬ事を言う。魂? 自我? そんなものは設計の範疇外のはずだ」

 

 強化兵にそのような感情は存在しない。そう断じた鉄菜の言葉に相手の操主がフッと笑ったのが伝わった。

 

『……お前も似たようなものだと思ったが、違ったか? あるいはまだ気づいていないか』

 

「私が、似たようなもの?」

 

『こちらの早計であったかもしれない。忘れろ』

 

 しかし鉄菜は忘れられなかった。自分が強化兵と同じ。ブルーガーデンという独裁の花園で育て上げられた物言わぬ兵士と同じ存在。

 

 その言葉が胸のうちに亀裂を走らせる。

 

 何だ? と思う間に《ブルーロンド》の操主が声を弾かせた。

 

『来るぞ! 構えろ!』

 

《キリビトプロト》が片腕を振り翳す。全ての物質を吸引し、塵芥と化す反重力の投網であった。

 

 蝿型人機をも吸収し、空間に穴を開けていく。

 

《ブルーロンド》の残った数機がプレッシャーカノンの火線を開かせた。だが堅牢なRフィールド装甲は全てを霧散させていく。

 

「蝿型をも吸収し、あの人機は全ての《ブルーロンド》の破壊を目論んでいるのか。そこまで駆り立てるものは何だ?」

 

『鉄菜! 《キリビトプロト》から暗号通信が来ているマジ!』

 

「暗号通信……? ハッキングする気か」

 

『いや、これは純粋に、通信回線マジよ……』

 

 開くか否かは鉄菜の裁量にかかっている。鉄菜は首肯した。回線の開いた先には三人の禿頭の男性のホログラフィックイメージがあった。

 

 全員の額に眼のような意匠が彫り込まれている。

 

 背中合わせの三人がそれぞれ口を開かず声を発してきた。

 

『モリビトの操主に告ぐ。これは依頼である』

 

「依頼……? 何を言っている。ここまでやっておきながら、どの口が」

 

『確かにブルーガーデンは再建の難しいほどに破壊されたが、まだやり直しの利かないほどではない。全ては強化実験兵のクーデターを抑止するためのものであった』

 

『そのために我々はキリビトというパンドラの箱を開けたのだ。《ブルーロンド》新型部隊はモリビトへの対抗策として造られたものだからな』

 

 一体何の目的で自分に接触するのか。問い質す前に相手が切り出した。

 

『モリビトの操主、こちら側につかないか?』

 

 放たれた言葉の意味が最初、分からなかったほどだ。呆然とする鉄菜へと《キリビトプロト》に収まる三人が提言する。

 

『全ては反旗を翻す強化兵を駆逐するため。ほとんどそれは成ったと言ってもいい。だが、まだ生き意地のしつこい奴らは存在する。貴公の目的は恐らく、血塊炉産出プラントの破壊。それを表面上は成功させてやろうと言っているのだ』

 

「何を……何を言っている」

 

『《キリビトプロト》の武装は強大。まかり間違えて血塊炉産出設備を一部機能不全に陥れても何らおかしくはない』

 

 鉄菜は混乱していた。どうして相手が自分の意見を汲もうとしている? 敵は《キリビトプロト》ではないのか。

 

「私の代わりに、設備を破壊すると言うのか……」

 

『破壊してやったフリをしてもいいと言っているのだ』

 

『結果論としてキリビトという禁忌を覗かせてしまった事は他国への大きなマイナスになる。そのマイナスを補填するのには、血塊炉設備の破損を理由に他国への血塊炉輸出を一時的にせよ渋る必要がある。その理由付けとして、モリビトの強襲は非常に有効だ』

 

 キリビトの操主は自分を理由にして他国への牽制を図ろうとしている。モリビトに破壊されたのならば仕方がないと、他国の開発を遅れさせる腹積もりだ。

 

 その内側では《キリビトプロト》という強大な武力を内包する事で他国との均衡を保つ。

 

 こちらに不利益はない。むしろ、破壊は不可能だと判断していただけに、この提案は非常に魅力的だ。

 

 ここで相手の思う通りに動くだけで自分の計画は遂行される。

 

 何も難しくはない。飛び回っている《ブルーロンド》数機を戦闘不能に追い込む程度、児戯に等しいだろう。

 

《キリビトプロト》を相手取り、こちらも大破寸前まで追い込まれる事もない。

 

 この策略にただ頷けばいいだけ。その選択肢に鉄菜は目を見開いていた。

 

『さぁ、我らの言う通りに動けば、ブルブラッドキャリアの利益にも繋がる。トウジャのデータは挙がっているのだ。トウジャタイプを完成させないためには、ここで血塊炉の輸出入を完全に抑える必要がある。自明の理であろう』

 

 トウジャの完成、及び量産は自分達をより追い込む事に繋がるだろう。血塊炉設備の破壊、あるいは凍結はトウジャを完成させないために必要な措置なのだ。

 

 世界を混乱のるつぼに陥れないために。自分達の計画通り、報復作戦を遂行するのに、トウジャは邪魔だが《キリビトプロト》はたった一機。まだ対処のしようはある。ここで撤退しても何も問題はないはずだ。

 

 ――通常ならば。

 

『モリビトの操主……? どうした? 何を黙っている?』

 

 困惑する《ブルーロンド》へと鉄菜は視線を向けた。天秤にかければ簡単な話だ。

 

《キリビトプロト》はほぼ万全。比して《ブルーロンド》は瓦解寸前である。どちらを破壊すれば情況が収まるのかは分かり切っていた。

 

 分かり切っているのに――鉄菜はRソードの切っ先を《キリビトプロト》へと向けていた。

 

『……何をしている?』

 

「その提言、確かに私達の、ブルブラッドキャリアの大局を見据えた場合、有効ではある。世界規模のトウジャ量産を阻害するのに、それを呑めば簡単に事が進む。合理的な措置だ」

 

『そうであろう。ならばその刃は何だ?』

 

 鉄菜はキッと鋭い双眸を《キリビトプロト》へと据える。《モリビトシルヴァリンク》の眼窩が煌いた。

 

「……だが、私は非合理でも、こちらを選ばせてもらう。お前の言っている事は小さな悪を摘める代わりに大きな悪を見過ごせと言っているようなものだ。いずれにせよ、しこりは残る。私達は、全ての罪をそそぐためにこの惑星へと降り立った。それがブルブラッドキャリア、それがモリビトだ」

 

『モリビトの操主……』

 

「《ブルーロンド》隊に通達。《モリビトシルヴァリンク》は《キリビトプロト》を特一級の排除対象と認定。目標を撃滅する」

 

『何を……貴様、何を言っているのか分かっているのか? そちらに協力すると言っているのだぞ』

 

「協力など必要ない。汚れた手で私達の道に手を貸すな。迷惑だ」

 

 決意が輝きとなってRソードの出力を上げていく。キリビトに収まる三人の禿頭の男達のイメージが消え失せた。

 

『そうか……もっと、賢いと思っていたよ、モリビト!』

 

「愚かでも、私は前に進む!」

 

《シルヴァリンク》が弾かれたように機動し《キリビトプロト》へと直進する。《ブルーロンド》隊がプレッシャーカノンを発射させてこちらの道筋を援護した。

 

 蝿型が叩き落される中、《シルヴァリンク》のRソードが見据えた先はただ一つ。頭部コックピットだ。

 

 そこを破砕すれば全てが終わるはず。

 

《キリビトプロト》の片腕が動き、広域射程の刃がこちらを狙い澄ました。避けるまでもない。バード形態へと変形を果たした《シルヴァリンク》が直進する。

 

 刃が先ほどまでいた空間を引き裂き、蝿型人機が爆発の光の輪を広げさせる。

 

 青い推進剤を棚引かせて《シルヴァリンク》は《キリビトプロト》を睨み据えた。翼手目を思わせる翼が拡張し、黄昏色のエネルギーフィールドが発生する。

 

 リバウンドの盾が重力を偏向し、機首が輝きを帯びた。

 

「唸れ! 銀翼の! アンシーリー――」

 

『させると、思っているのか!』

 

 四方八方からの銃火器の火線がアンシーリーコートを中断すべく奔る。それらを受け止めたのは《ブルーロンド》隊であった。

 

『我々の、大義のために……』

 

『行け、モリビトよ……』

 

 爆発の光が《シルヴァリンク》を照り輝かせる。鉄菜は腹腔から声を発していた。

 

「コート!」

 

 銀翼の使者が《キリビトプロト》の頭部を破砕しようとする。しかし、それを阻んだのは反重力の片腕であった。

 

 瞬時に形成された皮膜がアンシーリーコートを反射していく。減殺していくエネルギーと干渉波の中で鉄菜はフットペダルを踏み込んだ。

 

 ここで退くわけにはいかない。

 

 誰のためでもない。ただ自分が納得するために。ここで、諦めるわけにはいかないのだ。

 

 咆哮した鉄菜の声に相乗し、《シルヴァリンク》が変形を果たす。Rソードを盾の裏側から手にし、その頭部コックピットへと振り上げた。

 

「もらった!」

 

 Rソードの一閃を強力なリバウンドフィールドが阻害する。掻き消されそうなほどの黒白の光の渦の只中で鉄菜はただ一心にこの刃が徹る事を念じた。

 

 ――貫け。

 

『愚かな!』

 

 青い電磁が周囲から纏わりつく。反重力がRソードとアンシーリーコートを押し戻そうとしてくる。

 

 このままでは、と歯噛みしかけた鉄菜の視界に入ってきたのは《ブルーロンド》であった。

 

 隊長機が割って入り、プレッシャーカノンを頭部へと照準する。

 

『助太刀する!』

 

 絞りかけた引き金に蝿型人機が針を射出した。銃身が折れ曲がり、背部からプレッシャー砲が突き刺さる。

 

 覚えず鉄菜は手を伸ばした。

 

 灰色の髪の少女が片羽根を羽ばたかせたのが、網膜の裏に鮮烈に残った。

 

 


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