本国行きを命じられた桐哉は、作戦統括部に顔を出すよう、厳命が降りていた。
その作戦指示書を手渡した隊長が踵を返すのを、桐哉は呼び止める。
「納得いきません! 何だって自分だけ本国行きに……!」
「上からの命令だ。避けられん」
それ以上はない、というような声音。桐哉はしかし、その言葉に追いすがる。
「だって、まだ自分はやれます! 機体だって直った! これであのモリビトと一戦でも交えれば」
「今は、世界規模でそのような余裕はない、というわけだ」
全世界がモリビトとブルブラッドキャリアなる組織に注目している中、勝手な行動は許されない。だが、自分は生き証人だ。
モリビトと戦って生き延びた。継続戦闘ならばいざ知らず、一度前線を離れろというのは承服出来なかった。
「あんなもの……こけおどしです! 実際に《バーゴイル》が編隊を組んで、きっちり作戦を練れば怖い相手では……」
「三機のモリビトを目にしてもそれが言えるのか?」
メディアが取り上げているのは自分が遭遇したのとは別の二機のモリビト。三機存在するモリビトの戦闘能力は未知数だ。だからこそ、戦力は必要なのではないか。
そう進言したかったが、隊長は許さなかった。
「命令には従え。それが一番だ」
「でもこの命令書には……もう、古代人機狩りにも出るなって書かれて……」
命令指示書に記された内容を加味するに、自分はこれまでのような戦いをするべきではないと決定付けられている。自分の意思とは無関係に。
「古代人機狩りは別の部隊が編入してくる。お前は何も心配は要らない」
「でも……! 自分が、〝モリビト〟の名前を、称号を賜ったからですか? だから、メディアの暴論を恐れて、こんな措置を」
「違う」
「どう違うんです! ゾル国はいつから、こんな保守的になったんですか!」
張り上げた声に怒りがこみ上げていた。モリビトの名がテレビやマスコミで取り上げられる度、この基地の整備班やスタッフから向けられてくる眼差し。あれは嫌悪の視線だ。自分が「モリビト」の称号を持っているばかりに、相手と何か関わりがあるのでは、と勘繰られている。
「桐哉……今は落ち着け。そう簡単にメディアのつけたイメージは拭えない。降りてきてすぐにこの命令指示書をお前に渡せと言われた時には、こちらも反対はしたよ。こんなもの、お前に渡したらどう反発されるのかくらいは想像がつく。だがな、軍隊は上の命令が絶対なんだ。加えて今は、モリビトの名前はマイナスイメージになる。ほとぼりが醒めるまで、お前は現状待機に――」
「ほとぼりが醒めるのなんて待っていたら、相手にこの星が占領されてしまう!」
肩を荒立たせた桐哉に隊長は落ち着き払った声を出した。
「……ブルブラッドキャリアの最終目的も分からん今、下手に出るな、と言っているんだ。こちらが下策を取ればすぐにメディアの揚げ足取りが始まる。世界規模で目を光らせている連中もいるんだ。お前が何かしたら、それだけでゾル国の情勢が危うくなる」
モリビトの名前を持っているがゆえに、自分は何も出来ない。このような二律背反があっていいのだろうか。本来、モリビトは世界を、平和を守るための人間に与えられた称号なのに。
「ゾル国のお偉方の考える事は分かりますよ。モリビトの名前が世界的な規模で広まっている現状、それを勲章として与えていたなんて事は大っぴらにしたくない。いや、どこからかでも情報は漏れる。その情報に対して痛くもない横腹を突かれるのは面白くない、と」
「分かってくれるか、桐哉」
隊長の声に桐哉は面を伏せた。どうしたところで自分が動けば国家の利益にもならない。苦しめるだけだ。故郷に残してきた親族も。何より、妹も――。
「……でもせめて、葬儀くらいは出てもいいですか」
モリビトの大気圏突入時に犠牲となった仲間がいる。彼の葬儀くらい、顔を出してもいいだろうか。隊長は首肯する。
「ああ、その程度ならば上からの約束を取り付けるまでもない。こちらで手配しよう。明日、執り行われるそうだ」
時代が進めば速くなるのはそういう儀礼的な側面だ。葬儀は簡略化され、事故死、という扱いになるだろう。当然の措置だ。今、モリビトタイプに落とされた被害者、などと前打てば人々を扇動するようなもの。
分かっていてもやり切れない。桐哉は拳を握り締めた。
「でも……あいつは、自分達を庇って」
「桐哉。今は、事が鎮まるのを待て。そうしなければ逆に」
「分かっていますよ。自分が落ち着かないで、誰が落ち着くのか、という話でしょう。世論の目もあります」
ただ、それならばもっと率直に、モリビトの名前を返上する、という制約でいいのだ。そうしないのは、国家の威信のためか。あるいは桐哉一人が苦しむ程度ならば静観したほうがコミューンの自治を任されている人々としては都合がいいか。
いずれにせよ、自分の役職は人とも思われていないのは明白であった。
「そこまで分かっているのならばいいんだ。明日の葬儀には上官も出席される」
粗相のないように、と言外に付け足された形となったが、桐哉は葬儀でまで、自分を偽らなければならないという現実に歯噛みする。
自分が何をしたと言うのだ。
むしろ、積極的にモリビトを追い、その性能の一部分でも露出させた、という点では褒められてもいいはずなのに。
モリビトの名前が自分を縛り付ける。安息など一時も与えてはくれない。
「モリビトなんて名前……今は返上出来ればどれほど楽か」
「桐哉、時代が変わろうとも、それはエースの称号だ。誇りを持て」
どう誇って行けというのだ。世界の敵となじられ、その名前に呪いをつけられてまで。
しかし、隊長を謗ってまでこの場で押し問答を続ける意義もない。命令には従う。それが軍人のあり方だ。
「了解しました……」
立ち去っていく隊長の背中を見送り、桐哉は愛機の待つハンガーへと訪れていた。居並ぶ人機は全て、ゾル国の誇るトップ水準の人機ばかり。《バーゴイル》のカスタム機が肩を寄せ合う中、異様なコンテナが搬入されるのを視界に入れた。
黒塗りのコンテナは人機サイズであったが、その護衛に当たる人々はゾル国の制服ではない。濃紺の詰襟制服に身を包んだ人々を遠巻きに整備班が眺めている。
「あれ、ブルーガーデンの連中だろ? 何で、うちのデッキに搬入してるんだよ」
「何でも、有識者会議で協力体制が敷かれたからってエース機を前線に配備したいんだとよ。だからって、青い血の奴らに門を潜らせる事はないのにな」
青い血の連中。ブルーガーデンは独裁国家だ。その内実が知れないため、侮蔑の意味も込めて青い血の連中と呼ばれていた。
C連合とは輸出入が密なためお互いの人機を見せ合う事もあるという独裁国家の人機は、この場では完全に秘匿されていた。
黒塗りのコンテナをサーモグラフィーで観察する整備士もいる。
「熱反応と電気的な信号は完全に人機だな。でも、それを見せる気もないのに前線に置けってのは横暴だよな」
「仕方ないんだって。うちにはうちで問題を抱えているだろ? モリビトなんていう英雄様のせいで、こっちは散々だよ。古代人機を狩っているだけで何が偉いんだか」
コツン、と靴音が残響し、小言を漏らした整備士が自分の存在に気づいて咳払いする。いちいち見咎めて喧嘩すれば、それこそ事だ。桐哉は黙って見過ごすしか出来なかった。
《バーゴイルスカーレット》は整備が完了しており、いつでも出せる。問題なのは出撃許可が下りないであろう事。自分の存在を隠匿したい政府の上官達の策謀により、モリビトへの雪辱を晴らす機会さえも失われてしまうのではないかという危惧。
今すぐにこの基地から出撃し、当てもなくモリビトを探し回りたい衝動に駆られるが、それはもう自分に帰る場所がなくなる時を意味している。
今は待て。隊長の判断は正しい。軍上層部のやり方にもケチをつけるわけではない。
ただ、これでは燻り続けるだけだ。自分の中でいつまで経っても、モリビトの名前に決着はつけられない。
片手に握り締めた作戦指示書が重いのは、何もその内容だけではない。この記述だけで自分のこれからを縛りつける呪いの言葉と化しているのだ。
故郷の妹が思い起こされる。妹は身体が弱いため、自分よりも過敏にモリビトの名前で傷つく事があるかもしれない。
学校でいじめられてはいないだろうか。桐哉の中で募っていくのは不安ばかりであった。暗雲のように垂れ込めたそれを晴らすのには、やはり戦うしかない。
だが、戦えば確実に失うだろう。
これまでの地位も。これまでの名誉も。そして、これからの栄光も。
どう足掻いたところで一軍人に過ぎない自分に変えられる事は少ない。だが、こうも言い換えられる。
モリビトを倒す契機があるのもまた、この身分だけなのだ。
軍人ならば戦場を渡り歩ける。今は無理でも、モリビト討伐に出撃出来る好機は巡ってくる可能性があるのだ。
――今は待て。
自分に強く言い聞かせ、桐哉は愛機から踵を返した。