♯1 宇宙を裂く
幻影を見た。
自分の似姿の幻影だ。
不思議と恐怖はない。自分と全く同じ姿の敵を視界の正面に据え、彼女は構えた。
白銀の槍の穂には矢じり型の鉄片が装備されており、淡く光を発して輝く。
似姿は観察すればするほど自分そのものだ。
黒く流した長髪。飾り気のない顔立ち。睨み据える紫色の瞳孔。自分と違うのは、こちらは黒い仮面をつけている事だ。まるで自分のほうが偽物のようである。
地を蹴ったのは同時。
槍の穂を突き上げ、相手の肩口に一撃を見舞おうとする。
ステップでかわした相手が槍を払った。すぐさま姿勢を沈め、牽制の下段蹴り。
まるでシステムのように次の攻撃手順、次、次……と弾き出していく。
相手も心得ているかのように槍を交差させ、こちらと鍔迫り合いを繰り広げた。
槍の穂先が相手の槍と五分五分の打ち合いを数度か重ねた後、フッと瞬間的に瞬いた。
それと風圧が発生するのは同時。
似姿が吹き飛ばされる。
壁にぶち当たってよろめいた相手へと問答無用の一撃を突き放つ。
腹腔に突き刺さった槍が相手の内側から命の灯火を食い破った。
槍の穂先に位置する特殊な鉄片――アルファーが作用し、相手の身体から命の一滴さえも奪い取っていく。
そうやって、奪って生きる事しか出来ない。
からからに干からびた似姿から槍を引きずり出す。振り返るや否や、次の攻撃が咲いた。
跳躍と同時に放たれた一閃に彼女は飛び退る。
今度は剣を持つ似姿だ。
――まったく、懲りないものだ。
呆れて物も言えない。似姿が剣を薙ぎ払った。槍でいなし、すぐさま応戦の摺り足で相手の至近へと歩み入る。
懐に入った瞬間、片手の袖口に用意していたもう一枚のアルファーで相手を引き剥がした。
吹き飛ばされる相手の額へと、アルファーを投擲する。
弾道予測は僅かに逸れる。その予感に彼女は己の額に弾ける末端神経のイメージを持った。
身体から溢れ出す光。その奔流を操作し、アルファーの空中機動に齟齬を与える。
目を見開いた途端、アルファーの軌道に加速がかかり相手の額へと正確無比に突き刺さった。
沈黙した似姿に彼女はとどめの一撃を見舞おうとする。
『そこまで』
男の声が響き、演習が終了した。
白衣の者達が部屋の中に訪れ、彼らが一様に死んだ似姿達を観察する。
「素晴らしいよ、CF67。これで君は二百五十七回の交戦を経た事になる。二百五十七戦、二百五十七勝。おめでとう。君がモリビトの操主だ」
その言葉で彼女はようやく、仮面を外す。
その双眸が自分を観察し、管理する全てのカメラと視線を関知した。
自分は管理されている。管理された上で、戦ったのだ。戦って、選び取ったのだ。
「名を与えよう。そうだな、彼女が提唱していた名前がいい。どうかね?」
「名案ですな。女性研究員が呼んでいた呼称ならばCF67号も馴染み深いでしょう」
男達の声音に彼女は何の感慨も浮かべず、ただそこに佇むのみであった。
「CF67号、今日から君の名前は――」
その言葉を最後まで聞き取る前に、彼女は背後から衝撃を感じた。
振り向くと殺したはずの似姿が立ち上がり、剣を自分に突き刺している。
胸元を貫いた切っ先は自分でも驚くほどに現実感がない。
しかし、その剣先から滴る血の色を見た途端、身体の内側から感情が燻った。
――青い血だ!
誰かが叫ぶ。途端に白衣の者達は雲散霧消し、次いで現れたのは緑色の培養液で満たされた視界であった。
ここは嫌だ、と叩こうとすると強化ガラスが邪魔をする。
『やはり、この個体も失敗だったか』
残酷な言葉が突きつけられるのと、身体が急速に虚脱するのは同時であった。
視界の端でランプが点滅している。
赤いランプは操主の意識が朦朧としていた証であった。無機質な声音で現在地のアナウンスがなされる。
『現在、ポイントQ7を通過。惑星突入軌道まで、残り三十分を切りました。操主へと覚醒シークエンスを求めます』
ここで起きていなければ、自分は重力の虜になって焼け達磨か。
操縦桿を握り操主の意識がしっかりしている事を機体に教える。
偽装措置が施された機体の三次元モニターが全天候周モニターの一角に映し出されていた。
廃棄衛星を真似た半球型の姿はまさしく宇宙のゴミと言っても差し支えない。
このゴミの姿のまま、あの星に突っ込むのか。
突入軌道に入った、と告げるモニターの一つをタッチし、その座標軸と地軸、それにどれほどの距離なのかが概算され、無重力に慣れた身体にぴっちりと張り付いたRスーツの感触と共に重力下がシミュレートされる。
『達す。操主の返答を待つ。操主の返答を待つ。操主の返答を待つ』
ここにこうして存在しているというのに、システムには一から教え込まなくてはならない。もっとも、そうでなければ自分はこのままデブリと変わらず、大気圏で燃え尽きる運命であろう。
「返答。操主からのモニター。生命反応と脳波を検出されたし」
『検出。脳波、心拍、静脈情報、網膜認証をクリア。対象を二号機の操主と確認』
「突入軌道に入る。そうなればお前とはここまでだ」
アナウンスするOSは自律稼動するもので、地上に入ってからは人機に備え付きのOSに切り替わる。
それまでの辛抱であったOSはあまりにも無機質で、自分を見送った人々共々、勝手気ままであった。
『操主の信号を確認。残り三十分で惑星軌道突入。繰り返す……』
ヘルメットのバイザーに反射する人機のモニター類を確認し、重力による変動値も組み込んだ上で、ようやく息をつけた。
眠りこける事も出来ないのか。
彼女はそっと、先ほどの夢で鮮明に刻まれた胸元の傷をさする。
大丈夫だ。自分はまだ――。
そう言い聞かせる前に、次のアラートが耳朶を打った。
『予測され得る軌道上に障害物を関知。血塊炉の固有識別反応から、人機と思われる』
早速、面倒の種か。
息を詰め、彼女はバイザーの内側で白い息を輝かせた。
「封印武装を一時的に開放。目標を撃墜する」
『封印武装解除コードを入力』
「CF67SVLだ。以降の入力は簡略化する」
『コード認証。三十分後に標的と接触。コンマ五秒前に封印武装の一部開放。武装コード、タイプ02SVL』
「……重力圏までは、せめて無事に水先案内人くらいは務めてくれよ。そうじゃなければ何のために、こんなごてごてした偽装をつけてるんだか」
独りごちたコックピットは思ったよりも狭く、宇宙の常闇を吸い込むのにはあまりにも簡素であった。
こんな場所に居続ければ、精神が狂う。
宇宙の深遠は、人が生きられるようには出来ていない。
少なくとも何千年も人が夢見ていた星の瞬きは、人間にはあまりにも強い毒の輝きでもあるのだ。
その毒に一生を費やすか。あるいはその刹那に一生を燃やすか。
毒に生きるか、毒を従えるかの違いだけである。
「――なら、私は毒を生き従える」
傲慢でも、それが答えであった。
『標的移動開始。軌道上に三機確認』
蹴散らすまでだ。
フットペダルを静かに踏み込み、彼女は加速をかけさせた。