「はむはむ……」
ミルキが取る普段の食事は実に粗末である。
ゾルディックだった当時、一日三食の内の二食は野草に木の実と焼き魚。だが残り一食だけは、ゾルディックが出した。
何でも「親の務め」とか。
だがその実態は、2~3日は放置して腐った残飯の処理。しかも致死量の毒物入りだ。
とんだ嫌がらせもあったものだが、ミルキもゾルディックの血脈なだけはあるらしく、例えどんなに異臭のする残飯でも、致死量の毒物を喰わされても、生死を彷徨うような事は無かった。
しかし毒にも種類があるらしく、粗食を心掛けていたミルキが肥満体型になったのも、毒物の影響ではないか?……と思っている。
また、そんなミルキを死に追い殺らんとした此度の毒物……いったい何だったのか気になるところだが、とにかくそんなわけで普段のミルキは肉を食べない。
もし食べるとすれば、その日は何か特別な日と決めていた。
今日は、記念すべき……という言葉も不思議なものだが、念の門を開いた特別な日。
祝いに大いに肉を食べるのも、罪とは言えないだろう。
もっとも念能力を覚醒させて、その入口に立ったミルキが見た世界に抱いた感想は「相変わらず」だったが。
「……ま、当然だな」
開いた入口からでは、遠く聳える山頂は見えるはずもない。頂上まで昇ることを許されたというだけで、自分は一歩たりとも進んでいないのだから、当然と思う以外にないのだ。
「はー食べた食べた。……ごちそうさまでした」
胃に収まった狼肉に感謝の意を示したミルキは、改めて自分の姿を見てみる。
「まだ、平気……かな?」
ミルキが初の【纏】を覚えてから、約90分。時計が無いため正確な時刻までは判らないが、ミルキは未だに【纏】を維持できていた。
「思った以上に持つんだな……メシ食いながら、だからか?」
初めての【纏】がこんなにも持続するとは思っていなかったミルキだが、しかしそれが当然なのか凄い事なのかまでは判らない。
むしろ初めてだから、かもしれない。もしくは、オーラは生命エネルギーだから、食事を取りながら纏の状態を維持するのは生命エネルギーの継ぎ足しになっているのだろうか?……なんて考察も浮かぶが、切りが無いと止めた。
理由はどうあれ、纏を長時間維持できるのは有り難い。ミルキは感覚を忘れないよう、食事をしながらもオーラに気を配り続ける。
更にミルキのイメージは“水に揺蕩う”というもの。その点で言えば、川原の近くというのも鍛錬場として最適と言える。
漫然という湯をイメージするより、視覚、嗅覚、聴覚を水に宛てていることでミルキは自然体のまま【纏】を維持できていた。
しかも【纏】を使えるようになったから、なのかは分からないがゴトーとの戦闘で痛めた腕と腹が何ともない。
念の四大行の中で、回復力に影響するのは唯一精孔を閉じる技術【絶】とミルキは思っているが、精孔を開いたことで生命エネルギーの循環がより増した事が治癒に繋がったようだ。
「さて……これからどうしようか……」
オーラを纏ったまま、ミルキは今後の予定を再確認する。
本来なら天空闘技場に向かうはずだったミルキだが、その最たる目的である『精孔を開く』は、打撃と毒物のコンボを克服したことによって達成してしまったらしい。
なら、わざわざ大陸の端から端に向かう必要も無いのではないか? と思うのも自然な疑問。
「んー、よくよく考えてみたら今頃だったよなー? あの変態ピエロが出没するのって……」
原作主要キャラの内、ミルキが遭遇したくないトップ3に入る一人が天空闘技場に居る。
念を覚える事ばかり考えていたが、一度冷静になって考えたミルキの頭と体は天空闘技場を忌避していた。
「……いや、それより。これからどうするか、だな……?」
念の修行は、知識通りに行っていけば、ある程度なら問題無いはず。
金銭確保は、弱そうな賞金首を捕まえれば日銭ぐらいは稼げるだろうと楽観視。ミルキは特に金銭を使わずとも生きていける。……今までがそうだったから、これからも変わらないというだけの認識だった。
「原作に介入するかは……、んー……?」
悩みどころは、原作介入するか否か。原作介入せずともプロハンターの資格を取るか否か。
プロハンターの資格は、取得すればメリットが多いだろう。優遇……特に交通機関がフリーパスになるというのは魅力的だ。
だがそれは世間に顔を売るということになる。
ハンター専用サイトで調べられない事は無い。もちろん同業者の情報も。
ミルキの立場からすれば、自らの首を自ら絞める事になってしまう。
「……取らぬ狸のなんとやら、だな。まだまだ先のことだし。今はなんにしても、強くなることを考えないと……」
原作云々、ハンター試験等よりも、今は世に蔓延する敵と戦えるだけの力が必要。
体も心も鍛えに鍛え、強者の仲間入りをしたいと切に思う。
これからは、暗殺技ではなく武闘技を。
武という一文字は『戈を止める』という成り立ち。つまり、武闘という本質は『戈を止め、己自身と闘う』という言葉から成る。
それこそが、ミルキが常に目標としてきた『強者』の姿。
ただ……前世の彼は、ただ敵を打ち倒す者こそが強者だと思ってきた。
拳を顔面にブツける迫力と威力に圧倒された。誰にも追随を許さない無敗にして孤高の戦士こそ、本当に強い者だと憧憬の念を抱いた。
だが、それは強者のほんの一面。自分が憧憬を抱いていた強者の上っ面だけしか見ていなかったと気付いたのは、いつ頃だっただろう?
武闘の技術、常人を越えた体力のみに目が行っていたが、本当に見るべきは心の強さ。決して挫けず、どんな障害にブツかろうと折れず曲がらず、真っ直ぐ勝利のみを目指す姿勢なのだと。
心技体。これが一致してはじめての強者と身を以て理解したミルキ。……だが『強者』と見定め、ずっと憧憬してきた者もまた、心技体が全て備わっていると改めて理解するに至り、その情を深くしたにすぎなかったのだが。
「目標は高く、高く……手探りになるけど、目指すのも一興だ」
自分も超越した強者になりたい。それは、前世から変わらぬ願望。
転生し、ゾルディックの者となった事に絶望したが、しかし……ある意味で資質だけは備わったことになると前向きに考えてきた。
だから頑として己を曲げず、本当の意味で歩める日のため、ジッと耐え忍び、堪えて来た。
我流……念もそうだが、これまた独学。かなり歪になってしまうこと必至だが、ミルキは諦めるつもりは無い。
ミルキは、先立っての目的を定めた。
「よし……痩せよう」
何よりも先立つ事は、これに違いないと定めたミルキは一度屈伸して駆け出した。
目指すのは――天空闘技場。
(ピエロが居たら、即退散しよう。そうじゃなかったら……)
痩せる目的でも、体力を向上させる意味でも長距離走は考えていた。
とりあえず、問題はピエロが居るか否か。もし見つけたら目を合わせないよう即座に退散しようと決めた。
●
「天空闘技場へようこそ」
ミルキがククルーマウンテンを発って早くも2ヶ月が経過した。
大陸横断、何千kmという距離を走破して天空闘技場に行き付いたミルキは、旅路の途中で少しばかり内戦が激しい国や情勢が安定していない国だったりを横切ったが、気にせず駆け抜け、現在は天空闘技場の門を叩いている。
因みに、入念な下調べ(特にピエロが居るか否か)の結果、どうやら居ない事が判明し、ミルキは気兼ねなく天空闘技場に参戦することを決定した。
旅路の途中で適当なアルバイト(見かけた賞金首を捕らえる等)をして日銭を稼いでいたが、やはりここらで纏まった金が欲しいと思ったこと。またやはり一人で修行するより、実際に思考して動く物体を相手にした方が修行になると結論に至ったことが参戦の理由だ。
また、ミルキが毒物で生死を彷徨ったあの日から何日経ったと気にしていたが、驚くべき事にどうやら翌朝だったようで。数ヶ月単位での時間移動をしていなかったことを心底安堵した。
「天空闘技場は初めてですね?」
「はい」
嘘も方便とばかりに堂々と虚言を口にするミルキに従い、受付嬢が一枚の紙を提示した。
「では、こちらに必要事項をお書きください」
本当は数年前に一度来ているが、初挑戦としなければゾルディックに感づかれる。……否、もう手の者を差し向けている可能性もある。
だが……今のミルキは『ミルキだ』との判別が難しいだろう。
「レオパルド・インデックス様ですね」
ミルキが即席で思いついた偽名。厨二っぽいネーミングセンスだが、それよりミルキの容姿と風貌を説明しよう。
ミルキの風貌は、5日前に立ち寄った店で適当に買い揃えたもの。パーカーを深くかぶり、ゆったりジーンズを穿いた至って普通の服装だが、顔にはガスマスクを着用。これ見よがしに怪しげなキチガイ雰囲気を出している。
いくらミルキと判らぬよう試行錯誤した末の結論だとしても逆に……と思うだろう? だが、天空闘技場ではこういった風貌があまり珍しくないため、逆に「面白みに欠ける」とすら思われるのだ。
そして肝心の容姿だが……言わずもがな、念願叶ってミルキはスリムな体型を手に入れていた!
贅肉ブルンブルンの腹と顎下、丸太のように太い腕腿とはオサラバしたのである! やったね!
「1階闘技場では2221番で御呼びしますので、お聞き漏らしの無いようにお願いします」
「ああ。(……おしいな)」
2222の一歩手前で「なんだか損した気分だ」と変なこだわりを見せながら、ミルキは闘技場へと進んで行く。
「おー、まぁ……さすがに変わってないか」
ミルキが天空闘技場を訪れるのは二度目で4年ぶり。
一度目は5歳の頃。シルバとの“契約”の一環で「1ヶ月で200階まで上がれ」という無茶振りを言われ、無一文で放り込まれた時だ。
無論、ミルキはそれも含んだ“契約”を完遂したからこそ、今こうしてこの場にいるわけだ。
天空闘技場のシステムは至って単純。勝てば上の階に進み、負ければ下の階に落ちる。
200階までは10階単位でクラス分けされ、例えば100階で勝利すれば110階に。負ければ90階に落とされる。
100階からは待遇も良くなり個室が用意され、手に入るファイトマネーの額も上がるため、勝ち上がるには単純な格闘技能よりも寧ろ生存競争をしている野獣のような狡猾さを要求される。
無論、狡猾さを埋めるだけの実力があれば問題無いのだが……。
そんな天空闘技場には1日平均4000人という挑戦者が訪れる。2000番台のミルキの後ろにも長蛇の列が出来ていたのがいい証拠。
しかし、大樹の根元がどれだけ太かろうと、天辺の枝先が容易く折れるような細さになっているように、天空闘技場もそこまで上り詰められるのは極僅かの実力者に限られる。
そのため、1階の闘技場で行われるのは腕試し。4~5m正四角形のリングの上で、3分以内に実力の程を見せるというもの。もちろん敗者は門前払いとなる。
『2099番・2221番の方、Cのリングへどうぞ』
「む、呼ばれたか」
1階のリングはA~Pまでの16面。選手は、年齢と格闘技経験、格闘スタイルを統計してコンピューターが算出する。
ミルキの相手は、3mにも届こうかという大男だった。
「へへへ、運がねぇなガキ! 一発で潰してやるぜ!」
……だが。
「てい」
「ぶご……!?」
軽く肩を叩くように“トン……ッ”と腹を押しただけで、吹き飛んでしまった。
(軽くでこれか……。やはり念を使えるようになって力が上がったようだ)
念の修練を初めて2ヶ月。ずっと【燃】の技術を上げて来たお蔭か、ミルキは既に精孔を閉じる【絶】と通常以上のオーラを生む【練】の技術はもう問題無く使えるようになり、今はオーラを肉体の一ヶ所に集め、増幅する【凝】という技術を目下練習中だ。
それにミルキの力が増幅したということに関して言えば、念を使えるようになったという事以外にも、贅肉が落ちた事でそれまで余計な膂力が削減され、力がスムーズに腕に伝達した結果でもある。
「2221番。キミは50階へ行きなさい」
「分かった」
1階でのファイトマネーは152ジェニーと、缶ジュース1本分。これはどの階に飛び級しても同じ。
しかし次の階からは負ければゼロ、勝てば5万程のファイトマネーとなる。マイナスにならないのは実に善いシステムだ。
(さて……無傷で勝ったし、もう1試合組まされるだろーな)
因みに100階級なら凡そ100万。150階を越えれば1000万を楽に超える額となる。
(んー……あの頃は……確か1億は稼いだハズだ)
4年前にミルキが来た時に稼いだ金は、約2億ジェニー。……だが、その明細をミルキが知る事はなかった。
その金銭は、監視として同行した執事に全て没収され、家に流れたからだ。何でも生活費に充てるとか。その後、機械式ゴーグルをつけた某人物の洋服ダンスに新たな仲間が増えたとかいないとか……。
だがミルキにとって、手に余る金など邪魔なだけだったので、心底どうでもよかったが。
(けど……あの頃もあんまり苦労はしなかったよな……?)
ミルキは天空闘技場の200階まで上り詰めた日数はギリギリ1ヶ月。……というより、自ら完遂期間を延ばしたという方が正しい。
当時5歳のミルキの腕力は、脳リミッターを外して試しの門を2つ開ける程。
そのため「ただ思いっきり押す」というだけで、人間は簡単に押し飛ばされる。それで100階までは苦も無く上った。
だが、問題はその後だ。
100階級の選手は実力も然ることながら、とにかく狡猾だった。
天空闘技場の試合形式はP(ポイント)&OK制で、クリーンヒット・クリティカルヒット・ダウンとポイントを稼いで逸早く合計10Pを先取した方が勝者というルールだ。
因みにクリーンHで1点、クリティカルHで2点、ダウンで1点。
一例として挙げるなら寝技使いが居た事をミルキは覚えている。
相手を抑えつければダウンで1点。その後、その1点を死守するように制限時間いっぱいまでリングの上を逃げ回るのだ。
勝てば官軍、負ければ族軍とはよく言ったもので、どんな手段を使っても、周囲から何と言われようとも勝てば富と栄誉が与えられるのだ。
もちろん、ミルキはそんな相手を蹴り上げてリングから追い出し気絶させたが……、しかしゾルディックの期待の星と目されるキルアはコレに苦戦し、150階に上がるまで2ヶ月を要した。
理由として挙げられるのは幾つかある。
まずキルアは暗殺者として『勝ち目が無ければ戦わない』という調教をずっとされて来た。本気の殺人術しか教わって来なかったキルアには手加減が出来ないのだ。
殺すか否か。その2択以外の手段を取れなかったが故に、手加減を覚えるまで時間が掛かったらしい。
また100階級に生息する狡猾な相手に手間取ったという理由もあるが、単に実力不足だった試合の方が多いようだ。
100~150階に生息するような大人と、その年齢の半分も生きていないキルアが、膂力、体力、思考力や洞察力の全てにおいて劣っているのは仕方のないこと。
キルアも暗殺者教育されていることを除けば、ただの5歳。クレ■ンしん●ゃんの主人公と同い年だ。なんら不思議ではない。
ミルキはその点で勝っていた……というより、ゾルディックに産まれたのに体力で負け、才能で劣ったミルキが生き残るには知恵を絞り、狡猾な技巧を巡らせるしか無かった。
目線、呼吸、筋肉と関節の動きを瞬時に把握し、相手が思う初動の一歩先を見通すのはゾルディックで飼っている番犬ミケを相手に学習済み。
ゾルディックに時折やって来るハンターや賞金稼ぎの相手をするのもミルキに押しつけられた仕事だったこともあり、天空闘技場の100階以上の相手に負けるという回数も少なかった。
因みにやって来た人間達の顛末はミケのごはん。だが、弱肉強食は自然の摂理と罪悪感も嫌悪感も沸かなかったミルキである。
そんなわけでミルキは、適当に足の骨を折るなりして強制ダウンポイントを稼ぎ、また狡猾選手の真似事で場外から昇ってこさせないよう両足を折ったままジャイアントスイングで遠くに投げ飛ばして10カウントのKO勝ちしたり、とにかく色々な手練手管を駆使して200階まで行き付いたのだ。
生存への貪欲さを獣並に尖らせたミルキの覚悟を露わにしたミルキの勝利というわけ。
だが、実はキルアが200階まで行くに時間が掛かった理由がミルキにもある。
ずっと「ブタくん」と蔑んでいた相手が1ヶ月で200階まで行ったが、キルアは1ヶ月を過ぎても150階にまで行く事ができない。
焦燥感と劣等感がプレシャーとなり、キルアは2年という歳月を要したのだ。
因みに、その一件でキルアは暗殺者というそれまでの正当思想にヒビを入れる事になるのだが……それはミルキにも与り知らぬ事である。
閑話休題。
兎にも角にももう一試合がいつ始まるとも知れないと、ミルキは思考の海から浮上する。
……だが。
「10カウント! 勝者、レオパルド!」
「…………おろっ?」
少し懐かしい回想に浸っていたミルキだが、キョロキョロと辺りを見渡すと何故かリングの中央に。足元には泡吹いて倒れている巨漢。
気付かぬ内に試合を一つ消化していたらしい事にミルキはガスマスクの下で小さく苦笑を漏らす。
(あちゃー……)
ミルキはボーッとしている時に条件反射で敵を半殺しにするという悪癖がある。
以前一度、気絶した状態で熊と遣り合って、気付いた時には血みどろボコボコの熊の上に寝転んでいたこともある。
だがどうやら今回は戻って来るのが早く、一撃で相手が倒れたこともあり半殺し前で済んだようだ。相手が人間ということもあるかもしれないが……。
「……ま、いいや」
100階まではサクサク行く予定だったミルキは、勝ちは勝ちだと敗者を忘れて60階への昇格とファイトマネーを受け取りに向かった。
だが、ミルキは全く気付いていなかった。
その……一見して程度の低い試合を、
「ほう……それなりにできるようだな、あの小童」
目を光らせ見る一人の男の存在を。
ミルキの物語が、新たなステージへと進もうとしていることに。