ちょっ、ブタくんに転生とか   作:留年生

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 原作前――修行編――の最後。


 クルタ族集落戦から3年。13歳となったミルキは格段の成長を遂げていた。
 そんな、ブタくんとの決別を済ませたミルキに……今また、新たな艱苦が。



#10.極地×挑戦×前夜

 

 時間とは、偉大であり惨酷だ――と、ミルキは思う。

 生死、成長と衰退は表裏一体。育てば老い、過去があるから未来があり、幸福があれば不幸もある。何時までも上り道はなく何時かは下る。

 世の中は延々とその繰り返しに過ぎない。しかし単純プロセスの中で、生物は必ず生きるという選択を常に取って来た。

 どんなに辛く、悲しく、惨い経験をしても、自ら死を選ぶ者は少ない。だが死を持って罪を償うことも一つの道と考える者もいる。

 

 しかし、やはり明日に希望を見出したいとミルキは思う。

 贖罪の選択に死刑があろうと、ミルキはその選択を強いることはない。

 どんな快楽殺人者でも、死ねばそこで終わる。

 本当の地獄を見て来た……もう殺してくれと泣き叫ぶ獄道を生きて通ったことがあるミルキからしてみれば、死をもって償う事は決してできないのだと知っているから。

 

 己の考えを強制するつもりはない……が、きっと共感できると思うのだ。

 

 多くの命を奪った。多くの都を壊した。

 赦してくれ……いくら叫ぼうと、数多の罪はきっと自他の誰にも赦せるものではないと理解しても叫ばずにいられない。

 どれだけ後悔しても、それでも贖罪と向き合いながら前を見て進むしかないと、己を律するしかない。

 しかし、本当の意味で罪を受け入れられるには、人間という種に与えられた時間はあまりに少ない。

 結果、後悔を背負ったまま溺死することもまた贖罪なのだと、誰もがそう思うのだ。

 

 だからこそ、咎人は想う。

 次代は、決して同じ過ちを繰り返してくれるな――と。

 人間である以上、危ういのは必定。その危難は常に直ぐ隣に座して、己を待っている。

 

 ならば……、咎人としての最後の仕事は……きっと、そこにあるに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――」

 

 膝程の高さの岩に座禅するミルキは、ゆっくりと“停止”していると見える静謐な呼吸を繰り返していた。

 初めてもう十年になる【燃】だ。念能力を覚えたからこその原点回帰。精神の修行を欠かしては、念能力の向上はあり得ないのだ。

 

 しかし、今ミルキが行っている座禅は、外氣吸収の特訓でもある。

 呼吸の度に“外氣”を取り込み、己の一ヶ所へと抑え留める。

 だが“呼吸”と一言に言っても、何も口だけとは限らない。

 汗腺や内氣(オーラ)の通り道である精孔からも外氣を取り込む事はできる。

 全身で呼吸を行えて、はじめて本物と言えるのだ。

 

 ミルキも短期過密な修行を数年続けることで、既にその域まで達している。

 だが、現在ミルキは更に“その先”を目指している。

 逆に行き過ぎれば、絶命の危機。だがそれでも、訳有ってミルキは進む以外の選択をするつもりはないのだ。

 

(――――ここだ)

 

 その実直な精神が、ミルキをその“場”へと導いた。

 外氣を受け入れ透すために、最も適した精神の置き場へ。

 

 余談だが、ミルキは「外氣を受け入れる」ということを「天然自然に身を委ねることだ」と、流派東方不敗の真理に沿う解釈に至っている。

 その真理に釣り合う思考と運動は、動物的というより植物的。しかし動物にもできるということは“現状”からも明らかだ。

 しかし、その“場”へは何も選ばれし才有る者しか至れないというわけではない。

 なぜならそこは、動物なら誰しもが一度は垣間見て、通り過ぎる道にある場所。

 

 それは―――死期。

 

 死のプロセスには、えも言われぬ激痛の後、後悔を感じ、しかし受け入れる他無いと走馬灯を感じ入るような全てを許諾する“間”が存在する。

 その“間”こそ、生と死の境界線……それこそ生物全ての根源を垣間見る境地こそが、外氣内包をするに際し、精神の置き場として最適なのだ。

 

 また、誕生もその一つだが、言うまでもなく赤子の精神ではその場を把握することは不可能であるため、この限りではない。

 

 そして当のミルキは一度死を経験しているから、だろうか。過密な修行とシュウジ・クロスという超一流の師匠の指導によって、天然自然から外氣を借り受けられる最適な場を直ぐに理解できた。

 更に、一度理解すると次には一歩前進する練度を見せ、気付いた時には外氣内包を自在にコントロールする術を知っていたのだ。

 

 ミルキは、そこに至る技法を“外氣活用完成型”と名付けた。

 素晴らしかなミルキの才は流派東方不敗に選ばれたことにより、見事覚醒を遂げたのだ。

 

 だが、貪欲なミルキは、更に“その先”を見ていた。

 それこそがミルキが今求める場。体内に留めた外氣を、更に肉体を“循環”させるという究極技法。

 天才の留まる事を許された“完成型”という『境地』の更に果てに在る、前人未到の“完了型”という名の『極地』である。

 

 集中力の向上によりムダの無い動作を可能とし、己の内氣(オーラ)の活用にもムダを無くす。

 元々、ミルキは技巧系スタイル。ゾルディック家での地獄の日々とシュウジの修行を経ることによって、ミルキの戦闘洞察力は着々と上昇している。

 もし敵より顕在できるオーラ量が劣っていても活用術で挽回できる可能性はある。

 

 だが、いくら技巧を駆使しても圧倒的な物量差にはどうしても劣る。

 個人戦もそうだが、一対多での戦闘が懸念される。例を挙げるなら、やはりゾルディック。そして幻影旅団だろうか。

 

 そんなバケモノ級の敵と戦闘になった時のためにと、ミルキが見出したのが『完了型』という更なる極地だった。

 

 外氣を循環させた状態なら、顕在オーラ量に膨大な外氣をプラスして扱える。

 つまり本来は単体で内氣(オーラ)を一度に100使うところを、内氣:外氣=1:99に割り振ることで自身への負担を極限まで減らす事ができるのだ。

 同時に肉体のエネルギーも外氣に因ることで、肉体疲労や老衰を“停める”ことも理論上は可能となる。

 

 これしかない……そう思い、外氣運用の修行を更に突き詰めて行ったミルキ。

 だがシュウジは当初、そこに至るのは「不可能」と言った。

 なぜならその行為は“己という個”を植物の域まで持っていくことに等しいからだ。

 

 植物に至った精神は動物の肉体では維持できず、完全に乖離すればミルキという個の喪失を意味する。

 境地ですら人間の限界を超え、ギリギリ繋ぎ止められるかと言う場。なのに更に先を目指すなんて出来るハズ無い……と。

 

 確かに、その通りなのだ。

 師匠シュウジ・クロスやミルキの兄弟子ドモン・カッシュは、完成型の境地までは辿り着いた。

 だが彼らをしても完了型の域までは、今一歩及ぶことはできなかった。

 2人程の武闘に愛された人間ですら……否、人間だからこそ至れない。それは世界の真理であり、当然の道理だから。

 

 それでも、2人には少なくともその域を垣間見る事はできていたハズなのだ。

 植物の域とは死を受け入れた先に在る。

 生死の真理を受け入れる、その澄んだ心は明鏡止水の境地。そう……ドモン・カッシュが修行の果てに体得した真のスーパーモードが、まさにそれと言える。

 だが感情的なドモンでは、真に明鏡止水の境地に至れても“極地”には至れず、結果【石破天驚拳】も完全型には至れていなかった。

 

 そしてシュウジ・クロスもまた、前世ではその域に達する事はできなかった。

 不治の病に侵されたシュウジは、死に抗い続けていた。それは人間として当然の本能。

 しかし……だからこそシュウジは人間という域の中で頂点を極めたが、人間の域を超える事は出来なかったのだ。

 

 だが、ここ数年にシュウジの心境に変化があった。

 

 完了型の極地を受け入れられなかったのは過去のシュウジ・クロスだ。

 しかし現在のシュウジ・クロスは一度死を受け入れた事で、その極地を通り見たことで人間という最後の枷から精神を解き放つ事に成功したのだ。

 

 天然自然の全てを受け入れ、慈しみ、感謝する精神をもって“己という個”を維持したまま、世界の一部にあることを了悟することが確かにできた。

 そんな「不可能」と言っていたシュウジの心境と言葉を覆したのは、シュウジよりも先に完了型へと至ったミルキを見たから。

 

 本当に至ってしまった事に驚愕すると共に、シュウジはまた自分の常識に囚われていたのだと知る。そう……前世でもそれが原因で弟子ドモン・カッシュと仲違いした時のように。

 シュウジは、再び弟子に教えられたのだ。

 

 だが、これは武闘の才と言うより、死を見たか否かが大きく関わる技法。

 

 ミルキは一度死亡することで生死の境界線を魂魄に深く刻み付け、更にゾルディックで常に死と隣り合わせの生活を送って来た事に因る人格改造を経て生と死に対する本能すらも変質させていた。

 結果ミルキは、常に生を賜る天然自然への感謝と敬意、また死への恐怖と嫌悪を払拭させることで安意を見出す精神状態を維持することが可能となったのだ。

 

 完了型の技法は、これらの要因を10年という長い歳月を掛け、真っ向から受け止めたミルキだからこそ編み出す事ができた究極の一ということだ。

 

 

 閑話休題。

 

 

 ミルキが完了型の“極地”に行き着くと、自然にゆっくりと体内で抑え留まっていた外氣が内氣の流れ道を通して全身に循環し始める。

 外氣を体内で循環させる場合、そこには意思があってはならない。自然は、やはり自然のままに。それが最も効率的で合理的な運用に繋がるのだ。

 

 しかしミルキが完了型の極地に留まれるのは、人間が極度の集中状態を持続できる凡そ20分が限界。

 ただ、今後修行を重ね、精神の成熟を果たせば、より長時間、意識して集中せずとも安定して持続させることも可能だろう……と、シュウジは言うが、それはまだまだ先のこと。

 

「う……」

 

 うめき声を上げたミルキの表情に苦悶が浮かぶ。

 ミルキの集中力が限界に近づいているようだ。

 

 途端にミルキの全身から外氣が吐き出される。

 集中力が途切れる前に、全身から外氣を吐き出し終えなければ、全身に巡った外氣が暴走を起こし、結果肉体を破壊してしまうからだ。

 下手をすれば文字通り、植物人間となってしまう。そんな命懸けの修行も、ミルキは既に半年間も続けている。

 

「……ふぅ。……16分、か」

 

 瞼をゆっくりと上げ、近くにセットされていた時計を見て記録を確認する。

 最長で20分だが、平均すれば15分弱がいいところ。

 中々精度が向上しないが、精神に斑気が多い思春期の少年では致し方ない事かもしれない。

 精神が一度三十路に生き付いた前世の記憶と経験が無ければ、10代前半でこの域に至れるハズがないのだから。

 それにこの一連を更に昇華させなければ、流派東方不敗に流用させるなど夢の又夢で生涯を終えてしまうだろう。

 

(……時間が無い。早く、外殻だけでも物にしなければ……)

 

 ミルキは焦っていた。

 時の流れとは、やはり偉大であり残酷なのだ。

 人間も世界も、神ですら逆らうことはきっと不可能だろう。

 だからこそ知能ある者達は、日々の全てに感謝をすることで、懸命に、後悔と遺恨を残さぬよう生き徹さねばならない。

 

 そして、ミルキには一刻も早く完了型を成さねばならない“理由”もある。

 その焦燥が集中力の持続を妨げていることも自覚しているが、どうにもならない心境なのだ。

 ならば数を熟すしかない。未熟と実感しているミルキは小休憩をして、直ぐに修行を再開しようと【絶】を維持し――。

 

「ミルキよ」

 

 しようとしたところで、シュウジが声を掛けてきた。

 

「師匠」

 

 ミルキは座禅を解いてシュウジの下へ駆け寄る。

 だが近づいて見ると、どうもシュウジの様子がおかしい事に気付く。

 

「あの……どうか……しましたか?」

 

「……うむ」

 

 シュウジの纏う雰囲気は実に弱々しいものだった。

 表情は険しく、声音は何かを言い淀むようで……。

 

 いったい何だ?……と考えたミルキは、一つ思いつく事があった。

 ずっと……極力考えないようにしていたことだ。

 そんなこと一生口にして欲しくないと思っているミルキに……一度瞼を落として思案顔だったシュウジは、そのまま重い口をゆっくりと上げた。

 

「ミルキよ。お前に流派東方不敗の技と心を教え、鍛え、もう直ぐ4年になる」

 

「はい。あの日が、つい昨日の事のように思い出せます」

 

 ミルキがシュウジという師と共に旅を初めて早4年。既に流派東方不敗の技や奥義の伝授は終了し、今は秘境に居を据えて鍛錬に励む毎日である。

 

 瞼を閉じれば天空闘技場で初めて出会った時の事をつい今し方の事のように思い出せると、ミルキはその時の言葉を一字一句間違えず言える自信があった。

 

「うむ。長い様で短かったが、お前は本当に優秀な弟子であった。未完成ではあるが、ワシも到れなんだ流派東方不敗最終奥義【石破天驚拳】の真なる理も身に付け、伸ばすはお前次第。……ワシが教えられる事は最後の1つを残すのみとなった」

 

「っ……?」

 

 まるで思い出に浸るように、そして誇らしげに口角を挙げながら告げるシュウジはどこか儚げにも見えた。

 そんなシュウジが、ミルキにはまるで崖を隔てた向こうから話しているように見える。

 ミルキは嫌な予感で心臓が早鐘を打ち始め、ゴクリと喉の鳴りがやけに耳に残った。

 

「ずっと考えていた。なぜ、ワシがこのような異界に居るのか。なぜ、“魂のまま”彷徨っていたのか」

 

「っ!……気付いて、いたのですね」

 

 シュウジ・クロスは、生者ではない。

 魂が“肉体を具現化させ存在”……この世界の単語で言うなら【念獣】という存在に分類されるのだろうことを。

 

「む? フフ、当然であろう。ワシは死人よ。生き返るなどあり得ん」

 

「……おそらくあり得た俺が居るのですが?」

 

 なぜシュウジ・クロスという人間が、この世界に現れたのか。

 なぜミルキという憑依転生者と巡り合ったのか。運命の悪戯による偶然か、神の悪戯による必然か。

 あり得ない出会いとあってミルキは後者だと思う所であるが、神仏とは会った事が無いため何とも言えない。

 

「……ミルキよ。お前は阿呆ではない。ワシのオーラを見て気付いているだろう? ワシが……もう長く留まれそうにない事に」

 

「っ……!」

 

 シュウジの突然の告白に、ミルキは目を見開く。……だが、いつか当人の口から言われるという覚悟はしていた。別れの時が刻一刻と近づいていると。

 ミルキはシュウジと出会ったあの日から、こんな日が来るのではないかと覚悟していた。

 ここ半年は氣の使用も節制し始め、稽古も週に2、3度と出会った当初の半分以下となっていた。

 これでシュウジの現状が気付かない程、ミルキも呆けていないつもりだった。

 

 だからこそ、その時が来てしまう前にミルキは見せたかった。

 貴方の弟子は、ここまで至る事ができたのだと。

 兄弟子ドモン・カッシュのように、ミルキは流派東方不敗を背負って行くに相応しいと認めて貰いたかったのだ。

 

 おそらく、シュウジ・クロスがこの世界に現れた理由の一つは、大きな未練を抱えて死んだということではないだろうか……とミルキは考えた。

 人が深い未練や憎悪を持ったまま死ぬと、念はおそろしく強く残ることがある。そして行き場を求める【死念】となって執着の対象へと自ずと向かう。

 シュウジの身が念獣としてこの世界で彷徨っていたのは、誰か己の未練を晴らしてくれる存在を探してのことだったのではないだろうか。

 

 そして見つけたのだ。流派東方不敗を継ぐに最高たるミルキという人材を。

 ミルキは前世で流派東方不敗に憧れていた事もあって、シュウジの念獣は“その念”を強く感じ取り、再び東方不敗マスターアジアとして覚醒したのではないか。

 

 そんな経緯は以上として、ミルキはしっかりとシュウジの期待に応えた。

 鍛錬に鍛錬を重ね、天性の……否、流派東方不敗を修めるためだけにあったと思える才を以て、若干13歳にして流派東方不敗の最終奥義までを未完成ながら真の姿に至るまでを修めたのだ。

 

 後はゆっくりしっかり完成させればいいのだが、その姿をシュウジが見る事は出来ない。

 何より、まだ大切な事を教えてもいない。

 その後悔、未練としないよう……シュウジは台詞を紡ぐ。

 

「知っているだろうが、お前の兄弟子・ドモンも実に佳い弟子であった。直情的だが、素直で呑み込みが早かった。その点で言えば、ミルキもだな。……フフフ。ワシは、弟子との巡り合わせに関して、そして正しき拳を育てる事に関しても強運だと己を自負しているぞ」

 

「師匠……」

 

 ドモン・カッシュ。ミルキが出会う事が出来ない同じ師を持つミルキの兄弟。武闘家の頂点、ガンダム・ザ・ガンダムの称号を得たシュウジの前世界における地球一の武闘家。

 

 嘗て、シュウジの視野が狭くなり、闇の道に走ろうとした時、ドモンはシュウジから学んだ流派東方不敗の拳で以てシュウジの目を覚まさせた。

 弟子は師匠に学び、師匠は弟子に教えられる。これが最高にして本当の師弟のカタチではないだろうか。

 その兄貴分と同じと言われることができた。

 ミルキはずっと、その最高の賛辞を聞きたかった。

 ……けど、その言葉を受け取るのは武闘家として大成した後に……でないことが悔しくてならない。

 今受け取らねば後が無い惨酷なサダメに、ミルキは心の中で静かに泣いた。

 

「……ミルキよ。ワシの最後の願い……、お前に言う初めての我が儘だが……聞いてはくれぬか?」

 

「っ」

 

 まさか天下のマスターアジアが「我が儘」を口にするとは思わなかったミルキは一瞬息を呑むが、気を持ち直して直ぐに答える。

 

「は、はいっ! 師匠の願いとあらば、どんなことでも!」

 

 ミルキは師として、また勝手ながらシュウジを父と思っている。

 その多大な恩義を返せるならば己の命すら惜しくないとの想いで頷いた。

 

「よくぞ申してくれた。……ならば」

 

 だが、シュウジの口から飛び出したのは意外な……しかし予想内の一言であった。

 

「ワシと、決闘してくれぬか」

 

「……へ? え、ええっ!? けっ、決闘ですかっ!?」

 

「うむ。決闘だ」

 

 武闘家として、東方不敗マスターアジアとして尤もらしい最後の願望。

 それを弟子たる自分が相手できるというのは一種の誉れ。

 ……しかし、だ。

 

「しっ、しかし師匠! 俺はまだ未熟で……!?」

 

 ミルキは思う。自分でいいのだろうか?

 もちろんシュウジが望むのであれば決死の覚悟、背水の陣で当たって砕けよう。

 それが大恩の師父にできる、最初で最後の恩返しであると思うから。

 

 だが、それでも足りないのではないか?……と、どうしても思ってしまう。

 シュウジと自分とでは年齢に比例して実力差もあり過ぎる。

 満足にたる相手とはとても言い難い事は明白だ。

 

「……確かに、お前の懸念も道理。……本来ならば、だがな」

 

 シュウジもミルキとこんなに早く決闘することは、本来断固として拒否するところ。

 だが、その時はもう待ってくれそうにないのだ。

 

「しかし、見た目では分からぬが、ワシはもう中身の無い抜殻同然。もうお前との稽古に抗う力すら残っていない」

 

「そ、そんな……!!」

 

 とてもそうは見えない。それは、ひとえにシュウジ・クロスという人間の大きさなのだろうとミルキは思う。

 だが己の力不足を断言したシュウジの言葉は、ミルキは別な意味で看破できるものではない。

 シュウジ・クロスはミルキの目標だ。まるで弱腰になって、己を下卑するような事を言って欲しくはなかった。

 

 そんな思いを汲み取ってか、シュウジは小さく笑い声を上げる。

 

「ワシはもう真面に戦闘できん。故にミルキよ、ワシの最後の望み……それは、ワシの石破天驚拳をお前の石破天驚拳で見事打ち破ってみせることだ」

 

「……っ」

 

 瞬間的にミルキはシュウジが求める答えを理解した。

 

 嘗ての師弟……その最後の場景がミルキの脳裏をよぎる。

 憎しみ合う結果となってしまった師弟、その最後は石破天驚拳を打ち合った。

 シュウジはその再現をしようと言うのだ。

 それこそがシュウジ・クロスが、武闘家として……また、1人の人間としての最大の【残念】だから。

 

「もちろん、ワシはワシの生命エネルギーの全てを使い切る覚悟で放つ。残り滓とは言え、未熟なお前に劣るとは思えんが?」

 

 だが、これは決して前世の杭を抜きたいという意味でない事も確かだった。

 最高の舞台で最高の相手と最高の決着を。武闘家としての締め括りに、師匠として弟子に残せる最後の教授のため。

 ひとえに、ミルキのため……。

 

「……そこまで言われては、俺も師匠に鍛えて貰った拳に賭けて、受けて立つと言う他ありません!」

 

 ああ……貴方はいつだって、変わらない。

 だからこそ憧れ、敬い、追い掛けた。

 

「俺も全力で行かせてもらいます! そして、必ずや東方不敗マスターアジアの戦歴に土を付けてみせましょうぞ!」

 

 ならば、弟子として……1人の武闘家として立てることを証明しよう。

 そして受け取った賛辞を、本物にするために全力を尽くそう。

 

「ははは! 吠えたな未熟なバカ弟子が! だが、それで佳い! その心意気や好し! 楽しみにしているぞ、ミルキ!」

 

「はい!」

 

 いつだって純真だ。

 真っ直ぐ、決して己をブレさせない。

 まるで子供のように、その声は実に楽しそうに野を駆ける。

 

「……師匠、ならば俺からも。もし勝利したならば、叶えてもらいたい願いが一つあります」

 

 最後を臭わせぬよう努めたつもりだったが、どうしても残した未練がミルキにもある。

 言わねば後悔すると、ミルキは是非も無く進言した。

 

「ん? 何だもう勝った気でいるのか?」

 

「い、いぃ!? いえいえいえいえ!! そんな……!?」

 

 だが師匠であり年の功もあり、そんなミルキの心境などシュウジには手に取るように分かっていた。

 しかしミルキは若干天然ボケの気があるため、そこを引き出すのもシュウジには訳ないことだった。

 

「はははっ!……で、何だ? 言うてみい、ミルキよ」

 

「は、はい。あの……よろしければ……ですが」

 

 ゴクリと一度喉を動かし、勢いよく念願を吐露する。

 

「師匠の名を頂戴したいのです!」

 

「む?……ワシの名とは、どっちの名だ?」

 

「シュウジ・クロスの名を。……東方不敗の名は俺に大き過ぎますよ」

 

 ミルキは己の名は、未だにゾルディックとの繋がりがあるようで、ずっと嫌だった。

 まるで全身に汚物がくっ付いているようで、その名をシュウジに言わせていることも合わせて、ずっと捨てたかったのだ。

 そして、本当の意味でこの世界に生を受ける覚悟と決意を示すために、どうにか襲名させてもらえないかとミルキはシュウジに願い出る。

 

「ワシの名、か。……フフ、まぁよい。ならば褒美として用意しておこう」

 

「っ! い、いいんですか!?」

 

「うむ」

 

 噛みついてでも聞き入れてもらう姿勢だったミルキにしてみれば、そんな必要が無くなった事を喜べばいいのか、少し呆気なさ過ぎてガッカリすればいいのか……心情的には微妙な気分。しかし、それでも勝利への意欲が湧き上がるというもの。

 

「ありがとうございます! これは……是が非でも負けられません!」

 

「ふっ、はははっ! 本当に愉快な弟子よ! それだけで気合いがいつもの3割増しとなるか!」

 

 オーラの量が目に見えて増える事を見取ったシュウジは、自分は本当に弟子に恵まれているのだと、襲名したいとの申し出も合わせ、実感する。

 

「では明日の正午。いつもの修行区にて待つ。……待っておるぞ、ミルキ」

 

 シュウジが放った二度目の“待つ”は、とても重くミルキに圧し掛かる。

 それこそ、気付けば物言わぬ石となってでも何年でも待っていると言われたようだった。

 

「……はい。必ず行きます、師匠」

 

 シュウジは満足げに頷くと、ミルキに背を向け歩き出す。

 どうやら先に行っているつもりのようだ。

 ミルキはその背が見えなくなるまで、その場でジッと動かずいつまでも見続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……勝っても負けても、明日が最後……)

 

 体調を万全にしなければならないため、早々に睡眠を取るのが常套だ。

 しかしミルキは決闘への高揚以上に、決別予告が今になって効いて来たため、眠ったら二度とシュウジに会えないと言う恐怖に負けてしまいそうで、睡眠どころではなかった。

 

 ミルキは仕方なく座禅を組むことで調子だけは乱さぬよう整えることにした。

 今のミルキは1日睡眠を取らなかった程度で戦闘に差し支える事はないが、やはり問題はメンタル面。

 全力で戦わねばならない。だが、最悪の結果を考えてしまい、どうしても心を乱してしまう。

 

 ――師匠を殺してしまったら……?

 

 武闘家は決死で敵に臨む。殺し、殺される覚悟を己に課して。

 だが、ミルキは殺される覚悟はあっても殺す覚悟は無い。

 それが致命的な隙になることを自覚していても、ミルキは受け入れることができないでいた。

 

(師匠と出会い、4年……物語の中でしか知らなかった貴方は、しかし実際に会っても本当に素晴らしい人でした)

 

 ミルキは今までの修行の旅路を思い返す。

 初めて出会った頃から、この地に腰を据えて修行に励むようになるまでを……。

 

(思えば、最近になってようやく一打を中てられるようになった。……それも、師匠が弱ってしまった所為という事、か。……情けない)

 

 流派東方不敗の技をシュウジが及第点を出すまでの練度になったのはつい最近の事。

 加えて、ミルキがようやくシュウジに一打を決められるようになったのも最近の事で、それまではまるで柳を相手にしているように完全に遊ばれる状況だった。

 

 シュウジの動きが見えるようになったのは、自分が強くなったのではなくシュウジが衰弱したため。そうでなければ勝てないという己の弱さにミルキは嘆き、深く溜息を落とす。

 だがミルキの前世はただのサラリーマンだ。ゾルディックという暗殺者家系の血肉でなくば、流派東方不敗の指南を受けられる事も無かったと思うと、その意味でも何だか遣る瀬無くなる。

 

(……だが。本当に佳い旅路だった。前世合わせたこの40年の苦汁の日々が消し飛ぶ程に……)

 

 この4年間、シュウジ・クロスとの旅は本当に愉しかった。ミルキはそう満足げに頬を緩ませる。

 シュウジが武闘家として歩んだ軌跡、掲げる思想、物事に対する考え方。その全てが崇高に想えてならなかった。

 

(……冥途の土産を貰っておくべきだった、かな)

 

 負ける。自分の脳内で何百何千回シュウジと相対した姿を思い浮かべても、ミルキはその1つしか思いつかなかった。

 ならば今夜という間を開けることをせず、いつも通りにシュウジの話を聞いておくべきだったとミルキは少しばかり後悔する。自分はほとほと、東方不敗マスターアジアに心酔しているのだな、と苦笑を浮かべながら。

 

 だが何も恥じる事では無い。臆病な自分だが、それだけは公言できると自負している。

 なぜなら、実際にその教えを受けたのだ。

 ミルキはゾルディックという過去を洗い流し、心身全てが流派東方不敗で再構築されていると言っても過言では無いだろう。

 

 だから……ならば、こんな弱気で行けないとミルキは直ぐ、かぶりを振る。

 

(っ……否! 勝つんだ! 勝たんでどうする! 流派東方不敗の弟子が、戦う前から敗北を思うなど言語道断じゃないか! だから俺はアホだと師匠に言われるんだっ!)

 

 最早、臆病者の元サラリーマンの男も、キルアに「ブタくん」と言われたミルキ=ゾルディックという面影は微塵も残されていなかった。

 

(絶対に果たさねばならない! 何より今日まで俺を育ててもらった師匠への恩を返すためにもっ!)

 

 負けられない。

 勝利を是が非でも掴まんとする燃え上がる闘志は、そのままミルキのオーラとなって膨れ上がる。

 

(全てを出し切るんだ! 今日まで師匠に学んだ全てをっ!)

 

 例え死んだって勝ってみせる。

 それから只管精神集中をしている内に、日は昇り……そして正午となった。

 

「……逝くぞ、俺」

 

 いざ。決死を抱き、闘いの場へ。

 

 


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