『夢の続きは幻想郷で』の過去のお話となります
割話
それは遠い遠い過去にあった小さな小さな物語の欠片。
幻想と現実の境界は何処までも曖昧で、幻想が現実としてまだ生きていられることのできた時代。そんな時代にあった小さな欠片のお話。
そんな時のお話だから、この物覚えの悪い私はどうにも曖昧なことしか覚えていない。それでも、私の中にはその時の出来事がふわふわと頭の中を漂っていた。
だからきっとそれは大切なこと。
でも、きっと今にも消えてしまいそうなモノってことなんだと思う。
「あっついなぁ……」
そう、確かあの日は暑かった。
だから私は涼しい場所を探していたんだ。暑いと私は直ぐにくたりとなってしまう。それでもどうにか自分を騙して、涼しいものを探させてみた。やっぱり暑い日には涼しいものを求めてしまうから。
そんな涼しい場所をぽてぽてと歩き探していた私がたどり着いたのは大きな湖だった。それから先の未来でその湖の畔にはちょっと見た目の怖い――でも、優しい吸血鬼の住む大きく真っ赤な館が建つけれどその時はまだなかったはず。
私の立つ少しだけ高い崖下に広がる大きな大きな湖。そこは普段なら霧の立ち込むちょっとだけ怖い湖。けれども、その時ばかりは珍しく霧のない大きな湖であってくれた。
「おおー、おっきい!」
おっきかった。
私はあんまりおっきくないから、多分他の奴らよりもこの湖が大きく見えるのだと思う。
「……よーし」
今は暑い。
そして私は涼しい場所は探しに来た。崖の下……もう目の前にあるのは、いかにも涼しそうな大きな大きな湖。これはもうこの湖が「涼しいよ!」とか言っているのと同じだと思う。
……なんてことを考えたけれど、湖が喋ったらちょっと怖いからそのことは忘れるようにした。できることの少ない私でも忘れることばかりは得意なのだ。
この湖は見るからに涼しそうだけど、見ているだけじゃ私は涼しくならない。いつもの私は何とものんびりしているけれど、今ばかりはもう、準備ができている。
だから、あとは私の心の底から吹く上昇気流に乗って飛び込むだけ。
崖の先から一歩、二歩三歩――そして、四歩後退。
「いっっけぇぇええっ!」
そして、この湖に負けないよう、この臆病な自分が飛べるよう大きな大きな声を出してから崖の先へ向かって私は飛んだ。
空中へ飛び込んだ。
風を切る音がすごい。
やっぱり怖かったからギュっと目を瞑る。
時間にしてしまうと本当に一瞬の出来事。でも、その一瞬を私は本当に長く感じた。アレだけ鬱陶しいと思っていたこの暑さは感じない。
そんな浮遊感が終わると、私の周りには一気に涼しい世界が広がった。
目を閉じていたせいで、その世界に入った瞬間は見えなかったけれど私が水に飛び込むと、大きな大きな音が出て、私を冷たく心地良い水が優しく包んでくれた。
優しい水中はいつもよりもずっと身体を動かしにくい。
でもそれが心地良い。だって私が求めていたものこれなのだから。
水の中は空気を吸うことができないから、直ぐに苦しくなってしまう。ただ、その時の私は暫くの間、そんな苦しさも忘れ、身を委ね、水の中をふわふわと踊ってみた。
どのくらいの時間、私が水の中にいたのかは分からない。それでも、水の中は苦しいってことを思い出すまではふわふわを続けた。思い出すことが苦手な私のことだし、きっとそれなりに長い時間ふわふわしていたんじゃないかなぁ。
水の中が苦しいことを思い出し、閉じていた目を開けると、ぼやけた視界の先に、いつもいつでも空で輝いている太陽が見えた。
それを見てから水面を目指してゆっくりと浮上。
そして、もう少しで水面といったときだった。
ゴン――っと私の小さな小さな頭に何かがぶつかった。
「!? っ!!?」
超びっくり。一瞬でパニック。
だって水面には普通何かがあったりしないし、もし何かがあっても目を開けた私には見えるはずだから。
ぶつけた頭は痛かったし、もう何がなんだか分からなかった。それでも、どうにか水面まで到着。
「ん~……うん? なんで氷があるんだろう」
どうやら私の頭にぶつかったのは湖に浮いていた氷らしい。なるほど、どうにも視界がぼやけると思っていたけれど、この氷のせいだったのか。
それにしても頭が痛い……
しかしこれはおかしい。
だって氷というものは冷たい時に見るもので、暑い時に見るものじゃない。確かにこの湖は涼しいけれど、冷たいわけじゃないのだから。
水面に浮かびながら首を傾げ、うんうんと一生懸命考えてみる。
「う~ん……まぁ、こういうこともあるか」
私には考えても分からないからそういうことにした。うん、きっとそういうこともあるのだろう。
なんてことを思った時だった。
「あー! お前! あたいのナバワ……ナワバリで何をやっているのさ!」
私の上の方からそんな声。
急に声が聞こえたものだからやっぱり私はびっくりした。こういうのは苦手なのだ。
とりあえず声をかけられたのだからそっちの方を向いてみると、其処には妖精が一匹。そして、どうやらこの湖はこの妖精のナバワ……ナワバリらしい。
と、なると私は勝手に相手の場所へ入ってしまったことになる。知らなかったのだから、仕様が無いことだけど、それで怒られるのはいただけない。私は怒られるのも好きじゃないのだ。
「おじゃまします」
「え? あっ、うん。えと……いらしゃい?」
うむうむ、これで大丈夫だろう。
頭に当たった氷は痛かったけれど、私はこの湖が気に入った。暑いのも好きじゃないからもう少しほど、この湖でふわふわゆらゆらしてみるとしよう。
先程までは水中をふわふわしていたけれど、今度は水面でふわふわしてみる。
水の中から出てしまっている身体は暑いものの、その暑さを感じられるおかげで湖の涼しさをもっと感じることができる。それもまた心地好かった。
「あー! あーっ! ちょっと、だからこの湖はあたいのナワバリなのっ!」
目を閉じると、このまま水の中に溶けてしまうんじゃないかとすら思ってしまう。それがまた心地好く、それもまた楽しんでいるとまたあの妖精の声。
んもう、なんだというのだ。私は今全力でこの湖を楽しんでいるのだから放って置いて欲しい。
「お前、名前は?」
もうこの妖精なんて無視してやろうかと思ったけれど、あまりにも五月蝿かったため、仕方無しに妖精の方を向くことにした。
それにしても……名前、かぁ。
そういえば、今回はまだ名前を考えていなかった。目が覚めたらもう暑かったし、暑かったから涼しい場所は探した。名前を考えている時間がなかったのだ。
「うーん……名前はまだないなぁ。それじゃあ君は何ていう名前なんだい?」
今回の私がどのくらいの時間起きていられるのかは分からないけれど、せっかく目が覚めたのだから名前を考えても良いかもしれない。
「あたい? あたいはチルノだよ」
なるほど、君はチルノというのか。
うむ、妖精の名前があるのは珍しいし、なかなかに素敵な名前だ。それにその名前はいかにも涼しそう。真逆のこの季節だからこそ、合っているのかもしれない。
うーん……それなら私も今回は涼しそうな名前が良いなぁ。
涼しそうな色といえば青。でも、青はなぁ……青はちょっとなぁ。
……よしっ、決めた。
「チルノよ、聞くが良い」
「へっ、あ、うん。聞く」
せっかく名前が決まったのだから、ちょっとだけカッコつけてみる。私だってたまにはカッコ良くなりたいもの。
そして、君は今回の私の名前を聞くことのできた初めての妖精だ。それはすごく光栄……ではないけど、えっと……ああそうだ、すごく珍しいことなんだ。
「私は
チルノの方を真っ直ぐと向き、私はそんな言葉を落とした。
ただね、チルノってばせっかく私が名前を教えたというのに、あまり興味がなさそうなんだ。良い名前だと思うんだけどなぁ、水縹って……
「え、えっと……わ、分かったわ! それじゃあミナハ「ミハナダだって」ミ、ミハナダ! お前は今日からあたいの子分だ!」
何がなんだか分からないけど子分になってしまった。しかも妖精の。どうしてこうなった。
とはいえ、私はチルノの子分になってしまったのだからもうどう仕様も無い。
「だから――私と一緒に遊ぶわよ!」
暑い暑い日。大きな大きな湖の涼しい涼しい場所。私の少しだけ上で、空高く輝くあの太陽にだって負けないくらい明るい笑顔でチルノはそんな言葉を落とした。
……それから、私とチルノの間でどんな物語があったのかはよく、覚えていない。覚えているのは小さな物語の小さな欠片だけ。仕方無いね、忘れっぽいもんね私。
でもきっと、それはすごく素敵な物語だったと思うんだ。