いつだったか僕の家に来た子ども――ランボ君。
彼との出会いは、僕の中でとても衝撃的だった。まだ幼い子どもがマンション上階の窓ガラスを突き破って、なんて出会い方を忘れるはずがないんだけど。ただそれよりも、もっと衝撃的なことがあったんだ。
――十年バズーカの弾。
それを部屋の掃除中にうっかり落とした僕は、気づけば見知らぬ大学の中。新聞や身分証でそこが十年後の世界だと分かった時は驚いたよ。まさかタイムトラベルを実際に自分が経験するなんてね。
それから僕は色々と試しながら、何度も十年後の世界に行った。その一番の理由は、夢だったミュージシャンになっていなかったのが不満だったから。ただそれを抜きにしても、このタイムトラベル自体に一人の人間として興奮していたんだ。
なんたって今までアニメや漫画の中だけの話。それが実際にあったっていうだけじゃなく、僕自身で体験することが出来たから。
それにいつか自分一人の力で試したい。
僕も男だし、そう思っても仕方ないよね。
ただそういえば、一回目に行った時に特徴的な人がいた。初めてタイムトラベルに気づいた僕は、何故か無性に怖くなって当てもなく必死に走ってたんだ。その時にぶつかってしまったのが彼。
服はどこにでも売ってるような普通の私服、だけど髪は外国の人でもびっくりするぐらい真っ白だったような。まあ恥ずかしい話、タイムトラベルに興奮しててあまり詳しくは覚えてないんだけど。
ただその人の、僕を二度目に会ったときに見た顔がとても辛そ――
――えっと、あれ……? 僕は、何を考えてたんだっけ。
少し違和感を感じながら、けれど僕は無事に高校へ進学することが出来た。何か、大切なことを忘れてるような気もするけど。まあ、忘れるぐらいならそこまで大したことでもないさ。
そんなことより、僕は今すごくハマっていることがある。それは音楽とは全然関係ない、広く言えば工学系のもの。元から機械いじりにも興味があった僕は、その中でも特にロボットにハマっていた。
だからクラブでもそういったのに入ったし、ロボット大会にも今までに何度か参加してる。大会が近づくと徹夜なんてザラだけど、それでもやりがいはある。元々好きなことなら苦に思わない性格だし。そのかいあってか国際大会にも出れて友人も増えたしね。
ただまあ、少しクセが強いんだけど。
「スパナ、ねぇスパナっ!!」
「ん、あぁごめん。ちょっと面白そうなのあったから」
「……ケーキのオーブンレンジや飴の写真がかい?」
彼はロボットを通じて友人になったスパナ。初めてあったのは国際大会の時で、それから大会とかで何度か会う内に一緒に開発したりするようにもなった。
いいやつではある。それはまだ短い付き合いだけど何となく分かる。けど興味が有るのと無いのとで態度が極端、それに一度熱中すると他が上手く見えない時も。
今だってパソコンで何に使うのかよく分からない写真を見てるし、話しながらもこっちを見ようともしない。もう慣れたと言えば慣れたんだけどさ。せめてチラッとでも視線をくれればいいのに。
「はぁ……進路だよ。もう僕らも卒業だからさ。これからどうするのかなって」
少し呆れながらも聞いてみる。ただ機械弄りや何故か日本以外、その殆どが興味の薄いスパナのこと。大体何を言うかは分かってるけど。
「んー、ウチは特に何も決めてない。その内どこかに拾われるの待つよ」
ほら予想通り、やっぱり適当だった。でも、スパナなら近い内絶対そうなるような気がしないでもない。というより腕前は十分すぎるぐらいあるんだから、自分から探しさえすればどこにでもいけるだろうに。天才なのに憎めない性格だけど、それでもほんの少し恨めしく思う。
「ならそっちはどうなの?」
単純に僕の進路が気になったのか、それとも話の流れで仕方なくか。そのあたりはよく分からないけど、未だに写真を見ながらスパナがそう聞いてきた。
「僕かい? 僕はアメリカにある工科系の大学に行くつもりだよ。とは言っても、かなり厳しいって話だけどね……」
そう、確かに行きたい大学はあるんだ。けどその大学は工学系でも難関、しかも場所が外国だから親や先生にも言いづらいときた。
スパナみたいに高卒でどこかの企業にいくのも悪くはないと思う。ただそれでも、もっと最先端の技術や環境の下で学んでみたい欲もあった。
でもやっぱりお金を出してくれるのは僕の両親。きっと頼んだら行かせてくれるんだろうけど、姉さんもまだ学生でお金がかかる時期。僕一人のためにそこまでしてもらっていいのか――
「――大丈夫。ウチが保証する」
スパナと僕は友人だ。だけど流石にお互いの家庭事情、特に家計事情までは知ってるわけでもない。だからきっと、この返事は単純に難関か異国の地ってことに対してのもの。
それでもこの無性に照れくさい、けれど湧いてくる力強い自信。それはスパナっていう一人の人間が、こんなところで嘘をつかない、心の底から思っているという事実。短い付き合いの中、そんなことも何となく分かるようになった。
「ありがとう、スパナ。何か自信がついたよ」
僕は心からそう思いながら、写真を見つめるスパナの背中へと声をかけた。ただやっぱり、僕の方を見ながら言ってくれれば尚良かったのだけど。
今生でなくとも、最後までブレない友人だった。
スパナのお蔭で自信がついた僕は、早速両親や先生と相談した。
断固反対とまではいかなくても、少しは渋ると思ったそれは何の滞りもなく進むことに。相談して一言目に快諾されたとき、思わず目が点になるぐらい驚いた。
本人の意思を尊重すると言ってくれた先生はともかく、そもそも家族にはだいぶ前から何となく分かっていたらしい。何だか一人意味もなく悩んでたみたいで無性に恥ずかしかった。
ともあれ、色々な人たちからの応援を受けた僕はその期待に応えるべく猛勉強。そのかいあって希望していた大学には無事入学、それも特待生として学費も免除と順調すぎるスタートを切った。
初めての海外はやっぱり戸惑いも大きい。言語はもちろん、料理やマナー等々の異国特有の文化。今はともかく、行って暫くは勉強よりも環境に慣れるまでが大変だった。
だけど暫く経てば、人間案外慣れるもの。その殆どがこっちで新しく出来た親友のお陰でもあるけど。そしてそんな彼と出会えたのは、大学内で道に迷っていた時。日本人っていう物珍しさもあってか、色々と案内してくれたのがはじまりだった。
「あの、それ僕のマシュマロなんですけど……」
「君が僕の前に置いておくのが悪いんだよ♪」
彼が新しく出来た僕の親友――白蘭さん。
どこから見ても真っ白なその髪色に、話しかけられた時はすごく驚いたし正直怖かった。というのも彼は僕と同じ学年だけど、実際に入学したのは飛び級制度でずいぶん前。
理由は入学してから暫く、いきなり休学届を出したと思ったら何年も来ずに留年の連続。なんでもその間にヤバい人たちと関わっていたらしく、本人は気にしてないけどお世辞にも良い噂はなかった。
だけど、実際に話せば全然そんなこともない。確かに急にフラッと数週間いなくなるときもあるし、僕の買って来たお菓子もよく勝手に食べられられる。でも髪はあれで地毛らしく、普段の物腰も柔らかで面倒見のいい頼れる人だ。
でも何だってこう、一癖も二癖もあるような人ばかり僕の周りに集まるんだろうか。
「君って確か日本人だったよね?」
僕のお菓子を食べながら彼がそう聞いて来た。そしてそれに僕は思わず首をかしげる。なんたってそんなこと見た目で直ぐに分かるし、なんなら初めて会った時に僕から自己紹介したぐらいだ。
「はぁ、そうですけど。いきなりどうしたんですか?」
「なら二次小説読んでるよね?」
「……何ですかそれは」
いきなり質問されたと思えば、帰ってきたのは凄い理屈。スパナといい、この人といい、外国の人は日本人を普段どう思ってるんだろうか。……確かに好きだしたまに読んでるけど。
「あれ、知らないの? 二次小説っていうのはね――」
「いや、知ってますよ」
そう僕が言えば、なら何で言ったのと本当に不思議そうな顔をされる。この人はこれをわざとじゃなく、むしろ素でやってるからこそ質が悪い。そんな顔をされれば僕からは何も言えず、諦めて話にのるしかないのだから。
「それで、その二次小説が一体どうしたんですか?」
特に心構えすることもなく、何の気なしにそう聞き返す。すると、いつもはヘラヘラしてる彼の顔が引き締まった。口調も心なしか厳かに変わり、その変わりように置いて行かれた僕を気にもせず話し出す。
「二次小説って色々種類があって面白いよね。勘違い、最強、TS、転生……それに成り代わりの憑依物。色んな主人公がいて、元々の原作のキャラと一緒に泣いたり笑ったり戦ったり」
「でも自分がなりたいとは思わないんだ。少なくとも僕は、だけどね。だってそうじゃない……?」
「漫画や小説の中の話は、その登場するキャラで成り立ってるんだ。完結してるんだ。逆に言えば、そうじゃないと成り立たないんだ。介入することで一つでも何か致命的なズレがあれば、一体どんな最終回を迎えるか見当もつかない」
「でもまあ、知らない原作の世界ならまだいい。理想とする結末に怯えなくて済むしね。だから一番怖いのは――下手に知ってしまっている世界だよ」
彼が矢継ぎ早に僕へと話しかけてくる。そしてそれを聞いている僕は、ただ後悔していた。
理由は分からない。だけど確かに心の底から、それも本能ともいえる部分で。それ以上先を聞いてはいけないと、僕の中にいる何かがそう叫んでいた。
耳を塞ぎたかった。
声を上げたかった。
逃げ出したかった。
けれど体は動かない――動けない。
まるで、自身の間違いを指摘される事に恐れる子どものように。これから放たれる何かに怯えながら、続く言葉にただ身を縮こまらせるしかなかった。
「原作から修正された作品。例えば、アニメの方が原作の途中の話で終わったもの何て結構あるよね。そんな中もしアニメだけしか見てなくて、さらに自分が介入する事で変わった悲しい結末だけを知るキャラがいたとしよう」
「多分ね、その人は演じるんだろうさ」
「知る筈もないエンディングを目指して。あるかも分からないハッピーエンドを夢見て。与えられた役割を演じ切ろうとする。必死だと思うよ。頑張ってるとも思う。だけどその人は、事情を知っている人達からすれば――」
「きっと、酷く滑稽に映るんだろうね」
そう言って、彼はやっと笑った。けれど、いつものように楽しげでは断じてない。そしてその表情を張り付けたまま、彼は静かに僕へと問いかける。
「ねぇ、どう思う?」
所詮想像上、小説や漫画の中だけの話。そう答えることが出来たのなら、一体どれだけよかったか。
何故なら今までに見たことのない彼の笑みは、そういったものにしては酷く自嘲的。まるで、自分の事を話しているのではと思わせるほどに過ぎていた。
とても悲しそうに、辛そうな顔で
いや、待てよ。僕は白蘭さんのこんな表情、今までに一度として見たことなんてない。初めて会ったときから、ずっと彼は笑ってた。僕の隣で――ずっと楽し気に笑っていた
――なら、なんで僕は……!!
「なっ、頭が……っ!?」
予兆なく始まった頭痛に頭を押さえ、その場に崩れ落ちるかのように倒れた。
それは割れるなんて比喩では表現しきれない。あえて言うなら、内側から砕け散るのではと思うほど。まるで今まで閉まっていたものが、無理やりこじ開けようとしているかのように僕の頭を痛めつけてくる。
「どうしたの!? 大丈夫かい!?」
どこかすごく遠くの方から、焦りに日頃の態度を忘れた彼の叫び声が聞こえた。それに僕は、不思議と気持ちを少しながらも落ち着かせる。
――あの人でも、こんな声出せるんだ。
そんな事を考えながら、僕は意識を失った。
目が醒めて直ぐに自分の居場所を把握する。それは見覚えのある部屋のベッドの上。徹夜で体調を崩したときなんかによくお世話になる、大学内に置かれた保健室に見間違いない。
教員は用事が出来たのか、部屋の中には僕一人。そうした部屋の中の様子に加えて、簡単に盗聴器やカメラが取り付けられていないかも確認する。
不自然にならないよう、体の調子を確かめるのように確認してしばらく。少なくとも今分かる範囲ではないことに安心し、そのまま両手で頭を抱えた。
頭はもう痛くないけど、それは単純な痛みという意味ではというもの。思い悩むという意味なら、それはさっきとは比べ物にならないほど痛んでいるのがよく分かる。
思い出したんだ。
十年後の僕に、忘れさせられていた記憶を。
本当に、心の底から頭の痛い話だと思った。中学生時代の時に行っていたタイムトラベルが、まさかこんな形で返ってくるなんて。よく漫画なんかでタイムトラベルの危険性が説かれてたりするけど、本当にこんな形で知りたいとは全く思わなかった。
ただ、十年後の僕の判断は正しかったと思う。こんな記憶が初対面からあるなんて、まともに話せるわけがないから。
幾つもの世界が、僕のせいで滅んだんだ。
……僕は、どうしたらいいのかな。
スパイとして生きていく。
あれから暫くしてそう決めた僕は、普段こそ今まで通りに白蘭さんと過ごした。勉強し成績を競いあい、たまに自分たちでゲームを作ったりして楽しむ。ただの親友のように、残された大学生活を一緒に過ごした。
実際彼との日々は、人生で一番楽しいといえる。そう思えるぐらいに僕は、彼と親友でいることに誇らしさすら感じていた。そして同時に、そんな親友を裏切っていることに後ろ暗く思うことも。
ただそんな時は一言、心の中で静かに唱えた。
――白蘭さん
彼の笑顔にほだされそうになった時。
自分の罪に押しつぶされそうになった時。
このままでいいのではと、思ってしまった時。
そう自分に言い聞かせ、彼との日々を過ごした。
卒業する直前、というより本当に卒業式の数分前。首席卒業生として挨拶するはずの彼が僕に話しかけてきた。
最近は罪悪感以前に論文を作るのに忙しく、あまり会話らしいことはしてなかった。だからか懐かしい気さえするけど、なにも今じゃなくていいのに。
そんな事を考えていた僕は、彼の言葉に驚く事になる。
「マフィア、ですか?」
「そう、僕って実はあるファミリーのボスなんだ♪」
いきなりの事だけど、これについては正直そこまでの驚きはなかった。彼は他の全パラレルワールドを独裁者として世界征服するぐらいなんだ。それぐらいはやっている、やっていて当然。
――むしろ、それぐらいやって貰わないと困る。
「それでさ、君に僕のファミリーの幹部になってくれないかなって」
「……何でそれを僕に?」
流石の僕でもこれには驚くしかない。確かに僕と彼の仲は親しい。彼の大体の人となりを知っている分、よっぽど専門外でもなければ補佐することもできるだろう。
それでもいくら知り合いとはいえ、いきなり幹部にならないかなんて。マフィアの事情にそこまで精通していない僕でもおかしいことは分かる。
元々の幹部やこれから入る幹部たちの事を考えても、冗談にしては全く笑えないような話だ。
「君が一番相応しいと思ったからだよ。何となくだけどね、君しか思い浮かばなかったからさ。ちょっと手伝ってくれないかい?」
ただ、渡りに船ではある。距離が近い分動きづらい時もあるだろうけど、もしもの時の権力はあって困ることもない。この人を追い詰める以上、幹部という席ほど都合のいい場所はないとも思う。
だけど、そんな信頼しきった笑顔で言われたら――いや、僕は止める。この人を必ず止めてみせる。
そして、いつか言うんだ。
「分かりました、僕の方こそお願いします」
僕は入江正一。
そう、彼との会話を忘れた僕は思っていた。