彼を思う   作:お餅さんです

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三話 「寂しい雨」

 普段この病室で私が聞けるのは、真っ白な壁に掛けられてる時計の音。他にあるとしたら、一週間に一回だけある病院の先生からの診断ぐらい。

 何となく寝返りをうったら、窓のない病室の隅に置かれた鏡に私が映った。手足がすっごい細くて、今にも折れちゃいそうな私の体。

 

 もう二度と歩けない、私の体。

 

 昔はまだ違ったんだ。怒ると怖いお父さんに、偶にだけど怒るとお父さんより怖いお母さん。いつも楽しく遊んでた友達に、いつだって優しかったお兄ちゃん。私はそんな大好きだったみんなに囲まれて、毎日がすっごく楽しかった。

 

 特にお兄ちゃんと泳ぐ事は好きだった。川や海に近所のプール、色んな所で一緒に泳いで競争してた。お風呂で泳いだ時は……ちょっと怒られちゃってたけど。

 でもやっぱり楽しかったから、お兄ちゃんと二人でお父さんたちにお願いした。近所のプールで聞いた、大人の人が教えてるスイミングスクールに通いたいって。今思うと呆れられてた気もするけど、行けるって分かった時はとにかく嬉しかった。

 

 やっぱりスクールでも泳ぐのは楽しかった。知らない人たちばっかりだったけど、一緒に泳いでるといつの間にか友達になれたし。私とお兄ちゃんは周りの子達よりも早く泳げてたみたいで、大会で一着を取ったらその度に皆ほめてくれたから。

 そしてその日も、私が一着を取れた大会からの帰り道。家族も見に来てて、車の中で沢山話してた。二人とも、私達をいっぱい褒めてくれる。それに私たちは嬉しくて、いっぱい笑った。

 

 笑いながら、前を見た。

 真っすぐ突っ込んでくる、トラックが見えた。

 

 後から聞いたけど、居眠り運転だったらしい。運転手のおじさんは配達のお仕事。偶々昨日の配達が遅くて、偶々今日の配達が早くて。偶々、私たちが乗ってる車にぶつかった。

 お父さんとお母さんは大丈夫。怪我はしてたみたいだけど、暫く入院したら二人とも前みたいに元気になってた。だけど、私とお兄ちゃんは違う。私は今みたいに、もう足が動かなくなってた。病院のベッドで起きてから気づいたとき、大声で泣き叫んだのを覚えてる。

 

 泣いて、泣き疲れて寝て、起きたらまた泣いた。

 

 お父さんとお母さんは、自分たちも怪我をしてるのにずっとそんな私のそばにいてくれた。朝も、昼も、夜も。辛いねって、頑張ろうねって言って。一日中ずっと、()()()()()()のそばにいてくれた。

 

 お兄ちゃんの事を知ったのは、それから少し後。

 車椅子で、お兄ちゃんのお葬式に行った時の事。

 

 信じられない様な事が、想像もしてなかった事がいきなり二つも。それにやっぱり私はまた泣いたし、突っ込んできた運転手の人をすごく恨んだ。

 けどお兄ちゃんと同じで、運転手の人はあの時亡くなってた。恨んでた人は、何か言ってやろうと思ってた人はもういない。私もお墓に向かって怒鳴ろうとは、いくらなんでも思わなかった。

 

 

 運転手の人の家族が泣きながら謝ってきた。

 でもこの人達を責めるのは、私の中で少し違う気がした。

 

 一年過ぎたら来なくなった。

 

 

 友達がお見舞いに来てくれた。

 皆心配してきてくれて、寂しかった私は凄く嬉しかった。

 

 一年過ぎたら来なくなった。

 

 

 お父さん達は退院してからも毎日来てくれた。

 

 一年経って一週間に一回になった。

 二年経ってひと月に一回になった。

 三年目は暫く来なかった。たまに来たときは、お母さんのお腹が大きくなってた。もうすぐ私の妹が産まれるらしい。

 

 

 四年目からは――病院の人以外来なくなった。

 

 

 それから私は独り。この病室で、きっとこれから先も。もしかしたらそれは、私が死ぬまでずっとそうなのかもしれない。

 だけどもう、辛くはない。涙も出ない。本当に辛かったのは、あの事故が起きたすぐ後。お兄ちゃんがいなくなって、私の足が動かなくなったときだけ。それ以外はそうなるかもって思ってたし、本当にそうなったときはちょっとウルってきかけたけど。でもやっぱり、どこかでわかってたから。

 

 そんな風に今日も一人で過ごしてると、段々話し声が聞こえてきた。事故のすぐ後は色々な病院を回ってたけど、この病院の人達は会話もなくて本当にお仕事って感じ。それにこの近くの患者は部屋を出ないから、聞こえてきた話し声は不思議だったけど関係ない。どうせ、独りの私には関係ない事だから。

 けどそう思ってたら、私の病室の扉が開いた。少し驚きながら、上体を起こして扉の方を見る。扉には白衣を着た男の人達が三人。私の病室をキョロキョロ見渡しながら、入った後も話を続けてた。

 

「ほれ見ろよ、俺の言うとおりにすりゃ着いたじゃねぇか」

 

 一人目は赤い髪に髭の生えたオッサン。

 何でか分からないけどイラッてきた。白衣が全っ然似合ってなくて、絶対に病院の人じゃない悪そうな顔をしてる。

 

「ハハン、何を言ってるのです。そのせいで二時間も病院を彷徨ったではないですか」

 

 二人目は緑の髪でキリッとした感じの人。

 白衣は似合ってるけど、何だか性格がちょっと怖そう。あと笑いかたが少し変。

 

「二人ともここ病院だし、着いたんだから少し静かにしなきゃ」

 

 最後に私より少し年上ぐらいで白い髪の人。

 白い髪に白衣で、パッと見た感じ全身真っ白な変わった人。けど優しそうなその顔は、何でかお兄ちゃんを思い出した。

 

「……はっ、あんた達誰よ!? 見たことないし、この病院の人じゃないわね!!」

 

 いきなりやって来て話出した三人に驚いたけど、直ぐにナースコールを持って声をあげた。

 

「はっ、震えてるくせにそんな強がってんじゃ――」

「オッサンは黙ってなさい!」

「なっ、オッサン!?」

 

 オッサンが何か言っているけどそんな事は知らない。本当に何でか分からないけど、このオッサンを見るとイライラする。だからきっと私は悪くない。とにかくこのオッサンが悪い。

 

「……お、オッサンかあ」

「オッサンらしいです、よ……」

「てめぇら何笑ってやがる!」

 

 そこから私っていう患者がいるこの病室で、いきなり来た三人はまた気にせず大きな声で喋り出した。どちらかと言えば白髪の人はなだめてるみたいだけど、それでもここが病院っていうのを忘れてるようにしか見えない。

 

「……はぁ」

 

 ため息を吐いてもういいやと、ナースコールを元あった場所に戻した。起こしてた上半身も大人しくベッドへもたれかからせる。

 この三人が何をやりにきたのか、何がしたいのか分からない。本当は聞きたいこともあったんだけど、もう何ていうか疲れてきた。

 

「ごめんね、何か騒がしくしちゃって」

 

 声のした方に顔だけ向ける。そこには真っ白な男の人が、申し訳なさそうな顔で私の方を向いてた。他の二人はまだ言い争ってるけど。

 

「いいわよ別に。それで? わざわざこんな所に何しに来たの?」

 

 でもチャンスだと思って聞いてみた。何だかタイミングを逃してた気がするけど、これだけは聞いておきたかった。

 

 私のいるこの病棟は、他の場所とは少し違う。もう治らないって思われてる人や、すごく難しい病気にかかっている人たちが集められてる場所。他の患者の人達に何かあるとダメだって、受付や売店だってすごく遠い。

 私も集められた人たちの中の一人。病院の人達の話だと、足が動かないっていう、その理由が全く分からない。原因が事故だっていうのに、もしかすると他の人に感染するかもしれないからとか言ってた。

 こういうのを、隔離病棟だって何かの本で見たことがある。だからここに来たって事は、その理由は一つしかないはず。

 

「君に会いに来たんだ」

 

 私に会いに来た。

 彼は、確かにそう言った。

 

 いつ振りだったか、もうそんなことも忘れちゃってる。仕事の義務とかじゃなくて、ただ私に会いに来るためだけに来た人は。

 初対面の人だ。名前も知らない人だ。本当の事を言ってるのかもわからない。だけどその一言は、一人きりの私にはどうしようもなく響いた。

 

「っ、……それで? 私に会いに来たんならもう叶ったわよ。こんな足じゃなにも出来ないし、もう帰ってもいいんじゃないの?」

 

 本当にどうして、私はそんな事しか言えないんだろう。話すってことだけでも久しぶりだけど、それにしても酷いと自分でも思う。

 仲が良い人とでもなのに、彼とは初対面。嫌われていないかな、それだけが気になった。

 

「あ、今のはその……何ていうか」

 

 言い直そうと思ったけど、何でか上手く言葉が出てこない。昔は初めて会う人だってもっといっぱい話せてた気がするのに、どうしてか今では話せれる気もしない。

 

 折角、わざわざ会いに来てくれたのに。

 もっと、話したかったのに。

 

「君の足は治るよ。僕達は君の足を治しに来たんだ」

 

 ――彼が、私に向かってそう言った。当たり前のように、それが出来て当然だって具合に。それこそお兄ちゃんを思い出す笑顔で、この私に向かってそう言った。

 多分、知らなかったんだと思う。だって私も、今みたいに言われるまで全く知らなかった。言われてすぐに感じた、胸のあたりからするズキズキとした痛みを。お腹の奥から湧き出て来た、ドロドロと濁ったよく分からないものを。

 

 言われて気づいた。

 私はそれに、怒るんだ。

 

「――ふざけんじゃないわよ!!」

 

 後ろの二人が驚いてこっちを見てきた。だけどそんなこと、全く気にならない。また上半身を起こして全く気にせずに、目の前の彼へ向かって大声を叩きつけた。

 

「この足は治らないの! 絶対に!!」

 

「どこの国の、どの医者に診せても言われたわ! 原因不明、何がどうなってるか分からない、何故動かないんだって!!」

 

「それなのに、あんたみたいなやつに出来るわけないじゃない! 事故に遭ったことも、大切な人を亡くしてもないやつに――」

 

 

「独りになったこともないやつに、私を治せれるわけがないじゃない!!」

 

 

 吐き出した。多分よかれと思って言った彼に。理不尽で滅茶苦茶。醜いぐらい嫉妬や羨望が剥き出しの言葉で、これでもかと吐き散らかした。彼はそんな私を黙ってみていた。後ろの二人と違って、私の怒鳴り声に驚くこともなかった。

 

「治すよ」

 

 そして一言、そう続けた。絶対に、必ず。そんな想いがこもっている気がした。

 

 けれど、それでも私は否定し続ける。実際もう彼が、本当に私のことを治せるかどうかなんて事はどうでもよかった。

 ここで否定しないと、駄目になりそうな気がしたから。そうでもないと事故に遭ったあの日からのこれまでが、途端に馬鹿らしく思えてきて。

 

「治らない! 治らないったら治らないんだから!!」

 

 子供が駄々をこねているような幼稚な言葉。

 いつもの私なら絶対にしないような言葉。

 見捨てられても、仕方のない言葉で。

 

「絶対に、治してみせるよ」

 

 なのに変わらず、そう言い切られた。呆気にとられる私を気にもしないで、私に向けてまた話し続ける。人のことはあまり言えないけど、そんなの自分勝手ですごく我儘。だけど、だからこそ本心から何だとも思った。

 

「事情は全部把握してる。本当に、悪かったと思ってる」

 

「あれから僕は直ぐに動き始めた。なのに僕ほど遅く動き始めた()()がいなかったから、君を見つけるのに時間がかかった。いや、他のボクの君も大体そうだったから、どんなに早く動き始めてもそうだったのかもしれない」

 

「あぁ、ごめん。何言ってるかわかんないよね。でも、これだけは言わせて欲しい。今更遅いかもしれないけど、これだけは僕も得意だから――」

 

 

「僕に君を、治させてくれないかな」

 

 

 彼の表情は、今直ぐにも泣きそうだった。

 何で彼が泣きそうなのか何て分からない。

 彼が何を言ってるかも、全然分からない。

 

 でも何でか――。

 そんな顔、して欲しくないって思う。

 

「……誰が、あんたみたいなのにやらせるのよ」

 

 私は俯きながら小さな声で、呟くように言う。彼はそれをちゃんと聞いてたみたいで、だよね――と顔を暗くした。

 

 

「だけど……だけどさ」

 

 目の端から、何かが滲んでくる。

 

 

「こんなに、口悪くて足も動かない……私だけど」

 

 それはいつからか、枯れたかと思ってたもの。

 

 

「独りぼっちで……友達もいない、私だけど」

 

 それは私のもとで、まるで――。

 

 

 

 

 

「あんだ達に、づいでっぢゃダメがな……!!」

 

 声に交じって、大粒の雨のように降り注いだ。

 

 返事はない。だけど、むしろそれでよかった。返す言葉なんて、どうせ今はまだ出せそうにない。

 何より皆の表情は、憎たらしいぐらいに笑顔。だから悪いけど、自己紹介はまた落ち着いたら。そうして落ち着いたら、私から一番に声をかけるんだ。

 

 

 ――私はブルーベル、あんた達の名前は?


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