生命の唄~Beast Roar~   作:一本歯下駄

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『しっかし『深層遠征』に行った直後にファミリアを抜けてその日の内にオラリオ飛び出すなんてなぁ。何かあったのか? しかもあの【ロキ・ファミリア】の団員だったんだろ?』

『……俺が冒険者に向いてないって理解しただけだよ。悔しいけど、あのまま居たら、腐っちまいそうだったしな』

『おう、そうかい……。まぁこっちとしちゃ行商馬車の護衛依頼受けてくれてありがたい話なんだが…………。ん? おぉ、金髪の狐人(ルナール)じゃねぇか。この辺りじゃ珍しい奴……ん? ありゃ何を────オーグッ!! お前冒険者だろっ!!』

『確かにファルナは解除してないから野良冒険者扱いだけどなぁ……つか、何を慌てて────はぁ?』

『あの女っ、他の商隊を襲ってやがるっ! オーグっ、護衛料は払ってやる、あの狐人(ルナール)の女をどうにかしてくれっ! ありゃ商売仲間なんだっ!』

『いや、無理だ。なんだあの速さ──もう護衛が全滅して──こっちに来やがったっ!?』

『っ!? 掴まってろっ!! 走るぞっ!!』



『業火に焼かれて』

 焼け落ちた家屋、燻る火と黒煙上がる街並み。大通りの中央にて睨み合っていたカエデとアレックス。

 カエデが装備開放(アリスィア)を唱えた瞬間、視界を塞ぐ真っ白な冷気が大通りを大きく包み込んだ。

 

 白い冷気の中、両手で握りしめる『薄氷刀・白牙』を中心に広がる力の奔流を必死に制御しようとするカエデであったが、すぐに悟った。

 この奔流は大河と同じモノなのだと、自身の様なちっぽけな存在では制御しきれない。其れ処か、リヴェリアの様な大魔導士と言える人物でも、制御不可能な力の奔流。その力を必死に制御しようとしているさ中、優しく尻尾を撫でつけられる感触を感じとり、カエデは目を見開き────魔法制御を放り捨てた。

 

 両手で握りしめていた柄を、そっと手放す。

 

 魔法制御に失敗すれば、自身諸共氷漬けになる。ダンジョン深層にて引き起こした制御失敗の惨状をこの場で起こす様な、間抜けな行動である。だが、半ば確信と共にその装備魔法を手放した。

 視界を埋め尽くす白。何も見えない聞こえない白に埋め尽くされたさ中、尻尾を撫でつける様な優しい感触を覚えつつも、ジョゼットの言葉を思い出した。

 

 装備開放(アリスィア)の際に唱える魔法名は、発動すればわかる。ジョゼットの『妖精弓』も、ごく自然に脳裏に思い浮かんだその言葉こそ、装備魔法における装備開放(アリスィア)の名称。

 

「『氷牙の墓所(アイシクル・エデン)』」

 

 口から零れ落ちると同時に、白に染まりあがった世界から解き放たれた。

 

 カエデの視界に映る世界は、相も変わらぬ焼け落ちた廃墟群。焼け残った石造りの基礎に、無数の焼け焦げた躯が散らばる地獄の様な場所。そのすべてが、白い粉雪に覆われた、もの寂しい光景に変貌を遂げていた。

 ゆっくりと、天から降り注ぐ粉雪が全ての惨劇を白に染め上げる、不可思議な空間。

 

「なんだこりゃ……おいおい、どうなってんだ」

 

 アレックスは同じ場所にとどまりながらも、戸惑った様に両腕を眺めて呆然と呟きを漏らしている。そんなさ中、カエデが後ろを振り返れば、グレースが驚いた表情でカエデを見ていた。

 

「あんた……ナニコレ、寒いんだけど」

 

 寒い。そう寒いはずだ。口から零れ落ちる吐息は白く染まり、周辺の空気が冷え切り、澄んだ音を響かせる。先程までの熱気とは正反対の、寂しい寒さが足元から這い上がってくる。そのはずなのに、カエデは寒さを一切感じていなかった。

 感じたのは、懐かしさ。あるべき場所に帰ってきた様な、安心感。此処が、この場所こそが自分の居場所なのだと、そう確信と共に口にできる、()()()()()。降り積もる白い粉雪が、まるで温かな抱擁にも感じられる。

 

「何しやがった」

「ワタシは……」

 

 アレックスに睨まれて、カエデが睨み返す。発動した魔法は意味不明な代物だ。少なくとも制御不可能だったので制御を手放したはずにも関わらず、魔法暴走を引き起こしていない。まるで正常に発動したかのように、()()()()()()()()()()。まるで、カエデ・ハバリの領域であると主張する様に、アレックスの炎を散らした。

 

「はんっ、雪降らすだけかよ。シケた魔法じゃねぇか」

「アレックスさん、やめましょうよ」

 

 カエデの言葉に、アレックスが苛立った様に額に青筋を浮かべつつも口元に笑みを浮かべた。

 

「あん、いざ発動してみりゃ糞の役にも立たない雪を降らす魔法でビビッてんのかよ」

 

 んなもん俺には関係ネェけどな、そう言い切ると共に、アレックスが薄く積もった白雪を蹴散らしながら真っすぐカエデに突っ込んでいく。蹴り散らされた粉雪が宙を舞う様子を目にしたカエデが、半ば導かれる様に手を粉雪に翳す。

 

 突っ込んできたアレックスに対し、カエデはただ腕を振るった。呼氣法も何もない、ただ腕を一振りしただけ。

 

 舞い散る粉雪が、形を作り出す。アレックス(怨敵)を拒み、拒絶する為だけの壁を。

 

「っるぁぁぁあっ!!」

 

 澄んだ音色を響かせ、一枚の氷壁がアレックスとカエデを隔てる。其の氷壁を砕かんと勢い緩めずに突っ込んだアレックスの拳は、澄んだ音色を響かせて止められた。

 

「んなっ!?」

 

 驚きながらも後ろに跳び退り、澄んだ透明な色合いの氷壁の向こう側のカエデを睨み、アレックスは口を開いた。

 

「なんだよこの魔法、ふざけんな! 真面目に闘いやがれっ!!」

 

 怒声と殺意を飛ばされながらも、カエデはゆっくりとした動きで舞い散る粉雪を集め、一本の剣を生み出す。理解できる、この領域の中でカエデが何ができ、何が出来ないのか。

 生み出した氷の刀を振るい、アレックスに向ける。

 

「ワタシは、貴方を殺したくありません」

「っるせぇな、だったらテメェはさっさと殺されやがれぇっ!!」

 

 叫びと共にアレックスが距離を詰め、氷壁に拳を突き出す。当たる度に響き渡る澄んだ音色が響くのみで、氷壁には罅一つ入れられない。固い、だけでは説明不可能な耐久性を持つ氷壁に苛立った様に攻め続けるアレックスに対し、カエデは気負い無く一歩足を前に進めた。

 手に持つ刀を居合の型に合わせる様に、左手に鞘を作り、刃を収める。

 

「無力化します」

「るせぇっつてんだろっ!! 出来るならやってみろっ!!」

 

 絶叫する様なアレックスの言葉に、カエデは震え、氷壁越しに刃を抜いた。澄んだ音色を響かせ、カエデが振るう刃が氷壁に当たり────カエデの振るう刃の障害足りえず、その刃は氷壁を()()()()()

 

「ごめんなさい」

「くはっ…………っ!!」

 

 透き通る、硝子の様な氷壁を間に挟み対峙する相手を、カエデの刃がアレックスを()()()()()

 

「ぐぅっ。テメェ、今、何しやがったぁっ!!」

 

 氷壁越しに見える向こう側、振り抜いた刃を静かに、澄んだ音色と共に鞘に納めて悲し気な視線を向けるカエデを睨み付け、アレックスが叫ぶ。

 カエデの後ろ、焼け残った建造物の基礎に背を預けながら雪に埋もれつつあるグレースが呟く。

 

「すり抜けた? 壁を?」

 

 カエデの振るった刃の軌道上には、カエデとアレックスを隔てる氷壁が存在した。だが、カエデの振るった刃はその氷壁をすり抜け、壁越しに対峙していたアレックスを────無防備に氷壁を殴りつけていたアレックスを切り裂いた。

 

 傷は浅い。むしろ浅く切り裂くに留めた。致命傷とは成り得ぬちんけな、けれども行動する上では致命的な傷だ。右腕の腱を切り裂かれ、アレックスの右腕は力が入らないのかだらりと垂れ下がっている。

 まるで、舐めきった様な一撃だ。殺す事すら可能であっただろう。首を刎ねていれば、アレックスはその時点で終わっていた。詰まる所、カエデはアレックスに()()()()()()()

 何よりも、誰よりもそれを許せないのは、カエデと対峙していたアレックスである。油断もあった、慢心もあった、その上で矜持を以て挑んだ闘いの場において、殺す手がありながらそれを決して打たない。

 ()()()()()()()()()()()その姿に、アレックスが怒りを抱く。

 

「ふざけんな、ふざけてんじゃねぇぞっ!!」

「っ、ふざけてなんていません。ワタシは、貴方を止めます」

「それがふざけてるって言ってんだろぉがぁあっ!!」

 

 怒声と共に、壊れた右腕に頓着せずに左の拳で氷壁を砕かんと迫り、澄んだ音色と共に弾かれる。

 ただ我武者羅に繰り出される左のみの拳打は、氷壁に傷一つ生み出す事無く弾かれ、アレックスの息だけが上がっていく。先程まで繰り出せていたはずの炎すら生み出せず、それでも諦めずに拳を振るう姿に、カエデが困惑した。

 無駄だと、理解したはずだ。この氷壁を超えてカエデに攻撃する事はできない。この氷壁越しにカエデは攻撃を届かせる手段がある。故に、この場での正解は『逃走』のはずだ。少なくとも、カエデ・ハバリであるのなら、手段が無いと分かった時点で作戦を逃走に切り替える。

 だが、アレックスに後退の二文字は無い。後退は即ち死を意味する。故にアレックスにとっての後退はありえず、故にアレックスは攻撃を続ける。それは負けず嫌い等という生易しいモノではない。アレックスにとっての死を避けるべく行われる、死を前にして行われる足掻きだ。

 

「糞っ、糞がぁっ!!」

 

 澄んだ音色が響く向こう側の光景を見つつも、カエデは居合の型のまま硬直していた。

 

 あの一閃で、諦めてくれたら良かったのに。

 

 軽く、浅く、腱だけを切り裂くに留めた一撃であったのに。手に残ったのは不気味な程に()()()()()()()だった事が、何よりも衝撃的だった。

 『薄氷刀・白牙』を以てして、ダンジョンのモンスターを切り裂いたあの感触と、()()()()()()()()()()()()()()()()。否、違いが感じられなかった。カエデの手に残った感触は、()()()()()()()()()()()()

 それが、アレックスだったのか、モンスターだったのか、わからない。

 

「カエデ、何してんのよ。アイツ、隙塗れなんだから、さっさと斬りなさいよ……言ったでしょ、もう止めらんないって」

 

 後ろから聞こえたグレースの声に震え、カエデは首を横に振った。出来ない、これ以上斬ってしまえば、本当にわからなくなってしまう。故にカエデは拒んだ。

 氷壁を前に居合の型を維持しながらも鞘から刃を解き放てないカエデと、氷壁を挟んだ向こう側で叫び声を上げながら拳を振るうアレックス。グレースが嫌そうに眉を顰め、立ち上がった。

 血の気を失いながらも、まっすぐ立ち上がり、カエデの肩を掴んで睨む。

 

「グレースさん……」

「この壁、どけれる?」

「できますけど……何を」

「あれを殺す。ほんと嫌になるわ……ついでに剣頂戴」

 

 グレースの言葉に戸惑い、カエデが首を横に振れば、グレースの拳がカエデに振るわれた。

 甲高い音と共に発動した自動防御に阻まれて止まった拳をそのまま押し込み、グレースが呟く。

 

「あんたはそう、どうしてそこまで拘る訳?」

「……だって、わからないから」

「わからない? 何が?」

 

 斬った感触の違いが、わからない。モンスターも、人も、どちらも生きている。心臓があって、血が流れていて、温かくて、鉄錆の匂いがして。肉があって、骨があって、臓腑が詰まっていて。

 完全に、人と違う形の、怪物だけならよかった。けれども似通った部分があって、斬れば血が流れる。斬れば命を奪える。斬る事で、生命を終わらせられる。

 

「だから、怖くて」

「…………あー、そんな事、考えた事も無かったわ」

 

 同じ、中身が同じ。なるほどね。そう呟くと同時に、グレースは拳を下ろした。

 

「何、あんたはあいつとあたしが同じ()()に見える訳?」

「それは……」

「あたしと、ダンジョンで出てくる、化け物が同じに見える訳? それこそ頭おかしいわよ。あたしはモンスターと同じなんて言われて喜ぶ様な狂人じゃないのよ」

 

 そんな積りではない。そう口にするカエデに対し、グレースが鼻を鳴らした。

 

「でも、そう言う事でしょ? あんたはモンスターとあたしの区別もつかない、そう言いたいんじゃないの? 違うの?」

「…………ワタシは、()()()()()()()()()()()()

 

 怖い。そう口にしたカエデ。恐怖に揺れる瞳を見下ろし、グレースは呆れた様にカエデの頭に手を置いた。

 

「あんたなら大丈夫でしょ。そのヒヅチ・ハバリって奴がしっかり教え込んだんでしょ? だったらあんたが間違えて堕ちたりなんてしない。それに────もし間違った事しでかすなら、あたしが殴ってでも止めてあげるわ」

 

 カエデが、目を見開いてグレースを見上げれば。グレースは呆れ顔で氷壁の向こう側で叫ぶアレックスの姿を見据えながら、口を開いた。

 

「あんたは、あいつみたいにはならないでしょ」

 

 グレースが見据えるアレックスの姿を見つめ、カエデは震えながら歯を食いしばった。

 

「わかりません」

「なんでよ、あんな頭おかしいのとあんたは同じなわけ?」

 

 だって、人はいずれ変わりゆくモノだから。カエデのか細い呟きに、グレースが目を細めた。

 

 氷壁に、息切れしていてもなお拳を振るい続けるアレックスの姿は、いっそ哀れだ。だが、最初からアレックスはあんな奴だっただろうか? もっと、口は悪いが気さくな奴ではなかっただろうか? グレースが器の昇格(ランクアップ)した際には、『いつかテメェを追い抜く』だとか言って勝気な笑みをうかべていなかっただろうか。

 湧き上がる疑問と、過去に過ぎ去った光景を脳裏に思い浮かべ、グレースは吐息を零した。

 

「確かに、そうかも」

 

 両親に裏切られたと、怒りと憎しみを抱いてただ強くなろうとしていた自分は、気が付けば気難しいエルフの少年と恋仲になっていた。ひと昔前なら、絶対にエルフだけはない。そう言い切っていた自信があるのに、蓋を開けてみればどうだろうか。仲睦まじく乳繰り合う仲になっている。

 では、カエデはどうだろうか。真っすぐ、目的の為に直走る彼女は、途中で歪み()()()()()事態になり得ないか。

 

「……あんたの言いたい事、少しだけわかったわ」

「グレースさん……」

「その上であたしが言うのもなんだけど、あんたなら大丈夫よ」

 

 グレースの言葉にカエデが身を震わせる。その自信は、いったいどこから来るのだろうか。カエデが覚えた不安に対し、グレースは笑みを浮かべた。

 

「ロキも、団長も、リヴェリアも、なんなら、あのベートさんだって居る。あんたがおかしな事しようとしたら、止めてくれる人なんて沢山いるでしょ」

「ヒヅチは」

「ん?」

「ヒヅチは、何があろうが、たとえ世界全てを敵に回しても、ワタシの味方であってくれるって……」

 

 決して、置いていかない。一人にしない。そう約束した絶対の象徴であったヒヅチ・ハバリという人物は、けれども姿を消してしまった。だから、絶対の信頼を置くには、グレースの言葉は弱すぎる。

 

「無視、してんじゃっ、ねえぇぇぇぇええっ!!」

 

 氷壁の向こう側で叫ぶアレックスに、悲し気な視線を向ける。右腕から滴る血が、白い雪を彩る。気が付けばアレックスの足元にはそれなりの血が振りまかれ、薄赤い彩を生み出していた。

 

「……はぁ、だから、信じられないって?」

「…………」

「遠征合宿で、それなりに仲良くなった積りだったけど、あんたはあたしが信じられないと」

 

 悲しいわね。寂し気に呟くグレースが、カエデの頭に乗せた手を引っ込めた。申し訳なさそうに震えるカエデに対し、グレースはゆっくりとした動きで目を瞑り、再度拳を振り抜いた。

 

 鈍く、肉を打つ音。グレースの繰り出した一撃は、攻撃とも呼べない程に弱弱しく、カエデの頬に当たった。

 攻撃と呼ぶには、威力の無い。カエデの姿勢を揺るがす事も出来ない一撃。その拳を引き、グレースは笑う。

 

「大丈夫。あんたなら、平気。どれだけおかしくなっても、あたしが殴ってでも止める。ファミリアの皆も、あんたを止めてくれる。安心して────あのバカを止めて」

 

 身を震わせ、カエデが腰を落とす。氷壁の向こう側、アレックスは拳を氷壁に押し当てたまま肩で息をしている。

 気が付けば、その氷壁には罅が入っていた。向こう側のアレックスがにやりと笑みを浮かべ、勝ち誇っている。

 

「もうすぐ、テメェの魔法も終わりだ。そうすりゃ……俺の、勝ち、だな」

 

 カエデの魔法の効力範囲はだいぶ狭くなってる。遠く離れた位置にかすかに見えていた炎が、徐々に近づいてきている。降り積もる粉雪の量も減り、いずれこの領域を維持できなくなる事も、凡そ理解できた。

 

「ワタシは、人を斬れません」

 

 自分に言い聞かせる様に呟きながら、カエデはアレックスを強く睨む。睨まれたアレックスが、カエデを睨み返し、大きく息を吸って『烈火の呼氣』を発動する。

 あの一撃でこの氷壁が砕ける。それを理解し、カエデは居合の型のまま、腰を落とし踏み込みの為に力を籠める。

 

「ワタシは、人を殺せません」

 

 最大限に達した瞬間、アレックスの拳が振るわれる。グレースが居るのはカエデのすぐ後ろ。もしアレックスの拳を止められなければグレース諸共吹き飛ばされる。そして、もしそうなればグレースは死ぬ。青褪めて血の気の失せたグレースでは、逃げる事も出来ない。

 

「ワタシは、人を────殺しません」

 

 だから、闘おう。殺すのはしない。けれども、闘う事だけはしよう。闘って、止めよう。

 

 

 

 

 甲高い音と共に、氷の壁が砕け散る。飛び散る氷の欠片の中、カエデは瞬き一つせずに一歩踏み込む。

 アレックスは砕けた氷壁の大穴に身を潜り込ませ、カエデを狙い拳を振り抜く。壊れた右腕ではなく、壊れかけの左腕を使う。

 腹の内に燃え滾る怒りと憎悪を糧とした『烈火の呼氣』。燃え滾る焔が全てを焼き尽くす一撃を。

 

 轟音と共に()()()()()()()()()()()()、カエデがアレックスの懐で刃を解き放った。鋭い、一閃が駆け抜ける。繰り出された一撃は、()()()()()()()()穿()()。ドスリという、鈍い()()()

 カエデが抜き放った刃は、死んでいた。殺す意図の見えぬ、刃殺された棒状の氷塊にてアレックスの胸を穿ち、烈火の呼氣を乱した。

 

「ごぶっ……げはっ……」

 

 アレックスが衝撃で投げ出され、咽ながらもがく。もがき苦しむ。

 

「苦しい、ですか。ごめんなさい……」

「あんた、何したわけ……」

 

 間近で見ていたグレースですらわからぬ、カエデの一撃に対し、カエデは困った様に笑みを零した。

 

「前に、ヒヅチ相手に『烈火の呼氣』を使ったときにやられたんです」

「……なにを?」

 

 呼氣法のさ中に、呼氣を乱す一撃を叩き込まれるとどうなるのか? 『呼氣法』そのものが体に流れる氣に方向性を持たせて呼吸にて誘導する代物である。それが乱れるというのは体に流れる氣が乱れる。氣の乱れは全身に異常をきたす。単純に言えば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 致命的な隙が生まれる技法であるが、死ぬ程ではない。即座に『丹田の呼氣』に切り替えて氣の流れを整えれば、滅茶苦茶苦しいだけの、非殺傷の一撃。

 

 ヒヅチの様な熟練の呼氣法使いであるのであれば、瞬きの間で『丹田の呼氣』に切り替えて復帰してくるだろう。だがカエデが食らった際には数十分の間立ち上がれなくなった。体中の氣の流れが滅茶苦茶になり『丹田の呼氣』すらままならなくなり、頭痛と吐き気で動けなくなったのだ。

 

「呼氣法使い相手に対する、致命の一撃です」

 

 致命的隙を生み出す、それでいて追撃しないのなら無害に等しい技。あの時一回だけヒヅチ相手に許可なく『烈火の呼氣』を使用した罰として喰らったあの技を、この場にて再現し、アレックスに食らわせた。

 その苦しさを知るが故に、カエデはもがくアレックスを悲し気に見据え、口を開いた。

 

「もう、やめましょう。貴方は、強い。ですけど──上手くない」

 

 強い。それは言える。力も、耐久も、敏捷も、カエデより優れている。第三級(レベル2)であるカエデ・ハバリより、第二級(レベル3)のアレックス・ガートルの方が優れている。けれども、()()()()()()

 言い換えるならば()()()()()。駆け引きも、読み合いも無い。ただ、力を以てしてねじ伏せようとしてくるだけ。それだけなら、やりようがある。

 

「貴方は、強くて、弱い。だから負けません。もうやめてください」

 

 咽ながらも、アレックスがカエデを睨み────血反吐を吐いた。

 

「っごぶ……」

「────え?」

「げほっ、てめっ、何しやが……ごぶっ、くはっ……何、しやがった……」

 

 血反吐を吐き、震えながら立ち上がる姿にカエデが驚きの表情を浮かべ硬直する。

 少なくとも、呼氣法を乱す以上の事はしていない。故に死に繋がる一撃からは程遠いはずであった。それなのにアレックスは血反吐を吐いている。ドバドバとアレックスの口から血が溢れだし、先程から流れていた出血と合わさり一瞬でアレックスの顔色は青褪めるを通り越し、土気色にまで至る。

 

「なんで」

「ねぇ、アレックス死にそうなんだけど。止める為の一撃だったのよね……なんで死にそうな訳?」

 

 グレースの疑問に、カエデは答えられない。少なくとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。『丹田の呼氣』を使い、氣の流れを正常に戻せば、問題は何もない。

 

 そう『丹田の呼氣』を使えれば。

 

「あっ……」

「あって何よ、あって」

 

 カエデの表情が一瞬で青褪める。恐ろしい想像に至ったカエデを不思議そうに眺めるグレース。カエデは慌ててアレックスに問いかける。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「アレックスさん、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 呼氣乱し、単純な打撃で相手の呼氣を乱し、体に異常を発生させて短時間足止めさせるだけの技。それに対応する為には、呼氣法の基礎中の基礎『丹田の呼氣』が必要である。

 呼氣法を学ぶ上で、最も重要で、最も基礎的な技法、それが『丹田の呼氣』である。呼氣法の基礎にして、これを習得せずに他の呼氣法は習得する事は禁じられている技法。覚えていないはずがない。

 『烈火の呼氣』を使っていたのだ、基礎を疎かにする様な真似はありえない。

 

 ────本当にそうだろうか?

 

 嫌な想像が脳裏を駆け巡り、冷や汗が流れ落ち、最悪の想像に至った。それも、確信と共に。

 

「まさか……丹田の呼氣を……」

「ちょっと、どうしたのよ」

「アレックスさんが、死んじゃう」

「はぁ?」

 

 丹田の呼氣は、体の異常な氣の流れを正常に戻すものだ。この基礎を覚えて初めて呼氣法を習得し始める下地。これがなければ失敗した際に取り返しが付かなくなる。例えば『烈火の呼氣』。

 

 氣の循環をより攻撃的に、瞬間的な身体能力の向上へと導く呼氣法。正しくは身体にかけられている『制限(リミッター)』を一瞬だけ外して常人では考えられぬ程の身体能力を発揮するための呼氣法

 使用後は必ず丹田の呼氣で元の状態に戻さねば、外れた『制限』が戻らなくなり、自らの行動で己自身を破壊してしまうような危険な状態になってしまう。

 

 呼氣法の何が難しいのか? それは基礎中の基礎である『丹田の呼氣』の()()()()()()()()()を確立するのが難しいからだ。少しでも乱れていれば、丹田の呼氣とは呼べない。

 習得に数年を費やす。それを、たった数週間で?

 

 アレックス・ガートルが【ロキ・ファミリア】を追放されたのは、わずか半月前。そこから半月の間に『丹田の呼氣』を習得できるか? 才に満ちていたカエデですら、数年を費やしたそれを、たった半月?

 不可能だ。

 

 血反吐を吐き、土気色になった表情でカエデを睨み、アレックスが意味が解らないと呟いた。

 

「はん、俺が──ごぶっ──死ぬ? 馬鹿、ってんじゃねぇ。俺はごぶぅっ……ぺっ、死ぬ訳、無い」

 

 震える足で立ち上がり、両手を大きく広げ、アレックスがカエデを睨みつけて叫ぶ。

 

「テメェ、みてぇな()()()()()なんかと、一緒にすんな」

 

 俺は強い。だから死なない。叫び、両手を天に翳し────ゴポリと血の塊を口から零し、アレックス・ガートルが崩れ落ちた。

 

「アレックスさんっ!」

「あー、そのままでいいんじゃない? 苦しそうに死ぬ分にはー……カエデ、聞いてる?」

 

 駆け寄ろうとしたカエデに対し、倒れ伏したアレックスが叫ぶ。

 

「近づくんじゃねぇっ! ごぶっ……れは、死なないんだ」

「ダメです、丹田の呼氣を、今から教えるんで、使って」

「うるせぇっ! 触んなっ!」

「がふっ……」

 

 教え方も知らない呼氣法を、なんとか伝えようとアレックスに触れた瞬間、アレックスの振るった腕がカエデを捉え、大きく吹き飛ばした。

 

「カエデっ! あんた、カエデはあんたの事助けようとしてんのよ! わかんないわけっ!?」

「っるせぇな、俺は、死なないんだ」

 

 この期に及んでアレックスを助けようとするカエデもそうだが、未だにカエデに憎しみを向けるアレックスに理解が出来ないと睨むグレース。

 虚ろな瞳でありながら、ギラギラとした憎悪に塗れた目でグレースを睨むアレックスに対し、グレースは言葉を失う。死ぬ寸前だ、少なくとも、もう死んでいないとおかしいぐらいだと感じる程なのに、その瞳には力が宿っていた。

 

「俺は……死なない……俺は、死なない(強い)ぃっ!!」

「アレックス……さん……」

 

 吹き飛ばされたカエデが肩を抑えながら戻ってきた。よく見れば、アレックスの左腕がへしゃげ折れている。『烈火の呼氣』の暴走状態だ。加減を失い自壊してしまう程の一撃をカエデに見舞ったアレックスの左腕は、右腕以上に壊れ果てている。

 そんな状態でありながら、アレックスは口元を凄惨に血で濡らし、叫ぶ。

 

「俺は誰よりも()()。だから──ごぶっ」

 

 血の塊を吐き、アレックスがカエデを見据えた。──アレックスの後ろに、炎が見えた。

 

 気が付けば、カエデの生み出した氷の領域は猫の額程の範囲しかない。既に途切れかけのその魔法の中、アレックスがカエデの視線に気付き、後ろを見て、笑みを浮かべた。

 

「はっ、あの炎が戻ったら、お前ら二人とも殺してやる。俺は強い、だから──殺す」

「あんた、マジで死ぬわよ」

「アレックスさん、ダメです。その炎に触っちゃ……今からでも、丹田の呼氣を────

 

 うるさい。聞き取るのも難しい程の血反吐混じりの叫びを零し、アレックスがカエデを強く睨む。

 

「俺の方が強い、お前なんかより……ずっと、ずっとずっとずっと、強いんだ」

 

 ごぶりと血を吐き、直ぐ足元に迫った火を見て口元に笑みを浮かべる。勝利を信じ、ただ只管に笑い始める。血反吐を吐き、致命傷を負い、それでも笑う。

 

 

 

 ────誰よりも死にたくない(つよい)のだから。

 

 

 

 カエデが悲鳴を飲み込み。グレースが口元を引き攣らせる。

 

 業火となったその炎が、誰よりも死に怯えた虎人を飲み込み、瞬く間に灰にしてしまった光景を前に、カエデ・ハバリとグレース・クラウトスは言葉を失った。




 最後は、死の恐怖に負け、自分の生み出した炎に焼かれて命を落とした、哀れな虎人(ワータイガー)に哀悼を……。



カエデの装備解放はアレックス同様の『領域魔法』+『付与魔法』。細かな効力はアレックスとは違いますが、自身の抱いた幻想を写し出すと言う意味では同じ。

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