生命の唄~Beast Roar~   作:一本歯下駄

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『グレース、君は最近苛立っている様子だけどどうしたんだい?』

『ヴェトスじゃない。何? 苛立ってちゃ悪い訳?』

『……いや、不機嫌そうだから声をかけたんだけど、本当にどうしたんだい?』

『別に良いでしょ』

『…………もしかしてカエデとアリソンが心配なのかい?』

『はぁ? 心配しちゃ悪い訳?』

『君は、何と言うか……悪い人では無いのはわかる。だけどその、もっと言葉を選んだ方が良いよ』

『別に良いでしょ。これが私よ』


『深層遠征』《下層》

 ダンジョン二十五階層から下層と分類され、オラリオが出来る以前より「新世界」とも呼ばれている領域である。これまでの階層の殆どが平らな地形で安全にモンスターと戦えていたが、ここから先の階層では地形そのものがやっかいになってくる。

 大瀑布『巨蒼の滝(グレートフォール)』と呼ばれる領域であり、この領域は二十五階層から二十七階層と言う三階層に渡って広がる領域であり、縦に巨大な空間が存在し、其処にこの領域名の元となった巨大な滝が存在している。

 冒険者達からは『水の迷都(みやこ)』と言う通称が使用されているこの階層は、二十五階層入口から二十七階層へと跳び下りるが出来るが、たとえ第一級冒険者であったとしても対策せずに跳び下りれば即死する事は確実と言える程の高さである。

 ごうごうと音を立てて膨大な水が落ちる様は目を見張るものであり、エメラルドブルーの湖が瀑布の底に広がっている光景は、見る者を圧倒させるが、それよりも注目すべきは巨大な空間を飛び回る数えきれない程の『ハーピィ』や『セイレーン』等の飛行型モンスターである。

 

 瀑布が一望できる高台から下を見て目を細めるベート、舌打ちと共に動きを止め後ろを振り返った。

 

「おい、フィン達と合流するぞ」

 

 ベートの言葉にディアンが首を傾げる。カエデが疲労回復が間に合わずに本隊の方で待機命令が出てから、この階層に来るまでに問題らしい問題も無かったはずだと疑問を覚えたディアンに対し、フルエンがベートと共に下を見ながら溜息を零した。

 

「マジかよ……。アンフィス・バエナが陣取ってやがる」

「えっと……二十七階層の階層主でしたっけ?」

 

 通常の階層主は決まった場所にしか存在せず、そこから移動しようとはしない。だが、例外も存在し二十七階層に存在する双頭竜『アンフィス・バエナ』は迷宮内で唯一存在が確認されている移動型階層主である。活動領域は二十七階層の湖全域であり、上手く誘導すれば無視して進む事も出来る階層主でもあり、【ロキ・ファミリア】が遠征隊を率いて進む場合は二十八階層へと通じる階段から引き剥がして進むと言う方法をとっていた。

 

「そうだよ。ウェンガルが誘導する事になってんだが……、戦闘状態になってやがる。何があったんだ」

 

 二十五階層から見下ろした二十七階層の湖の周辺を沿う様に存在する通路の先に存在する二十八階層へと通じる階段の辺りにアンフィス・バエナが幾度かの水のブレスを叩き込んでいる様子が確認できる。まるで得物を逃がした腹いせの様なその行動は、通常であれば有り得ない光景である。

 

「それに、上も騒がしいし。なんかおかしい」

 

 下では無く上を見てリディアが呟く。リディアの視線の先、空中に数えきれないほどに存在する飛行型モンスターのハーピィやセイレーン、イグアス等が荒々しく飛び交っている。

 通常の状態であればただふらふらと飛び交っている彼らが何かに興奮しているかの様に暴れているのだ。つまり何か異常があった事は確実であり、無暗に進むと言う選択は出来ない。

 

「とりあえずここで待機だ。変な事すんなよ」

 

 二十五階層、下層最初の領域で足止めされる事に苛立ちを感じたベートの舌打ちが響く中、後ろから荷車を引いてやってくる本隊が早く到着する様にディアンはこっそりと祈る事にした。

 

 

 

 

 

 階段に渡し板をかけて荷車を下ろす作業は非常に時間がかかる。本隊が到着した頃には先程まで暴れ狂っていた飛行型モンスターも落着きを取り戻し、二十七階層であちこちに水のブレスをぶちまけまくっていたアンフィス・バエナも警戒状態に落ち着いていた。

 とはいえ、警戒状態のアンフィス・バエナに近づく等と言う事は出来ず足止め状態である。

 

「そうか、他の遠征隊が居た可能性は……無いだろうね」

 

 空から見えない大岩の陰に本隊を移動させ、団長であるフィン、副団長であるリヴェリア、そしてガレス、他に各班の代表一名ずつ。アイズ、ベート、ティオネ、ティオナ、ペコラ、サポーター班の代表が集まる中、腕組みをして呟くフィンの言葉にベートが苛立った様に噛みつく。

 

「だがあの暴れっぷりは間違いなく他の馬鹿が刺激したに決まってんだろ。じゃなきゃ説明できねえ」

 

 二十七階層全域を移動するアンフィス・バエナが、二十八階層に通じる階段部分に向かってブレスを吐き散らしていた光景を見ていたベートからすれば信じがたいフィンの言葉であるが、フィンの方も困った様に眉を顰めざるを得ない。

 

 本来、深層遠征に赴く場合はギルドに対して書類の提出をし、遠征隊が他のファミリアと被らない様にするのだ。無論、被った所で罰則がある訳ではないが、先に進んでいた遠征隊によってモンスターが警戒状態または戦闘状態に陥った場合、後から進む遠征隊の方で甚大な被害が出る事が多い。

 故に基本的には各ファミリアは深層に進む場合はギルドに申請を出して他のファミリアと遠征予定が被らない様にするのだ。そして、今回の【ロキ・ファミリア】の遠征に赴くにあたって、他のファミリアの遠征予定と被らない様に慎重に日程を選んだのである。

 

 額に手を当てて頭痛を堪える様にリヴェリアが呟く。

 

「遠征隊では無く、少数での……と言うのは有り得るか?」

「その場合はよっぽどの阿呆な冒険者と言う事になるがなあ」

 

 リヴェリアの言葉を否定するガレスの言葉にフィンが頷く。

 

 アンフィス・バエナと言う階層主は、規模の大きな遠征隊でもない限りはよほど刺激しない限りは襲ってくる事はない。小規模、それこそ5人、6人前後の一パーティのみでの行動であれば襲われる心配等は無いのだ。大規模な30人を超えてくると途端に襲ってくるのだが。

 つまり、少数での行動であるのなら暴れ狂っていた理由が存在せず、大規模な遠征隊であるのならギルドに申請を出していないと言う事になる。

 そして、ギルドに正式な申請を行わない遠征隊ならほぼ間違いなく後ろ暗い事をしていると言う事でもあり、少数での行動の場合はよほどの阿呆か、もしくは意図的に【ロキ・ファミリア】の遠征を妨害しようとしているか。

 

「判断材料が少ない。とは言えここで止まる訳にもいかない。次の安全部屋(レストフロア)まで進まなければならないし、ペコラの疲労回復も限界があるだろう」

「ここで足を止めていても何も始まらない。それにもう警戒状態になっているのだろう? 戦闘状態でなければ誘導も出来るだろう」

「うむ。一応警戒するのと、全員に盾の装備をさせるべきだな。特に魔道士達は危なかろう」

 

 フィン、リヴェリア、ガレスの三人の言葉を聞いたペコラが一つ頷いてから立ち上がった。

 

「では荷車から装備品を卸すのと、各団員に閃光弾(フィラス)の所持を厳命しますか?」

「うん、そうだね。全員閃光弾(フィラス)を持たせよう。ベートの所は音響弾(リュトモス)も持つように。無いと思うけどアンフィス・バエナが本隊に気が付いた場合は頼む」

 

 フィンの言葉にペコラが頷いて立ち去り、団員達へと指示を伝えに行き、ベートが眉を顰めた。本隊に気付いて襲撃を仕掛けてきた場合、ベート班がアンフィス・バエナに対し音響弾(リュトモス)を投げつけて挑発しろと言う意味であり、彼の階層主に音響弾(リュトモス)を使用した場合、それこそ親の仇もかくやと殺しにかかってくる事は間違いない。

 とは言え、動きが鈍重な本隊が襲われればここで荷車を破棄せざるを得ず、ここで荷車を破棄すると言うのは遠征失敗を意味する為、フィンの命令も十二分に意味のある物だ。ベートに対する信頼が有るからこその命令に対し、ベートは口を開いた。

 

「だったらサポーターはそっちで預かれよ。あんなの連れてちゃ逃げ切れねえ」

「あぁ、ディアンとカエデは本隊に編成する。4人で頑張れるかい?」

「はん、問題ねえよ。そっちこそ変に刺激すんじゃねえぞ」

 

 ベートは吐き捨てる様に言ってから班員の待機している場所に向かって行った。その背を見送ってからフィンは残った皆の顔を見回してから口を開いた。

 

「ダンジョンでは何が起こるかわからない。当然の事ではあるけれど、()()()()きな臭い。もしかしたら【ハデス・ファミリア】が何か仕掛けてくるかもしれないから気を引き締めて欲しい」

 

 【ハデス・ファミリア】によって甚大な被害を被った『リヴィラの街』を仕切るボールス・エルダーが血眼になって警戒している上、【恵比寿・ファミリア】が厳重な警戒態勢を敷いている中、十八階層を突破して下層であるここまで【ハデス・ファミリア】が足を運ぶ事は難しい筈である。

 だが、彼のファミリアは予想外の行動をとる事が多い。カエデに対する襲撃を行う為だけに『リヴィラの街』や冒険者ギルド、商売関係を取り仕切る【恵比寿・ファミリア】を敵に回す等と言う気の狂った行動をとっているのだ。もしかしたら此処でも仕掛けてくる可能性はある。

 

 

 

 

 

 

 厳重な警戒を行いつつも進んだ結果を端的に言い表すのなら、『徒労に終わった』であろう。

 

 第三十二階層、大規模な遠征隊が休息可能な大きな休息部屋(レストフロア)に到着した【ロキ・ファミリア】は、警戒状態こそ解いていないものの此処に来るまでに特に問題らしい問題も無い所か、モンスターとの戦闘も一階層辺り片手で数えられる程度と、順調にこの階層にまで辿り着いていた。

 

 ディアンとカエデ両名は三十二階層の休息部屋(レストフロア)に到着するまでガレス班預かりとなっていたが、モンスターとの戦闘に出してもらえるはずも無く、ただ荷車と一緒に歩いて進むのみ。

 時折、先頭を歩くガレスの元にフルエンかウェンガルが走ってきて二、三言、言葉を交わして戻って行くのを見送ると言った事はあったが、それも規模の大きなモンスターの群れを別方向に誘導した事を伝える為の物であり、暇を持て余す様な状態であったのだ。

 

 三十二階層に到着してすぐ、カエデとディアンは水袋を両手に持ってファミリアの目と耳となって最も危険な最前線にて索敵を行っていたベート班の面々と合流した。

 

「ありがとー」

「ぷはぁ……生きかえるわぁ」

 

 無言でカエデから水袋を受け取って呷るベート、へらへらとした笑みを浮かべたウェンガルに腰に手を当てて胸を張って水を飲むリディア。フルエンは水を受け取ってから二人の様子を見て苦笑いを浮かべつつも口を開く。

 

「さんきゅ、ってなんか二人ともしょぼくれた顔してんなぁ。どうしたんだ?」

「あぁ……なんつーか。遠征ってもっとこう、ガンガン戦って進むのかと」

「偉業の欠片の入手率が高いって聞いてたので、もっと何かあるんじゃないかなって」

 

 ディアンとカエデの言葉にフルエンは苦笑いを其の儘に水を呷る。代わりにリディアが口を開いた。

 

「最初はそのイメージを持ってる子が多いけど、そんな事してたら道中で疲労困憊で動けなくなっちゃうよ」

「そうそう、モンスターは避ける。罠は解除する。突っ込むなんて脳味噌まで筋肉でできてる様な事するのはペコラさんだけで十分よ」

 

 それとなくペコラ・カルネイロが考えなしに前進しかできない脳筋だと貶すウェンガルの言葉にリディアが困った様に眉を顰め、すぐにその通りかと頷く。

 

「そうだな、この先の三十七階層、なんて呼ばれてるか知ってるか?」

 

 フルエンの言葉にカエデとディアンが顔を見合わせてからカエデが口を開いた。

 

「確か『白宮殿(ホワイトパレス)』です」

 

 三十七階層は『白宮殿(ホワイトパレス)』とも呼ばれ、白濁色に染まった壁面、そしてあまりにも巨大な迷宮構造をしており、上部の階層とは度合(スケール)そのものが異なり、通路や広間、壁に至るまでの全ての要素が広く大きい。

 また、円形の階層全体が城塞のごとく五層もの大円壁で構成されており、階層中心に次層への階段が存在している。

 

「ここには面倒な場所がある。わかるか?」

「『闘技場(コロシアム)』ですか?」

 

 恐る恐る口を開いたディアンの言葉に、フルエンは大業に頷いた。

 

「そうだ、ここの階層主はギルドの定めた強さは第一級(レベル6)だ。そして階層全域に渡って面倒な事に常に一定のモンスターが湧き続ける。広さも相当だから階層中心に向かうまでに戦闘を避ける事はほぼ不可能」

 

 三十七階層の階層主は『ウダイオス』。撃退した場合は三か月間の間を置いて再度出現する迷宮の孤王(モンスターレックス)である。

 全身を漆黒に染め上げた骸骨の巨身で、下半身を地面に埋めスパルトイをそのまま大きくしたようなモンスターであり、常に一定数のスパルトイと呼ばれるウダイオスを小さくしたモンスターを呼び出す事から、単独行動をしている他の迷宮の孤王(モンスターレックス)よりも難度は高めである。

 

「第一軍の団長達、それから準一級(レベル4)の隊長クラスと魔道士はウダイオスの早急な討伐の為に出る訳よ、んで第二軍がその間に後ろで待機する荷車を守る訳だが……」

 

 ウダイオス討伐作戦中は、後方待機組であるサポーター班と、各班第二軍相当に分類されている第二級(レベル3)冒険者が主軸となって荷車を守る事になる。

 当然、この階層では倒しても倒してもモンスターは湧き続け、ウダイオス討伐に時間がかかれば後方に待機する者達の負担は大きくなる。敵の強さも相応であり、常に複数人の冒険者で固まる必要がある。

 

 ここで起きる戦闘は全員が武器を手にする事になり、それこそ第三級(レベル2)冒険者も戦闘に参加する事になる可能性は高い。

 

「無論だけど、お前らは4人がかりで挑まねえと普通に死ぬから気を付けろよ。特にディアン、盾で受け止めようなんて考えんなよ、そのまま盾毎潰されて死ぬからな」

「うぇ……」

 

 この階層に出現するモンスターの強さは既に第二級(レベル3)相応であり、中には準一級(レベル4)相応の強さをもつ希少(レア)モンスターも出現する。絶対に無いと言い切れないのが準一級(レベル4)相応の希少(レア)モンスターの襲撃によって後方待機組が壊滅する事である。

 他にも数の暴力によって後方待機組が壊滅する事だってあり得る。

 

「まあ、リヴェリア様の魔法でウダイオスを瞬殺できればそんな事は無いんだがな」

 

 笑うフルエンに対し、カエデとディアンは不安そうに顔を見合わせた。

 

 

 

 

 第三十二階層の休息部屋(レストフロア)にて、警戒組を除く全員が集まってフィンの演説を聞く姿勢をとっている。

 

「よって、此処から先は第一軍メンバーと第二軍メンバー、サポーター組で分ける事になる。第一軍メンバーは僕、リヴェリア、ガレス、アイズ、ベート、ティオネ、ティオナだ。ペコラは後方待機組の第二軍メンバーと共に行動してくれ。全員、明日には三十七階層を突破して一気に四十階層まで進む事になる。そうしたら四十一階層にある休息部屋(レストフロア)に中継地点として仮拠点の設営。仮拠点を中心に四十一階層の探索を行う」

 

 明日朝早くに起床し、三十七階層へと突入後、速やかなウダイオスの討伐を行う旨等が伝えられる中、不安気な遠征新規組と、慣れた者達の差を見ながらフィンは口元に笑みを浮かべる。

 

「今日はしっかりと休息をとる様に。それでは、解散」

 

 フィンの合図と共に団員達がそれぞれ動き出す。警戒組として入口の警戒に当たっていた団員との交代の為に歩き出す者、休憩組として焚火を囲んで笑い合う者、ペコラの子守唄を聴く為にテントに足を運ぶ者。

 そんな中、嫌そうな表情が薄らと顔に出たカエデがフィンの方へ歩いてきた。カエデの表情を見て目を細めてからフィンは口を開く。

 

「どうしたんだい?」

「……外で寝ちゃだめですか?」

 

 狼人(ウェアウルフ)専用に張られたテントの中の居心地の悪さから逃げたい一心のカエデの言葉に対し、フィンは軽く目を細めてから肩を竦める。

 

「ダメだ。今の内に()()ておかないと今後の遠征は君を非参加にせざるを得ないからね」

 

 ダンジョン遠征は偉業の証、欠片の入手機会として知られており、カエデもそれを期待している。今後の遠征に参加できない等となれば偉業の証、欠片の入手機会の激減を意味する為、何が何でも参加したいカエデにとっては避けたい事である。

 だが、同時にあの居心地の悪いテントの中と言う空間も出来うるならば避けたいモノなのだが。

 

「……わかりました、勝手な事言ってごめんなさい」

 

 苦渋の表情を浮かべ、絞り出す様にカエデが謝罪の言葉を呟いてから俯きがちにテントの方に向かうのを見て、フィンは軽く溜息を零した。

 小声で『必要な事だから』と自分に言い聞かせながらテントに向かうカエデの様子に気付いたリヴェリアが眉を顰め、フィンを見据えた。

 

「フィン、カエデだけでも分けるべきではないか?」

「カエデの為だけにテント一つ用意するなんぞ出来んだろうに、それに下級の者と違って上級にもなったあいつ等はカエデを貶しはしないだろう」

「だが、避けている様子だったが」

 

 狼人(ウェアウルフ)達の中でも駆け出し(レベル1)第三級(レベル2)の者達はカエデに進んで吠えかかって行く事があったが、第二級(レベル3)の者達はカエデを避けている節がある。狼人(ウェアウルフ)の中でカエデに関わっているのはベート一人のみ。

 そのベートもカエデを貶す駆け出し(レベル1)第三級(レベル2)は論外としても、あからさまに避ける第二級(レベル3)の者達に対しても当たりが悪くなっている。

 

 様子を見に行ったリヴェリアが見たのは中央で寝転がるベートを壁とし、左右にカエデと他の狼人(ウェアウルフ)が分かれてる光景であった。縮こまり耳を塞いで眠ろうとするカエデと、中央のベートの威圧で怯んで固まっている狼人(ウェアウルフ)達。

 好き好んで中に割り込もうとは思えない居心地の悪そうな空間に置き去りにされている様子は不憫であったが、フィンはそうすべきと判断したのだ。

 

「一度、ベートとカエデは離れさせるべきかな」

「それはどういう?」

「少し距離を置いて貰わないと、ベートだけにしか関われなくなるしね」

 

 フィンの言葉にガレスとリヴェリアが肩を竦めた。

 

「確かにな」

「まあ、そうだなあ」

 

 

 

 

 

 ペコラ・カルネイロの夜は長い。ただひたすらに、夜通し子守唄を唄い続けるペコラは周りで眠る団員達に歩み寄って頭を撫でたりしつつも唄うのはやめない。

 入口の閉じられた防音性の高いテントの中では、外の様子は知る事は出来ない。たとえ聴覚に特化した兎人(ラパン)であろうがこのテントの中に居れば外の音は聞こえず、逆に中の音を外から聞き取る事は不可能である。

 ダンジョンの中と言う異空間の中で眠るにしては、周りで眠る団員達の表情は非常に安らかなものであり、ペコラは唄いながらも苦笑を浮かべる。

 

 誰かの為に唄うと言うのは悪い気分では無い。むしろ自身の唄が誰かの助けになれて嬉しいと感じるのだ。

 

 しかし、狼人(ウェアウルフ)達には唄ってあげられない。

 

 決して、断じて、命を賭けても良い。彼らが悪い等と言う事は無い。ただ、あの光景が忘れられないだけで、彼らが悪い等と言う事は有り得ない。だが、それでも唄ってあげる事が出来ていない。

 今、この瞬間に思うのは一つのテントに押し込められた狼人(ウェアウルフ)達の事。

 

 第二級(レベル3)の子達は、悪い子では無い。むしろ根は真面目でしっかり者でもある。編成されているのはティオナとティオネの二人の班に配属されており、後ろにモンスターを抜かせまいと全力を尽くしてくれていたのを、ペコラは知っている。

 

 準一級(レベル4)のベート・ローガは最も危険な索敵役を買って出ていて、常に気を張り続けて班員に被害が出ない様に全力で取り組んでいるのを知っている。普段の言動から荒々しい印象を受ける彼だが、ペコラが気絶した際は面倒臭がりはすれどしっかりと医務室のベッドまで運んだり、運ぶ様に指示をだしたりしているのをペコラは知っている。

 

 つい最近、めちゃくちゃな最短記録をたたき出した幼い狼人の事も、知っている。真面目で、頑固な所もある彼女もまた、悪い子では無い。狼人(ウェアウルフ)だけを押し込めたテントの中で居心地の悪い思いをしているのを、ペコラは知った。

 

 だけれども、ペコラは彼ら、彼女らを癒す為の唄を唄えない。狼人(ウェアウルフ)の姿を見るだけで、あの光景が目に浮かぶ。

 

 ペコラ・カルネイロは知っている。【ソーマ・ファミリア】の元団長であった彼女もまた、悪い人では無い事を。

 彼女はただ、守りたかっただけで、守ろうとしていただけで、ペコラの両親が所属していたファミリアが先に仕掛けてしまっただけで、やり返されただけだと言う事を知っている。

 

 姉の背に庇われている自分、彼女が泣き叫んでいる光景が目に浮かぶ。

 

 どうして、なんで、皆を殺したのか。やめてって、もう何もしないでって、お願いしたのに。忠告したのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて。

 彼女を狂わせたのは、両親が所属していたファミリアであって。彼女は悪くなくて、それでも怖かった。

 

 飛び散る血と、彼女の泣き叫ぶ声と、振り向いた姉の顔。姉、キーラ・カルネイロは言った。『大丈夫。お姉ちゃんに任せておけ』と。

 

 本当は、ペコラ・カルネイロも()()()()()になるはずだったのに。もう直ぐ生まれるはずだった、弟か妹が居たはずなのに。彼女の振るう凶爪が、膨らんだ母の腹を引き裂いて、引き摺り出された弟か妹が彼女の手で握りつぶされるのを目にしてしまったから。

 お姉ちゃんになりたかった幼い自分は、目の前で弟か妹かもわからなかった命を握りつぶされるのを、見ている事しか出来なかったから。

 

 ──ペコラさんは、結局の所、見ているばっかりでしたから。

 

 ふと、不安を覚えて唄が途切れる。喉がいつの間にか枯れていて、声が出ない。

 緊張感も無く寝ていたはずの皆が目を見開いてどうしたのかと周囲を見回し始めた所で、ようやく動き出せた。

 

「すいません、喉が渇いてしまって……えへへ」

「水誰か持ってたか?」

「持ってないな」

「あったあった、どうぞペコラさん」

 

 猫人の少女に水を手渡され、一気に飲み干す。部屋全体が薄暗いおかげで表情は見られてないはず。そう言い聞かせつつも笑みを浮かべた。

 

「ありがとうございます。すいません直ぐに唄い直しますのでー」

「あぁ、いつもありがと」

「いえいえ、ペコラさんに出来る事なんてこれぐらいですからー」

 

 後は適当に真っ直ぐ進んでモンスターにバトルハンマーを振り下ろすぐらいか。相応に役に立ちたいとは思うが、ペコラに出来るのは後方待機組として守る事のみ。

 その、守る事だって存分に出来るかと言えばそうではないし、失敗する可能性だってあるのだが。

 

 ──やっぱ、ペコラさん的には突っ込んで行って槌を振り下ろす方がわかりやすくていいですね。

 

 内心、団長の采配に文句を言いつつも子守唄を唄う。

 

 この子守唄は、不安で眠れなかったペコラを慰める為に姉のキーラが唄ってくれた唄だ。何時の間にか、自分が唄う様になっていたこの子守唄。

 最後に姉に唄って貰ったのは、【ロキ・ファミリア】の入団試験に挑む前日だったか。彼の急成長し始めたファミリアへの入団試験の日が発表され、勢いに任せて参加すると言って、不安で眠れなかったあの日。

 

 ──明日も、これから先も、皆無事でいてくれたら嬉しいですね。どうせ、ペコラさんなんて肝心な時には見ている事しかできませんし。

 

 【ロキ・ファミリア】のみんなも、【ミューズ・ファミリア】の姉も、【ソーマ・ファミリア】の彼女も、誰も傷付かない様な世界であれば良い。

 

 夢の世界では決して傷付きはしない。傷付けさせはしない。傷を覆い隠す様な、甘ったるい蜂蜜漬けの夢。

 

 不安は無い、恐怖は無い、痛みも、何もない。ただ幸せで、甘ったるい蜂蜜漬けの夢の世界。

 

 外に広がるダンジョンの恐怖を今一度忘れ去り、不安や恐怖から解き放たれて、一時の夢を与えましょう。

 

 どうか、傷一つ無い、幸せな夢を()()()に。




82話、83話のサブタイトルを変更しました。




『ペコラの子守唄』
 【甘い子守唄(スィートララバイ)】ペコラ・カルネイロの唄う子守唄。
 旋律スキルによって補助されたその子守唄は、彼女の二つ名としても知られている。
 ただ甘く、甘ったるく、蜂蜜漬けの様な夢を与える子守唄。聴いた者全てを眠りに落とす旋律スキルを使用した癒しの技。
 オラリオ最強と名高い【猛者(おうじゃ)】オッタルですら眠りに落とせる技であり、使い方次第では最強を下せるのでは等とも噂されている。

 元は彼女の姉が妹の為に唄っていた子守唄をそのまま妹が皆の為に唄ったもの。
 彼の惨劇の場に居合わせた妹を癒す為だけに唄われたその唄は、聴く者全てを癒す効力を持ち、妹へ引き継がれた。

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