生命の唄~Beast Roar~ 作:一本歯下駄
『あぁ?』
『ナイアル。君は挑発しないと勧誘も出来ないのかい?』
『挑発? 人聞きの悪い事言わないで下さいよ。私は褒めてるんですよ? あのロキの所の追放者なんて片手の指の数も居ないのに、そんな追放者になった彼に敬意すら持っているのですから』
『……んだよ、喧嘩なら買うぞ』
『はぁ、ナイアル。君は黙っててくれ。さて、僕の名前は』
『雑魚の名前になんて興味ねぇよ、失せろ』
『……ふぅん、今は君の方が弱いのに、僕を雑魚呼ばわりねぇ。そりゃ追放もされる訳だよ』
『あぁ? ぶっ飛ばされてェのかよ』
『……じゃあ僕が勝ったら君は僕のファミリアに入るって事で良いよね。よし決定……じゃあ、始めるね』
ジョゼットに指示を出して集まった【ロキ・ファミリア】が誇る
ティオナは興味深げに、ベートは面倒臭そうに、アイズは何も考えていないのかぼーっとしており、ティオネは全神経を集中してフィンの言葉を一字一句聞き逃さない様に前のめり気味。ペコラは離れた席のベートの方を意識して体を震わせている。
そんな
「さて、集まって貰った理由については以上の通りだけど。質問はあるかい」
呼び出されたティオネが資料に手を伸ばして確認するさ中、ペコラが震えつつも手を上げて口を開いた。
「はい、今回の遠征に於いて同行する
今回の呼び出し内容は、半月後に備えた大規模遠征において、各
資料に真っ先に手を伸ばしたティオネが数枚の資料を取り出してテーブルの上に並べるのを横目に、フィンはペコラの方に笑みを向けた。
「君達の基準で構わない。但し選出した団員が問題を起こした場合は責任を負う事」
フィンの言葉に対しベートが面倒臭そうに溜息を零し、離れた席に座っていたペコラが体を震わせてから資料に手を伸ばす。
アイズはどうすれば良いのかわからずに資料を遠目に眺め、ティオナがティオネが取り出した資料の一枚を手に取った。
「私はカエデとー」
「ちょっと、私が選ぶ積りだったんだけど」
「えー、でも数枚出してるしそっちから選べばいいじゃん」
ティオナの手にはカエデの資料。横取りされたティオネがとり返そうとするのを横目にベートがティオナの手から資料を素早く奪い去る。
「ちょっとベート、返してよ」
「俺はコイツと……まぁ、コイツならマシか」
手早くカエデの資料ともう一枚別の団員の資料をフィンの方に投げ渡し、ベートは喚くティオナを鼻で笑ってから部屋を出て行った。
「団長、今の無しだよね」
「ん~、早い者勝ちって事で、今回カエデはベートの所に配属だね」
「うそぉ……。じゃあこの子とこっちの子で良いか」
悲しげに溜息を零したティオナがまだマシだと思える人選を手早く終え、横で数枚の資料とにらめっこしてるアイズの手元を覗き込む。
「アイズはどうするの?」
「……どうしよう」
「ペコラさん的にアイズさんはこの人が良いと思いますよ」
ベートが居なくなった事で深々と安堵の吐息を零していたペコラがアイズの方に数枚の資料を手渡して口を開いた。
「こっちの
「……ならこの子と、もう一人はどうすればいいかな」
「そうですね……。癖の無い子と言う意味ではこっちのアマゾネスの子も良いと思いますが、こっちはちゃんと指示してあげないと暴走気味になってしまいそうですね。でしたらこっちの
的確にアイズのパーティについての指摘をしているペコラをフィンが軽く睨む。今回、自身でメンバーの選出をさせている理由はファミリア規模での活動における上位冒険者としての自覚を持たせるための物である。
アマゾネス特有の知力不足を補おうと必死に努力するティオネは問題ないが、単独で動く事を好むベート、連携するよりは突出する事の多いアイズ、考える事を苦手とするティオナの三人に対し、団体行動における基礎を学ばせる機会であるが、ペコラがフォローに回る所為かアイズは余計考える事をやめてしまう。
とは言えペコラの指摘は悪くは無い。ただアイズ自身がもう少し集団行動の基礎を学んでほしい所なのでペコラの指摘は過度なお節介焼きである。ペコラに悪気は無い事から注意すべきか悩み、フィンは溜息を零した。
「ではペコラさんはこっちの……アリソンちゃんとジョゼットちゃんの所に居たこのエルフの子にしましょう」
「ふぅん、エルフの方は補助に長けてるってのはわかるけどアリソンってどうなの?」
「アリソン……えっと、ラウルの班に居た子だっけ? 動きは良かったけど積極性に欠けてる気がするんだよね」
ティオネとティオナの指摘に対し、ペコラが笑みを零して口を開いた。
「エルフの子は補助に長けてると言うよりは諌める事に長けてる感じですね。アリソンちゃんの方は積極性には欠けてますけど、いざという時の行動力は有ります。まぁ、感情的に動いてしまうと言う欠点もありますが、エルフの子に諌めて貰う形でその欠点を補う形であれば利点が多いんですよ」
資料の中の欠点の記載部分を指差したペコラは得意げに胸を張ってドヤ顔を披露しつつも饒舌に口を動かす。
「そしてですね、ティオナさん、ティオネさんの二人の班は主に前衛。最前線でガレスさんと共に動く班なので耐久に優れるドワーフや力に優れるアマゾネス、獣人の中でも力に特化した
ペコラの言葉に対しティオネは手元に分けた資料を数枚めくって確認してから頷く。
「まぁ、確かに」
「それで、ベートさんとアイズさんはそれぞれ遊撃担当になります」
機動力に優れたベートとアイズの二人の班に編成されるのは同じく機動力に優れた
対してアイズに選出を勧めたのは補助に長けた二人。なまじアイズが単騎優秀なため、ベートの様に本人が最低限戦闘出来るだけの能力を求めるよりは、完全に補助に回る方面での活躍を期待した編成となる。
「それでですね、ペコラさんの班は主に後方支援。ぶっちゃけ前に出て戦うなんて事はしないんですよ」
ペコラの班は主に迷宮内用の荷車を引きながらの鈍重な移動になりがちな輜重隊の役割を果たす。
其の為、前に出る事は一切無い。故に戦闘能力より優先したのは補助における行動力およびに冷静に場を見渡せるだけの視点を持つ団員。
アリソンの方はいざという時の行動力に満ちている。同時にそれは欠点でもある。
エルフの子は冷静に場を見極める視点を持ち合わせており、暴走しがちであったドワーフを諌める役割をしていたと言う情報が資料に記載されていた上、ペコラ自身もそう言った印象を受けた為の選出である。
「と言う訳ですよ、あいたっ……何するですか!」
得意げに胸を張って説明を終えたペコラの後頭部をリヴェリアが軽く小突き、フィンの方を指し示す。
「ふぇ……団長? 何かペコラさん不味い事しました?」
「……いや、何の問題も無いよ」
編成における基礎的知識の観点を言えばペコラの方は完璧である。しかし話を聞いていたアイズ、ティオナは思考停止気味の様で目が点になっている。ティオネは必死に理解しようと頭から煙が上がりそうな程である。
三人の様子を見てからフィンは手を叩いて視線を集める。
「さて、ベートとペコラは選び終えた様子だけど、三人はどうだい?」
「じゃあ、ペコラが選んでくれたこの二人で」
「私はー……どうしようかな。ペコラ、どうしたら良い?」
ペコラの話を聞いたティオナが悩んでから選んだ二人分の資料をペコラに見せて相談し始める。
「うーん、そうですね。この人は前線向きではありますが、ここの所の『前に出過ぎる』って部分は少し気になりますかね。この部分に気を付けてちゃんと前に出過ぎたらダメだよーって教えてあげるなら良いと思います。こっちの……えぇ、この子はちょっとやめた方が良いと思うですが」
「え、こっちの子ダメなの? 評価高いよ?」
「……ティオナちゃん、もしかして総合評価しか見てません?」
「ダメなの?」
記載された総合評価が高い資料を指し示したティオナの様子にペコラが個別評価を指し示して口を開いた。
「こっちの子は前線向きでは無く、索敵向けですね。
「へぇ~、じゃあどの子が良いのかな」
「この資料の子ですかね」
「え? でも総合評価は普通になってるよ?」
ペコラの指し示した資料の総合評価を示すティオナに対し、ペコラは目を細める。
「ティオナちゃんが見るべきはここのモンスターの足止め能力の所と、戦闘方面の活躍具合ですよ」
「そうなんだ……。おぉ、足止め能力が高いって書いてあるね」
「戦闘方面においても高評価となってますし、ぴったりですよ」
「じゃあなんで総合評価は普通なんだろう?」
「ここの補助、援護が苦手って部分が足を引っ張ってますね。特に補助、してもらう側としては申し分ないですがする側としての活躍は期待できないってなってますし」
「本当だ」
二人の様子を見つつ、アイズから受け取った資料を眺め、団員の評価を見てフィンは肩を竦めた。
ペコラはのんびりとした優柔不断さの見受けられる団員ではあるが、頭は悪く無い。と言うより非常に頭が良い。普段の言動がふわふわしている所為か侮られがちだがこういった選出の場に於いて的確に指摘が出来るだけの頭はある。
「と言う訳でこの子とこの子がお勧めですよ」
「わかった。じゃあこの子とこの子にしよっと。団長、これで良い?」
「……あぁ、構わないよ。ティオネはどうだい?」
「はい、選び終わりました!」
ティオネの方の資料も受け取り、確認してフィンは頷いた。
「よし、全員選び終えたね。選出メンバーの発表は今日の晩に行うから、戻って貰って構わない。呼び出して悪かったね」
終わったーと伸びをしながら出て行ったティオナと、安堵の吐息を零しながら部屋を後にするアイズ。ティオネが何かあったらすぐ呼んでくださいと元気よくフィンに返事をして出て行くのを眺め、目の前に残ったペコラの方を向き直る。
「それで、何か用かい?」
「いや、大した事は無いですが……。問題と言うかなんと言いますか」
ペコラが頬を掻きつつも恐る恐る口を開く様子を見つつ、リヴェリアが開いた席に腰かけた。
「
「何か問題でもあったか?」
ペコラの致命的なまでの
しかし、ペコラの方は申し訳なさそうに頭を下げてぼそぼそと自信なさげに呟く。
「歌ってあげる事はできなさそうです……」
霧の中、カエデの姿が見えない時には歌う事が出来た。歌で眠らせる事が出来たが、姿を見ながら歌う事は出来なかった。声が震え、恐怖で視界が揺らぎ、歌う所では無くなってしまい、子守唄を
ペコラの子守唄には、ダンジョン内における過度な精神的な疲労感や
其の為、ダンジョン内において
そう言った部分を気にしている様子のペコラに対し、リヴェリアは肩を竦めた。
「気にする事は無い。誰しも得手不得手がある。全てお前の責任だと責める事は無い」
「……ですが」
「ペコラ、君が気に病む理由もわかる。けれど君は十二分にファミリアの力になっている。これから慣れて行けばいい。焦る事は無いよ」
元々、ダンジョン内に於いて精神的な疲労感を癒す事は美味しい食事をとるか団員同士での談笑ぐらいしか存在せず、ダンジョン内での睡眠は何時モンスターに襲われるかわからない状態と言う事で逆に精神的に疲弊する事も多かった。
しかしペコラの入団以降は睡眠が何よりも精神的な疲労感への特効薬として機能し始めた事もあり、団員達にかかる負担は激減されたのだ。その部分だけは他の団員にはないペコラの特技である。
「……すいません。もう少し頑張ってみるです」
「無理はするな」
「はい」
最後に頭を深々と下げてから出て行ったペコラの後ろ姿が扉の向こうに消え、ペコラの足音が完全に聞こえなくなったのを見計らってフィンはベートの渡してきた資料をリヴェリアに手渡した。
手渡された資料を見てリヴェリアが目を細める。
「ベートらしい選出だな」
「単独で身を守れるだけの能力を重視してるみたいだね」
ベートの選出したカエデともう一人の団員は生存能力の評価が非常に高くなっている。ベートに言わせれば守る為の手間が省けるとでも言うのだろう。
【ロキ・ファミリア】の鍛錬場にて模擬剣を向け合ったカエデとアリソン。審判役として二人を眺めるグレースと数人の団員達。大規模遠征に向けて各団員が意気込みに溢れ鍛錬場に溢れかえるさ中、カエデが唐突にくしゃみをして構えが崩れる。
「へっくしっ」
「風邪ですか?」
唐突にくしゃみをしたカエデに対し、心配そうにアリソンが問いかけ。カエデが首を横に振って答えつつ、乱れた構えを戻し、剣の切っ先をアリソンに向け直した。
「いえ、冒険者は風邪なんかにはかからないですし。違いますよ」
「噂でしょうか?」
「冒険者も風邪ひくわよ」
審判役として眺めていたグレースは他の団員達が模擬剣で鍛錬をしているのを見て目を細めた。
「皆、頑張ってるわね」
「まぁ、グレースちゃんの
アリソンの言葉に対し、グレースは半眼で団員達を見回してから、カエデを見た。
「アンタはどう思ってんの?」
「……? 何がですか?」
「いや、なんでもないわ」
普段から鍛錬場に人がいる訳では無い。ガレスが鍛錬をつけてくれると言う場合には溢れかえるが、そうでなければ数少ない一部の団員が利用するのみであった鍛錬場に、珍しく団員達が溢れている事に何か思う所が無いのかと疑問を覚えたグレースの質問に対し、カエデは首を傾げるのみ。
邪魔だと思わないのかと内心呟いたグレースは他の団員の中に狼人が数人交じっているのが見え、其方を強く睨んだ。
先程からカエデがアリソンと打ち合うのを横目で眺め、真面目に鍛錬するでもなく悪態を吐く一部の狼人の態度に苛立ちを覚え、まともに審判役も果たせないグレースは徐に立ち上がって伸びをした。
「はぁ、疲れるわ」
「グレースちゃん何もしてないじゃないですか」
「……休憩します?」
審判役として座って眺めているだけのグレースにツッコミを入れるアリソン、カエデの方は疲れたのなら休憩をと模擬剣を納めて長椅子の方に歩いて近寄る。
カエデが長椅子に腰かけたのを見てから、グレースは溜息を零した。
「アンタさ、アイツ等が何か言ってるの聞こえて無い訳?」
ヒューマンであるグレースですら聞こえるぐらいの声量でカエデに対し愚痴を漏らす数人の狼人達を睨むグレース。其れに対するカエデは耳を数度震わせてから、尻尾でグレースの足を叩いた。
「聞こえてます」
「じゃあなんで言い返さないのよ」
「口だけなら別に」
直接手出しして来ないなら良いと呟き、水筒を取り出して水を飲み始めるカエデ。まるで興味無いと言う様に振る舞うカエデだが、意識はしているのか狼人達の呟きに対し耳が反応しているし、尻尾は不愉快そうに揺れている。
アリソンが珍しく憤慨した様に模擬剣を手に取って狼人達の方へ向かおうとしたのを首根っこを掴んで止めたグレースは溜息を零した。
「あんな不愉快なのがファミリア内に居たのね」
「グレースちゃんも割と周りからそう思われてますよ」
「……そうね」
他者へ言いたい放題と言う意味ではグレース自身も同類であると言う自覚があるので、図星を突かれて気まずげに視線を逸らしてから、グレースは空を見上げた。
「今回の大規模遠征、選ばれると良いわね」
「……選ばれますかね?」
心配そうにグレースを見上げるカエデ。アリソンは首を傾げてグレースの方を見た。
「グレースちゃんは確定参加じゃないんですか?
アリソンの質問に対し、グレースは肩を竦めた。
確かにグレース・クラウトスは遠征合宿前の【ハデス・ファミリア】の仕掛けた罠を踏み潰す形で偉業の証を得て
其の為、グレースは確実に参加できると言う保証は何処にも無い。そんな風に肩を竦めて言い切ったグレースを見て、アリソンは口を開いた。
「そう言えば、ラウルさんを最近見ませんね」
「……話が急に変わったわね」
唐突な話題転換に目を細めたグレース。カエデの方は周囲を見回して鍛錬場にラウルが居ないか確認するが姿は見えない。
「ラウルさんは何をしてるんでしょうか」
「ラウルは次期団長候補らしいし、団長の近くで雑務してんじゃないの?」
「へぇ、ラウルさんって意外に優秀なんですねぇ」
地味な見た目、地味な戦い方、何もかもが地味なラウルが意外にも団長候補だと言う事にアリソンがしみじみと呟く。グレースも同意する様に頷いている。カエデだけは首を傾げてから長椅子から立ち上がった。
「そろそろ再開しても良いですか?」
「良いわよ。と言うかアンタ元気ねぇ」
「ベートさんと鍛錬しようと思ってたんですけど……」
グレースとアリソンとの鍛錬を行う前、ベートを鍛錬に誘っていたが途中で団長の呼び出しがあってベートに急用ができた為にグレースとアリソンに鍛錬を頼んだカエデ。ベートが鍛錬場に居ないと分かった途端に団員達も鍛錬場に集まった事で現在の鍛錬場にはかなりの人数が集まっている。
「アンタはほんとにさぁ……。まぁ良いけど」
ベートに鍛錬を頼むのはカエデぐらいで他には誰も頼もうともしないだろう。むしろ鍛錬場で変に鍛錬していると罵倒される事もあるのでベートが鍛錬場に居る時には皆近づくのをやめるぐらいだと言うのに。
「……? ベートさんが怒るのって怠けた人だけですよね?」
「まぁ……そうなんだけどさぁ」
鍛錬場でお喋りに興じていたり、鍛錬以外の事をしているとベートから邪魔だから出て行けと罵倒される事が多い。実際、鍛錬場は鍛錬する場所であり、お喋りしたりするなら談話室等で行うと言うのが普通ではあるのだが、だからと言ってベートの言動はいきすぎな気もするとグレースは呟く。対するカエデは不思議そうに首を傾げるのみ。
「アンタはベートさんと気が合いそうね」
「そうですか?」
オラリオ近郊に広がる草原。行商にも使われる主要路を避け、腰ほどの背丈まで成長した草を少しずつかき分けつつ進むアマゾネスの尻を眺めながら、黒毛の狼人の少女、ヒイラギ・シャクヤクは呟く。
「なぁ、もっと急げねぇのか?」
「……アンタ、見つかったらどうする積りなんだい」
「オラリオに駈け込めばいいんじゃねぇの? 姉ちゃんも居るし【ロキ・ファミリア】の本拠まで走り込むとかさ」
ヒイラギの言葉に対し、アマゾネスは呆れ顔を浮かべて口をへの字に曲げる。
「保護して貰えるとは限らないんだよ」
「でも姉ちゃんも居るんだぜ?」
「アンタはそのカエデってのが姉妹だっての知ってるかもしれないけど、相手のカエデって奴はアンタの事を妹だなんて思っちゃいないだろ?」
「…………」
ホオヅキから聞いた話では、自身はカエデの妹であるらしいが、カエデ本人がそれを知っている保証は無い。むしろ知らないだろうとホオヅキは語っていた。だが、あのお人好しそうなカエデの事だから助けてくれるはずだとヒイラギが意気込むのを溜息を吐きつつアマゾネスは前を向きなおった。
「全く、とんだ護衛依頼だよ……ん? どうしたんだい?」
唐突に服の裾を引っ張られ、アマゾネスは振り返る。其処には身を震わせてヤバイと呟くヒイラギの姿。これまでの旅路でヒイラギが『ヤバイ』と呟いた場合は大抵碌でもない事になる事を学んだアマゾネスはヒイラギを抱き寄せてその場に伏せる。
「何が来るんだい?」
「わかんねぇ、でもヤベェのが来る」
表面に草を縫い付けて草場に隠れる為に用意された偽装布地を頭から引っ被ってその場に隠れる二人。
周囲の草花が風に揺れ動き、すれ合う音のみが響く草原。注意深く耳を澄ませば聞こえてきたのは不思議な音。こっそりと布地の隙間から空を見上げればそこには【恵比寿・ファミリア】の飛行船が飛んでいる様子が目に入る。空の上から見た限りでは自分たちの姿は見えないはずだが不安感から尻尾をアマゾネスの足に巻き付けて震えるヒイラギに対し、アマゾネスは注意深くその飛行船を見て呟いた。
「あの船、船底に風穴があいてるね」
「……何?」
「ラキア王国との戦時中に何度かああいうの見た事あるけど……なんだ? 落ちそうにでもなってるみたいだね」
アマゾネスの視線の先、空を行く【恵比寿・ファミリア】の飛行船は船底に大穴があいており、フラフラと頼りない空の航路を飛んでいるのが見て取れる。良く見れば薄らと黒煙を拭きあげており明らかに通常の状態とは言い難い。
「……あの船じゃねぇ」
「何?」
「ヤベェのはあの船じゃない。他になんか居る」
震えながら船を見たヒイラギの言葉にアマゾネスは目を細める。ヒイラギの勘は良く当たる、つまりヤバいのはあの船じゃない。
思い当たる節がいくつかあるので舌打ちをしてから再度空を見上げる。
「どうする?」
「……戻ろう」
「良いのかい?」
あれだけ姉に会いたいとオラリオに行く事を熱望したヒイラギが震えながら戻る選択をした事に驚きつつも、アマゾネスはゆっくりと周囲を索敵する。
索敵の為に草場から少し顔を出して周囲を見回したアマゾネスは、丘になっている所に立っている人物を見て身を伏せる。
「…………人がいるね」
「……逃げよう。アイツはヤバイ」
フードを被り顔が確認できないその人物。遠目に見る限りでは手には深々と皺が刻まれており老齢な人物であると言う事しか確認できない。
だが、一目見ただけでヤバさと言うのを実感できるほどに威圧感を伴っていた。
もう一度、今度は注意深くそちらの方を窺えば、高々と杖を掲げ何かを呟いている様子が確認できる。
「……船が騒がしいぞ」
「なんだ?」
空の上を行く【恵比寿・ファミリア】の飛行船の方で喧騒が響き、より大きな黒煙が船体の側面を突き破って吹き出した。途端、高度が急速に下がり始める飛行船。
「マジか……」
「何が起きたんだよ」
「アイツ、あの距離で的確に魔法で機関部を吹っ飛ばしやがった」
草原の丘に立つ老齢な人物。かの人物が杖をゆっくり下したのを見て確信する。
あの高所を飛んでいた飛行船に対し、魔法か何かで攻撃したのだと理解し、あの老齢な人物の魔法の制御能力の高さに目を見張る。かの【
距離が離れれば離れる程に魔法の制御は難しくなるはずである。しかしかの老齢な人物は一発で、しかも発動までの時間から考えて中文詠唱程度の長さの詠唱で飛行船の機関部を撃ち抜いた。
ヒイラギの言う『ヤバイ』と言う言葉に的確に当てはまる老齢な人物を睨み、アマゾネスは呟いた。
「こっちにゃ気付いてないね。とりあえず逃げるよ」
「おう」
「…………」
「姉ちゃん?」
アマゾネスは疑問を覚え、再度老齢な人物の方へ視線を向ける。
「……アイツ、【恵比寿・ファミリア】に真正面から喧嘩吹っ掛けて、何考えてんだか」
世界を股にかけて商売している【恵比寿・ファミリア】から、理由不明で追われていると言う自身の立場であるが、飛行船を落とそう等と考えた事は無い。どんな理由があれば【恵比寿・ファミリア】の飛行船を撃ち落とすなんて馬鹿げた真似をしでかすと言うのか。
「まぁいい。とりあえず逃げるか」
偽装布地を被ったまま慎重にその場を離れる。せっかくオラリオの外壁が遠目に見える所にまで辿り着けたと言うのに、逃げなければならなくなった事に悔しそうに歯噛みするヒイラギの頭を撫でながら、アマゾネスは愚痴を零した。
「ホオヅキの奴は何処に行ったんだか。ヒヅチって奴を見つけて直ぐ戻ってくるって話だったろ……三百万ぽっちじゃ足りないっての」
ヒイラギちゃんの方はあえなく撤退。チャンスはなんだかんだ潰れちゃう不運に塗れてますねぇ。
【恵比寿・ファミリア】の被害は増加の一途。彼のファミリアは被害担当だからね、ショウガナイネ。