生命の唄~Beast Roar~   作:一本歯下駄

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『なるほど、なるほどなるほど……興味深い』

『ねぇナイアル。今の君の笑顔、すっごく気持ち悪いよ?』

『アルは冷たいですねぇ……で、次のお願いなんですが』

『お願い? また? そろそろ休みたいんだけど』

『休むのはまた今度で、今私の駒が貴方しか居ないんですよ』

『あぁはいはい。次は何をすればいいの?』

『ホオヅキが死んだのは好都合です。ヒイラギ・シャクヤクを攫ってきてください』

『……ヒイラギ? 誰だいそれ? というか何のために?』

『聞きたいですか? 知りたいですか? 知りたいんですね。では説明を――

『わかった、攫ってくればいいんだね。じゃあ行ってくるよ』

『……説明ぐらいさせて欲しいものです』


『迷宮の楽園《アンダーリゾート》』《下》

 真っ暗な天井を仰ぎながら取り留めのない質問を投げ合っていれば、唐突に天井の水晶が輝きだした。相も変わらず不自然な朝の訪れ、地上と違いまるでスイッチを入れた魔石灯の様に一気に明るくなる。

 目を細めてそれを眺めていたグレースは溜息を零してから、焚火の始末の為に立ち上がった。

 

「朝ね、それで? ダンジョンで一晩過ごした感想は?」

 

 グレースの質問に対し唐突に明るくなった事に驚いて周囲を見回していたカエデは顔を上げて口を開いた。

 

「……眠いです」

「あっそう。とりあえずヴェトスとアリソンを起こしてきなさい。焚火は私が後始末するから」

「はい」

 

 興味無さ気に肩を竦めてグレースが水の入った皮袋から焚火に向かって水を少しずつかけはじめ、カエデはテントの方へ向かう。その背をちらりと眺めてからラウルは立ち上って大きく伸びをする。

 一晩寝ずに過ごしたがその程度で音を上げる程じゃない。とは言え疲れた事は否定しない。

 

「ふわぁー……俺も少し眠いッスねぇ……アレックスは何処に居るのやら」

 

 周囲の木々を見回して目を細めるラウルを余所に焚火の消火を終え、土をかけて痕跡を消しているグレースはラウルの方を半眼で睨みつけた。

 

「アンタがぶっ飛ばして従わせればいいじゃない」

「いやぁ、俺が何度言っても変わらないッスから」

 

 へらへらと笑うラウルに呆れ顔を向けてから、グレースは荷物から干し肉等を取り出して齧り始める。

 

「おはようございます」

「おはよう、異常が無かったみたいでよかったよ。テントの片付けの前に朝食にしようか」

 

 いつも通り元気そうなアリソンの様子にグレースは眉を顰めてから、肩を竦める。

 

「アンタは気楽そうでいいわね」

「えへへ」

「褒めて無いんだけど」

 

 照れたようにはにかんだ笑みを浮かべたアリソンにグレースが眉を顰める。ヴェネディクトスも荷物から干し肉を取り出してカエデとアリソンにも渡してから三人で焚火の跡を囲んで食べ始める。

 

「火、消しちゃったのか」

「いつまでもつけてても仕方ないでしょ」

「干し肉、少し炙ってもよかったんじゃ?」

 

 ヴェネディクトスとアリソンの言葉にグレースがすっと視線を逸らした。

 

「そう言えばそうね」

「……気付く前に消しちゃったんですね」

「悪かったわね」

 

 素直な謝罪の言葉にアリソンが笑い、ヴェネディクトスは肩を竦める。

 

「まあ、こういう失敗なんて誰でもしますよ」

「別に良いよ」

「そう、そういえばカエデは?」

 

 ふとグレースが気が付けばカエデが一言も言葉を発していない。気になってカエデの方を見た三人の視線の先、カエデが船を漕ぎながら干し肉を食んでいる姿があった。

 

「あららー……眠そうですねぇ」

「眠れなかったみたいだからね」

「そうなんですか」

 

 耳の良さでは明らかにアリソンに分があるにも関わらず、カエデと違ってぐっすり眠りについていたアリソンの言葉にグレースが眉を顰め、ヴェネディクトスが苦笑する。

 そんな四人を眺めていたラウルは肩を竦めてから歩いてくる人物に声をかけた。

 

「アレックス、何しに来たッスか? 合流ッスか?」

 

 ラウルが足音の方へ視線を向ければそこには不機嫌そうな表情を浮かべたアレックスの姿があった。

 アレックスに気付いたグレース、ヴェネディクトスの表情が不愉快そうに歪み、アリソンがカエデを抱き寄せてほっぺを抓って眠気を飛ばさせる。

 

「ふぇ……」

「カエデちゃん朝ですから起きてください。帰ったら好きなだけ眠っても良いので」

「はん、何してんだよテメェ等……まあいい。ほら今すぐやるぞ」

 

 ラウルやヴェネディクトス、グレースを無視したアレックスはカエデの方を睨んで拳を構える。

 ぼんやりと干し肉を食みながらアレックスを見つめていたカエデがはっとなり、立ち上がって構える。

 

 朝の鍛錬の際に行っている模擬戦。十八階層まで行けば一晩は十八階層で過ごす。その事を知っていたアレックスは態々昨日命令権を失ったカエデとは別に一人で十八階層まで訪れて朝一で勝負を挑む積りらしい。

 

 其れに気付いたラウルは苦笑し、グレースとヴェネディクトスが呆れ顔を浮かべ、アリソンは首を傾げた。

 

「ほら、今日も俺が勝つ……昨日みたいに手加減したらわかってんだろうな?」

 

 魔導書(グリモア)で魔法を習得した事を意識し過ぎて昨日は負けた模擬戦、その事を指摘されたカエデは眠気で上手く頭が働かない状態で、干し肉を加えたままもごもごと言葉を放つ。

 

「手加減なんてしてないです」

 

 昨日は慌てて飛び起きて模擬戦に挑んだ所為で体を温める事も整える事もせずに戦闘に臨んでしまった。故に全力を出せなかった事は否定しないが、その場に於いて出来る事はすべてやり尽くした積りである。

 事前準備を怠ったと言う事実はあれど、手加減等と言う真似をした覚えはない。しっかりとその事を伝えるべくアレックスを真正面から見据えたカエデに対し、アレックスはあからさまに苛立ったように表情を歪める。

 

「あぁ? あんだけ小馬鹿にした戦いしやがった癖に手加減してねぇだと?」

 

 馬鹿にするなと怒鳴るアレックスに対しカエデは首を傾げる事しかできない。カエデに馬鹿にする意図等微塵も無く、怒られる謂れなど無いはずだとカエデはバスタードソードを構えて干し肉を飲み込んでから再度口を開いた。

 

「してません。私は本気で挑みました」

「…………」

 

 口を噤んだアレックスはカエデを睨んでからぽつりと呟いた。

 

「『烈火の呼氣』」

 

 呟かれた言葉にカエデは眉を顰めた。『烈火の呼氣』はヒヅチが教えてくれた呼氣法の一つでロキに使用を控える様に言われたものである。発展アビリティで『軽減』を取得したため、反動は少なくなったがそれでも使い過ぎれば大変な事になる。

 だが、何故その技法の事が出てくるのだろうかと首を傾げたカエデに対し、アレックスは怒鳴る様に叫んだ。

 

「本気を出しただとっ! テメェは自分の使える技を使わずに本気を出したなんてふざけた事を抜かす気かっ!」

「え?」

 

 本気で挑んだ。カエデが口にしたその言葉に嘘偽りは存在しない。

 

 その時、身体を温めていなかった為に動きは少しぎこちないものではあっただろう。しかし、戦いの中で手を抜いた積りは無い。その上で負けただけである。

 それに『烈火の呼氣』なんてアレックス相手に使う訳には行かない。上層の迷宮の孤王(モンスターレックス)とも呼ばれたインファントドラゴンに対して全力で行使して以降、控えた威力のものを何度か使っていたのは否定しないが、あの威力の攻撃をアレックスに当てればどうなるか等考えたくもない。あれは全力で相手を()()時に使う技法だ。模擬戦で使うものではない。

 

 何故それで怒るのか、理解できずにカエデは困惑してアレックスを見つめ直す。

 

「でも、使ったら……」

「あぁ? 使ったらなんだってんだよ」

「アレックスさんを殺してしまうかもしれません」

 

 断言できる。アレックスの防御の上からであっても、烈火の呼氣を使った一撃なら叩き潰せる。そんな確信と共に放たれた言葉にアレックスは震え、俯いた。

 

「アレは人に振るう為のものでは無いです」

 

 『烈火の呼氣』は人の身では傷付ける事も出来ない化け物を斬り伏せる為のもの。ワタシに与えられた『大鉈』と言う大刀はモンスターを斬り伏せる為のもの。人に振う為に教わったわけでは無い。人を斬り伏せる為に受け取ったわけでは無い。

 どれだけ村人に思う所があっても、村人に剣を向けるな。力を振るうな。それが出来ぬのならお主は斬り伏せられる側の化け物になってしまう。ヒヅチはそう言った。

 

「ワタシは烈火の呼氣を貴方相手に使う積りはないです」

 

 真っ直ぐアレックスを見据えて言い切る。間違っても、()()()()()を模擬戦で使ったりはしないと。

 

 その言葉にアレックスは表情を歪める。真っ直ぐ見据えるカエデに対してアレックスは震える声で呟いた。

 

「つまり、俺は()()()()()()()って事かよ」

「え?」

「馬鹿にするんじゃねぇっ!」

 

 怒り、怒声に体を震わせたカエデに対し、アレックスは歪んだ形相で口を開く。

 

魔導書(グリモア)なんてもんもロキから貰って……何でテメェなんだよ。『烈火の呼氣』って奴で満足してりゃ良いだろ。なんでオマエなんだ」

 

 アレックスの言葉にアリソンが首を傾げ、ラウルがポンと手を叩いた。

 

「なぁるほど。カエデちゃんが魔法習得したのって魔導書(グリモア)のおかげだったんスね」

 

 ラウルの言葉に納得の表情を浮かべたアリソン。アレックスはラウルを睨みつけてからカエデの方に視線を戻す。

 

「なんでお前なんかが魔導書(グリモア)なんて貰ってんだよ」

 

 何故と言われても困ると困惑の表情を浮かべたカエデ。ロキがくれたのは事実だが何故自分にくれたのかまでは聞いていなかった。ただロキはカエデが生きる為に努力するのに協力してくれると口にしていた為、その延長の行為だったのだと思う。其処に言及されてもとカエデが口を開いた。

 

「ロキがくれたので」

「どいつもこいつも、なんでテメェなんだよ……」

 

 俯き、拳を震わせ、アレックスは叫ぶ。

 

()()()だろうがっ! なんでテメェなんだよっ! なんで俺じゃねぇっ! 直ぐに死んじまう様な雑魚なんて必要ネェだろっ!」

 

 その言葉にカエデが硬直した。震え、一歩後ずさる。

 

「狡いだろっ! 『烈火の呼氣』なんて技を持ってる、駆け出し(レベル1)でインファントドラゴンを倒せる。なのに、また新しいモンを手にいれるのかよっ! なんでテメェばっかり――()()()()()()()()()

 

 ズルい、その技法が、スキルが、何もかもがずるい。羨ましい。子供の様に喚くアレックス。優れた相手に対する嫉妬。

 

 その言葉を聞いて、カエデの心を埋め尽くしたのは怒りだった。

 

 

 

 

 

『ずるい』

 

 ワタシが最後にそう口にしたのは、何時だっただろうか?

 村の中、親子で手を繋いで帰る子を見て、自身の手にある刀の柄と採取した薬草の詰った皮袋を見てヒヅチに言った言葉だったはずだ。

 

 ワタシは親が居ない。育ての親はヒヅチだが、ヒヅチはあくまでも育ての親であると言い続けた。親子で手を繋いで歩くあの子が羨ましい。私にはおとうさんもおかあさんも居ないのに。なんであの子には居るの? ずるいよと。

 

『口にするだけ無駄じゃ。心に留めておけ』

 

 その言葉に、ヒヅチは肩を竦めた。

 

 

 

 

 

 アレックスの言葉を聞いて湧き上がったのは怒り。そして羨望だ。

 震える声で尋ねる。

 

「ズルいってなんですか? 羨ましいってなんですか?」

 

 その言葉に帰ってくるのは怒声だった。

 

「テメェばっか良い思いしやがってっ! さぞかし鼻が高ぇんだろうなぁっ! 最短記録(レコードホルダー)に名を刻んで、強さを証明して、ベート・ローガに認められてっ! テメェみてぇな()()()()がっ!」

 

 死にかけ、死にかけ。そう、ワタシは()()()()だ。

 器の昇格(ランクアップ)した。そう、ワタシは器の昇格(ランクアップ)したんだ。小さく、壊れかけだったワタシの器は、器の昇格(ランクアップ)によって、強く、大きくなった。

 

 ワタシの事が羨ましくて、ズルいと口にしたアレックスさんを見据える。

 

 怒りの形相を浮かべたアレックスさんを見据える。

 

 ()()()()()()()()()

 

「テメェなんて――

「うるさい」

 

 ワタシの言葉に驚いた表情を浮かべて。直ぐに怒りの形相に戻るアレックスさん。

 

 ワタシは【ロキ・ファミリア】に入団した。ワタシはヒヅチ・ハバリの弟子として技法を学んだ。ワタシには優れた戦闘の才能がある。ワタシはロキに特別扱いされている。ワタシは『烈火の呼氣』が使える。ワタシは魔導書(グリモア)を受け取った。魔法を覚えて()()()()()()()()()()

 

 ズルい? ワタシがズルい? 何処が?

 

「うるさいっ!」

 

 怒鳴り返す。睨みつける。

 

「ワタシには戦うしかなかった」

 

 戦うのは嫌い。だって戦いになったら傷つけられる事があるから、痛いじゃないか。だって戦いになったら剣で斬り付けなければいけないじゃないか。

 

「本当は戦いたくないよ」

 

 本当は、戦いたくなんてない。斬りたくない。剣を握るのだって嫌いだ。でも、戦うしかないじゃないか。戦って、抗って、それでようやく生きていける。そんな半端な体に生まれ落ちててしまったんだから。

 

「でも戦うしかない。そうしないと死んじゃうから……ワタシは、ワタシはただ生きてる(足掻いてる)だけなのにっ!」

 

 ――――それに、ズルいのは私じゃない。お前の方が、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ワタシが羨ましい? ワタシがズルい?」

 

 そんなはずはない。

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ズルいよ、お父さんも、お母さんも居たんでしょ? いっぱい、いっぱい愛して貰ったんでしょ? 温かい食事があって、暖かい寝床があって、暖かく迎え入れてくれる家があったんでしょ?

 

 何もしなくても潤沢な寿命があるんでしょ? 戦わなくても、のんびり日向ぼっこしてても怒られないんでしょ?

 

「ワタシにはお父さんもお母さんも居なかった」

 

 ヒヅチは育ての親で、ワタシを愛してくれていたけど、決して親として愛してくれた事は無かった。あくまでも()()()()で、本当のお母さんじゃなかった。

 

 もし願いが叶うなら、普通になりたい。普通にお父さんとお母さんに愛されて、剣なんて握らなくても良くて、恐ろしいモンスターと戦う必要なんて無くて……。短すぎる寿命に脅える必要のない、そんな普通が欲しい。

 

 そう、普通になりたいんだ。

 

「そんなにズルいなんて言うなら……取り替えっこしよう? ワタシの……覚えた魔法も、スキルも、何もかも全部あげる。壊れかけの体も、辛くて苦しい記憶も、全部全部……あげる。だから、貴方の全部をちょうだいよ」

 

 お父さんに頭を撫でられた事ある? ワタシには無い。

 お母さんに抱き締められた事ある? ワタシには無い。

 仲の良いお友達は居る? ワタシには居なかった。

 石を投げられた事ある? ワタシには有る。

 短い寿命に恐怖した事はある? ワタシには有る。

 

 将来の夢はある? ワタシには……ワタシには()()()()()

 

 ワタシの力が欲しい? ワタシの技術が欲しい? なら全部取り替えっこしようよ。

 貴方の持ってる、暖かい記憶も、何もかも全部ちょうだい。代わりに全部あげるよ。

 

 ――――そんなの出来っこない。

 

「知ってるよっ! 出来ないっ! そんな事できないっ! だからワタシは生きてる(足掻いてる)んだからっ!」

 

 ズルいなんて、羨ましいなんて言わないでよ。私だって言わない。貴方に、誰かに、ズルいなんて、羨ましいなんて言わない。だから、そんな事で怒らないでよ。

 

「ワタシの事、何も知らない癖に」

 

 ワタシの欲しかったもの、欲しいものをぜんぶ持ってるくせに。

 

 心の中がざわざわする。なんでこんなことを言われないといけないのか、わからない。

 

「貴方がズルいよ。だって長い寿命があるんでしょ?」

 

 ワタシにはそんなもの無いよ?

 

器の昇格(ランクアップ)が羨ましい? 強いのが羨ましい? 魔導書(グリモア)を貰ったのが羨ましい?」

 

 そんなものワタシは欲しく無かったよ。本当に欲しいのは――

 

「ねぇ、聞いてよ。ワタシね……器の昇格(ランクアップ)したんだよ?」

 

 壊れかけの器は確かに強く、大きくなった。

 

「でもっ! 寿命は全然延びなかったっ!」

 

 一年、ワタシに残されていた寿命。駆け出し(レベル1)ではその程度しかなかった。三級(レベル2)にあがったワタシに残された寿命は……一年半。

 

 涙が溢れてくる。悲しくて、悔しくて。

 

「ねぇ、ワタシは後どれだけ頑張ればいいの? どこまで行けばいいの?」

 

 たった、たった一度の器の昇格(ランクアップ)だけで、死にかけた。インファントドラゴンとの戦いは、恐怖しかなかった。それでもその恐怖をねじ伏せて生きた(足掻いた)、ただそれだけ。

 

 もし、もし一つでも何か違えばワタシは此処に居なくて。それが物凄く怖くて。

 

 本当は戦いたくないのに、死ぬのが凄く怖いのに。死にそうになる様な目に自ら遭う事が解っていながら、偉業の証を求めてしまう。何時命を落としてもおかしくない。

 

「冒険者になんてなりたくなかった。戦いたくなんて無い。剣なんて嫌い」

 

 人を斬った事ある? ワタシは、あるよ?

 

 

 

 

 

 ある日の事だ、真剣を持たされての鍛錬。ヒヅチと向かい合って、木刀を手にしたヒヅチにワタシが打ち込むそんな鍛錬。ワタシは真剣を振るう意味をまだ知らなかった。

 本気で斬る積りで振るった。ヒヅチに当たるイメージが出来なくて、躍起になって当てようとして。

 

 そして、ヒヅチを斬った。

 

 斬れるなんて思ってなかったワタシは呆然とした。ばっさりと切れた腹から笑えるくらい血が溢れてヒヅチが笑っていた。

 

『油断した。カエデ、針と糸、後は布をとってきてくれ』

 

 訳が解らなかった。ヒヅチなら受け流すとおもった一閃、深々とした傷が、ワタシが与えた傷がヒヅチの血を流させた。

 

『早うせんか。ワシが死んでしまうじゃろ』

 

 二ヘラと、余裕ぶった笑みを浮かべたヒヅチの言葉に我に返って、小屋から針と糸、綺麗な布、それから火を起こす道具を持ってきてヒヅチの横で湯を沸かしながら傷口を布きれで押さえた。

 

 余裕ぶった笑みを浮かべたヒヅチは、けれども青褪めていて、手が震えていた。

 

『カエデ、傷を縫ってくれ』

 

 その言葉を聞いて、ワタシはどうすれば良いのかわからなかった。

 

『簡単じゃ。この針と糸を使って、この傷を縫え。ワシではできん』

 

 口元を笑みの形に歪め、脂汗を流して青褪めるヒヅチの姿。ワタシは震える手で針と糸を受け取った。それから、綺麗にぱっくりと割れた傷口を縫い始める。震える手を必死に押さえつけようとしても、全然だめで。針を上手く刺せなくて、傷口を塞ごうとして失敗して、流れる血の量が減ってきて。

 このままだとヒヅチが死んでしまうのに、ワタシが与えた傷が原因で死んでしまうのに、ワタシは上手く出来なくて。

 

 泣いた。泣いてヒヅチに縋った。ヒヅチは――笑って言った。

 

『無理か、じゃあいい。カエデ、ワシの質問に答えよ――ワシを斬った感触はどうだった?』

 

 ぞっとするほどに綺麗な笑顔で言われたその質問。

 

 ――ヒヅチを斬った感触はどうだったか?

 

 なんでそんな事を聞くのか、ワタシには分らなかった。けど、ヒヅチは笑って言った。

 

『化物を斬り捨てた時と変わらんかったじゃろ?』

 

 言われて、初めて気が付いた。ゴブリンを斬り捨てた時、皮膚を裂いて、肉を斬って、骨を削る感触。溢れる鮮血の鮮やかな赤色、温かな温度、粘りけを含んで鉄臭いにおい、目の前で光を失って生命が尽き果てる姿。剣を使って化物を斬り付けた時の感触と、ヒヅチを斬った感触に違いは無かった。

 

『分かったか? 人を斬るのも、化物を斬るのも、感触に違いなんぞない』

 

 多少の差はあるだろう。だが、皮膚を裂いて、肉を斬って、骨を削るその感触に、溢れる鮮血の鮮やかな赤色に、温度に、においに、失われ行く生命に違いは無いのだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

『忘れるな。オヌシが斬った物が()()なのか。忘れるな、人を、人と思わず斬らぬ様に気をつけよ』

 

 もし、もし人と化物の差が無くなって、同じ命を斬り捨てる感触だと割り切った時。刃を手にするその人物は()()()()()。刃を手にする以上、決して忘れてはならぬ事だと。

 

 結局ヒヅチは助かった。ワンコさんが現れて、慌てたようにヒヅチの傷口を丁重に縫い合わせてくれて、ヒヅチは死なずに済んだ。

 

 でも、ワタシはモンスターを斬りたくなくなった。

 

 

 

 一時期、剣を握る事を拒んだ。ヒヅチを斬ったあの日から多分一ヶ月ぐらい。

 斬られたはずのヒヅチは次の日には平然と動き回っていた。ワタシが剣を握りたくないと泣けば、ヒヅチはじゃあ握る必要は無いと怒るでもなく受け入れた。

 

 それから一か月後ぐらい経ってから。化物退治に行くと言って、森に行くと口にしたヒヅチは一人で森に入って行った。剣を握れない足手纏いを連れてくつもりはないと。

 

 ヒヅチが帰ってきたのは二日後、大怪我を負って偶然通りかかったワンコさんに肩を貸されて小屋まで帰ってきた。

 

 あと一歩、ワンコさんの到着が遅れていたらワシは死んでいた。ヒヅチはそう笑っていた。ヒヅチが負った傷は冗談でもなくヒヅチが死んでいてもおかしくないと言えるほどのものだった。余りの恐ろしさに、ワタシは、ワタシはもう一度剣を握った。

 

 知らぬところで、何もできずにヒヅチを失うか。恐ろしい()()感触を味わってでも抗うか。

 

 死ぬな(諦めるな)生きろ(足掻け)、心の臓の音色が枯れ果てるその時まで。

 

 

 

 

 

 嫌いなのに、剣を握るしかなかった。

 

 嫌なのに、戦うしかなかった。

 

 怖いのに、死ぬような目に遭いに行く事しかできない。

 

 生きる為だ、生きる為、ワタシはただ生きる(足掻く)だけ。

 

 ズルいなんて言わないで。羨ましいなんて言わないで。

 

 生きる(足掻く)必要も無い貴方に、ズルいなんて、羨ましいなんて言われたくない。

 

 

 

 

 

 背筋が凍りつく程、冷たく鋭い瞳でアレックスを睨んでいたカエデ・ハバリは、ふとアレックスに背を向けた。

 視線が外れた瞬間、アレックスは膝を着きそうになる。

 

 恐ろしい位に冷たい瞳のカエデに恐怖を覚えた。

 

「おまえは……」

 

 アレックスの言葉に返事を返す事もなく、カエデが走って行く。その背を見えなくなるまで見送ってから、アレックスは呟いた。

 

「なんなんだよ……」

 

 呟き、俯いたアレックスの側頭部にグレースの蹴りが突き刺さり、アレックスはよろめいて顔を上げてグレースを睨みつけた。

 

「何すんだテメェ」

「うっさい、黙れ」

 

 睨み合うグレースとアレックス。カエデの豹変についていけず呆然としていたヴェネディクトスとアリソンは互いに顔を見合わせてからラウルを窺った。

 

「ラウルさん……」

「カエデちゃん探してくるッス。帰りの準備をお願いするッスよ」

 

 肩を竦めてからラウルはカエデを探すべく足を向けた。




 ナイアルの裏ボス感。やっぱ邪神はこうでないとな(偏見)

 血をあほみたいに流しながら笑みを浮かべて傷を縫えとか幼子に無理難題を言い渡す系師匠ヒヅチ。トラウマ待ったなし。

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