生命の唄~Beast Roar~ 作:一本歯下駄
『己が身の調子を顧みれぬ者が剣を語るな間抜けめ、じゃから剣を折るなんぞしでかすんじゃ』
拳骨の鈍い痛みが、今はただ懐かしい
ティオネ・ヒリュテとティオナ・ヒリュテの姉妹は脱衣所に佇む薄汚れたウェアウルフを見て固まっていた。
対するウェアウルフの子供も二人に気付き動きを止めていた。
互いに口を開く事無く、目を見開いたウェアウルフは台の上に手荷物を置いていた所だったらしい。
事の始まりは数十分前。
ダンジョンから帰ってきた所でホームの入口から逃げる様に走り去っていく人々を見つけ、首を傾げていた。
入口に仁王立ちした【ロキ・ファミリア】団長のフィン・ディムナに気付き、話を聞いてみれば今日の入団試験の不合格者達だったらしい。前回みたいに一人も合格者が居ないのかと思えば、83人中1人のみ合格したらしい。
今回は前より酷い有様で、前回よりもなお質が落ちたらしく、上から隠れ見ていたベートが怒りのあまり突撃してこないかと心配になる程だったと言う。
実際、最後には屋根から飛び降りてきて不合格者達に本気の殺気をぶつける程だったと言う。
合格した一人はロキに連れられてお風呂に行ったらしい。
と言うのも浮浪者の様に汚れていたらしいのだが、剣技も剣気も普通の人とは比べ物にならないぐらい優れていたと、フィンが絶賛する程の人物らしく、二人揃って首を傾げる。
興味もあるし、ダンジョン帰りでバベルのシャワールームで軽く汚れを落としてきただけの二人は新しく入団する事になった人物を一見するついでにお風呂に向かう事にしたのだ。
そして冒頭に戻る。
端的に言えば、汚い。
元の髪色も分らぬほどに汚れた髪に、血や泥、汗の染みで汚れきった服装もそうだし、立てかけた剣も錆ついている部分もあり手入れを怠っていることが読み取れ、伸び放題の髪から覗く目は真っ赤で驚きに染まっている。
「あー、こんにちは?」
「……こんにちは」
ティオナは何を言うべきか迷った後に挨拶をしてみた。
対するウェアウルフは、律儀に頭まで下げて挨拶を交わす。
そして沈黙が舞い降りる。
ティオネとティオナは予想以上に汚れた姿の彼女に驚き、
対するカエデは唐突に現れた見知らぬ少女二名に驚き、
互いに言葉を失って佇んでいると、スパーンと良い音を響かせて浴室と脱衣所を隔てていた擦りガラスが開かれ、ロキが現れた。―全裸で。
「うっしゃー、準備オッケーやで……ん? カエデたん、はよ服脱がんとー「あーロキだ」おぉーティオネにティオナやん? 今からお風呂入るけど一緒に入るかー?」
ロキに指摘され、カエデはおずおずと台に荷物を置いてから服を脱ぎ始めた。
「入る入るー、その子がカエデちゃん? 予想以上に汚くてびっくりしたよー」
「そうねぇ、いくらなんでも汚過ぎよ。想像以上だったわ」
「せやから綺麗にしたろうとしとったんよ」
げへへと下種な笑みを浮かべながら手を怪しく動かすロキを見て、ティオナとティオネは笑う。
「変な事したらぶっ飛ばすから」「団長以外にそんな事されたら殴る」
「冗談に決まっとるやん……」
不自然に視線を逸らしながら言うロキに、ティオナが笑みを浮かべて聞く。
「何割が?」
「二分」
「一割ですら無かったっ!?」
それを聞いたティオネが笑みを深めて口を開いた。
「じゃ私は手加減二分で殴ればいいのかしら」
「ちょ、ティオネの手加減二分てうち死んでまうわっ!?」
レベル4の冒険者が手加減二分で殴る。レベル3の冒険者でも致命傷は免れないだろう。
神であるとはいえ、地上で過ごす為に一般人程度の身体能力しかもたない今のロキは間違いなく死ぬ。
無論、互いに冗談だと解りあった上でのやり取りの為、物騒な事にはならないのだが。
ロキはセクハラをするし、ティオネとティオナはセクハラに対して拳で礼をする。
これは【ロキ・ファミリア】で当たり前の光景だ。
まぁ、拳で礼をするのはこの二人とリヴェリアぐらいで、他の団員は平手であるのだが。
「ロキ
カエデが服を脱ぎ終わった様子で、ロキへ声をかけた。
「……ロキ
「あー、カエデたん。ロキでえぇよー……?」
「……?」
何か間違えたかと首を傾げるカエデと、可笑しな呼び方をしたカエデを見て首を傾げるティオネとティオナ、気軽に呼び捨てで構わないと言うロキ。
どうにもカエデ・ハバリは固い印象を受ける。と言うか真面目なのだろう。
ロキが自分の事を「気軽にロキたんって呼んでえぇで」と言ったのを守っているだけなのだろう。
ただ、他から見れば間抜けに見えるのだが。
「まぁ、えぇわ。ほらいくでカエデたん。二人もはよせえなー」
ロキは呼び方を訂正するよりカエデを綺麗にする方を選ぶ。
なによりそんな間抜けな呼び方をするカエデも可愛いと笑いながら。
広い、お湯の溜まったソレ。
湯を沸かすのはとても大変で、こんなカエデが両手を広げても全然足りないぐらいの広さの湯の張られた湯船を見て、カエデはロキに手を引かれながら困った表情を浮かべた。
「カエデたんどしたん?」
「お湯、こんなに……」
「んー? あぁ、皆で入れたら気持ちええやろ? せやからお風呂はでっかく大きく作ったんよー」
ロキの趣味と実益を兼ねて作られた浴槽は同時に50人入っても余裕なほど大きく作られている。
団員といちゃいちゃできるし、セクハラもできる。見放題とくればそうするほかない。
「いえ、湯を用意するの、大変でなかったかと」
恐縮しきりのカエデを見て、ロキはカエデが勘違いしている事に察しがついて笑う。
「カエデたんは田舎出身やったか。せやったら知らんでもしょうがないか。
「そんな道具があるのですか、便利ですね」
「せやろー、カエデたんそこ座ってーな。ウチが洗ったるでー」
手をわきわきと怪しく動かしながらカエデを座らせ、シャワーのノズルを掴み湯を出して湯加減を確かめる。
カエデは物珍しげにそれを見ながらも大人しくしている。
下手に動けば汚してしまうと萎縮しているのだろう。もしくは神にこんな事をさせているのに恐縮しているのか? どちらにせよロキはスキンシップもかねてカエデを洗う事は決定事項なので気にしないのだが。
「かけるでー、目瞑っててなー」
湯でさっと汚れを流してみるが、泥汚れはある程度落ちるものの、やはりほとんどの汚れは湯だけでは落ちそうにない。
「んー、たっぷり泡立てて洗うかー」
「私も手伝おうか?」
石鹸を手にとった所で、ティオナがロキの横に顔を出した。
「お、えぇやん。ティオナたんは髪を頼むわ、うちは体を「ロキ?」……冗談やて」
ティオナと反対側からティオネが顔をだし、ロキを睨む。
ロキは手をあげて降参を示すと、ティオナがロキの手から石鹸をすっと抜き取ると、泡立ててカエデの髪を洗い始める。
「うわー……泡が真っ黒」
「ほんとねぇ」
「…………」
「カエデたんは動かんといてーな。耳に入ったりしたらあかんしなー」
カエデが泡に包まれているのを見て、ティオナとティオネが顔を顰める。
汚れ具合を示すかの様に泡は真っ黒になった。
ティオネはティオナから石鹸を受け取ると、尻尾の方へ手を伸ばした。
「っ!」
「じっとしてなさいよ」
「ティオネ、尻尾は優しくしたってえな……」
尻尾を掴まれ、カエデが跳ね、泡が散る。
ティオネが優しく尻尾を洗い始め、ロキはカエデの腕を洗う。
「細い腕やなぁ」
「ロキは変な事したら殴るわ」
「変な事されたら言ってね」
「そんなー」
わいわいしながらも、洗っていくが、カエデが黒い泡に包まれているのを見て、三人は口を開いた。
「これはなあ」
「本当に汚いわね……」
「これ、一回で落ちるのかな」
オラリオ製の物はどれも他では見られない程優れた物が多い。
そんなオラリオ製の石鹸や洗剤は他の場所で得られるものよりもなお優れているのだが、それでも一度で汚れが落ち切るとは思えない。
「まあ、何度か洗えばええやろ。お湯かけるでー」
ロキはシャワーを出して泡を流していくと、泡に隠れて見えなかった姿が露わになっていく。
若干灰色になった姿を見て、もう一度泡立てて汚れを落としていく。
予想通り一度で落ち切らなかったらしく、二度目は一度目程でないにしろ泡は灰色に染まった。
三度繰り返し泡を洗い落とせば、本来の色を取り戻した髪色がロキ達の前に現れた。
「めっちゃ白いやん」
「うわ、白い」「え? 白?」
黒い泡が流れ、露わになった髪の色は白
白髪と言うよりは色素が抜け落ちた白色
汚れていた肌の色も、白と言うよりは透明
透ける肌は血色が悪く、不健康そうな印象を受ける
「……もう良いですか?」
目元も隠れるぐらいに伸び放題な髪が体に張り付いており、それを手でのけながらカエデがロキを振り返った。
真っ赤な、ではない濁った血の色をした目
目の下に薄らと見える隈
痩せこけていると言う程ではなく痩せ気味程度で済んでいる
「これはー」
色素が抜け落ちる遺伝子異常によって発生する病気。
忌子と言われ、処分されることもあるソレはロキにとってもそれなりに見た事がある病状であった。
納得。
医神ですらないロキにわかる範囲で言える事は少ない。
疲労感が漂っているが強い意思でそれを打ち消している。そんな目を見て、健康状態の悪さに察しもついた。
色素が
要するに栄養が偏って血が不足して血が汚れている。
血色が悪く見えるのもソレが原因
「んー……まずは療養か」
「……?」
「なんでもないでー、んじゃお風呂いこかー」
首を傾げるカエデをロキは誤魔化しながら手を引いて立ち上がった。
「私達は体を洗ってるわ」
「じゃあねー」
「ティオネたんとティオナたん、二人ともありがとなー」
「ありがとうございます」
「どういたしましてー」「なんでこんなに汚れてたのよ」
礼を言ったロキに合わせ、カエデも頭を下げて礼を言う。
頭を下げた拍子に髪が目にかかり、それを手で直すカエデ。
「えっと、一か月程歩き続けてましたので」
「一か月? 凄いね」
「一か月間水浴びもせずに? よくやるわね」
一か月間歩き詰め。
ロキの思った以上に体力はあるらしい。
基礎体力が低い訳ではない。模擬戦の動きからもそう筋力が落ちている訳でもない。異常らしい異常はその疲労からくる血色の悪さだけ。療養をとらせ、ファルナを与えれば十二分にいけそうである。
其の為にはまず療養をとらせる事だ。
湯船に並んで浸かりながら、ロキは頷く。
「そんなに頑張ってオラリオに来たんかぁ、せやったらまずは休息やな。しっかり体休めなあかんでー」
「いえ、必要ないです。
「あー……」
止まる気は無いらしい。
まぁ、当然かと理解しながらも、カエデの前に回り込んでロキはカエデの目を覗き込む。
「カエデたん疲れとるやろ? まずは疲れとらなアカンで」
「いえ、まだいけます」
『
だがロキはこれを許す訳にはいかない。途中で潰れかねない。
「途中で倒れてまうやろ? まずはしっかり体を休めなあかん」
「でも……」
その言葉を否定しようとして、カエデはふと剣を折った事を思い出した。
『己が身の調子を顧みれぬ者が剣を語るな間抜けめ、じゃから剣を折るなんぞしでかすんじゃ』
成程、正に師の言う通りである。
『昼間、模擬戦で無様を晒しておきながら、重ねて晒す気か?』
心の中の師が自分にそう語って見せる。
無様だろうが惨めだろうが走り続けると心の中の師に吼えれば、拳骨と共に言葉が返ってくる。
『次にオヌシが晒すのは屍じゃ阿呆』
師なら、きっとそう言う。
ついでに思い出した拳骨の痛みに、頭に手を当ててカエデは頷いた。
「いえ、すいませんでした、しっかり休みます」
ロキの言葉に反論しようとしたカエデは一瞬考えてから頷いた。
「おー……素直やな。もっと反論するかと思ったで」
「休息の大切さは師も語ってましたので」
意外なほどに素直な反応に、思った事を口にしたロキに対し、カエデは唐突に自分の頭に手を当てて俯きがちに口を開いた。
耳も尻尾も垂れ下がりしょんぼりしている様に見える。
「どしたん? 頭痛むんか?」
「いえ、師の拳骨を思い出しまして……とても、痛かったので」
なるほど、カエデ・ハバリの師と言う人物は情け容赦ない人物だったらしい。
とはいえ、カエデの身振りを鑑みるにカエデの師と言う人物は間違った事を教えたり等はしていない様子だ。
「あーなるほどなー、拳骨は痛いもんなあ」
ロキも、リヴェリアの拳骨の味を思い出して眉を寄せる。
ロキが拳骨をプレゼントされるのが半分、いや八割…………九割九分九厘、ロキが悪いのだが。
肩までしっかりと湯につかり、湯船の中から洗い場でじゃれあってるティオナとティオネを見てから、カエデ・ハバリの予定をロキなりに考えて纏める。
まずは一週間程の休養
ついでに休養中に武具や必要な道具類を揃える
それからファルナを授ける
あとはカエデ本人の頑張り次第と言った所か
カエデ・ハバリが歩む道筋を大さっぱに描いたロキは似合わぬ慈悲の笑みを浮かべカエデを見る。
「うん、カエデたんしっかり頑張ってーな」
「はい」
力強く頷くカエデ。
濡れてべったりと張り付いた髪が頷いた拍子に目にかかる。
「……まずお風呂出たら、その伸び放題の髪の毛、整えよっか」
「……はい」