生命の唄~Beast Roar~ 作:一本歯下駄
誰よりも強い剣の師でもある父上が居て
最強の妖術師の母上が居て
共に研鑽を積む姉上が居て
そして、少女が居た
幸せだった
とっても、とっても幸せだった
【ロキ・ファミリア】の大浴場の片隅で、膝を抱えて小さく丸まって湯船に浸かっている白毛の狼人の少女を眺めるジョゼットは深々と溜息を吐いた。
リヴェリア様より仰せつかった命
『カエデ・ハバリに同行し、重傷を負う事等になりそうな場合に援護に入る事』を守れなかった。
あの時、ジョゼットはカエデの能力を正しく評価できていた。
ゴブリンやコボルト、ダンジョンリザードだけではなく、『新米殺し』の名で知られるキラーアントですら問題皆無で殲滅していた。
流石に上層の『
だが上層五階層に出現するモンスター群相手には、それこそ『
結果として他の冒険者が上層に連れ込んだ中層における厄介なモンスターでもあるヘルハウンドの火炎放射によってカエデは重度の火傷と言う大怪我を負ってしまった。
フィンが一応と言う形で所持していた
リヴェリア様からの信頼を裏切った。何とも情けない。
悔しさもある。だがそれ以上に新人の狼人には申し訳ない事をしたと思う。
中層のモンスターの中で死亡率の高さで言えばヘルハウンドは非常に高い。
火炎放射は対策を行わなければほぼ確実に死ぬと言われている程、危険なモンスターだ。
そのヘルハウンドの火炎放射をその身に受けてなお生存しているのは運が良いだけでは無い。
あの時、カエデはあの一瞬でヘルハウンドの火炎放射攻撃の予備動作を読み取った。
その上……ヘルハウンドから距離をとろうと後ろに下がるのではなく前に進む事を選択した。
もし、カエデではなく他の新米冒険者だったら、モンスターから距離をとろうと後ろに下がっただろう。
だが、カエデは後退ではなく前進を選択した。
カエデが接敵したヘルハウンドとの彼我の距離はおおよそ五
距離をとろうと後ろに下がるとどうなるか?
ヘルハウンドの火炎放射は、意外と射程距離が長い。数
あの時、通路での戦闘だったため、左右に広がる事も無く、攻撃範囲はもっと広がっていた事だろう。
そうなれば後ろに下がって距離をとろうとした場合、十
とはいえ、
それを、水とポーション、モンスターの血を利用して、文字通り『焼け石に水』の対策を行った上でモンスター、ゴブリンの体を盾のように扱って炎の直撃を回避した。
あの一瞬でそれだけの判断が出来る冒険者が他に居るのか?
ダンジョンの入口『始まりの道』にて出会った冒険者の事を馬鹿にできない。
新人が大怪我を負う様な間抜けな者達の事を内心小馬鹿にしていたが、自分も同じ様な失態を犯している。
誇り高きエルフの射手の中でも、最も優れた射手としての腕前を持っていると自負していた自尊心を大きく傷つける形になった。
この件に関してはリヴェリア様も、団長も、そして主神のロキも揃ってジョゼットに非は無いと口にした。
【
中層のモンスターが上層に居る事を予測しろ等、無理だ。
他の冒険者の失態で上層に中層のモンスターが入り込む事は殆どない。とはいえ絶対に無い訳ではない。
だが、それを予測するのは不可能だ。
だからこそ、皆、そして重傷を負う事になったカエデ本人ですら「仕方が無かった」とジョゼットを責める事は無かった。
しかしだからと言って、ジョゼットは自分自身を赦す事は出来なかった。
『迷宮では何が起こるかわからない』
それはギルドが冒険者に教える言葉。
それは先達の冒険者が、後進の冒険者に対して教える言葉。
【魔弓の射手】ジョゼット・ミザンナと言う冒険者は
無名、カエデ・ハバリと言う冒険者は
ならば、ジョゼットはカエデ以上に『何が起こるかわからない』と言う事を知っているはずだったのに、ソレを忘れていた。
ソレで自分が死んだり、痛い目を見るのは別に構わないが、新米が死んだり痛い目を見るのはダメだ。
何のために自分がカエデに同行したのか分らなくなってしまうから……
カエデは湯船に映る自分の姿を見ながら、反省していた。
あの時、自身は慢心していた。
その言葉を忘れぬ様に動いていた積りだった。
セオロの密林のモンスターとの戦いのさ中、カエデは油断や慢心を抱く事は無かった。
もし油断したり慢心したりしていれば師の拳が容赦なくカエデを打ち据えていた。
カエデの能力も低く、対してモンスターは非常に強力だった。
だからこそ油断も慢心もしなかった。
目を閉じて、意識を自分の内側に沈めて、冷静に、冷徹に、自分に対して評価を下す。
己が評し、己自身に下される評価は『愚か者』と言うモノ。
森の中では神経を集中させなくてはモンスターを見逃す事すらあった。
だが、ファルナによって向上した五感はまるで手に取る様にカエデにモンスターの事を教えてくれた。
その身体はまるで羽根の様に軽く、踏み出す一歩は恐ろしく早く、繰り出す一閃は瞬きの間に敵を屠り、斬り捨てる感触はまるで草木を薙ぎ払うかの様で……
詰る所、上がった五感や身体能力を過信していた。
最後、三匹のゴブリンを確認した時、不思議に思ったはずだ。
『見つかっていないはずなのに、ゴブリンが不自然な行動をとって居る事』に
なのに、ワタシは余裕で倒せると、碌に確認もせずに突撃すると言う軽率な行動をした。
結果が中層のモンスター、ヘルハウンドと至近距離で接敵してしまった。
ちゃんと警戒していれば、あのゴブリンがヘルハウンドと言う脅威から逃走しようとしていた事ぐらい正しく認識できたはずなのに、出来なかった。
今回、自分がなんとか生きているのは中層のモンスターの情報を事前にリヴェリアに教わっていた事が大きい。
もしヘルハウンドの知識が無ければ……
口元から漏れ出る火から、火属性の攻撃を繰り出す事は予測できただろうが、様子見の為に後ろに下がろうとしただろう。結果は言うまでも無く焼け死ぬ。
ただ前に進むだけでなく、水やポーション、ゴブリンの血やゴブリンの体、全ての要素が揃って初めて生存を可能にした。
そもそも、油断していなければあの瀕死に至る重傷にならなかったはずなのに、油断や慢心が無様な結果を生んだ。
師にこの事を知られたらどんな反応をするか……
…………思いっきり殴られて罵倒される気がする。
ただ、師はこう言うだろう。
『
今回の失敗で命を落とす事は無かった。だからこそ次がある。
そして同じ失敗をしない様にする事こそが最も重要な事だ。
……正直、言えば。
あの炎を見た時。ワタシは死んだと思った。
それでも体が勝手に動いた。
あの時、炎を抜けてヘルハウンドを斬り捨てた後、全身を焼かれ、意識が朦朧としているさ中、師が何時か語った言葉が脳裏を過った。
『ワシは記憶を失っておるが、記憶を失って尚、
『戦場を駆ける中で、
『
モンスターの血に染まった刀を片手に、師はもの哀しげに語った。
確か、モンスターから攻撃を受けて軽い打撲を負った際に言われた言葉だ。
そうだ、師はワタシが共にモンスターに刃向ける事を望んでいなかった。
『出来うるならば、オヌシは小屋で大人しく帰りを待っていて欲しいが……もしオヌシの望みがワシと共に戦場に身を置く事ならば、ワシはオヌシが死なぬ様に最大限手を尽くそう。もし泣き言を漏らすのなら、オヌシは小屋で待て、泣き言を飲み込み、戦場に身を置くなら……死ぬな、生きろ、心の臓が音を止めるその瞬間まで……ワシを置いて逝かんでくれ、誰かが死ぬ風景は見飽きたんじゃ』
ワタシが望むのなら、万敵斬り捨てる剣技を授けよう。
ワタシが望むのなら、危機を払い退ける武技を授けよう。
ワタシが望むのなら、戦場に於ける心得を授けよう。
師が、ワタシに教えた全ては、ワタシを
ソレを一時、ほんの一瞬忘れてしまった事を恥じよう。
同じ失態をしてなるものか
【
零れた酒が盛大に服を汚していくが、元々
むしろ
「あぁ……こりゃヤバイさネ……手がかり発見……でき…………無かった。皆殺しさネ。……いや……アチキは悪く無いさネ。こいつら…………話しかけたら…………武器向けたさネ。武器…………アチキに武器を……向けてきた……」
誰に対してでもない言い訳を漏らしながら、足元に転がったソレを踏み潰す。
何度も、何度も、何度も、執拗に、原型を留めぬほどにぐちゃぐちゃになったソレを苛立たしげに睨み、唾を吐きかける。
辺り一面に飛び散った
「あー、糞っ……何で知らないさネ……次の奴らは何処に居るさネ」
ホオヅキは情報収集の為に立ち寄った洞穴でとある集団に接触した。
簡単に言えば脱走した冒険者。
冒険者くずれの集団だ。
オラリオで犯罪行為に手を染めてギルドから指名手配されてしまった愚かな冒険者達。
主神に背いて逃げ出して、
一度でも
そういった者達がオラリオの外で追剥や盗賊行為を行えば普通の商人では太刀打ちも出来ないし、オラリオの冒険者でもない限りそこらの傭兵程度では追い払う事もできない。
本来ならそう言った冒険者くずれの者達はギルドが各ファミリアに依頼を出して討滅する事になっているのだが、最近あった『二十七階層の悲劇』や『アストレア・ファミリアの壊滅』等の影響で外に逃げた冒険者くずれに対する対応が遅れているのだ。
結果的にオラリオの外には現在『冒険者くずれ』が複数集まってできた盗賊団が複数存在する。
とは言えカエデとヒヅチを連れ去る事が出来る程の実力者はその盗賊団には存在しない。
少なくとも一級冒険者として名を馳せた自分を軽く捻れる程度の実力を持つヒヅチを相手にたかが冒険者くずれが叶う訳がない。
だからこそ、犯人は冒険者くずれではなく別の集団だと当たりをつけていた。
そして、神ロキから『イシュタル・ファミリアが起こした騒動』によってオラリオの外に追放された複数のファミリアが存在すると言う情報を得た。
ほぼ間違いない。イシュタル・ファミリアが目障りな他のファミリアを『二十七階層の悲劇』に乗じてオラリオの外に追放すると言う事をしでかしていたらしい。
【ミューズ・ファミリア】も追放を目論んだ様子だが、度重なる【
そして、その追放されたファミリアの中には
モンスターの牙を片っ端から折る事で無力化すると言う能力に特化していたらしく、モンスターの牙以外にも
ヒヅチ・ハバリと言う剣士は、無手戦闘がもっぱら苦手だった。
剣を持ったヒヅチに勝てる気がしなかったが、ヒヅチから一度だけもぎ取った勝利があった。
剣を持たずに水浴びをしていたヒヅチに強襲をしかけたら、あっけなく勝利できたのだ。
その後、話を聞けば『無手は苦手じゃ……オヌシが刀剣を持っておったのなら奪えば良かったが、相手も無手、此方も無手だとワシは手も足もでん』と言っていた。
かの【
自分よりもレベルが一つ下とはいえ、ヒヅチから剣を奪い去ればヒヅチは何もできなくなる。
ある程度の抵抗は出来るだろうが、剣を持つヒヅチと剣を持たないヒヅチでは全く違う。
ホオヅキをもってしてもオラリオで最高の剣技を誇る等と謳われている【剣姫】なんて鼻で笑うレベルの技術を持つヒヅチだが、大きな欠点として剣や槍、武装を持たない場合はそんなに強くない。
だからその【
追放されたファミリアが何処に居るのか分らなかった。
探索系ファミリア最大を誇る【ロキ・ファミリア】の主神ロキは天界では悪神と知られており、数多の情報を掴むルートを確立していた。
その神ロキの持つ情報のルートにはある欠点が存在した。
オラリオ内部の情報なら殆どを掴めるが、逆にオラリオの外となると殆ど情報が無くなると言う点。
基本的に神々はオラリオ内部で全ての事が完結する為、オラリオの外に目を向ける事は殆ど無い。
『ラキア王国』からの進軍には注意していてもオラリオの外に追放されたファミリアに関しての情報は殆ど無かった。
要するに『追放された』と言う情報は手に入っても『どこに行った』かまでは知らなかった。
手詰まりと言えるこの状況、ホオヅキは大雑把な予測で動く事にした。
と言ってもほぼ確信を持って言える事だが。
追放されたファミリアの主神は元々【イシュタル・ファミリア】の主神イシュタルと険悪な仲だった。
そんな険悪な仲だった相手に追い出されたファミリアの主神がどういう行動をとるか予測すればいい。
ほぼ間違いなく報復を望む。
だが其の為にはオラリオに舞い戻る必要がある。
そして舞い戻ったとしても規模がそこそこ大きい【イシュタル・ファミリア】に報復するのは非常に難しい。
まず舞い戻る為にギルドが課した罰金を返す必要がある。
そして追放される際に失われた戦力をどうにかして取り戻す必要がある。
ホオヅキの予測では
珍しい種族の
そして戦力、此方はそこらに散らばっている元冒険者の冒険者くずれに声をかけていると予測した。
元冒険者と言うだけあって、元々はオラリオで
オラリオの外で雑魚を相手にしている所為で本来の実力から劣るとはいえ、新人をかき集めるよりは戦闘経験もステイタスもある元冒険者に声をかけた方が確率が高い。
それに元々自分の所属していたファミリアを裏切ってオラリオから逃げ出す羽目になった者達もオラリオに返り咲く事を望んでいるだろう。
だからこそ、ここら辺で噂になっている盗賊団を片っ端から訪ねたのに、こいつ等ときたらホオヅキが自己紹介をした途端に武器を向けてきたのだ。
「アチキは【
そう声をかければ皆一様に揃いも揃って慌てて武器を向けて「ころせー」だの「にがすなー」だのと叫びながら向かってくるのだ。
もっとも、ホオヅキがもう少し冷静なら自分の行動が軽率だと気付くだろうが、残念な事に
もし、ギルドから指名手配されている冒険者なら、そこに現役の冒険者が訪ねてくる事が何を意味するのか。
ギルドからの討滅依頼を受けて来たと勘違いするに決まっている。
ましては【
敵対する相手ファミリアの団員を一人残らず
無論、当時のホオヅキの行動は何も間違ってはいない。敵対したファミリアも当時の【ソーマ・ファミリア】の団員を迷宮内で直接殺す等と言った事を行っていた。
とはいえ、ソレに対する報復がファミリアの団員を一人残らず
ホオヅキに団員を皆殺しにされたファミリアは喧嘩を売る相手を間違えただけである。
そしてそんなホオヅキの名はオラリオを追放された冒険者くずれの間で有名である。
現在、ホオヅキは【ソーマ・ファミリア】から距離をとって本拠に帰る事もせずにふらふらしている。
迷宮にも潜らずあっちへふらふらこっちへふらふらと好き勝手行動しているホオヅキは普段はオラリオの外で珍しいお酒等を仕入れてオラリオ内部の神々相手に売り卸す事で収入を得ていた。
オラリオで手に入らない物は無い。と言われているが実際には手に入らない物は結構存在する。
例えば辺境の村でひっそりと作られているお酒等と言った、商業ルートに流されない商品だ。
そう言った通常のルートでは手に入らない珍しい・希少な酒を仕入れて売る事で収入を得ているが、ホオヅキ自身も酒好きな為、仕入れた商品を飲みつくしてしまう事も珍しくなく、珍しかったり希少だったりしてもおいしく無くて売れなかったり等、商売のみでは収入が安定しない。
なら迷宮でと言いたいが、とある理由から迷宮に潜る事はしなくなったホオヅキはギルドが発行するオラリオの外の依頼を片付ける事で足りない分の収入を得ていた。
ギルドが発行しているオラリオ外の任務はオラリオの冒険者達は罰則としてとらえられている。
オラリオの外のモンスターは弱くまともな
収入も討伐証を持ってきても魔石の半額以下、敵が弱いのも相まって依頼料も微々たるモノ。
その上で迷宮と違い討伐対象のモンスターを探して回るのもかなり時間がかかる。
面倒なだけの依頼は、冒険者にとって罰則に近い。
実際オラリオで冒険者が何かしらの軽い違反を犯した場合、オラリオ外の任務を強制的に受託させられる事が有り、そうでもなければオラリオ外の任務に赴く冒険者等居ない。
結果として溜まりに溜まっていた依頼をホオヅキが片っ端から片付けていたのだ。
無論だが、その中には『冒険者くずれの討伐依頼』も数多交じっており、ホオヅキは容赦無く冒険者くずれを屠ってきていた。
結果として『冒険者くずれ狩りのホオヅキ』として冒険者くずれから恐れられていたが、ホオヅキにその自覚は無い。
ホオヅキにしてみれば収入を得る為に
そう言った事情から、訪ねてこられた元冒険者の冒険者くずれ達はどうにかしてホオヅキから逃れようと手に武器を持つ。
そして話し合いに来たのに武器を持たれたホオヅキは武器を手にしている以上、敵対していると判断して
無論だが、仲間が殺される事で戦意喪失して武装解除する者も少なからず存在した。
そう言った者から話を聞いたのだが、どいつもこいつも知らないと口にするばかり。
本当に知らないのか確かめる意味も兼ねて両足を踏み潰したり、腕を捩じ切ったり、目玉を抉り取って見たりしても「知らない助けてくれ」と泣き叫ぶばかり。
最後の一人の頭を叩き割って脳を引きずり出してその脳に向かって聞いてみる。
「本当に知らないさネ?」
無論だが、返事は無いし、そもそも返事なんて期待していない。
興味を失って、ぽいっと軽い動作で引きずり出した脳を近くの篝火に投げ込んでから、辺りを見回す。
「次の所に行くさネ。ここの奴等は役に立たなかったさネ。情報を持ってないとか糞の役にも立たない奴等さネ」
吐き捨ててから、足元に転がっていた死体を蹴飛ばして道を作る。
ここには三十人近く群がっていたが、誰一人欲しい情報を持っていなかった。
山積みになった死体が邪魔で仕方ない。洞穴を根城にしていた所為か血と臓物の臭いで空気が淀み不愉快な気分になる。
『酒乱の盃』で酒を浴びる様に飲んで、呟く。
「二人とも待ってるさネ。アチキが助けに行くさネ」
偽りの名を冠し、狂気に彩られ、群れ無くした群狼の主は、ただ求むるままに意味の無い言葉を呟く。
その呟きを聞き届けるモノはソコには居ない。
~花言葉~
『