生命の唄~Beast Roar~ 作:一本歯下駄
【ロキ・ファミリア】本拠、明かりが消え薄暗い廊下をとぼとぼと歩くラウル・ノールドの姿があった。
「ふぁあぁぁ……ロキも酷いッスよ……」
魔石を使い光を放つランタンを片手に、欠伸と愚痴を零す。
時刻は真夜中、そろそろ眠気が限界に近い。
何故こんな時間に起きているのかと言えば、昼間に【ヘファイストス・ファミリア】にて新人の武具を揃える際にロキを怒らせる事をしたからである。
ラウル自身には特に身に覚えがある訳では無いのに、怒られるのは理不尽だと訴えてみたものの、ロキは取りつく島も無くラウルに夜間の警邏を言い渡した。
【ロキ・ファミリア】は急激に大きくなったファミリアであり、【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】が壊滅した直後から急激に大きくなった。
元々、神ロキは天界で疎まれていた神でもあったためか、下界で急激にファミリアを大きくした事に嫉妬する神も数多く、時折ではあるものの他ファミリアから襲撃を受ける事もあった。
主に襲撃を受けるのは
その辺りの事情から、昼夜問わず必ず門番を二人、昼間は
本来なら今日の夜間警邏はラウルの仕事ではなかったのだが、昼間にロキを怒らせた所為か嫌がらせの為にかラウルに夜間警邏を命じた。しかも主神命令としてである。
明日はガレスが直接鍛錬をつけてくれる週に一日ある大事な日なのに……
「運が無いッス」
昼間、あんな所で欠伸交じりに歩いていた所為で……いや、特に用事も無かったしカエデちゃん可愛かったから別に良いんッスけど……しかし、不気味ッスね。
夜の本拠は言いたくは無いが不気味である。
昼間は活気があふれ、ロキのセクハラで悲鳴が聞こえたり、セクハラのお礼を貰ったロキのうめき声が聞こえたり、鍛錬所から剣の打ち合いの音が聞こえたり、ベートさんの怒声が響いていたり、ティオネさんの団長コールが聞こえたり、とにもかくにも騒がしいファミリアであるが故に、夜間の静けさはいっそ不気味さすら感じさせる。
「……誰も居ないッスよね?」
不安からか、独り言を呟きながらラウルはすっと後ろを振り返る。
他にも何人か警邏を行っている団員が居るはずだが、先程から姿を見ない。
いや、巡回ルートが不自然に交差しない様にしてるので当たり前なのだが……
そんな風に考え事をしていると、足音が聞こえた。
「………………」
ラウルはすっと息を殺して腰の剣に手をかける。
聞こえた方向はちょうどラウルが進んでいく道の先、鍛錬所に通じている廊下。
じーっと睨み、警戒していると、曲がり角からすっと白い影が現れ、ラウルは目を見開いた。
「……カエデちゃん?」
「……? あ、ラウルさん、こんばんは」
「あー、こんばんはッス」
曲がり角を曲がってラウルの姿を認め、首を傾げた白い姿。白いウェアウルフのカエデはデフォルメされた犬の絵柄のパジャマに、剣を背負っていた。
「こんな時間に何をしてるんスか?」
剣から手を離し、ラウルは出来る限りにこやかに話しかける。
なーんか、カエデちゃん脅えてる風に見えるんスよね。笑顔で話しかけるとそうでもないッスけど……
と言うか、こんな時間に何をしてるんスか……トイレ? 女子専用の棟にトイレぐらいあるッスよね?
「あー……ちょっと眠れなかったので、素振りでもしようかなと」
深夜と言っていい時間帯に鍛錬所へ向かおうとしていたのか……
無警戒にラウルに近づいてきたカエデの姿に若干ラウルは苦笑を浮かべる。
「リヴェリア様に怒られるッスよ?」
「……ごめんなさい」
「いや、別にチクったりはしないッスから、安心すると良いッス」
別にカエデに恨みがある訳でも無し。武具をヘファイストス様直々に無料で渡されている事に思う所が無いわけでは無いが、それに見合うだけの技能を持っていたし、ラウルがとやかく言う事ではない。
ロキに他の団員には黙っている様にと口止めもされているし……
しかし、ここでカエデと別れても良いものか……
「カエデちゃんどうするッスか?」
「……? どうする?」
「部屋に戻るッスか?」
「…………」
困った様に眉を顰めた姿に、同じ様に眉を顰めて曖昧に笑う。
「鍛錬所は行かない方が良いッス。あそこは色んな場所から丸見えッスから下手すると他の
「そうなんですか……どうしましょう」
眠れない……眠れないねぇ……とりあえずこのまま部屋に帰してももやもやするし、ちょっとアレをするッスかね
「んー……よし、カエデちゃん、付いてくると良いッスよ」
「……?」
不思議そうに首を傾げるカエデに笑いかけてから、ラウルは歩き出す。
歩き出したラウルを不思議そうに見てから、カエデもラウルを追いかけた。
「こっちッス」
「……食堂ですか?」
こそこそと、他の団員に見つからない様に食堂の扉を開けて中を確認する。
見た所、誰かが居る気配は無い。
「よし、良いッスね」
「?」
「入るッスよ」
「良いんですか?」
「良くないッスよ。見付かったらめっちゃ怒られるッス」
今からラウルが行う行為は、ファミリアの団員なら誰しもがやった事のある行為である。
常習犯は主にロキであり、リヴェリアに黙ってお酒をちょろまかしている。
要するに食糧泥棒である。
発覚すればけちょんけちょんになるまでガレスに殴られるのだが、ガレス自身も酒をちょろまかす事があるので見つかった相手次第で誤魔化しも利く。
利かないのは厨房を取り仕切っているコック達と、リヴェリア様だ。特にリヴェリア様に見つかるのはまずい。
お供のエルフ達に塵を見る目で見下されてしまう。
そんな事を考えながらも食堂のテーブルにカエデを待たせて手早く目的の物を作り上げる。
作るのはホットミルク。眠れない夜にはこれが一番……のはず。多分。
「できたッスよ」
「……ミルクですか?」
「そうッスよ」
にこやかに笑いながらカエデの前に温かいミルクの入ったコップを置けば、困った様にラウルを見上げた。
「良くないですよね?」
「そうッスね」
「…………」
なんとなく、カエデの性格的にただ渡しただけじゃ口をつけないのは分っていた。
ラウルは自分の分のミルクに口をつけて、ほっと一息。
「ふぅ、美味いッス」
「……ラウルさん?」
「ほら、カエデちゃんも飲むと良いッスよ。眠れない夜にはホットミルクが一番……って誰かが言ってたッス」
誰か……誰だっただろうか? 何故か満面の笑みを浮かべたロキがサムズアップをしている姿が脳裏を過った。
「…………」
「ラウルさん?」
「いや、なんでもないっす」
変なロキが脳裏を過った所為で一瞬動きを止めたラウルをいぶかしんだカエデに、ラウルは微笑みかける。
「ほら、どの道こんな夜中にふらふらしてたのをリヴェリア様に報告されたら怒られるし、飲んじゃえば良いんスよ。カエデちゃんの為に作ったし、飲んで貰えないと俺が困るッス」
「……ワタシの為ですか」
「そうッスよ」
自分も飲みたくなったのは嘘ではないが、カエデが眠れないと言っていたので作ろうと思ったのは本当だ。
「そうですか……」
そういうと、ようやくコップに手を伸ばして両手で包む様に持ち、少しずつ舐める様に飲み始めた。
「……甘いですね」
「ちょっと蜂蜜入れたんスよ……あ、これで共犯ッスから、誰にも言っちゃダメッスよ」
「え?」
驚いて顔をあげたカエデににっこり笑いかけてから、ラウルは残りのミルクに口をつける。
カエデが少し考えてから、自分が嵌められた事に気付いたのだろう。むぅとラウルを睨むが、ラウルはへらへらと笑ってごまかす。カエデは暫くしてから残ったミルクをちびちびと飲み始めた。
ある程度、量が減ってきた所で、気になった事をきりだしてみる。
「それで、眠れないって言ってたッスけど、なんかあったッスか? 悪夢でも見たッスか? リヴェリア様に説教される夢とか」
リヴェリアが聞いていたら激怒不可避である。目を細めて「なるほど、私の説教は悪夢に勝ると……なるほどな」そんな風に言いながら徐々に距離を詰めてくる。想像したら背筋が震えた。
「……ワタシは、生きる為にオラリオに来ました」
「おぉ、それは凄い決意で来たんスね。俺なんて冒険者かっこいいなーって適当な理由でオラリオに来たのに」
カエデの事についてはロキから聞いていた。
少ない寿命を延ばす為にランクアップを目指すという目的を持ってオラリオを訪れたと
「……でも」
「ん?」
「…………ロキ様や、リヴェリア様……皆、優しくて」
「そりゃ皆凄く優しいッスよ、俺なんかにも良くしてくれるし」
「……怖くなりました」
「?」
「生きるだけで良かったんですが、優しくて、怖いんです」
はて? 生きるだけで良かった? 優しいが怖い?
生憎と自分は頭が良くない。 カエデちゃんが何を言いたいのかさっぱりわからない。
「……んー、ちょっと良くわかんないんスけど。優しくされると怖いんスか?」
「あ、いえ、そういうわけでは無くて……えっと……」
「そんな慌てなくても良いッスよ」
「……違うんです、村に居た時と、何もかもが」
「村……村ッスか」
村、確か忌子がどうとか、ロキが言っていた。
ウェアウルフは強さを尊ぶ種族で、同族間同士、親子同士でも反りが合わないと殺し合いに発展する事もあるぐらいに過激な種族だと聞いた事がある。
ベートさんも自分より弱い人の言う事を聞く気は無いと常々宣言しているし。
だが、ベートさんはカエデちゃんを見下していただろうか? そんな事は無いと思うのだが……むしろ大分気を使っていた様な……?
「村に居た時は、何も考えなくて良かったんです……あ、モンスター討伐の時はもちろん色々考えてました。でも、村人とのやり取りや商人との取引は全部師が……ヒヅチがやってくれました」
村での出来事、ぽつりぽつりと語られる、どれもこれもにヒヅチ・ハバリと言うカエデの師の姿があった。
【ロキ・ファミリア】での出来事、どれもこれもロキが居て、リヴェリアが居て、他の誰かが居るのに、ヒヅチの姿が無くて、それなのに嬉しい、楽しいと感じて。皆優しくて、でも一番優しかったヒヅチが居なくて……
「ヒヅチの事……忘れちゃいそうなんです」
「ん……それは無いんじゃないッスかね?」
「……そうですか?」
「ん、そうッスよ。俺も自分が住んでた所の事、なんだかんだで忘れて無いッスし……」
ラウルが【ロキ・ファミリア】を訪れる以前は本当に目立たない、取り留めも無い様な記憶に残らない様な生活をおくっていた。【ロキ・ファミリア】の入団試験を受けた日、合格を言い渡され、入団し団員として活動を始めた頃。初めてのダンジョン、ランクアップに繋がった戦いの事、他にも色々。
ファミリアに入団する以前からは考えられない様な濃密な時間を過ごした。
けれども、【ロキ・ファミリア】に入団する以前の事を忘れた事なんて無い。
「……そんなものなんでしょうか」
「そうッスよ、何なら賭けても良いッスよ?」
「賭ける?」
「そうッス。カエデちゃんが忘れちゃったら俺が何でも言う事聞いてあげるッス」
「……逆に覚えてたら?」
「んー? じゃが丸くん奢ってくれればいいッス」
にへらと笑って見せる。
微妙そうな顔をしてから、カエデは頷く。
「わかりました。忘れたらじゃが丸くんです」
「それで良いッス。深く悩んでも仕方無いッス」
そう言ってほんの少し残ったミルクを飲み干す。
「……ラウルさんは」
「ん?」
「ラウルさんは冒険者になりたくてオラリオに来たんですか?」
「そうッスよ。カエデちゃんみたいに凄い目的があった訳じゃ無いッス」
カエデちゃんの様に、生きる為に、そんな崇高な目的は無かった。
アイズさんやベートさんみたいに強さを求めて来た訳でも無かった。
ガレスさんやリヴェリア様みたいな目的を持ってきた訳でも無い。
ただ、冒険者かっこいいな、そんな小さな憧れからオラリオを訪れた。
そんななんでもない自分が、強さを求め、目的の為に、ダンジョン攻略を掲げた……そんな最強に近いファミリアに居ても良いのかわからない。
「ワタシの目的、そんなに凄い事じゃないです」
「凄いッスよ」
断言できる。
「……でも、ラウルさんは二度も称賛されているんですよね?」
「? 二度? 何の話ッスかね? 称賛される事なんてした覚え無いッスけど」
「
一つは基礎アビリティ、力、耐久、俊敏、魔力、器用のいずれか一つをD以上にする事。
もう一つは……神々が認め、称賛するに値する偉業を成す事。
基礎アビリティを上昇させるには【
「……俺がランクアップできたのは、皆のおかげッスから」
【偉業の証】を手にした時、ラウル・ノールドは一人ではなかった。
信頼できる同期に入団した仲間と共に、偉業を成した。
「でも、ラウルさんが成した事ですよね?」
「違うッス、皆が居たからッス」
「……? でも、【偉業の証】は本人が手にする資格が無ければ得る事はできないんですよね?」
【偉業の証】、レベルを上げるのに必要なソレを得る為には、本人が成す必要がある。
たとえば、
だが
止めを刺せばランクアップできるかと言えばそうでもない。
例えば、上位冒険者に瀕死状態にしてもらって、瀕死のモンスターに下位冒険者が止めを刺す等をした場合等は、まったく【
それと同じで、
と言うかそんな事で【偉業の証】を得られるのなら今頃オラリオは駆け出し冒険者なんて居やしないのだ。
詰る所、ラウル・ノールドは
「だったら、ラウルさんは十分に凄い人だと思うんですが」
「…………そうかもしれないッスね。でも……」
一人じゃなかった。
仲間と一緒だった。
「……? 仲間と一緒だと何かダメなんですか?」
「皆が居たおかげでランクアップできただけで、俺は何も凄くないッス」
「なんでですか? 【偉業の証】を得るに値する偉業を成したからこそのランクアップですよね? 凄いからこそランクアップできたのに、凄くないんですか?」
…………皆にも、散々言われてきた。
ランクアップできたのなら、それは神々が認め、称賛するに値する偉業を成したからこそだと。
それも、誰でもない
どれだけ言葉を重ねられても、自分が凄いだなんて思えなかった。
劣等種族と侮られるパルゥムでありながら冒険者の中でも五本指に入る【
最高峰の魔道の知識を持ち、魔法使いの中では最強を冠する【
一二を争う力と耐久を誇り、ファミリアに於いて最強の盾となる【
最年少で最短ランクアップ記録を持つ【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン
自分よりも年下で、なのに確かな実力を持つ【
エルフなのに魔法が使えないと嘆いて居ながら装備魔法と言う
他にも、【ロキ・ファミリア】には数多くの優れた冒険者が多い……多すぎた。
他のファミリアであれば、きっと鼻高々になって威張り散らしていたのではないだろうか?
だが、【ロキ・ファミリア】ではあまりにも
【ロキ・ファミリア】への入団条件は
そんな噂が流れている。
実際、【ロキ・ファミリア】に入団する者達は
本来なら絶賛されてしかるべき
いや、少なくともラウル・ノールド自身がそう思ってしまっている。
【ロキ・ファミリア】に所属している以上、ラウル・ノールドがレベル3になるのは当たり前で、凄くも何ともないと……
「……よく、わかんないです」
「【ロキ・ファミリア】ではレベル3なんて当たり前ッスからねぇ」
きっと、
「でも、ワタシは凄いと思いますよ」
「……それはありがたいッスね」
「仲間が居たからできたのに、誇らしくないんですか?」
「全然思わないッスね。仲間が居なきゃ俺なんて何もできないッス」
そう、ラウル・ノールドなんて、【ロキ・ファミリア】が無ければただの凡夫に過ぎない。
「……? 仲間に失礼なのでは?」
「へ?」
「師が言ってました」
『ワシが居たおかげで剣の腕が上達したと言い自信の無さそうな素振りをするのは何故じゃ? 自力では辿り着けなかったから? 阿呆め、ならばより誇れ。ワシのおかげで優れた剣の腕を手にしたと、自分の力でもないのに誇れぬ等とほざくな、己ではなく、己を導き己を辿り着かせた誰かを誇り、己を誇れ』
「師が居たおかげでワタシは今の剣技を得られました。それを誇らないのは師に対する侮辱になると」
「……侮辱ッスか……」
仲間が居たおかげで、自分は凄くなんてない。けれども誇らないのは仲間に対する侮辱だと……
「だから、ラウルさんは誇って良いんだと思います。ワタシは師が居たからできた事ですけど、それでも誇りに思ってます」
ウェアウルフは誇りや矜持を大事にする。カエデもきっとそうなのだろう。
自分のではない、誰かの誇りや矜持を
「……そうッスか……自分じゃなくて、仲間の……」
ラウル・ノールド自身に誇れそうな部分なんて何もない。
けれども、苦楽を共にした、共に偉業を成してきた仲間達や【ロキ・ファミリア】の事は誇れる。むしろ誇りに思ってる。
今のラウル・ノールドがレベル3に成れたのは仲間や【ロキ・ファミリア】のおかげだ。
今の自分を誇らないのは、仲間や【ロキ・ファミリア】の事をどうでも良いと思ってると言う事になる。
今の自分を誇るのは、仲間や【ロキ・ファミリア】の事を誇る事に繋がる。
ならば、誇らなくてどうする
「…………そうッスね。
「それが正しいのかワタシには分りません。師もいずれわかる時が来ると言ってました。ワタシにはまだわかりませんが……」
真っ直ぐと見つめてくる赤い目に、心を射抜かれた気がした。
「……なんか、カエデちゃんの相談に乗ろうと思ってたのにいつの間にか俺の相談に乗って貰っちゃいましたね、ありがとうッス」
「いえ、ワタシも、ありがとうございます」
どちらともなしに頭を下げて笑い合う。
互いに飲み終わったコップを手に調理場の流しでしっかりと洗ってから食堂を出る。
「良いッスか? リヴェリア様には絶対秘密ッスよ?」
「はい」
「よし、二人だけの秘密ッス」
「わかりました。二人の秘密です」
にこりと笑い合い、こっそりと食堂を後にする。
「一応、送ってくッス」
「あ、はい。ありがとうございます」
「と言っても女子棟の入口までッスけどね。この時間に男の俺が女子棟に居たなんて知られたら……」
「知られたら?」
「……恐ろしい目に遭うッス」
「…………」