生命の唄~Beast Roar~ 作:一本歯下駄
死体の数も確認した。ぐちゃぐちゃに潰された死体は多分二人分
だとすると三人分足りない事になる。師と弟子の二人は間違いなく死体の中に無かった。
あと一人は義弟の娘、叔父の孫、村人の一人、三人の誰かの死体が足りない。
村は襲撃を受けたのだろうか? あの二人の事だから間違いなく抵抗したはずだ。
死体が無い。連れ去られた可能性もある。あの子の毛色は珍しいし、あの人は珍しい種族だから。
探さないといけない
その日の天気は快晴とは言えなかったけれど、雲が大目の晴れの日だった。
森の中、弓と矢を持ちながら、警戒姿勢で慎重に進んでいく。
普段なら木陰に隠れた小動物が時折走り回っていたりしているのに、今日はそれがない。
小鳥のさえずりも聞こえず、静寂に包まれた薄暗い森はいっそ不気味である。
でも、獲物を狩って来なければ文句を言われてしまう。
ゴブリンの大量発生で獲物を獲られなかった時等は酷かった。
村長の弟、スイセンと言う男は何かとヒヅチに文句を言う事が多かった。
「わざわざ村外れの小屋を貸してやってるんだ、最低限の仕事ぐらいしてもらわねば困るな」
「それとも恩義に応える主義と言うオマエの言い草はただの虚言だったのか?」
「剣の腕が立っても、理解力が劣るのならば剣の腕にも何の意味も無いな」
ヒヅチがゴブリン狩りで真面に獲物を村に納められなかった時、スイセンがわざわざ小屋を訪ねてきた。
「忌み子を認めてやってるんだから獲物を納めろ、出来ないなら始末しろッ!!」
「獲物を納めるのはついでじゃろうが、ワシの主だった仕事は
ヒヅチは片目を瞑り面倒臭そうに、苛立ちを表すように無造作に尻尾を一振りしてからニヤリと笑いそう言った。
「言うに事欠いてっ!」
「何を言うておる? 事実、主の
「ッ!!」
「ほれ、何か言いたい事があるのなら言ってみよ……まぁ、無いのなら一つだけ、ヌシに言っておく事がある。色事を終えたのなら体を清めよ、臭くて堪らん……他に言う事は何もない。もう良いかの?」
「余所者が余計な事を……貴様何ぞ居らずとも何の問題も無く「ほぅ? ワシが居らんでも村に問題は無いと?」……」
「ならば聞こう。先日のゴブリン、二百近く群がっておったが、ワシが居らねばどうなっておったんじゃ? 雑魚とはいえ」
「ツツジにやらせる。それぐらい出来るだろう。村を捨て神の下僕なんぞに成り下がった下郎にお似合いの仕事だ」
「……良い根性しとるのう、検閲等とほざいて手紙を全て破棄しておったのは知っているぞ?」
「貴様……それを伝えたらどうなるかわかっているのか?」
「ヌシこそわかっておるのかや? ツツジは強いぞ?」
「……チッ」
「ふん、まぁ良い。これ以上ヌシと話しておる暇は無い、さっさと去ね」
「待て、話は終わってないぞッ!!」
話の途中でヒヅチはスイセンの事を無視して森に足を向けた。カエデは森の木陰からその様子をずっと見ていた。
ヒヅチが森に入って姿が見えなくなった後も、スイセンは小屋の前で怒鳴り散らしていた。
「忌み子が村に疫病を齎したんだぞ」「白き禍が化け物を村に呼び込んでいる」そんな風に
なんとしてでも、獲物を狩って帰らねば……
ワタシは疫病なんて村に持ってきてない。
ワタシは化け物を呼び込んでなんていない。
だから獲物を持って帰る。そうすれば文句を言われないから……
運が良かった。小ぶりではあるが、兎を二羽、鳥を一羽仕留められた。本当ならその場で血抜きだけしておきたかったが、臭気でモンスターに気付かれるかもしれないので血抜きは諦める。
肉の質が落ちるが、獲物を仕留めた事に変わり無いのだ。
密かに心の中でよしと呟きながら獲物に刺さっていた矢を抜き、獲物を皮袋に入れて矢に付いた血を近くに生えていた臭い消しの効果のある薬草の葉で拭って血の匂いを誤魔化していると、嗅ぎ慣れない嫌な臭いを嗅ぎ取った。
血の付いたままの矢を遠くに投げ捨ててから、直ぐに木の陰に身を潜めながら周囲を探る。
「……? アレは……」
ふと見つけたのは、カエデの胴より太い木が引きちぎられていると言う信じられない光景だった。
耳を澄ませて周囲を索敵するが、恐ろしいぐらいの静寂に包まれている。
新しい矢を取り出して弓に番えておく。あの木を引きちぎる様な化け物相手に小弓では心もとない、無くても変わらない気がするが……
引く事はせずにそのまま警戒姿勢を解かずにゆっくりと薙ぎ倒された木々から離れようとした所で、モンスターの咆哮と人の叫び声が聞こえた。
『――――――――――――』
「――――――――――――」
「――――――――――ゴバッ!?」
「――――あああぁぁぁぁぁぁああ」
「――やられた!! 一度撤退するぞ!! 撤退だっ!!」
慌てて低木の根元に潜りこんで身を隠す。番えていた矢は誤って落としてしまった。
幾数人の怒鳴り声、何かがへしゃげる音、次の瞬間にはカエデの隠れた低木の直ぐ近くに金属の塊が飛んできた。先程、カエデが落とした矢が金属の塊に押し潰されるのを見た。あの場に留まっていたら自分が押し潰されていただろう。恐ろしい想像を振り払う。
ガシャンと音を立てて落ちてきたそれが何かを確かめるより前に、カエデは慎重に咆哮の聞こえた場所を窺う。
見えたのは信じられない程に太い腕、その腕で振るわれるカエデの胴なんぞよりはるかに太い木。
木の棒じゃない、木そのものをぶん回している。
そしてその木に吹っ飛ばされて森に消えていく銀色の鎧姿の人、それとガシャガシャと音を立てて逃げて行く一人の騎士、それに向かって木を投げ飛ばした巨大なモンスターは、体の至る所から出血しており、怪我をしていた。
投げられた木は逃げる騎士に当たる事は無く、他の木にぶち当たり、あたった木が斜めに傾いだ。
モンスターはもう一度咆哮をあげると、そのまま足を引きずる様に森の奥へ逃げて行く。
カエデは息を潜めて待つ。見付かったら間違いなく殺される。
相手が手負いで、弱っていたとしても、木を振り回す相手を小弓で相手取ろうと思えはしない。
暫くして、カエデはゆっくりと警戒を解かずに低木の下から這いずり出て、辺りを警戒する。
耳を澄ませると、直ぐ近くから咽ぶ音が聞こえた。
先程、カエデが落っことした矢を潰した金属の塊は、ひしゃげたフルプレートアーマーだった……。
隙間から血が流れ出ており、被った兜から咽ぶ声が聞こえた。
音を立てない様に近づいて、声をかける。
「大丈夫ですか?」
「助―て――れ」
なんて言っているのかは良く聞き取れなかった。
でも助けを求めている。それはわかった。
出血の状態から、治療は十二分に間に合う範囲だと思う。放置すれば失血死してしまうだろう。
鎧がひしゃげて呼吸を妨げている。このままだと失血死ではなく窒息死してしまう可能性もある。
「少し、待っててください」
ワタシは迷う事無く治療の為に鎧を外そうと手を伸ばした。
フルプレートアーマーなんて見たのは初めてだった。構造なんて知る訳も無い。
まずは最も出血の酷い箇所から取り掛かる。盾ごと腕がひしゃげていて、潰れたガントレットの隙間から多量の血が流れ出ていた。
腕に装着されていた大きな盾を苦労して外す。盾もひしゃげていたし、腕なんてめちゃくちゃになっていた。ガントレットは簡単に外せた。チェーンメイルの腕の部分と収まっていたはずの腕は完全に潰れていて、原型なんて留めて居なかった。
落ち着いてチェーンメイルの腕の部分を外して、布を当ててきつく包帯を巻き付けて止血してから、兜を外す。
中から出て来たのは灰色の髪の毛のヒューマンの男の人だった。
苦しそうに呻き、薄目を開けて此方を見たので、話しかける。
「大丈夫ですか?」
「…………」
吐血している訳ではない様子で、息に血の匂いは混じっていない。運が良い人だと思う。内臓にダメージが無い可能性もある。それなら助けられる。
「今、応急処置してます。鎧、脱がせます」
返事は出来ない様子だが、その人は軽く頷いた。
まだ意識がはっきりとしている。ならば急ぎ鎧を脱がせて村まで運べば十二分に間に合う。
応急処置を済ませて狼煙をあげる。後は師がなんとかしてくれるはずだ。
ひしゃげた鎧、完全に金属板に覆われた胴体の鎧、どうやって外すのか解らなかった。
手探りで外せそうな場所を探す。腰の鞘と帯剣用のベルトを外す、それから肩当を外して……胴鎧に手を伸ばした所で手を止める。
「えっと……留め具があって……外して……」
留め具の位置は直ぐに分った。吹き飛ばされた衝撃で留め具は外れて吹き飛んでいた。
「あれ……? なんで外れないの? どうして……」
留め具が壊れているのならもう外せるはずだ、なのに鎧を脱がせられなかった。
へしゃげた鎧は留め具に止められることも無く、がっちりと噛み合い、完全に固定されている様だった。
「……外せない」
ワタシでは非力過ぎて外す事は出来ない。
狼煙をあげて、師の到着を待つべきかもしれない。
内臓に被害が無いのなら多少は持つはずだ。
その人の顔を覗き込んでその事を伝えようとして――――吐血で汚れた口元と白目を剥いた顔を見た――――
「ッ!?!?」
吐血している。つまり内臓に損傷あり。そして白目、気絶。意識を失っている――呼吸は浅いが続いている――直ぐにでも医者に見せる必要がある。
このままだとこの人が死んでしまう。慌てて狼煙をあげる為に落ち葉をかき集めて燃え広がらない様に小さ目に穴を掘る。そこに落ち葉を放り込んで火打石で火を焚く。
すぐに火が出たのを確認して近くに生えていた煙の良く出る植物をナイフで裂いてほぐして放り込む。
狼煙がちゃんと上がったのを確認してからもう一度鎧に向きなおる。
師が着くまでどれくらいかかるのか不明だが、今すぐにでも鎧を脱がせないといけない。
ナイフを取り出して鎧の隙間に突き立てて鎧を引きはがそうとしてみた。
全力で引きはがそうと力を入れていたら、ナイフが折れて勢い余って後ろに吹っ飛んだ。
折れたナイフの柄を手に焦る。
このままだと死んでしまう。まだ呼吸してる。生きてる。助けなきゃ。
ナイフはそのまま放り捨てて矢を数本取り出して鎧の隙間にねじ込む。
そのまま矢を使って引きはがそうとするが、矢では無理だった。普通に折れた。
「矢じゃ無理、弓も……無理」
矢はそこそこ強度があったはずだが無理だった。弓はしなりはしても強度は高くない。
助けなきゃいけないのに、カエデの手持ちで唯一使えそうだったナイフを失った今、手が無い。
何か無いか、慌てて辺りを見回すと、その男の人から剥いだ剣の鞘が見えた。剣は納まっていない。
走り出す、剣が何処かに転がっているはずだ、何処かに……
走り出した先、別の鎧姿の人が倒れていた。兜の部分が変な風になっていた。木にぶつかった衝撃で曲がってしまったのか、変な方向を向いている。体はうつ伏せなのに、兜の顔の部分が空を仰いでいた。もしかして兜だけが――なんて考えて兜の隙間部分を覗き込んだら
腰の剣はそのままになっていたので、鞘から引き抜いて剣だけを貰う。
「剣、お借りします」
死者に何を言っても無駄だが、骸には敬意を払わねばならない。生前の所業は死ぬ事で精算される、故に骸に罪は無く、しかとした弔いをしなくてはいけない。
骸の弔いより生者の救助を優先すべきだから、今は野晒しにする他ない。
剣を持って先程の人の所へ、到着したらすぐに剣を鎧の隙間にひっかけて、力を込めるが……
ボキンッと、音を立てて剣が折れた。残った部分でもう一度、また折れた。三度目で使い物にならなくなった。
思っていた程、騎士の使っていた剣の質は良くなかった様子だった。
もう一本どこかにないか、もう一度走り出して探す。
見つからない、金属の匂いを頼ろうにも血の匂いが酷い。
苦労して見つけた剣はひしゃげて折れていた。
使い物にならない。
直ぐに男の人の所に戻った。戻った時には――――――息絶えていた。
死んでいる、それを確認してから、もう一度鎧を外そうと手をかけた。師が此方を見つけたのはちょうどその時だった。
師は何も語らず、骸になった二人の騎士を弔うから先に村に戻って獲物を村長の所に届けて来いと言った。
ワタシは師の指示に従い獲物を村長の所に届けた。
村長の家から真っ直ぐ小屋に帰ろうと足を向けたらスイセンが騎士を相手に話し込んでいるのが見えた。
「白き禍憑きにお気を付けを」
「白き……なんだそれは」
「災厄を運ぶ忌み子です。村外れの余所者が連れている子でして……出会うと碌な事にはならないでしょう」
「……ふむ、成程。気を付ける事にする。それよりも
「
「いや、オーガの反撃で怪我人が何人か出て危ない所だったのだが、
「……余所者の事ですな」
「そうか、ならば礼を言わねばならん。何処に居るか案内して貰っても?」
「騎士様、申し訳ないがお断りです。白き禍に遭うなんて御免被ります」
「……そうか、別の者を当たる事にしよう」
ワタシは見つからない様に遠回りして小屋に戻った。
師が帰ってきたのは日が暮れ始めた頃だった。
師は帰って早々に「血生臭い、水浴びに行くぞ」とカエデを担いで川へと運んだ。
問答無用で服を引っぺがされ、川に突き落とされた。
師も服を脱いで川に入ると、呆然としていたワタシにこう言った。
「気にするなとは言わん。じゃが囚われるな」
意味は分らなかった。
その後、小屋に戻ってから「騎士の連中が弔いの礼にとくれた」と干した果実のたっぷり詰った皮袋をくれた。
ワンコさんが時折売りに来る干した果実は、好物だった。
何時もなら嬉しいソレに、素直に喜べなかった。
助けられなかった、それももちろんある。
だけど、人を見捨てたり、助けられなかったりした事は他にもあった。
まだ
師が怪我人に対してしていた事を真似て、声をかけて意識の有無を確認して、包帯を巻いて傷を塞ぎ、それから体が冷えていたから焚火を焚いてその人を温めた。
呼吸もしてなくて、心臓も動いていないその人の傍で、目覚めるのを待っていた。
……その人は既に事切れていて、ワタシがやっていた事は全部無駄だったのだけれど……
他にも、モンスターに襲われている人を見捨てた事だってある。
五十匹近いゴブリンに囲まれて嬲り殺しにされている新米の退治屋の真似事をしていた少年たちが、助けてくれと叫んでいるのを聞きながら、その人たちを見捨てた。その時、ワタシは薬草採取の為に小ぶりのナイフしかもっていなくて、自分では何もできないと師を呼びに行った。
戻った時にはゴブリンに貪り食われた後で骨しか残っていなかった。
勿論、人が死ぬ事に慣れた訳じゃない。誰かが死んでいれば悲しい。
でも、その時のワタシは男の人が死んだ事よりも身を守る鎧の所為で人が死んだ事の方に衝撃を受けた。
金属板を使った、頑丈そうな鎧、装備していなかったら攻撃が当たった時点で即死だっただろう。
でも、装備していた所為で変に生き残って長く苦しんで死んだのだ。
もしそれが自分だったら?
怖くて堪らなかった。
ワンコさんがやって来たとき、ワンコさんは鎧に見惚れていたワタシの為にと胸当てとグリーブ、チェーンメイルを持ってきてくれた。わざわざワタシの体に合わせた物を、特注品だと言っていた。
ワタシはグリーブとチェーンメイルだけ貰った。値段は1200ヴァリスだった。
胸当ては装備できなかった。
師が呆れ顔をしていた。ワンコさんは次に来た時にレザーアーマーを用意しておくと言っていた。
申し訳なかった。
けれど金属製の胸当てを装備するのは嫌だった。
身を守ってくれる大事な物だと言うのはわかる。
それでも、嫌だった。あの死に方を見てしまってから、金属鎧だけはダメだった。