生命の唄~Beast Roar~   作:一本歯下駄

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『モールが発狂しちゃった』

『マジか、あの怪物なんやねん』

『神ですらゾワゾワするしね、あんなモノ、人の身じゃ耐えれないだろう』

『カエデが戦場に居るんやけど』

『僕の眷属もね、とはいえ近づけないし』

『あー……あ? なんや……って、ようやくウラノスが動いたんか』

『へぇ、ウラノスが……珍しいね』


『神罰』

 壊れ果てた武装が散らばる戦場。

 刃がぶつかり合い火花が弾け散る。

 片や瞬く間に数度の斬撃を放つ狼人の少女。真っ白い毛並みを激しく揺らし疾駆する小柄な体躯。手にした得物は手に余る程の大きさにも見える大刀。淡い輝きを宿した剣を以て、対峙した相手の魔法を叩き切り伏せる。魔法を無力化し、相手の倍の速度を以てしてなお、劣勢に立たされ続けていた。

 片や驚く程に動きのない狐人の女性。金色の毛並みを柔らかに揺らし踊っている。手にした得物は至って平凡にも見える太刀。纏っていた紫電は消え失せて効力を失っている。けれども相手の刃を掠らせる事すらせずに確かな反撃の元、魔法を無力化されてなお揺るがぬ優勢を保ち続けている。

 

「カエデ、お主は……いや、いい。このままではお主は負けるぞ」

「ぐぅっ……」

 

 一段と激しく飛び散った火花。

 真上に位置していた太陽はいつの間にやら真っ赤に燃え上がっている。夕焼けに照らし出された二人の交差、飛び散る火花の中に踊るカエデ・ハバリとヒヅチ・ハバリ。

 片や縦横無尽に駆け回り斬撃を放つカエデと、片やその場から動かずに迎撃を続けるヒヅチ。

 攻撃側たるカエデが優勢かと思えば、その攻撃のことごとくが迎撃され、終いには反撃をその身に受けかける始末。

 彼女が身に着けている防具である緋色の水干には無数の切れ込み。内に着込んだ鎖帷子(チェインメイル)はまるで紙切れの様に切り刻まれ、危うく肌を掠めてほんのりと血が滲み出ている。

 損傷(ダメージ)と言えるほどではないにせよ、このままでは文字通り()()()()()()。そう感じ取りながらもカエデに出来るのは()()()()()()()()()()のみ。

 その行動こそが自身の首を絞めているのだと気付く事が出来ていない。ヒヅチはそれに気付きつつも容赦のない斬撃を浴びせかけ続けていく。

 

「ほれ、次じゃ」

「まだ、行けるっ」

 

 火花が散り、カエデが身を翻す。

 ヒヅチの刃が少女の肩を浅く裂き、斬撃が血の軌跡を中空に描く。

 腕の動作に支障はないと即座に反撃に転ずるカエデに対し、ヒヅチは流れる様に刃を受け、胴を薙ぐ一撃を放つ。小回りの利いた、それでいて威力の乗った薙ぎ払いではない薙ぐ一撃。身を捻り回避する序と言わんばかりにカエデは百花繚乱を振るい薙ぎ払いを放つ。

 大刀を振るう遠心力をも利用し、ヒヅチの放つ薙ぎを回避しながらの反撃。その斬撃はヒヅチの頬を浅く裂くに留まる。

 二人の動きが止まった。

 

「ほぅ……」

「当たった……」

 

 嵐の様に斬撃を放ってなお一撃も届き得る事ない処か、反撃に放たれる斬撃にその身を浅くとはいえ切り裂かれ続けた弟子が、初めて一矢報いた。

 これにはヒヅチも初めて驚愕の表情を浮かべ、静かに微笑んだ。

 打たれる手は常に最善手。読みやす過ぎるその手、ヒヅチからしてみれば対処は容易いただの()()。難敵足り得ない劣った弟子でしかなかった彼女が、初めてヒヅチの読みを超えてみせた。

 回避したはずだ、寸分違い無く、掠める事すらしないはずの斬撃が当たった。

 カエデが何か失敗をしでかした結果、師の読みを上回ったかと考え、即座に否定する。ありえないと断じて再度構えをとる。

 

「よい、よいぞ……その調子じゃな」

「……ヒヅチ、止まっては、くれないんですか」

「戯れ言はいらん。刃で語れ」

 

 言葉を交わすよりも数多く、刃は閃き交じり合う。飛び散る火花は真っ赤に焼けた夕焼けを背景に幾度となく飛び散り、二人の姿を鮮明に映し出していく。

 刃は火花を散らし交差し、違わぬ願いは激しくぶつかり合う。

 片や止めんとし、片や殺されんとする。

 幾度目かの交差、ヒヅチの放つ斬撃は確かにカエデを削り取り。カエデの放つ斬撃は徐々にヒヅチの予測を超えていく。

 端から勝利を掴み取る気の無い師と、何が何でも勝利を掴まねばと抗うカエデ。勝敗等、当の昔に決まっていた。

 

 それは刹那の交差だった。

 

 ヒヅチが放った斬撃がカエデを掠め。カエデの放った斬撃がヒヅチの腕を浅く裂く。

 互いに飛び散る深紅の血潮が中空で交じり合う程の濃密な斬撃を互いに打ち出し合う。

 想いを押し通さんと交差する二人の刃が交じり合い────光の柱が弾けた。

 

 目の前の交差から視線を外したのはカエデ・ハバリで、目の前を見据え続けたのはヒヅチ・ハバリであった。

 

 瞬きすらできない程の刹那の時。ヒヅチの放つ刺突がカエデの胸を捕らえた。

 繰り出された刺突は、意識を逸らしたカエデの心の臓を抉る軌跡を描き、確かにカエデ・ハバリを絶命させるに足る一撃であった。

 目を見開き驚愕の表情のまま固まるカエデ。口惜し気に目を細めるヒヅチ。

 

「……ワシの負けか」

 

 ヒヅチ・ハバリが放った刺突は、カエデの身に着けていた鎖帷子(チェインメイル)に阻まれて肌に届いてすらいない。もし、もしもヒヅチ・ハバリが持ち得ていた神の恩恵(ファルナ)が生きていれば。

 先の光の柱の正体が、ヒヅチの主神が天界へ帰るモノでなければ。死んでいたのはカエデ・ハバリであった。

 

「時間切れの様じゃな。まぁよい……」

 

 ぐらりと、ヒヅチの体が揺れ、倒れ伏す。

 押し当てられていた太刀が転げ落ち、カエデが静かに身を震わせてヒヅチを見下ろした。

 深紅の血潮が溢れだし、真っ赤に染まった着流しを着込んだヒヅチは、微笑みを浮かべてカエデを見上げる。

 

「運がよい、お主の勝ちじゃぞ……さぁ、止めを刺せ」

「…………」

 

 ヒヅチの敗北宣言。

 勝っていた、ヒヅチ・ハバリは勝利を得ていた。カエデ・ハバリは確かに先の瞬間に絶命していたはずだ、なぜならカエデ・ハバリがそう判断したからだ。

 胸に感じる僅かな鈍痛は、本来なら心の臓すら貫き通すはずだった刺突によるものである。だからこそ、カエデはヒヅチの言葉を否定した。

 

「ワタシの、負けです」

「何を言うかと思えば、お主は……」

 

 口惜し気にヒヅチが土を握り、カエデに投げつける。

 目潰しとしても使われる土投げにカエデが驚き、眼を庇う間にヒヅチが再度起き上がり、大太刀を握り締めて振るう。先ほどまでの流れが嘘の様な、荒々しくも最期の力を振り絞ったかのような斬撃は、カエデが後方に飛び退いた事で目標を外れ、大地に突き刺さった。

 ズドンッと盛大に地面を割って突き立つ大太刀。カエデが悲し気に目を細めた先、刃を振り下ろしたヒヅチは静かに咳込み、顔を上げた。

 

「ケホッ……どうやら、限界みたいじゃのう」

「ヒヅチ……」

 

 呼氣法の反動。

 ほんの瞬く間の怪力を得る『烈火の呼氣』、ほんの瞬く間に身を鉄に勝る程に固くする『黒鉄の呼氣』、一瞬の時を駆け抜ける俊足を得られる『烈風の呼氣』。数多の呼氣法を凄まじい速度で切り替える事で第一級冒険者を翻弄していた反動が、今まさにヒヅチの身に降り注いでいた。

 神の恩恵(ファルナ)の加護を得ていたからこそ耐えれていたその反動が、恩恵を失った事によって一気に彼女の身を蝕んでいる。濃密な血の臭いが撒き散らされ、ヒヅチが咳込む度にその喉の奥から血が溢れだす。

 全身を染め上げる鮮血よりもなお紅い、生命の根源にほど近い深紅の血潮。

 生死に関わる程の深い反動を受けてなお、ヒヅチ・ハバリは生きている。

 『生命の呼氣』、生物が持ち得る生命力を息吹として循環を強制して再生能力を引き上げる呼氣。使えば生命力の総量が減り、寿命が削り落ちていくそれを使い、命を繋ぐ。

 せめて己が身を裁いて貰う為に、残りの寿命などくれてやるとヒヅチが顔を上げ────彼女の頭の上から万能薬(エリクサー)が降り注いだ。

 瀕死の重傷を負った者すら瞬く間に完全治癒するオラリオ最高峰の治癒道具。驚愕の表情を浮かべるヒヅチに、カエデが刃を向けて宣言した。

 

「生きてください」

「何を────」

「ワタシから、貴女に与える罰は、生きる事」

 

 死ぬな、生きろ。心の臓の音が途絶えるその瞬間まで

 

 師であるヒヅチ・ハバリが、弟子であるカエデ・ハバリに伝えた言葉。

 カエデ・ハバリを形成する中心軸。揺らがぬ想いを抱き続け、貫き通す覚悟の根源。

 それを与えたはずの師が、心の臓の音が途絶える前に死んで(諦めて)どうするというのか。カエデの問いかけにヒヅチが口元を歪め、膝を突く。

 

「ワシはな、お主が思う程……高等な人間等ではない」

 

 願いを貫く過程で数多くの犠牲を強いる様な、身勝手な人間だ。

 数多の下賤な者共の思惑に踊らされ、その過程で弱き者共を食い殺した、愚かな人間だ。

 裁かれねばならぬ。故に死を願った。終わりを願った。

 

「キキョウを守れなかった。ツツジを守れなかった。大事な者を、守れなかった」

 

 父も、母も、姉も、キキョウも、ツツジも、そしてカエデも。誰一人として守れなかった。

 残ったのは想いの積み重なった残骸の様な生きた屍。犯した罪を背負い生きる、愚かな成れの果て。

 

「それでも、ヒヅチはワタシの師です」

 

 真っ直ぐ、一切揺らぎなくヒヅチの瞳を射抜く深紅の瞳。

 揺らぎない意志を感じさせる瞳の前に膝を突いた彼女は、静かに微笑んだ。

 狂気に彩られた精神を、一瞬で塗り替える程の想い。

 己が身を罰せよ、その想いだけは今なお変わりなくとも、罰する方法は変わった。

 罪には罰を、罰としての贖罪を、贖罪は生きていねば成せぬ。故に、生きなくてはいけない。

 真っ赤に焼けた大地に視線を落とし、身を震わせて刃を持ち上げる。震える足で立ち上がり、彼女はカエデに背を向けた。

 

「ああ、ならば生きねばならぬのか。儘ならぬ世の中よ……」

「……うん、思い通りにならない事ばっかり」

 

 カエデがヒヅチの隣に並び立つ。

 

 父が、母が、姉が死にさえしなければ。狐人達の生み出した狂気さえなければ。赤子の屍すら利用しだす程に追い詰められなければ、自らが帝の思惑に気付いていれば。もっともっと優れた調合技術さえあれば。あの土砂降りの大雨の中で足を滑らせなければ。

 キキョウ・シャクヤクを死なせずに済んだ。

 ツツジ・シャクヤクを死なせずに済んだ。

 数多くの命を奪わずとも済んだ。

 

 自らが白子でさえなければ。過去に精霊に頼り血族に業を背負わせなければ。もっとステイタスが高ければ【ロキ・ファミリア】の仲間を助ける事ができたのに。しっかりと彼の虎人と言葉を交わしていれば、もしかしたら和解できたかもしれないのに。牛人の狂気を払う方法を見つけ出せていれば頸を刎ねる事は無かったかもしれないのに。

 アマゾネスの女性、ドワーフの男性が死んだ。守り切れなかった。

 アレックス・ガードルが自滅した。目の前で焼け崩れていく姿を見ずに済んだ。

 アレクトルの首を刎ねた。自身の刃が彼の頸を刎ねる感触を味わわずに済んだ。

 望まぬ戦いに身を投じる必要も無かった。

 

 生きて(歩んで)きた過去には、望まぬ事ばかりが積み上がっている。

 そして、きっとこれからも、ずっと変わりないのだろう。望んでいなくとも、望まなくとも、切望した所で、きっと望む未来は望んだままにはやってはこない。

 

「ヒヅチ、あの怪物は何なんでしょうか」

「さぁの、ワシにはわからん。気色の悪い化け物じゃな」

 

 望んだ未来があった。もしも、叶うならば、望みが全て叶う様な夢を見ていたかった。

 父と母が健在で、姉と共に研鑽を積み続けて、狐人は狂気に狂っておらず、怪物を掃討し終えて平穏な世界。

 平穏で平凡な日常。黒毛を揺らして蒼眼で美しい世界を見据える事が出来る世界。

 もしそんな世界に辿り付けるなら、どんな犠牲すらも容認できる。それが叶わない事等、百も承知。

 願って、祈って、望んで、その先に道はない。あるのは荒れ果てた荒野だけ。

 数多の障害立ち並ぶ人生を歩む為に、刃握る他無い。だから(ヒヅチ)は、弟子(カエデ)は望みを叶える為に刃を握るのだ。

 

 ズドンッと巨体が降り立つ。途端に微かに漂っていた不愉快な腐乱臭がどっと溢れかえる。

 四方に伸びる人間の足。足甲を身に着けた男性の足もあれば、細い骨のみにも見える足もある。

 七本の腕が人間の胴体に当たる部分から生えている。それぞれが独立して動いている様にも見える、生理的嫌悪感を湧きたたせる姿。まるで蠢く蟲の足を思わせるその腕。

 胴体はまるで妊婦────妊婦を通り越して異常な程に膨れ上がっている。

 そして肩らしき部位の上に乗っかる、三つの頭。一つはハイエルフの老婆、カエデが止めを刺し、屍を放置した彼の人物の頭。もう一つはヒヅチが知る男の者、副官として動いていた事しか知らない。最後の一つ、半分潰れた女性の頭。

 三つの首がゴキャゴキャと不気味な骨の軋む音を響かせ、合計で五つの目がカエデとヒヅチを捉えた。

 

「ふむ、成る程。ナイアルの馬鹿め」「狂気を払われているじゃないか」「コワすとカ、ムりだロ」

 

 人語を介した怪物にカエデが驚きの表情を浮かべ。

 ヒヅチが舌打ちを零して目を細める。

 

「人体錬成、というよりは合成か。おいおい何処でその技術を得た」

 

 妖術を扱える頭脳を持つ狐人。怪力を扱える剛腕。風の様に大地駆ける俊足。どんな攻撃にも耐えうる鋼の胴体。全てを切り分け、紡ぎ合わせたら最強の戦士が出来るのではないか。そんな発想より生まれた狂気の産物。

 優れた部位を切り分け、張り付ける。そうして出来上がるのは不気味な化け物でしかない。

 

「カエデ、あの怪物は強いぞ」

「……ヒヅチは下がってて」

「言われずとも、ワシはもう戦えんのでな……おい其処の小娘、隠れとらんで出てこい」

 

 ヒヅチの言葉が向けられたのは倒れ伏す無数の屍の中の一つ。息を潜め死んだ振りを続けていた猫人の少女がひょっこりと顔を上げ、頬を引き攣らせつつも立ち上がって腰の曲剣(カットラス)を掴み取った。

 オッドアイの瞳を揺らす灰毛を血で染めたモール・フェーレースが反対の手に握り拳程の爆薬の詰まった陶器を片手に声を震わせる。

 

「いやぁ、隙を見て……とは思ってたけど。全て解決する寸前に化け物が現れるとか勘弁してよ」

「良いからお主はカエデの援護をしろ、ワシは役立たずじゃぞ」

「どうして其処で威張っちゃうかなぁ」

 

 第二級(レベル3)程度のステイタスで第一級冒険者を何十人も倒す事が出来る技量があれば、神の恩恵(ファルナ)無しでもある程度戦えそうなモノではあるが、確かに万能薬(エリクサー)を使ったとはいえ既に疲労困憊に等しいヒヅチは戦いに参加するのは難しいだろう。

 内心納得しながらもモールは表情を歪めて手にしていた陶器榴弾を投げつけて駆け出す。

 

「爆発するぞーっ」

「しっ」

「ワシは下がるかのう……」

 

 爆炎に交じって飛び散る陶器の破片。怪物は特に怯むでもなく破片を体中に突き刺されながらも蠢き、ヒヅチ目掛けて一直線に駆け出していく。

 その直線上に身を置いたカエデが腰だめで百花繚乱を構え、居合切りを見舞う。

 駆け抜けた一閃が怪物の腕を二本斬り飛ばすも、化け物は一切怯む事なくカエデを跳ね飛ばさんと駆け抜けようとし────その過程で切断面から零れ落ちた蛆虫を見たカエデが小さく悲鳴を零して一瞬で身を翻した。

 畏怖というよりはただただ気色悪く、精神を蝕む醜悪さを持った化け物。腕を二本斬り飛ばされてなお怯みすらしない強靭さにヒヅチが舌打ち。

 恩恵を失って戦闘能力の殆どが失われた彼女では逃げる事も叶わない。カエデにも止められず、モールではそも身体能力不足で相対すらできない。

 迫りくる醜悪な怪物に対し、ヒヅチは小さく微笑みを零した。

 

「お主のそんな姿は見たく無かったぞ、幼きエルフの姫よ」

 

 かつて共に戦場を駆けた古き仲間。

 千年前はヒヅチの方が年上で『小娘』呼ばわりしていた老婆の顔を見据え、ヒヅチは手を差し向けた。

 詠唱を必要としない古の魔術。現代魔術とも旧式魔術とも違う、正真正銘の古の魔術。

 差し向けられた指先から放たれた真空の刃が弾け、老婆の首が斬り取られて中空を舞う。

 

「人の友を愚弄する真似をしおってからに。ほれ、カエデ────今じゃぞ」

「わかってるっ」

 

 カエデの振るう百花繚乱が化け物の足を二本斬り飛ばし。反対の足をモールが切りつけ、刃が引っかかって止められる。

 カエデが切り捨てた二本は足甲もろとも叩き斬ったのに対し、モールの方は骨張った痩せ細った足ですら斬り落とせなかった。口惜し気にというよりは悍ましい物に触ってしまったとでもいう様な表情でモールが絶叫を上げて転げ回る。

 その姿だけで精神を蝕み、刃を届かせるだけでその者を狂気に落とし込む怪物。モールが一瞬で正気を失ってその場で手足を振り回してのたうち回るのを目にしたカエデが目を見開き、ヒヅチが舌打ち。

 

「カエデ、気をしっかりと持て。()()()()()()()ぞ」

「わかったっ」

 

 ヒヅチが腕を振るうと、モールの体が跳ね飛んで戦場外へと跳ね飛んでいく。彼女の仲間に回収される事を祈りつつもカエデが再度刃を振るい、尻尾の毛を逆立たせて刃が触れ合う瞬間に飛び退いて回避した。

 ほんの一瞬遅れて、カエデがいた場所に向けて蛆虫と腐肉の交じり合った醜悪な汚泥が降り注ぐ。

 鼻がひん曲がりそうな程の臭気を振り撒く醜悪な化け物。

 【ナイアル・ファミリア】、正真正銘最後の一人たる【妖虫(シャン)】は斬り落とされた腕を見て溜息。

 

「まっず、普通に倒されるぞこれ」「ヤッぱり、勝ツとかムり」

 

 カエデが荒い息を零す中、ヒヅチが目を細めて刃の切っ先を化け物に向ける。

 丹田の呼氣が使えるからこそ、二人は正気を保ちつつも戦い続けているが、他の者では真面に打ち合う事も出来ずに敗北するだろう。

 モールの様に、斬りつけた瞬間に醜悪な化け物の異能によって狂わされる。

 かくいうカエデとヒヅチも、すでに精神は擦り切れる寸前。次の斬撃でカエデも狂気に堕ちるだろう。

 泣き叫ぶか、無気力になるか、それとも自らの命を断つか。狂気に堕ちればまともな行動は起こせない。それすなわち死を意味する事である。

 

「ヒヅチ、斬ると……気持ち悪くなる」

「じゃろうな、肉を断つ感触だけで気を狂わせてくるじゃろうな」

 

 腕二本、足二本。たったそれだけを切り捨てただけで脳髄を蟲が這いずり回る様な感触に侵される。

 そして、戦場に振り撒かれる腐敗の進んだ屍の臭いも、その人の尊厳を冒し尽くして余る醜悪な見た目も、その全てが狂気を振り撒く素材の一つとして利用されている。

 斬ればその感触が、傍に居れば臭気が、視界に入れば見た目が、全てが狂気を孕ませてくる。

 

「……ヒヅチ、時間稼ぎをお願いします」

「おいおい、それは無理じゃぞ」

 

 斬撃の感触を手に残す事なく切断という現象を引き起こせる装備魔法。耐久無視の効果を持ち得る『氷刀・白牙』であれば何の問題もない。そう判断したカエデの頼みにヒヅチが眉を顰める。

 一度狂気に堕ちていた身、もう一度堕ちれば戻ってこれるかがわからない。そして時間稼ぎといってもヒヅチは手にしていた最後の魔力の源たる欠片すらも使い果たして何もできない。

 恩恵も失って今は人の子に落ち込み、呼氣法もこれ以上使えず。当然、古の魔術ももう打ち止め。ヒヅチはただの役立たずでしかない。故に、溜息を付いたヒヅチは小さく呟く。

 

「すまんな、貸し一つじゃ……ホオヅキ、頼んだ」

「任せるさネッ!」

 

 威勢の良い返事と共に怪物の胴体に細腕が突き刺さる。

 ズドンッと衝撃波すら伴う轟音の一撃。顔を真っ赤にして酔っ払ったホオヅキがケタケタと狂気と泥酔で嗤いながら化け物を掴み込み、抑える。

 

「うわっ」「コいツッ」「離れろ糞っ」「ヤめてクれッ!?」

 

 化け物が交互に、聞き取れる男性の声と、聞き取れない甲高い音色を響かせる。

 残った手足を振り回してホオヅキを引きはがさんとするも、彼女は手にした瓢箪を砕き割って頭から酒を被り吠える。

 

「死ね化け物ッ!」

「カエデ、今の内じゃ、ホオヅキが押さえておる間になんとかしろ」

 

 ヒヅチの言葉を聞いたカエデが集中し、両手を前に突き出し詠唱を開始する。

 

「【孤独に(凍えて)眠れ、其は孤独な(凍て付く)氷原。月亡き夜に誓いを紡ごう。名を刻め、白牙は朽ちぬ】」

 

 冷気が弾け、カエデの周囲の大地が凍り付く。

 化け物の体から零れ落ちた蛆虫がキィキィと耳障りな悲鳴を上げる中、ホオヅキが腐った肉片を胴体から引き摺りだし、腐り蛆虫の湧いた臓物の中から汚泥に塗れた上半身を引っ張り出していた。

 

「ぐわぁ~、やめてくださいよぅ」

「お前だけはカエデに殺させないさネッ!」

 

 化け物の体内に潜む事で、化け物が殺された際に同じ様に倒され、結果として『神殺し』の大罪を擦り付けようとしていたナイアルを綺麗に引っこ抜いたホオヅキが臓物塗れのナイアルを投げ飛ばす。

 ドチャリと腐乱臭塗れのナイアルが地面に叩き付けられる。彼は肩を抑えながら身を起こし、ヒヅチ・ハバリを見上げて顔を不愉快そうに歪めた。

 

「うわぁ、貴女、狂っていたのに狂ってないじゃないですか。あーあ、だから嫌なんですよ。人って、時々想像を超える様な()()()()()()んですからぁ、もう」

 

 不貞腐れた彼は今まさに殺されんとしている自らの最期の眷属を見て、嗤った。

 

「【妖虫(シャン)】、貴女はなかなか面白い眷属でした」

「ふざ」「ケるなァッ!!」

 

 肉片を飛び散らせて怒声を響かせる化け物。化け物にまで落としこまれ、人としての尊厳すらも失って、それでも主神の為にとその身を散らし逝く眷属を前に、ナイアルはケタケタと嗤う。

 

「あぁ、眷属の死とはこうでなくては」

 

 足掻く化け物。

 そのすぐそば、冷気の刃を手にしたカエデ・ハバリが大きく刃を振りかぶっていた。

 いつの間にか詠唱を終え、身の丈を遥かに超える美しい氷剣を手にしたカエデが、叫ぶ。

 

「ホオヅキさん退いてくださいっ」

「わかったさネッ!」

 

 ホオヅキが身を翻して怪物を蹴っ飛ばす。腕が二三本千切れ飛ぶ中、バランスを崩した怪物目掛け、カエデ・ハバリが握りしめた氷の刃が振り抜かれた。

 音は無い。斬撃の音すらなく、綺麗に両断された怪物の胴体。

 断面は冷気で凍り付き、綺麗な断面を晒している。苦痛は味わわなかったのか残っている男性の顔と、半分潰れた女性の顔は苦痛に歪む事なくナイアルの目の前に零れ落ちてきた。

 怪物の体を構成していた糸が途切れ、バラバラに解体されて残骸が散らばり、戦闘の終了を伝えてくる。

 余韻に浸るカエデが静かに刃を消し、冷気を払い飛ばす。荒い息をついたヒヅチが肩から力を抜き。ホオヅキが腕にこびり付いた腐臭巻き散らす肉片を摘まみとって鼻を歪める。

 誰が真っ先に言葉を放つのか、カエデはヒヅチの言葉を待ち、ヒヅチはホオヅキに助けを求め、ホオヅキはそれを無視している。誰かが言葉を放たねば進まぬというのに黙り込む三人。

 そんななか陽気な声が響き渡った。

 

「あー、死んじゃいましたか。ま、元から死んでたみたいなもんですけど……どうしてホオヅキちゃんは私があの怪物の体の中に隠れてたのに気づいたんです?」

 

 まるで、何事もなかったかのように立ち上がったのは神ナイアルである。

 腐肉の中に身を潜ませていただけあって、彼は頭の先から爪先まで腐臭に塗れて不愉快な姿をしている。頬を伝う腐肉から染み出た腐った血を舐めとり、蛆虫を舌先で転がして前歯でプチリと噛み潰す。

 面白おかしく、狂気の中で見つけた正気に縋りついて神ナイアルを頼った結果。最終的に人としての尊厳すら失って散っていった眷属があまりにもおかしくて、そして後少しで成し得たカエデに『神殺し』の大罪を背負わせるという目論見が失敗した事で、嗤いながらも涙を流す神ナイアル。

 両手を広げて問いかけた彼に対し、ホオヅキが腕を振るって血肉を払い落としながらつぶやいた。

 

「お前のやり口は、気に食わないぐらい知ってるさネ」

「ほぅ、つまり私と貴女は相思相愛という訳ですね? どうですか、私の眷属になりません? 今すぐカエデちゃんを八つ裂きにしてみましょうよ? 楽しそうじゃないですか? いや、絶ぇっ対愉しいですって!」

「寝言は寝ていえ、戯けめ」

 

 ナイアルの誘いに唾を吐きかけたのはヒヅチ・ハバリであった。

 気だるげに髪をかき上げて汚泥塗れの邪神を睨んだ狐人に対し、邪神はケタケタと嗤う。

 

「いやぁ、そういえば貴女、主神を失ったんでしたっけ? でしたらどうです? 貴方の目的はカエデちゃんに殺される事でしょう? でしたら私の手をとるとよいですよ。即座に恩恵を差し上げましょう、序にカエデちゃんに貴女を殺す様に説得だってしてあげますよ」

「何があっても、ワタシがヒヅチを殺す事はありません」

 

 ナイアルの言葉をカエデが即答で切り捨てる。

 幼い狼人の力強い紅い瞳を見据えたナイアルが困った様に肩を竦める。

 

「嘘でしょう、嘘ですね? 貴女は殺す。殺しますとも、だってアレクトルは殺したでしょう? アレックスだって貴女の手で────あー、時間切れって奴ですか」

 

 ナイアルの周囲に光の粒子が舞い散り始める。

 神威に満ちた光がナイアルを捕らえ、逃亡不可能な牢獄を作り出す。

 オラリオの街の方向より荘厳な鐘の音が響き渡り。神ナイアルへの判決が神々しく響き渡った。

 

『神ナイアル────数多の罪を重ねた邪神よ』

「あはは、久っしぶりですねぇ。えっと、誰でしたっけ?」

『神が地上で起こすには重すぎる罪科を重ねた。余りにも愚かで、余りにも目に余る』

「だれだってやってる事じゃないですかぁ? エニュオ君とか今も元気一杯に狂乱(オルギア)目指して頑張っているっていうのに、どうして私だけこんな目に遭わなきゃいけないんですかねぇ」

 

 最後の最期まで、彼の邪神は笑い嗤い、小首を傾げながら天から響く声に問いかけ続ける。

 

「貴方達だってそうでしょう? 自分のやりたいことがあれば、それを優先する。過去に地上に降り立った時、地上の英雄と刃交える羽目になった事、忘れたとは言わせませんよぉ?」

『神ナイアル、此処に罰を告げる』

「ありゃぁ? 人の話を聞かないんですかぁ?」

 

 煽る様な、ねっとりとした粘つく声を響かせる神ナイアルが、静かに見つめるカエデ達を見据え、小さく微笑んだ。

 

「あーぁ、貴女たちの勝ちですね。おめでとうございます────まあ、適当に幸せになってください」

 

 その幸せも、死ねば消えますけどね。そんな捨て台詞を残し、神ナイアルは天界への送還という罰を受け、地上から消え去った。


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