生命の唄~Beast Roar~   作:一本歯下駄

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『今のは……クトゥグアが天界に送還されたのか』

『って事は、残ってるのはナイアルだけか』

『……嫌な予感がするね』

『奇遇やな、ウチもや』

『君の所の眷属、殆ど重症で帰ってきたそうだけど、出せる戦力はあるのかい?』

『ベートとアイズが残っとる。そっちは?』

『一応、カッツェが出せるけど……戦力外だぞ』


『神を殺せ』《下》

 爆音と共に吹き飛ばされたティオネが全身に火傷を負いながらもなんとか両足で地面をとらえ、数Mに渡って大地を削りながら停止する。

 顔を上げて両手に握りしめた湾曲した刃の短剣を見て舌打ち。半ば程から断ち切られ、すでに剣としての用を成さないそれを投げ捨てて拳を握る。再度突撃の構えを取ろうとした所で間に小柄な人物が割り込んだ。

 

「ティオネ、もういい下がれ」

「ですけど団長っ」

「頼む、下がってくれ……君を失いたくはない」

 

 間に割り込んだフィンの言葉にティオネが感激しつつも身を翻す。これ以上、言葉を交わす余裕はない。

 今まさに目の前でガレスの手にする大盾が幾度目かの斬撃を受けて紫電を撒き散らし、老兵たるドワーフが目を見開いて紫電を纏いながらも必死に耐え忍ぶ姿があった。横合いからのティオナの大振りな大剣による一撃が回避され、ヒヅチが後方へ下がった事でようやく解放されたガレスが白煙を全身から燻らせながら膝を突く。

 

「ぐぅ、きついな」

「ガレス、大丈夫か」

「すまん、少し動けん」

 

 ガレスの持つ大盾は既に壊れる寸前。本来なら予備の物と取り換えるべき状態ではあるが、後方を確認したフィンは小さく舌打ちを零してティオナに命令を下した。

 

「ティオナ、ガレスを連れて下がってくれ」

「えっ、でも団長は? あれ一人で抑えるの?」

 

 ティオナとフィンの視線の先。肩で息をし、獣の様な唸り声を響かせながらも紫電を巻き散らす正気を失ったヒヅチ・ハバリの姿があった。打ち合う度にその吐息は乱れ、今では獣染みた吐息を漏らして『呼氣法』が正しく機能しているかすら怪しい。

 彼女が握りしめた剣が紫電を巻き散らす。ガレスの体を掴んだティオナが後退し、フィンが目の前に槍を突き立てて避雷針代わりにしてその攻撃を防ぐ。

 それなりに上質な第一級武装であったフィンの長槍が一瞬の内に消し炭の様に真っ黒に染まり上がり、武装として用を成さない消し炭にされてしまう。

 

「はぁ、仕方ないか」

 

 誰の持ち物かは既に不明だが、戦場には数多くの武装が散らばっている。序に屍も多数、ヒヅチ・ハバリが生み出した装備魔法の武装は奪えはしないだろうが、敵方が持っていた質の良くない武装ならいくらでも転がっているのだ。当然、一手二手で破損する不良品ではあるが。

 落ちていた剣を足で蹴り上げて握り締めたフィンが苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべてぼやく。

 

「酷い剣だ」

 

 いうなれば折れる寸前。罅割れた刀身の根本を見ればあと一太刀も耐えうる事なく折れるのが目に見えている。とはいえ他の武装を探す余裕はない。

 獣の様に低い姿勢で唸り声をあげる正気を失ったヒヅチは、最も警戒度の高いフィンだけを見据えて隙を伺っている。離れていったティオネやティオナ、負傷したガレスなどは既に彼女の視界に入ってはいない。

 彼女と向かいあったフィン。すでにリヴェリアも負傷者を庇って撤退、遠くから装備魔法の『妖精弓』を放っていたジョゼットは何らかの反射魔法(カウンターマジック)の効果か、ヒヅチに当たる寸前の光矢が反転して彼女に迫り、結果として負傷して撤退。

 残っているのはフィン一人で気が付けば戦えるのは己一人。加えて手にしているのは罅の入った折れる寸前の剣。目の前には正気を失ってなお、冴えわたる剣筋と妖術にて第一級冒険者を何名も沈めた怪物級の英雄の成れの果て。

 正気を失って言葉を介さなくなったのか既に意味のある言葉はその口から放たれる事は無く、獣の呻き声を響かせるだけの姿にフィンが一歩前進する。

 何の小細工もない真正面からの突撃。壊れかけの剣の切っ先をヒヅチの喉元目掛けて突き付けながら一気に距離を詰める。いかに速く動こうと、いかに上手く動こうと、彼女に届き得ない。当然、愚直な突撃等届くはずもない処か、瞬く間に返す刃で斬り殺される。それでもフィンは笑みを崩さずに突っ込んでいく。

 

「シッ」

「おっと……」

 

 凄まじい金属音。ヒヅチの持つ太刀とフィンの持つ剣がぶつかり合い、細かな欠片を散らしながらもフィンの持つ剣は役目を終えて飛び散り、ヒヅチの大太刀より放たれた紫電をその身で受け止め、フィンに届きうるのを防ぐ。

 ヒヅチとフィンとの間に砕け散った剣の破片が飛び散り、紫電の障壁を生み出す。ヒヅチが追撃の姿勢を見せるも目の前の自らが生み出した紫電の障壁に阻まれて動けず。フィンは極僅かに腕に走った痺れを無視して落ちていた壊れかけの片手斧を蹴り上げて握り締めた。

 

「いやぁ、本当にっ」

「グルァッ」

 

 金属の刃が砕け散る音。甲高い音と共にあえて打ち合う事で片手斧の刃部分を粉々に粉砕させて自身とヒヅチの間に紫電の障壁を張る素材として撒き散らす。刹那の交差にて行われる全身全霊を込めた時間稼ぎ。

 一秒稼ぐのに命を数度賭ける。失敗すればフィンの体は紫電に焼かれて動けなくなるだろう。死ぬほどではないにせよ、数秒間はガレス同様に動けなくなる。もしそうなれば、フィンは彼女に斬り殺されて死ぬしかない。

 冴え渡る勘と、持ち得る技量を全て使った【勇者(ブレイバー)】の時間稼ぎ。足元に散らばる壊れかけの武器を何度も何度も拾い上げ、ほんの瞬く間の時間を稼いでいく。

 彼一人になるまでに稼いだ時間と、彼一人が稼ぐ時間。一秒を凌ぐたびにヒヅチの動きが鈍り。同時にフィンのとれる選択肢が減っていく。

 足元に散らばる武装は無制限にあるわけではない。当然、数に限りがあり、限界が近づいていく。壊れかけではなく中途半端な耐久をのこした剣を手にして舌打ちを零す。むしろ壊れかけでないと困ると内心毒づきながらもヒヅチの振るう刃に合わせて全力で打ち込む。

 甲高い音色と共に刀身が砕け────フィンが次の武器に手を伸ばさずに足元の砂を足ですくい上げてヒヅチの視界を塞ぐ。紫電に加えての砂かけにヒヅチが若干怯み、足を止めた瞬間に離脱。新たな武器を手にしようとしたフィンは腕を痙攣させながら武器を取り落とした。

 

「はぁ、やってしまったね」

 

 右腕だけではない、両腕から白煙を燻らせつつもフィンは痙攣する自らの手を見て吐息を零した。

 ついに、武器すら握れなくなった。目の前の化け物相手に無手で挑むのは無謀にも程がある、それがわかっていながらもフィンは強気に笑みを浮かべた。

 いつもなら親指が何かを教えてくれるが、残念なことに今のフィンは電撃による痙攣で親指がうずく処か腕全体が脈打つ様に蠢いており、先ほどまで冴え渡っていた勘は紫電に焼かれて働かなくなっていた。

 既に手を失ったフィン、それでも足元の短槍を蹴り上げて脇で挟む様に固定して二槍を構える。先の様な曲芸染みた器用な真似はもうできない。だからこそ次の交差がフィンの最期だろう。

 それを理解しながらも目の前のヒヅチを見据えたフィンは微笑み。勝利を宣言した。

 

「ようやくか────遅いよ」

 

 フィンの言葉と同時、ヒヅチの真上から奇襲をしかけた緋色の水干を纏った狼人の少女の持つ大刀と、ヒヅチの手にした大太刀が火花を散らす。紫電が弾け────白毛の狼人、カエデの持つ『百花繚乱』に付与された『退魔』の効果によって紫電が弾け散り、ヒヅチが持っていた大太刀から紫電が剥ぎ取られる。

 それでも力任せに振り抜かれたヒヅチの大太刀によってカエデの体が大きく飛び、フィンとヒヅチの間に華麗にカエデが着地し、正眼の構えでヒヅチに切っ先を向けた。 

 

「────すいません遅くなりました」

 

 後少し遅ければ自分は死んでいたかもしれないと吐息を零しつつ、カエデに遅れて到着したベートとアイズがヒヅチに向けて構えをとるのを見届け、フィン・ディムナは昏倒し倒れ伏した。

 アイズが後ろを振り向き、眼を見開くさ中もベートとカエデはヒヅチから視線を外さない。隙を晒したアイズが攻撃されるかもしれないと警戒していたベートと、自分だけが見られていると確信しているカエデ。

 ベートがアイズに注意を促そうと口を開くより先に、カエデが口を開いた。

 

「お二人は下がってください」

「────はぁ!?」

「……一人じゃ倒せないんじゃ」

 

 驚きに言葉を失うベートと、眉を顰めたアイズ。二人に対してカエデが静かに首を横に振る。

 

「確かに、ワタシ一人では勝てません。ですけど────ここはワタシ一人で戦わせてください」

 

 誰の手も借りずにヒヅチを打ち倒す。そう言ってのけたカエデに対しベートが舌打ちを零し、身を翻してフィンを抱え上げる。

 カエデの声色から感じ取ったのは、敵意にも似た決意。たとえアイズやベートであっても、邪魔をするなら斬ると、雰囲気がそう語っている。

 

「ベートさん、良いんですか……」

「あん、コイツがそうしてぇって言ったんだ」

 

 困惑と共にベートを見たアイズ。

 ヒヅチは言葉を放たず、先ほどまでの獣染みた吐息は鳴りを潜め、静かにカエデと見つめ合っていた。

 ベートが吐き捨てる様にカエデに呟きを残し、戦場を離脱していく。

 

「死ぬんじゃねぇぞ」

「……カエデ、気を付けて」

 

 遠ざかっていく二人の気配。残された白毛の狼人と、金毛の狐人が向かい合う。

 先ほどまで狂気に呑まれて正気を失って【ロキ・ファミリア】の面々を圧倒していたヒヅチ・ハバリが静かに身を起こした。四つん這いに近い姿勢で獣染みた姿を晒していた先ほどまでとは打って変わり、まるで静寂な水面を見つめている様な気さえしてくるほどに澄み渡った色を晒すヒヅチの金瞳。

 対するカエデは赤い瞳でヒヅチを真っ直ぐ見つめ、ぶれない切っ先をそのままにヒヅチと向かい合っていた。

 

「……ヒヅチ、久しぶり」

 

 静かに呟かれる挨拶の言葉。心の底から愛情の籠った声でヒヅチに語り掛けるカエデに対し、ヒヅチは静かに目を細め、答えた。

 

「久しいな」

 

 つい先ほどまで狂気に囚われていたとは思えない程、今の彼女は凪いだ水面を思わせるかの様な瞳をしている。

 信じがたい事に、カエデを目の前にした瞬間に正気を取り戻したのだろうか。そうとしか思えない程に優しく微笑むヒヅチに対し、カエデは苦し気に呻きながらも刃の切っ先を突き付け続けていた。

 

「あのエルフの御婆さんから伝言です」

「……リーフィアか。なんだ?」

「…………謝罪を、と」

「そうか」

 

 一瞬だけ目を瞑り、直ぐに顔を上げて何事もなかったかのようにふるまうヒヅチ。

 困惑を胸に抱き、それでも向けられた刃は一切揺らぐことはない。胸の内に困惑と恐怖を仕舞い込み、カエデは静かに一歩前進して自らの意思を示す。

 今から、貴女(ヒヅチ)を止めます。と……。

 

「そうか、そうでなくてはな……愛しているぞ、カエデ」

「ワタシも、貴女を愛してます」

 

 ────愛している。だからお前(カエデ)に殺されよう。

 

 ────愛している。だから貴女(ヒヅチ)を止めましょう。

 

 どちらも互いに愛し合っている。家族として親愛を抱き、互いが互いを強く思い合う。一切揺るがない親愛を抱いた二人は、静かに刃を向け合った。

 

「覚悟は良いか?」

 

 カエデの尻尾が爆発したように膨れ上がり、警戒心が引き上げられる。

 あの、ヒヅチ・ハバリが構えをとっている。カエデ相手に構える必要はないと師として彼女に対峙したヒヅチは決して構えという構えをとらなかった。

 『無構え』等とうそぶき、加減した戦術をカエデに披露し続けた彼女が今、カエデ・ハバリに向けて構えをとった。

 カエデの胸の内に込み上げてくるのは歓喜と恐怖。

 あのヒヅチが自分(カエデ)を相手に構えをとらねばならぬ程の強敵として認めた。歓喜が溢れ出る。

 あのヒヅチが自分(カエデ)を相手に構えをとる、それは本気で殺しに来る証であった。恐怖が溢れ返る。

 それでも、カエデ・ハバリは刃の切っ先を揺らす事なく、動揺を胸の内に隠しきって構えを維持する。

 

「覚悟は、しました」

 

 揺らがぬ切っ先がその証拠だと言葉で語る事はなく、その立ち姿で語る。

 ヒヅチが満足そうに頷き────初撃はヒヅチによる兜割りにて火蓋は切られた。

 瞬く間に間合いを詰められたカエデが驚愕と共に振り下ろされる一撃を防ぐ。基本的に相手の出方を待ち、反撃にて仕留める方法を好むヒヅチらしからぬ初撃行動。何らかの思惑があると判断したカエデが、続く袈裟懸けの一閃を逸らしながら間合いを詰めようとする。

 一歩踏み込んだ瞬間に目と鼻の先にヒヅチの放つ突きが迫る。一瞬の思考の空白、目の前に迫った刃を回避すべく身を反らし、そのまま後方に転がって続く二閃目の刃を金属靴(メタルブーツ)で蹴り上げる。

 後転しつつも曲芸の様な回避をしてなんとか距離を置いたとカエデが顔をヒヅチに向けた瞬間、彼女の脳天に踵落としが突き立つ。

 全身に重く響く重撃にカエデの体が揺れ、姿勢を崩した瞬間にヒヅチの腕がカエデの襟髪を掴んで投げ飛ばした。強かに全身を大地に打ち付けたカエデが咽込みながらも身を起こそうとして、百花繚乱を胸に抱いて横に転がる。

 鈍い音を立ててカエデが寝ころんでいた地点に槍が突き立てられ、ヒヅチが呆れた様な表情を浮かべて呟く。

 

「強くなったが、変わっとらんな」

 

 最速で最善手を打つ癖が治っていない。カエデの打つ手は常に最善手だ、その場において他よりも優れた、次の一手に繋がりうる最善手。当然、ヒヅチから見れば彼女が打つ手はまさに手に取る様にわかる。わかってしまう。

 生半可な半端者であったのなら、彼女(カエデ)は恐ろしい強敵として映るだろう。実際、ヒヅチからしてもカエデは強敵に違いない。けれども、彼女が次に打ってくる手が筒抜けとなっている現状では彼女は強敵足り得ても()()()()()()()

 

「ぐっ……」

「読みやすすぎるのじゃ、お主の打つ手は」

 

 どんな状況でも最善の手を一瞬で見極め、それを迷わず打つ。なんと恐ろしい強敵だろうか。瞬く間の攻防の内に最善手を100%打ってくる。どれだけ攻め立て様が、追い詰めようが、彼女は変わらず最善手だけを打ってくる。逆に言えば、カエデは最善手以外打ってこない。

 彼女の立場になって考えれば良い。相手(ヒヅチ)が打ち込んできた時、自分(カエデ)はどんな手を取るか。それだけわかれば後は一方的に斬るだけでいい。

 【勇者(ブレイバー)】の様に最善手を導き出しつつも時には最善手に数歩及ばぬ良手を、そして時にはあえて悪手すら打ってヒヅチを困惑に落とし込む真似はしてこない。

 【怒蛇(ヨルムガンド)】【大切断(アマゾン)】の様に考え無しで動きながらも、時折手痛い一撃を最善手として打ってくる獣染みた勘を扱う事もない。

 常に打つのは最善手。それは良い選択に見えて、その実、相手に手を読まれやすい。相手に読まれる最善手等、最善手を打っていながらにして悪手を繰り返し打ち続けている様なモノだ。カエデが勝てないのはそれが原因だというのに。

 相手の手を読んで最善手を打つ事はしても、自らの手を読まれる事を考えていない節がある。今までずっとそれについて黙っていたが、未だにそれが治っていない所を見るに誰も気付かなかったのだろうか。

 

「くっ……」

「どうした? ワシからいけば良いのか?」

 

 ヒヅチの挑発にカエデが苦悶の表情を浮かべる。

 彼女からしてみれば、常に自分の打つ手が()()()相手に丸わかりで、何も出来ずに叩き潰されるのだ。最も良い手を選び取っているのに、どんどん勝利から遠ざかっていく。今までであれば着実に近づくはずの勝利が、遠く離れて手の届かない距離にまで遠ざかってしまう。理解しきれない現象に困惑しながらも、どうにか食らいつかんとカエデは刃をヒヅチに向けた。

 

 

 

 

 

 焦げ付いたコートに真っ赤な眼に悪い程の深紅の髪。後ろ手に縛られたまま背中をチクチクと戦爪に刺されては体を震わせて前に前に歩かされているクトゥグアは深い溜息を零し、背中を突かれてバランスを崩して倒れた。

 

「痛ぇっ、ぐぇっ……なぁ、背中突くのやめてくんね?」

「早く歩かない奴が悪いさネ」

 

 クトゥグアを後ろから追い立て続けていたくすんだ白い毛並みの狼人の女性、ホオヅキの言葉にクトゥグアは面倒くさそうに身を起こして後ろを振り向く。

 ホオヅキの背後には黒毛の狼人の少女が怒気を孕んだ雰囲気で立っている。ヒイラギの目を見て、その瞳に宿る怒気に身を震わせて嬉しそうに口を三日月の様に歪めて期待を込めた目で彼女を見据える。

 

「いやぁ、燃えてるねぇ」

 

 もっと赤々とした深紅に燃え上がる方が好みではあるが、ドス黒く燃え上がる黒々とした炎というのもまた乙なモノだと心の中でにこやかな笑顔を浮かべているクトゥグア。彼の顔面に皮靴の底がめり込む。

 吹き飛び、転がり、土と泥に塗れて転がったクトゥグアは潰れた鼻を抑えつつ二人を見上げ、小さく文句を零した。

 

「いや、神を足蹴にするとか君ら本当にすごいよ」

「神なんて身勝手な糞野郎ばっかだろ」

「いや、良い神も居るさネ。こいつは屑の中の屑だけど」

 

 酷い言い草だとクトゥグアが溜息を零して立ち上がる。鼻から零れ落ちる血を拭おうとするも両手を縛られていて出来ない。鼻から垂れた深紅の神の血(イコル)が零れ落ち、クトゥグアは自らが流した血を見て笑みをこぼす。

 

「いやぁ、楽しいねぇ」

「……糞、テメェがヒヅチの主神じゃなかったらとっくの昔に殺してやるのに」

「はははは、今すぐ殺してくれても良いんだぜぇ?」

 

 今この瞬間にクトゥグアが死ぬと、ヒヅチ・ハバリに与えられた神の恩恵(ファルナ)は掻き消える。そうなればカエデと本気で殺し合っているヒヅチがどうなるかは火を見るより明らかだ。

 もし斬り結ぶさ中に恩恵の効果が消え去れば、最悪の場合はカエデがヒヅチを殺してしまう結果になりかねない。そうならぬ為にも彼を殺すのならヒヅチとカエデが戦っている場所に連れて行き、タイミングを計る必要がある。もしくは殺した瞬間にホオヅキが乱入して止めるか、だ。

 苛立ち交じりにクトゥグアを蹴っ飛ばしては転倒させるホオヅキに、ヒイラギが溜息を零して彼女を止める。

 

「今は急いでるんだからやめとこうぜ」

「けっ、命拾いしたさネ」

「……いや、命拾いって、俺これから処刑場に送られるんだよね? そこで殺されるんだよね? この場では死なないんだからむしろ命捨てさせられるんじゃねぇの?」

 

 ホオヅキの言葉にわざわざ律義に突っ込みを入れつつもクトゥグアは鼻から血を零しながらも立ち上がって歩き出す。時折、ホオヅキが持つ戦爪が背中にチクチクと刺さる中、戦いの場に向けて歩む彼らの視線の先に、異形の怪物が立ちふさがった。

 

「あ? なんだこ────」

 

 一瞬の出来事だった。ホオヅキが慌ててヒイラギを担いで飛び退いた瞬間、振り下ろされた数本の足がクトゥグアの脳天に振り下ろされ、身体が一瞬でぺちゃんこに潰れて内容物が飛び散る。驚愕の表情のホオヅキとヒイラギの目の前の異形、人の手足が無数に生えた悍ましい怪物がほんの一瞬だけ彼女らの瞳に映し出され、次の瞬間に光が弾ける。

 地上で何よりも美しい光────そう謳われる事もある神の死に際に発生するその光は、邪神であったからか悍ましい色合いを宿し、見る者全ての心を脅かす。精神を蝕む奇怪な色合いの光にヒイラギが悲鳴を零しかけた瞬間。

 指を弾く音が響き渡った。

 

「はい、ゲームセットォ……今回は私の勝ちでしたねぇ。クトゥグア」

 

 語尾に『はぁと』でも付きそうな程不気味な声色。彼が響かせた指を弾く音、それは地上の規則(ルール)に抵触した愚かな神を送り出す合図。

 『神の力(アルカナム)』の力を感知した男神が放つ合図によって、一柱の邪神の体の潰れた地点からは瞬く間に光の玉が浮かび上がり、ドンッ!! という凄まじい轟音を響かせ巨大な光の柱が天に向かって立ち上った。

 まるで逆行するかのように地上から天に向かって突き刺さる光柱。一柱の神が『天界』へと送還される光景にホオヅキとヒイラギが言葉を失う中、コツッ、コツッとわざとらしい足音を響かせて歩み出てくるボロボロのローブ姿の邪神。殺したはずだと思っていた、神ナイアルは軽薄そうな笑みを浮かべて空を見上げて両手を広げた。

 下界という名の遊戯盤(ゲーム)に敗北した神々は、二度と下界には帰ってこれない。

 宿命の天敵(ライバル)たるクトゥグアを敗北させた事に歓喜を示すナイアルは、気色の悪い笑みを浮かべてケタケタと笑う。

 光の柱の消えたその場所に残された、ほんのわずかな肉片と残骸にナイアルは歩み寄り、踏み躙って嗤う。

 

「やりました! 私はやりとげましたよ! 薄汚いド変態野郎を潰して、潰して」

 

 踏み躙る、踏み躙る、踏み躙る。何度も、何度も何度も、執拗に地上に残された残滓たる肉片すら恨む様に、憎む様に踏み躙り、泥と混ぜ合わせて薄汚い汚泥に変えてゆく。

 

「見ての通り薄汚い汚泥に変えてやったぞ! どうだ我が天敵(ライバル)。これで私の邪魔だてなんぞ出来まい! 残った肉片も汚泥に塗れて薄汚いお前にはお似合いだ! アヒャッ、アヒャヒャヒャッ」

 

 狂ったように、否狂った笑いを零すナイアルの姿にヒイラギとホオヅキが目を剥く。

 つい先ほどの濃縮した狂気を巻き散らす神の力(アルカナム)の光によって一瞬で正気を失いかけた二人だったが、目の前で狂った邪神の姿に逆に正気を取り戻す。ぐるりと一周回って正気を取り戻した二人が慌てて構えた瞬間、ナイアルと二人の間に異形の怪物が割り込んだ。

 顔は老婆、不気味な男性、顔が半分潰れた女性の三つ。胴体には無数の切れ込みが入っており、それを縫い留めている。零れ落ちかけているのは内臓ではなく、人の腕。それも手には短剣が握られており、無造作に振り回されていてまだ中に収められた人物が生きている可能性が脳裏をよぎるが、その胴体の大きさに比べ、生え茂る腕の数は尋常ではない。胴体にどうかんがえても収まりきる人数ではない腕が生えている。

 そして極めつけは足だ、四本の脚がそれぞれ四方に向いている。不気味であり、命を、ヒトガタを冒涜し尽くした様な異形の怪物。淀んだ五つの瞳が二人を見下ろす。

 

「な……なんだコイツっ」

「……怪物(モンスター)……こんな奴、ダンジョンじゃ見た事な────」

「────待て、アイツの顔、どっかで見た……あの婆の顔! ヒヅチを操ってたエルフのババアだ!!」

 

 異形の怪物。人間という生き物の体の一部を材料にして作り上げられた不気味な物体。悍ましい狂気の産物に二人が怯んでいると、その老婆の顔がぎゅるんと音を立てて二人を見た。遅れて残る男性の顔と半分潰れた女性の顔も向けられる。

 

『ァー、ソンなに怯えるナ。害は加えナい』

 

 へしゃがれた三つの声が同時に響く。老婆のもの、青年のもの、そして金切り声に近い女性のもの。耳を劈く音色に二人が耳を抑えるのを見た異形の怪物が肩────肩だと思われる部分を竦める。

 

『ダから嫌だッタんだ』

「いやぁ、貴女のおかげで最っ高のタイミングでクトゥグアを殺せましたよ。もう地上に思い残す事は────まだまだ沢っ山ありますねぇ」

 

 三日月の様に口を耳元まで引き裂いた様な笑みを浮かべた青年神。紫色の髪を撫でつけ、異形の怪物に近づくナイアルにホオヅキが吠えた。

 

「お前もさっさと死ねさネ!」

「んん? ああ、貴女も居ましたか。いえ、今はどうでも良いですね」

 

 確かに貴女を壊すのも一興です。しかし今は貴女よりももっと壊したい人間(こども)が居るんです。そういって不気味に笑う彼は、異形の怪物の無数の腕に抱き込まれて持ち上げられる。

 人間の部品を使って作り上げられた怪物が溜息を零しながらもナイアルを壊れ物の様に大事そうに抱え持ち、男性の顔を二人に向け、微笑みの表情を浮かべた。

 

「悪いな、ウチの主神が迷惑をかけて」「これはどうにもならん(さが)なんだよ」「ユるしてトハ言わナイ」

 

 三つの顔が、それぞれバラバラに会話しだす。繋げてみれば一つの台詞、けれどもそれぞれの声色の差から不気味な怪物の叫びにしか聞こえず、最後に至っては金切り声でまともに聞き取る事も出来ない。

 

「では、行きましょうか────カエデ・ハバリとヒヅチ・ハバリを壊しに。二人が壊れたらどうなるのか、楽しみで仕方ありませんねぇ……もしかしたらもう壊れてるかもしれませんが」

 

 ケタケタと笑うナイアル。

 その姿にホオヅキが目を見開き、ヒイラギがナイアルを指さして吠える。

 

「姉ちゃん! あいつを()()

 

 『頭脳』が持ち得る能力。『白牙』に対する絶対命令権の行使。

 元『白牙』であるホオヅキも例外ではなく、ほんの一瞬、迷い無く────命令による増幅(ブースト)もあり、まさに瞬く間にナイアルを殺さんと鉈を振りかぶる。

 ドンッと地面が弾ける程の踏み込みを以て一瞬で近づいたホオヅキの鉈が、太い剛腕に防がれる。鉄製の手甲(アームガード)に守られた筋肉質の腕。火花を散らした次の瞬間には異形の怪物────【妖虫(シャン)】の胴体から生える無数の腕がホオヅキの胴体をからめとり、彼女を投げ飛ばす。

 

「ぐぁっ、なんで効かないさネッ」

「糞っ、逃げるんじゃねぇっ」

 

 ホオヅキを投げ飛ばした怪物は、次の瞬間には跳躍して一気に二人から距離を放した。カエデとヒヅチの居るであろう地点に向かって一直線────ホオヅキが身を起こしてヒイラギを背負い、歪な見た目とは裏腹に俊敏な動きで逃げていく異形の怪物と邪神の後を追った。

 


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