生命の唄~Beast Roar~ 作:一本歯下駄
『なあ、アタシ等が
『待たずに逃げたさネ』
『いや、普通に逃げるだろ。鉈片手に血塗れの女が迫ってくるんだぜ?』
『……確かに、コイツの言うとおりかもしれないさネ』
『なに納得してんだよ姉ちゃん、とりあえず────お前を殺す』
『あー、ストップ。ナイアルまだ死んでないんだけど? ナイアル殺したから俺を殺しにきたんだろ? 嘘つくなって、アイツまだ生きてんだけど』
『はぁ? たしかにアイツはゴブリンの巣で……』
『死んだら光の柱立つだろ? 立ったのか? 立ってないならまだ生きてるっつの、あほかよお前』
放たれる魔力の波動。
弾け散る雷に打たれた体躯はあっけなく吹き飛んで大地を転がり、陸に打ち上げられた魚の様に激しく痙攣を引き起こす。
驚愕の表情を浮かべたフィンの目の前から掻き消えたオッタルの姿に彼が声を失った直後、剣戟の音と共に火花が飛び散りヒヅチが距離を置く様にフィンの前から飛び退いた。
「ふむ、これで十人……この調子ならまだ戦えそうじゃな」
「はは、流石……カエデの師を務めただけはあるね……」
痙攣が止まり、黒煙を体中から燻らせるオッタルを肩越しに見たフィンは静かに槍を構え、穂先が無くなっている事に気付いて顔を引き攣らせる。
獲物を失ったフィンを見据えたヒヅチの足元から雷特有の火花が弾け散り、彼女の手にしている刀が紫電を纏う。
下手に受ければ得物を通して電撃を受けてオッタルの様に黒焦げ。当然、フィンが攻撃する際にその刃で受け止められても同様。唯一、遠距離攻撃手段たる弓を扱うジョゼットと、彼女が生み出した魔弓による一斉掃射が断続的に放たれる事で今はなんとかなっているが、これも長く続かないだろうとフィンは舌を巻く。
治療した【
残っているのは【ロキ・ファミリア】が誇る三人、【
Lv6が三名、Lv5が三名。合計で十六名で挑んだ戦いを制しつつあるのはたった一人で戦い抜いているヒヅチ・ハバリの方であった。
それでも消耗が無い訳ではない。彼女が持ち得る魔術行使に使っていた魔法石は既に半分以下で、途中からは魔術の行使の頻度が落ちていた。────それでもオッタルが倒れた事は大きい。
「ペコラ、君は下がれ。ティオネ、前に出るんだ」
「ですけど……」
「団長の指示よ、従いなさい」
フィンが近場に転がっていた長槍を拾い上げる。この長槍は敵方の持っていたモノなのか質は良くない。けれど無いよりマシかとフィンが苦笑を浮かべつつも指示を出す
ペコラが持つ大戦槌は既に半壊しており、戦闘に耐えうる物ではない。それに加え、ヒヅチの持つ剣はペコラの持つスキル特性を無視して彼女を
本来なら打撲しか負わない彼女が、である。すでに限界近くまで前衛
数人による連携を駆使して現状を維持していれば、流石に気づく。
「彼女は
真っ先にオラリオ最高峰の連携を以て戦闘を行う【
逆に連携を取らずに個の強さで戦う者は彼女に敵うまい。一対一で勝利を得るのはほぼ不可能、それに付け加えるなら、『白黒の騎士』とよばれた
ひとえに【ロキ・ファミリア】が残っているのは各々が連携を重視して戦っているからだろう。
人の限界の力を超えた怪物を狩る為に鍛え上げられた技能。それは人が持ち得る
「ガレス、もうひと踏ん張りできるかい?」
「ああ、まだなんとかな」
せめてカエデが来てくれれば。フィンが小さく零した言葉を聞いたヒヅチが目を細めた。
魔力の酷使と刻まれた刻印の抵抗、そして第一級冒険者十名を打ち倒すという化け物染みた偉業を成し、表面上は平静さを保ちつつもすでに半ばまで精神を蝕まれた彼女は呟かれた名に反応する。
「カエデか、懐かしいな」
口元に優し気な笑みを浮かべ、ヒヅチは朗々と語り出す。
あの頃の生活、ツツジ有りし日の頃。彼女の母親であるキキョウについて、戦闘中の奇行ともとれるその行動に【ロキ・ファミリア】の面々が警戒しながらも距離をとる。
冷静に場を見極める戦士の瞳でありながら、どこか虚ろで視点のあっていない狂人染みた色合いを宿すヒヅチの姿に誰しもが息を呑み、リヴェリアが問いかけた。
「カエデはお前を救おうとしているのだ、止まってはくれないか」
リヴェリアの説得の言葉。カエデの名に反応したからこそ、彼女の名を出して止まらないかと期待したその言葉に対する返答は────刃による一閃であった。
「ぐぅっ」
「ガレスッ」
「下がれリヴェリアッ!」
リヴェリアの首元数Cに迫った刃は、ギリギリの所で大盾を翳したガレスによって阻まれ、止まった所にフィンの長槍の一突きとティオネの
攻撃を回避したヒヅチに殺到する光の矢。ヒヅチが刃を一振りすれば呆気なく散っていく光の矢、はらはらと舞い落ちる粉雪のような魔力の残滓を払い除けたヒヅチが鋭い眼光でリヴェリアを睨み、口を開いた。
「救う? 誰が、誰を? カエデが、ワシを? 救うと? 本気で言っておるのか? 正気か?」
徐々に、言動が狂っていく。正気を失いつつある────否、元より正気など上っ面だけのモノだった。内側に潜んでいた狂気が表層を覆っていた正気を食い破り、芽を出しつつあるだけだ。
「笑わせてくれるな小娘、ワシが救われるなんぞ、あるわけがない────あってはならんのだぞ?」
自分が救われるなんぞありえない。そう言い捨てた彼女にフィンが反論を返す。
「それでもカエデは君を救おうとするだろう」
「それはいかん。ワシは殺されねばならぬのだからな」
「……彼女はそれを望まないだろう。君を殺すなんて、カエデが望む訳がない」
迷いが生まれたのか彼女の瞳が大きく揺れる。
「何もしておらぬ者には何も無い」
ドロドロと濁っていく瞳の奥、ヒヅチ・ハバリは刃を一閃し、迷いを断ち切って吠えた。
「罪には罰があるべきじゃろう? 儚い願いであっても叶うべきであろう? 生まれ落ちたその日に、何の罪もないはずなのに、罰が下るなどおかしな事ではないか?」
生まれたその日に否定され、殺されかけるなんておかしい。
罪が無いのであれば罰なんて必要ない。
罪があるからこそ罰せられるのが正しい。
カエデに罪なんぞあろうはずがない。だからこそ────彼女は救われなければならない。
「では、逆に問おう────罪を背負う者は罰せられねばおかしくはないか?」
罪科を背負ったのだ。同胞を両の手では抱えきれぬ程殺したのだ、救われるはずだった者が、笑顔を浮かべているべき者達が、共に笑いあった同胞が死んでいったのに────生き残った自分に罪が無いとでも?
「笑止千万、救われるべき者には救いを与え、罰せられるべき者には罰が下るべきじゃろう?」
ならば────罪深いこの身には罰が下らねばならない。
「世界はいつだって正しくあるべきじゃろう?」
助けを求めて手を伸ばした者が居て────そういった弱い者は片っ端から食い物にされて殺される。
「救いを求めた者には救いを与えるべきじゃろう?」
弱者を食い物にして私腹を肥やす者達が居て────彼らは毎日の様に飽食を続け、肥え太る。
「罪を犯す者らは罰せられるべきじゃろう?」
何故だろう、救いを求める者達の為に戦いに身を投じた戦士達は、私腹を肥やす罪人達の食い物として死んでいく。それを知らずして助長してしまった間抜けがいた。
「姉上を救えればそれで良かった────その為に罪科を重ねた」
積み重なる屍が背後に広がっている。夥しい数の躯が、彼らの亡骸が、罰を、罰をと囁きかけてくる。
「ワシは罪深き愚か者じゃ。ならば────そのワシが罰せられねば話は始まらん」
カエデ・ハバリが良き子だ。素直で、真っ直ぐで、正直で、救いを求めていた。
ならば
ヒヅチ・ハバリは悪しき者だ。自らの願いの成就だけを夢見て、数多くの屍の山を築きあげた。
ならば
「カエデには救いを、ワシには罰を……」
立ちふさがる者としてこれ以上相応しい者は居ない。本気で彼女を殺そうとし、彼女に殺される。
「カエデを愛している────ワシは
愛する者に殺される事こそ罪を犯し続けた者に相応しい末路で、自身に相応しい罰だ。
そして、自らが殺される事は神の恩恵を手にし救いを求める彼女にとっての『
「故に、まだ倒れる訳にはいかぬ。
より多くの罪を重ねよう。その最果てに待つ愛する子に討たれるその瞬間まで、数え切れぬ罪科を重ねよう。
重ねれば重ねるだけ、己が身に下る罰は大きくなろう。
悪には罰を、善には救いを、世界は正しく輝いていなければならない。
カエデは善で、己が身は悪。
故に────カエデを殺そう。
我が身に積み上がる罪科の最果て、命を狙う巨悪を討ち果たしたカエデが
汚泥の如く濁った瞳をオラリオの中央にそびえたつ摩天楼に向け、ヒヅチ・ハバリは吠えた。
降り注ぐ岩の大棘。円錐型に突き出た岩の槍が飛来する。
次々に降り注ぐ巨大な岩によって周辺一帯は土埃に塗れ、時折弾ける光が土煙もろとも冒険者を吹き飛ばす。
光の衝撃をギリギリで回避したベートの悪態が響く。
「くそっ、アイズっ」
「近づけないっ」
「攻撃、激しっ」
三人の冒険者が一人の老婆に蹂躙されている。
大きく窪んだ窪地の底、周辺の壁面から吐き出される大量の岩槍に押し潰されない様に動き回りながらも防戦一方と化した彼らの視線の先、薄淡く光る障壁に包まれた老婆が爛々と輝く狂い切った瞳で三人を強く睨んでいた。
「死ねっ、疾く死ねぇ!」
狂ったように────文字通り狂いながら杖を振るう狂人の姿にアイズが眉を顰め、カエデが冷や汗を流す。ベートだけは気狂い相手に鼻を鳴らして舌打ちを零す。
「なんだ、全く攻撃が衰えねぇ……どんだけ魔力があるんだあのババァは」
ベートの指摘通り、ありうべからざる程の魔法の力の発揮。現代における神の恩恵によって発現する詠唱魔法とは異なる次元に存在する古代式の魔法。現代魔法よりよっぽど燃費が悪いはずのその魔法を手足の如く、それも過剰に使い続けてなお、彼女の魔力が減っている様子は微塵もない。
魔力量の多いリヴェリアでさえこれだけの天変地異に等しい魔法を発動すれば一発で
耐え続ければ道が開けるかと回避し続けていたが既に日が昇っている。
カエデが顔を上げれば、自らの生み出した細氷によって幻日が浮かび上がり、三つの太陽が浮かんでいる様に見え、同時に身を震わせて自らの体温が限界近くまで下がっている事に気付いて魔法を解く。
解いた瞬間に足がもつれ、崩れ落ちかけた所をベートが抱え────目をむいた。
「冷ぇっ」
「あ……寒……ベートさん、あったかいです」
触れ合った瞬間にわかる凍り付く寸前の体温。極限まで下がった体温が誤魔化されていたのだろう、一瞬で身動きのとれなくなったカエデはベートに抱えられたまま虚ろな目でぐったりと動かなくなる。
「チッ、アイズ! どうにかあのババァに一発かませ!!」
このままだとカエデの治療もできないとベートが呟けば、アイズは静かに頷き飛んできた岩の棘を切り払い、あえて粉微塵に粉砕して視界を塞ぐ。
瞬間、駆け抜けたアイズが障壁に連続の剣戟を叩き込む。怒涛の
甲高い悲鳴にも似た音色を立てた障壁が粉砕され、障壁の破片を浴びながらベートは離脱し、アイズが鋭い突きを放ち老婆の胸を穿った。
ドスンッと鈍い音を立てて突き立つ刃。アイズが目を細めて老婆を見据え、ベートが地面に飛び下り────目を見開いて回避を行う。
一拍遅れてベートの居た地点の大地が隆起し、獄炎が噴き出した。溢れ出す深紅の液状化した大地。
真っ赤な色合いが一瞬で広がる中、アイズが目を見開いて剣を抜こうとするもびくともしない事に気付き、刺さったままの剣をそのままに離脱する。
「死んで無いっ!?」
「どうなって────糞、カエデ起きろっ、さっさと冷やせっ」
カエデの冷気に浸されていた二人は、一瞬で周囲の温度を数度上げる程の熱量を持つ溶岩の噴出に驚きながらも急ぎ溶岩の流れの及ばない安全地帯に足を運んだ。
一瞬の内に火口の様に溶岩に覆いつくされた窪地の底、一部残る飛来した大岩の棘の残骸の上に避難したベートとアイズが噴き出た汗を拭いカエデを叩き起こそうとすれば、彼女も熱気を感じ取ったのか目を見開いて口元をひくつかせた。
「熱い……え、っと……」
「早く魔法を使えっ」
「この熱気、中和しないと……」
一瞬の内に気温は上がり続け、すでに肌がチリチリと痛みだす程にまで至った時点でカエデが慌てて魔法を詠唱する。つい先ほどまで凍死寸前に至っていたからだが、今度は焼死しかねない程に熱くなっていく。
「【
カエデの詠唱に合わせての攻撃が、来ない。
警戒する二人の周囲の岩場が次々に溶岩に呑み込まれていく中、カエデの魔力に反応したのか老婆が顔を上げるも、彼女の肌がジリジリと音を立てて焦げ付いているのに気付いたアイズが息を呑む。
「嘘、あのままだと焼け死ぬ」
「あん……自滅か?」
「【月亡き夜に、誓いを紡ごう。名を刻め────白牙は朽ちぬ】」
詠唱の完了と共に冷気が噴き出し────周囲の熱波とせめぎ合い、気温が中和されて焼けこげる程ではなくなる。
そんな中、老婆が杖を振るおうとしているが、よく見れば彼女のローブの端が燃え上がっている。
自らのローブが燃えているのに気付いているのか、気付いていないのか、胸に剣を突き立てられたままの老婆は杖を掲げたまま炎に飲まれていく。
驚愕の表情を浮かべるベートとアイズ、そして炎に飲まれゆく姿を見たカエデはとある青年の姿を思い出していた。
かつて自らの操る魔法にのまれ焼け死んだ青年。アレックス・ガードル。彼の姿が脳裏をよぎったカエデは即座に行動を起こした。相手は敵である、けれども────目の前で自らの魔法で焼け死なれては目覚めが悪い。
「すいません、ここで待っていてくださいっ」
「おい、カエデ何を────」
ベートとアイズの制止を振りきり、二人の間に氷の塊を生み出したカエデが溶岩の海を駆ける。
足場となる溶岩を一瞬で冷やし、冷えてなお焼けた鉄板の様に熱を持つ固まりかけた溶岩を踏みしめて進む。一歩で数Mの距離を一気に詰め、老婆を救わんと腰に括りつけられていた水袋を凍らせて放り投げた。
熱気で瞬く間に水に戻ったそれは、老婆の頭から降り注いで彼女の服を焼く炎を打ち消す。驚きの表情を浮かべる老婆の首根っこを掴み、一気に駆け戻りながらもカエデはベートとアイズに声をかけた。
「このまま駆け上がりますっ!」
「正気かよっ」
「……わかった」
気狂いの老婆まで救わんと手を差し伸べる姿にベートが驚愕しつつもカエデに続き、アイズもそれに続く。
カエデが溶岩の海を冷やし固め、その足場を伝って一気に壁際に到着。そのまま老婆の首根っこを掴んだままのカエデが駆け上がるすぐ後ろをベートとアイズが続く。
老婆の胸には剣が刺さったままで、首根っこを掴まれたまますぐ後ろを走るベートとアイズを見据え、杖を振るおうとする。瞬時にベートが蹴りで杖を蹴り飛ばせば、杖は中空をくるくると回り、そのまま溶岩の海に落ちていく。
岩壁を駆けあがったカエデが草原に老婆を投げ出し、魔法を解いて老婆と向き合う。焦げ付いたローブに力なく地面に倒れ伏した死にかけの老婆。痩せ細り既に満足に動けないはずの体を魔力で動かしていたのか体中になんらかの刻印が刻まれている。
それを見下ろしたカエデが口を開くより前に、ベートの声が響いた。
「なんでその糞ババァを助けやがった」
殺しにかかってきたんだぞ。そんな言葉を聞いたカエデが顔を伏せ、直ぐに上げた。
「確かに、殺すべきだったかもしれません。でも、彼女に聞きたいことがあったんです」
「聞きたいことって?」
アイズの問いかけに答える事なく、カエデが老婆を見下ろす。触媒であった杖を失った事でまともに身動きがとれなくなった不自由な老婆は、暴れるでもなく目を見開いたまま血走った眼でカエデを見上げていた。
ドロドロに濁った瞳の中に、ほんの微かな光が宿る。もしかしたら杖が、あの杖がこの老婆を狂わせていたのかもしれない。そんな考えが脳裏に過ったカエデが静かに老婆の前に膝を着き、彼女の手をとった。
「ヒヅチはどこに居ますか?」
「…………お前は、あの狼人の娘か」
「答えてください、ヒヅチはどこですか?」
「……死ね、裏切り者め」
老婆が最期の力を振り絞る様にカエデの腕を握る。弱々しく、とてもではないが痛みを感じる程でもない、力のない老婆の手、目を細めたカエデが最期に問いかけを遺した。
「何か、言い残す事はありますか?」
薄らと宿っていた光が、強く瞬く。老婆の中に残っていた、微かな何かが今の一言で呼び起こされたのか、彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべ、小さく呟いた。
「ヒヅチに謝っておいてくれ」
「……わかりました。代わりに謝罪の言葉をヒヅチに伝えます。それでは────」
優しく手を振り払い、倒れ伏した老婆を前に百花繚乱を引き抜いて振り上げる。
ベートとアイズが見守る中、カエデは老婆の首を刎ねた。零れ落ちるべき血すら残っていない枯れ果てた老骨が砕け、僅かな血を零して躯が倒れ伏す。
背後に広がる窪地を見てから、カエデは静かに彼女の転がった首を近くに置きなおし背を向けてベート達に向き直った。
「行きましょう、少し遅れましたが────急げば間に合います」
本来なら埋葬するか火葬するかすべきところではあるが、そんな余裕はどこにもない。
遅れた時間を取り戻すべく、カエデが駆け出していく。遅れてベートとアイズが一度だけ老婆を見てから、カエデの後を追った。
「殺しにかかってきた奴まで無意味に助けるなんてな」
「…………」
狂喜乱舞するナイアルの横、腐りかけの少女の体で千切れた足を縫い留めていた【
目の前に転がっているハイエルフの老婆の躯に接吻しかねない勢いで狂喜乱舞しているナイアルを見ながら、【
「なあ、それ使わなきゃダメか?」
「何を言っているんですか。確かにからっからに干からびた鶏ガラみたいな老婆ですが、中身は本物ですよ? あなたも英雄の体っていうのを使ってみたくはないですか?」
さんざんクトゥグアによって精神を狂わされてなお、最後の瞬間にはほんの少しだけとはいえ正気を取り戻すことが出来る本物の英雄の魂の宿った器。たとえ狂い果てたとしても、その高貴な魂の宿った器はそれだけで万金の価値がある。
その為にもカエデ・ハバリ達が消え去るまで隠れてみていたのだ。
その器、使えば間違いなく良質であろうことは【
「だからと言って、ここまで死んだ奴だと
肉体を乗っ取るのには相応な精神力が必要であり、一度乗り移ると他の肉体に乗り移る事が難しくなる。
しばらくの間はその肉体を使わなくてはならないのだが、いくらなんでも一度首を落とされる以前に胸を剣で穿たれた肉体なんぞ使いたくもない。そも、心臓すら失って体の中身がくり抜かれて人形状態だった彼女に乗り移るのも気が進まない。
「確かに英雄だ、私もビックリ。でもそれを手にして死んだら無意味」
次の肉体に乗り移るまでにその肉体は朽ち果てる。つまり、次が無い。肉体さえ乗り移り続ければ永遠の命とも呼べる【
「素晴らしい、素晴らしい! 素晴らしい!!」
嗚呼、なんと素敵な器だろう。そんな風に呟いて老婆の躯の至る所────首の切断面に至るまで────に接吻を落とす美青年。顔が血まみれになろうがお構いなしのその行動に【
「ああ、ここで死ぬのか」
「安心してください。この器はそう易々と死にはしませんよ。胸を穿たれてなお生きてる化け物ですからね」
「はぁ、どのみち、身体が腐って限界かぁ」
周辺にあった躯はナイアルが喜々として頭部を踏み潰して破壊してしまい、残っているのは目の前の斬首死体である。体も頭も無事だ、首が切り離されている事を除けば、だが。
ほらほらと老婆の頭をぐいぐいと押し付けてくる神ナイアルに苛立ちを覚えつつも、【
「せめて胴体と繋げろボケ神」
このまま乗り移ったら首だけの体になってしまう。そう文句を零せばポンと手を叩いたナイアルが針と糸を取り出して首と体を縫合し始めた。その様子をみながらも千切れた足を見て、蛆に肉が食い破られてまともに足として機能しなくなっていた事に気付いた【
僅か数分で綺麗に首を縫合したナイアルの縫合技術に目を見張るべきか、それとも目の前の老婆の肉体が他のそこらに転がっていたいくつかの死体の一部を組み合わせて化け物染みた容姿にされたことを嘆くべきか。
「おい、なんだそれ」
「見てください────腕が七本ですよ、七本。極東では『七』っていうのは縁起が良い数字らしいですよ! 足なんて四本です。四脚、安定性抜群ですね!」
【
そんな彼女が驚愕に目を見開いた瞬間、眼孔の中から眼球が零れ落ち、片目の視界が失われる。すでに限界に近い体の彼女に選択肢はないと言える。
丁重に、乗り移る事が出来ない
「おい、おい、おいおい!」
「なんですか? って、顎が外れかけてるじゃないですか」
「ひゃんひゃふおふあっ!」
なんだそれは、その叫びは顎が外れた事で聞き取れる声になる事なく零れ落ちた。
目の前の異形の怪物、その頭が三つあった。一つは道中で拾ってきた代物────胴体が綺麗に潰されて頭しか残っていなかった女性の頭部。もう一つは頭部が半分潰れたモノだ。
まるで
深い溜息を零した積りで、顎がボトリと外れて千切れ落ちた。これ以上は本当に肉体が限界だと【