生命の唄~Beast Roar~   作:一本歯下駄

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『んー思ったよりも簡単に済みそうかな』

『……なぁ、一つ聞いてええか?』

『なんだいロキ』

『……【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】ってどこ行ったん? 途中から姿見えんのやけど』

『………………』

『恵比寿?』

『あはは、死んで無いよ。うん、死んではいない、かな』


『神を殺せ』《上》

 広大な草原地帯。青々としていたはずの草花は踏み荒らされ、数え切れぬ魔法の砲撃によって大地は隆起し、抉れ、耕され、元草原地帯と名を変える程の荒れ果てた姿を晒していた。

 その中央部、魔法の砲撃が最も激しく降り注いだ地点。若干土埃に汚れた金髪を揺らした狐人の女性が第一級冒険者達を相手に奮闘していた。

 くるくると踊る様に魔法の砲撃を切り捨て、近づいて白兵戦を仕掛けてくる怪物を超えうる力と耐久を持ち合わせた化け物染みた冒険者を相手にヒヅチ・ハバリは舌打ちをした。

 

「全く、またワシ一人になったではないか」

 

 周囲に散らばっていたはずの『神滅軍』は既に壊滅。ヒヅチ・ハバリが招来していた傀儡兵も全て討ち果たされ、散らばる陶器の破片のみがその痕跡を残すのみ。

 最初こそオラリオの混成軍が押されていたものの、物量の差と補給物資の有無が明暗を分けた形であろう。

 既に戦う意味を見出せないヒヅチは、けれども戦い続けていた。背中に刻まれた神の恩恵の所為か、それとも他の思惑があるのか。彼女は胸元に揺れる魔力石が半分以下の大きさになっていた。

 魔力の残りは既に半分を切り、これ以上の魔法行使は難しい────否、最後の一手の為にもこれ以上消費できない。

 

「しかし、しぶといのう」

「……それはこっちの台詞だよ!」

 

 傷だらけのアマゾネス────アマゾネスというにはその体躯は異常であるが。

 二Mを超える巨漢……巨女だ。狩猟着に似た赤黒の衣装には無数の傷、褐色の短い腕に短い脚、筋肉で構築されたその手足に無数の傷。横幅の太いずんぐりとした体型。

 女性として平均的な身長よりほんのりと高めの背丈のヒヅチですら顎で見下ろされる程の差がある巨女、【イシュタル・ファミリア】の団長【男殺し(アンドロクトノス)】フリュネ・ジャミールの怒声にヒヅチが眉を顰めた。

 

「その腹はどうなっとるんじゃ全く────ここまで斬れんのは初めてじゃぞ。あぁ、また刀がダメになってしもうた」

 

 言葉を発しつつもフリュネの腹を切り裂かんと振るわれた一撃が彼女の腹────筋肉の塊と化した鋼に勝る胴体にぶち当たり、狩猟着にも似た衣装を切り裂き、皮膚を裂き、筋肉に阻まれて刃がへし折れる。

 『緋々色金』を使った太刀は背中の鞘に納め、懐から取り出した札で作り上げた即席の『対魔刀』であったためかあっけなく折れた刃は虚空に霧霞のように消える。

 力任せに切ろうと、技量を以て断ち切ろうと、どちらにせよあの筋肉を切り刻めない。化け物染みたというよりはまさに()()()の名を冠するに等しい女────女というにはいささか抵抗があるその冒険者を相手に、ヒヅチは溜息を零した。

 

「ふむ、【勇者(ブレイバー)】に【猛者(おうじゃ)】の方が簡単だったんじゃがな」

 

 目の前の怪物染みた、ではなく怪物女はどうにも()()()()()と零しながらも新たな剣を手にする。周囲に倒れ伏した四人の小人族の冒険者をちらりと見てから、目の前の怪物女を見据える。

 

「いかん、本当にお主は人間か? アマゾネスなんぞどっかの少数民族でしかなかったはずなんじゃがな。いつの間にか化け物となっておったとは知らなんだ」

「ゲゲゲッ、力も美貌も劣る不細工が何か言ってるねぇ。女の嫉妬はこれだから困るんだよ」

 

 話が通じている様でいて、全く通じていない。そんな印象を抱いたヒヅチが明らかに引いた様に一歩後ずさり、他の冒険者をうかがう。

 先ほどまで連携に次ぐ連携でヒヅチを抑え込んでいた【ロキ・ファミリア】の三人の冒険者は無言で視線を逸らし。【フレイヤ・ファミリア】の者達に至っては倒れた仲間を治療しており、怪物女の援護をする気が微塵もない事がうかがえる。

 彼女と共に動いていたはずの同派閥に所属する戦闘娼婦達であっても目の前の怪物女を援護しない事に疑問を覚えつつも、ヒヅチは再度刃を構える。

 

「どうせ負け戦じゃし、別によいか」

「ごちゃごちゃ煩い犬っころだね!」

 

 フリュネの振るう特大剣が大地を抉り込む様に振り上げられた。盛大に土を巻き上げる様に振るわれた一閃によって土が飛び散り、他の冒険者が近づけない場を作り上げる。

 飛び散った土によってヒヅチの姿がよく見えなくなる。それは致命的な事だ、彼女の初動はとにかく早い。故に初動を予知して動かねばならないのだが、その初動を見切る事を邪魔しかねない程に土を巻き上げる戦い方をしているのがフリュネなのだ。

 他の者達はフリュネの援護をしないのではなく、フリュネが援護しようとする仲間の妨害をしているだけである。それでいながらその筋肉質な肉体でヒヅチの斬撃の悉くを受け止めている事から、フリュネは他の者達が尻込みする中、一人だけ戦っている形になっている。

 それがフリュネを増長させているのだが、本人は一向に気付かず、ヒヅチはそれに付き合わされて不機嫌そうな表情を浮かべている。

 

「アマゾネスとはこんな種なのか? いくらなんでも化け物過ぎるじゃろ」

 

 アマゾネス達が聞いたら口を揃えて『違う』と叫ぶだろう事を呟きつつも、ヒヅチは振るわれる特大剣を避ける。盛大に巻き上がる土埃に紛れる様に身を隠し、一拍で距離を詰めて斬撃。首を狙ったその斬撃は首回りの強靭な筋肉に阻まれて致命傷に至らない。

 耐久云々以前に、純粋な筋肉に斬撃を阻まれる事実にヒヅチの表情が苦々し気に歪んだ。

 

「いやいや待て待て、流石にぃっ!?」

 

 盛大に振るわれた反撃の一閃。巻き上がる土を浴びながら即座に二本の刀を交差させて逸らす。刀身が粉々に砕け散る中、ヒヅチは土塗れの着物の裾をたなびかせて全力で後退しながら札をばら撒く。

 土くれが人型に変わり、狐人の戦士の姿を形どるも動き出すより前にフリュネの大剣が振るわれ、粉々の土くれに逆戻り。時間稼ぎにもならない足掻きにヒヅチは冷や汗を流した。

 化け物より化け物ではないかと内心呟きつつも、続く一閃にヒヅチは引き裂かれた。胸の辺りから真っ二つに引き裂かれたヒヅチ・ハバリの体が吹き飛び、()()()()()を巻き散らして霧散する。

 

「ゲゲゲッ、アタイの勝ち────あ? どうなってるんだい、確かに今────」

「────殺した、と?」

 

 盛大に巻き上がった土煙が晴れた先、フリュネの特大剣によって真っ二つにされたはずのヒヅチが立っていた。

 

「確かに殺したよ!」

「あぁ、確かに死んだな。いやはや、困ったのう」

 

 オラリオ最強【猛者(おうじゃ)】ではなく、たかが第一級(レベル5)の戦闘狂いで色狂いな怪物女に殺されるとは思わなかった。ヒヅチはそう呟きつつも砕けた木片を懐から取り出して投げ捨てた。

 はらはらと黒い消し炭になって散り散りになって木片は消えてなくなり、彼女は静かに首を横に振った。

 

「もう限界か」

 

 これ以上の戦闘は、身が持たない。それに加え────先ほどから主神(クトゥグア)がうるさい。

 彼女の脳に直接刷り込まれる様な神の囁き声。それが脳を犯し冷静な判断能力を削り取っていく。いまだに自らが狂っているという程ではないにせよ、それでもこのままではいずれ狂うだろうとヒヅチは笑う。

 

「それでも、カエデが来るまで耐えねばならんな」

 

 カエデ・ハバリの為にも、今狂う訳にはいかないと歯を食い縛り。詠唱を響かせる。

 左手に刀を持ち、右手で九字を切る。片手で行われる簡易な九字切り。

 

「【其に記せ────臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前】」

「何をやってるんだいこの不細工っ」

 

 振るわれる特大剣を回避しつつも詠唱を終え、右手には数枚の御札が掴まれていた。

 

「【炎札──灰塵飛翔】」

 

 フリュネに向けて放たれた一枚の札。紙切れとは思えないほどの鋭い軌跡を描いて飛翔する札がフリュネの肌に触れ────ほんの瞬きの間にフリュネ・ジャミールを炎が包み込んだ。

 響き渡る絶叫を耳にしながら、ヒヅチは眉を顰めて札と剣を構える。油断していい相手ではない、というよりこのアマゾネスはヒヅチの天敵に位置する相手だと認識したのだ。

 他の者達も構えらしい構えをとってフリュネを迎え撃つヒヅチの姿に驚愕しつつも、あえて距離をとる。

 

「いかん、効いとらん」

「何をするんだいっ」

 

 バンッと炎が弾け散り、若干おかっぱ頭が焼けて髪の毛の飛び跳ねる姿を晒しているフリュネにヒヅチが舌打ち。相性が悪すぎると独り言ちて身を引こうとし────ヒヅチの頬を走る入れ墨が淡く輝く。

 

「なぁっ!?」

「んん? 何だいその気持ち悪い刺青は。まあ不細工には似合ってるんじゃないかい」

 

 ゲゲゲッと気色の悪い笑みを浮かべたフリュネを眼前に、ヒヅチは膝を着き首を押さえて震えだす。魔力の流れが乱れ、ヒヅチの体と精神を侵していく。

 

「ぐぅっ……あの、死にぞこない……」

 

 徐々に色濃く刻まれる刺青が首から頬にかけてだけでなく、右腕にまで浸食を広げ、御札にすら刺青が広がる。

 

「待て、あやつ……ぐぅっ……くそ、情けなんぞ……かけずに殺せばよかった」

 

 ヒヅチの身に刻まれた隷属の刻印。情けをかけ殺さずにいたリーフィアの放った呪詛が彼女の体を侵食していく。より強く、より鮮明に、彼女が思い描く憎悪を精神に深く刻み込まれていく。

 

「やって、くれたな……」

 

 憎悪に狂う一人の女が生み出した狂気の産物。ヒヅチを侵し狂わせる憎悪の感情が一気に流し込まれ、彼女の瞳から光が失われかけ、背中にあった太刀を引き抜いて自らの身を軽く裂いた。

 血が迸り、初めて負傷らしい負傷をしたヒヅチが着物を鮮血に染め上げながら立ち上がる。呪詛を引き裂いたヒヅチは残りの札を自らの身に張り付けて顔を上げた。

 

「全く……まあこれで後顧の憂いは断てたか」

「自分を斬るだなんて、アタイのあまりの美しさに頭でもおかしくなったかい? ああ、でもその気持ちはわかるよ。アンタみたいな不細工がアタイみたいな美女を前にしたら自分を切り裂きたくなるのもね」

 

 相変わらずというべきか、フリュネは調子を崩すこともなく特大剣を片手に握りしめ、ヒヅチを見下していた。それを相手取るのも疲れていたヒヅチは無造作に『緋々色金』の刀を振るう。

 先ほどと同じ感覚で刃をその身で受けたフリュネ。彼女の腹を裂いた刃が振り抜かれ、驚きに目をむいた怪物女は一歩後ずさる。

 

「は……?」

「やはり紛い物では限度もあろう。本当なら振るう積りは無かったんじゃがな。退けヒキガエル、ワシの道を塞ぐな」

 

 二度目の剣閃が閃き、火花を散らして止められた。

 フィンの持つ槍と鬩ぎ合い、互いに弾きあって距離をとる。

 フィンは腹を押さえてうずくまったフリュネを一瞥し、溜息を一つ。

 このままフリュネに抑えて貰えれば楽ができただろうが、唐突にヒヅチの動きが変わった。先ほどまでの殺す気の見られない刃とは違う。今振るわれた刃は、フリュネを殺す積りだった。

 

「ゲゲゲッ、アタイに王子様が来てくれたねぇ」

「……僕は君の王子になった積りはないよ」

 

 ただ、腐っても第一級冒険者であるフリュネが倒されてしまえばオラリオとして損失が大きい。だからこそ庇っただけで彼女の言う通り美しさに目がくらんだ訳ではない。ある意味目が眩む光景ではあるが。

 

「アタイの美しさに、男どもはいちころだからねぇ。ここはアタイの美しさに免じて任せてやるよお」

 

 彼女の身勝手な言い分を聞くこともなく、フィンは槍を手にヒヅチに接近する。

 瞬く間に懐に飛び込んで槍を振るうフィンに対し、懐から抜き放った小太刀で対応するヒヅチ。火花が散り合うなか、ヒヅチが目を細めて飛びずさりながら御札をばら撒く。

 瞬く間に御札は火柱に転じ、フィンとの間を塞ぐ序に横から迫っていたガレスの進路を完全に塞ぐ。リヴェリアの詠唱を聞いたヒヅチは即座に彼女を睨んで呪言を呟く。

 

閉ざせ

 

 放たれたのは簡易な呪言。相手の口をほんの一瞬だけ縛る、それだけの効力しか持ち得ない代物。魔法詠唱中に使われれば強制的に妨害できるモノで、詠唱者の技量次第で魔力暴発(イグニスファトゥス)に貶める事が出来るモノだ。リヴェリアは即座に魔力を霧散させたおかげで魔力暴発(イグニスファトゥス)しなかったものの、詠唱自体は失敗に終わる。

 ヒヅチの呪言を見逃さなかったフィンとガレスが隙をついてヒヅチを狙うが踊る様に回避されて攻撃は当たらない。

 フィンとガレスの猛攻の合間に詠唱をしようとするも、ほんの僅かな動作で妨害されて上手く詠唱すらできないリヴェリア。本来ならリヴェリアを切り捨てるなりで無力化したいヒヅチはフィンとガレスの連携の前にリヴェリアに近づく事もままならない。

 膠着状態に近い状態へと陥ったヒヅチが舌打ちを零した。

 

 

 

 

 

 草原を駆け抜ける三人の影。

 太陽が昇り出すまであと少し、暁の空を見上げたカエデは正面方向、オラリオ方面に続く道を見て息を呑んだ。

 数多くの躯が打ち捨てられている。そのどれもが、冒険者とは思えない麻布の衣類の上から簡素な革製の防具を身に着けただけの、そこらの町に居る自警団かと見紛う装備の者達ばかり。

 不愉快な死臭漂う道を駆け抜けだし、日が昇るまであと数分といったところ。続く屍の道の先に誰かが立っているのに気付いた三人が足を止めた。

 老いて枯れ枝の様に痩せ細った腕、手に握られているのは古びた木製の杖、先端には禍々しい色合いの魔法石。フードの下から覗く目は爛々と獰猛に輝いている。飛行船の上で襲ってきた、古きハイエルフの女性。

 リーフィアという古代の英雄の一人────今では憎悪に狂った哀れな人。

 

「貴女は……」

「テメェはあの時の腐れエルフか」

「ベートさん、知り合いですか」

 

 アイズの言葉にベートが不愉快そうに鼻に皺を寄せた。

 軽蔑の色合いを乗せた目でその老婆を睨み、ベートは吐き捨てる。

 

「飛行船の上で襲ってきた婆だよ」

「……敵」

 

 端的に彼女は敵であると認識したアイズが剣を引き抜き、構える。同じく百花繚乱を構えようとしたカエデだったが、ベートが手で制す。

 

「お前は先に行け」

「でも……」

「このババアは俺とアイズで何とかする」

 

 出会ってから一言も言葉を発しない老婆。彼女が何を考えているのかは不明だが、その爛々と輝きながらもどす黒く濁った瞳からは憎悪と殺意しか見て取れない。

 ベートは既に臨戦態勢。アイズは構えを解かずに老婆を睨み、カエデは目を細め、頷いた。

 

「わかりました」

「さっさと行け」

 

 カエデが駆け出し、大回りして老婆を回避して進んでいく。

 老婆はそれを見送るでもなく、彼女の視線はカエデに向けられすらしない。それでありながら、彼女は杖を一振りした。瞬間、大地が隆起し彼女の背後に絶壁を生み出す。高さはゆうに20Mを超えている。驚きの表情を浮かべたベート、アイズ、カエデの三人が周囲を見回し、気付いた。

 周囲の大地が上がったのではない、三人と老婆が立っていた円形の部分が陥没したのだ。半径100Mに渡り沈み込んだ大地の底、老婆は静かに杖を掲げ、火球を生み出す。

 ベートが舌打ちと共に突撃し、アイズが魔法を詠唱した。

 

「ぶっ飛ばす!」

「【目覚めよ(テンペスト)】」

 

 ベートが老婆に一気に近づいて蹴りを放とうとした瞬間、火球が飛来しベートの進路を塞ぐ。それを風を纏ったアイズ一瞬で切り払いベートと共に老婆に突っ込んで突きを放った。

 ベートの蹴りと、アイズの突き。同時に放たれたその攻撃が魔力障壁に阻まれて甲高い音を立てる。舌打ちと共に後退するベートと、そのまま連撃を叩き込んで障壁を砕かんとするアイズ。断続的に響く甲高い音が陥没によって窪地となった周囲に響き渡る。

 不愉快そうにベートが耳を震わせる中、老婆が憎悪に濁った瞳でカエデを射抜いた。

 壁を登ろうと円形の壁面を蹴って駆け上がっていたカエデが身を震わせ、一気に壁面から飛び退いて距離をとった。瞬間、壁面から突き出た鋭い円錐型の岩がカエデのつま先を掠める。窪地の底に逆戻りしたカエデが舌打ちし、百花繚乱を引き抜いて老婆に向けた。

 アイズの様な風の付与魔法(エンチャント)であったのなら空を飛んで脱出できただろう。しかしカエデの氷の付与魔法(エンチャント)ではアイズのようにはいかない。

 どちらかと言えば相手の体温を下げて身体能力の低下を招きつつ、耐久無視という強力無比な刃で相手を仕留める代物だ。

 攻撃性能はアイズの魔法より強く、汎用性はアイズの方が高い。故にベートに老婆を押さえてもらい、アイズに抱えて貰って脱出するのが効率的かとカエデが思考しながら剣を向けた瞬間。

 アイズの魔法が弾け散って無力化された。

 

「え?」

「死ね、人類の裏切り者め」

 

 振るわれた杖。閃光が弾け、アイズの体が吹き飛んだ。

 轟音を立て、アイズの体が壁面にめり込む。

 ベートが目を見開いて驚くさ中にも、閃光が弾けた。ベートがギリギリで回避したのか、つい数舜前までベートが立っていた部分が円形に陥没している。頭上から押し潰された様に陥没した大地を見たベートが舌打ちを零し、老婆に向かって駆け出す。

 

「詠唱せずに魔法なんて使いやがって」

 

 化け物かよと吐き捨てながらも、幾度となく弾ける閃光を目にする度にベートが右へ左へ、鋭くステップを踏んで回避しながら接近しようとし、肩に何かが掠めてベートの体が吹き飛んだ。

 ベートが覚えたのはおかしな感触。掠めたのは肩だ、何かが肩を撫でただけだというのに、全身が吹き飛んだ。

 

「けっ、変な魔法だな……」

 

 魔法については詳しくないベートでもわかる。一筋縄ではいかないであろう特殊な魔法。それも詠唱無しで杖を振るうだけで発動するのだ。厄介極まりないとベートが眉を顰める横にアイズが並んだ。

 土にまみれたアイズが目を細めて口を開く。

 

「ベートさん、魔法が使えなくなりました」

「あん? 魔法封じ……呪詛(カース)か?」

 

 相手の魔法を封じる。もしそんな呪詛(カース)があるのなら、相当の罰則(ペナルティ)があるはずだとベートが目を細めたさ中、相手の老婆の魔力障壁に短剣が弾かれて零れ落ちる。

 離れた位置から投擲用短剣(スローイングダガー)を投擲しながらカエデが担いでいた百花繚乱を片手に一直線に駆けていく。

 

「ベートさんっ、攻撃が全方位からっ」

「あん、何が────っ!?」

 

 陥没して窪地となった空間。壁面に視線を向けたベートとアイズが息を呑み、即座に武器を構える。

 いくつもの岩の棘、壁面から飛び出したそれが此方に向けて()()()()()

 ベートの蹴りが、カエデの大剣が、アイズの長剣が次々に飛来する岩の杭を砕き壊す。瞬く間に足元に積み上がる岩の残骸。老婆に構う暇もないほどの怒涛の攻撃が四方八方から飛来し、三人を襲う。

 そんな中、老婆は杖を振るい閃光を弾けさせては一人でも多くを殺さんと魔術を行使する。

 

「糞っ、反撃できねぇっ」

「アイズさんっ、風の付与魔法(エンチャント)でっ」

「っ……使えないっ」

 

 アイズの魔法【エアリエル】があれば風で飛び道具は全て無力化できる。しかし原因不明の魔法封じによって魔法を封じられ、アイズが困惑の表情を浮かべていた。

 ベートの舌打ち、カエデが目を細め、詠唱文を唱える。攻撃一辺倒で防御性能は微妙、しかも周囲の気温を一気に下げる影響で仲間にも悪影響を齎す魔法だが、この場において他に方法が無い。そう判断したカエデが詠唱を始めた瞬間、岩の棘がカエデに殺到する。

 

「【孤独に(凍えて)眠れ、其は孤独な(凍て付く)氷原────】」

 

 殺到した岩の棘をベートとアイズが捌く間、カエデは打ち漏らされた数本の棘を切り払いながらも残る詠唱文を唱える。

 

「【月亡き夜に、誓いを紡ごう。名を刻め────白牙は朽ちぬ】」

 

 溢れ出る冷気。カエデの持ち得る氷の付与魔法(エンチャント)によって一瞬でカエデの足元から大地が凍り付いていく。それなりに上がったステイタスによって威力は上昇し、周囲を雪原と見紛う程の白で染め上げていく。

 老婆の足元にまで及んだ冷気は、けれども障壁に阻まれて動きを止めた。飛翔する岩の棘がカエデの生み出す氷の塊とぶつかり合い、岩の破片と氷の破片が飛び散りあい、視界を塞いでいく。

 急激に下がった気温にベートとアイズが身を震わせながらも口を開いた。

 

「意味がねぇ」

「……寒い」

「すいません……」

 

 飛び散った岩の破片や氷の破片を踏みしめたベートが老婆を睨む。カエデが百花繚乱に冷気を纏わせ振るう事で岩の棘を砕いていくさ中、アイズは窪地の底を覗き込んでいる影を見つけて目を見開いた。

 

 

 

 

 

 密林を抜けた神ナイアルはボロボロになった外套の端っこを破り、包帯代わりに腕に巻きながら背後を歩く人物に声をかけた。

 

「いやぁ、助かりましたよ。小怪物(ゴブリン)になぶり殺しにされる所でした」

「…………」

 

 相変わらず不愛想だとケラケラ笑いながら足を進めていたナイアルはふと茂みを見て笑みを深めた。

 

「いやぁ、ド派手にやられちゃいましたねぇ……【夜鬼(ナイトゴーント)】」

「…………」

 

 ナイアルは静かに笑みを浮かべながら、茂みの中で息絶えた【夜鬼(ナイトゴーント)】の千切れた首を持ち上げ、後ろを歩く少女に声をかけた。

 

「これ持って帰りません?」

「…………やだ」

 

 ありゃりゃ、と小さく呟いたナイアルは愛しの眷属の首を斬り株の上に乗せ、優しく頭を撫でる。ナイアルの背後に付き従う少女は呆れたように首を横に振っていた。

 

「お願いですよぅ……ここに置いていくの可愛そうじゃないですかぁ」

「だって私一回死んでる。蘇るのも簡単じゃない」

 

 疲れてるから嫌だとそっぽを向いた少女の姿に肩を竦め、ナイアルは前を見据えた。

 

「【妖虫(シャン)】はどうしてこうも素直になってくれないんでしょうかねぇ」

 

 私と触れ合いたいでしょう? と怪しく嗤いかけてみれば、少女は不愉快そうに眉を顰めてナイアルを睨んだ。

 

「私は一回死んだ。もう頑張りたくない」

「えぇ~、でも私のピンチに駆けつけてくれたじゃないですかぁ?」

「……助けなきゃよかった」

 

 深い溜息を零した少女。溜息を共に少女の身に纏うローブの裾からボトボトと肉の塊が零れ落ちた。

 ナイアルが微笑みかける相手、顔の肉が半分ほど腐り落ち、蛆虫の湧いた喉からぽろぽろと蛆を零す躯だ。まるで操り人形(マリオネット)の様にカクカクと動く姿は、まるでゾンビか何かの様だ。

 

「しっかし、貴方のその呪詛(カース)、恐ろしいですねぇ」

 

 他人の肉体に精神ごと乗り移る事が出来る。そんな悍ましい呪詛を覚えた少女────元は少女ではなく妖艶な女性であったのだが。朽ち果てかけた躯に乗り移った事でなんとか生き永らえ────消滅を免れた神ナイアルの眷属の一人。

 激しい罰則(ペナルティ)に侵されてまともな精神状態ではないはずの彼女は、けれどもナイアルの狂気を植え付けられた事で逆に正常な思考を取り戻している。

 今乗り移っているのはそこらで盗賊にでも犯されて殺されたらしい少女、の成れの果て。前の器が壊れて使えなくなる寸前になんとか乗り移ったものの、それ以降新たな肉体に乗り移る事が出来ずに腐るままになっているのだ。自らが仮初の器として利用している少女の肉体が腐り、蛆に貪られているのを感じ取りつつも【妖虫(シャン)】は顔を上げて呟く。

 

「新しい、器が欲しい」

「んー、そこら中に転がってるんですけどぉ」

 

 歩く道すがら、落ちている屍をいくつか見繕うモノの、彼女の罰則(ペナルティ)の関係で使える器はほぼゼロ。あの密林からナイアルを救った際にかなりの損傷をしてしまった事もあり、次の器は確実に健全に生きている器が好ましい事もあって、屍は嫌だと拒否し続けている。

 

「ですがぁ、その腐った(からだ)よりは、こっちの新鮮な死体(からだ)の方が良いと思いますけどねぇ」

 

 腐臭漂わせる少女の成れの果てにそう声をかけるナイアルだが、【妖虫(シャン)】は首を横に振った。

 

「私は、肉体に拘りを持つ派だから」

「いやぁ、蓼食う虫も好き好きとは言いますがねぇ」

 

 流石に匂いますよ? そう口にした瞬間、少女が自らの腐った腸を抉り取り、ナイアルに投げつけた。べちゃりと音を立てて臓物の臭いと腐臭が混ざり合った臭いを嗅いだナイアルが眉を顰め、ローブを摘まんだ。

 

「いや、やめてくださいよぅ。私そういうの好きじゃないんでぇ」

「嬉しそうに笑いながら言うな。とりあえず、生きてる奴探してくれ、私が使えそうな奴」

「あぁはいはい」

 

 運よく生き残れたとナイアルは笑い、【妖虫(シャン)】は運悪く生き残ったと嘆く。


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