生命の唄~Beast Roar~   作:一本歯下駄

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『別離の道』

 飛び散る火花。弾け散る金属の音色はまるで荘厳な音楽を聴いているかのような錯覚に陥りそうになる程に戦場に響き渡っていた。

 金髪金瞳の狐人(ルナール)が放つ斬撃が戦場に高らかに響く音色と化し、『オラリオ混成軍』を切り裂いていく。

 戦場中央部、【フレイヤ・ファミリア】の精鋭が陣取って維持している最前線。左右に広がる他派閥が押し込まれる中、中央の最大派閥の片割れは単一派閥のみで戦線の維持を可能としていた。

 駆け抜ける金色の影。ヒヅチ・ハバリが振るう太刀が閃き、大柄な獣人の持つ二本の大剣を打ち払う。

 吸って、吐いて、吸って、吐いて。独特の呼吸によってもたらされる馬鹿げた力の一旦が『オラリオ最強』の肩書を持つ【猛者(おうじゃ)】オッタルの持つ、二本の大剣を打ち払った。

 第一級(レベル7)冒険者の腕力をほんの一瞬、瞬きの間だけ凌駕した一撃にオッタルが目を細める。

 

「これが、かの英雄の一撃か」

「ワシは英雄などではない」

 

 ただの獣だと自嘲気味に笑うヒヅチ。身に纏う桃色の和装、極東の民族衣装には無数の切れ込みが入った彼女。左手には数枚の札。右手には太刀。胸元には魔力を凝縮した結晶が揺れている。

 体中に入れ墨が刻み込まれ、脈動する様に体表を駆け抜けるのは魔力。分解された魔法陣を直接肉体に刻み込み、生きた魔法陣の様な役割を果たしている彼女。全身に駆け巡る灼熱とも激痛ともつかぬ感覚に侵されながら、目の前に立ちふさがる()()()を排除せんと剣の切っ先を向けた。

 

「ワシは英雄ではない。ただの獣じゃ」

 

 獣故に道理は通じん。そう言い捨てて札を放り投げる。彼女の手を離れた複雑怪奇な模様の描かれた紙きれは瞬時に燃え上がり、無数の幻影となってオッタルを取り囲んだ。

 周囲で戦う【フレイヤ・ファミリア】の精鋭達はみな、己が前に立ちふさがる影法師と対面するので精一杯。

 オラリオ転覆を謀る古い時代の英雄。かの英雄が持ち得る馬鹿げた力。

 聞けば、彼女のレベルは3だという。それが何の冗談か最強(レベル7)に食い下がる処か、完全に押している。

 

「そろそろ退いてくれんかの? あの目障りな巨塔を吹き飛ばしたいのだが」

 

 そうすればあの腐れ婆も納得するじゃろ。そう吐き捨てた彼女はふと、視線を遥か彼方遠くに向けた。小さく『破ったか』と呟き、悲しげに目を細めた。

 オッタルの体に走る無数の斬撃痕。戦闘開始からどれぐらいの間、ヒヅチの繰り出す斬撃の嵐に立ち向かったのか。まるでそれは災厄、自然災害とも思える程の濃密な斬撃の嵐。

 台風を打ち消せぬ様に、地震に抗えぬ様に、津波を受け止められぬ様に、自然災害を前にしたかの様にいかんともしがたい差を見せつけられてなお、オッタルは膝をつく事も怯むこともなく大剣をヒヅチに向けた。

 

「関係無い。フレイヤ様が願った。故に俺はここに立っている」

 

 女神フレイヤの命令はただ一つ。『時間を稼げ』だけである。彼女を止める本来の役割を持つ者がこの場に辿り付く為の時間を稼げと、ただその命令を守るためだけに彼はこの戦場に立っていた。

 巨塔を守ろうという意思は無いに等しい。ただ女神が願った。それを叶えるのだと獣人が静かに宣言すれば、ヒヅチは眩しいものを見るかの様に目を細めた。

 

「そうか。だが悪いな……ワシは早うお主を切り捨て、あの巨塔を破壊せねばならんのだ」

 

 カエデが結界に仕込んだ罠を全て踏み越えた。単純な罠もあれば、幻影の様な不条理な罠もあった。そしてツツジ・シャクヤクの思念の欠片すらも使った難攻不落の罠。『白牙』であるカエデ以外では攻略できない様に調整を行った、対カエデ・ハバリ用の罠。それが突破され、彼女が自身を止めんが為にやってくる事を理解したヒヅチは、僅かに焦りの表情を浮かべる。

 

「お主は女神の、ワシはカエデの為に、互いに争うだけの理由がある────ならば、斬ろうじゃないか」

 

 構えらしい構えもない、無構えによる瞬く間の斬撃。

 オッタルは飛びのく。距離にしておおよそ6M程、一足飛びで飛び退き、首に掠った斬撃によって血が噴き出した。目を見開くヒヅチが目を細めてオッタルを見据え、小さく呟く。

 

「確実に仕留めたはずなんじゃが。おかしいのう()()()()()()()()()

 

 オッタルが『万能薬(エリクサー)』を取り出して飲み干すのを見届けたヒヅチ。

 彼女は戦いが始まってからずっと、止めの一撃が必ず外れるという不条理に見舞われている。不可思議な事に、当たるはずの一撃が当たらず。仕留めた筈の相手が生きている。そして自分は何故か攻撃に失敗し続けている。

 確かにヒヅチとは言えど、運そのものに手を出す事が出来はしない。運等という不確定なモノを操る事が出来るような事はなく、彼女の戦い方はただひたすらに『倒せる確率』を99.9%にまで引き上げるというものだ。

 何事も例外というものはあり、たとえばヒヅチがほんの少し踏み込んだ際に土に足を取られ、オッタルが飛び退いた際に石を踏んで姿勢を崩し、結果として斬撃が掠るに留まるといった幸運もありえるだろう。

 

「じゃが、これで百は超えたぞ」

「…………」

 

 すでに、百を超える程殺したはずだ。そう呟いたヒヅチが目を細めてオッタルを睨む。

 何かが作用している。そう睨むには十分な程の思考を終え、彼女は灰色に淀みだした曇天の空を見上げてポツリと呟いた。

 

「おかしい、全然殺せん」

 

 既に百を超える程の回数、目の前の獣人は()()を引き当て続けている。そして、この後もきっと永遠に幸運を引き寄せ続けるのだろう。そう確信したヒヅチは目の前のオッタルを無視して戦場に視線を巡らせる。

 双子のエルフ、四人の小人、一人の猫人の男性。目立つのはこれぐらいだと視線を戻しかけ、ヒヅチは微笑みを浮かべ、猫人の少女を見据えた。

 

「見つけた」

 

 斑点模様のケープを纏い、交互に招き猫の様に『にゃーにゃー』と鳴き声を上げて手招きを繰り返す猫人。灰毛に虹彩異色(オッドアイ)の少女。あからさま過ぎる行動を戦場のど真ん中で行っている。だというのにヒヅチはつい先ほどまで存在にすら()()()()()()()。否、()()()()()()()()()

 確信と共にその姿を睨みつければ、猫人の少女は、ぎょっ、とした表情を浮かべて手招きをする。踏み出そうとした瞬間、ヒヅチの目の前を斬撃が横切る。

 空間そのものを抉る様な轟音と共に振るわれた一撃。危うく顔中を穿たれて即死しかねない一撃を回避しようとし、刃先が片腕を切り飛ばした。

 

「むぅ……確かに回避したはずなんじゃがな」

「当たった、か」

 

 オッタルの万感の思いの籠った呟きにヒヅチが目を細める。当たった、()()()()()()()()()()()()回避が遅れた。足がもつれた、()()()()()()()()()()()

 吹っ飛んで千切れ飛んだ左腕。遥か彼方へと飛んで行った腕の残骸。腕一本で済んだのは行幸かとヒヅチが顔を上げて猫人の少女の姿を探す。夥しい量の血が零れ落ちる左腕を失った傷を気にも留めず、彼女は吐息をこぼした。

 

「いかん、見失ったな」

 

 とことん、運が悪い。まるで運が尽きたかのように何もかもが上手くいかない。ヒヅチはそうぼやいてオッタルを見据えながら太刀を地面に突き立てる。

 

「お主、時間稼ぎ以外はする積り無いじゃろ」

「……それが女神の願いだ」

 

 あきれ顔を浮かべたヒヅチが腰にぶら下がっていた瓢箪に手をかけ、中身を煽る。途端、ヒヅチがくらりと足がもつれ一瞬で紅潮する。

 オッタルが目を細め、小さく呟く。

 

「ホオヅキの『百酒の長』か」

「知っておるのか。まぁよい、あやつが餞別として寄越したのだ」

 

 メギリメギリと白い骨が突き出し、ヒヅチの左腕が再生していく。数秒後には元の通りの────衣類の袖はないが────左腕になった。調子を確かめる様に手を開いたり閉じたりし、ヒヅチは据わった目をオッタルに向ける。

 

「お主はあとン百回切ろうが殺せん。それはわかった。先にあの()()()を仕留めねばな」

「させると思うか?」

「知らん」

 

 己は獣、故に押し通るのみだ。そう言い捨てたヒヅチが突き立てた剣を引き抜き、オッタルの鼻先に向けた。

 

 

 

 

 

 密林の奥地、半年前に滅び去ったかつての『黒毛の狼人』達の隠れ里。

 散らばっていたはずの陶器の欠片の様な人形の残骸は既に消え失せ、中央広場で嗚咽をこぼす白毛の狼人の少女、カエデ・ハバリは地面に突き立てたままの『百花繚乱』を引き抜き、背負いなおした。

 零れ落ちる涙を拭う。消え失せた父親の言葉を思い出し、再度溢れ出る涙を拭い。せめて頭を撫でてもらうぐらいはしておけば良かったと後悔し、あれは父親の形をした土くれ人形だったのだと自身に言い聞かせ、ようやく立ち上がった。

 滅び去る前の光景が煙の如く消えた村の中心。カエデは小さく吐息を零し、充血した目で周囲を見回す。

 

「ヒイラギを、探さなきゃ」

 

 彼女がヒヅチを止める為に必要な道具を手にしている。彼女を見つけ出さなくてはと一歩踏み出し、カエデは足を止めた。

 聞こえたのは足音。軽い、風下から近づいてくる音にカエデが視線を向けた。

 左手に袋に詰められた細長い何かを持ち、右手に抜き身の粗悪なショートソードを手にした黒毛の狼人の少女が歩いてきていた。カエデとは真反対の色彩の彼女。白毛のカエデに対し艶やかな黒毛。深紅の眼に対し、蒼穹の眼。ツツジ・シャクヤクと全く同じ色合いの彼女。

 

「ヒイラギ……」

「よう、ここに居るって事は……親父は死んだのか」

 

 片手をあげ、気さくそうに挨拶する姿はツツジ・シャクヤクによく似ていた。口元に除く鋭い犬歯が、その笑い方が、耳や尻尾の些細な動きが、どこまでもツツジ・シャクヤクに似た少女。ヒイラギ・シャクヤクだ。

 

「生きてませんでした」

 

 あれはただの物で、地上に残された想いの欠片によって生み出された影法師だったのだとカエデが言い切る。

 悲しげに目を細め、ヒイラギは肩を竦めた。

 

「姉ちゃんにとってあれはただの影法師、だったのか」

「……うん」

「そんなに泣いたのにか?」

 

 ヒイラギの指摘の通り、カエデの目元は泣き腫らしたかのように赤くなっている。その指摘を受けたカエデが顔を伏せる。

 数秒間、顔を伏せたカエデが顔を上げた。垂れ下がった尻尾も、伏せられた耳も、ピンッと立てた彼女はヒイラギに向かって手を突き出した。

 

「ください」

「何をだよ」

「ヒヅチ止める為に必要なモノ。貴女が持ってる」

 

 斬り捨てたから。涙は流した、悲しいと思う。けれど彼を斬り捨てたのは自身で、目的はここで時間をつぶす事ではない。ヒイラギよりも、なによりも優先したい人がいる。ヒヅチ・ハバリを止めたい。そのためだけに、彼を斬った。変えられえぬその事実故に、カエデは目の前で悲しげに目を細めるヒイラギを無視した。

 どんな言葉をぶつけられても、もう止まらないのだと強い意志を宿したカエデの目。それに射抜かれたヒイラギは悲しげに、吐き捨てた。

 

「姉ちゃんにとって、親父とアタシはどうでも良い、って事か?」

「違う……今は、ヒヅチの方が大事」

 

 優先順位の問題であって、決してツツジの事が嫌いだった訳でも、ヒイラギの事がどうでも良い訳でもない。

 今この瞬間に優先すべきは師であり、育ての親としてあってくれたヒヅチを止める事だと、カエデが力強く宣言し、迷い無い瞳でヒイラギを見据えるカエデ。

 相対しているヒイラギは俯き、カエデに歩み寄っていく。抜き身のショートソード、出来はそこまで良くはなく、オラリオ基準で言えば『粗悪品』の評価が下るであろう剣。武器を手にしたまま近づいてくる姿にカエデが警戒し、間合いを図りながら後ずさる。

 

「ヒイラギ?」

「わかってる。こりゃアタシのわがままだし、姉ちゃんは何にも悪くねぇ」

 

 今まで関わる事すらせず。知る事もなく、ただ見ている事しかしなかった親父が悪い。そう言い捨てたヒイラギが顔を上げた。ショートソードの間合いとしては遠すぎ、カエデの大刀の間合いである距離。ヒイラギが抜き身の剣の切っ先をカエデに向けた。

 

「わかってるんだ。姉ちゃんを止める権利なんてありゃしねぇって」

 

 それでも、父親は姉ちゃんの幸せを願った。そして、彼女自身もカエデの幸せを願っている。

 

「姉ちゃん、ヒヅチはさ……姉ちゃんに止まってほしいみたいだったぞ」

 

 ヒヅチ・ハバリはカエデに対し、自らを止める手段となりうる物をいくつも用意した。それをヒイラギは知っているし、全てを所持している。それはヒヅチがカエデに贈るモノであり。カエデがそれを求めた際にどうするかはヒイラギに一任されている。

 彼女はその物品を渡すか渡さないかを決める権利がある。そして、父親はカエデに止まって欲しいと願っていた。確かに、今まで関わらなかった癖に何を、そう言い返されても仕方ないと彼女も理解しているだろう。

 そうであっても、父親が死後も願い続けた事だ。だからこそ、ヒイラギは宣言した。

 

「これが欲しけりゃ、アタシを────」

 

 倒していけ。そう口にするより前に甲高い金属音が響き渡った。驚愕の表情を浮かべたヒイラギの背後に、折れた剣の刀身が突き刺さる。

 

「それを、渡してください」

 

 ヒイラギが視認できる速度ではなかった。気が付けばヒイラギの持つショートソードは柄だけになっていて、刀身はヒイラギの背後の地面に突き刺さっている。

 何も出来なかった無力感を味わったヒイラギが、口惜しげに俯き、歯を食いしばる。

 

「お願い……それを、渡して」

 

 懇願する様なカエデの言葉。否、カエデは懇願していた。

 これ以上、傷付けたくないと願い。即座に刃を抜き放った。脅しの為で、傷付けぬ為に、刃を向けた。

 カエデが威圧すれば、即座にヒイラギが尻尾を丸め、耳をへにゃりと伏せ、それでも震えながら立っていた。

 

「お願いだから、それを渡して」

「ゃ……」

「おねがい」

 

 ヒイラギが身を震わせる。震えながら、柄だけになった剣を手放し、袋に収められた物を胸に抱く。

 既に、カエデの決心を変えられぬのだと理解し、ヒイラギは両手で袋を差し出した。

 

「わかってた」

 

 両手で袋を差し出しながら、彼女は泣いていた。もっと早く、あの土砂降りの雨の日の前日にでも声をかけていれば。ほんの少しは変わったのではないかと、後悔しながら。ヒイラギはくしゃりと表情を歪めて懸命に笑おうとしている様にも見える。

 カエデはほんの一瞬躊躇する。その刃を鞘に納め。袋を手に取った。ヒイラギが立ち尽くす中、袋を開けて中身を覗き込み、カエデは袋の中身を見た瞬間、袋をヒイラギに投げつけて飛び退いた。

 

 爆炎が弾ける。

 

 視界が爆発によって引き起こされた黒煙に塗り潰され、カエデは煙を引きながらもほぼ無傷で煙から飛び出す。

 至近距離で食らった爆炎にカエデが舌打ちしながら『百花繚乱』を引き抜き────喉の奥から込み上げてくるモノがその動きを阻害した。

 

「ゲフッ……ぐ……」

 

 込み上げたモノをそのまま地面にぶちまける。喉の奥から弾けた鉄錆の味。真っ赤な鮮血が溢れかえる。

 カエデは慌てて自らの胸や腹などに異常を探すが、見当たらない。直接的な斬撃や刺突による内蔵への損傷ではないと瞬時に判断し、ポーチから高位回復薬(ハイポーション)を取り出して飲み干す。次いで簡易な解毒剤を取り出して口にしながらも、耳を澄ませて音を聞き取れば────気色の悪い笑い声が響いた。

 

「惜しい、まぁその程度で冒険者は死なないか」

 

 騙された。カエデがそう内心呟く。徐々に晴れていく黒煙。つい先ほどまで()()()()()()()()()()()()()()がそこに立っていた。

 灰色の髪、灰色の瞳、痩せ細っているという程ではないにせよあまり肉付きの良くない貧相な体躯。頭にちょんとついている犬人特有の耳。醜悪な笑みを浮かべてカエデを見つめている少年。

 

「【ナイアル・ファミリア】の、【猟犬(ティンダロス)】? なんで、ここに……ゴブッ……!?」

 

 咽込んで喀血しながら、カエデは自らの手についたほんの小さな、掠り傷に等しい傷口を見て背筋を震わせた。

 傷口を中心に肌の色がどす黒く変色していっている。傷口の位置は左手の手首の当り。すでに左手はまともに動かず、変色は凄まじい速度で肘にまで達しようとしている。

 解毒剤を取り出して傷口にかける。変色する速度が緩まり────止まらない。

 ぶわぁっと総毛だつ。猛毒の類、それも簡単に解毒できず、即効性も強い。

 

「知ってるか? この毒、第一級冒険者用に開発したんだ。ホオヅキには全く効かなくて困ったけど────キミはダメみたいだね」

 

 にんまりと満足そうに満面の笑みを浮かべ、少年は片手に握りしめた短剣をカエデに向ける。

 彼は幻術使いか? 否である。毒物使い。猛毒による幻覚症状等を駆使し、相手を意のままに操り侵す。

 力を削ぎ、意思を削ぎ、命を削りとる猛毒にて格上を殺す。カエデに使われた毒は一種類ではない。散布型の幻覚毒、塗布型の猛毒、煙幕型の麻痺毒。

 村の中央で泣き腫らす彼女に対し、風上から毒物を散布して風下から近づく。当然、彼は自身の毒物に侵されるほどやわではない。

 

「すごい量の血だろ? そのうちその綺麗な赤色がどす黒く濁るのさ」

 

 腕の肉は腐り落ち。それは全身に広がっていく。美しい紅い鮮血が口から溢れ、次第に色褪せていく。赤は黒に、濁った黒色に染まったタール状の血液を吐き、それに沈む。それでありながら対象には一切の痛みを与えない。慈悲深く、困惑と恐怖に染め上げて対象を死に至らしめる猛毒。

 

「ホオヅキの『毒酒』から作ったんだ。ホオヅキにはさっぱり効かなかったのは当然っちゃあ当然か」

「な……んで……」

 

 震えながら残りの回復薬、解毒剤、持ち得る全ての薬を次々に使うも、変色は止まらない。肘に達し、背筋が凍り付く。現状持ち得るすべての道具を使っても解毒どころか進行を止める事が出来ない。それに気づいたカエデが口の端から若干色褪せた血を零しながら顔を上げた。

 【ナイアル・ファミリア】は【強襲虎爪】アレックス・ガートルの改宗先であり、彼を狂わせたと言われている犯人。そして、『オラリオ』各所で引き起こされた残忍な事件に関わっていた可能性の高いとして賞金(バウンティ)がかけられている。

 仲間を破滅に追いやった。ペコラの家族の死の原因を作った。ホオヅキの人生を狂わせた。彼らがかかわった数多くの出来事は、破滅に終わっている。運よくホオヅキは途中で止まった。けれど止まらずにファミリアの破滅に終わった場合も存在する。面白半分、神々らしい自らの欲を満たす為だけの身勝手な理由で破滅を齎す、迷惑過ぎる派閥。

 そんな派閥に属する少年は、何を思いこんな事を成すのか。カエデが膝をつきながら少年を見上げれば。彼は不愉快そうに眉を顰め。そして嗤った。

 

「ムカつくからさ」

 

 歪んだ笑みを浮かべ、少年は両手を大きく広げて嗤った。

 

「この世界が、当たり前を享受させてくれない世界が、ムカつくんだよ」

 

 地上に進出した怪物達。その怪物によって村を滅ぼされた。必死に逃げ惑い、気が付けば別の街の裏路地で残飯を漁る日々。苦しい日々が続く。常に飢えに苛まれ、まともな食事はカビたパンがせいぜい。

 ある日、人を殺した。理由はなんだったか、残飯漁りを咎められたか。それとも浮浪者同士の縄張り争いの結果か。少年は落ちていたガラス片で相手の喉を掻き切っていた。相手の男が血の海に沈む。

 それを見ていた神がいた。そいつは『良い手際だ』と少年を褒め称えた。温かな食事と、柔らかな寝床を与えてくれた。そして、少年は『暗殺者』になった。その神の元、来る日も来る日も人を殺す毎日。精神が擦り切れかけたある日、少年は────アルスフェアは希望(ぜつぼう)に出会った。

 

「あの日の事は今でも思い出せるよ。珍しく──本当に珍しく、『神殺し』の依頼が来てさ?」

 

 雨降る裏路地。無防備に鼻歌を歌いながら歩く一柱の神。その時は男性の姿をしていた。

 後ろから近づき、ナイフで一突き。神も他愛ないなとどこか死んだ目で彼の背中にナイフが突き込まれるのを見て────気が付けば押し倒されていた。

 黒い艶やかな髪。覆いかぶさる姿に息をのみ、覗き込んだ目に息を詰まらせた。鼻と鼻が触れ合う程の距離で見つめてくる()()()()()。先ほどまで殺しの対象であった男の姿は見えず。裏路地で美女に押し倒される。香しい女の匂いに身が震え、その深淵の様な瞳に囚われて身じろぎ一つできなくなる。

 恩恵を受けた冒険者として、彼女を押しのける事は難しくないはずなのに、動けない。深淵を覗き込む瞳に囚われ────気が付けば自分は元の主神を八つ裂きにして殺していた。確か、女神だったか男神だったか、今では顔も忘れたその主神。自分はいつの間にか神ナイアルの元に身を寄せていた。

 

「そのあとは酷いもんさ」

 

 破滅、破滅、破滅。神ナイアル好みの破滅を引き起こす為に東奔西走。東へ西へ、駆けずり回って破滅の種を蒔き続ける日々。

 

「それでもさ、なんか楽しいんだよね」

 

 幸せいっぱいの家庭が一変。疑心暗鬼に囚われて父が母を焼き。娘を犯し、息子を八つ裂きにする。怪物によって一瞬で破壊された自分の村と重なるその光景に、少年は真理を見た。

 

「破滅なんだよ、全部……全部、最後には破滅に終わる。それが世界の正しい姿だって、思わないか?」

 

 ナイアルはそれを体現してくれる。彼は、彼女は、あの邪神は世界を正しい姿にしてくれる。

 どんな幸せも、幸福も、全て最期には破滅に終わる。それが正しいのだ()()()()()()()()()()()()()()

 

「だからさぁ? ヒヅチ・ハバリを助ける? 助けてハッピーエンド? んなもんさせねぇっての」

 

 お前も破滅しろ、僕が破滅したんだ。皆、破滅しろ。僕だって破滅したんだから。

 最後には自分も破滅する。なぜならそれが正しい世界だから。

 

「だからさぁ? キミも破滅しなよ? 変なところで止まるなよ?」

 

 倒れ伏し、赤黒い液体を口から零すカエデ・ハバリを見下ろす少年は、狂気に歪む表情で嗤った。

 

 甲高く乾いた音色が響く。アルスフェアは自分の胸に手を当て、驚愕の表情で後ろを振り返った。

 自身以外のすべてを侵し殺す猛毒を散布された廃村。自分以外に立っていられる存在など居はしない。そのはずだったのだ。主神のナイアルとも別行動をとりカエデ・ハバリを封じ込める手はずになっていたにも拘わらず、第三者の攻撃がアルスフェアの胸を穿った。

 

「うそ……だろ……」

 

 犬人の少年が振り向き、呆然とその光景を目にする。目に入ってきた光景は、恩恵を得ていないはずの黒毛の狼人の少女────ヒイラギ・シャクヤクが片手に金属製の筒の様なものを持ち、その筒の先端をアルスフェアに向けている光景であった。

 

「銃、こんな……田舎に……しかも、威力、たか……」

 

 アルスフェアが押さえる胸から夥しい量の血が溢れだし、大地を染め上げる。そこで、アルスフェアはようやく気付いた。あの銃の威力が高いのではなく、神の恩恵を失っている事に。

 

「うそ、だろ……ナイアル、さ……ま……」

 

 倒れ伏し、動かなくなる犬人の少年。それにかまう事なくヒイラギはカエデに駆け寄り、背負っていた袋からヒヅチが残した解毒作用のある札や、自らに降りかかった毒や呪詛を写し取って無力化する身代わり札等を次々に張り付けていく。

 時折、自らの身に張り付けてあった身代わり札を手早く取り換えつつ、浄化札で周囲を浄化し、カエデの治療を進めていく。手早く、手慣れた手つきで治療を進める傍ら、ヒイラギは小さく微笑み、呟いた。

 

「アタシは、姉ちゃんに剣を向けたりしねぇよ。姉ちゃんがやりたい様にやりゃいい。だからよ、こんなところでくたばるなよ」

 

 薄目を開け、ヒイラギの姿を視認したカエデが、か細く声を上げた。

 

「いいの?」

「良いに決まってる。後悔はしても、邪魔はしねぇって決めたんだ」

 

 毒素が抜け落ち、それでも損傷が消え去るとまではいかずに立ち上がれないカエデの横、落ちていた『百花繚乱』に『緋々色金』の剣を押し当て、同化させたヒイラギは倒れたままのカエデに無数の札を張り付け、治療を終えたのち、カエデに背を向けた。

 

「姉ちゃん。アタシはまだやる事があるし、先に行ってる。はやく、来てくれよ?」

「ま、まって……」

 

 いまだに動けないカエデを見下ろしたヒイラギは、にこりと笑いかけ、駆け出した。

 背を向け、密林の出口へ。背嚢を背負った背中が見えなくなるまで、カエデはそれを見つめていた。


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