生命の唄~Beast Roar~   作:一本歯下駄

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『押されてるね』

『……前線が崩壊しかけてる。もう半日も持たないぞ』

『ねぇ恵比寿、逃げちゃわない?』

『…………いや、ぼくは逃げないよ。ぼくだけは逃げちゃダメだ』

『そっか、じゃあボクも前線に行くね』

『モール……わかった。気を付けるんだよ』

『あははー、大丈夫さ。ボクは運だけは自信があるからね』


『咆哮/慟哭』

 飛び掛かってくる黒毛の狼人。手にしているのはカエデの────アイリスの為に打たれた剣────大鉈。

 切っ先が太く、大きくなった特徴的な形状の鉈の様な刀は、勢いに乗せて振るえば相応の威力を伴う。しかし、それには相応な技量を必要とし、同時に────()()()を知っていれば簡単に無力化できてしまう欠点も持ち合わせている。

 記憶にある美しい村と同様な姿形をしている。けれども何処か作り物めいていて、靄を纏った様に時折姿が揺らいで見える。

 斬りかかってくる者達はどれも村で見知った村人の者達の姿形をした、人形。技量は欠片程しか感じられない、力任せに振るわれる刃は、確かに恐ろしくはある。武器の重量を活かした、恐ろしい重撃。けれども、間合いを外せばすぐ威力を失う。近すぎれば威力は途絶え、遠すぎればそもそも当たらない。

 的確に最も威力の出る刃先を相手に当てなければならないその武器は、カエデの愛用したモノで。当然、カエデは間合いも何もかもを知り尽くしている。

 

 そんなもの関係ない。無造作に手で叩けば吹き飛んでいく村人。ツツジすら例外ではない。

 それは残酷な結果だろう。カエデ・ハバリは神の恩恵をその身に受けた冒険者で、ツツジは元は恩恵を受けてはいたが、今はただの人。多少の身体強化はあれど、それは高が知れたモノでしかない。

 村人の数は五十近く、対するカエデはたったの一人。

 幼さの残る白毛の狼人一人に対し、五十名の村人がとびかかる。中には成人男性も混じり、老人、子供すらも混じっている、数の差は歴然。結果は火を見るより明らかだ。

 

 村人が勝つ? 否、村人は何も出来ずにあっけなく蹴散らされている。

 

 カエデが『百花繚乱』を振るえばあっけなくへし折れていく。バキボキと音を立てて簡単にへし折れる。────村人の形をした人形の、腕が。

 剣は耐えていた。準一級冒険者、それも相応な能力を持ち合わせるカエデの一撃を受けてなお折れぬ剣に感嘆すら覚えるだろう。けれどそれまでだ、村人の形をした人形は、腕が折れようと手が千切れようと、足が壊れようと、カエデを止めるべく動き続けている。

 頭を砕いてようやく動きを止める。

 

「邪魔!」

 

 カエデが振るった百花繚乱の一撃が、カエデより一回り大きい少年の頭を砕いた。

 いつも三人組でカエデに石を投げてくる、そんな少年だ。確か、ザクロという名だった様な、そんな考えをすぐに振り払い。カエデは剣を別の人物に向けた。

 女性の形をした、狼人。石を投げて来る事こそしなかったものの、いつも避けていた人物。名前はオキナだと脳の奥の方に残っていた村人の名前が脳裏にチラつき、カエデは力任せにその女性の胴を薙いだ。

 その体が呆気なく両断され、血の一滴も流す事無く地面に倒れる。断面はまるで陶器にも見える材質の何か。体が砕け、破片が飛び散る様を見なければ、きっと彼女を人形だと思う者は一人も居ないのだろう。

 そう思える程に精巧な人形たち。言葉を発する事無く倒れた彼女の頭を金属靴(メタルブーツ)で踏み潰し、陶器を踏み砕いた感触を感じたカエデが背筋を震わせる。

 それを隙と見たのか、数人が突っ込んでくる。常に一人ではなく数人が、対処不可能な死角に潜り込む者が必ず一人、気を引く者が数人。本命を悟らせずに狩りを行う狼の戦法。

 

「それは────ワタシも知ってる!」

 

 だが無意味だ。前に飛び出し、一人を斬り伏せ、一人の腕を掴んで後ろから近づいてきていた者に投げつける。巻き込まれて転倒した彼らの頭を素早く砕き壊し、動きを停止させ、カエデは奥歯を噛み締めた。

 砕いた頭の片方は、カエデにいつも石を投げつけてきていた子のもので、その名もカエデはしっかりと覚えていた。────嫌いだから覚えていた訳ではない。ただ、同じ村の子供で、もしかしたら仲良くできるかもと淡い期待を抱いていたからだ。

 脳裏に踊る過去の名前、クチナシという名の少年を脳裏に描いたカエデは頭を振って脳裏の姿を振り払い消して顔を上げる。残っているのは既に半分を切っていた。

 

「強いな……ああ、お前は強い」

 

 人形に囲まれ、肩に大鉈を担ぐ男の声。ツツジの声にカエデは静かに頷く。

 

「ワタシは強い」

「けど────ヒヅチより弱い」

 

 ツツジの言葉にカエデがギリリッと奥歯を噛みしめ、吼えた。

 

「そんなの! ワタシが一番知ってるッ!!」

 

 幾度刃を交わそうと。幾度脳裏に描こうと、カエデ・ハバリがヒヅチ・ハバリに勝ち得る姿は浮かばない。浮かぶ訳がない。

 彼女の持つ剣は、戦い方は、生き方は、牙は、その身の全ては彼女がカエデに与えたモノだ。彼女がいたから、カエデ・ハバリは存在する。カエデの全てをヒヅチは知り尽くしている。カエデの強さも、そして弱さも。

 刃を交える前から、勝敗などわかり切っている。それでもカエデは止まる積りは一切無かった。

 

「それでも! ワタシはヒヅチを止める!」

 

 カエデの咆哮。対するツツジは口元を歪め、呟いた。

 

「畜生、誰ににて()()()育ちやがったんだよ」

 

 悲し気に、けれども嬉しそうに笑みを浮かべたツツジが顔を上げる。彼女が誰に似たのか、誰の血を引いているのか、鏡を見ればそこに映る顔がカエデと重なる。それは紛れも無くツツジから引き継がれた、親譲りの頑固さだ。

 

「ああ、お前は俺の娘だ、間違いねえ」

「関係無いです」

 

 冷たく突き放す様なカエデの言葉にツツジの表情から喜びの色が消えうせ、悲壮に満ちた。彼女は止まらない、それを理解した。他の誰でもない、ツツジ・シャクヤクという男も同じ道を歩んだのだから、決して曲がらない、折れない、欠けない。彼が生み出す傑作の作品と同じ。

 心の底から吠え、咆え、吼えて突き進む。自らの選んだ道を────周りになんと言われようと、決めた事を成す頑固さをツツジ・シャクヤクは知っている。

 

「確かに、お前にとって関係ないかもしれない……だったら、俺にだって関係ねえっ!」

「…………」

「俺は、お前に幸せになってほしい! 其の為に、俺はヒヅチとお前を戦わせる訳にはいかねぇっ!!」

 

 だからここで止める。そう宣言したツツジは残る全ての人形を構えさせ、カエデの目を見据えた。

 冷たい氷結した様な決意を見せる深紅の瞳と、熱く滾る燃え盛る様な決意を映す蒼穹の瞳。対照的であり、何処かズレた二人の視線が交じり合い────ツツジが吠えた。

 

「いくぞっ!」

 

 残る二十名近い人形が一気に駆け出す。

 かつて、この黒毛の狼人を襲った盗賊が居た。女を一人だけでいいから寄こせとふざけたことを口にした神の恩恵を受けた者が居た。彼らの内の数人を屠るに至った、神の恩恵を持つ者ですら恐れる黒毛の狼人による包囲攻撃。

 過去に、遠い昔に第一級冒険者を恩恵無しで殺し切る事に成功した、全方位からの同時多段攻撃。一切乱れぬ連携による重撃の連打がカエデに殺到し────風が吹き抜けた。

 

「────なっ!? これは……」

 

 ツツジの前で、村人の体がバラバラに砕け散り、残骸となって散らばっていく。

 手にしていた大鉈がくるくると宙を舞っている。目の前には、白い毛並みを揺らし、深紅の瞳でツツジを見上げるカエデの姿。大鉈と共にツツジの腕がくるくると宙を舞っている。

 

 カエデ・ハバリは本気を出していなかった。彼らは、弱かった。弱過ぎた。

 遅い、カエデと生きる世界が違うのではないかと疑う程に遅い。逆だ、カエデが速いのだ。神の恩恵を受け、元から持ち得た敏捷に磨きがかかり、まさに別の次元で生きていると言える程の速度を手にした。

 どれだけ隙が無かろうと、そもそも相手が一回攻撃する間にカエデが二十回切り刻む事が出来るのなら、全く意味が無い。

 ツツジが率いた人形が崩れ落ち、ツツジの体もまた大地に叩きつけられ、目を白黒させながらツツジが顔を上げる。

 

「畜生っ」

 

 悔し気なツツジの言葉。ツツジが目にしているのはカエデの尻尾の先、泥一つ着いていない純白さを保つその尾を見て、ツツジが呟いた。

 

「んだよ、良い毛並みじゃねぇか……」

「……ありがとうございます」

 

 カエデはツツジに背を向けていた。カエデの視線の先には、粉々に砕いて破壊した村人たちの人形の残骸。

 手に残る感触は、やはり人を斬ったモノではなく、陶器を砕いた感触が残る。それを理解しながらもカエデは静かに目を瞑り、地面に倒れ伏したツツジに向き直った。

 

「……あぁ、糞……綺麗に育ったな」

「どうも」

 

 悔し気に、悲し気に、そして嬉しそうに呟かれるツツジの言葉にカエデが静かに返す。

 感情の篭らない、無機質な返答。そんなカエデの言葉にツツジが悲しそうに眼を細め、身を捩って仰向けになる。

 肘から先が綺麗さっぱりなくなった両腕、膝から下が切り取られた脚。腕に脚、どちらも切断されて転がっている。既に彼には手札が無い。

 彼の思う通りに動く手足たる村人の形をした人形は全て粉微塵に粉砕され、そして文字通り手足すらも切り落とされ、ツツジ・シャクヤクに抵抗する手段はない。

 そんな彼を前にしたカエデは、見上げてくる男の目を見て口元を歪ませていた。

 感じているのは、悲しみか、憐れみか、怒りか、混じり合う感情を上手く制御できずに手が震えている。丹田の呼氣で落ち着きを取り戻そうとするが上手く行かず、カエデの声が震えた。

 

「ワタシの、勝ち……です」

 

 震える声で宣言し、百花繚乱の切っ先を倒れ伏したツツジに向ける。彼は悔し気に表情を歪め、自分に言い聞かせる様に呟いた。

 

「見りゃわかる」

「……だから、ここを通してください」

「おう、好きに通れ」

 

 軽い調子でツツジが呟き、カエデが震えを押し殺して彼を見つめた。

 ここを通る、それを意味する所を理解しながらもカエデは剣を両手で振り上げた。間合いに間違いはなく、倒れ伏したツツジは既に抵抗を諦めている。止めを刺せば彼女は先に進めるだろう。

 彼は表情を消してカエデに声をかけた。

 

「なあ、やっぱ止まってくんねぇか?」

「嫌です」

 

 カエデの即答にツツジが破顔する。優し気な微笑みを浮かべ、彼はカエデを見つめて口を開く。

 

「嫌なのか?」

「嫌です」

「どうしてもか?」

「どうしてもです」

 

 幾度かの問いかけ。何度、何十回、何百回試したとして決して変わらぬ彼女の返答。それでありながら、彼は微笑んでいた。優し気に、慈しみに満ちた瞳でカエデを捉え、子供に言い聞かせる様に呟く。

 

「なぁ、どうして()()()()()()()()()()?」

「…………っ」

 

 ツツジ・シャクヤクの形をした、過去の存在。既に死んだ身で、ここにあるのは地上に残った無念を拾い集めて紡いだ人形の身だ。現に、彼の切り取られた手足からは赤い血は一滴も流れない。本来なら四肢を失い止血せずにいれば数分も待たずして命を落とすはずが、彼は生きていた。いや、彼は既に死んだ身、生きているという言い方はおかしいのかもしれない。

 彼は、稼働し続けていた。

 

「ほら、俺の胸の『玖』を踏みしめるか、俺を壊せば進めるぞ?」

 

 優しい色を宿す言葉。泣きじゃくる子供をあやす様に、慈しみの篭った、温かな色合いの言葉。それでいて、内容は物騒で血生臭い。

 自分を殺せ、そうすれば進めるぞ。そうカエデに諭すツツジの言葉にカエデが身を震わせている。

 

「どうしたんだ?」

「どうも……しま、せん」

 

 途切れ途切れの返答。ツツジが目を瞑り、カエデから視線を外す。偽りの空を抱くこの領域の青空を見上げ、ツツジは口を開いた。

 

「早くしろ」

「わかっ、わかってる!」

 

 どもりながらも声を張り上げ、剣の切っ先を安定させる。ギリリッと奥歯を噛み締める音が響く。

 

「ほら、どうした?」

「どうも、しないっ」

 

 声が震えている。安定せずに光をチカチカ反射させる剣の切っ先。刀身側部に踊る百に至る花々が光の中で踊る。

 

「何をしてるんだ?」

「貴方を、斬ろうと……」

 

 弱々しい声色。震える声に荒い息遣いが響き、振り上げた剣の切っ先は頼りなくふらふらと揺れている。

 

「いつするんだ?」

「い……いま……すぐに……」

 

 涙声での返答。ツツジが視線をカエデに戻せば、目尻一杯に溢れんばかりに涙を湛えて彼女が身を震わせていた。

 

「なあ」

「うる、さい」

 

 彼が声をかければより多くの涙が溢れ、今すぐにでも零れ落ちんばかりだ。

 

「はやく────」

「うるさいっ!」

 

 ツツジがカエデを見据え、微笑んだ。次の瞬間、遂に限界を迎えた雫が零れ落ち始める。

 

「…………」

「ワ、ワタシは……あ、あなたを……ここで、ここで仕留めてっ」

 

 彼女は、泣いていた。溢れて零れ落ちる涙をそのままに、必死に姿勢を維持しようと両手を震わせながら剣を高々と掲げ、振り下ろさんとしている姿に彼は微笑んだ。

 

「やれ」

「……っ」

 

 ツツジが力強く呟く、慰める様に、あやす様に、涙を流す彼女の背を押す。

 

「いいから、やれ」

「……っ! …………っ!」

 

 言葉は無い。歯を食い縛り、必死に剣先を固定しようとカエデが荒い息を零す音のみが響く。

 周囲に散らばる陶器の欠片の様な残骸の数々。陽炎の様に揺らぎだす村の風景。中心に仰向けに倒れたツツジが口元に笑みを浮かべ、犬歯を見せつける笑みを見せて微笑む。

 

「はやくしろ────お前は()()()()()()()()()()()

「ぁ…………」

 

 零れ落ち続ける涙の向こう、蒼穹と深紅、対照的な色合いを持つ瞳が交わされた。

 もうこれ以上の言葉はいらない。想いを交わす必要はない。

 カエデの持つ剣の切っ先がピタリと静止した。溢れる涙をそのままに、視線を交わらせたままカエデは吼えた。

 

ぁ……ぁぁ……ああ……あぁ……あああああああああっ!!

 

 喉よ裂けろ、声帯を失っても構わない、今この瞬間に言葉を交わす必要等なかった。もっと早くに、急いでいる身でありながら彼を見てしまった。後悔を胸に抱き、叫び、吼える。響くのは咆哮で、慟哭で、唄だ。

 響く咆哮が幻影の村に響き渡り、『百花繚乱』は振り下ろされる。陶器の砕け散る音と共に村の幻影は霧霞みだったかのように揺らめいて消えて行く。

 残されたのはカエデ只一人。村の中央広間の真ん中で、残骸が煙と消えて行く中、膝を突き、地面に突き立てた百花繚乱を支えに慟哭の咆哮を上げ続けた。

 

 

 

 

 

 密林の入り口。野営地から離れた地点で剣を振るう金髪の背を見ていたナイアルがニヤりと微笑み、森の奥から響く咆哮を聞き届け、アルスフェアの頭を撫でた。

 

「聞こえましたか?」

「ああ、聞こえた。ざまあ無いな」

 

 感情を感じさせない声で返事をしたアルスフェアの頭を撫でるのをやめ、ナイアルが一歩踏み出す。

 

「行きましょう。罠は突破されました、彼女を出し抜いてヒイラギ・シャクヤクを攫うのです。【剣姫】と【凶狼(ヴァナルガンド)】は【夜鬼(ナイトゴーント)】が足止めしてくれていますし」

「了解、最後は全部滅茶苦茶、最高の終わりにしてあげようか」

 

 どす黒い憎悪を湛えたアルスフェアの瞳が森の奥を捉え、一歩進んだ瞬間。目の前にドスンッと鉈が突き立った。

 足を止め、アルスフェアが上を見上げる。樹の上にホオヅキが寝転んでいた。太い枝に身を預け、深紅の瞳でアルスフェアとナイアルを見下ろしている。

 

「久しぶりさネ」

「久しぶりだね」

 

 気さくに交わされる挨拶。ホオヅキは軽い身のこなしで樹から飛び降り、地面に深々と突き刺さった鉈を軽く引っこ抜き、付着した土を振り払う。

 

「あー、オマエ達、何しにきたさネ?」

「ちょっと観光ですよ。件の村がどんな村なのか見に行きたくてですね」

 

 へらへらと笑うナイアルの返答に対し、ホオヅキもにへらと笑みを浮かべた。

 愉し気に、楽し気に、互いに笑みを浮かべ合うナイアルとホオヅキ。

 ホオヅキはおもむろに腰の瓢箪を手に取り、中身をあおる。喉を鳴らして酒を浴びる様に飲み、飲み、飲んで────遂に酒が尽きたのかホオヅキの持つ瓢箪が音を立てて砕け散った。

 最後の一滴がホオヅキの唇を濡らす。彼女は右手に持った鉈を無造作にアルスフェアに向け。左手に戦爪を装備する。

 身に着けているのは旅装束用の皮製のコート。体を守る防具の類は一切無く、防御力を度外視した攻撃一辺倒な戦い方を行う、凄惨な光景を生み出し続けた巨躯(群れ)を駆る狂狼。

 巨躯を構築していた群れを失い、恩恵すらも別の神へと変わった。彼女が持ち得る能力は【ロキ・ファミリア】で発揮されるだろうが、彼女は【ロキ・ファミリア】の派閥の面子を一人も連れていない。

 たとえ頼まれたとしても、ホオヅキは【ロキ・ファミリア】の構成員を率いる事はしない。あくまでも、恩恵がどうしても必要で、神ソーマに顔を合わせられないから神ロキに頭を下げただけで、決して【ロキ・ファミリア】に入団したわけではない。

 今でも、これからも、永遠に彼女の心は神ソーマのモノだ。操を立てている。

 そんな彼女の無造作な行動に対し、アルスフェアは吐息を零した。相手は腐っても、腐り切っていたとしても第一級冒険者。勝ち目はほぼ無いと言っていい。

 

「ナイアル、下がっていてくれ」

「わかってますよ」

 

 神ナイアルがにへらへらと嗤いながら下がり。アルスフェアが鋭い眼光────狼人と見紛う程の眼光をもってしてホオヅキと対峙した。

 腰のナイフを抜き放ち、右手にナイフ、左手に小瓶。彼は無造作に小瓶の蓋を開け、ナイフに滴らせる。怪しくぬめる液体をナイフにふりかけるアルスフェア。それを見たホオヅキが体をゆらゆらと揺らしながらヘラヘラと軽い調子で笑った。

 

「お前なにしてるさネ。アチキに毒は効かないさネ」

「……そうだね」

 

 彼がナイフに塗りたくったのは、毒物。それも深層のモンスターですら麻痺する猛毒の類。それが彼女に効くか効かないかは不明だが。噂通りであるのなら彼女に毒物は一切通用しない。

 耐異常を以てしても防げない『泥酔』の状態異常(バッドステイタス)を自らに付与しながらも、酔えば酔う程ステイタスが向上する発展アビリティの影響で一時的にレベル6に届きうるステイタスを得た彼女に届くかどうか。

 

「それでも、僕は君を倒すよ」

 

 神ナイアルがそれを望んだ。この森の奥に彼が求めるモノがある。そしてそれを手にすれば、自身の願いも叶う。ヒヅチ・ハバリの周囲全てを破壊し尽くす。仲間を殺された、恨みは決して忘れない。彼女はアルスフェアの大事なモノを壊したのだ。操られていただとか、誰かに命令されただとか、そんなものは関係ない。彼女を殺したい、けれど彼女は強くて殺せない。なら周りのモノを、壊すのだと憎悪を滾らせる。

 アルスフェアの瞳を見据えたホオヅキは『ヒクッ』としゃっくりを零し、笑った。

 

「ヒクッ、ハハ、笑っちまうさネ……壊されたから、壊してやる?」

 

 それは、その言葉は、お前だけは口にしてはいけない。ホオヅキの深紅の瞳にドス黒い色合いが宿る。元々燻っていたモノだ。火の無い所に煙は立たない。彼女はずっと心の奥底にそのドス黒い感情を押しとどめていた。

 【ソーマ・ファミリア】が襲撃したファミリア、幸せを享受していた二人の羊人の少女を地獄のどん底に叩き落したのはホオヅキだ。

 そして、ホオヅキが襲撃をする原因となったのは────【ナイアル・ファミリア】主神、ナイアルが唆したからだ。

 

「お前が、その台詞を吐くなさネ」

「黙れ」

 

 ホオヅキの憎悪の宿った瞳と、アルスフェアの憎悪に満ちた瞳が交じり合う。

 瞬く間の出来事だった。アルスフェアが飛び掛かり、ホオヅキが無造作にそれを打ち払う。手にした毒を塗りたくったナイフが粉々に砕け散り、アルスフェアの体が地面にめり込む。人型に凹んだ土の中、ビクビクと死にかけの虫けらの如く痙攣している犬人の少年。それを踏み越え、ホオヅキはナイアルに迫った。

 

「ああー、貴女はこんな所で何を」

「黙れ」

「いやはや、そんな怖い顔しないでくださいよ? 怖すぎて小便チビりますって」

 

 へらへらと、恐怖等微塵も感じていない様子の神ナイアルに近づく。彼は威圧され一歩下がる等と言った怯えた態度をとらず、むしろホオヅキに迫った。ネットリと絡みつく、興味の色を宿した瞳でホオヅキを見据えた。

 

「おかしいですねぇ」

「黙るさネ」

「貴女はもう壊れていても良いころ合いなんですが」

 

 ヌチャリと薄気味悪い音を響かせてナイアルが微笑み、ホオヅキが無造作にナイアルの腹に戦爪を突き立てた。ブシュリと背中まで突き抜けた四本の戦爪の刃。ナイアルが真っ赤な血を口から零しながらも微笑み続ける。

 

「いやはや……油断、しましたね」

「死ね」

 

 無造作に振り抜かれる爪。ナイアルの腹から脳天までが四枚におろされ、夥しい血を噴き出し、内臓が零れ落ちる。四枚におろされた人体の断面を見据え、ホオヅキは目を見開き、吼えた。

 

「まさか……っ!? 油断したさネ!!」

 

 鉈を振るい、上半身を千切り飛ばす。ぶちまけられた内臓に人体の部品。

 神が一定の負傷を負えば、神の力(アルカナム)によって自動的に修復が始まる。それは神の意思とは無関係に行われ、結果として瀕死の重傷を負った神は神の力(アルカナム)の使用の罪を問われ、天界に強制送還される。だが、彼はそれが起こらない。

 確かに殺した、絶命させた、神ナイアルを────神ナイアルだと()()()()()()()()()()()()()()()殺した。

 

「やられたさネ!!」

 

 ホオヅキが慌てて振り向いた先、アルスフェアだと思っていたソレは見知らぬ少女であった。否、ホオヅキは彼女らについて少し知っていた。

 各地で酒の取引をしていた際、取引先に居た姉妹だ。既に殺した後で手当てのしようがない程に重症。妹の方も頭が完全に陥没しており、紛れも無く即死している事が見て取れる。手加減無しの一撃だったのだから仕方がない。

 ホオヅキの顔が青褪め、震える。

 

 まちがえて、しりあいをころしてしまった。

 

 心を埋め尽くす後悔。歯を食い縛り、ホオヅキは喉を呻らせ、小さく呟く。

 

「ごめんさネ」

 

 謝って済む問題ではない。今更、とある羊人の両親を八つ裂きにして殺した事を後悔しても遅い。彼女が犯した罪に一つ、罪状が乗っかっただけだ。

 ホオヅキがひとしきり心の中を整理し終えた所で、後ろから声がかかった。

 

「おい、何してやがる」

 

 背後に立つ狼人の男と、血濡れた剣を持つヒューマンの少女。【凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガと【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの二人。

 両足が切り取られて無残にも胴体が凹み瀕死の重傷を負った【夜鬼(ナイトゴーント)】がベートに首を掴まれている姿を見てホオヅキが感心した様に呟く。

 

「よく仕留めたさネ。幻術はどうすりゃいいのかアチキじゃわかんなかったさネ」

「あぁ? んなもん匂いでわかんだろ」

 

 ベートの言い草に【夜鬼】が血反吐を吐きながら呟く。

 

「にオい、も……ゴまか……セ……」

 

 ゴボゴボと血泡を吹き、彼は脱力していく。既に死に体であり、治療しようが間違いなく死ぬ。そんな彼のお腹にある凹みはベートが、切り取られた両足はアイズがやったのだろう。遠慮、躊躇、戸惑いの無い彼らの攻撃に晒された哀れな準一級冒険者の彼は足掻こうとしているが、ベートが徐々に首を絞めていく。

 

「ぐぎっ……ぎゃ……ぎぎっ……」

「おい、テメェの主神は何処行きやがった。其処の役立たずの酒飲みが逃がしやがった二人は何処だって聞いてんだよ」

 

 殺さずに重傷で済ませたのは、これを見越しての事だ。

 ホオヅキの作戦ではベートとアイズの二人で【夜鬼(ナイトゴーント)】を撃破。残るホオヅキが主神のナイアルを捕縛。【猟犬(ティンダロス)】アルスフェアを殺害する手はずになっていたのだ。

 それが蓋を開けてみればホオヅキは見事に相手に騙され二人を逃がす始末。それに気づいた二人が止めを刺す寸前で取りやめたのだ。

 

「ヒヒッ……二人ハ、いマごろ、ミつリンの奥デ、ヒイラギをつカまえテる頃じャなイカ?」

 

 ボタボタと血を滴らせながらも妙に素っ頓狂な調子を崩さずに喋る姿にアイズが不気味そうに一歩後ずさり、ベートが無造作に彼を地面に投げ捨てる。

 

「そうかよ、とりあえずこのまま森に進むぞアイズ」

「わかりました……ホオヅキさんは」

「んー……悪いさネ。アチキはこの密林に入れないさネ」

 

 ホオヅキの言葉にベートが露骨に舌打ちし、アイズが眉を顰める。二人の様子にホオヅキが困った様に頬を掻き、鉈で【夜鬼(ナイトゴーント)】の腕を切断した。

 

「とりあえず、アチキはこれで()()()()さネ」

「……そうかよ、行くぞアイズ」

「……はい」

 

 ホオヅキの表情を見た二人が視線を逸らし、密林に消えて行く。既に罠は無くなり、村に張り巡らされていた結界も完全に壊れている。今ならカエデやホオヅキ無しでも村まで辿り着けるだろう。

 それは、神ナイアルとアルスフェアも同様なのだが。

 

「あー、やっちまったさネ」

「や……ヤメろ、し……死んジまう」

 

 倒れ伏す【夜鬼(ナイトゴーント)】に馬乗りになったホオヅキが首を傾げ、笑った。

 

「大丈夫さネ。冒険者は()()()()()()()()()()()()()()()()()さネ」

 

 彼女の知る実体験だ。準一級冒険者にまで至れば、下半身を無くしても即死はしない。心臓と頭さえ無事なら、冒険者は割と融通が利くのだ。逆に、心臓と頭が無事だと簡単に死ねない事になるのだが。

 

「ちょっとアチキと遊ぼうさネ。大丈夫オマエも気に入るはずさネ」

「ヤめ……」

 

 懇願する彼の前でホオヅキが鉈を手放し、高々と掲げる。

 

「【盃をその手に、零れる酒は湯水の如く────溺れたまえよ】」

 

 彼女の魔力がうねりを上げ、その手に一つの盃を生み出す。朱色に彩られた歪な形の盃。

 

「知ってるさネ? 鬼の酒っていうのが極東にはあるさネ」

 

 なんでも飲むだけで不老長寿になれる凄いお酒だとホオヅキが笑う。苦痛に呻く【夜鬼(ナイトゴーント)】も釣られて笑みを浮かべた。

 

「【酒は百薬の長】……アチキのお酒はそんな凄いモノじゃ無いさネ」

 

 彼女のもつ装備魔法の効果。

 ホオヅキが最後に口にした酒が込めた魔力分だけ湧き出てくる不思議な盃を生み出す酒飲みが喉から手を出して欲しがる一品。

 そして、追加詠唱にて発現する装備開放(アリスィア)は……。

 

「ほら、たっぷり飲むと良いさネ」

「ごぶっ……ヤめろっ、やめろっ!!」

 

 馬乗りになったまま生み出した盃の酒を全て【夜鬼(ナイトゴーント)】にぶちまける。彼が顔を引き攣らせて絶叫を上げ、真っ赤になった顔に怯えの表情を浮かべてホオヅキを見上げた。

 常に狂気に狂う彼の弱点。酒に酔うと正気に戻ってしまうという哀れな弱点が見事に突かれ、素っ頓狂な調子の声がごく普通の声に戻る。

 

「やめろ、やめてくれ……」

 

 失われたはずの手足が再生しながらも、彼の目に映るのは恐怖だ。

 ホオヅキの持つ装備魔法の装備開放(アリスィア)は二種類。一つは『百薬の長』、もう一つが『万病の元』だ。今使われたのは前者────逃れ得ぬ『泥酔』という状態異常(バットステイタス)をもたらす代わりに、失った手足すらも再生する程の再生能力を付与するモノ。

 彼は死から遠ざけられ、そして恐怖をその胸に抱かされた。泥酔している所為で碌な抵抗も出来ず、手足を芋虫の様にもぞもぞと動かすので限界。

 どちらが前で、どちらが後ろなのか。今見ているのが空なのか地面なのか、世界の全てがぐるぐる回り、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられる視界。その中にホオヅキの顔だけがくっきりと浮かび上がる様に見える。

 【夜鬼(ナイトゴーント)】の足を無造作に引き千切り、ホオヅキは微笑んだ。

 

「いっぱい、いーっぱいお礼をしてあげるさネ」

「やめろっ!」

 

 とっても楽しい楽しい遊びの時間だ。ホオヅキは笑いながら千切った足を投げ捨て()()()()()()()()()()に手をかけた。


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