生命の唄~Beast Roar~   作:一本歯下駄

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『ふぅむ……ふむふむ』

『アレイスター、何を調べているのだ?』

『トートか、いや……何か見落としがないかとね』

『ヒヒイロカネについてか』

『うむ、ヒヅチ・ハバリの正体もそうだが、ヒヒイロカネについて分かっている事が少なすぎる』

『情報の大半が歴史の中に埋もれて行ったからな』

『狐人の都諸共、全部吹っ飛んだのが痛いな。調べようがない』



『戦場の音』

 鬱蒼と生い茂る木々の間を駆け抜ける白毛の狼人。

 足元をちらりと見れば、無数の紙切れが張り付けられているのが目に入ったのか、横跳びでその紙切れを回避する。瞬間、爆ぜる音と共に火柱が紙切れより立ち上がる。

 

「また罠、でも種類が違う」

 

 この森に入って30分程、後ろを確認すれば同じ速度で進み続ける黒い泥の様なモノが確認できる。

 朝日が昇るより前にこの森に足を踏み入れ、突破の方法を探していたカエデは目を細めた。

 

「進んでる。でも戻される……」

 

 木々の間を駆け、足元に張り付けられた紙切れを見て、小さく吐息を零した。

 紙切れに描かれている漢数字が異なっている。視線を向け、集中してその数字を見据え、カエデは顔を上げて木に張り付けられていた札に飛び掛かる様にして触れた。

 瞬間、視界がぶれると共に天地がひっくり返る様な感覚と共に密林の外に放り出された。

 朝日が昇り始めているのか地平線の向こうから太陽がその身を露わにしているのを見つつ、焚火に枯れ枝を放り込んでいたホオヅキの顔を見据え、カエデは口を開いた。

 

「多分、突破方法がわかりました」

「…………答え、聞いてやるさネ」

 

 罠の数、そして足元に張り付けられた札。その内のいくつかが数字になっている事、それを順番通りに()()事で先に進む事ができるかもしれない。カエデが考えた突破法を口にすれば、ホオヅキは感心した様に吐息を零し、首を縦に振った。

 

「正解さネ。それで()()()()()()()さネ。村では……まあ、いけばわかるさネ。二人が起きる前に……あー、起きてきたさネ?」

 

 ホオヅキがテントの方に視線を向ければ、目をこすりながら出てくるアイズと、欠伸を噛み殺すベートの二人がそれぞれのテントから出てくる光景が目に入り、ホオヅキが小さく吐息を零した。

 

「カエデ一人で行くべきだとアチキは思うさネ」

「おはようございます。ホオヅキさん、なんでワタシ一人が良いんですか?」

 

 カエデの質問に彼女は短い尻尾の先端を摘まみ、微笑んだ。

 

「カエデ以外の人が居ると、多分とってもやり辛くなるさネ」

 

 ホオヅキの言葉にカエデが首を傾げるさ中、ベートがカエデの頭を掴んで睨んだ。

 

「……おい、お前もしかして寝ずに突破法探してたんじゃねえだろうな」

「寝ましたよ。早く目覚めたんで一人で調べてました」

「ちゃんと休まないと」

 

 アイズの言葉にカエデが耳を伏せ、ベートの手を振り解いて森の方に足を向けた。

 

「すいません、でも急ぎたいんです。突破法はわかりました、後は……進むだけです」

 

 言葉少な目に、カエデはベートとアイズの反応を待つ事なく森の方へ駆け出していく。ベートが後を追うべく足を踏み出そうとした所で、横合いから棒が突き出されて動きを止めた。

 

「テメェ、どういう積りだ酔っ払い」

 

 ベートの前に棒を突き出し、追うのを止めたのは片耳の欠けた長身の狼人。残った耳をしきりにピクピクと痙攣させつつもホオヅキは苦笑を浮かべつつ口を開いた。

 

「あー、別に喧嘩売ってる訳じゃないさネ。ただ────【ナイアル・ファミリア】が近くで嗅ぎ回ってるから、そっちの始末を頼みたいさネ」

 

 ホオヅキの言葉を聞いた瞬間、ベートが目を細め、アイズが剣の柄に触れた。

 【ナイアル・ファミリア】はかつて仲間であった者達を狂わせ、凶行に走らせるという派閥に対する攻撃行動を仕掛けてきておきながら、オラリオから逃げおおせた者達だ。要するに、仲間の仇。

 

「何処だ」

「あっちの丘の上さネ。ずぅーっとこっちを見てたさネ。アチキ一人だとちょっと手に余りそうだから、任せるさネ」

「……わかりました。ベートさん」

「わかってる、逃がさねぇぞあいつ等」

 

 わかりやすく怒気を放ち、仲間に危害を加えた者達に制裁を加えるべくベートとアイズが立ち上がった。

 

 

 

 

 

 丘の上、一晩中眺めていた野営地からカエデが朝日が昇るより早く森に入り、突破法を見つけた事を知ったアルスフェアは目を細めつつも後ろで呑気に寝ている神と先輩冒険者を見て溜息を零した。

 

「あぁ眠い。まったく、ぼくだって……ん?」

 

 呑気に寝息を立てる二人を見つつ自分も寝たいのにと文句を零した所で彼は気付いた。野営地に居たはずの【凶狼(ヴァナルガンド)】と【剣姫】の姿が消え、【酒乱群狼(スォームアジテイター)】が一人で鍋を掻き回してるのみになっている事に。

 

「ふぅん、森に入ったのかな? そろそろ突破して貰わないとこっちも困るんだけど」

 

 口元に笑みを浮かべ、アルスフェアが身を起こそうとした瞬間、彼の横っ腹にドスンッと蹴りが叩き込まれ、吹き飛んだ。

 

「げぶぅっ!? なにっ、奇襲!?」

「起キきロ、ポんこツわンこ。ヴぁなルがンどに気付カレてるみたいだ」

 

 蹴りを放った犯人はつい先ほどまで呑気に寝息を立てていたはずの【夜鬼(ナイトゴーント)】であった。唐突な蹴りでアルスフェアが不機嫌そうな表情を浮かべ、次に響いた声に背筋を震わせた。

 

「けっ、俺達を見てやがったな」

「見つけました……」

 

 ぞっとする程の殺気を振りまく二人の第一級冒険者。鋭くたった獣人の耳を震わせ、怒気を孕む瞳で鋭く【夜鬼(ナイトゴーント)】を睨むベート。剣の切っ先をアルスフェアに向けたアイズ。

 どう足掻いても勝ち目のない敵対対象の登場にアルスフェアが身を震わせ、【夜鬼(ナイトゴーント)】は笑った。

 

「ぎゃヒッ、やッベぇな。死ンじまイそうナ感ジがビんビンすルぞ」

「おい、なんで、いつの間にバレてた!?」

 

 第一級冒険者二人に睨まれた第三級冒険者と準一級冒険者の二人。アルスフェアは視線を巡らせ、ナイアルが何処に消えたのかを確認し、舌打ちと共にナイフを抜き放った。

 

「あぁ、やるしかないか」

「オーぉ、威勢ガ良いナ。おレっチも少シがんバっちャおウかな!」

「最初から本気出してくれよ……」

 

 【夜鬼(ナイトゴーント)】が鉤爪にも似た爪剣を取り出して構える中、ベートが匂いを嗅いで呟く。

 

「神も居るな。どっかに隠れてやがる」

「……まず二人を排除、それから────縛り上げてロキの所へ」

 

 神ロキが見つけたら縛り上げて連れて来いと言ったナイアルがこの場に居ると判断した二人。その言葉を聞いた【夜鬼】が目を細め、頭を掻きむしった。

 

「おイ、おいおイ、オいおいオイ! オれ達ヲ無視すンなよ、ムかつく態度ダなぁ」

「あ?」

 

 ベートの視線が【夜鬼】を貫く。彼が鉤爪をベートに向けて口を開こうとした瞬間────彼の上半身が地面にめり込んだ。

 ドゴシャッという轟音。大地に小さなクレーターを生み出す程の威力の踵落としを食らった【夜鬼】が沈黙し、半ば地面にめり込んだ【夜鬼】の背を金属靴(メタルブーツ)で踏み締めたベート。

 

「雑魚が口を開くんじゃねぇ」

 

 抵抗すれば殺す。むしろしなくても殺すと言わんばかりの先制攻撃。それも彼の目には何が起きたのかすら判別不可能な程の速度による強襲。速度だけで言えばオラリオ最速に迫ると言われるその俊足にアルスフェアが顔を引き攣らせ、響いた声に驚きの表情を浮かべた。

 

「痛イじゃネぇか。やッてクれたナ」

「……あん?」

 

 ベートが踏み締めていた【夜鬼】がドロドロに溶けて黒い染みに変化を遂げる。まるでヒヅチ・ハバリの扱った式の様な光景。しかしそれとは異なる法則で動く彼のスキルが発動し、溶けた染みが地面に消え、アルスフェアの影から顔を覗かせた。

 

「マったク、第一級冒険者サまは手荒なコとで」

「……確かに潰したはずだぞ」

「ベートさん、彼、何かおかしいです」

 

 アイズが警戒心を向けた【夜鬼】は口を大きく開いた。まるで耳まで裂けたかのような大口を開け、奇声を放つ。

 

「ギャひ、ひひヒヒッ、ぎゃひぎゃヒッ、楽シい朝にナっちマウな!」

「……あんまり、遊ばないでくれないか」

「アル坊はナイアル様ト逃げテくんナイ?」

「了解」

 

 アルスフェアが踵を返し、逃げ出そうとしたのを見たベートが彼の背を睨み、アイズが素早く回り込んでアルスフェアに対し剣を振るう。回避もままならずに刃がアルスフェアの胸を断ち────アルスフェアの体がどろりと溶けて地面に黒い液体がぶちまけられた。

 

「なっ」

「……チッ、幻術か」

「だぁイ、せぇいカァい! そウそう、こコはもうおレっチの領域(テリトリー)、死にタく無ケリゃ、頑張っテくれヨ!」

 

 両手を大きく広げ、叫ぶ【夜鬼】の姿にベートとアイズが目を細めた。

 

 

 

 

 

 密林を駆け抜けながら足元の札を踏みしめる。この罠はどれも()()()()()であり、実際の損傷(ダメージ)は発生しない。その事に気付いてはいたが、やはり怖いモノは怖い。

 『壱』の札を踏みしめた瞬間、風の嵐が吹き荒れてカエデの体が弾き飛ばされる。木にぶつかる寸前に風が渦巻き、カエデの体を受け止めた。

 

「まず、一つ」

 

 木の根に足を取られぬ様に駆け出した先、見つけた『弐』の札を迷わず踏み抜く。

 噴き出した水が凍り付き、体を氷漬けにしていくさ中、カエデはあえて抵抗せずに氷に閉じ込められた。周囲の景色を氷塊の内側から眺めつつ、小さく息を吐けば、呆気なく氷塊が砕け散る。

 

「二つ目」

 

 突破法、数字通りの罠を踏み抜き、罠に嵌る。ただそれだけだ。

 『参』の数字を見つけた瞬間、大きく一歩を踏み出して札を踏みしめる。矢が飛来する音。無抵抗でその矢を受け入れる。ブスブスと背中、胸、腕、頭に矢が突き刺さり、消える。

 痛みはないが、体の中に鏃が捻じ込まれる異物感はあった。吐き気を覚えそうになる感覚に歯を食いしばり、駆けだす。

 残りは、いくつだろうか。

 

 『肆』の文字。四つ目を見つけて踏み抜く。地面が隆起し、左右から土壁が同時に迫り、潰された。

 体が左右から押しつぶされる感覚。一瞬で視界が真っ暗になり、圧迫感と共に呼吸が遮られる。それも数秒で消え去り、視界が開け────目の前に迫った大刀の一撃に目を見開き、身を捩って回避した。

 空気を切り裂く鋭い音色と共に、息遣いが聞こえ、カエデは背にしていた『百花繚乱』を引き抜いて相手の剣を横合いから叩く。

 ぶつかり合う寸前、カエデの百花繚乱が横から飛び出してきた大刀に弾かれ、カエデが視線を向ければ黒毛の狼人の壮年の男性が両手で大刀────カエデの身知った剣を手にしていた。

 その大刀、『大鉈』という名称でカエデがオラリオに辿り着くまでに利用していた刀を手にした男。何故、その剣を持っているのか、意識を奪われかけ、一瞬の空白の後に反撃を試みる。

 火花を散らしながらあっけなく吹き飛んでいくその男。木にぶつかる寸前にその男の体があらぬ方向に弾かれた。それは別の狼人が彼の体を蹴った事によって発生し、彼は木の枝に足を付け、一気に飛び掛かってくる。

 驚きに目を見張るカエデの視界の中には、同じように『大鉈』を手にした無数の狼人の姿。そのどれもが────カエデの知る村人の姿に酷似している。人数は三人。

 

「なっ!?」

 

 同じ姿をした彼らが、カエデの大事な『大鉈』を手に襲い掛かってくる。訳も分からない状況にカエデが動揺し────丹田の呼氣で強制的に冷静さを取り戻す。

 

「関係ない、邪魔、しないでっ」

 

 今更立ち塞がるな。苛立ちと共に百花繚乱を振るい────途中で身を捻り、回避を優先した。

 足元に見える札の番号は『弐』、ギリギリで踏まずに済んだ事に安堵の吐息を零しかけ、背中に大刀の一撃が叩き込まれた。

 たたらを踏みながらも駆け出す。斬られなかった、否、あの剣はカエデの損傷を与えられる程の鋭さはない。

 むしろ、刃が殺された(なまく)ら刀だ。

 

「なんで、妨害を……」

 

 足を速めれば、彼らは遠く離れて行き、泥に飲まれて消えた。背後に迫る泥の速度は其処まで速くはない。だがそれカエデの基準であって常人の基準ではない。カエデの疾駆する速度からすれば全然遅いその泥は、神の恩恵を受けていない者では逃げる事も出来ない程の速度だ。

 そして、彼らは神の恩恵を受けていない。先程の一撃は駆け出しに少し劣る程度の威力しかなかった。

 一体、何者なのか。何故今になって彼らは立ち塞がるのか。既に全員死んだと言われていた彼らの妨害に牙を剥き、直ぐに呼氣を整える。

 

「今は、先を急ぐべき」

 

 考えを口にし、冷静さを引き寄せて足元の札を見据えていく。次の札は『伍』、見つけたその札を踏みしめ、響き渡る雷鳴に身を震わせた。次の瞬間には轟く(いかづち)がカエデの体を打ち据え、その身を痺れさせる。

 手足が勝手に暴れ出す様な不快感を味わいながらも身を震わせて手にしていた百花繚乱で斬りかかってきた狼人を弾き飛ばす。

 また、カエデの周囲に数人の黒毛の狼人が現れた。人数は、四人。それぞれ手にしている得物は、やはりというべきか刃の殺された鈍らの『大鉈』だ。

 

「邪魔っ!」

 

 飛び掛かってくる二人の間を走り抜け、その後ろの一人の足を剣先で引っ掻けて転倒を誘いつつも走り抜ける。彼らが慌てて振り返って此方を追おうとし、倒れた一人が邪魔となって一瞬動きが止まった。そんな彼らを置き去りにしカエデは疾駆する。

 次の札を探すべく視線を巡らせ、『陸』の数字を見つけ、足を踏み出した。

 弾ける音色。周囲に響き渡るのは金切り声の様な金属の絶叫。獣人であるカエデでなくとも一瞬で平衡感覚を打ち壊され、足元がおぼつかなくなる。立つ事もままならない程の大音量。

 普通なら対処不可能な騒音の嵐。しかしカエデには『丹田の呼氣』がある。乱れた自らの氣を整え、瞬時に復帰して立ち上がる。取り落とした百花繚乱を鞘に納めて駆けだした。

 今度は、何も現れない。

 

 次いで見つけたのは『漆』。七番目の数字、狐人の扱う漢数字と呼ばれるそれは非常にわかり辛い、一瞬見間違えそうになったその数字の札を踏みしめる。

 金属靴(メタルブーツ)の底の鋲によってズタズタにされる札。次いで訪れるのは眩暈。吐き気に頭痛、腹の内側が捻じれる様な激痛が弾け、カエデが体をくの字に曲げて喀血した。

 

「げぼっ……これ……」

 

 ガンガンと痛む頭と、腹の中を鉄の棒でかき混ぜる様な激痛。視界がグルグルと回りだして膝を突いた。

 突破法が浮かばない。呼氣乱しを食らったのとはわけが違う程の激痛、吐き気、眩暈。視界がグルグルと回りだし、泥が徐々に近づいてきているのに気が付いてカエデが顔を上げる。

 口の端に滴る血を無視し、腹の中で暴れ狂う激痛を堪え、一歩踏み出した。その瞬間に痛みと眩暈が書き消え、カエデが一瞬たたらを踏み、大きく前のめりに飛び出して泥を間一髪で回避して駆け出した。

 罠の種類が多岐にわたるとはいえ、今の罠は完全に想定外だった。危うく倒れる所だったカエデは目を細め、次の罠札を探す。

 

 駆け続ける事、数分。次の札は『捌』。八番目の札を見つけ、一瞬、何が来るかに怯え、戸惑いながらも踏み抜いた。

 瞬間、首が飛んだ。周囲に発生したのは刃の嵐。腕が、足が、胴が、首が、ありとあらゆる弱点(ウィークポイント)を切断していく刃の嵐。目が、口が、鼻が、耳が、尻尾が、指が、関節が、内臓の一つ一つに至るまで全てを斬り捨てていく鋭い刃が乱れ舞う。

 ほんの一瞬でズタズタを通り越し、完全にバラバラの死体に変貌を遂げる。そんな姿を幻視しながらも、カエデは密林から投げ出され、大地に五体投地した。

 ベリャリと投げ出された姿勢のまま、呼吸を忘れていたカエデが大きく息を吸い、吐く。鼓動すら一瞬止まる程の濃密な殺気に包まれていたカエデがくらくらする頭を抱え、顔を上げ────息を呑んだ。

 

「……ここ、は」

 

 目の前に広がるのは、滅び去った黒毛の狼人の故郷。

 焼け落ちていたはずの家屋は元の通りになっており、荒れ果てた畑もみずみずしい野菜が実る、最盛期の村の姿。明らかに、おかしな姿にカエデが警戒心を高めつつも身を起こし、響いた声に反射的に剣を向けた。

 

「よう、お帰りって言った方が良いか?」

 

 カエデが動きを止める。信じられない光景だが、同時に理解可能な光景だ。

 つい先ほど、死んだはずの村人が襲い掛かってきた。言葉も無く、ただ襲ってくるだけの彼ら。斬り捨てる事をしなかったのは、カエデがその必要性を感じなかったからで。

 目の前の光景に、カエデが静かに剣を下ろした。

 

「おう、そりゃヘファイストス様に贈った剣じゃねえか。借りたのか? どうだ、その剣。女神さまに贈るのにふさわしい剣だろ?」

 

 人懐っこい笑みを浮かべた姿。蒼穹を思わせる色合いの瞳。ピンと立った耳に、わしゃわしゃと振られる尻尾。野性味に溢れた顔立ちに、鋭い犬歯を覗かせる口元。殆どの狼人が彼を見れば『イケてる』と称する程に整った顔立ち。

 肩に背負っているのは『大鉈』の様な剣。身に着けているのは鍛冶師が身に纏う着流し。カエデはこの人物について知っていた。何度か顔を見た事もある。それだけではない、もっと、カエデの知らない所で深く繋がりのあった人物。

 元【ヘファイストス・ファミリア】の上級鍛冶師【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】ツツジ・シャクヤク。

 女神ヘファイストスに『百花繚乱』という剣を贈り、故郷に帰った人物。

 そして、カエデ・ハバリの実の父親だ。

 

「うそ……」

「おいおい、女神さまに贈るのにふさわしい剣だろ。嘘だなんて言っちゃいねぇ。あの時俺が打てる最高傑作だぞ」

 

 人懐っこい笑顔、口元に覗く鋭い犬歯が口元に覗いており、目つきの鋭さも相まって威圧している風にも見えるのに、何処か愛嬌を漂わせるツツジの姿にカエデが身を震わせ、口を開いた。

 

「なんで、生きて……」

「いや、俺は生きてない。悪いな、とっくの昔に死んでんだ。つまり、今の俺は死人って訳だよ」

 

 笑みを絶やさず、カエデを優し気な色合いで見つめる蒼穹の瞳。確かな情愛の色が見て取れるその瞳に一瞬引き込まれ、カエデは首を横に振った。

 死人が居る? 在り得ない。そう否定し、カエデは百花繚乱の切っ先を彼に向けた。

 

「あー、なんだ。やるのか?」

「通してください」

 

 ここはカエデが目指していた目的地ではない。ここにヒイラギは居ない。この場所にヒヒイロカネはない。ならばここは通り過ぎるだけの通過地点でしかない。故に、ここを通せ。鋭く睨み付けるカエデの深紅の瞳を見据え、ツツジは肩を竦め、俯いた。

 

「今更、親父面できねぇとは思ってたけどよ……お前は、やっぱ……いや、なんでもねぇ。俺は、お前を止める為にここにいる」

「どうして────」

 

 自身を止める為だと聞かされたカエデの質問に、ツツジは顔を上げて答えた。

 

「お前を愛してるからだ」

 

 ぞっとする程の決意の色合い。愛してるという直球の言葉にカエデが身を震わせ、口元を歪めて吼えた。

 

「愛してるならっ! もっと早くに言ってっ! 今更、遅すぎるっ!

 

 カエデの咆哮に、ツツジが身を震わせた。俯き、肩に担いだ『大鉈』をカエデに向ける。

 

「わかってる。もう遅いって、わかってんだ」

 

 それでもお前を愛してる。生きていた時からずっと、死んでもなお、カエデ・ハバリ(おまえ)を愛してる。そう呟いたツツジの言葉。嘘はない、彼は嘘を吐いていない。心の底から真実と言える言葉を口にし、ツツジは涙を零しながら口を開いた。

 

「愛してる。だから、ここで止まってくれ」

 

 ヒヅチ・ハバリと戦わせるわけにはいかない。彼女は強い、ツツジが片手間で捻り倒される様に、カエデもまた倒されてしまう。今のヒヅチと戦えば、命はない。だからここで止める。

 この先で、ヒイラギと共に静かに暮らせば良い。傷付き、涙を流し、苦しんでまで進まなくても良い。

 

「だから、ここで止まってくれ」

 

 ツツジ・シャクヤクが大鉈を向ける。カエデ・ハバリにその切っ先を固定し、愛を叫ぶ。響き渡る声に誘われ、傀儡の様になった村人がゾロゾロと現れた。

 彼らの目には虚ろな色合いが映っている。感情を失った傀儡である彼らを自在に操り、ツツジ・シャクヤクが立ちふさがる。

 彼の身に着けている着流し、その胸に刻まれた『玖』の数字。九番目の罠、踏み締め、踏み越えていくために用意された、余計な者を通さない守護者。

 愛を叫ぶその言葉に、カエデは身を震わせ、鋭く唸り声を上げて剣の切っ先を向けた。

 

「嫌です」

 

 此処で止まる訳にはいかないと。例えヒヅチと刃交える事になったとしても、彼女は止まらない。

 

「ヒヅチを止めます。止める為に、貴方を倒します」

「……アイリス────」

「ワタシはっ!」

 

 過去の名だ、否……そもそもその名で呼ばれるのは違う。カエデが全身の毛を震わせ、獰猛な威嚇の音色を響かせ、吼えた。

 

「ワタシはっ、カエデ・ハバリだっ」

 

 貴方の娘ではない。だってワタシはヒヅチ・ハバリの娘だから。

 

 貴方はワタシを捨てたんだ。だって貴方はワタシをヒヅチに預けたのだから。

 

 貴方はワタシに手を差し伸べなかった。だって貴方はワタシを庇ってくれなかったから。

 

 貴方は死んだんだ。過去の人間(ヒト)なんだ。

 

 貴方はワタシの前に立ち塞がったんだ。死者の癖にワタシの前に立つな。

 

 貴方は────ワタシの敵だ。

 

「其処を通せっ!」

 

 涙を流しながら咆哮を響かせ、カエデ・ハバリが牙となり黒毛の狼人に襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 オラリオ真東3()5()K()地点。広がる大平原を見下ろしていた高地から後退した神々の天幕から見える景色に神々が身を震わせていた。

 元々は5K程東で戦っていた戦場。それが一晩で5K程押し込まれていた。

 最前線で戦っているのは【ロキ・ファミリア】【フレイヤ・ファミリア】の混成軍。最強(レベル7)に加え、第一級冒険者が十名以上参加しての防衛線。()()()()

 

「おいおい、不味いぞ。押し返す処か徐々に押し込まれている」

「しゃあないやろ、あっちは不眠不休で全員動いとるんや。むしろ一晩でオラリオまで特攻されへんかった事を喜べや」

 

 ガネーシャの不安を誘う言葉にロキが吐き捨てる。

 最前線を支える十名以上の第一級冒険者。最前線に立つ最強【猛者(おうじゃ)】オッタルが大剣を振るって敵の進行を止めるべく動いているが、まるで焼け石に水だ。

 

「また光や……あぁ、立ち上がってきとる」

 

 戦場中央部。第一級冒険者が集まって戦っている場、そこで場違いな女性が一人、踊っていた。

 右手に大太刀、左手に札、胸には魔力の塊である魔力石。狐人の踊る動きと、紡がれる詠唱によって戦場は混沌としていた。

 彼女の詠唱が戦場に響く度、彼女の魔法が戦場で弾ける度、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 確実に息の根を止めたはずの者達が、立ち上がってくるのだ。それに加え、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「あの銀狐ヤバいな」

「あれは、狐人の英雄の一人だな。最期は傷付きながらも怪物に斬りかかり、息絶えたはずだが」

 

 フィン、ガレス、リヴェリアの三人がかりで抑え込まねばならない銀毛の狐人。

 手にしているのは極東にしては珍しい両刃の剣。反りの無い直刀を右手に、左手にはお祓い棒の様なモノを手にしている銀毛の狐人だ。

 他にも、全身鎧を身に纏う小人族の姿も少数見られ、準一級冒険者であるティオネやティオナ、その他多数の冒険者が必死に押しとどめようとしているが、じりじりと戦線を押し上げられている。

 小柄な体躯に頑丈な鎧。馬鹿げた大きさの騎乗槍と大盾を手にした小人族に最初は鼻で笑っていた者達も、その最初の突撃で蹴散らされて戦線を崩壊させられて今では必死の形相で戦線を留めようとしている。

 恐ろしい馬鹿力で混成軍を蹴散らす大柄なドワーフ。種族特徴を生かし前進し続ける獣人。

 ヒヅチ・ハバリが出てくるまでは、彼女が不可思議な魔法を使うまでは、オラリオ優勢で進んでいた筈の戦場は、今や押し込まれ続けて被害が拡大し続けている。

 

「あかん、もう下がった方がええな」

 

 流石に戦場が近づき過ぎている。流れ弾らしき火球が神々の留まる天幕のすぐ近くに飛来し、大地を大きく抉ったのを目にしたロキの言葉に神々が頷いて慌てて護衛の眷属と共に下がっていく。

 その様子を見ながら、フレイヤは目を細めてヒヅチ・ハバリを見据え、小さく零した。

 

「操られてる訳ではないけど、本意ではないみたいね」

「フレイヤ、こんな所で色ボケしとらんとさっさと下がるで」

 

 ロキに促されたフレイヤも立ち上がり、戦場を見下ろして呟いた。

 

「オッタル、もう少しだけ、耐えて頂戴」

 

 彼女が到着するまで、戦線を維持しろ。そんな無茶苦茶な命令を零したフレイヤも天幕を後にした。

 

 

 

 

 

 最前線で戦うフィン、ガレス、リヴェリアの三人は多数の負傷を負いながらも銀毛の狐人の足止めを行っていた。

 身に着けているのは着物の上に板金を張り付けた様な動きやすさに重点を置きつつも、重要な個所を守る狐人特有の防具。裾がほつれており、板金も無数の傷に凹みが見て取れる。

 顔立ちは非常に美しく、女性の様にも、男性の様にも見える中性的な姿をした人物。白面を身に着けた人物。

 フィンの長槍も、ガレスの戦斧も完全に防がれ、まともに切り結べてすらいない。

 リヴェリアに至っては詠唱しようとした瞬間に妨害を受け、まともに詠唱すらさせて貰えぬ始末。

 

「くぅっ」

「フィン、不味いぞ。ワシらが突出し過ぎとる」

「ガレス、フィン、少し下がれ」

 

 リヴェリアの言葉にフィンが眉を顰めた。

 先程から前線が後退し続けている理由は一つだ、倒れても倒れても敵が立ち上がってくる。立ち上がって襲い掛かってくる。まるで疲れ知らずと言わんばかりに永遠に襲い掛かってくる彼らに対し、オラリオの混成軍は押され続けているのだ。

 フィンやガレス、リヴェリアの様な第一級冒険者ならまだ体力が続くが、後方で前線を形成しているのは主に第二級、準一級冒険者である。第一級の中でもレベル6のフィン達に付き合って前線を維持できる程の体力を持ち合わせている冒険者は少ない。

 【ロキ・ファミリア】が形成している一角だけが浮き上がり、他が前線を下げている影響で突出しはじめ、かなりの負荷がかかり始めているのに気付いたフィンが槍を振り上げ、叫んだ。

 

「ラウル! 前線を後退させろっ!」

 

 声を聞き届けたラウルが懸命に指示を出し、前線を少しずつ下げていく。他のファミリアと足並み揃える為とは言え、下がり過ぎている。

 目の前の銀毛の狐人の顔を見つめ、フィンは小さく呟いた。

 

「せめて、名前ぐらいは聞かせて貰えないかな」

「…………何故、名を名乗る必要があるのだ」

 

 時間稼ぎの意味合いもある問いかけに律義に答える声。銀毛の狐人の言葉にフィンが眉を顰める。

 死者を蘇らせる魔法、というには何かがおかしい。彼らはかつてオラリオ、白亜の塔の地下に広がる大穴を塞ぐべく蓋の建造を担った英雄達だ。だから彼らがあの塔を破壊しようとするのは理解できない。

 親指が震え、フィンがのけぞった瞬間にチンッという刃を収める音。銀毛の狐人が刀を鞘に納めていた。

 頬から滴る血を拭い、フィンは冷や汗を流す。

 

「見えなかった……」

「見る必要等、有りはしない」

 

 真っ直ぐ白面越しに見据えてくる銀毛の狐人。彼に対しガレスがぼやいた。

 

「何故オラリオを狙う」

「何故か……」

 

 小さな呟き。考え込む様に動きを止めた彼は、顔を上げて呟いた。

 

「俺の婚約者がそれを成そうとしている。ならばそれの成就の為に身を賭すのは、おかしな事ではあるまい?」

 

 彼の言葉にフィンが眉を顰め、視線を戦場中央、【猛者】と激しく切り結んでいるヒヅチ・ハバリに向けて呟いた。

 

「彼女が、君の婚約者かい?」

「如何にも」

 

 肯定の言葉を聞きつつもフィンは小さく吐息を零した。

 

「あぁ、そうか。なるほど……それでも僕たちは負ける訳にはいかないし、引くわけにもいかない。そういう訳だから、ここで倒れてくれ」

 

 長槍を構え、【勇者(ブレイバー)】が淡々と宣言すれば、【重傑(エルガルム)】【九魔姫(ナインヘル)】も同様に構えをとる。

 一対三、過去の英雄の一人に対し、現代の英傑三人。押され気味ではあっても、決して負ける積りはない。フィンの鋭い突きを皮切りに、更に激しく戦場に火花を散らした。

 


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