生命の唄~Beast Roar~   作:一本歯下駄

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『団長、物資の準備は滞りなく終わったよ』

『ご苦労』

『うぅん、それは良いんだけど……兄さん何処行ったかしらない?』

『奴なら前線に物資を輸送する輸送隊に同行したぞ』

『それ、ぼくの役目なんじゃ……』

『妹を戦場に連れていけるかと言っていたな』

『幸運が使えるぼくの方が確実だと思うけどなぁ』


『不吉な調べ』

 【クトゥグア・ファミリア】の主神、神クトゥグア率いる『神滅軍』。

 迷宮都市『オラリオ』より真東に40K(キロル)進んだ大平原。即席で組み上げられた防壁を挟み、オラリオの冒険者によって形成された混成軍、おおよそ一万八千。対するクトゥグアの扇動によって神々への復讐を目的に集った狂人集団、おおよそ二万六千。

 人数差は約八千、通常の戦争であれば勝敗は既に決まっているも同然と言える程の差。

 複数の派閥(ファミリア)によって形成された一枚岩とはとても呼べない集団のオラリオ混成軍とはいえ、内訳の中にはオラリオ最大規模を誇る【ガネーシャ・ファミリア】や、オラリオを二分する最強派閥たる【フレイヤ・ファミリア】や【ロキ・ファミリア】も見受けられる。

 例え一枚岩でなくとも、戦闘、とりわけ人同士の戦争において、数をもって圧倒する時代は当の昔に終わっている。

 現代、俗に言われる『神時代』は、()()()()の時代と言われている。

 たった一人の豪傑が────神に与えられた恩恵を昇華させるに至った者が────いともたやすく状況を覆す可能性を秘めているのだ。現に器の昇格(ランクアップ)を果たした十名の小隊であれば、その十倍、あるいは百倍の軍勢相手を真っ向から抑え込む事ができると言われている。

 

 現に、現在最前線にて衝突している部隊同士の戦い、否戦い等と呼べるモノではない蹂躙がそれを物語る。

 オラリオ最強の冒険者【猛者(おうじゃ)】オッタル、彼が手にしている二本の大剣。その得物が振るわれる度に、相対している敵の軍勢が弾け飛ぶ。

 宙を舞い、目尻に涙をため込んだ狂人集団。

 最強一人に対し、挑みかかっているのは千を超える軍勢だ。軍靴の音を響かせ、彼らは真っ直ぐ武器を向け最強に挑み、近づく事すら叶わずに弾け飛び、死ぬ。

 加減無用を言い渡された最強が振るう大剣が、触れてもいない敵を弾け殺し、血と臓物を草原にまき散らす。

 

 最前線で行われる蹂躙。後方に設営された小高い丘の上のテントからそれを見据える神々。

 今回の戦線に強制参加を言い渡された主神が集まる其処で、神ロキは静かに腕組をしながら小さく溜息を零した。

 ────カエデがもたらした情報。彼の軍勢を超強化する(いにしえ)の妖術。それが発動する前に止めねばならない。

 カエデの語りを聞いたフィンも警戒心をあらわにしていたその謎の妖術。今の所発動の気配は感じ取れないが、もし発動し、カエデの説明通りの効力を発揮するのであれば、下手を打てばオラリオ混成軍は半日もせずに潰滅するだろう。

 其の事を他の神に伝える事なくこの場で静かに腰かけるロキ。

 伝えないのは、ちゃんとした理由が存在する。それはカエデの頼みだった。

 

『ヒヅチは、ワタシが討ちます。だから────手を、出さないでください』

 

 ロキはその言葉を思い出し、額に手を当てた。

 彼女の力強い覚悟に満ちた瞳。出会った当初に見惚れた輝く瞳に宿る、壮絶な覚悟。止めるべきであると同時に、決して邪魔するべきではないと感じ取り、ロキは口元を笑みの形に変え、小さく呟いた。

 

「早うせな間に合わへんで」

 

 この場に集まっているのは主に戦闘系ファミリアの主神のみ。後方では鍛冶系ファミリアである【ヘファイストス・ファミリア】と【ゴブニュ・ファミリア】が共同で武装類の整備を行っている者もいれば、医療系ファミリアが回復薬等の物資類を荷馬車で運び込んだりしている。殆どの主神はバベルの安全な階層へと避難しているのだ。

 その中でも最前線に立っているのは【ロキ・ファミリア】主神ロキ。【フレイヤ・ファミリア】主神フレイヤ。【ガネーシャファミリア】主神ガネーシャ。その他中規模と呼べる程度のファミリアの主神がすし詰めになっている。

 

「ねえロキ、カエデが見当たらないのだけれど」

「なんやフレイヤ、カエデの事が気になるんか?」

「ええ、ついでに【剣姫】と、【凶狼(ヴァナルガンド)】も居ないみたいね」

 

 わざわざ持ち込んだらしい望遠鏡で戦場を見回す美神をちらりと見てから、ロキは静かに肩を竦めた。

 現在オラリオ混成軍の最前線にて戦っているのはオラリオ最強の称号を持つ【猛者(おうじゃ)】オッタルと、【フレイヤ・ファミリア】が誇る第一級冒険者達である。

 その彼らと、名も知れぬ有象無象の戦闘を眺めたフレイヤが深い溜息を零し、目を瞑った。

 

「醜い光景ね」

「せやろな」

「……前線はどうなっている?」

 

 横合いから声をかけてきた『群衆の主』、神ガネーシャの言葉にフレイヤは目を細めて呟く様に言う。

 

「どの魂も、ぐちゃぐちゃの滅茶苦茶、目が痛くなるぐらいにドス黒くなってるわ」

「…………そうか」

 

 神々が地上で引き起こした事件によって地上に蔓延る恨みと憎悪。それらを凝縮した彼らの瞳を見据えた神ガネーシャが小さく呟いた。

 

「ままならないな」

 

 最前線は下がりも、上りもしない。ただその場で迎え撃つ最強によって、敵は一歩も進めない状態に陥っていた。

 

 

 

 

 オラリオの戦線より数K離れた林の中、ハイエルフの老婆の怒声が響き渡っていた。

 

「ふざけるな! アマネは何処だ! 何処で油を売っているのだ!」

 

 杖を振るい、属性魔法を放っては報告に訪れた下っ端の連絡員を粉砕しては殺害していく狂人。彼女を眺めていたクトゥグアは空を見上げて溜息を零し、口を開いた。

 

「アンタさんが彼女を怒らせたんじゃないのかい」

「黙れっ!」

 

 杖の先端を向けられ、其処から溢れ出る魔力の光を目にしたクトゥグアはくつくつと喉で笑い、呟く。

 

「おいおい、お前さんや。俺が死ねば()()しちまうぜぇ?」

「ぐぅ……貴様、は、最後に……ぐぐぎぎぎっ」

 

 ギリギリと噛み締めた奥歯が砕ける音が響き、老婆は再度最前線に視線を向け、口角泡を飛ばす。彼女の怒りは疾うに限界、オラリオ混成軍と事を構えて早半日が過ぎ去ろうとしているにも拘わらず、自らが差し向けた軍勢は何の役にも立たず、かといって彼女が出て行った所で何が出来る訳でもない。既に死に体の老骨一人、簡単に捻り殺されてお終いだろう。

 

「アマネ、いったいどこで……」

「じゃから、ワシはヒヅチじゃと言うておろうに」

 

 茂みを掻き分け、金色が飛び出してくる。

 ピンと立った三角の耳。大きくふんわりとした太い尻尾。鴉の濡れ羽色を思わせる黒い着物を着こみ、大太刀を肩に担いだヒヅチ・ハバリが現れて、ハイエルフの女性をちらりと見たのち、クトゥグアに視線を向けた。

 

「貴様! 今まで何処にいた! 我らが最後の勝利を飾るこの場に遅れるなど!」

 

 火蓋が切られたのはもう半日も前の話だというのに遅れてきておきながら悪びれる様子の無い彼女に怒りを露わにして掴みかかろうとし、ヒヅチが手で適当に叩いて押しのけた。

 ハイエルフの女性が怒声を響かせ彼女に詰め寄るも暖簾に腕押し。彼女の目にはクトゥグアの姿しか映っていない。

 

「それで? いつ発動すればよい?」

「そりゃぁ────今すぐ、だろ? さぁ、神時代の終わりが始まるぞ」

 

 嬉々とした様子でこたえるクトゥグア。ヒヅチは小さく吐息を零し、哀れにも狂い切って壊れたかつての仲間のハイエルフを見据え、懐から数枚の札を取り出して投げつけた。

 喚き散らす狂人が動きを止め、ぱたりと倒れ伏したのを見届けて、彼女は小さく「ワシには救えん、すまんな」と呟く。倒れ伏したハイエルフの懐から宝珠を取り出し、神クトゥグアを強く睨み付けた。

 

「ワシは行く。もしワシが死んだら、躯は適当に捨ておけ」

「屍にゃぁ興味が無い。ま、せいぜい大きな火事を起こしてくれよな!」

 

 彼女は口をへの字に曲げ、林から足を踏み出した。

 踏み締める木の葉の感触、顔を上げ、木々の隙間より見える軍勢の背を見据え、ヒヅチ・ハバリは大太刀を片手で振り抜き、詠唱を開始した。

 

「【鳴り響く怨嗟の声を聞け────】」

 

 彼女の手に握り込まれた宝珠が輝く。エルフの秘宝、彼らエルフが遠い昔に生み出し、秘した宝玉。魔力を溜め込み、膨大な力を秘めた蓄電池の役割を果たすソレ。

 狐人が扱う魂を力に変換する技法により、神の恩恵を受けていない魂をそっくりそのまま魔力に変換し、搔き集めたまさに『命の宝玉』。

 狐人とエルフ、二つの種族が持ち得る余りの危険性に歴史から秘された技法と秘宝を組み合わせた、巨大な力を宿した宝珠。内に宿る力に手を伸ばし、ヒヅチは大魔法を放たんとする。

 

 

 

 

 

 オラリオ側、最前線で戦うオッタルは確かに感じ取れた膨大な魔力の流れに警戒心を示した。

 

「おい団長、なんか来るぞ」

 

 小柄な猫人の男性の言葉に彼は小さく頷き、大剣を構える。

 先程まで目の前で無謀な突撃を繰り広げた烏合の衆。その彼らの躯に魔力が広がっていく。

 台地に染みついた怨嗟の声。神々が降り立つより以前にこの大地を踏みしめ、そして散っていった古代の英雄達の怨念。目を見開くオッタルの前に、古びた剣を持つ英傑が降り立った。

 

 

 

 

 

 セオロの密林。鬱蒼と生い茂る木々の間を駆け抜け、カエデ・ハバリは自らの生まれ故郷を目指していた。

 追走するアイズとベートの事を忘れたかのように駆け抜けていく後姿に二人が目を細め、森に響く音と飛来する矢を叩き落としていく。

 

「おいっ、なんだこいつら!」

「……敵? じゃない? 人の気配はしないのに、矢だけが飛んでくる」

「ヒヅチの設置した罠だと思います」

 

 駆け抜けるカエデの背を追う二人が叩き落とした矢が後方に点々と続いており、後ろをちらりと振り返ったベートが遂に耐え切れずに叫んだ。

 

「糞っ、丸一日間走りっぱなしだぞ! どうなってやがるっ!」

 

 ベート達の後方、どす黒い泥の様なモノが森の木々を飲み込み、腐食効果を発揮して森林を飲み込んでいっていた。

 

 カエデ、ベート、アイズの三人はつい昨日にこのセオロの密林に足を踏み入れた。

 目的はカエデが()()()()()『ヒヒイロカネ』を入手する事。【恵比寿・ファミリア】が手にしたモノは『ヒヒイロカネ』によく似ているが、実質的には似ているだけの模造品であったのだ。

 それを知った恵比寿およびにモールが協力を申し出たものの、オラリオで起きる戦争に向けた物資調達の為に船を動かしており、カエデ達に協力できないという事となったのだ。

 結果として【ロキ・ファミリア】のみで行動を起こす事にしたのだが、団長であるフィン、副団長であるリヴェリアが動けないのは当然のこととし、ガレスも重役として役割があり動けない。

 他の第二軍メンバーが戦線を支える事を条件に最速の足を持つベート、アイズ、カエデ三人でオラリオに向かってくる軍勢を回避してセオロの密林にやってきたのだ。

 しかし、セオロの密林に足を踏み入れた彼らを待ち受けていたのは、ヒヅチが仕掛けた罠だった。

 

「このまま真っ直ぐです」

「本当にそれであってんのか!?」

 

 ベートの怒声が響く中、カエデの尻尾が自信なさげに垂れ下がっていく。

 ベートもアイズも第一級冒険者として、丸一日走り続けた程度で倒れる程ではないにせよ、疲労感は隠しきれない。何より────予定通りであったのなら、オラリオでは既に戦闘が発生しているはずだ。それに焦る二人に対し、カエデだけはただ森の奥を見据え、口元を歪めた。

 

「……すいません、お二人で先に進んでください」

「はぁ!? おまえ、何を────」

「ワタシは、大丈夫ですので」

 

 迫る矢を叩き落としたベートがカエデの方を向いた瞬間、カエデが身を翻して反対方向へ駆け出した。

 勘に従い、彼女は木々を腐り落ちさせる腐食効果を持つ泥に頭から突っ込む。その背を見送ったベートとアイズが一瞬足を止め目を剥くも即座に駆け出す。

 

「あの馬鹿、何を考えてやがる」

「……ベートさん、いったん森の外に出ませんか」

 

 アイズの言葉にベートが舌打ちを零し、右手を上げて木々に張り付けられた札の一枚に触れる。

 視界がぶれ、次の瞬間には放り出される感覚と共にセオロの密林の入り口に投げ出される二人。大きく息を吐き、呼吸を整えて密林の奥を睨みつけたベートが舌打ちし、呟く。

 

「意味のわかんねぇ仕掛けだなおい」

 

 森に入って一定時間たつと、腐食性の泥が後ろからじわりじわりと迫ってくる。最初はナメクジが這うような速度で、それは次第に速度を増していき気が付けば強歩程の速度で、ふと後ろを振り返れば駆け足程の速度で、そして最終的には駆ける速度とほぼ同等の速度でベート達を追い掛け回してきた。

 途中で何処からともなく矢まで飛来し始め、矢を叩き落としつつ泥から逃げ回るいう状況。しかも進めど進めど終わりの見えない密林。既に反対側の山脈に足を踏み入れていてもおかしくない処か、山脈を踏み越える程の距離を走り続けてなお、密林から抜け出せないという異常事態。

 それを終わらせる鍵が、走り抜ける木々の間に時折張られている『札』だ。それに触れるだけで入り口に戻される。カエデの言葉通りの結果にアイズが安堵の吐息を零し、ベートは入り口横に張られたテントから顔を覗かせる狼人を見て口をへの字に曲げた。

 

「戻ってきたさネ? カエデは何処行ったさネ」

 

 白い毛並み、左目の上に刻まれた傷跡。片耳が欠け、尻尾が半ばで断ち切られ、数え切れぬ傷跡をその身に残した長身の狼人。酒に酔い狂う狼、ホオヅキがテントから顔を出してベートを眺めていた。

 この森にやって来る前に彼女が【ロキ・ファミリア】を訪れ、神ロキに恩恵を刻みなおして貰ってベート達に追従してきた()()()()である。

 

「……あー、()()さネ?」

「畜生、これで()()()だぞ」

 

 次の瞬間、ドシャリという音と共にカエデが密林の入り口に投げ出されてきた。それを見てホオヅキが吐息を零してテントから這い出てくる。

 

「カエデ、無事さネ?」

「…………また、ダメでした」

 

 悔し気に耳をぺたりと伏せる彼女に対し、ホオヅキが優し気な手つきで頭を撫で始めた。

 

「仕方ないさネ。アチキもヒヅチが何を考えてるのかわかりゃしないさネ」

 

 ベートとアイズも腕を組み考え込む中、カエデが顔を上げた。

 密林入り口の森と草原の境目。森の奥は分厚い天蓋が光を遮り見通せそうになく。草原には夕暮れを示す紅の色合いが降り注ぐ。

 頭を掻きむしり、苛立ちを抑え込んだカエデが立ち上がり。もう一度森に入ろうとした所でホオヅキがカエデの肩を掴んで止めた。

 

「夜はダメさネ。()()()()()()()、ヒヅチに言われなかったさネ?」

「……言われました」

「だから夜は、ダメさネ」

 

 ホオヅキの言葉に悩まし気に尻尾を揺らし、最終的に折れて尻尾を垂らしたカエデは焚火の跡の傍に腰かけて膝に顔を埋めた。

 その様子を見ていたベートとアイズも揃って焚火の跡を囲う様に腰かける。ホオヅキが薪を放り込んで着火しているのを見つつも、アイズが口を開いた。

 

「本当に、あの森を突破しないといけないの?」

「……はい、突破法があるはずなんです」

 

 カエデの言葉にアイズが顔を伏せ、火を大きくしようとしているホオヅキに視線を向けた。

 

「ホオヅキさん」

「なにさネ」

「……本当に突破できるんですか?」

「出来るさネ。でも、アチキはできないさネ」

 

 彼女の言葉にベートが眉尻を上げ、吐き捨てた。

 

「はん、適当ばっか口にする奴なんかほっとけ」

「……アチキはちゃんと、味方をしてあげたいさネ。でも、今はダメさネ」

 

 この森を突破するのは、カエデでなくてはいけない。彼女はそう言って乾いた笑みを浮かべて鍋を取り出した。

 中に水を入れ沸騰させつつもホオヅキは腰の瓢箪に手を伸ばして中身をあおる。

 つんと漂う酒精の香りにカエデとアイズが眉を顰め、ベートが鼻を鳴らす。それを見つつもホオヅキは時折酒を口にしつつも、そこら辺で採取した野草類と香草、そして仕留めた兎肉を鍋に放り込んで煮込み始めた。

 

「アチキにも、ヒヅチの考えはよくわからないさネ。助けたいなら、そのまま助けりゃ良いさネ。わざわざこんな回りくどい事しなくたって……」

「……このままだと、オラリオが潰滅しちゃいます」

「別にアチキはオラリオに思い入れなんかありゃしないさネ」

 

 ホオヅキの言葉にアイズが眉を顰め、カエデが困った様に眉尻を下げた。ベートだけはどうでもいい様に寝転がり、腕を枕代わりに寝る姿勢に入る。

 オラリオの事をどうでもいいと言ったホオヅキに対し、カエデは小さく尋ねた。

 

「なんでそんな悲しい事言うんですか?」

「カエデだって、黒毛の狼人の故郷がどうなろうがどうでもいいさネ。それと一緒さネ」

 

 欠けた片耳をピクリと震わせた彼女の言葉に、カエデが目を見開き、頷いた。

 確かにその通りだと納得し、疑問が氷解したところで香草によって香りづけされた煮込み料理が完成に近づいて胃袋を擽る香りを放ち始める。

 匂いに反応し、カエデが腹を鳴らすのを聞いたホオヅキが苦笑し、仕上げに塩で味を調えながら鼻歌を歌う。

 

 それを聞きながら、カエデは空を見上げて空腹を訴える胃の辺りをさする。

 

 此処に来るまでに二日。此処に来てから三日、既に五日も経過しており、オラリオでは予定通りならば今日の朝にも戦線が開かれている事だろう。それを理解しながらも、未だに謎が解けずに村まで辿り着けないカエデがアイズの方に視線を向けた。

 

「空を飛んで、行けませんか……」

 

 最初から期待していない様子のカエデにアイズが眉を顰め、小さく頷いた。

 カエデの言う通り、空を飛んで村を探そうとしたものの、空から見る限りでは一面鬱蒼と生い茂る密林の天蓋が見えるのみで村らしきものは影も形もない。

 カエデやベート等、村を知っている二人によれば天蓋が途切れて中央に石材によって作られた村長宅と、小さな村には似つかわしくない鍛冶工房があるのですぐにわかるとの事だったが、やはり空を飛んでいく等と言った事は出来ない。

 

「うん、無理」

「そうですか……」

 

 寝転がっていたベートが起き上がり、ホオヅキを強く睨み付ける。

 

「おい、お前何か知ってるだろ」

「べっべべべべつに何も知らないさネ? 本当さネ?」

 

 ありありとした動揺を示し、言葉を震わせて顔を引き攣らせるホオヅキに対しベートが詰め寄ろうとし、やめた。何をしようが彼女が情報を吐かないだろう。というか既に何度か同じやり取りをしている。

 そのたびにわかりやすく動揺して声を震わせながらも、一切の情報を口にしないホオヅキの態度にベートが何度目かわからない舌打ちを零す。

 彼の苛立ちを感じ取りながらもホオヅキは出来上がった野草と兎肉の香草煮を器に盛ってベートの差し出す。

 

「まっまあ怒るなさネ。アチキだって別に悪気がある訳じゃないさネ」

「……それはホオヅキさんが言っていい台詞じゃないんじゃ」

 

 カエデの小さな呟きを聞きながらもベートが器を受け取って中身を覗き込み、溜息を零した。

 三日連続で全く同じ食べ物だ。移動中も含めればこれで四日連続といえる野草と兎肉の香草煮に飽き飽きしていたベートが悪態をつく。

 

「またコレかよ」

「文句があるなら自分で作って食えさネ。それにアチキなりに香草を変えて味も変わってるはずさネ」

 

 味覚音痴とまではいかずとも、酒を飲み続けている所為か味覚があまり確かではない影響か、それとも逆に鋭敏過ぎて微細な違いを()()()()と言い張っているのか。彼女の作る香草煮はどれもこれも似たような味しかしない。というよりは味付けなんぞ塩のみなので味が変わりようがないのだが。

 強いて言うなれば、香りにほんのりと差があるのみ。

 カエデが気にせずにガツガツと食らうのを他所に、香りの違いすら見いだせずに四日連続で全く同じ物を食べている気分のアイズは心の中で料理出来る様になっておこうと呟いた。

 気が付けば夕日は既に隠れ、月明りが薄っすらと草原を照らす幻想的な光景。遥か遠くのオラリオのある方角から響いてきた音にベートとカエデ、ホオヅキの三人が反応して立ち上がる。

 鋭敏な獣人だからこそ聞き取る事が出来た音。

 

「おい、今……」

「何か、凄い音が聞こえました」

「……始まっちまったさネ。明日にもここを突破しないと不味いさネ」

 

 唯一、獣人でなかった為か音を聞き逃したモノの、背筋が泡立つような魔力の流れを感じ取り、身を抱き締めて震えたアイズが小さく呟いた。

 

「不気味な、感じ」

 

 

 

 

 

 密林の傍に作られた野営地を眺めていた【猟犬(ティンダロス)】アルスフェアは灰色の髪を指先で弄びながら草原の影に隠れている神ナイアルと彼────今は彼女か────に身を摺り寄せて甘い声を微かに零す【夜鬼(ナイトゴーント)】の姿を見て溜息を零した。

 

「頼むから彼らに気付かれるような真似はやめてくれよ。特にあっちには三人も狼人(ウェアウルフ)が居るんだ。ウチ二人はガチの戦闘用個体の『白牙』なんだぞ?」

 

 ここが風下だからこそ彼らの淫行を止めないで見逃しているのだ。

 もしここが風上だったらぶん殴ってでも止めている。

 

「イま、いイ、トころ……ンんっ」

「アルもどうです?」

 

 にやりと笑みを浮かべ、自らの身体を貪る眷属を愛おし気に撫でている絶世の美女の姿をした邪神。その姿を見たアルスフェアが身を震わせて吐き捨てる様に言葉を放った。

 

「冗談はよせ」

 

 彼、今は彼女となっているナイアルの本来の姿を知っているアルスフェアからすれば、先輩である【夜鬼(ナイトゴーント)】がナイアルと性交に及んでいる事が信じられない。

 無論、敬愛もしているし愛してもいる。けれども貪ろうとはとても思えない彼は後ろで情愛を交わし合う二人の事を意識から外して監視を再開した。

 

「また攻略に失敗したみたいだ」

「出来ればヒイラギを横から掻っ攫うのが理想なんですけどねぇ」

 

 【ナイアル・ファミリア】の現在の目的は一つ。

 『頭脳』であるヒイラギの奪取。ヒイラギの居場所も既に把握済みで後は連れ去るのみであった。

 しかしあのセオロの密林に足を踏み入れた結果は散々どころか最悪。ナイアルがこっそりと増やした眷属というなの狂人十数名を伴っての進軍の結果、村まで辿り着けたにも拘わらず返り討ちという結果になったのだ。

 

「あのツツジ・シャクヤクとかいう奴。アイツめっちゃ強かった」

「元【ヘファイストス・ファミリア】所属、【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】ツツジ・シャクヤクか……上級鍛冶師だったはずだけど、彼のファミリアは確か『戦闘鍛冶師』とかいう訳の判らない奴らが所属してる所だろう」

 

 鍛冶師でありながら冒険者として素材を集める彼のファミリアの眷属。ツツジ・シャクヤクも例にもれず自ら素材を集めるべく迷宮に足を運んでいた戦闘鍛冶師だ。

 だがそれだけでは説明が不可能な程にあの村の守護を行っていた彼は強かった。

 

「というかそれ以前にだね、彼はもう死人だろう? 死人が立ち上がって戦うなんて……信じがたいね」

「んンっ……ふゥ、デもおレ達あいツと戦ッタじゃナいか」

 

 準一級冒険者【夜鬼(ナイトゴーント)】と第三級冒険者【猟犬(ティンダロス)】、それに加えて適当にナイアルが捕まえて狂わせて従っていた駆け出し冒険者十名。

 彼らが足を踏み入れ、村まで辿り着くのにはそんなに苦労する事は無かった。問題は、その後である。

 

「びっくリだヨね。イきなリ斬りかカッて来ルんだモんさァ」

 

 素っ頓狂な音程で会話する所為か聞き取り辛い【夜鬼(ナイトゴーント)】の言葉にアルスフェアが小さく頷く。

 

「ああ、いきなり首が飛んだから()()ヒヅチ・ハバリに襲われたかと思ったよ」

 

 一瞬だけ過去の光景が脳裏を過ったアルスフェアが身を震わせ、ふと気が付いた事を口にした。

 

「そういえば、【夜鬼(ナイトゴーント)】は生きてたけど……他の二人は?」

 

 共に『ラキア王国』への侵入および調査を行っていた仲間がヒヅチ・ハバリに首を刎ねられて死んだと思っていたアルスフェア。結果だけ言えば【夜鬼(ナイトゴーント)】は死んだふりであって実際には生きていた訳だが、残りの他の二人はどうしたのかと気にしたアルスフェアの言葉に彼は肩を竦めた。

 

「アあ、死ンだよ。何モ出来なカった。庇ウまデも無く、ネ」

 

 若干疲れた様に美女の胸に顔を埋める彼を見てアルスフェアは小さく溜息を零した。

 

「そっか」

「敵討チしたイ? やメといタ方がいイと思ウなァ」

 

 その言葉にアルスフェアは眉を顰め、問いかけを零す。

 

「逆に聞くよ。ヒヅチ・ハバリが憎くないのかい?」

 

 仲間を殺されておいて、報復を考えないのかとアルスフェアが問いかければ、【夜鬼】は小さく笑みを浮かべて顔を上げた。

 

「決まッテるだロ。殺しタいに決マってル。だカラ────カエデ・ハバリをぶッ壊しテやるノさ。奴ノ目と鼻ノ先でネ」

 

 憎悪の色合いを浮かべた先輩狂信者の姿にアルスフェアが身を震わせ、視線を【ロキ・ファミリア】の野営地の方へ戻した。

 野営地では夜番をしているらしいホオヅキが酒を片手に鼻歌を響かせているのみで他の者は全員テント内に入っている。それを確認したアルスフェアは小さく吐息を零し、空を見上げた。

 

 不気味で分厚い曇天が空を覆い尽くそうとしている重苦しい光景を目にし、余計に気分が悪くなった彼は吐き捨てた。

 

「僕だって同じ気持ちだ。ヒヅチ・ハバリを許せやしない」

 

 だからこそ、彼女の大事にしている物も、者も全て壊したい。そう内心呟いて視線を野営地に戻した。


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