生命の唄~Beast Roar~   作:一本歯下駄

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『あああああああ!』

『叫ぶな叫ぶな。全く、腹がぱっかり裂かれてるのに騒がしいな。おい暴れるなまた内臓が飛び出るだろっ!』

『放せさネッ! カエデに会わせろさネ!』

『お願いだから動かないでくれ。頼むから。本当に死ぬぞホオヅキ』

『カエデェェエエッ!! アチキは此処に居るさネッ!!』

『……はぁ、頼むから治療ぐらい大人しく受けてくれないか』

『アチキはどうなっても良いさネッ!! 早く放せさネッ!!』

『…………死なせると悪評が立つんだ、キーラ・カルネイロの様に大人しくしてくれないか』


『愛の形』

 『大樹の迷宮』の広間。生え茂る茸の群生地の中心、吠え、吼え、咆え、一匹の獣が暴れ狂っていた。

 白い毛並みを赤黒い血で染め上げ、緋色の水干に多くの血を吸わせ、鋭い牙を剥いて威嚇の唸り声を零す。

 『威圧(メナス)』の効力を発揮したその唸り声に擬態し身を隠していた『ダークファンガス』が震え、姿を現す。

 巨大な茸に擬態して不用意に近づいた冒険者に猛毒を含む胞子を飛ばし、状態異常が発生した所で仕留める。狡猾な狩人たる彼らは血濡れた獣の標的となり、散り散りに切り裂かれ、魔石を残して消滅した。

 ドロップとして残るはずだった傘部分すらも容赦なく切り裂かれ、ばらばらになった部品が散らばり、舞い上がった胞子が獣の肺を犯す。

 咽びこみ、それでも爛々と輝く紅の瞳で周囲を見回す。毒の状態異常によってその小さな体躯を犯されて尚、途切れぬ闘志に似た激情を晴らさんと一歩踏み出し、足を止めた。

 

 白毛の狼人、鋭き白牙、黒毛の巨狼の遺児。

 【ロキ・ファミリア】所属、準一級(レベル4)冒険者【生命の唄(ビースト・ロア)】カエデ・ハバリ。

 両の手で握りしめた大刀、再生の特殊武装(スペリオルズ)。神ヘファイストスに捧げられたとある狼人(ウェアウルフ)の作品。『百花繚乱』

 既に百を大きく超え、千に届きうる程に怪物を断ち切ったにも拘わらず、その刀身は血濡れて浮き上がった血溝の花々の数々を晒しながらも、決して欠ける事も鈍る事もない万全の刀身であり続けている。

 ────まるで、ヒヅチの様だ。

 そんな考えを脳裏に思い浮かべ、カエデは即座に斬り捨てた。

 

 迷宮に足を踏み入れてから、今日で何日目であろうか。既に時間の感覚は狂っているし、碌な休憩を挟まなかった影響か、重心が安定せずに一歩踏み出すたびに頭が左右に揺れる。

 いっそ、死んで(諦めて)しまいたい。けれどそれが出来る場所(ライン)は当の昔に超えてしまった。

 自らの手で殺したアレクトルが、誤って命を奪ってしまったアレックス・ガートルが、かつて救えなかったアマゾネスの女性が、ドワーフの男が、騎士の男性が、そして生きる為にと斬り捨て続けてきた化け物の屍の山が、自身の歩んできた道に転がっている。

 歩みを止める。其の為には自らが歩んできた道を振り返る必要がある。振り返ればそこに屍が転がっている。その屍は、何の為に死んでいったのか。

 ────決まってる。カエデ・ハバリが生きる為に死んでいったのだ。

 邪魔をしたから。身勝手な行動を止めようとして。彼女・彼より優先すべき事があったから。怪物は程よい経験値(エクセリア)を稼ぐ糧であったから。

 怪物に恨み等もっていない。誰もが怪物を殺す事を肯定するから、罪悪感を抱く必要が無いから。気兼ねなく()()()()()()()対象として、ただ殺し続けてきた。

今までの行動が間違っていた等と言う積りは彼女にはない。けれども、その歩みの中で積み上げてきた躯の数に怯えている。

 ヒヅチ・ハバリという最愛、育ての親であり、代えがたき師であった彼女。

 

『たとえ世界の全てが敵に回ろうと、ワシだけはお主の味方であり続けよう』

 

 彼女は約束した。決して違わぬ、決して破らぬと、誓いを立てた。

 ヒヅチは、カエデの為に動いている。

 

死ぬな(諦めるな)生きろ(足掻け)、心の臓の音色が途絶えるその瞬間まで』

 

 彼女の言葉が記憶の奥底から響き渡る。それは彼女が遺した言葉、カエデを構築する主軸であり、カエデ・ハバリという少女を語る上では欠かせぬ、欠く事の出来ぬ信念にして覚悟。

 苦悩の表情を浮かべ、腰のポーチから最後の解毒剤を取り出し、飲み干す。体内を犯していた毒の違和感がたちまち消え去り、けれども消えずに残る心を荒らす言葉までは消し去ってくれない。苛立ちと恐怖が交じり合い、カエデは剣を大きく振りかぶって『大樹の迷宮』の壁面に叩きつけた。

 木材を思わせる材質の壁面に百花繚乱がぶち当たり、木片の様な欠片を盛大に散らす。轟音と共に壁が凹み、けれどもカエデの苛立ちが消え去る訳でも、恐怖が無くなる訳でもない。

 

「ヒヅチは、私の味方」

 

 口の中で転がす様に、確認する様に呟いて剣を引き抜き、再度壁に叩きつける。

 飛び散る木片と木の葉の擦れる音、そして怪物の唸り声が遠くから彼女の耳に届く。

 

「けれど敵」

 

 カエデの脳裏に浮かぶのは、剣を向けてきたヒヅチの姿。最愛の人、恩人にして恩師。カエデを構築する殆んどのものが彼女に与えられたモノで、そして彼女は敵になって、それでいてカエデの味方であった。

 ヒヅチはいつもの様に微笑んでくれた。そしてカエデの為に動いてくれている。

 その内容が、カエデを殺す事。苦しませず、楽にする事。死という救いを与えんと、彼女は剣を振るってくれる。カエデに対し、敵として剣を振るい、味方として救いを与えようとしてくれている。矛盾を孕み、それでいながら主軸は変わっていない。

 ヒヅチは敵であり、味方である。

 

「敵。そう、敵になった」

 

 脳裏に浮かべた仮想敵。

 幾度となく剣閃を交えようとしても、まるで決められていたかの様に自らの胸に刃突き立ち、頸を一閃で断ち切られる。

 どれだけ彼女を敵に見立てて戦おうと、勝ち筋が見えない。暗雲の中をさ迷い歩く様な、確実な敗北へ続く道。

 糸よりも細い勝利へ繋がるなにかがあれば、まだ戦えた。彼女がただ敵になったのなら、まだ戦えた。

 ヒヅチは味方だった。どれだけ狂っても、おかしくなっても、それでもヒヅチはカエデの味方であろうとしてくれていた。

 

 身を震わせ、顔を上げて息を吐く。丹田の呼氣にて気を落ち着かせ、剣を見て小さく謝罪した。

 

「ごめんなさい」

 

 荒々しく、怒りと困惑を発散すべく八つ当たりの様に壁に叩きつけられた『百花繚乱』。けれども刀身は欠けも毀れもしない。血に土埃が混じったのみ。

 自らの格好を省みて、カエデは天井を見上げて呟いた。

 

「帰らなきゃ……」

 

 食料は其処らに生えていたダンジョンフルーツ類を食らい。沐浴は一切せずにいた所為か、自らの匂いが相当ひどい事になっているのを自覚する。腰の投擲短剣を収めておくポーチをまさぐり、何も入っていない事に溜息を零し、先程斬り捨てた『ダークファンガス』の魔石を踏み潰しておく。

 自身が激しく錯乱していた事を自覚しながらも、忘れずに魔石だけはきっちり踏み潰していた事を思い出して小さく笑った。

 

「ちゃんと、忘れなかった」

 

 染みついた習慣。ダンジョンに潜る際にやってはいけない事、それを忘れずに行いながらカエデは小さく吐息を零した。

 

「どうすれば、良いの?」

 

 誰にも届く事の無い問いかけ。

 ヒヅチの言った『自分を見失うな。誰の命令でも、頼みでもない、自身の抱く想いを貫け』という言葉。

 自分を見失った覚えはない。

 誰の命令に従った訳でもない。

 頼まれてやっている訳ではない。

 自身の抱く想いを貫いているはず。

 そのはずなのに、何かが違う。間違っている様な、そうでない様な、不可思議な引っかかりが自分の中に残っている事を自覚し、カエデは頬に着いた血を拭おうとして、袖口が血でべったり濡れている処か全身血塗れで拭う事も出来ない事に気付いた。

 

 

 

 

 

 ダンジョン十八階層。安全階層(セーフティポイント)でありモンスターが発生しない階層。

 【ロキ・ファミリア】が良く利用する水源へと足を運んで血を洗い流していたカエデ。

 血が固まって髪に絡み、染みついたのか先の方が赤黒くなって血生臭い自身の尻尾を念入りに洗っていた彼女は、木々の間を駆けてくる音に気付いて耳を澄ます。

 ガサガサと木の葉の擦れる音を響かせながら徐々に近づいてくる音に警戒し、百花繚乱に手を伸ばそうとした所でその正体に気付いて柄から手を放して水浴びを再開した。

 程なくして、木々の間を抜けて飛び出してきたのは【憤怒】グレース・クラウトスと、彼女を左右から拘束しているアイズにティオナの二人であった。

 水浴びをしているカエデを見て驚いた後、彼女達はグレースを水の中に突き落とした。

 怒鳴り声をあげ、放せ行かせろと叫んでいたグレースが不意を打たれ、頭から泉に落ちて水面が大きく揺らぐ。

 揺らぐ水面を見ながらカエデはグレースに声をかけた。

 

「お久しぶりです。グレースさん、どうしたんですか?」

「ゲホゲホッ、ってどうしたじゃないわよっ! あんた何処に居た訳!?」

 

 水面から勢いよく飛び出し、詰め寄ってカエデの両肩を力強く掴んだグレースの言葉にカエデが視線を逸らす。

 

「えぇっと、大樹の迷宮で、その、怪物狩りを……」

 

 もやもやとした怒りの様な、戸惑いの様な、困惑の様な、恐怖の様な、様々な感情の混じり合った自らが若干の錯乱を伴って迷宮で暴れ狂っていたと冷静になったカエデが語れば、彼女は盛大な溜息と共にガクリと肩を落とした。

 

「嘘でしょ、アタシ死にかけたんだけど」

「グレースが無茶して突っ込もうとするの止めるの大変だったよね」

「うん、ちょっと危なかった」

 

 彼女達はカエデを探すべくダンジョンに潜ってきたらしい事。アイズは序にダンジョンで怪物狩りをしようとしていた事等を聞きながらもカエデは血で汚れた装備品を洗っていく。

 グレースが呆れ顔でそんなカエデを見つつも、何度目かの溜息を零して呟いた。

 

「地上で大戦がはじまるってさ」

「大戦?」

 

 地上のオラリオでは既に噂になっている事柄。

 近々、近隣の村や町を襲撃して回っていた神々に反発心を抱いている者達によるオラリオへの大規模侵略が予測されており、地上ではそれに対する為に現在進行形で【ガネーシャ・ファミリア】を中心に防衛線の構築を行っている。

 オラリオの二大ファミリアである【フレイヤ・ファミリア】や【ロキ・ファミリア】も当然の様に招集がかけられており、物資類のやりくりなんかの話し合いが連日連夜行われている。

 

「戦争、ですか」

「そ、ラキアとの戦争が数年前にあったけど……ってアンタその時居なかったっけ」

 

 カエデがオラリオにやってきてからまだ半年しか経過していない。それに気づいたグレースが眉を顰めてぼやく。

 

「いや、半年で準一級(レベル4)って凄すぎでしょ」

「羨ましいよねぇ。この剣もそうだけど」

 

 横で百花繚乱の血を洗い流していたティオナがしみじみと呟く中、アイズは目を伏せながら言った。

 

「戦争、相手が強いらしい」

「強いっていうか、なんか相手方の主神がルール違反して神の力(アルカナム)を使ってる可能性があるって聞いたわ」

 

 その言葉にカエデが眉を顰めた。

 神々の定めた地上生活における絶対のルール。その中には神の力(アルカナム)の行使を禁止するというものがある。如何様な理由があれ、決して神の力(アルカナム)だけは使用してはならない。

 それが他の神を害する為でも、身を守る為でも、愛する者を救うためだったとしても、決して使用してはならない。

 かつて一人の女神が愛した地上の(こども)の為に神の力(アルカナム)を行使し、結果として地上から天界へと強制送還されてしまうという悲恋の話すらある。

 当然、侵略の為の力の行使も禁止されている。

 

 国家系ファミリアである【アレス・ファミリア】が主軸となっている『ラキア王国』についても神の力(アルカナム)は一切使わず、地上の眷属(こども)の力を借りてあれだけ強大な勢力に至ったのだ。

 神の知識を存分に生かし、地上で農業に勤しむデメテルや、漁業に勤しむニョルズも、蓄えた知識を元に情報誌を窘めるトートも、音楽の才を遺憾なく発揮して地上を満喫するミューズの女神達も、神の力(アルカナム)を使わない範囲という決めごとを守りながら地上を満喫している。

 そんな中、神の力(アルカナム)を行使して平然としているというその神については眉唾と言わざるを得ない。そんなカエデの表情を読み取ったグレースが肩を竦めた。

 

「あくまで噂よ、う・わ・さ。なんたって相手は短期間で第二級(レベル3)冒険者を何十人も殺してるのよ? それもつい先日まで鍬を握ってたような農夫ですらそれができるらしいわ」

「私も聞いた。なんでも手にするだけで力が満ち溢れる装備があるって」

「……力が満ち溢れる?」

 

 アイズの言葉にカエデが考え込み、小さく呟いた。

 

「御霊石?」

「なにそれ?」

「えっと、ヒヅチが持ってた石。生前の強者の魂を封じて力を借り受ける事が出来るっていう道具、だったと思う」

 

 『御霊石』。狐人が使う道具の中でも割と一般的で良く使われていた代物らしい。という事以外カエデが知る事は少ない。というか殆どない。

 死者の魂を封じてその力を借り受ける。殺生石とよく似たソレ。ごく一部の能力のみの行使に特化したモノと違い、御霊石はその持ち得る全てを封じ込め、手にした者に貸し与える代物だ。

 例えば第二級冒険者の魂を御霊石に加工すれば、その石を手にするだけで駆け出し冒険者が第二級並みの力を発揮できるという代物。

 

「それ凄くない? というかヤバいでしょ……」

「ちょっとそれは……人としてどうなの」

 

 人の魂を道具として利用する。人道を外れた外法の業。

 神の領域である魂にすら手をかけた彼の種族の在り方。カエデは小さく首を横に振って呟いた。

 

「生きる為です」

「え?」

「全部、生きる為にやった事です」

 

 身内を殺すのも、敵を殺すのも、死体を道具に作り替える事も、魂にすら手にかけて外法に身を染め上げる事も全て、狐人達が生き残る為にやった事。

 力を得る為ではなく、生き残りたいというありとあらゆる生命が持ち得る感情。その感情の暴走が彼の狂気の産物の数々を生み出した。

 

「だから────」

「ねぇ、カエデ……」

 

 カエデの言葉を止めたグレースが眉を顰めて彼女を真正面から見つめた。

 白い毛並みに真っ赤な瞳。小さな背丈に細い手足。それでいて準一級冒険者という肩書に見合った能力を持つ彼女。その姿をしっかりと見据えたグレースは小さく質問を放った。

 

「アンタ、その御霊石とかの知識、何処で知った訳?」

「それは────あれ?」

 

 グレースの質問にカエデは言葉を詰まらせ、首を傾げた。

 カエデは『御霊石』の知識を何処で知ったのか。そんな簡単な質問に答えられない。

 いつもの様に、ヒヅチから聞いた話であればそう口にすれば済むはずなのに、答えが出てこない。

 

「……ワタシ、何処でこの知識を?」

 

 知らないはずだ。カエデはこの知識に関して何一つ知らないはずだ。『御霊石』についても『殺生石』についても、おかしな事だ、知らないはずの知識を知っている。そして、その知らないはずの知識がいつの間にか増えていく。目を見開き、頭を押さえ、カエデが呻く。

 

「ちょっとカエデ、大丈夫?」

「侵略、式神を使った水増し、降霊術、かつて死んだ人たちを呼び覚まして、この大地に染みついた無念と怨念を、利用する?」

 

 次々に脳裏に浮かぶ謎の知識。意識を自身の内に沈めれば、知らぬ知識が溢れ返っている。何処かから流れ込む様に、まるで知らせる様に。

 カエデの異常な様子にグレースは心配そうに肩をゆする。アイズとティオナも心配そうに見つめる中、カエデがふと顔を上げた。

 

「『ヒヒイロカネ』は退魔の効果を持ち得る」

「はぁ?」

「狐人の扱う技法の根本の弱点。退魔の効力に非常に弱い」

「……どうしたのよ、それが何か」

「戦争の主導者の意向で狐人が扱う技法が8割以上を占めてる」

 

 脳裏に浮かんだ不可思議な知識。勘が告げている。尻尾を優しく撫で付けられるような、不可思議な感覚を味わいながら、カエデは小さく頷いた。

 

「そっか、ワタシは……」

「ちょっと、一人で納得しないでってば」

「すいません。今すぐ地上に帰ります」

「え? ってちょっ!? 速ぁっ!?」

 

 まるで弾かれた様にカエデが適当に水干を纏い、瞬時に駆け出していく。最低限の手荷物と百花繚乱だけを握り締めて駆けていく姿を呆然と見送ったグレースはティオナとアイズの二人を伺い、小さく呟いた。

 

「なにあれ?」

「さぁ?」

「……ヒヅチ・ハバリの強さについて聞きたかったのに」

 

 ペコラを一太刀で沈めたヒヅチの強さについて聞こうとしていたアイズが困った様に頬を掻き、傍に置いてあったモンスターのドロップ品や魔石の詰った革袋を見て溜息を零した。

 

「荷物、置いて行ったみたい」

「あー、カエデが地上に戻ったなら良いんじゃない? あたしたちも早く地上に戻るべきだと思うな」

「……はぁ、ナニコレ、骨折り損のくたびれもうけじゃない」

 

 グレースの深々とした溜息が清涼な泉の傍でやけに大きく響き渡った。

 

 

 

 

 

 炉の熱が冷めきった鍛冶場。草臥れた様子のヒイラギが金床に無造作に置いてある刀に視線を向けながら言い放つ。

 

「なあ、いい加減にしてくんね?」

「もう少しじゃ」

 

 ヒヅチの言った『緋々色金』を作り上げた後、彼女はその合金を使って数本の刀を拵えた。

 火事場に残っていた鉄材を『持ち主は死んだから良いじゃろ』等と言って惜しげもなく使用し────ヒイラギの所有物ではあるが────刀を何本か拵えた。

 一本は大太刀、武骨な刀身を持つヒヅチの身の丈を超える2Mに至らんとする『物干し竿』という蔑称が与えられかねない代物。

 一本は打刀、一般的な刀剣類と比べて薄い刀身を持ち、非常に軽いヒイラギですら片手で振える軽量な代物。

 二本は短刀、装飾の類処か柄すら付けられていない剥き身の刃金のみの代物。

 そのうちの一本、短刀をヒイラギの脳天に唐突にぶっ差してきたヒヅチに恨めし気な視線が突き刺さる。脳天に短刀をぶっ差され、まるで落ち武者の様になった彼女に対しヒヅチは淡々と様々な情報を語っていく。

 

 『御霊石』や『殺生石』『コトリハコ』や『身代わりの木札』『藁人形』等の狐人が作り上げた様々な道具類の知識。

 そして今回の戦争における作戦などをヒイラギに言って聞かせ。

 ヒイラギは唐突に脳天に異物を刺され、それでいて痛みも無く脳内を掻き回される違和感を覚えつつもヒヅチの『カエデの為になる事だ』という言葉を信じて懸命にその情報を飲み干さんとしていたが、遂に限界が来た。

 頭痛を覚えながらもヒイラギがぼやけば、ヒヅチは静かに溜息を零し、ヒイラギの脳天の短刀を引き抜いた。

 血の一滴も付いていないその短刀を目にしながら、ヒイラギは自身の頭、特に短刀が刺さっていた部分を何度も撫でて確認して呟いた。

 

「嘘だろ、傷がねぇ」

「まあな、そういう代物じゃしな」

「つか何したんだ? いきなりで吃驚したぞ」

 

 ヒイラギが文句を垂れる中、ヒヅチは短刀の内の一本をヒイラギに差し出した。

 

「主の中にある()()()()()を活性化させた」

「……? なんだそれ?」

「黒毛の狼人が行える知識の共有、感覚の共有じゃ」

 

 本来、黒毛の狼人は持ち得る知識や感覚の全てを同一の部族の中で共有する事が出来る。

 しかしその能力は時の流れと共に劣化が進み、今ではなんとなく仲間の考えが読める程度の弱々しいモノにまで落ち込んでしまっていた。

 それもある程度の信愛を抱かねば効力すら発揮できない程に落ちぶれた能力。

 ヒヅチの手にした短刀はそれを補助する為の代物であった。

 

「何の意味があるんだ?」

「カエデに情報を伝えた」

「え? マジで? 姉ちゃんに?」

 

 遥か遠くに居るカエデに対し、今自分が伝えられるだけの武装と敵対者の情報を伝えた。

 使う技法や技術、道具について、そしてそれの弱点。それから彼女が作成した『緋々色金』の在り処。

 

「奴の持つ『百花繚乱』に組み合わせられる様にその短刀を作った」

「……親父の作品に合わせられる様に?」

 

 一本の大太刀は、ヒヅチが自ら手にする為に。

 一本の打ち刀は、この村を守護する者の手に。

 二本の短刀は、片やヒイラギとカエデの内に眠る機能を呼び覚ます為のモノ。片やカエデの持つ『百花繚乱』に用いる事で彼の剣に『緋々色金』の退魔能力を付与する為に。

 

「カエデがじきに此処に来る。そうなる様に仕向けた」

「待ってくれ、この村を守護する奴ってだれだ? ヒヅチが守ってくれるんじゃねぇのか?」

 

 ヒイラギの言葉にヒヅチが首を横に振った。

 この村を守護する者として、ヒヅチは適任ではない。むしろ邪魔にしかならないと口にし、ヒヅチは微笑んだ。

 彼女の言葉を聞いたヒイラギが大きく声を上げるも、ヒヅチは気にした様子はない。

 

「ツツジが此処を守るじゃろう」

「…………は? いや、親父? 親父はもう死んでるぞ」

 

 どれだけ請うても願っても、命を落としたヒイラギの父であるツツジが戻って来ること等ありはしない。それなのに彼女はツツジが守ると言い切った。理解の及ばぬヒイラギが眉を顰めるさ中、ヒヅチは小さく吐息を零して何かを取り出した。

 

「おい、それ……」

「ツツジの遺骨じゃな」

「っ!? テメェッ、親父の墓を掘り起こしやがったなっ!」

 

 立ち上がり、怒声を響かせるヒイラギに対し、ヒヅチは小さく目を細め、溜息と共に謝罪の言葉を呟いた。

 

「すまん、そういえば墓を暴くのは褒められた行為ではなかったな」

「なっ……ヒヅチ姉ちゃん、頭大丈夫かよ」

 

 素直な謝罪と、加えて反省した様に耳を伏せた彼女の姿に面食らい、ヒイラギが小さな牙を剥きながらも吼える。

 

「とにかく、親父の墓を掘り起こした件は許さねぇぞっ!」

「ああ、いくらでも謝ろう。それよりも、主は父親に会いたくはないのか?」

「会いたいに決まってんだろっ!」

 

 命を落とした。それも村を守ろうと全力を尽くし、その上で死んでいった父を誇りに思う。そしてもし叶うならもう一度、会いたい。会って、話したい。もっと鍛冶について教えて欲しい事が一杯ある。そんな思いを吐き出すヒイラギに対し、ヒヅチは小さく微笑んだ。

 

「会える、そう言ったらどうする?」

「なっ…………」

「狐人はな、罪深い種族だ。輪廻転生の理を砕き、壊し、踏み躙ってでも生きようとした、哀れで愚かな種族なのだ」

 

 命を落とした者を、疑似的に蘇らせる事は、出来なくはない。

 

「本人ではない。遺骨に宿る残滓を呼び起こし、生前のツツジの姿を写し取った紛いモノだがな」

 

 本人が蘇るのではない。本人が死に際にこの世に残した無念を引き出し、写し取り、人形に宿す。そんな形で疑似的な死者蘇生を可能とする。

 

「本人ではないが、本人と遜色無く会話も出来るし、泣き、笑い、嘆き、怒る事が出来る」

「……でも、それって」

「死者への冒涜ともとれるな」

 

 死んだ兵の無念を晴らすべく、死者の残した想いを遺骨から抽出する。

 かつて狐人達が編み出した技法のひとつ。決して死者が蘇るという事ではない、写し取った影法師を呼び出すだけの代物。それでも生前の者と並べても遜色無いモノとなるのは間違いない。そう語るヒヅチの前でヒイラギが拳を強く握りしめた。

 

「この村を、ひいてはお主を守ろうとしたツツジの想いが、この遺骨に宿っている。主の許可さえあれば、今すぐにでも出来るぞ」

「…………」

 

 強く握り過ぎた手から血が滴り落ちた。

 

 

 

 

 

 オラリオに向けて進軍する有象無象の集まった烏合の衆を眺めつつ、クトゥグアは大きく伸びをして首を回した。

 

「いやぁ、壮観だなぁ」

 

 馬に乗る彼が見回せば『神を殺せ』という過激な文が書かれた旗を高々と掲げる者達が、高揚のままに叫んだり武器を振り回したりしながら進軍を進めている。

 すべてが全て、狂気を埋め込まれた影響でまともな指示に従うとは思えない、正しく烏合の衆。このままオラリオに進軍したところであっけなく散らされる事は間違いない。

 少なくとも、ヒヅチ・ハバリが戻らなければ。

 

「ヒヅチがなぁ、帰らないんだよなぁ」

「…………」

 

 彼の横で同じく馬にまたがる老婆がドロドロとした粘っこい視線を周囲に巡らせ、ガチガチと苛立たし気に爪を噛み千切って呟く。

 

「あ奴、頭脳を隠した。我らの願いを貶した」

 

 ブツブツと、指先の肉や皮膚すら噛み千切り、血の溢れ出ているのも気にならないのか────それとも狂い過ぎて自身でも自覚できていないのか。彼女は既に死人も同然でありながら、激情に溺れながらオラリオのある方角に視線を向けた。

 

「殺してやる。アマネも、神々も、黒毛の巨狼も、クトゥグアも、こいつらも、全員、全員殺してやる」

 

 全て、全てだ、生けとし生ける者全てを殺し尽くそう。そう幾度となく呟きを零す彼女を見て、クトゥグアはクツクツと喉で笑う。

 

「ヤベェ、俺でも()()()()()()()って思ったのは初めてだわ」

 

 完全に狂い切っている。いや、一周回って普通に戻るかと思えば捩じ切れて可笑しな方向にぶっ飛んでいる。もはやまともな思考は残っていない。あるのは怒りという感情のみ。

 ドロドロに濁り切ったほの暗い瞳、その煮詰めた乾留液(タール)を思わせる視線が自身の首に絡みつくえも言われぬ悪寒にクトゥグアは背筋を震わせ、歓喜に舌を巻く。

 

「くはっ、ヤバすぎんだろ。ヤベェよ、マジだよこれ」

 

 もう彼女の目に映る動くモノは全て敵だ。人も、怪物も、神も関係無い。

 全てを殺し尽くし、壊し尽くし、最後に自分すらも壊して終わる。破滅の象徴にしてクトゥグアがこの世で最も手をかけた最高傑作。

 

「ははっ、はははは、ヤバ、笑っちまうよなぁ」

 

 大嫌いな神。その神に狂わされ、正気を失い、もうすでに手遅れなまでに壊れ切った彼女の空虚でドロドロとした瞳。それがこの世に存在するありとあらゆる宝石を凌駕する程に美しい、そうクトゥグアは呟いて愛おし気に彼女を見つめて、呟いた。

 

「ヒヅチも同じ様にしてやりてぇなぁ。カエデ・ハバリってのも面白そうだしなぁ。畜生、壊すの勿体ねぇ」

 

 もっと早くに彼女の存在に気付いていれば。そうすればもっともっと良い風景が見れたのに。悔し気に呟いたクトゥグアの言葉は烏合の衆が放つ足音にかき消されて消えた。

 


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